夕闇が終わり、既に空は暗く世界が藍色へと変化しつつある海鳴の空の下。
なのはとコキュートスは空を駆ける。
なし崩し的に1対1となってしまったこの状況をなのははあまり喜ばしくない状況と判断したのか、少し不安
気な顔で空を飛んでいた。
そんな中、ある程度飛び続けてから口を開いたのが。
「神というのがいればそれはとんだ悪戯者だと思わないかね、未来のエース君」
突如コキュートスの方からなのはへと話しかけたのだった。
何を言い出すかと思えばまるでナルシストのような事をコキュートスが言い放つではないか。
その素振りになのはは怪訝を覚えるもコキュートスの言葉を待つ。
「そうだろう? 朝出くわしたと思えば、夜になってまた君と会う。運命とすら言っても過言ではない。運命を
弄ぶのは誰だ」
「え、えと。そう言うのだったら、神様だと思いますけど」
コキュートスの疑問になのはが答えると、まるで満足のいったかのようにコキュートスは大きく頷き言葉を続
ける。
お互いに空を駆けるのを止め、対峙する2人。コキュートスは振り向きながらも言葉を続ける。
「そうさ、神だ。これだけ数奇にも渡る確率を手繰り寄せその元へと辿りつかせる。それはまさに神の所業と言
うべきだろう。だが神とて万能ではない。世界は滅び行く運命にあっても神は手を出さないのだ。それは神が万
能では無い事を示す」
コキュートスの物言いに何かひっかかったのか、少し疑問を抱く顔になるなのは。
だからなのはは、思った事を口にした。
「もしかしたら、敢えて手を出さなかったのかもしれません」
「……どうしてそう思う?」
「私達じゃ分からないと思いますよ? だって神様ですから」
「ふ、ふふふ。まったくだ。君の言うとおりだよ。神様なんて所詮気まぐれ者さ。何が本当で何が嘘かなんて事
すら暴けない。それじゃまるで人と同じさ」
何が可笑しいのか、笑いが止まらないコキュートス。
何かが違う、何かが違っている。だけど何が違っているのかが分からない。そんな不安に似た感覚をなのはは
覚える。
「さて、折角お膳を立てたんだ私も妹の為に全力を奉げよう」
なのはは息を呑む。
別に緊張はしていない。けれどレイジングハートを持つ手が少しだけ強くなってしまっていた事を分かってい
たのはなのは自身だけだった。
第十六話 外伝「彼女と彼女、そして彼女の事情」
――――海鳴市 海上上空 4月23日 PM 7:08
コキュートスは両手を使って赤い爪を武器に何もかもを切り裂こうとする。まさに動く刃物。赤く光る爪は血
を彷彿させ、全てその色に染めようと動く。
だが、勿論なのはも負けてはいない。
その爪の射程は特別な事がない限りミドルレンジまで。特別な事といえばそれはアレしかないだろう。
――血塗れの籠だけは、なんとかして逃げないと。
つい今朝方苦しめられたあの魔法。
あの時はフェイトがいたからなんとかなったが、今はなのは1人。現状切り札という切り札はなのは側の負担
が大きく、レイジングハートのスペックアップも終わってないので無茶は出来ない。
だが、あの血濡れの籠自体にも当然リスクはあった。持続時間、魔力枯渇、魔法自体の弱点。故にコキュート
スもそうそうに血濡れの籠は使わない、否、使えないだろう。
海上すれすれで飛び、爪で海を切り裂きながら接近しようとするコキュートス。
接近しようとするコキュートスからいかにして距離を離し、自分のペースへと持ち込めるかがなのはの勝敗を
分けるだろう。
砲撃魔法は斬られる、射撃魔法は破壊される。
どうすればいいのか? このような思いになのはは焦燥に駆られる。
「逃げ回ってるだけでは終わりはせんよ!」
コキュートスが近づくと彼女は腕を背中に回し、腰を捻る。そしてそのまま背に向けた腕を勢いよく横なぎに
振るう。
ネイルカレントだ。
切るという志向性を最大に。貫くのではなく、何もかもを切り裂こうとする意思の塊のような魔法。単純かつ
短絡的なものであるが、それ故に暴力的な威力を誇るコキュートスの魔法。
なのはは自分の持つ最大の防御魔法を使い防ごうとする。彼女の機動性は低いという訳ではないが、高速戦闘
を得意とするフェイトやコキュートスには確実に負ける。だからこそ彼女は機動力を捨て、確実に防御するとい
う方向性に至った。
故に、なのはは自分の魔法――プロテクション・パワード――を信じた。
<Load cartridge>
「――いい判断だ。だけどそれだけじゃ足りない」
コキュートスは使っていない左腕を使う。
スティングレイだ、コキュートスの赤い爪が伸びようとする。
「ええ、足りませんね」
「……っ!?」
なのははコキュートスの行動を見切っていた。
片腕だけ使うのなら、もう片方の腕は次へ繋がる攻撃に使われることを予測しての行動。それは彼女がいかに
ロジック的思考に優れているかが分かる。理論的にかつ効率的に。
もし自分の魔法でしっかりと防げるなら、二の次にくるのはバリア破壊能力に優れるスティングレイだ。それ
を放ってくるのは道理でありかつ効果的だと、なのはは予測していた。だからこそ彼女はその為の準備を怠って
はいなかった。
身の危険から逃げ回るだけではなく、攻撃のために逃げていた。
コキュートスの通った後に、なのははコキュートスに見えぬ位置でディバインシューターに使うスフィアを形
成させていたのだった。
スティングレイで攻撃できたとしてもバリアを破壊されるだけ、その次に来る魔法は直線的に動く攻撃なのだ
から避けやすい。なのはは上体を一気に反らしてコキュートスの爪を回避し距離をすかさず取った後、彼女は転
じて攻撃へと移る。
「ディバインシューター!」
初速からほぼ最大速度を走るなのはの魔法はその軌道を確実にコキュートスへ一斉に、また確実に動かす。距
離が離れた状況から魔法が来ると分かっていてもその速度はすさまじく、彼女は完璧に自らの魔法を操作してい
る。
当然その対処に動くのはコキュートス。彼女は全ての感覚を研ぎ澄ますように目を閉じた。その一瞬の間を掻
い潜るようになのはのディバインシューターの初撃がコキュートスへと襲い掛かる。しかし――
(避けた……!?)
なのは自身でも確実に魔法が当たると確信していたのだろう。絶対的な自信という程ではないが、それに近い
ものを抱いていたなのはは多少なりとも動揺してしまった。
思考の間は攻撃の間。
それを言葉でなく現実の物として映し出したのはコキュートスだ。
「玩具だなこんなものは――人を弄ぶ物ではない。君では運命に勝てないのだろうか」
誰に問うたのか。なのはか、己か。はたまたこの場にいない誰かだろうか。そう呟いたコキュートスは両腕を
振り回すように体を踊らせる。その情熱的では無く完成されたようなステップは円舞曲\ワルツ\だ。彼女が腕を
一振りするだけでなのはの魔法が1つ、また1つと破壊されていく。
静と動。
そのバランスの取れた動きは無駄の無い防御と攻撃。なのはがいくらディバインシューターをコキュートスへ
と叩きつけようとしても、そのことごとくがコキュートスが持つ赤い爪の餌食である。
なのはは焦りからか、額に汗をかいていた。
当たらない攻撃、当てようとしても全てコキュートスに届く前に破壊される己の魔法。なにより自分が自信を
持って放った攻撃が通用しない現実。これらはなのはを確実に蝕んでいく。
「焦っているね君は。分かるよ、私もそうだった。戦場を支配するのは何も己の力量だけではない。その場の全
てを使い戦術という戦略に全てを費やし自分を優位に立たせる。それはまさにイニシアチブを取るという事なの
だろう」
「…………っ」
<"マスター落ち着いてください">
「デバイスに心配されるほど君は今焦っているという事だね。それにしても……、ふふふ、楽しいよ。君との戦
いは私を私でいさせてくれる感覚をくれるからね。誰かを守る為に戦うのは何も君だけじゃあない。私とて何か
を守る為にここに、この場に君と対峙しているのだから」
饒舌に語るコキュートスだが、なのはの魔法は何も止まった訳では無い。なのはは破壊されたディバインシ
ューターをもろともせず、すぐ次のスフィアを生み出し攻撃へと転じさせていた。だけど――当たらない。当た
る気配すらコキュートスから感じさせない。
「君も何かを守る為に戦っているのだろう? それが何かは私には分からないがそれは誇って良いと思う。何か
を守ろうと、何かを救おうと思うその心はまさに尊くまた絶望的に偽善だ。善というのは人が人である限りそれ
は行えない。ならば自己的に善を行う、それは偽善だろう。だがその偽善は何も悪いとは言っていない。あくま
で善であり、限りなく善になれないものなのだからね」
「コキュートスさん。貴方が言っている事は私には分かりません。だけど、そんな悲しい事で私は絶対割り切り
たくないですから」
ここでなのはが攻撃を止める。
コキュートスもまたなのはが動きを止めたことによって、動くことをやめた。
「君が理解せずともいい。何故ならそれは神が行う善でしか到達する事で達成されるのだから」
「神様?」
「ああ、そうだ。善というものは自己的ではなく、あくまで相対的に行うものだ。その行いが出来るのは恐らく
神のみ。人は常に自己を持つ。それは確実に、また切り離す事が絶対的に不可能だからこそ人には善が行えない。
だが神は違う。神とは己がいるというその事すら理解していないのだ」
「それって違いませんか? 神様だって自分を持っているから世界を作ったんじゃないんじゃないでしょうか。
でも、
この会話にある前提は『神』が存在するという事だ。
それは誰もがその恩恵にあやかりたいと願う反面、いないのだから届くかも分からない祈りという行為を行っ
ている。まさに人間的な考え方だろう。
なのははコキュートスの話す言葉に耳を傾け、それを理解しようとする。それはなのはがなのはである為に、
彼女が彼女である所以であるからだ。彼女は常に相手の事を考え、そこに自分が助けになるようならばすかさず
手を差し伸べる人なのだから。
コキュートスはなのはの言葉を聞き、まるでアメリカンコメディのように両腕を伸ばし肩をすくませながら、
口を開いた。
「当然、君が言うように神がいればという話になるね」
前提を覆すような事を話すコキュートスだったが、目つきが本気になり話を続けた。
「だけど確実に居る。神というのはね存在していながら存在していないのだよ。矛盾しているだろう、何故なら
それは…………、いや止めておこう。これもまた推測に過ぎない。そうだな、聡明な君に1つだけ情報をあげよ
う。私達はその神を見つけて意のままに操ろうと企んでいる。まさにその行いは全て善という唯一の物となるだ
ろう。いや全ての悪にもなるのか。さあ真実は何かな? 君達管理局がひたむきに隠す事実と、世界の真実どち
らが正しのだろう?」
「何を……?」
これはなのはが今朝味わった狂気とは違った狂気。
自分の行っている行動が全て正しいと、また正しくないと知っていながらの行動。
その矛盾した行動に、一貫性を持って貫くコキュートスの姿になのはは恐怖したのか、言葉を失う。
「真実とは劇薬であり、また甘美な果物だ。知的好奇心を得ようとする者にとって、真実とは喉から手が出るほ
ど欲しい物さ。しかし真実は先も述べたように劇薬でもある。知りすぎた真実は時に人へと牙を向く。気が狂い
自殺した研究者もいる。真実を世界にいる人類に知らせようとして笑いものにされ、最後には信じた国に裏切ら
れた学者もいた。
だがね真実は真実なのだ。それは唯一無二にして副次的なものは無い。どちらが正しいなんてのものは無い。
真実そのもがその答えなのだから。さて、お喋りが過ぎたようだ」
コキュートスはここで一区切りと言葉を切るも、何かを探しているかのような思案顔になり、納得の行った表
情へと移り変わっていく。
「………………ふぅむ、どうやら妹は負けそうだね」
淡々と語るコキュートスになのはは一生懸命に耳を傾ける。何かヒントでも、何か必要な情報が無いのか。そ
してなによりここにいるのが本当に今朝会ったコキュートスなのかどうなのかと。
「守るべき者がいるのと守るべき者がいないという差は埋められないようだ。彼女もいつか手に入れるだろうか
守るべき者を」
なのははここにいる自分が何を得たのかが何か分からず、けれど目の前にいるコキュートスが何故か異質なも
のだと感じた。異常と感じた彼女はその後、目の前にいる何かから恐怖しか抱かなかった。何かが分からない。
自分の得ようとしているものの正体が掴めない。今朝も感じた事だったか、今の状況はそれを大幅に超えている
と。
そんな事を考えているとは露知らずと言わんばかりにコキュートスから闘気そのものが消える。
「君には2つ真実を教えよう。高町なのは、君は強い。これは何者にも縛られず己を通す強さを持っているから
こその強さだ。君はそのまま真っ直ぐに生きていけばいい。これが1つ。そしてもう1つが、この場に私は存在
していない。それが真実だよ」
「え……?」
「やれやれ、妹は本当に世話が焼けるね。来なくていいと言っておいたんだけどなぁ。さて、それじゃまた運命
が巡ったら会おう、高町なのは君」
「待って――っ!」
なのはが静止の声をあげるも、そこにはコキュートスの姿は無かった。
今まで戦っていた姿も、先ほどまで海を切り裂いていたあの爪も、なのはの魔法をことごとく裁いたあの身体
裁きも。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように――。
【あとがき】
世界共通の挨拶って何でしょうか? どうもきりや.です。
十六話もう一人の主役、高町なのはにスポットを当てました今回の話。
どうだったでしょうか? 個人的には変に難しくして話をややこしくしてしまうダメ作家のようにしか見えな
かったりで…
また最後となりましたが、読者の皆様とこのSSの展示をしてくださったリョウさんに感謝を。
では次にお会いできる機会を楽しみにしています。
<<改訂>>
少し前の話数からrubyタグによるルビ振りを行っております。現在何もしないで表記されるブラウザはIEのみ
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