第十三話 太陽はいつもそこにあるものなの(後編)
 朝起きたら、二ヶ月分の記憶がぽっかり穴を空けていた経験などそうそうあるものではない。
 母が無駄なお茶目心を取り出して無意味にカレンダーをめくってしまったのか。
 そう疑った直後にテレビの中から流された天気予報では、ちゃっかり月と日付が二ヶ月後となっていた。
 一体自分の身に何が起こったのか、悩んでいられたのは精々一週間ほどであった。
 別の言い方をすると、一つの事柄に延々と悩んでいられるほど暇ではなかったのだ。
「おはようございます」
 何時の間に手に入れたのか覚えていない黄色い石ころのついたネックレスを巻きつけた右手で教室のドアを開ける。
 その気分は少し暗鬱、三年に進級してから世界で一番目と二番目に苦手な人物が居座る教室だからだ。
 苦手なだけであれば関わらなければ良いのだが、何を好き好んでか向こうから絡んでくるのだ。
 案の定、ブロンドの髪を持つ少女が自分を見つけた途端駆け寄ってくる。
「おはよう、あかね。今日こそ、思い出してるんでしょうね」
 何故か胸を張り、上から目線で言われあかねは迷惑そうな顔を隠そうともせずに言った。
「毎日毎日飽きもせず同じ事を聞かないでください、バニングスさん。何度考えても、僕とバニングスさんが仲良くなる事などありえません。新手の嫌がらせでしょう、その方がしっくりくるのですが」
「心配してあげるのに、なによ。ムカつく、紛れもなく二ヵ月前のあかねだわ」
 目の前の少女、アリサもまた言葉通りの表情を隠しもせず拳を握り締めていた。
 朝っぱらから二人して火花散る視線をぶつけ合う。
 そんな二人の仲裁役は、何時も同じ少女である。
「アリサちゃん、あまりあかねさんを焦らせちゃ駄目だよ。こういうのは本人が自然に思い出すものなんだから。おはよう、あかねさん」
「おはようございます、すずかさん。お心遣いは感謝しますが、バニングスさんと仲良くなった過去はわりとどうでも良いのです」
「アンタ、最後には殴るわよ」
 記憶を失くしてから毎日行われるやり取りの中で、何時も最後に話しかけてくるのは二番目に苦手な少女である。
 高町なのは、彼女はアリサのような挑発的な言葉ではなく、普通に笑いかけ言葉を掛けてくる。
「あかね君、おはよう。今日もアリサちゃんとは仲良しさんだね」
「高町さん、あのですね……」
 ふと、なのはの笑顔の中に言い様のない寂しさの様なものが見え、あかねは言葉に詰まった。
 いつもそうだった。
 なのはは笑顔で語りかけてくるのに、名前を呼ぶと途端に寂しさを表情の中に生まれさせる。
 そんな顔を見るだけで、自分までも寂しくなる気がしてあかねは言葉を上手く続けられない。
「なのは」
「なのはちゃん」
 アリサとすずかまでもなのはを気遣い、あかねは自分が何か悪い事をした様に感じてしまう。
 理由はわからないが、三人の中でなのはにだけ特にそう感じるのだ。
「にゃはは。ちょっとぼうっとしちゃったかな?」
「ちょっと所ではありません。最近高町さんは明らかに変ですよ。大丈夫ですか?」
「心配してくれてる?」
「いくら苦手な相手でも、知らぬ仲じゃありません。心配ぐらいしますよ」
 期待に目を輝かせたと思えば、苦手と言われ沈み込み、心配したと聞かされ再び目を輝かせる。
 もとより良く笑う女の子ではあったが、こんなにも目まぐるしく表情が変わり、忙しい人だっただろうか。
 首を傾げるあかねの手をいきなりなのはが両手で包み込んできた。
 ぎょっとして後ずさろうとしても、しっかりと手を掴んだなのはが逃がしてはくれなかった。
「あのね、何時言い出そうかと思ってたんだけど、あかね君今日の放課後時間あるかな?」
「ありますけれど、何かあるんですか?」
「会って欲しい人がいるの。なのはの大切なお友達、もちろんあかね君にとっても」
 共通の友達に思い浮かぶ人物はいなかったのだが、なのはの顔は真剣そのものであった。
「もしかして、前に言ってたフェイトって子?」
「うん、しばらく遠い所に行っちゃうからってその前に会える事になったの。おねがい、あかね君。一緒に来て」
 アリサに答えてから再び見つめてきたなのはを前に、あかねは正直迷ってしまった。
 理由がないからである。
 空白の二ヶ月の間に出会った人であったとしても、今のあかねにとっては赤の他人である。
 少しばかり薄情な考え方であるが、なによりもあかね自身が本気で記憶を取り戻したいと思っていないのが大きい。
 死に物狂いで思い出そうとするには二ヶ月という期間は中途半端すぎた。
 日々を普通に過ごしているだけで空白の期間にはそれ以上の記憶が埋め込まれていってしまうのだ。
「あかね君、迷ってるなら行った方が良いと思うの。あかね君にとっては忘れてしまった人でも、相手にとってはあかね君は大事な人かもしれないから。少しでも相手の人の事を考えて行って見よう」
「そう言われると、解りました。行きますけれど、怖かったり妙な人じゃないですよね?」
 若干の不安と共にあかねが尋ねると、面白いほど良く首を振ったなのはが言った。
「そんな事ないよ。とっても可愛い子だから。アリサちゃんも、すずかちゃんも良かったら会いにきて。フェイトちゃんとはとっても仲良くなれると思うの」
「行くに決まってるじゃない。けど、なのはたちがアレだけ拘った子なら、期待してるわよ」
「今日は珍しく塾もお稽古もない日だから。大丈夫だよ」
 あれよあれよと言う間に、フェイトと言う名の女の子には四人で会う事になってしまった。
 なのはたちと一緒に出かける事は初めての様で、なんだか慣れている気がしないでもないあかねであった。





 放課後、アリサを迎えに来たリムジンに揺られ着いたのは鳴海臨海公園であった。
 穏やかな波が打ち寄せる防波堤を四人で歩くと、待ち人のいる橋が見えてきた。
 海へと流れ出る小河に掛かるレンガで飾られた橋の上に三人。
 一人は黒髪の自分達よりも若干年上の男の子、一人は金髪の同い年ぐらいの女の子、そして保護者らしき女性である。
 やはり見覚えがないとあかねが思っていると、急になのはが手を振り上げながら駆け出した。
「フェイトちゃん!」
 声に振り返り、控えめな笑顔を向けたのは金髪の女の子であった。
 大きく手を振るなのはとは違い、照れながら胸元まで小さく手をあげて振りかえす。
 すぐにその手もたどり着いたなのはに握られぶんぶんと振られる事となる。
「まだ、戻らない?」
「今の所は、でも諦めないから大丈夫」
「うん、そうだね」
 二人の短いやり取りが終わるか、終わらないうちにあかねたちがなのはの後ろにそろう。
「あんまり時間はないんだが、しばらく皆で話すと良い。僕達は向こうにいるから」
「その前に」
 そう言った男の子と女性が席を外そうとするが、女性が急に振り返りあかねの前までやってくる。
 まだ自己紹介も受けないうちに近付いてこられ戸惑うあかねの頭にそっと手をおきなでつける。
「あれだけ大暴れしたアンタが大人しいもんだね。なんか変な感じだよ」
「って、あー! 何処かで見た事があると思ったら、温泉旅行のときにあかねにキスした人!」
「ああ、そんな事もあったね。でもあれはノーカン、ノーカン。したのはキスじゃなくて、ヘッドバットだもん」
「そう言えば、あかね君少し涙目だったかも……」
 一体空白の二ヶ月の間に何があったのか、これほど気になった話題は今までなかったかもしれない。
 むしろ余計に思い出したくないとあかねが頭を抱えていると、ただでさえ少ない時間がなくなっていくと男の子が女性を引っ張って連れて行く。
「とりあえずフェイトちゃん、二人が私の友達のアリサちゃんとすずかちゃんだよ」
「はじめまして、フェイト・テスタロッサです。色々あって二人には一杯お世話になりました」
「アリサ・バニングスよ。一時は心配したけど、なのはもあかねも無事だったから良いわ。若干あかねは、アレだけど」
「月村すずかです。フェイトちゃんの事はなのはちゃんから色々聞いてるよ」
 少女達がそれぞれ挨拶を交わす中で、あかねは置いてきぼりをされたように感じていた。
「申し訳ないのですが高町さん、僕にもきちんと紹介してくれませんか? 非常に会話に加わりにくいのですが」
「あ、つい……あかね君は紹介不要かなって思っちゃって」
「自分で言いますよ。大空あかねです」
 あかねに差し出された手を見つめながら、フェイトは少しきょとんとした顔をしていた。
 その様子にあかねのみならず、アリサたちも首をかしげていると気がついたフェイトが慌てて手をとった。
 それでもまだ驚いたような様子は消える事はなかった。
「記憶を失くしてからちゃんと会うのは初めてだから。少しびっくりしただけ」
「私も最初びっくりしたけど、あかね君って仲良くなる前は随分他人行儀なんだもん。フェイトちゃんが驚くのも無理はないよ」
「そうそう、呼び名がいきなりファミリーネームに戻ってた時はびっくりしたよね。戻せって言っても戻さないし」
「私は特にそうは思わなかったけれど……」
 一人よくわからないとすずかがこぼすと、アリサが何時も通りの台詞を送る。
「だからあかねは何時もすずかにだけ甘いのよ。いい加減理由をはっきりさせたい所なんだけれど」
「一時怒る事はあっても、フェイトちゃんにも結構甘かったような気がするかな?」
「そうなの?」
 言われてフェイトは少し思い出す素振りを見せた。
 初めて出会ったのはあかねが巨大化した子猫に追いかけられている時であり、その時は思い切り怒られた。
 次に出会ったのは温泉の枠山の中で、敵であるにも関わらずなのはの砲撃から庇われた。
 その次は暴走を始めたジュエルシードを素手で掴もうとして、あかねが一瞬早く庇うようにジュエルシードを包み込んだ。
 その後は言うまでもなく、随分と心配してくれたものである。
「そうかもしれない」
「でも逆に考えると、アリサちゃんとなのはちゃんにだけ厳しいんじゃないのかな?」
 いきなり厳しい意見がすずかの口から放たれ、そうなのかもとなのはとアリサが後ずさる。
 今までは甘い対応をされるのがすずかだけで特別に見えたのだが、そこにフェイトが加わると甘い対応と厳しい対応をされる人数が五分五分なのである。
 新たな認識になのはとアリサが唸っていると、本当に困ったようにあかねが口を挟んだ。
「どうでもいいのですが、本人を前に言いたい放題もどうかと思いますよ。できれば本人のいない所でしてもらえませんか?」
「ごめん、なさい」
 あかねの言い分に謝ったのはフェイトであったが、これにおやっとアリサが方眉をあげた。
「なんかフェイトって硬いわね。戸惑ってるって言った方が近いかしら。なのはの事もあかねの事も名前で呼んだ所まだ聞いてないし」
「二人は友達って言ってくれたけれど、まだそう言うの良く解らないから。名前もなんだか照れちゃって」
「駄目駄目、そんな事言ってたらいつまで経ってもちゃんとした友達になんかなれないんだから。ほら、なのはとあかねはそこに並ぶ」
 いい加減な事では放っておけないたちのアリサが、なのはとあかねを隣同士並ばせ正面にフェイトを押し出した。
 そしてさあ名前を呼びたまえと腕を組んだが、すぐに呼べるほどフェイトは心の準備がなされていなかった。
 恥ずかしそうに下を向き、もじもじと両の手の指を絡め始めてしまう。
 可愛らしい事この上ないフェイトであるが、アリサのような快活な性格の人にとっては少しまどろっこしいようであった。
「こんなんじゃ、一生かけても無理だわ。なのは、すずか、あかね、フェイト。こんな感じで呼べばいいのよ。今度はなのは、お手本」
「私も? えっと、アリサちゃん、すずかちゃん、あかね君、フェイトちゃん」
「次、すずか」
「なのはちゃん、アリサちゃん、あかねさん、フェイトちゃん」
「お手本最後、あかね」
「なの、ってドサクサに紛れて名前を呼ばせようとしないでください」
 釣られてうっかり名前を呼びそうになったあかねが突っ込むと、チッと明らかな舌打ちをアリサがしていた。
 フェイトが名前を呼べない事を直そうとしたついでに、あかねの呼び名も直そうとしていたらしい。
 油断も隙もあったものではないと、あかねが溜息をつこうとするとピリッと脳内に妙な信号が走る。
 一瞬だけ走ったはずのそれが、痺れとなって体全体を駆け巡るのに時間は掛からなかった。
 世界が揺れ、空が回る。
「Stand by ready. Unison in」
 ふらつき出したあかねの右手に巻かれたゴールデンサンが起動音声を奏でた。
 光があかねを包み込み、シルエットの中であかねの髪の毛が伸びていく。
 膨れ上がった光が弾けた次の瞬間には、すっかり姿形を変えてしまったあかねの姿があった。
 フェイトと同じ金色の髪を無造作に伸ばした、アリシア・ゴールデンサンとしての姿である。
「警告はしたはずです。大空あかねの記憶を無理に取り戻そうとはしないようにと。無理に記憶を引きずり出そうとすれば、壊れてしまいます。本人が思い出すまで、待つ事です」
 突然フェイトそっくりな女の子に姿を変えたあかねを見て、アリサとすずかは目を丸くしていた。
 なのはは解ってはいるけれどと唇を噛み締め、フェイトは自分と同じ姿を持つあかねを見て呟いた。
「アリシア……」
「アリシア・ゴールデンサン。それが私の名前です。アリシア・テスタロッサは既に死亡しています」
「随分と、拘るんだね。まるで自分や周りにそう言い聞かせてるように聞こえるよ」
 起伏のないゴールデンサンの表情に僅かに亀裂が入った。
「母さんが言ってたよ。アリシア・ゴールデンサンの言葉には矛盾が存在するって。死んだ人間は伝言なんて出来ない。伝言と言う形じゃなくて、アリシアならそういうはずだって言うべきだったね。母さんはあの後、すぐに気付いてたよ」
「だって……」
 ゴールデンサンの口調が初めて変化を見せた。
 機械的に事実を突きつけるような言い方ではなく、幼子のように耐えられず泣き出す直前のような弱々しい声であった。
「デバイスと言う形でも、人が生き返ることを証明したあかね君や母さんは多くの人から狙われる事になるから。そんなの嫌だから」
「それは私も嫌だけれど、アリシアが一人ぼっちなのは私も母さんも、もちろんあかねも望んでいないよ。今日は皆に会いに来た事だけが目的じゃなかったの。アリシア、一緒に母さんの行こう?」
 それは二人の母の元にという意味であったが、アリシアはゆっくりと首を横に振っていた。
「私が体内で魔力を上手く循環させないと、あかね君普通に生活する事も難しいんだよ。それに自分が魔法を使える事を知ったら、また無茶するから。誰かが見てないといけないの」
「私が見てるだけじゃ駄目かな? 私があかね君の事見てちゃ駄目かな?」
「学校以外じゃ難しいから。それにできれば完全に体が回復するまでは魔法そのものに一切関わって欲しくない。これは私のわがままだけれど、御免なさい」
 迷いを断ち切るようにアリシアの体が光りだし、バリアジャケットが解除されていく。
 それに伴い伸びていた髪が戻り、色も元の黒色へと戻り始める。
 ユニゾンデバイスとしてのアリシアとのユニゾンが解け、あかねの意識が浮上する。
「あれ、今何か……」
 世界がぐるりと回転した直後の記憶が一瞬だけ途切れている事に、疑問の声を挙げる。
 だが誰一人としてあかねの疑問には答えてはくれず、そのうちに気のせいだったかと一人あかねは納得していく。
「少しひやりとしたが……時間だ、フェイト」
 気がつけば、黒髪の少年がそばに着ていてフェイトに告げていた。
「なのは、アリサ、すずか。それにあかね。私、行くね」
 そう言ったフェイトの顔には、僅かながら憂いのようなものが見え隠れしていた。
 直前のアリシアとの意見の食い違いもあるだろうが、それだけではなかった。
 フェイトはなのはにこそお礼を言ったものの、あかねにはまだ母やアリシア、そして自分を救ってくれたお礼を言っていない。
 言うべき相手は、その事を忘れてしまっている。
 次に会えるのがいつになるか解らないだけであって、今日この日に伝えたかったのだ。
「何処に行くかは詳しくは聞かないけど、元気でね」
「お手紙とか出来たら良いんだけれど。今度一緒に遊ぼうね」
「うん、ありがとう。二人とも」
 アリサとすずかに答え微笑んだフェイトは、なのはにそしてあかねに向かいその笑顔を向ける。
 以前は決して浮かべる事など出来なかった心からの笑顔である。
 伝えられない気持ちもあったが、ここで笑わなければなお申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。
「なのは……」
「あの、そうだ。これ」
 なのはが自分の髪をまとめていたリボンを解き、フェイトへと差し出した。
「他に思い出に出来るものがなくて。これ、フェイトちゃんに」
「なら私も」
 お互いのリボンを交換しあう二人の姿を見て、あかねは本気で空白の二ヶ月を取り戻したい思いにかられた。
 何故だか解らないが、今こうして微笑んでいるフェイトを見て、自分は何かを伝えなければならなかったはずだ。
 それは祝福の言葉であったかもしれないし、また別の言葉だったかもしれない。
 だが言葉が口から放たれることはなく、あかねは後から後から湧いてくる思いに突き動かされ、フェイトの手の中にあるリボンを手に取った。
 少し驚いた様子のフェイトの後ろに回りこみ、その豊かな髪を手に取った。
「こういう事は本来、慣れていない僕のような人がするべきではないと思うのですが。形が悪かったら、後で直してもらってください」
 ぎこちなく、たどたどしい手つきであかねはフェイトの髪を、なのはのリボンで持って結んでいく。
 記憶のないまま下手な事は言えず、何かを伝えたいという気持ちだけを込めてフェイトの髪を二つ結い上げた。
 全ての髪がまとまりきらず、どう控えめに見ても綺麗にまとまったとは言えなかった。
「自分で何がしたいのか……やっぱり、ほどいておきますね」
「いいよ、このままで。ありがとう、あかね。アリシアの事、覚えてないだろうけどよろしくね」
 その名の意味が解らないままに、あかねは頷き答えていた。





 フェイトとその保護者たちが去り、なのはたちもアリサのリムジンに乗って帰って行った。
 あかねは一人鳴海臨海公園に残って、海の向こう側を眺めながらその場に留まっていた。
 ここから家までは少しばかり遠いが、今はあまりその事については気にはなっていなかった。
 気になっていたのは、空白の二ヵ月と、その記憶を取り戻そうとする少女達である。
 海から吹いてくる海風があかねを慰めるように撫で付けていくが、そのまま流れに任せて放置する事は出来なかった。
「思い出すべき、なんでしょうね。僕は」
 尋ねたのは、自分が理想とする父親の背中へであったのに、何故かその背中は思い出すことが出来なかった。
 何時も自分の行動の方針を任せていただけに少し戸惑う。
 別に思い出せなくても良いと思っていた二ヶ月は、思っていた以上に自分を変えていたようであった。
「誰かが事細かに教えてくれれば話は簡単なのですが。そうした時点で、それは僕の記憶じゃなくて、教えた人の都合の良い記憶になってしまう。僕自身が自分で望んで思い出すのが一番望ましいんですよね」
 少しだけ前向きに思い出してみようかと思えたのは、つい先ほど会ったばかりのフェイトと言う名の少女のおかげであった。
 詳しい話は全く聞けなかったが、自分となのはが彼女の何かを変えたのだ。
 なのにその張本人である自分が全てを忘れてしまっているのは、無責任すぎる。
 それだけではない。
 名前を呼ぶたびに、少し困った顔を浮かべるなのは。
 彼女の為にも、思い出すべきだと思えるようになっていた。
「あかね君」
 考え事に没頭していたせいか、当のなのはが近付いてきている事には全く気付かなかった。
「高町さん、バニングスさんたちと一緒に帰ったんじゃなかったんですか?」
「そこは色々と……その」
 言葉を続けにくそうにするなのはがおかしく、少しだけあかねは笑う。
「わ、笑わなくても」
「申し訳ないです。高町さんが気にかけていてくれた事は知ってます。だから、気付かないうちに期待していたのかもしれません」
「私も、もしかしたらここで待っててくれるかなって思って。思い過ごしじゃなかったのなら、嬉しいかな」
 海と陸を隔てる、落下防止用の柵に二人並んで背を預ける。
 示し合わせたわけではなく、どちらともなくそうし始めたのだ。
 背中を押すように海風が寄せ、二人が着ている制服をなびかせる。
 特になのははフェイトにリボンを渡してからずっと髪を下ろした状態で、少し邪魔そうに手で押さえていた。
「迷惑でなければ。髪、結びましょうか?」
「う……嬉しいけれど、フェイトちゃんの髪みたいに乱暴な結び方だと少し迷うかも」
「それは僕に対してと言うよりも、あの髪型を了承したフェイトさんに失礼ですよ。フェイトさんから貰ったリボン、貸してください」
 ほとんど取り上げるようにリボンを譲り受け、なのはをくるりと回して背中を向けさせる。
 正直何をしているんだと、フェイトの時以上にあかねは思っていた。
 今はなのはと二人きりなので余計である。
 そう二人きり、なにかその言葉が釣り針のように引っかかり記憶を引っ張り出そうとしている。
「なのは」
 違和感なくなのはの名前が口から飛び出し、髪を結ぼうとしているなのはの頭が動揺に揺れる。
「言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが、約束します。僕はなのはとの約束を思い出すことを約束します」
「今はそれで十分だよ。少しずつ思い出していこう」
「人事の様に言わないでください。なのはも何か約束したはずです。僕が思い出した時には、その事も言ってもらいますからね」
 名前で呼んだ時以上になのはの頭がゆれ、片方だけ結んだ髪の毛がどういう原理かピコピコと独特な拍子を奏でた。
 かと思えば距離を取るように急いでなのはが離れてしまう。
 残り片方のリボンは結ぶ前で、あかねの手の中にフェイトのリボンが残ってしまっていた。
「ちょ、ちょっと待ってね」
 片方だけ結ばれたリボンを解き、なのははサイドポニーと言う髪型に髪の毛をまとめてしまう。
「あかね君も、フェイトちゃんのリボン持ってて。約束の内容を思い出したら、その時にはもう片方を結んでくれる?」
「解りました。でも僕の場合このリボンは大事にしまっておくしかないのですが」
「だったら、ちょっと貸して」
 なのははフェイトのリボンを受け取り、さらにあかねの右手に紐で巻きつけられているゴールデンサンまでもを受け取った。
 そしてゴールデンサンの紐を外し、代わりにフェイトの紐のようなリボンを通していった。
 さすがにフェイトのリボンを乱暴に腕に巻きつけるわけにもいかず、あかねは返してもらったそれをネックレスとして首に通す。
 図らずしてお揃いという形になってしまったが、二人とも気付いていながら何も言わなかった。
 照れくさい気持ちは確かにあったのだが、それ以上に心地良さにも似た安堵感があったのだ。
 消えてしまったはずの約束が今、目に見える形となって現れたおかげだったのかもしれない。
「そろそろ帰りましょうか」
「うん、そうだね」
 今この瞬間も世界のどこかで幾つも放たれるお決まりの台詞と共に二人は歩き出した。
 二人だけの約束を胸に歩く二人の距離は、ほんの少しだけ近付いていた。

 

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