暗い病室で、幾つかの医療用機器が一定のリズムを刻んでいた。
室内には一つのベッドだけがあり、そこが個室であると分かる。

その主である少女は全身に包帯を巻かれ、愛らしい顔もその殆どを包帯によって覆われていた。


つい先日まで集中治療室に入っていた彼女は、容態が安定した事で一般病棟に移された。
とはいえ予断を許さない事に変わりは無かった。

少女の意識が戻れば安心できるのだが、生憎と何時になれば意識が回復するのか石にも見当が付かなかった。



ともかく、病室には医師、看護士のみが入る事を許されている。

だというのにもう一つ、室内には人影があった。

影は少女の口を覆う酸素マスクを外すと、懐から極小の小瓶を取り出した。
瓶の中には闇の中にあっても金色に淡く光る液体が入っていた。

影は瓶の蓋を外して縁を少女の唇に合わせると、静かに傾けた。



やがて瓶の中身を全て流し込むと、酸素マスクを元に戻す。




それから数分後。影が見守る中で、少女の瞼がかすかに震えた。
「……………?」
瞼が静かに、ゆっくりと開かれる。焦点の合っていない視線はぼんやりと、天井を捉えたまま動かない。

ここは何処だろう。
数分経って、初めに思った事がそれだった。

ハッキリしない視界と思考では、取っ掛かりでもなければ、ここが何処なのか推測も出来ず、何があったかを思い出す事も出来ない。

「―――やっと目が覚めたか、なのは」
掛けられた声にゆっくりと首を向ける。

「………れん、くん……?」
少年の名と姿に、少女―――高町なのははやっと何があったのか、そしてここが何処なのか気付いた。

「そっか……わたし、堕ちちゃったんだ…………」





   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー

       外伝  堕ちた星光と竜魔の語り





事の起こりは、恐らく高町なのはが『魔法』という力と出会った頃からであろう。

闇の書事件が解決した後、高町なのは、フェイト・T・ハラオウンは局員としての道を歩み始めた。
守護騎士達と共に管理局の仕事に従事し、八神はやても嘱託扱いながら局に入った。


それぞれが、それぞれに思う事があり、道を選んだ事は大した事ではない。




それから一年ばかりの時が経ち、時空管理局本局。艦船整備ドックに入港したアースラ執務室。

「―――莫迦じゃないか?」
空間モニターのデータを見ていた連音の、開口一番に出てきた言葉はそれだった。

映し出されているのは、高町なのはの最近のスケジュールである。
「だが、なのはは正式な武装隊員だ。これぐらいの出動や訓練は珍しくないぞ?」
執務用の椅子に座り、デスクワークに勤しむのは、この部屋の主クロノ・ハラオウン。

「だが、それは普通だったら……だろう?あいつの場合、そもそもスタートがおかし過ぎる」
連音はモニターをもう一つ出す。そこに映し出されたのは、なのはの魔法訓練のメニュー。
早朝は高台の公園で魔法制御訓練。それ以降は日常生活でも出来るだけ魔力負荷を掛け、家に帰ればそこから更に、飛行訓練と砲撃訓練。
ヘトヘトになって帰ってきて、ベッドに倒れこむようにして就寝。
そして翌日の早朝……というのを、日曜を除いたほぼ毎日、ヴィータに襲撃される前ぐらいまでやっていた。

言うまでも無く、これはオーバーワーク気味である。
「別に、訓練だけなら次第に体が慣れていくからな。それは良いんだが……問題はこっちだな」
そう言って新たに出したモニターには、PT事件と闇の書事件での、なのはの戦闘記録が映し出された。

「普通なら半年は休養を取らせるべき内容だぞ?なのに、春になったらすぐに研修、そのまま正式採用とか……お前ら管理局は莫迦ばっかりか?」
「だが、それは一年以上も前の話だろう? 怪我はすっかり治っているし、後遺症も無い。問題は無いと思うが……?」
「怪我が治っても……ダメージというのはすぐに抜けないものだ。
未成熟な体での大魔力行使、カートリッジシステムによる力量以上の魔力使用に極めつけはフルドライブ。
その反動によるダメージは今も、あいつの中に蓄積されて続けている筈だ」
「っ………!」
モニターを細かくチェックし続ける連音の真剣な表情に、クロノは事態が深刻であると感じた。
「あいつの夢は教導隊入りだろう?……下手をすれば、それを失くす事だって在り得る」
「……分かった。武装隊の方には、レティ提督から話を通して貰っておくよ」
「そうしてやってくれ。他人の為に無茶をする奴は大抵、自分じゃ止まれないからな」
「それは、自分の経験からか?」
「―――俺は“他人”の為に無茶をした事は無いぞ?」
「………なるほど。確かに“他人”の為に無茶をした事は無いな」
あからさまに他人を強調するもので、ついクロノは苦笑した。

連音が無茶や無理をしたのは、クロノが知る限りでは数回しかない。
そのどれもが見知った者の為であり、連音が言う所の『世界』の為であった。

また、そうしなければならない状態であった事も、クロノは覚えていた。


「―――俺は行くから、なのはの件は頼んだぞ?」
モニターを消すと、連音はソファーから立ち上がった。
「たしか、ミゼット提督からの呼び出しだったな?」
「あぁ。何でも個人的な依頼らしい……というか、何故俺に話が来るのか……」
「それだけ信頼があるんだろう。先日のラルゴ提督の護衛も、見事だったそうじゃないか……三提督のお気に入りとは、羨ましい事だ」
「―――よし、だったらお前の事をしっかりと紹介してやろう。そしてマリエルさんの様になるが良い」
「止めてくれ!?あぁはなりたくないッ!!」
クロノは一年前のマリーの状態を思い出し、身震いした。
一技術者でしかない彼女が、偶然とはいえ三提督と縁を持った事は、幸運と不運であった。

マリエル・アテンザといえば、三提督の御声掛りの技術者とした、局内で知らぬ者は無い程の有名人である。

勿論、真相はそうでは無い。が、事実がどうあれ、広まった名とそれに伴うプレッシャーに、ぐったりとするマリーの姿をクロノは知っていた。


ただでさえハラオウンの名前は有名なのだ。これ以上、余計な重りを増やされたくはない。


連音も当然、本気でそんな事を言った訳ではない。本気だったら何も言わずに根回しを掛けている。


連音はそのまま笑いながら執務室を後にし、今度はミゼットの元へと向かった。










「遺跡調査隊の護衛、ですか?」
「えぇ。私の古い知り合いが、考古学者をやっている事は知っているわね?」
「確か、大学で教授をなさっているという……確か、ウィリアム・フォルブライト博士」
連音がその名を告げると、ミゼットは静かに頷いた。
「彼の大学の調査チームが、第83観測指定世界の遺跡調査に向かうのだけど……」
ミゼットは連音の前にモニターを出す。そこに映ったのは吹雪と氷の支配する極寒の世界。
「見ての通り、83観測指定世界はこういった世界。厳しい環境で力を発揮出来る局員となれば、そう多くは無いわ」
「それでもいない、という訳ではないでしょうに……」
「流石に調査チームの護衛に武装隊の精鋭、まして戦技教導隊を動かすというのは無理があるわ」
武装隊は戦闘可能な局員――つまり武装局員と、そこから選抜された精鋭部隊とで構成されている。
劣悪な環境下で戦闘は、一般の武装局員ではかなり厳しく、どうしても精鋭部隊の人間を動かさなければならなくなる。

しかし彼らは有事に備えて待機させておかなければならず、危険があるかどうか分からない地での護衛に動かせる筈も無かった。

当然の事、戦技教導隊はもっと動かせない。

しかし旧知の人物からの頼みとあっては、ミゼットとしても何とかしたい所であった。
「―――そこで、貴方に彼らの護衛を頼みたいの。勿論、これは管理局からではなくて、私個人の依頼よ」
「……そう言って、ラルゴさんも依頼してきましたね。あの時、どれだけ他の護衛に白い目で見られた事か……」
先日の護衛依頼を思い出し、連音は頭を抱えた。
とある管理世界にラルゴ提督が視察に向かった際、その警護を個人的に依頼された。
というのは表向きで、実際は提督の話し相手を務める事であった。


三提督の一人の視察とあって警備は厳重。個人の護衛など出番が在ろう筈もない。
しかし、その命を狙って動いた者がいた。しかし、それを逸早く察知した連音によって事無きを得たが、
そのせいで、警護の局員からの視線はかなり厳しいものになっていた。
彼らからすれば、面子を潰されたも同然なのだから、それも仕方のない事と言えなくもない。

連音にしてみれば、自分の仕事を全うしただけであり、八つ当たりも甚だしいのであるが。


「まぁ、今回はそういった事も無さそうですし……引き受けます」
「ありがとう」
ミゼットは早速、任務の詳細を連音に伝えた。



ミゼットの執務室を出た連音は、渡された資料を読みつつ、通路を歩いていた。
「―――あれ、連君?」
連音は横から掛けられた声に足を止め、振り返った。そこには局の制服に身を包んだ、見知った二人が立っていた。
「なのは……と、八神家の下から二番目でアイス命の鉄槌の騎士?」
「手前ぇ、名前を呼べよ!!後、何で疑問系なんだよッ!!」
「いや、名前をど忘れしてしまったんだ。すまないな」
「バレバレの嘘を平然と吐いてんじゃねぇよッ!!」
「にゃはは……相変わらずだね」
「お前も、相変わらずだな」
最早、恒例となったヴィータ弄りを一方的に終え、なのはに向きやった。その横でヴィータが野犬の様な目で連音を睨んでいるが、一切気にしない。

「これから、また任務か?」
「今回は演習だって。わたしは、ヴィータちゃんと一緒の班なんだよ」

「そうか……ところで、体調は大丈夫か?最近、まともな休暇を取っていないらしいが?」
「え……?大丈夫、元気一杯だよ」
いきなり心配を口にされ驚いたなのはだったが、すぐに笑顔でガッツポーズを取って見せた。
「お前、武装隊きってのエースに何ぬかしてやがる?大体、こいつのしぶとさは、お前だって良く知ってんだろう?」
ヴィータは、呆れ気味に肩を竦めて見せる。

一見すればなのはの様子におかしい所は無い。逆に、なのはに「連君は心配性だなぁ〜」などと言われる始末である。

だがそれは、連音の不安を打ち消すどころか、ますます危機感を覚えさせるものでしかなかった。

武の師である牙丸は、内部に蓄積するダメージを『目に見えぬ。故に“深刻の傷”という』と教えた。
深い所に刻まれた傷が表に見えた時、それは手遅れとなるやもしれないと。

訓練でさえ多少の危険を伴う。実戦―――戦場でそれが発露すれば、文字通り命取りと成り得る。


その辺りは、歴戦の騎士であるヴィータならば嫌というほど理解している筈と、連音は内心で疑問を抱いた。

「なのは。そろそろ行かねーと、不味いんじゃね?」
「あ、うん。じゃあ連君、わたし達行くね?」
「―――ん……あぁ」
二人は集合の時間が来たらしく、パタパタと走って行ってしまう。
連音は少し考え、懐に手を差し込んだ。

「………なのは!」
「―――え?あたっ!?」
連音の声に振り返ったなのはの頭にコツン、と何かがぶつかった。
「痛た……何、これ?」
なのはは額を摩りながら、足元に落ちた物を拾い上げた。
それは紫色の小袋だった。
なのはは小首を傾げて、小袋の風を解いた。中には指先ほどの大きさの粒が幾つも入っている。
「これ、何……?」
「竜魔衆特製の丸薬だ。滋養強壮、疲労回復に効果がある。演習前にそいつを呑んどけ。じゃあな」
そう言い残し、連音も踵を返して行ってしまった。
「…………」
残されたなのはは、一粒それを取りだすと―――徐にヴィータの口に放り込んだ。
「……………っ!?」
数秒の後、ヴィータの目が白黒する。ワタワタと顔をあちらこちらに動かし、バタバタと暴れだす。
そしてヴィータは、そのままWCと表記された一角に飛び込んだ。


「アハハ……大丈夫、ヴィータちゃん?」
「大丈夫じゃねえよッ!!何だよ、このクソ苦いのは!?」
「えっと、『良薬口に苦し』って諺があってね……?」
「―――つまり、苦いと分かってて、アタシの口に放り込みやがった訳ですか、そうですか、良く分かりました」
「あう、ごめんねヴィータちゃん……あ、待って!?」
謝るなのはに、ヴィータはプイと背を向ける。
「知らねー人に名前を呼ばれる筋合いはねーです。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねーです」
「あ〜ん、本気で怒ってる〜っ!?」
涙面のなのはを余所に、ヴィータはさっさと行ってしまう。なのはは慌てて追いかけるのだった。














息を吐けば真っ白く染まり、風が吹けば冷たさが、肌に容赦無く突き刺さる。
防寒装備をしているものの、それでも抑えきる事は出来ない。

吹雪いていないだけで御の字という、極寒の世界。それが―――83観測指定世界。

神殿を思わせる遺跡の前には調査基地が設けられ、遺跡内部に進入するチームが準備を整えていた。

連音は基地内で待機を指示され、入り口近くの壁に寄りかかっていた。
「しかし、先生の知人の推薦とはいえ……あんな子供が来るとは」
「腕は保障すると言われてもな………」
オペレーターシートに座る二人の調査員がチラリと連音を一瞥し、不満を零す。

それは当然、連音の耳に届いているが、しかし何も言う気は無い。
不安を覚える事は当然であり、それを払拭出来るほどの言葉を、自身が持っていない事は良く分かっているからだ。

実力に不安を感じるなら、力を見せれば良い。だがそういった事態が起きない方が勿論良い。

ならば、自分に不安を抱かれようと、それを解く必要は無いのだ。


やがて、進入チームが遺跡内部に足を踏み入れると、オペレーターもすぐに自分の役割に戻る。
こういった魔法文明の遺跡にはトラップが仕掛けられている事が多く、オペレーターも送られてくるデータから一瞬の気の緩みも無く、データを整理していく。


連音は自分の出番が来ない事を祈りつつ、腕を組んで軽く息を吐き出した。




『――――な、なんだ!?』
『そんな……トラップは無い筈じゃ!?』
突如として飛び込んできた音声に、連音はカッと目を見開いた。
ドアを開け、雪の降る中を一気に駆ける。
「琥光、目覚めよ!!」
“起動”
光に包まれ、忍装束に変わると一気に遺跡内部に飛び込む。
薄暗い石造りの長い階段を駆け下り、そのまま通路を走る。やがて人の声尾が聞こえてきた。
「ヒ、ヒィイイイイイイッ!?」
「うわ……ぁあああああああああああっ!?」
響き渡る悲鳴、絶叫。連音は開かれたままの扉から、中へと飛び込んだ。

内部はとても広い空間で、照明だけでは部屋の端を照らす事が出来ないほど。
中心と思われる場所には、巨大な祭壇と思われる物が設けられており、調査チームが恐怖に慄いた表情で、そこから駆け下りてくる。
そして彼らが通り過ぎる度、祭壇の側面が次々に崩れていく。そして、そこから幾つもの光が出現した。

「―――ッ!!こっちだ!走れッ!!」
連音は叫ぶとすぐに飛翔した。
「キャアアアアッ!!」
逃げ遅れた一人に、光の一つが襲い掛かろうとする。連音はすぐさま、光目掛けて手裏剣を打った。
刃が突き刺さると同時に火花が散り、共に甲高い金属音が響き渡る。連音は光の前に降り立つと同時に琥光を一閃した。
バチバチとスパークを起こし、それは崩れ落ちる。すぐさま連音はバリアを展開。一瞬の後に、爆発が起こった。
爆風が視界を覆う中、連音は反射的に琥光を薙ぐ様に振るった。
「―――ッ!!」
途端、腕に走る衝撃。煙の向こうから別の敵が、その凶刃を突き立てんとしていた。
更にその脇を数体の敵が、調査員を追って抜けていった。
連音は刃を受け流すと、後ろに跳躍。そのまま宙返りを打つと共に、魔導鋼糸をふるって敵を押さえ込む。
「ハァッ!!」
そのまま全力で引き上げると、空中で両断する。着地と同時に爆発。破片がバラバラと飛び散った。

破壊された敵の炎が篝火となって、その姿を如実に照らし出す。

凶悪なる刃が成す多脚と、威嚇するように持ち上げられた二本の刃。
鉄仮面のような頭部と思われる部位に、モノアイが不気味に光る。

調査隊を守る為に立ちはだかる連音の目の前で、光はその数をどんどんと増やしていく。
「こいつ等は………“機兵”!?」
敵の姿に連音は驚きを抱きつつも、調査隊の後方を守る為に動く。
既に調査隊は出口を越え、階段を上り始めている。連音は出口の前に立ち、襲い繰る機兵達と対峙する。
振り下ろされる刃を受け止め、同時に蹴り飛ばす。ガシャン、と音を立てて倒れた機兵を乗り越えて、次々に出口に迫ってくる。
「琥光、非戦闘員の脱出状況は!?」
“現在 階段移動中 脱出マデ 後三分”
「了解。残り一分で行動開始だ!!」
“御意”
光―――レンズの様な部分から放たれる閃光をシールドで防ぎつつ、連音は機兵の進攻を抑える。
四本の足を使い、恐るべき跳躍力で急襲する機兵を躱すと同時に、その足を切り払う。
ガクン、と崩れるそれを全力で蹴り飛ばす。連音はすぐさま朱炎刃を構えると、自分を跳び越えて行こうとする機兵を斬り落とす。
連音の攻撃に機兵達は容易く倒されていくが、しかしその圧倒的な数の前に徐々に後退を余儀なくされる。

「クソ………脱出はまだか!?」
“非戦闘員 脱出確認”
「よし……俺達も退くぞッ!!」
その時を待っていたとばかりに、連音は両脇の巨大な柱に向かって琥光を打ち込む。
「悪いな、また発掘されて貰ってくれ!」
途端に亀裂が走り、柱はガラガラと崩れ落ちていく。それだけに留まらず、天井も崩れ始める。
降り注ぐ瓦礫が機兵を押し潰し、そのまま通路を封鎖していく。それに巻き込まれないように、連音は階段に向かって急いで走った。


“主 地上ニ動体反応 多数出現”
「何……っ!?」
階段を駆け上がる途中、琥光が地上の異変を察知する。
地上に現れた動体反応。“現れた”という事は、調査チームの人間ではない。ならば、この状況で出てくる物は何か。
内心に過ぎる不吉な予感に連音は突き動かされ、出口から外へと飛び出した。

連音の瞳に飛び込んで来たのは、数十機にも及ぶ機兵の群れ。
それらは調査チームに容赦無く襲い掛かっていた。




振り下ろされた刃が、悲鳴と絶叫の中で必死に逃げ惑う彼らを斬り付け、レンズから放たれた閃光は地面を爆発させる。
人員運搬用の車両は横倒しになり、炎上。調査ベースにもなっていた車両も攻撃を受けていた。
「クソッ……クソォッ!!」
護身用の拳銃を発砲するも、装甲に虚しく弾かれる。機兵はガシャガシャという音を立てて接近。その凶刃を振り上げた。
「ヒッ―――」
目前に突きつけられた死の予感に、引き攣った悲鳴が上がる。

が、次の瞬間、それは消え去った。


「っ……!?」
機兵の背後から、側面に向かっての強烈な一撃が叩き込まれたのだ。
それを喰らって、機兵は彼方まで吹っ飛んでいく。

それを成した影は、彼らの無事を確認すると、素早く次の行動に移った。
調査ベース車両の救出である。
「ハァアアアアアアッ!!」
たなびくマフラーが何倍にも伸びたかの様に思わせる速度で動き、手にした長柄を振るえば、機兵達はたちまち吹き飛ばされていく。
「嵐牙、展開ッ!!」
先端のパーツが展開し、文字通りの牙を生み出す。それを叩きつけるように機兵の脇腹に喰い込ませると、その躯体を持ち上げ、叩きつける。

爆散する躯体から牙を引き抜き、今度は別の獲物に喰らい付かせる。
「オォオオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
くぐもった咆哮が木霊し、群がる機兵が纏めて薙ぎ払われ、破壊されていく機兵達。

彼を絶対の敵と判断したのか、意思無き機兵の群れが標的を変えて襲い繰る。

その間に、彼らは車両へと退避していった。






「―――そうだ、こっちへ来いッ!!」
連音は、まるで大舞台で大見得を切る主役の様に、大仰に声を張り上げ、敵を呼び寄せる。
背後で、調査員達が車両に退避するのを確認しつつ、群がる敵からも意識を外さない。
彼らを敵の攻撃の射線に晒さないように動きながら、機兵を叩き伏せる。

「ハァッ!」
嵐牙を突き立て、力任せに持ち上げると、薪割りの要領で他の機兵に向かって振り下ろす。
金属の擦れ合う不快な音と、直後に爆発。轟々と燃え上がる炎の中から、連音が強引に刃を引き抜く。

その炎を乗り越えて、光線が襲い掛かる。
「琥光!」
“魔導盾 展開”
琥珀色の盾が瞬時に展開され、光線を弾く。腕に僅かな衝撃が走った。
『大丈夫ですか!?今、管理局に救援要請を出しました!すぐに応援が来ますから、何とか持ち堪えて下さい!!』
「―――大丈夫、余裕です」
通信越しの必死な声に、連音は心配無用と答えて嵐牙を構える。

事実、機兵の戦闘力は連音にとってそれほど脅威ではない。問題は背後に守る対象が在るという事だ。

もしも一斉攻撃されれば、背後の車両に流れ弾が行く可能性が高い。
「水行、黒氷砦壁陣!!」
連音は黒の術方陣を展開させると、思い切り踏み鳴らした。すると、地面を揺らして巨大な氷の壁が出現し、車両を囲み隠した。
“砦壁維持ノ為 術式補助ヲ停止”
「了解……行くぞ!!」
後顧の憂いを掃い、連音は一気に攻勢に転じた。






「「「………」」」
車両内のモニターには、外で行われている激しい戦闘の様子が映し出されていた。
最初、今回の発掘の護衛だと紹介された時には何かの冗談か、それともバカにされていると誰もが思った。
しかし今、その認識は完全に覆された。

残骸が積み上がり、キャンプファイアーの様に燃え上がる中、次々に敵を破壊していくのを、彼らはただ呆然と見ていた。
眼前で放たれた光線を躱すと、次の瞬間には破壊されている。
かと思えば、敵を踏み台にして跳躍し、大きく移動していた。着地する一瞬に再び一機潰す。

刃が僅かに掠めるも一切怯まず、そのまま破壊する。

「………あれ、本当に子供なのか?」
誰かが搾り出すように呟く。
映し出される異常な世界に、喉がカラカラに渇き、つい数秒前まで命の危険に晒されていた事さえ忘れてしまっていた。

目の前で一機、また一機と破壊されていく様は、どちらが兵器なのかと思うほどに恐ろしくあった。


誰もが戦慄する中で、連音は最後の一機を破壊した。












「―――どうやら、命に関わるような怪我人はいないようですね?」
「あぁ……君のお蔭だ、ありがとう」
機兵の制圧を終え、調査員は怪我の手当てと、手の空いた人間は機材の運び込みを行っていた。
この状態で、この雪世界の調査、発掘は継続不可能であり、一度ミッドチルダに帰還する事になったのだ。

連音はどこか調査員達の様子がおかしい―――具体的には自分に対して恐れに近い感情を抱いている事に気付いていた。

礼を言った一人も、自分では隠しているつもりなのだろうが、ビクついているのが一目で分かった。

br> こういった命のやり取りは、極普通の生活を生きる人間にとっては非日常であり、彼らの反応は当然で、正しいと連音は知っている。<


連音は機材の積み込みが終わるまで周囲の警戒に当たった。
少し経ち、作業が終わろうとした頃、通信が入った。
『こちら、時空管理局本局武装隊です!救援に来ました!!』
聞こえてきたのは幼い少女の声。連音はそれに聞き覚えがあった。
「今更来たのか………なのは?」
『ふぇ!?れ、連君!?どうして……!?』
『何でオメーが通信してんだよ!?』
「何だ、ヴィータもいたのか?」
『うっせぇ!!』
連音が灰色の空を見上げれば、彼方に二つの光があった。赤と桜色の光、なのはとヴィータの魔力光だ。


「………というか、来たのはお前らだけか?」
「演習中に緊急連絡が入って、近くに居たのがわたし達だったの。それで、二人で先行して来たんだけど……」
「急いで来たのに、もう終わってるとか……マジ、意味ねぇし」
「怪我人も出ているから、全くの無駄足ではないがな?」
「しっかし……何なんだ、こいつらは?」
「機兵―――竜魔の防衛用自律機動兵に似ているが、良くは分からん」
ヴィータが残骸をアイゼンで突きながら尋ねてくるが、連音は肩を竦めるしかなかった。
最初は同じかと思っていたのだが、よくよく見ると細かい所が違っている。
ただ、形状的にはやはり似ているので、無関係という訳ではないと、連音は思っていた。


「とりあえず本隊が来たら民間人の引き上げと、現場調査をやってくれ。じゃ、宜しく」
そう言って、連音は適当な岩に腰掛けると、懐から徐に布を取り出した。そして嵐牙の刃を拭き始める。
「えっと、何してるの……?」
「手入れ」
「いや……そうじゃなくって………」
「俺の仕事は調査員の護衛だ。仕事が終われば、道具を手入れする……当たり前の事だ」
「えっと……ほら、まだ何処かに敵が潜んでいたりするかも知れないから、警戒するとか……」
「………」
恐る恐る尋ねるなのはに、連音は只、無言で返した。

「………」
「………なのは」
ガシャン、と嵐牙の刃を収めると、やおら立ち上がった。
「な、何……?」
「…………要らん事を言ってくれたな」
「――――え?」
なのはが間の抜けた声を出した瞬間、遺跡の入り口から閃光が走った。

なのはは反射的に光の向かった先―――空を仰いだが、連音は入り口を睨んでいた。
「来るぞッ!!」
なのはがハッとして視線を戻すと、遺跡の入り口から機兵達が姿を現している所だった。
「おい!全部やったんじゃなかったのか!?」
「上に居たのはな!クソ、瓦礫の下敷きとはいかなくても、道は塞げた筈なのに……!」
「っ……!?レイジングハートッ!!」
“Protection Powered”
なのはがプロテクションを展開させた直後、光線がそれに直撃した。彼女の後方には車両があり、何がなんでも防ぎ切らなければならなかった。
「車両は緊急発進!ここから退避しやがれッ!!」
ヴィータが通信で怒鳴りつけると、車両は一気に車輪を回転させる。そのまま遺跡とは反対方向に走り出した。

しかし、機兵の一部がなにやら不穏な動きを見せた。脚部を折り畳み、背部を展開させ、翼を出現させたのだ。
「まさか、飛ぶのか……っ!?」
「ふむ、やっぱり飛べるのか……ますます似ているな」
「しみじみ言ってる場合じゃないと思うんだけどっ!?」
“敵が行動を開始します。どうやら、車両を追撃する気のようです”
「俺が前面に出る。ヴィータは遊撃、なのはは車両を守りながら、後方からの援護だ」
「オメーが命令すんな!!」
ヴィータは文句を言いつつも、なのはと共に空へと上がる。
既に機兵は何機かが車両を追っている。なのははそれを撃破する為に飛び、ヴィータはそれ以上行かせない為に立ち塞がった。
「―――さて、態々出て来てもらった所に悪いが………潰させてもらう」
そして連音も、嵐牙を振り上げて機兵の群れに向かっていった。


なのははすぐに機兵を撃破し、ヴィータは後続を断ち切る事に成功。車両は無事に安全な場所まで逃げる事が出来た。

そして引き返してきたなのはと合流し、ヴィータは制空権を抑えるべく動いた。
地上では空中よりも多くの機兵が存在しているが、連音は完全に戦場を掌握していた。

連音の知る所の機兵とは、優秀な指揮官がいて初めて、その能力を十二分に発揮する。
自動迎撃や、指示や入力されたプログラムに基づく自律行動や連携行動もあるが、それは一介の魔導師相手ならまだしも、
連音やなのは、ヴィータといったレベルの相手には成り得ない。

「五行朱炎――業火鎌!!」
嵐牙の刃が紅蓮の炎に包まれ、それは鋭い鎌の姿を模る。
フェイトのサイズ、ハーケンフォームを基とした、嵐牙専用のスタイル。
煉獄の炎を固めて創り出された大鎌は、易々と機兵達を切り払っていく。

連音は出来る限り、その場で敵の排除を試みるも、数の差は如何ともし難く、かなりの数に突破されてしまう。


「吹っ飛べぇえええッ!!」
“Schwalbe Fliegen”
ヴィータは眼前に配置した八つの鉄球を一振りで四つ、返す刀でもう四つを打ち出す。
空に赤い線を引きながら、八つの弾丸は回避行動を取る機兵達を追尾。次々に撃ち落していく。

なのはも負けてはいない。
「アクセルシューター、シュートッ!!」
“Accel Shooter”
レイジングハートから魔力弾が発射され、それらを絶妙なコントロールで操り、空と地上の機兵を破壊していく。


遺跡からは更に機兵が出現し、連音の迎撃を掻い潜って次々に空へと上がっていく。

ヴィータがそれらを迎撃するも、一瞬の隙を突かれ、背後を取られる。
「チィッ!!」
「ヴィータちゃんッ!!」
苦々しく舌打ちするヴィータを援護するべく、なのはがアクセルシューターを発射した。
12の魔力弾がヴィータの脇を抜け、機兵を撃ち落す。
それに反応し、標的をなのはへと変更した何機かの機兵が、軌道を変えて向かってきた。
なのははすぐさまシューターを切って返し、自分に向かってきた機兵を迎撃した。
装甲を撃ち抜かれ、機兵は連鎖的に爆発していく。
目の前で起こる爆発の威力に、なのはは思わず目を覆ってしまう。
“Master!!”
「ウソ、外した……ッ!?」
爆煙を貫いて、一機がなのは目掛けて突っ込んできた。推進部からは火を噴き、今にも爆発を起こしそうである。

なのははすぐに回避行動を取ろうとする。
「―――ッ!?」
が、その瞬間、目の前が白み、なのはの体が揺らいだ。

本来、飛行魔法はそれ自体は簡単な魔法である。しかし、それを持っての先頭となると、持ち前のセンスやかなりの努力を必要とする。

なのはの場合、持ち前の才能――飛び抜けた空間把握能力がそれを可能としている。

だが、それは何も無くても飛べるという事ではない。意識せずとも、高い集中力と意識力を使っているのだ。

もし、何かしらの要因で、その集中を乱されたとすれば。

行動の一瞬の遅れ―――致命的ともいえる一瞬を生み出してしまう。



「――――ッ!」

なのはの視界がクリアになったと同時に、全身に凄まじい衝撃が奔る。
流線型を取る頭頂部が胸に突き刺さり、なのはの体を容赦無く軋ませ、BJの性能を超える衝撃に、口からは血が吐き出された。

飛行制御も出来ない。レイジングハートのオートプロテクションも、密着状態では意味を成さない。




瞬間、紅蓮の光がなのはを包み込んだ。




距離を考えれば音と光は一緒に届く筈なのに、音だけが酷く遅く、ヴィータには聞こえた。

灰色の空に生み出された炎の華は、すぐに黒と灰色の花弁を散らした。

その一つから、酷く小さな欠片が飛び出し、雪原に向かって堕ちていく。

あわや雪原に叩きつけられるかと思ったその時、僅かに桜色の光が輝き、その体を雪原スレスレで受け止めた。



「…………………………な、なのはァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」ヴィータの悲痛な叫びが木霊する。彼女はすぐに、なのはの元に全速力で向かう。
しかし、その前に機兵が立ち塞がる。空中に留まり、光線をヴィータに向けて撃ち放つ。
「どぉおぉおおおおけぇええええええええええええええええええええッ!!!」
怒り、焦り、憎悪、様々な激しい感情の入り混じった咆哮と共に、ヴィータは突進する。
機兵の放った光線が腕や頬を掠めるが、それは激昂したヴィータを止めるには全く効果が無かった。
ヴィータはそのまま、グラーフアイゼンを振り抜き、機兵を吹き飛ばした。

邪魔者を排除したヴィータの目に飛び込んできたものは、身動き出来ないなのはの上に降り立った機兵の姿。
その禍々しい刃を、正に振り上げようとしている所だった。

ヴィータは全ての魔力を振り絞るように、速度を上げる。
しかし、ヴィータの全速力と機兵がなのはに止めを刺すのとどちらが早いか、結果はハッキリとしていた。

差は恐らく一瞬だろう。だが、ヴィータにとってはその一瞬が絶望的な差であった。
「ウワァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ヴィータが更に吼え猛った瞬間、その真下を影が通り過ぎ、機兵の背中を貫いていた。
装甲を貫かれ、バチバチとスパークを起こしながら、それでも刃を振り下ろそうともがく機兵。

“Raketen form”

その脇を戦鎚の一撃が叩き、バラバラに粉砕した。


ヴィータはなのはの脇に降り立つと、その余りの姿に足が震えてしまった。


白いBJは爆発で所々が焼け焦げ、彼女の血で赤く染まっていた。
手や足は関節の無い場所からおかしな方向に曲がってしまっている。

震えるような吐息が、僅かになのはの口から零れては消えていく。

その傍らには、真ん中から折れ、宝石部はひび割れ、主の血に染まって機能を停止したレイジングハートが落ちていた。
停止する直前、なのはの体をバリアで受け止めたのが最後の力だったようだ。


半死半生と言うのも生温い、それほどの惨状。生きている事さえ奇跡といえた。

「医療班!至急来てくれ!!なのは……おい、なのはッ!?」
その体を慎重に抱き上げ、ヴィータは呼び掛ける。すると、閉じられていた瞳の片方だけが、うっすらと開かれた。
「……あ………ヴィータ…ちゃん……?」
「なのはっ!?しっかりしろ!すぐに医療班が来るから!!」
「失敗……しちゃった………ヴィータちゃんは………平気?」
「バカッ……!アタシの事より自分の事だろが……!!」
「大……丈夫だよ………大丈……ぶ………」
今にも消え入りそうな声で、笑おうとしているのだろうか、口元を震わせるなのは。

余りにも痛々しく、そして雪のように消えてしまいそうなその姿に、ヴィータの心がグシャグシャにされていく。

何故こうなった。いつもと変わらない筈だったのに。

局内で、なのはが頭を撫でてくるので、それを鬱陶しいとばかりに振り払って。
それになのはが、いつものように笑って返してきて、それでつい、こっちも笑ってしまう。


演習もなのはが砲撃、射撃と撃つ間に接近。目標を撃破。滞り無く終わって。


いつもと同じ。その筈だったのに。




「クソォ………ッ!」
ヴィータはなのはの体を抱き締めながら、涙を零す。
「何やってんだよ………」
いつも傍にいて、それなのに。
「早く、来いよぉ………っ!」
守れなかった。守れる場所にいたのに、何も出来なかった。
戦場に立つという事を、誰よりも知っている筈なのに、それを忘れていた自分の愚かさに怒りが込み上げる。
「医療班、早く来いよぉッ!!こいつが………なのはが死んじまうじゃねぇかぁあああああああああああああああああッ!!」

通信回線に、ヴィータの悲痛な叫びが響いた。




「クソッ……ヴィータッ!?ヴィータァッ!!」
嵐牙を投擲した連音は、すぐさま琥光を抜き、機兵と斬り結ぶ。
連音はヴィータがなのはを確保して撤退、もし動かせないなら、救援が来るまでその場で防御を徹底すると思っていた。

しかし、ヴィータは我を忘れてしまっていた。なのはだけでなく、自分の身も危険に晒されている事に気付けていない。
「チッ!!」
“瞬刹”
連音は苦々しく舌打ちすると同時に、瞬刹で二人の下に駆けつける。
目の当たりにした惨状に気を取られそうになるも、連音はすぐに、為すべき事を思い出した。

振り返ると同時にバリアを展開。敵の光線を防ぐ。
その上を避難した調査員をしつこく追って、機兵が数機飛んでいくが、連音はそれを追う事は出来ない。

チラリと後ろを見遣る。

なのはは重傷、動かす事は出来ない。
ヴィータは、もう戦える精神状態ではない。


目の前には多くはないが、排除するには時間の掛かる数の機兵。

どうする。連音は思考する。
防御を解く事は出来ない。一撃でもなのはに届けば、彼女は死ぬ。

隙だらけのヴィータも、恐らくは深手を負ってしまうだろう。

「っ……!」
連音は、足元に落ちているグラーフアイゼンに気付く。
それを足で弾き上げ、その手に掴む。
「鉄の伯爵よ!この一瞬のみ、我が命に従えッ!」
連音は雪原に、グラーフアイゼンの柄を雪原に突き立てる。
「障壁を展開!攻撃を通させるなッ!!グラーフアイゼン、カートリッジロードッ!」
“Jawohl”
グラーフアイゼンがカートリッジを爆発させ、ヴィータ達を守るバリアを展開する。
連音はすぐさま琥光を雪原に突き立て、両手で印を結び始めた。
「切り裂くは氷の爪、咬み砕くは雪の牙!汝、凍土の狩人也!!来たれ郡狼ッ!眼前の全てを屠る為に!!」
足元に黒の術方陣が展開され、連音は両手を雪に叩きつけた。
「竜魔忍法、幻楼白狼陣!!」
連音の言葉に反応し、つむじ風が雪を巻き上げ始める。それは瞬く間に吹雪きとなり、周囲を包み隠す。
「ッ……!!」
連音の額に脂汗が滲む。
幻楼の術――水や雪等に魔力を通し、実体を持った幻術とする術は、幻術を得意とする連音の強力な手札の一つだ。

だが、『陣』という名を冠するこの術は、一度に多勢を生み出し、制御する。
琥光による術式補助があるとは言え、連音の負担は大きく、容易に使える術ではない。
生成に時間が掛かる上、失敗すれば魔力の無駄使い、徒労に終わる。
そうならない為に、連音は集中を高める。

やがて、雪風の奥に、真紅の瞳が幾つも輝き出した。
それらは渦を切り裂くかのように飛び出し、雪原を一瞬で駆け抜ける。

機兵は即座に反応し、それを迎撃しようと試みるが、白き狼の群れは縦横無尽に動き回り、その照準を合わせさせない。
目標を定められない内に、狼の牙がボディを食い破り、爪が寸断する。

多数に対し更なる多勢が襲い掛かり、機兵達はたちまち狼の餌食となった。


全ての機兵が蹂躙され尽くし、狼達は遠吠えと共に消えていった。


静まり返った戦場に、連音の乱れた息の音とヴィータの泣く声だけが響く。



「はぁ……はぁ………ここは、これで全部か………急いで奴らを追わないと……」
琥光を引き抜いて、連音が灰色の空を丁度睨んだ時、通信が届いた。

『こちら本局武装隊。民間人の救助及び、アンノウンの撃破完了。至急、そちらの救援に向かう』
「………こちらの鎮圧は完了している。尚、武装局員一名が重傷。大至急、医務施設への移送を願う」
『了解した。現在、医療班がそちらに向かっている。こちらは本局施設の手配を行う』
「了解」
連音はヴィータに代わって応答すると、すぐに光がこちらに近付いてきたのが見えた。



連音は深く息を吐くと、なのはの方を一瞥した。
時間にしてみれば僅かな戦闘だった。だが、受けた傷は余りにも深い。身にも、心にも。



高町なのはの撃墜。それは、彼女の家族は勿論の事、友人達にもすぐに知らされた。


そして、本局医務施設内 集中治療室前には、士郎と桃子、そしてハラオウン家の面々が集まっていた。
はやて達は本局から遠い世界に向かった為、すぐには戻ってはこられなかった。

「それで、なのはの容態は……!?」
「わかんねぇ。ただ、かなりヤバイらしい………」
不安そうに尋ねてきたフェイトに、ヴィータは弱々しく首を振った。その言葉に、皆、一様にして表情を曇らせる。

「ところで、連音君はどうしたの?一緒にいたんじゃなかったの?」
今度はリンディが尋ねる。するとヴィータは途端に不機嫌な面持ちになった。
「……知らねーです」
吐き捨てるように言うヴィータに、リンディは首をかしげてクロノを見た。
それに対してクロノは、聞いても無駄だと首を振って返した。

たまたま本局内に駐在していたクロノは、一番にこの場に駆けつけた。
しかし、その時には連音の姿は無く、ヴィータ一人であった。

ヴィータに尋ねた所、「俺には別にやる事がある。じゃあな」といって何処何言ってしまったらしい。
その余りにも冷徹な態度に、彼女は憤慨しているのだった。


クロノは何かしらの理由があると思っているが、それを口にしたらヴィータににらまれる事は確実と、心の中に留めていた。


なのはの手術は何時間にも及び、それを無事に終えて尚、予断を許さない状況は続いた。



そして、時間は今へと繋がる。







薄暗い室内。意識を取り戻した高町なのはは、椅子に座る連音に厳しい視線をぶつけられていた。

「お前、何で自分がこうなったか………分かるな?」
「………うん」
なのはは僅かに頷いた。
「戦場では、何時でも不測の事態が起きる。だが、万全を期せばそれだけリスクを抑える事が出来る。
今回の事は、それを怠ったお前の自業自得だ」
「っ………」
「今まで無理をしてきて、積み重ねてきた疲労とダメージ、それが微妙に魔力コントロールの精度を落とし、回避行動も遅らせた」
「………」
「空間把握能力も落ちていたな……自覚が無かったとは言わせない。如何して、ここまで無理をした?」
「それは………っ」
連音の目が鋭く細まると、なのはは動かせる瞳を逸らした。
「別に、言いたくないのならそれでも良い。だが、無理や無茶を押し通せば、必ずそれだけの歪みを生じる。
お前は見ただろう……それを押し通した奴の末路を」
「………でもそれは、そうしないといけなかったから………」
なのはは、時の庭園での決戦後の連音の姿を思い出し、悲しい顔をした。
プレシアを止める為に、アリシアの想いを伝える為に刻印と奥義を使った結果、連音はボロボロになった。
だが、そうしなければ決して届かなかった。それ程の強敵だったのだ。

「……だが、お前はそうじゃない。しなくて良い筈の無理を重ねて、挙句に堕ちた。お前はそれで何を成そうとした?何を成した?何も成していない。
お前のやった事は、俺やヴィータや守るべき民間人を、要らん危険に晒した事だけだ」
「ッ……!?」
連音の辛辣な言葉に、なのははショックを受け、目を見開く。

だが、連音の言葉は間違っていない。
なのはが自分のコンディションに気を配っていれば、今回の事は起きなかった可能性は絶対でなくとも、かなり高い。
魔法を外しても、回避を。回避が間に合わなくても、防御を。そもそも外す事さえなかったかも知れない。

そうなれば、ヴィータが戦闘中に隙だらけになる事も無く、連音が無理をして幻楼陣の術を使う事も無かった。

今回は武装隊の援護が間に合ったから民間人を守る事が出来たが、一つでもずれていれば被害は甚大であっただろう。

「お前は言っていたな。『魔法をちゃんと使えるようになりたい』と……それは、こんな事だったのか?」
連音は椅子から立ち上がり、ドアの方に向いた。
「時間はある。じっくり考えてみるんだな……」
ドアが開くと、そのまま足音も無く出て行ってしまった。





本来、高次空間内にある本局には夜明けや日没は無いが、生活リズムを安定させる為、ミッドチルダ時間に合わせた人工的な夜が訪れる。

そして今は夜。公園に連音以外に人の姿は無い。
「―――用は済んだか?」
否、闇から抜け出るように現れた者がいた。
黒いコートと、サングラスで顔を隠した背の高い男。ポケットに手を入れたまま、静かに、連音に向かって歩いてくる。
「兄さん?態々迎えに来なくても……」
連音もまた、歩み寄る。その際、街灯が連音の姿を照らし出した。
忍装束はボロボロで、至る所に傷を負っている。

「何を言っている。仙山杏の朝露―――仙郷の霊気を宿したそれは、唯の一滴で命を癒すといわれている。
しかし、仙山杏の木は霊峰の、切り立った崖の上にしかない。魔導の使えない仙郷の領域で崖を数日掛けて登り、
休む事無く、その足で此処まで来るとか………いくら体力に優れていても、もう限界を超えている筈だ……」
「まぁ、そうだけど……」
連音は苦笑いを浮かべながら、自分の手を見た。手の皮膚は裂け、爪は剥がれ、滴った血が凝り固まっている。
その手をギュッと握ると、ズキリとした痛みが走った。
「………あいつがやばかったのは知っていた。なのに、俺はそれを甘く見た。原因があいつに在ったとしても、俺にも遠因がある。
やばいと思っていたのなら、強引にでも止めるべきだったんだ。それが出来るのは、気付いていた俺だけだったのに……」
「起こった事を悔いても、何にもならないぞ?」
「分かってるよ。だから、こうして……っ!?」
突如として連音はガクリと膝を折った。眉を潜め、不快さを露にした。
それを見た束音は、弟の無茶ぶりに呆れ気味に嘆息した。
「―――ほら」
「………?」
連音が顔を上げると、束音が背を向けてしゃがんでいた。どうやら、おぶされとい事らしい。
「いや、大丈夫。歩けるから……っと」
連音は立ち上がろうとするが、すぐに足がふらつき崩れ落ちてしまう。
「いいから。大人しく甘えておけ」
「むぅっ………」
クスリと笑う束音に、連音は恥ずかしそうに口を真一文字に結び、仕方なくその背に体を預けた。
束音は足をしっかり抱えると、すっくと立ち上がった。
「おっ、少し重くなったか?」
「別に………普通だよ……」
大きく広い兄の背を感じながら、連音は静かに瞳を閉じる。そして、すぐに寝息が立ち始めた。

「やれやれ……損をする性格だな、お前は」
苦笑いする束音の足元に鈍色の術方陣が展開されると、その光の中に二人の姿は消えていった。













「………」
一人になったなのはの頭に、連音の言葉が何度となく響いた。
(わたしの『ちゃんとした魔法』………)
自分の魔法、その意味。闇の中で問い掛ける。

魔法。
ユーノと出会い、目覚めた力。フェイトと戦い、心を伝え合った力。

闇の書を巡る、悲しい今に立ち向かった力。


でも、そのどちらにも悲しい結末が待っていた。
フェイトは母を失い、はやて達はリインフォースを亡くした。

もっと、何か出来たかも知れない。
そう思うと悲しくて、何も出来なかった事が悔しくて。

だから、もっと強くなりたいと思った。
誰かが泣かないで良いように。誰も、何も失わなくて良いように。



だのに、何かが違う気がする。

今まで感じた事の無かったものが、自分の中にあるような気がした。


「なんだろ…………すごく大事な事を忘れてる………?」
それが何なのか考えようとするが、意識を取り戻したばかりの体は、更なる休眠を要求する。

その欲求に逆らう事など出来ず、なのはの瞼は意思とは無関係に閉じられ、文字通り瞬く間も無く、眠りの底に沈んでいった。












「―――ここからでてって!!」
(あれ……?)
なのはの前には二人の人物。一人はとても小さな女の子。何故か涙をボロボロと零しながら、顔をグシャグシャにしている。
もう一人は髪の長い、こちらも年の頃は少女と言って良いだろう。小さな子の言葉にとても悲しそうな顔をしている。

(ダメだよ……何があったのか分からないけど、そんな事言ったら……!!)
「■■■■さんがいなかったら、おとーさんはにゅーいんしなかった!!」
(ッ………!?)
「■■■■さんのせいで……おにーちゃんも、おねーちゃんも、おかーさんも!!」
(これって………)
「返して………なのはのみんなを返してよーーーーーッ!!」
(ちっちゃい頃のわたし………!?)
幼い自分の慟哭に似た叫びに、少女は酷くショックを受け、その瞳から涙が頬を伝って零れる。

「…………ごめんね」
ただ一言。それだけを呟き、彼女の姿が消える。


(あぁ……そうだ。これが、わたしの………)




高町なのはの、原点。







物心ついた時、なのはは独りぼっちであった。
それというのも、父である士郎がボディーガードの仕事中、瀕死の重傷を負ってしまった事に起因する。
翠屋は開店したばかりで今ほど繁盛しておらず、桃子は店の運営と士郎の看病、恭也と美由希は率先してそれを手伝っていた。
特に恭也は、その合間を縫って剣の稽古に明け暮れていた。
そんな中で、更に不幸は続いた。

積み重なった疲労から、恭也も事故に遭ってしまったのだ。
それが元で恭也は膝を壊し、近年までそれを引き摺ったままであった。


誰もが必死になる中で、なのはは家族愛というものに飢えて育った。
誰も構ってくれないのが嫌で、何も出来ない自分が嫌で、そんな中で一人だけ、なのはの傍にいた人がいた。

悲しくて泣いている時、優しく抱きしめてくれた。
寂しくて泣いている時、静かに頭を撫でてくれた。

療養の為に来ていた、士郎の知り合いの娘というその人の事が、なのははとても好きであった。


だがある日、なのはは知ってしまう。
士郎が怪我をした原因、ボディーガードをしていた相手が、彼女の父親であったという事を。

それを知った時、なのはの心が大きく揺れた。抑え切れない感情が溢れ出した。

気が付けば、それをぶつけていた。


それからすぐに、彼女は高町家から姿を消した。

居なくなってすぐ、なのはは彼女の知らなかった事実を知った。
士郎が重傷を負った事件、その際に彼女は父親を喪っていた事を。

家庭の事情から、彼女の故郷であるイギリスに帰ったのだと言われたが、なのはは彼女を自分が追い出したのだと思った。


誰も居ない家の中で過ごし、初めて分かった。
自分は彼女に守られていたという事に。

ずっと彼女は、孤独から自分を守ってくれていたのだ。

父親を亡くし、それでもあんなに優しくしてくれた彼女に、自分は何と酷い事を言ってしまったのか。

良心の呵責に耐えられず祖母に告白した。祖母は抱き締めて、ただじっと聞いてくれた。



士郎も何とか退院し、なのはは聖祥大付属小学校に入学した。

そこで出会ったのがアリサとすずか。
すずかのカチューシャを取ったアリサと、取られて泣くすずかの姿に、自分の姿が重なった。

気が付けば、なのははアリサの頬を打っていた。
「痛い?でも、大事な物を取られた方は、もっと痛いんだよ!?」
驚きと痛みに戸惑い、目を見開くアリサに向かって、なのはは怒鳴っていた。

それは果たして、誰に向けたものだったのか。



それから紆余曲折の末、アリサ、すずかと友人と呼べる関係になったなのは。

彼女が二年生になった時、彼女が日本に帰ってきた。
彼女は歌手の卵で、日本で行われるコンサートでのデビューの為。

その会場となったホテルで繰り広げられたのは、父に代わり戦う兄と姉の姿。
敵は、姉の実母。そして士郎に重傷を負わせた組織。


なのはがそれを知った時、恭也と美由希は傷だらけであった。だが、それとは違い何かをやり遂げた顔をしていた。


こんなに傷付いてどうしてそんな顔が出来るのか、なのはには解らなかった。


そして、彼女の歌はとても形容できない程であり、気付けば涙を流していた。
どうしてこんな歌が歌えるのか、なのはには解らなかった。



その後、彼女と再会する。
なのはには言いたい事が一杯あった。だが、何も言う事が出来なかった。

何故ならそれよりも先に、彼女が頭を下げていたからだ。
彼女だけではない。彼女の母も頭を下げていた。
ごめんなさい。また、貴方に辛い思いをさせてしまった、と。

違う。謝るのは自分の方だ。だからそんな風にしないで。
必死に言おうとするが、なのはの声は嗚咽に、思いは涙となって零れていく。

そんな状態で仲直りできたのは、正しく奇跡と呼べた。




それからまた時は流れ、なのは三年生の時。
将来について。そんなテーマで始まった授業は、なのはに小さな想いを抱かせた。

あの人には歌があり、兄と姉には剣がある。
全く違う、しかしどちらも強く、貫き通すものであった。


漠然と考える。
自分には何があるのだろうか、何が出来るのだろうか、と。
日に日に膨らむ思いが心を締め付け、吐き出しようのない何かが溢れていく。

運動神経のない自分には、兄達のような剣術は出来ない。
かといって、あんな風に歌う事もできない。

何をしたいか、何が出来るか、何になりたいのか。何も見えない中で、なのははもがいていた。





そんな時に出会ったのがユーノ、そして彼女の愛機となるレイジングハート。
二つが導いた力―――魔法。

自分に出来る事を見つけ、そして彼女は空を舞う事を選んだ。


風を切り、舞う空は風が強く、しかしとても気持ちが良かった。


そして、そこで出会う。自分と同じ様に空を舞う、悲しい瞳の少女と鋭い瞳の少年と。
















朝。カーテンから差し込む人工的な朝日に、なのはは目を覚ました。
「………そっか」
ぼんやりと天井を眺めながら、呟く。

思い出したのは、本当の始まり。魔法と出会う前の自分の姿。

「………わたし、焦ってたんだ。自分でも知らない内に……」
自分に出来る何かを見つけ、結局はどれだけの事が出来たのか。

JS事件の時も、闇の書事件の時も。
失ってしまったものがある。零れてしまったものがある。

仕方がなかったと、言う事は出来ない。
無力な自分がとても悔しかった。

だから、もっと強くなりたいと思った。
もう、誰も失いたくないから。

誰にも、自分の様な悲しい想いをして欲しくないから。
だから少しでも早く、強くなりたかった。






容態を確認しに来た看護師に挨拶をすると、すぐに出て行ってしまった。
そして医師がやってきて、診察を始めた。

少しすると、恭也がやって来た。どうやら局に泊まっていたらしい。
「父さん達やフェイトちゃん達にも、連絡はしておいた。体は大丈夫か?」
「うん……ちょっと痛いけど………」
あれだけの重傷にも拘らず、今のなのははそれを思わせない感じであった。
その様子に恭也は安どの表情を浮かべる。

「皆、なのはの事を心配していたぞ。特にヴィータが気に病んでいた。ちゃんと言う事……分かってるな?」
「うん、分かってるよ……」
「……なら良い」
恭也はそれだけを言い、椅子に座った。
なのはは、何かを言われるかもと思っていたのだが、予想を裏切って、兄は静かだった。

恭也自身、言いたい事はあった。だがそれは、なのはが入局する事を認めた時点で、その資格は既に無いと分かっていた。

なのはが何時かこうなってしまうだろう事を、連音の時に嫌と言うほど知っていたからだ。

どれだけ思い、夢、やりたい事と言葉を並べても、立つ場所は戦場。振るう力は人を傷つけ、自分を傷つける。
立つ以上、そこに送り出す以上、恭也は覚悟を決めていた。
そしてそれは、士郎も然り。桃子と美由希もその覚悟をしていた。

なのはの知らない場所で、家族は決意と覚悟を決めていたのだった。



少しすると医師の診察も終わり、恭也は医師に呼ばれ、共に病室を出ていった。

別室に連れて来られた恭也は、医師からなのはの容態について説明を受けた。
「まず、妹さんの状態ですが………正直、信じられません」
「……どういう事ですか?」
「昨日の状態と較べて、格段に回復しているんです。それも……異常、と言って良いに」
医師の説明では、なのはの怪我の状態は、こんなにすぐ意識が戻る様なものではなく、
まして応答できるような回復など、絶対にする筈がないと言う。
「それじゃあ、なのはの体には異常が……?」
「いえ、それはまだ……これからの経過次第としか。ただ、現段階では回復以外の異常は無い、と言って良いと思います」
「そうですか……」
「今後どうなるのか……暫くは様子を見てみましょう」
「宜しくお願いします」
恭也は医師に頭を下げると、部屋を後にした。

なのはの病室前に戻ると、中から声が聞こえる。
声の主はフェイトと、ヴィータのようだ。

(これは……邪魔するのは悪いな)

恭也は踵を返し、其処から静かに立ち去った。















「………あれ?」
連音が目を覚ますと、何故か見慣れた事のある天井。
これでもかという程にフカフカのベッドから体を起こすと、コロコロと転がる猫二匹。
「あ、お早うございます、連音君!!」
「ファリンさん……?じゃあ、此処は月村の屋敷……なんで?」
「束音さんが、竜魔の里だと連絡が取れないから、こちらで寝かせておいて欲しいって。
でも良かったです。二日も眠りっぱなしで、流石にこれはヤバイんじゃないのかな〜?なんて思ったりしてましたから」
「二日……!?」
ファリンの言葉に連音は目を丸くした。限界を迎えた体が、それ程の休養を欲していた事に、我が事ながら驚いたのだ。
目を覚ました猫を撫でつつ、連音は思考した。
あれから二日経った現在、霊薬の効果がある以上、回復は順調であろう。
意識もハッキリとしていたし、今頃は医者が頭を抱えているだろう。
束音が此処に自分を置いていった理由は、ファリンの言った事で間違いないだろう。

「じゃあこれ、洗っておきましたから。シャワーを浴びてから着替えてくださいね」
「あ、ありがと………ん?」
何故か今、聞き捨てならない事を言われた気がした。

視線を落とす。
何故か、トレーナータイプのパジャマを着ていた。
多少デザインが古臭いのは、恐らく忍のお古なのだろう。

しかし、問題はそこでは無い。

「……今、洗ったと言いましたか?」
「えぇ」
「……誰の何を洗ったと?」
「連音君の、服一式ですよ?」
「………俺、服を脱いだ記憶が無いんですが?」
「はい。忍お嬢様が嬉々として脱がせていました」
「忍姉ぇえええええええええええええええッ!!」










「クシュン!」
「あれ?忍さん、風邪ですか?」
「う〜ん……これはきっと、噂されているんだと思うわ。今日は寄り道して帰りましょう」










忍への憤りもそこそこに、シャワーを浴び、着替え終えた連音は、エントランスに出ていた。

空は見事に晴れ渡っており、風も心地良い。
「―――連音様」
声を掛けられたので振り返ると、そこには月村家のメイド長、ノエルがいた。
「何ですか、ノエルさん?」
「恭也様より言伝を預かっております。『なのはの容態は良くなった。ありがとう』と」
「………なんで俺に?」
「こういった常識を外れた事には、連音様が間違いなく関わっている。と、仰っていました」
「なるほど………別に、礼を言われる筋合いは無いんですけどね」

そう言いつつ、縁に寄り掛かって苦笑する。



(そういえば……あの機兵は一体、何だったんだ?)
とりあえず危機を脱したなのはの事から、あの日の事に思考を変える。


古代遺跡に、罠や守護者がいる事はおかしい事では無いが、どうにも気に掛かった。





青空の向こう、海岸線の辺りには厚い雲が生まれつつあった。

















作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。