戦場と化したベイシティホテル。連音達は、それぞれの敵と相対する。

恭也は因縁深き、龍の刺客達と。
美由希は御神流を狙う、修羅道を往く剣士と。
そして連音は、悪魔の生み出した最悪の魔獣と。


血と硝煙の渦巻く戦場で、歌姫は悪意の手に堕ちる。



   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー
         外伝  聖歌の守護者達

       第四話  そして聖歌は世界に響く



屋上に展開された結界内で、グリフォンと連音は熾烈な戦いを繰り広げていた。風が舞う度、屋上は徐々に削り落とされていく。

新たな鋼線を抜き、念動力をフルパワーで発動させ威力を高める。
それを自在に操り、連音を一切近付せない。

対する連音も反撃を試みるが、流導眼でしか認識出来ない鋼線を躱す事は至難の業だった。


斬撃の鞭という事で、似た技には琥光 旋の型やシグナムのシュランゲフォルムがあるが、派手さが無い分、恐ろしさはこちらの方が遥かに上。

動体反応は役に立たず、魔力反応も無い。その上、シュランゲフォルムのように目に見えない。

そして自分の意思通りに自在に動き、かつ極細のそれは触れた物全てを両断する。その上、念動力が壁となって朱炎刃を阻む。


魔導師に直せば、間違いなくAAクラス以上の戦闘力はあるだろう。

そんな強敵と戦う羽目になった不運を、連音は少なからず後悔した。
が、同時にこれの相手を自分がした事を幸運とも思った。

HGS。そのPケースともなれば、常人は太刀打ちできない。魔導師でも相当のレベルで無ければ相手に出来ないだろう。

ましてや敵は兵器運用、量産を目的としたLCシリーズの発展型。

もしも恭也や美由希と当たっていたら、間違いなく彼らは殺されていた筈である。

(とはいえ、流導眼を使える時間は限られている。早々に決着をつけないと……)
使用時間が以前よりも長くなった流導眼だが、それでも長時間という訳ではない。

(まずは、鋼線を何とかするか……!)

連音は幾つかの術式を仕掛ける。
そして大きく飛翔し、結界すれすれまで上昇する。
「逃がさないっ!!」
それを追い、グリフォンも上昇する。同時に腕を振るい、鋼線が連音を追って飛来する。
「はぁッ!」
琥光で弾き飛ばし、同時に反転して急降下。そのまま刺突を構える。
疾風の如く突き出された切っ先は、しかし紙一重で魔獣の鎧に阻まれる。
(衣服にも、念動力を通しているのか!?)
刃は表面を削りながら、そのまま真下に抜けていった。
高速で交差する二つの影。一つは屋上にそのまま降り立ち、すぐさま真上を注視する。
もう一つは天井近くで留まり、大きく両腕を振り上げていた。
「交差八裂!!」
八本の鋼線が床を切り裂きながら、連音の周囲を囲む様に迫る。
その全てが交差点―――連音を目掛けて襲い掛かる。

連音は両足を肩幅に広げ、苦無と琥光で二刀を成す。
「五行剣、朱炎破刃!!」
カートリッジを爆発させると炎が消え失せ、刀身が真っ赤に染まる。琥光はともかく、苦無は凄まじい熱で掌を容赦無く焼く。
「っ……!!」
流導眼を使う必要は無い。切り裂かれるコンクリートが動きを伝えてくれる。
後はそこに、神炎の刃を打ち込むだけ。
「―――竜魔絶技、無影!!」
斬鉄の刃が連音に触れる瞬間、連音の姿が一瞬ブレる。その瞬間、鋼線が烈火に呑み込まれた。
「なっ!?」
グリフォンが驚愕の声を上げる。

それも当然の事だ。彼女には何が起こったのか理解出来ていない。



たちまち昇ってくる炎に、グリフォンは慌てて鋼線を捨てる。と、空中で鋼線は炎によって崩れ落ちた。
「っ……!!」
グリフォンはその光景に、忌々しいとばかりに舌打つ。


「―――殺す!」
その凶悪な爪を震わせて、グリフォンが急降下する。



連音はブスブスと黒煙を上げる苦無を捨て、真っ黒に染まった手を上空に向けた。

「―――ッ!?」
突然、グリフォンは空中に貼り付けられた様になり、その動きが止まった。
その四肢を縛るのは、琥珀色の光の輪。

急降下からの刺突が届かない事も想定済み。それは本命を隠す為の囮。

狙いは設置型のバインド。そこに魔獣を追い込む事。

(狙いはバッチリだが………予想外だな)

連音の瞳に、すぐさまひび割れ始めるバインドが映る。
触れた物を念動力によって操るグリフォン。魔力構成された手甲も握り潰された。ならバインドもまた然り、という事の様だ。
連音は急ぎ、次の一手を打つ。

「何……ッ!?」
グリフォンの目に映るのは煉獄の炎。
赤の術方陣を展開し、そこに業火球が作り出されていく。
「炎よ、我が敵の尽くを焼き滅ぼせ!」
連音の言葉に応える様に、炎は更に赤々と燃え上がった。連音は拳を握り、突き上げるように術方陣に叩き付けた。

「朱炎、裂波ぁあああああッ!!」
業火球が爆ぜ、内包された炎が一気に発射された。


「ッ……ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
魔獣が咆哮する。と、ついにバインドが砕け散った。

しかし、すぐさま炎は魔獣を呑み込み、そして火柱となって結界の天井まで噴き上がった。


直後に爆発が起こり、暴風が結界内に吹き荒れる。連音は僅かに目を細めるも、上空を注視する事を止めない。


「―――やはりな」
火の粉が降り注ぎ、熱風が大気を高温に変える中、黒煙の中からそれは姿を現した。

纏ったケープは最早ボロボロに焼け落ち、肌や髪もブスブスと焼け焦げている。
しかし、その瞳は殺意と敵意でギラギラと光っていた。

今の一撃で倒せない事も想定済み。連音は火傷を負った手を数度動かす。ビリビリと痛むが、ちゃんと動く事を確かめる。

敵の手札の中で開かれながら見えなかったカード。HGSは既に明かされた。
鋼線を破壊して、ダメージも与えた。

(仕掛けは施した………後は討つのみ!)





(何なのよ……あいつは!?)
荒れる息をどうにか抑えつつ、グリフォンは心の中で、そうごちる。

たかが人間にここまで手間取るなど、想像もしていなかった。


追ってきた身の程知らずを殺して、CSSの連中を皆殺しにする。その筈だったものを。


魔獣として、人というカテゴリーを越えた存在として、これ程の屈辱が在るだろうか。

(そう……絶対に許されない……ッ!!)

空を舞おうと、炎を操ろうと構いはしない。HGS以外にも、超能力や似た力を持つ者はいる。

だが、たかが人間が自分と対等に戦うなど、許されはしない。

何故なら、自分は魔獣グリフォン―――人を超越した化け物なのだ。


「グァアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ッ!?風が……集まるっ!?」
グリフォンが咆哮する。それと共に周囲の空気が動き始め、彼女の周りに収束していく。
その流れは、やがて腕に集中していった。
「―――ッ!!」
連音は瞬刹を使って、とっさに横に飛んだ。
次の瞬間、腕は大きく振り抜かれ烈風が吹き荒れる。そしてコンクリートが大きく抉り取られた。
それは奇しくも、魔獣の爪痕と言うに相応しい物であった。
「触れた物……空気まで操れるのか……!?」
「ぉおおおおぁああアアアアアアアッ!!」
咆哮と共に、風が再び収束していく。全身に大気の具足を身に纏う。
そして、連音目掛けて猛然と襲い掛かった。
「シャアアアアッ!」
獣の様な声を上げて、振るわれる爪撃はコンクリートを、苦も無く抉り飛ばす。
連音は大きく飛び退くと、すぐさまシールドを展開させた。

直後、シールドに不可視の何かが突き刺さり、火花を散らした。

それは足に纏わせた大気の爪。コンクリートに減り込んだ爪を支点に、足を振り抜いていたのだ。
「オォオオオオオオオオオオッ!!」
背中のリアーフィンは更に大きく、力強く羽ばたく。
四肢を地に着け、名実共に魔獣へと変貌したグリフォン。

連音は琥光を逆手に握り、躊躇無く踏み込む。

「ハアッ!!」
「ウォオオオオオオオオッ!!」

常人の領域を超えた者同士が、幾度目かの激突をした。















「ハァッ!!」
美由希の小太刀がグリフの肩を掠め、鮮血が飛んだ。そのまま神速を使って壁を蹴り、懐に潜り込む。
「ッ!?」
その動きを先読みし、グリフは大剣を振り上げていた。
美由希はとっさに蹴りを打つが、グリフの姿が風に消える。と、美由希の左側に踏み込みを掛けていた。
「シャッ!!」
「クッ!!」
振るわれる剛剣。美由希は振り上げた足を強引に回転させ、体を反転させる。
同時に小太刀を両手で握り、大剣を真っ向から受け止めた。

火花が飛び、美由希の腕が僅かに痺れる。
かすかに顔を歪める美由希に、グリフはすぐさま攻撃を繋ぐ。片手を開けて小剣を抜き、掬い上げる様に振るった。
切っ先が美由希の前髪を掠め、幾本かが宙を舞った。
「チッ!!」
グリフがとっさに体を引く。その瞬間、腕に鮮血が飛んだ。
そして、飾られていた絵画が両断されて床に落ちる。

グリフはすぐさまサイドに踏み込む。そこに、神速の領域を抜けた美由希が現れた。
「……ッ!?」
「ハァアアッ!!」
懇親の力を込めた一撃。垂直に振るわれたそれが、吹き抜け側の柵を、壁ごと粉砕する。
「ッ!!」
舌打ちし、その柵の向こう側を睨む。そこには軽業師のように縁に着地し、こちらに向かい駆ける美由希の姿。
小太刀を引くように構え、美由希は神速から飛び込む。
柱を蹴り加速させた、上段からの一撃。しかしそれは、グリフの大剣によって阻まれた。
(隙を狙って神速を連発しているのに、捉まっちゃう!?反応速度と、勘の良さの差なんだ……避けてから斬るんじゃ間に合わない……!)
刃を拮抗させつつ、美由希は冷静に状況を判断する。

神速は奥義ではあるが、無敵の技ではない。
人の目に映らない程の速度で動くが、それに反応出来ない訳ではないのだ。

磨き上げられた反応速度、経験が礎となる勘、そして動作を可能とする肉体。

グリフは経験と反応速度で美由希を上回っている。故に捉える事が出来る。

グリフは間違いなく、今の美由希よりも強かった。それは美由希が一番時間している事だ。

(―――でも、同じ剣士なんだ……もっと速く……もっとギリギリを、一撃で打ち抜くんだ……!!)
強い者が、すなわち勝者ではない。死線を越え、生還する者こそが勝者なのだ。




対するグリフは、この戦いに酔いしれていた。
(僕の斬撃を、こうも躱すか。それに、こんな傷を負ったのは何時以来だ……?)
剣を振るい、力を求め、敵を討ってきた。いつしかその身に、傷を負う事も少なくなった。
奇しくも剣士としての熟達が、彼から生の充足を奪っていった。

傷口が熱く燃え、血が滾りを覚える。
これこそ、生きているという実感。

グリフは無意識の内に、口元を歓喜で歪めていた。


互いに息を合わせ、弾かれるように跳ぶ。

「そうだ……剣士の戦いは、こうでないと行けない」
「……?」
「だが、まだ足りない……もっとだ、もっと来てくれ………もっと、もっとだッ!!」「っ……!?」
闘争に酔うグリフの瞳に、美由希は狂気の光を見た。それは最早、人としての道を大きく外れた証。

「戦うのが………そんなに好きですか?」
傷つけ、殺しあう事が好きだという考えを、美由希は理解出来ない。

左手を差し出し、美由希は刃を刺突に構える。狙うのは必殺必中の奥義。
「………私は、余り好きじゃないです」
意識を研ぎ澄ませ、集中を高める。

「――――――ッ!!」
空気が張り詰め、瞬く間に限界を迎える。その瞬間、美由希が動いた。
死中に活を見出すべく、防御を捨てて真っ直ぐに駆け出す。

「――――ハァッ!!」
グリフが大剣を担ぎ上げ、全てを薙ぎ払うように真一文字に刃を振るう。
威力の高い縦ではなく、回避し辛い横一文字。切っ先が孤を描き、遠心力を得て凶暴な斬撃を生み出す。

相手の速度に合わせた完璧な一撃。しかしそれは、美由希に触れる直前で空を斬った。
否。僅かに届いて、彼女の黒い三つ編みが宙を舞っていた。
「ッ……!?」
眼下に揺らぐ影。それは床スレスレまで身を落とした、美由希の姿だった。

神速とは、ただ速く動くだけの技ではない。その真価は、常人では動く事すらできない領域で動ける自在性にこそある。

美由希の眼前にはがら空きの体。ギリギリの一瞬を踏み越えた美由希に、勝利の光は差した。
「ここ――ッ!!」
限界まで縮められた体を戻す、その反動を利用して更に踏み込む。そして繰り出すは、母より受け継いだ一刺必殺の奥義。

小太刀二刀御神流 奥義之参―――射抜。


「―――がッ!?」
グリフの体に衝撃が走り、同時に腹部に突き刺さった牙が背中まで貫通する。
美由希は一瞬の間も無く二刀目を抜くと、グリフの膝に垂直に突き立て、捻りこんだ。

派生の多い射抜の中で、『追』の名を冠するそれは、敵の戦闘力をそぎ落とす為に考案された技。


膝を潰された剣士は、最早死んだも同然。
ここに、勝負は決した。

美由希は素早く二刀を引き抜くと数歩の間合いを離してから、刀の血を払った。

グリフはたたらを踏んで、砕かれた膝から崩れ落ちた。大剣が手から滑り落ち、背中が壁に預けるようにぶつかった。

「……は、ははっ………強い、強いなぁ………もっとだ、もっとやろう………!」
「………もう、終わりですよ」
「まだだ……まだ終わっちゃいない………!」
血を吐きながらも、大剣を支えにしてグリフは立ち上がる。急所は外したとはいえ、刃は腹部を貫通し、膝も砕いた。

グリフがどんな隠し玉を持っていたとしても、この状況を覆す事は出来ない。

しかし、それでもグリフは狂気の笑みを浮かべる。大剣を握る右手に力を込め、左の袖口から、折り畳み式の小剣を抜いた。
「もっとだ……もっともっとだァッ!!」
「っ……!?」
歩く事さえ満足に出来ない状態で、それでも彼を突き動かす執念。それに僅かに美由希は気圧された。

その瞬間、乾いた破裂音が響いた。そして同時に、グリフの体が引っ張られたように、仰向けに倒れた。

「ッ!?」
美由希がその音の方向を反射的に向くと、そこにはエリスの部下達の姿があった。

先頭に立つトーマスの銃口からは、硝煙が上がっていた。
吐血し、震えながらグリフが顔を持ち上げる。
「ゥ……もっとだッ!!」
グリフが叫んだ時、同時に銃声が幾重にも重なって響いた。

「っ………!!」
グリフの体が跳ねる度、鮮血が舞い踊り、全身に走り続ける痛みが、飢えた心を満たしていく。


無抵抗の相手への容赦ない銃撃が止んだ時、グリフという人間はこの世から消え去っていた。

剣に、戦いに、痛みに生の充足を求め、その果てにそれを得た時、皮肉にも彼はその生涯を終えた。

「美由希さん、大丈夫ですか!?」
「………はい」
やるせない気持ちのまま、美由希は小太刀を鞘に納めた。

改めて、こういった事が普通に起こる世界だと痛感する。守る為に討つ、という矛盾を内包した世界だと。

「……それで、フィアッセは?」
「先程、うちの人員がやられて……男に連れ去られました」
「えっ!?」
「それで、恭也さんからの伝言です。フィアッセさんは自分が追うから、美由希さんには歌手の人達に付いてもらいたいと」
「あ、でも連音君は……?確か、歌手の人達についているんじゃ……?」
「それなんですが、ホールの廊下でアイリーンさんを襲った犯人を追い掛けて行って、そのまま……」
「……そうですか、分かりました」
美由希は頷くと、早速歌手の所に向かおうとした。しかし、すぐにその足を止めた。
「やっぱり、着替えた方が良いですよね……?」
美由希は自分の格好を思い出した。

グリフとの戦いで、服はボロボロ。血もベッタリと付いている。とても人前に出られる状態ではなかった。
「では、傷の手当と着替えを手配します」
「お願いします」

トーマスが無線で連絡をする間、美由希は使った投げナイフを回収に向かった。
(連音君に連絡が取れないって事は……きっと、まだ戦ってるんだ。あの子がすぐに倒せない相手って……もしかして、魔導師とか?)
管理外世界――地球の様な場所には、違法魔導師がやって来る事もある。という話をエイミィに聞いた事を美由希は思い出した。

そして、すぐに首を振った。
連音の強さは良く知っている。魔導師―――否、忍者として、戦闘者として負ける筈がない。
そして、恭也がフィアッセを追うのならば、必ず彼女は救出されるだろう。

しかしフィアッセを守っても、他の出演者に何かがあればコンサートは中止となってしまう。

美由希は内心の思いを押し殺して、コンサートを守る為、歌手の護衛に回った














魔獣の爪が振るわれる度、屋上が削り取られてコンクリートの破片が飛び散る。
しかし、紙一重の所で獲物には届かない。
眼前にいた相手は一瞬で姿を消し、背後へと回り込んでいた。手にした刃を上段から一気に振り下ろす。
「チッ!!」
グリフォンは転がるようにそれを躱し、片手の力で体を跳ね上げた。一瞬遅れて、斬撃が眼前を掠める。

着地と同時に大気をコントロールして壁を生み出せば、そこに突き刺さる刺突。
「クッ……ァアッ!!」
徐々に差し込まれるそれを振り払うように、グリフォンがその爪を振るった。が、その直前、連音は大きく間合いを離した。

僅かに触れたマフラーが切り裂かれ、散っていく。

連音は宙返りし、軽やかに屋上の縁に降り立った。
「そう言えば、さっきこう言っていたな……『HGSは化け物だ』と」
「それがどうした……?」
「別に。ただ……その意見はお前の存在ごと、否定させてもらおうと思ってな」
「あぁ、そうかいッ!!」
余裕さえ感じさせるその態度に、グリフォンが怒りの表情を浮かべて飛翔し、足に大気を纏わせて猛然と襲い掛かる。

急降下から放たれた蹴りは、縁を容易に削り取った。しかし、連音はそれを容易く躱し、すぐさま反撃に移る。
障壁を越えて刃が数度、グリフォンの体に触れる。
腕と足に痛みを感じ、グリフォンは僅かに顔を顰める。が、そのまま爪を突き立てんと腕を振り下ろした。

連音は掌に極小のシールドを展開してそれを受け止めると、琥光を腕目掛けて振るった。
「……ッ!!」
一瞬早く腕が引かれたが、切っ先が皮一枚を掠める。

「ダァッ!!」
風の刃を爪から放って連音を切り殺そうとするも、またもや躱されてしまう。

そうして連音は、何事も無いかのようにパイプの上に降り立った。


(クソッ……何で、何で当たらない……!?)
グリフォンはこの状況に、異常な違和感を覚えずにはいられなかった。
念動力を使っての攻撃は威力も充分。鋼線よりも直線的とはいえ、不可視である以上、勘だけで躱し続ける事は出来ない筈だ。

まして首を切られ出血した状態である。すぐに血が止まったとしても、体は思うように動かない状態。


その上、変身能力によって強化された身体能力と、硬質化され装甲となった皮膚。人間の能力で、それを打ち破る事など出来ない。

そうなるべく創られた、それがグリフォンなのだ。

なのに、何故こうも圧倒されるのか。それが理解できず、グリフォンは混乱していた。




しかし、ここにグリフォンの最大の誤認があった。

一つ。出血は確かに連音の体力を奪ったが既に血は止まり、戦闘可能の状態は充分に維持されていた。

二つ。連音の身体能力は、常人のそれとは基準が違う。HGSとは違う高性能の遺伝子――夜の一族の血を引いている。
それを更に魔力強化しているのだ。変身能力で強化された身体能力すら、完全に上回っている。

三つ。竜魔の技は元々人よりも上の存在と戦う為に組み上げられ、練磨されてきたものだ。
それは魔導に始まり、戦術に関してもいえる事であった。

マルチタスク。魔導師の必須技能であるそれを、敵の動きや周囲の状況の変化にのみ注ぎ込む事で、攻撃の予測を行っていた。

鋼線による攻撃が回避困難であった最大の理由は、その存在の希薄さにあった。
魔導のような明確な気配があるのなら話は別だが、完全にコントロールされた思念というのは探り出す事が難しい。

まして常時動きの在る戦場では、希薄な気配はすぐに紛れて霧散してしまう。

それを一瞬で見極めて反応する事は、実質不可能に近い。


だが、今は違う。

風、大気という大質量をコントロールすれば、そこには必然的に歪が生まれる。

見えなくとも、察知する事は可能。そうなれば回避する事も可能となる。

そして回避し続ければ、敵の攻撃そのものを予測し、反撃を加える事も出来る。




「―――グァッ!?」
琥光がグリフォンの脇腹を切り裂く。切っ先に導かれ、鮮血が孤を描いた。
たたらを踏んだグリフォンは、堪らず飛翔する。

脇腹を押さえつつ上空で静止し、その掌に風を収束させる。それは徐々に渦を巻き始め、竜巻の姿を模った。
「死ねぇえええええええええええええええッ!!」
叩きつけるように振るうと、それが爆発して暴風が吹き荒れた。
「っ……!!」
目を開いている事も出来ないほどの嵐に乗じて、連音の体が幾度も切り裂かれる。
血飛沫は風に散り消え、また新た場傷を生み出していく。


理屈は不明だが、攻撃が読まれていると判断したグリフォンは、戦闘方法を大きく変えた。

読まれようとも躱せない大出力で、一気に叩き潰す戦法だ。
「ウゥ……ッ!!」
これだけの出力を維持する事は、彼女でもかなりキツい。
防御に使う力も、全てを攻撃に使用している。吹き荒れる嵐が、結界内で暴れ、本人も少なからず傷つける。

暴風を起こし続ける為に突き出したままの腕に赤い線が一本、また一本と走っていく。

しかし、それでも攻撃を緩めない。完全に封じ込め、そして仕留める為に。



「参ったな……動きが取れない……」
連音はバリアを展開した状態で身を屈めていた。が、風は容赦なく壁を越えて連音を斬りつけて行く。
マフラーは見る影も無い程に短く切断され、装束もボロキレのような状態である。
その上、強風に晒される事で呼吸もままならない。とはいっても、決して耐えられない訳ではない。

これだけの力を長時間、行使し続ける事は不可能だとすぐに判断が付いた。
このまま待てば、敵は確実に自滅する。

だがそれを待つ訳には行かない。何故なら連音の務めは、CSSのコンサートと出演者達を守る事であり、
その為に敵の排除を速やかに行う必要があるからだ。

まして主犯がこの場に来ているのなら、尚更グズグズしている訳には行かない。

連音はバリアを解除した。暴れる獣のはらわたに、その身をあえて晒す。
両足を強く踏ん張って両手を空へと向けると、足元に赤い術方陣を展開させる。

「あの光は……ッ!!」
グリフォンは、その光の意味する所をすぐに悟った。
脳裏に焼きついた紅蓮の嵐。再びあれを撃たれる。そう判断したグリフォンはすぐに動いた。
腰に巻かれたバンドを外し、バックルを強く握る。するとバンドを破って金属プレートが出現した。

「だぁああああああッ!!」
バンドに仕込んだ形状記憶合金のブレード。それこそ最後の最後、本当の奥の手。
嵐の中に道を作り、光源に向けて全力で投擲した。
「―――クッ!?」
連音は未完成の状態で朱炎烈波を撃つ。高速で飛ぶブレードと激突し、爆発が嵐に巻き込まれて結界内を埋め尽くす。

「―――つぁッ!!」
それを突き抜けて、魔獣が突撃する。赤い壁が眼前から消えた時、そこには驚愕に目を見開く連音の姿。

そして魔獣の凶爪が、その体を貫いた。





そして、連音は―――――――――砕け散った。


「なっ……!?」
まるでガラスが砕けるように、パラパラと連音だったものが落ちていく。

何が起こったのか理解出来ず、今度はグリフォンが驚愕に目を見開いた。


ピチャン、という水音が背後で聞こえた。
グリフォンがハッとしてその方を向けば、そこには連音がいた。

貯水タンクから零れた水溜りの上に膝を着き、琥光を両手で握って引いた姿で。

混乱する頭のまま、グリフォンはすぐに動いた。
跳躍し、そのまま飛翔する。
「ここに留まってはならない、すぐに動け」と、本能の命ずるままに。

しかしそれを追って連音も動く。両足に力を込め、グリフォン目掛けて跳躍すると、両腕を袈裟懸けに大きく振るった。
「ハァアアアアアッ!!」
だがそれは余りにも愚か。刃の間合いには果てしなく及ばない。そう、”刃が何メートルも伸びない限り”は。

斬月が、水音を立てて空に描かれる。

グリフォンの右肩から胸にかけて、大きな切傷が生まれた。
「そ、そんな………バカな……」
うわ言のように呟くグリフォン。その瞬間、傷口から血が噴出し、辺りを染め上げた。

グリフォンの体がグラリと揺れ、リアーフィンが崩れ落ちていく。空中に羽が散る中、グリフォンは人の姿へと還っていった。
「―――五行剣、玄水”業刃”」
琥光の刀身を包むように、水の刃が生まれていた。その長さは数メートルにも及び、槍よりも遥かに長い。
それは只の一太刀で力を失い、そして崩れ落ちた。

五行剣 業刃。
それは遠距離攻撃の飛刃、破壊力の破刃に続く、五行の力を大刀へと変えて一撃を振るうという、第三の技。


心の隙、不意を撃ち抜くために連音は思考をコントロールしていた。


最初の朱炎烈波は、幻術を使う為の布石。

一撃で大きなダメージを負ったグリフォンは、それを最も警戒していた。
だからこそ赤い光を目撃しただけで、すぐに攻撃を予測できた。

その結果、グリフォンは朱炎烈波を阻止する為に必ず動くと、連音は読んでいた。

そして起こった爆発を隠れ蓑に幻術を発動。グリフォンはそれに気付かず突貫。
本体は水を媒体に業刃生み出し、隙を作った魔獣を一刀で切り捨てたのだった。


ここで最も重要なのは、目くらましと幻術を使う為にグリフォンに遠距離を取らせる事。

まさか嵐を巻き起こすとは予測できなかったが、その動きは想定した範囲の中で行われていた。

全ては、幻術という切り札を切る為に。





(バカな……人間なんかに………!?)
舞い散る羽と流れ出た血が、遠ざかっていく空に踊る。



『素晴らしい!これこそが最高傑作だ!!』
脳裏に過ぎる、すっかりと髪の薄くなった白衣の老人が興奮する姿。

『フハハ……!RDこそ最高傑作!LCなど所詮データ集めの捨石よ!!』
モニターに映るデータを見て、狂喜する老人達。

『グリフォン、お前は最強の化け物だ!!既存の人類を越えた新種、超越者だ!!』戦闘データ収集と称して獰猛な獣達と戦い、それを文字通り捻り潰した。
鼻が曲がりそうな血の臭いの中で、少女はジッと自分の手を見た。

血と肉と毛に塗れた、醜い手。

(私は超越者……化け物……人じゃない……人って何……?)

今度はモニター室を見る。そこにいるのは人間。彼女の知る、人間の全て。


『や、止めろ!!来るなッ!!』
紅蓮の海が波打ち、命を失った肉塊を建物ごと焼き尽くす。
灼熱の世界で必死に命乞いをするのは、頭の寂しい白衣の老人。
『あたしは超越者……どうしてドクターみたいな、人間の言う事を聞かないといけないの?』
『何、だと……?』
『あたしは人を超えた存在……なら、支配するのは当然こっち……でしょ?』
『〜〜〜っ!?こ、この化け物めッ!!』
白衣の下から拳銃を取り出し、やたらめったらに引き金を引く。しかし、それらは全て彼女の後ろへと飛んでいった。
『ッ!?クッ、クソッ!!』
大気をコントロールして弾丸を体に滑らせたと気付くが、既に弾倉は空。引き金を幾度引こうと弾は出ない。
『化け物………ね』
グリフォンはゆっくりと、まるで見せ付けるように腕を持ち上げた。
指先に揺らめきが生まれ、徐々に獣の刃へと変わっていく。
『あたしは魔獣グリフォン……獅子の体と、鷹の翼を持つ化け物よ?』
そして、それは振り下ろされた。ザシュ、という音がして血飛沫が彼女の体を赤く染め上げる。

『……今更、何を言っているのかしら?』

返り血を拭うと彼女は踵を返し、そして炎の中へと消えた。




(あぁ、そうか……そうだったのか)
走馬灯の中で、グリフォンは悟る。

自分が戦った相手が何であったのか。

化け物である自分を殺せる相手。それは唯一つの存在しかいない。

それは人の姿をした、自分以上の―――


「この……………化け物め」


――――否、本当の化け物であったと。




コンクリートに叩きつけられるようにして、それは落ちた。

血は流れ続けているが、その体が動く事は永遠に無い。

最後の言葉。それはまるで、自分が否定された事を歓喜するかのように、連音の耳には届いていた。

連音はヒュンと琥光を振るって血糊を落とし、鞘にあてがう。
(化け物……か)
そしてゆっくりと、刃を納めていった。

「………良く、知っている」

チン、と軽い音が鳴ると同時に、屋上を覆っていた結界が消滅した。

それと共に、破壊された物の全てが元通りに帰っていく。

「ふぅ……」
戻った青空を見上げて、連音は深く息を吐いた。


“主”
「分かってる。まだ終わっていない、気を抜くな……だろう?」
“肯定”
とその時、琥光に無線通信が届いた。BJを纏うと、それまでの服装や持ち物は一時的にデバイス内に格納される。
当然、無線機もデバイスに格納されており、琥光から連音の手の中に転送された。
「はい、どうしました?」
『あぁ、良かった!やっと繋がった!!先ほどフィアッセさんが男に連れ出されて、それを追って今、エリスと恭也さんが動いています!』
「身柄を押さえられたか……分かりました、こっちもすぐに向かいます!!」
『え、ちょっと――』
向こうが何かを言う前に、連音は早々に無線を切った。
「琥光、フィアッセさんの反応は?」
“地下駐車場カラ 出口用通路ヲ 移動開始”
「まだホテル内か………よし、先回りするぞ!!」
“御意”
連音は屋上を跳び、あっという間に駐車場出口の、遥か真上に到着した。
縁に足を掛け見下ろせば、吹き上がるビル風が髪を揺らした。

少し先の道路に走る車は小さく、まるで小石のように見える。

「最短距離を最速で……と」
連音はつま先で軽く跳ねると、そのまま一気にビルから飛び降りた。


つま先を揃え、腕を組んだまま、風圧を受け流していく。
マフラーと髪と飾り布が真上まで上がり、バタバタと暴れる。ホテルの窓が残像を残して通り過ぎていく。
見る間に地面が近付いて来る中、連音はおもむろに印を結ぶ。
「――天馬の術!」
“飛翔”
足にリングが生まれ、ブレーキが掛かる。が、地面まであと僅かの距離しかなく、止まる事は不可能である。

「ハッ!!」
連音はビルの壁を蹴り飛ばし、前方に跳んだ。そのまま宙返りを打ち、四肢を付いて着地した。

アスファルトには大きな亀裂が走り、その衝撃の大きさを伝え残す。が、連音はすっくと立ち上がり、背後の闇の口を見遣った。
「先回り成功……ん?」
連音は出口脇にある物に気が付いた。それは貨物運搬用のエレベーター。
「………ふむ」
ブリーフィングで見たホテルの内部図を思い出し、連音は苦無を抜き、エレベーターの脇に向かって投げつけた。
コンクリートを抉り、しっかりと突き立った事を確認すると、連音は駐車場出口に入って行った。



少し入った所で連音は足を止め、そしてフィアッセに”念話”を送った。
『―――フィアッセさん、聞こえますか?』














『フィアッセさん、聞こえますか?』
「……ッ!?」
突如脳内に響いた声に驚き、フィアッセの体がビクンと跳ねる。
『そのまま!何も無いようにして下さい』
を制止するように言葉が続く。その声に、思わず見回しそうになった顔を何とか留める。
チラリと運転席の男を見る。どうやら彼にはこの声は聞こえていないらしい。
(でも、一体どうして……?)
『フィアッセさん、お守りを握って。頭の中で声を出すイメージで、言葉を考えて下さい』
幻ではない連音の声にフィアッセは従う。首から下げられたお守りを、服の上からギュッと握り締め、頭の中に言葉を浮かべる。

『こんな感じ……かな?』
『はい、それで良いです。幾つか質問しますから、答えて下さい』
『……うん』
『今、車に乗っていますよね?フィアッセさんの位置と、あなた以外に何人いるかか、教えて下さい』
『運転席に犯人が一人だけ。私は助手席に座っているわ……あと、ホールに爆弾を仕掛けたって……』
『爆弾ですか……?』
『リモコンのスイッチで、いつでも爆発させられるって……』
『分かりました。後の事は任せて下さい。後、フィアッセさんにはやってもらいたい事があります』
『何をすれば良いの……?』
『しっかりとシートベルトをして、出口付近で人影を見つけたらすぐに体を、しっかりと固定させて下さい』
『………分かったわ』
『もう少しだけ頑張って下さい……必ず、助けますから』

そしてフィアッセの脳内から、声が消えた。
シートベルトは既に着用させられている。後はもう一つの事を守るだけだ。

聞こえた声が、自分の幻でしかないのかも知れない。それでもフィアッセはその声を信じた。






「―――さて、仕込みは完了。後は仕掛けるだけだ」
念話を終えた連音は幾つかの仕掛けを施し、車が来るのを待つ。

“主”
「そろそろか……よし。琥光、カートリッジロード!!」
“烈乃型 起動”
鞘ごと琥光を抜き、カートリッジが爆発する。光に包まれ生まれるのは、一振りの太刀。

柄を両手で握り、闇を穿つ光を強く見据えた。



「あれは……連音君!?」
フィアッセは先程の声と合わせ、それが連音だと悟った。
「……ほう」
ファンは不気味に笑うと、アクセルを強く踏み込んだ。
グン、と加速する車。凶器と化したそれが、立ちはだかる連音を殺さんと牙を剥く。
「っ……!!」
フィアッセは連音の言葉通り、体を固定させた。



猛スピードで迫る車に対し、連音は真っ向から迎え撃った。
刃を後ろに引き、一気に駆け出す。
「ハァアアアアアアアアアアッ!!」
裂帛の気合と共に、コンクリートを砕かん程に踏み込む。そして刃を、下段から垂直に振り上げた。

バンパーとぶつかり、それが衝撃を吸収せんと歪むが、すぐに刃はそれを切り裂く。
次いで火花が散り、耳障りな金属音が響く。
連音の腕に凄まじい負荷が掛かるが、全身全霊の力でそれを捻じ伏せる。

そして踏み込みの足が、連音の体を持ち上げた。


「―――ぬぉっ!?」

残光が闇に三日月を描き、連音はその勢いのまま、宙返りを打って着地する。
「辰守流剣術月の型、弐式―――下弦」

車体が真ん中から両断され、破片を撒き散らしながら、両サイドに分かれた。
運転席側が壁と激突し、轟音と火花を散らして滑っていく。
出口近い所まで滑り、それは漸く止まった。


そして助手席側は壁に激突する瞬間、何十本もの光の糸が網状に展開し、それを受け止めた。
「きゃあああっ!!」
魔導鋼糸は車の勢いを殺すが、その質量ゆえ、ギリギリと伸びていく。天井と床に打ち込まれたそれの何本かが、切れて消滅する。

そして数メートルの格闘の末、ついに車は止まった。鋼糸が消え、車体がガタン、と倒れる。

連音は琥光を元の忍者刀に戻すと、鞘に納めながらフィアッセの所に向かった。
「大丈夫でしたか、フィアッセさん?」
「う、うん……ちょっと、頭打ったかも……」
苦笑いを浮かべながら頭を摩るフィアッセに、連音はとりあえずの無事に安堵する。
フィアッセの体を支えながらシートベルトを外し、車外に引き上げた。
「さぁ、早くここから離れましょう……!」
フィアッセの安全を確保する為、手を引いてその場を離れようとする。

その時、破裂音が響き、足元に火花が散った。

「――っ!」
連音は反射的に、フィアッセを庇うように前に出る。
睨みつける先にいるのは、卑劣なる男。

激突の際に怪我を負ったのか、頭部から出血し、顔に鮮血が見える。
「おっと、そこでストップだ。まさか、車を切られるとは思いもしなかったよ……」
「何なら、今度はお前を真っ二つにしてやろうか?」
「いや、それは遠慮しよう……さぁ、フィアッセ・クリステラ、こっちに来るんだ」
ファンは胸元から取り出したそれを見せ付け、不適に笑う。
「っ……!!」
それを見た途端、フィアッセの顔が強張った。
「フィアッセさん……?」
「あれは爆弾のスイッチよ。ホールのあちこちに仕掛けたって……!」
「なるほど。やっぱり、それがお前の切り札か……爆弾は成長しても、やり方は進歩が無いな……クレイジーボマー?」
「ほう……こちらの通り名を知っているとは、やはり只者ではないようだね。さて、お喋りはここまでだ」
ファンが銃口を動かし、フィアッセに催促する。

来なければ、誰彼関係なく無差別に殺す。そう脅しを掛けているのだ。


心優しい歌姫を自分の自由にする為の、卑劣で最悪の脅迫を。


フィアッセは悔しさにギュッと胸元で拳を握り、一歩を踏み出そうとした。
しかし、その前に腕を伸ばして制止する者があった。
「っ……連音君!?」
「大丈夫。ちょっと確かめてたい事があるだけです」
連音の言葉に、ファンもフィアッセも怪訝そうな色を見せる。そんな中、連音はおもむろに右手を背に回した。
それに気付き、ファンが銃口を連音に向けるが、連音は構わずに続ける。

「お前の言う『爆弾』というのは………」

そして、右手を前に突き出した。
「もしかして、こいつの事か?」
「ッ……!!」

連音の掌に乗せられた物を見て、ファンが激しく動揺する。

そこにあったのは一見、何の変哲も無いバスケットである。
しかし、それが只のバスケットで無い事はファンや連音は勿論の事、話の前後からフィアッセにも分かった。


『―――大丈夫』
「っ……!?」
不安を抑えきれないフィアッセに、念話が届く。
『信じて下さい……あなたの立つ場所も、あなたの想いも、必ず守ります』
脳内に響く連音の声は、心に強く響く何かを感じさせる。
そして僅かに見える瞳。それが不思議と、彼女の良く知る人物を思い出させた。

(……お母さん?)
一瞬、連音の横顔に亡き母、ティオレの面影が重なる。

それは本当に一瞬ですぐに消えたが、それだけでフィアッセには充分だった。
『……信じるね』
『……はい』



「さて、そのスイッチ……押せるものなら押してみるが良い。こいつの威力は、お前が一番良く知っているだろう?」
連音はフィアッセの信頼に応えんと、代わって数歩前に出る。

「フフッ……つまらない脅しを。ここに爆弾がある。だからスイッチを押せば、私も死ぬと……?
しかし、それでは君もフィアッセ・クリステラも死ぬ事になる。
それに、これを押せばホールに仕掛けられた爆弾も一緒に爆発する。それでは脅しにはならないな」
腕が立つとはいえ、所詮は子供。眼の付け所は良いが、詰めが甘いとせせら笑う。
しかし連音は、眉一つ動かさずにいる。

「――ステージの両脇」
「……何?」
ポツリと呟かれた連音の言葉に、ファンの眉がピクリと動く。
「客席通路、客席入り口、ホール出口、売店脇、カフェテリア、出演者控え室、ホールのエントランス……」
「ッ……!?」
連音が続けていくとファンの顔に、見る間に動揺の色が広がっていく。

それもその筈。それらの殆どは、ファンが爆弾を仕掛けた場所なのだから。

下手な鉄砲という訳では無く、連音は確信を持って、全ての爆弾の箇所を言い当てて見せた。

「今頃、ご自慢の爆弾は全て処理されている筈だ……この一つを除いてな」
「なるほど……その話を信じるとしても、不利なのはそちら側。何せそれが爆発すれば、フィアッセ・クリステラも巻き込んでしまうのだから。
それ以前に、それが本当に爆弾かどうか……疑わしいところだ」
ファンは先程のように不適に笑う。そして銃口を、フィアッセに向けた。

しかし、今度は連音がそれをせせら笑った。
「これが仮に本物で、爆弾が爆発しても……どうせ、死ぬのはたった一人だけだ」
「何だと……?」
ピクリとファンの眉が動く。その目に映る連音は、まるで全てを躍らせる人形師の様である。

「ご心配申し訳ないが、フィアッセさんも俺も死なない。死ぬのはお前だけだ」
「ハハッ………そんな”魔法”のような事が出来ると、本気で言いたいのか?」
若干の苛立ちを持ち始めるファンに、連音はハッキリと言い放つ。
「出来るさ。まぁ、お前如きには想像さえ出来ないだろうがな」
「フ、フフ……そうか、ならこのスイッチを押しても構わないんだな?」
手の中のそれを見せ付けるようにして、ファンが最後通告とばかりに言う。
「あぁ、全く構わない。遠慮せずに押すが良いさ」
「ッ……!?」
その恐れの一つすら無い強い言葉に、ファンは思わず後退さっていた。
そして連音は更に進み出る。
「どうした、押さないのか?押して、俺の言葉の真偽を確かめてみろ」
一歩、また一歩と連音はファンに近付いていく。

「来るな……っ!!」
進み続ける連音の胸元に向かって、引き金が引かれる。強い衝撃が体を襲うが、しかし連音は全く意に介さず進み続ける。
「どうした、そんな豆鉄砲で俺を殺るつもりか……?」
「ば、かなっ……!?」
「俺がお前の前に立った時点で、もうお前に勝ちは無い……諦めるんだな」
銃弾を物ともせず、揺らぎ無い自信に満ちた連音の言葉に、ファンは更に気圧される。

「良い顔だな。他者を自分の思い通りにしてきた奴は、自分がそうなった時……必ず同じ顔をする」
「くっ……!」
嘲り、操り、弄んできた者が今、その立場へと追いやられた。
それを成したのは眼前に立つ、たった一人の子供。

手の中のスイッチを押せば、フィアッセ・クリステラは死ぬだろう。
押さなければ、自分は捕らえられ、やはり手に入らない。

手に入らないのならば、いっそこの手で。そう思う反面、自信に満ちた連音の態度が気にかかる。
普通に考えればこの場所、この距離で爆弾が爆発して、無事で済む手段など在る筈が無い。
「フフッ……そうやって押させよとして、逆に押させなくする腹積もりだろうが……」
「勘ぐる必要はないから、さっさと押せ。そして、地獄で後悔し続けろ」
しかし連音の言葉は、それこそが真実であるかのように思わせる。
「……っ」

自分の仕掛けた物に、逆に追い詰められるなど経験した事が無い。そして連音の自信の裏に何があるのか、全く読めない。

故に逡巡する。


睨み合い。ファンがいよいよ進退窮まった時、連音がフッと口元を歪めた。
「残念………時間切れだ」
「何……っ?」
刹那、連音とファンの間に一陣の風が吹き抜けた。

ゴキン、という音が響くと共に片腕がへし折られ、スイッチが宙に舞う。
そして悲鳴を上げる間も無く、今度はその体に”小太刀”が打ち込まれた。

「ガハッ……!?」
血を吐き出し、ファンの体がよろめいて、壁にもたれる様にして崩れ落ちた。

「―――お見事」
落ちてきたスイッチが、差し出した連音の手の中にすっぽりと納まった。

「やれやれ。端から見ていて冷や冷やしたぞ?」
二刀を納めつつそう言って、恭也は肩を竦めた。

「冷や冷やした所じゃない!もし奴がスイッチを押していたら、如何する気だったんだ!?」
もう一人。銃を構えたままのエリスが、憤りを露にして連音に迫ってきた。
「あぁ、これですか?」
連音は手に持った二つを見比べ、そして徐にスイッチを押した。
「「――――ッ!?」」
その行為に、エリスとフィアッセが驚愕して目を見開く。


が、何事も起こらない。
連音の持つ爆弾も、ホールに仕掛けられた物も何一つ、反応を見せる事は無かった。

「やはり、な……」
恭也は予想していたのか、苦笑している。
「この辺りには予め、あらゆる電波を遮断する仕掛けを施しておいたんです。そして……」
連音が爆弾のバスケットを持った腕を振るうと、一瞬にしてそれは消えてしまった。
「―――で、これは真っ赤な偽物です。本物の爆弾は今頃、エリスさんの部下の人達が回収してくれていると思います。
ま、仮に本物でも……どうにか出来る手段は在りましたけどね」
連音はスイッチを恭也に投げて渡す。それを受け取ると、恭也はスイッチカバーを閉め、それをポケットに仕舞った。

連音が仕掛けたのは魔導鋼糸による保護ネットと、切り札を切らせない為の電波遮断結界。そして敵の切り札そのもの。
フィアッセを守りながら自分に注意を引き付けさせ、恭也が動ける為の場を作る事。


「フ、フフフ………なるほど、全てペテンだったという事か……なるほど、自信がある訳だ」
ファンが朦朧とする意識の中で、顔を上げる。
「―――奸計詭道は忍の常套手段だ。罠の仕掛け合いで俺に勝てると思うな」
「ククク……ハハハハハ…………!」
狂ったように笑いながら、ファンが銃口を―――フィアッセに向けた。


発砲音が響き、血飛沫が飛ぶ。
カシャンという音がして、ファンの銃がコンクリートを滑っていった。

「グオォ……ッ!!」
ボタボタと腕から出血し、そしてエリスの銃からは硝煙が揺らめき出ていた。
そして次の瞬間、ファンの顔面に連音の蹴りが突き刺さっていた。
「―――ッ!?」
悲鳴を上げる事さえ許されず、ファンは意識を完全に切り飛ばされた。

「―――これで、チェックメイトだ」
蹴り足をゆっくりと抜き、連音はクルリと背を向けた。
「目が覚めれば、法の裁きが貴様を待っている」
そして恭也も、小太刀を背に仕舞った。





その後、爆弾は全て回収され、犯人達は全員が拘束された。
また、屋上のグリフォンの遺体も回収された。


それらの後処理を秘密裏に行った為、コンサートの開始時刻は予定を大幅に遅延する事となった。
これだけの事が在りながらも中止にならなかったのは、絶対に歌う事を諦めないフィアッセの意思を尊重しての事だ。


そして今。
彼女はステージに立っている。

あれだけ危険な目に遭いながらも、気丈に振る舞う彼女の姿はとても眩しく、スポットライトよりも輝いて見えた。



「片付いた……かな?」
「……そうみたいだな」
「二人とも、怪我は大丈夫か……?」
「今にも倒れそうだ」
「もう、このまま倒れたいですね」
恭也と連音は、ステージから聞こえる歌声に耳を傾けつつ、そう答える。
「そうは見えないけどな……」
エリスがそう言うと、恭也は「そうか」と返し、連音はただ苦笑した。

「………」
エリスはステージに立つフィアッセを見る。
(結局、彼らに助けられて……私は、誰の事も守れていない)

グリフからフィアッセを守ったのは美由希で、龍の構成員を倒したのは恭也で、アイリーンを襲った人物を倒したのは連音。

自分はといえば、ファンに殴られ気を失い、追いすがっても彼にあしらわれた。
連れ去られたフィアッセを救ったのは、連音と恭也だった。

彼らがいなければ今頃どうなっていたか、想像するのも恐ろしい。

(情けない……な)

無力な自分が嫌で、だから銃という力を手にした。しかし、その力は何も守れなかった。
何も変わらない、変わっていない。自分が最も嫌いな、無力な子供の頃と何一つ。
そう思うと、涙が零れそうになってしまう。


「―――なんて顔してるんだ」
「えっ……?べ、別に……」
恭也はそんなエリスの様子に気付き、消耗した体を持ち上げる。連音も、エリスの方を向いていた。
「君が居たからこそ、フィアッセは今こうして、あそこで歌っている」
「そうですよ。俺が先回りできたのは、恭也さんが駐車場で追い着いたからですけど、
でもそれは、エリスさんが追い着いて、時間を稼いでくれたからでしょう?」
「あっ……」
フィアッセがファンによって連れ去られた後、恭也はフィアッセの元へと向かった。

だが恭也が追い着いた時、フィアッセは車中に閉じ込められており、寸での所だった。

その時間差を埋めたのは、先に追い着いていたエリス。彼女が居なければ、恭也は絶対に間に合わなかった。


そしてそれが連音の仕掛けに繋がり、フィアッセを無傷で救出するという結果を生み出したのだ。

恭也はエリスの背中を優しく叩いてやる。
「―――良くやったさ、俺達は」
「っ………!!」
エリスの瞳からポロポロと大粒の涙が、零れて落ちる。

それは無力を悔やんでの物ではなく、ただ純粋に。



連音と美由希は互いに顔を見合わせ、そして微笑んだ。










戦いを終えた者達は福音に包まれ、会場にいる人々はその幻想に酔いしれる。


そして聖歌は、歌姫達によって世界中に響いていった。

その心に、温かな希望の光を与える為に。





それは、彼らが守り抜いた――――――――世界の希望といえるだろう。
















作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
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