英国にあるクリステラ・ソング・スクール―――通称CSS。

世界中を魅了し、『世紀の歌姫』と賞賛された伝説のソプラノ歌手、ティオレ・クリステラによって設立された、歌手養成学校。
卒業生には実子であるフィアッセ・クリステラ、SEENA、エレン・コナーズ、アイリーン・ノアなど名立たる歌手が並ぶ。
それ故に、CSSは一流歌手の登竜門とさえ呼ばれ、生徒達は夢を掴む為に日々レッスンに励んでいる。




そんな歌姫達の箱庭に今、不穏な影が差し始めていた。





   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー
         外伝  聖歌の守護者達

         第一話  歌姫達の箱庭





CSSの校長室。
来客用のテーブルを挟み、座るの二人の女性。

「―――これで12通目、でしたか?」
「……13通目です」
「文面は、どれもほとんど同じですね……」
「今回のものも、雑誌や新聞から単語の切抜きで書かれています」
一人は教頭であるイリア・ライソン。
もう一人は、マクガーレン・セキュリティサービス社のエージェント、エリス・マクガーレン。
「『曰く、我々はティオレ・クリステラの【最後の遺産】の所在を突き止めている。その鍵をこちらに渡して欲しい。
相応の対価を支払う用意が、当方にはある。連絡を乞う』」
そこまで読み、イリアは手紙をエリスに渡す。エリスは手紙を受け取ると、そこから続く文面を読み上げた。
「……『要求に応じないのであれば、当方も対応を変えざるを得ない早急な対応を求む』…………フッ」
エリスは読み終えると、それを鼻で笑った。
文面こそ丁寧な言い回しであるが、結局は典型的な脅迫文だ。

「要求に応じるも何も、遺産整理は全て、滞りなく行われていますから……細かな遺産は幾つか在りますが、脅迫状を送る程の遺産という物は」
「―――無い、と?」
エリスの言葉に、イリアは頷く。

「当方としても、新聞の伝言欄などを使って、その旨を伝えたのですが……」
「………」
「最後の文はこうです。『この最後通告を受け入れないのであれば、貴女に不幸と危険が訪れるかも知れない』と。ここにある貴女と言うのは――」
「―――分かっています」
エリスの視線が左側――窓の方に向けられる。

そこには校長の座るべき椅子と、事務用のデスクがある。そして椅子に腰掛ける一人の女性。
「――当校の現在の校長である……歌手のフィアッセ・クリステラ」
フィアッセは、不安というよりも、何処か物悲しげな視線を彷徨わせていた。

「現在、既に当校の敷地内や、彼女の行く先等で……それを暗示する様な出来事が起きています」

外での公演の最中、何故か小火騒ぎが相次いだ。
レッスン室のピアノの上に、死や不吉を思わせる血糊の入ったバラが置かれていた事もあった。
酷いものでは、敷地内にある噴水が爆発物によって爆破され、何十枚というガラスが砕け散った。
その破片で怪我を負った生徒も居る。



「毎年恒例の、当校のコンサートツアーが、もう直ぐ行われます。
ツアーの途中、校長の身に万が一の事があっては困る。という事で、あなた方に依頼した訳です」

事の次第を聞き、エリスは出されていたティーカップを手にした。
その素敵な香りも、この話の上ではどうにも楽しむ事は出来ない。
「万全を期すなら、ツアーは中止するべきですが……そういう訳にも、行かないですか?」

「行かない」
「っ……!?」
突然、強い言葉を発したのはフィアッセだった。
椅子から立ち上がり、真っ直ぐな眼差しをエリスに向けている。

「エリスは知ってるでしょう……私の性格?」
「……うん」
「子供の頃からの付き合いだもんね」
エリスとフィアッセは幼馴染であり、今も友人である。だから、フィアッセがこういった脅迫に怯まないという事も分かる。


「当校にとっても大事なツアーです。滞りなく開催しつつ、彼女の身にも危険が及ばないように、あなた方にガードをお願いしたいのです」
イリアはコンサートスケジュールのファイルをエリスに差し出した。
「えっと、最初の行き先は………日本」
エリスはファイルを閉じると、やおら立ち上がった。
「―――本音を言うなら、コンサートそのものはともかく……フィアッセには行動を少し控えて欲しいですよ」
そう言って、フィアッセの横を通り過ぎ、カーテンを閉める。
「ボディーガードの基本は、まず保護対象を危険な場所に立たせない事って……知ってますよね?」
それは暗に、危険に近付くなという、彼女からの忠告。

元より、CSSのコンサートには様々な悪意が向けられる。
脅迫に屈していたら、何も出来なくなってしまう。

だがその為に、彼女の身に何かが起きてしまっては本末転倒だ。

友人として、エリスはフィアッセの身を案じていた。


「……うん」
しかし、フィアッセは隣の窓に行く。
それは彼女からの答え。


それでも、自分は其処に立たなければならないと。



「―――でも、日本にはあの子達が居るから」
「あの子達……?」
「エリスも何度か会ってるあの子達………強くて優しい、黒い髪の兄妹。私が危危険な時には護ってくれるって、約束してくれた……。
エリスと、あの子達が力を合わせてくれれば、きっと―――」
「ッ!?ちょっと待って、フィアッセ!!まさか、私がその子達と一緒にフィアッセのガードを!?」
「……?ダメかな……?」
「いや、ダメと言うか………っと、フィアッセ達プロの歌手は、歌の素人と同じステージには立てないでしょう!?
それと同じで、私達はプロのSSとして、アマチュアとは、仕事は出来ないの!」
「歌が好きな人となら、一緒に歌うのは楽しいよ?」
「いや、そうじゃなくって……」
それは歌うのは楽しいだろう。何せ命が賭かっている訳ではないのだから。
だがガードは違う。自分の命を賭けて、保護対象の命を護るのだから。

「大丈夫。あの二人はアマチュアじゃないから……エリスも会えばきっと分かる」
フィアッセは不安など無いかのように窓の外―――空を見る。
「きっとあの子達の事………好きになる」

まるで預言者のように、フィアッセは確信を持って呟いた。








「―――結局、全部依頼者の要求を呑む、という形になってしまいましたが……?」
「仕方ないよ。フィアッセはああいう子だし……引き受けた以上、私達はわたし達の仕事をするだけ……でしょう?」
正式に契約を終え、エリス達は一度準備の為に社に戻る。その道程において零れた、同僚の不満げな言葉に、エリスはそう返した。
「しかしCSSのコンサートツアー……数年前にも、テロの標的になっていましたね……まさか、今回も?」
「………その時と、今回とでは状況が違うわ。とにかく、今は準備を急ぎましょう」
エリス達は車に乗り込み、社に向けて発車させた。







エリス達の去った校長室。イリアは少し渋い顔をしていた。
「―――それにしても、良かったんですか?エリス……彼女ももう、小さな子供ではなくて、プロのボディガードです。
ああいった事を言われると……心象として、余り良くないと思いますが?」

ああいった、とは当然『黒い髪の兄妹』、つまり恭也達の事である。
フィアッセの言葉は、取り様によっては、自分達を全く信用してないと聞こえてしまう。

「友達だもの……きっと、分かってくれると思うよ。それに、エリスもきっと、あの子達とは仲良くなれると思うから……」
フィアッセの言葉に、イリアはどうだろうかと考えた。

イリアは彼らを信頼している。ティオレを守り抜いた彼らの事を。

エリスはボディガードとして、その仕事に誇りを持っている。だからこそ、今を良く知らない恭也達の介入を快く思わない。


ただ、共通するのは――――守るべき者を守る為に、戦うという意思。


ならば、自分の心配は杞憂となるだろう。


「―――彼らに連絡は?」
「この間、メールで一寸だけ。今は香港にいるんだって」
「香港という事は……香港警防の方に?」
イリアが尋ねると、フィアッセは頷いた。
「うん。きっと二人とも……もっと逞しくなってるんだろうなぁ。それに、一緒に行った子もいるみたい。
海鳴の町も……色んな人が加わって、賑やかになってるみたいだし………懐かしいなぁ」
フィアッセは感慨深げに、空を見上げた。

自分が町を離れ、数年。記憶のままの風景もあるだろう。だが、新たな風景もまた生まれていく。



それが嬉しくもあり、同時に少し寂しい。

「あ、そうだ。折角のコンサートだし……翠屋の皆にも、チケットを贈ってあげなきゃっ!」
フィアッセはいそいそと、デスク上の電話の受話器を手に取った。

「……校長。日本は、今は夕方。お店も忙しいのでは?」
日本との時差は8〜9時間。日本は丁度、夕方ぐらいになる。
「あ、そっか……じゃあ、朝にでも掛けるしかないか」
カレンダーを見つつ、連絡する時間を考える。明日の朝に掛ければ、向こうは土曜の昼過ぎ。
電話をするにも都合が良いだろう。
「じゃあ、明日の朝の為に、さっさとお仕事、終わらせちゃわないとね……!」
フィアッセはそう決めると、残る仕事を片付ける為、デスクワークに勤しむのだった。








翌日の早朝。
フィアッセは、久しぶりの翠屋の面々との会話を楽しんだ。
賑やかしい声の中に、なのはの声が無い事に少し違和感もあったが、それでも知った声を聞けて嬉しいと思った。

コンサートが行われる事。チケットを贈りたいから、必要な枚数を教えて欲しいなど。

士郎、忍、那美、晶、レン、桃子、久遠と他愛ない会話。緻密なスケジュールをこなす彼女にとって、とても穏やかな時間。

そして、電話の相手は士郎に戻る。
「あの……士郎?恭也達にも連絡をしたいんだけど……?」
『ん?あぁ〜、あいつら今、美沙斗の所で訓練中だけど……もう直ぐメニューも終わるんじゃないかな?美沙斗に連絡を入れれば、繋いでくれるだろう』
「そう……ありがとう、士郎」
『―――フィアッセ、何かあったのか?』
「え―――っ?」
士郎の突然の言葉にフィアッセはドキリとした。
「な、何で……?」
『少し、声が沈んでいたようだったんでな……もし、何かあるなら……恭也を好きに使ってくれ。
ポンコツになった俺よりも………きっと、助けになる筈だ』
「ううん……ありがとう、士郎………じゃあ、コンサートの時にね!」
『―――あぁ、楽しみにしているよ』


電話を終え、フィアッセは不覚にも涙が零れそうになった。
何年も離れていた筈なのに、士郎は声を聞いただけで自分の心を感じてくれた。

それが、まだ自分の居場所があそこに在るという様な気がした。











次に香港警防に連絡すると、美沙斗に直ぐ繋がった。
生憎と恭也達はそこに居らず、仕方なく恭也への伝言を頼む。

そして、フィアッセはレッスンの為に、楽譜の入ったファイルを手にして、校長室を後にした。





午前のレッスンを終え、生徒と共に廊下に出ると、イリアと鉢合わせた。
「――あ、校長。丁度良かった……先程、恭也さん達から連絡がありました」
「あ、本当に……?」
「もし校長の都合が付くなら、会いに来たい。と……」
「う〜ん……」
天井を見上げ、フィアッセはスケジュールがどうなっていたか、思い出そうとする。
といっても、殆どは手帳に書いてあり、大まかな事しか思い出せない。

「――スケジュールを確認して、OKと返事をしてしまいましたが……宜しかったですか?」
「あ―――うんっ!流石イリア、ありがとう!」
イリアの優秀さに、フィアッセは素直に礼を述べる。
「週明けにも到着するようですから、出迎えの算段を付けておきます」
「ありがとう」
軽く会釈して去るイリアの背中に、もう一度フィアッセは礼の言葉を投げかける。
それを見送っていると、一人の生徒がフィアッセに尋ねた。
「あの……校長先生?」
「うん……何?」
「何方か、此処にいらっしゃるんですか?」
「―――私のね……大好きで、とても大切な子達。幼馴染なんだ」
フィアッセはとても素晴らしい笑顔で、生徒に答えた。











「いやっと着いた〜ッ!!やっぱり地面の上は良いねぇ〜ッ!!」
そして週明け。ついに、ロンドン国際空港に降り立った恭也、美由希、連音の三人。
地に足が着く事に感激し、はしゃぐ美由希に、連音は疲労の顔で冷たい眼差しを送る。
「ハァ……なんで訓練より疲れてるんだろう、俺……」
「もう、これから迎えの人が来るんだよ?シャキッとしきゃダメだよ!」
疲労の原因は明らかに美由希であるというのに、この言い様。
連音も一寸、カチンと来た。

「―――じゃあ、帰りは俺が美由希さんを抱えて、空を飛んであげますね。高度4000mの風を、直に感じて下さい」
連音がニッコリと言うと、美由希の顔が凍りついた。

「じょ、冗談………だよね?」
「……………さぁ?」

言い知れない緊張感が、二人の間に流れる。



ちなみに恭也はといえば。
「ほう……中々に良いセンスをしているな」
マニアックにも宇治茶の入った自販機を見つけ、興奮していた。

「えっと…………何、この空気?」
そしてそこには、CSSからの迎えの人物がやって来ていた。

迎えというには豪華な人物―――アイリーン・ノアでさえ、この状況を理解できないでいた。


















「――はい、分かりました……では」
「ん……?」
「アイリーンからです。到着したと。今、こちらに……それと」
「それと……?」
「もう一人、連れの方がいると。問題は無さそうので……一緒に来るそうです」
「分かったわ。ありがとう」


「………」
イリアとフィアッセのやり取りを聞き、エリスは複雑な表情だった。
「エリス、二人とも来るって……?」
フィアッセはエリスの表情に、すぐに気付いた。

「―――まぁ、良いんだけど。もう、子供じゃないんだし……馴れ合いは出来ないからね?」
「嫌だよ、仲良くしてくれないと?エリス……恭也とは同い年で、幼馴染なんだし。子供の頃は凄く仲良かったじゃない……」
いつの間にか目の前に来ていたフィアッセがエリスの髪を撫で、優しく乞う。
しかしエリスの表情には、不満の色がありありと見えた。
さながら、我侭を諭された子供のように。

「そんな懐かしい子と会う時は、子供で良いと思うけど?」
「―――もう、顔も覚えていないよ。それに、子供の頃を思い出すのは……あんまり好きじゃないんだ……」
「エリス………っ?」
フィアッセが口を開きかけた瞬間、校長室のドアがノックされた。

「はい、どうぞ?」
「……こんにちは」
ドアが開き、一人の女性が入ってくる。その顔を見たフィアッセの顔に歓喜に変わる。
「美由希!!」
「フィアッセ!!」
二人は再会に喜び、思わず駆け寄った。手を繋ぎ、その温もりを感じ合う。
「久しぶり、美由希……元気だった?」
「うん、元気だよ。フィアッセも元気だった?」
「うん!美由希……ちょっと、大人っぽくなった?」
「え、そうかな……?フィアッセだって、大人っぽくなったよ?」
久方ぶりとなる家族との会話に、二人が夢中になっている間に、後ろに続いた恭也と連音がドアを閉じた。

「あっ、恭也!!恭也も久しぶり……元気だった?」
恭也を見つけると、フィアッセは興奮気味に駆け寄った。そして愛おしそうにその頬に触れる。
「あ、あぁ……相変わらずだ」
気恥ずかしさを感じつつ、しかし再会の嬉しさに恭也の顔も若干、綻ぶ。

「―――?あ、もしかしてこの子が、もう一人のお客様?」
フィアッセは恭也の後ろに立っている連音に気付き、尋ねる。
「あ……始めまして……辰守連音です」
顔をズイ、と寄せられてしまい、連音は半歩ばかり後ろに下がる。

まさか、光の歌姫とまでいわれる人物が、家族相手とはいえ、こんなにもフランクだとは思わなかった。
その為、少しばかり戸惑いを覚えてしまう。

そんな自己紹介にフィアッセは嫌な顔をせず、むしろニコニコと笑っている。
「始めまして、フィアッセ・クリステラです。よろしくね、連音ちゃん?」
「……………………はい?」
一瞬、自分の耳を疑ってしまう。
「でも、一緒に来たのがこんな、可愛い女の子だなんて思わなかったわ。何か、忍に似てるわね……もしかして、親戚の子か何かなのかしら?」
「あぁ……忍の遠縁に当たる子だ………だがな……」
フィアッセが恭也に尋ねると、恭也は苦笑いしつつ答えた。
美由希も同じく、苦笑いを浮かべている。その事に、フィアッセは首を傾げた。

「えっとねフィアッセ……連音君は、男の子なんだよ?」
「え……?えぇーーーっ!?」
フィアッセは美由希を見、そして恭也を見た。
本当なのかと目線で問い掛けると、恭也はコックリと頷いた。

そして連音を見れば、部屋の隅っこで、壁に向かって体育座りしていた。
その背中には凄く影が差している。

「もう、どうでもいいや……きっと、一生言われ続けるんだ………ははん……」


「…………もしかして地雷、だった?」
「超ど真ん中ストレート、100マイルって感じだな」
「え〜っと……ご、ゴメンね……?」
どうすれば良いか分からず、フィアッセはとりあえず謝っておく。

「………良いんです。もう慣れてますから………」
連音は壁にのの字を書いている。言葉と行動が全然伴っていない。
「放っておいても大丈夫だ。いずれ復活する」
流石に恭也は、対応も慣れたものであった

「―――コホン。お二人とも遠路遥々のお越し、お疲れ様です」
このままだと話が進まない。と咳払い一つ、イリアは話を切り出す。
それを受け、恭也と美由希の表情も真剣なものに変わる。

そしてそれは、いじけている連音の思考も、直ぐに切り替えさせた。

「詳細は電話でお話した通りです。あれから特に動きはありません……願わくはこの事件が単なる悪戯で、
皆様にはこちらでしばらくの休暇と、当スクールのコンサートツアーを楽しんで頂けると良いのですが……」
「……そうなると良いですね。杞憂で済むなら、それが一番ですし……でも、何かあった時には、きっとお役に立ちますから……!」
「―――ありがとうございます」
美由希の頼もしい言葉に、イリアは礼を述べ、フィアッセも微笑んだ。


早速、室内に持ち込まれたのは、航空便の木箱。
通常貨物と違う、香港警防からのルートで運ばれたそれの封を、美由希が解く。

蓋を外し、美由希は刀袋に納められた、一振りの小太刀を取り出す。
「恭ちゃん、八景」
「―――あぁ」
恭也は美由希から愛刀を受け取る。

八景。父、士郎から受け継いだ不破家に伝わる品であり、全てが黒塗りの小太刀。

その重さを感じつつ、恭也は箱に収められた暗器の類を取り出し始めた。


「―――――」
エリスはその光景を、冷ややかに見つめていた。



「皆、移動しっぱなしで疲れてるでしょう?お部屋を用意してあるから、ゆっくり休んで?」
物を取り出し終え、後は互いに用意をするだけとなった所で、フィアッセが声を掛ける。
「ありがとう。でも、その前に……ね?」
「あぁ……ちゃんと、挨拶をしておきたい」
二人がそう言うと、それだけでフィアッセも頷いた。
「―――うん。ママも喜ぶよ」










学園の敷地が一望できる小高い丘の上。

手入れの行き届いた花壇と、綺麗な花々が彩るその場所に、世紀の歌姫ティオレ・クリステラは眠っていた。

墓前には、真新しい花束が幾つも詰まれてある。そして墓石も、汚れ一つ無く、美しいままだ。

「花……増えたね。それにお墓も……綺麗なままだ」
美由希は花壇を見回して言った。
「うん、スクールの皆が世話をしてくれているの……態々、遠くから来てくれる人もいるんだよ……」

「………」
恭也は供えられた花束を見て、ふと、ここでティオレと言葉を交わしたときを思い出した。











車椅子に座り、もう自力で立てない程に弱ったティオレ。
それを押しながら、恭也はこの場までやって来た。

夕焼けの美しい、今日のような日。スクールを見つめながら、ティオレは呟いた。
「私は……なんて幸せ者なのかしら……」
振り返り、恭也に優しく微笑む。
「生きたいように生きて、思い残す事も別に無い。……あの子も、もう一人前だし……私の歌を、魂をちゃんと継いでくれたわ。
いいえ、フィアッセだけじゃないわ……アイリーンや、エレン……多くの子達が継いでくれている。
あ、恭也……この事は、あの子達には当分内緒にね?」
「―――はい」
恭也はつい、笑いを零して返事をする。ティオレもまた、笑みを零した。

「―――私はここで、見ているし……聞いているわ。世界の何処で歌っていても、ちゃんとね……」
風が段々と、冷たさを孕んで吹き始める。
「冷えてきましたね……そろそろ戻りましょう?」
「えぇ……そうしましょう」

恭也は再び車椅子を押し始める。車輪が音を立てて回り、緩やかに木々が流れていく。

「あ、そうだ。一つだけ心残りというか……恭也にお願いがあるのだけど?」
「何ですか?」
「―――うちの子、お嫁に貰ってくれない?」
「ブッ!!な、何を言ってるんですか!?」
「良いじゃない。老い先短い私に、あの子のウェディングドレス姿を見せて頂戴な?」
「良くないです!!それに俺には恋人がいるんですから!!」
「あら、恭也……ここはイギリスよ?」
「だから、何ですか!?」










「っ………」
余計な事まで思い出してしまい、恭也は顔を伏せる。

(ティオレさん……あなたは今もここに……いや、多くの人々の中で……生きているんですね)



日が傾いて茜色の染まる中、来る途中で買った花束を墓石に供える。
手を合わせ、三人はその冥福を祈った。

「ティオレ・クリステラさん……出来たら、生きている間にもう一度、お会いしたかったです……」
「え?連音君、会った事あるの?」
「母と兄と一緒に……ていうか、俺は全く覚えていないんですけど……」
ここに来る前、予定が変わった事を伝えた。その時に兄から聞いた話がそれだった。

兄である束音はティオレの事を鮮明に覚えているらしく、色々と話をしてくれたのだった。


「どうして会ったのかとかは、聞いてないんですけど……だから、一言でも交わす事が出来たら良かったなって……」
「………そっか」

墓前で、美由希と連音がそんな話をしていると、恭也は先に立ち上がり、そして振り返った。
視線の先にいるのは、下がった所から様子を見ているエリス。
「っ……?」
恭也は、いぶかしむエリスの前まで進み出ると、スッと手を差し出した。
「久しぶりだな、エリス」
「―――キョウヤ・タカマチ。まさかとは思うけど……フィアッセのガードを買って出るつもり?」
エリスはその手を一瞥すらせず、恭也を睨みつける。その瞳には、強い拒絶の色が浮かんでいる。
恭也はその瞳に気付かないふりをしつつ、差し出した手をポケットに納める。
「……フィアッセがそれを望むか、フィアッセが危険に晒されるのなら……そういう事になる」
その言葉に、エリスは少しだけ視線を落とす。
「―――その“玩具”を使って?」
「玩具じゃないさ」
恭也は強い口調で、エリスの前に刀を突き出す。
「人の命を奪える―――凶器だ」

一際強い風が吹き抜ける中、二人は互いを見据え合う。

エリスは口にこそしていないが、「関わるな。邪魔をするな」と言い、恭也はそれを真っ向から否定した。

互いの信念は真っ直ぐで、だからこそ、容易には交わらない。


「……ハァ」
やがてエリスは、溜め息を吐いた。この場ではこれ以上言っても、無駄な口論となるだけだと思ったのだ。
「フィアッセ、そろそろ良い?もうじき暗くなる……そろそろスクールに戻ろう?」
「あ、そうね……夕食の時間だしね」
ここはスクールからは距離がある。暗くなれば足元さえ危うい。だからエリスはそういったのだが、ずれた解釈をされたようだ。


「―――後で話がある。それまでの間、頼むから大人しくしてて」
通り過ぎざま、エリスは恭也に小さくもハッキリと言うと、そのまま返事も聞かずに行ってしまう。


「校舎裏に呼び出しですか?」
連音は恭也の隣に付き、尋ねてみた。
「聞いていたのか?趣味が良くないんじゃないか……ていうか、校舎裏って何だ?」
「いや〜、話があると言われて呼び出されるのは、校舎裏が鉄板でしょう?」
「きっと、錆びまくった鉄板だろうな」
「で、呼び出しの内容に心当たりは……?」
「さぁな……少なくとも、艶っぽい話ではないだろうな………」
そう言って、恭也は肩を竦めた。
















夕食後、恭也はエリスに呼び出され、美由希はまだ用意を終えていない武装を整理する為に部屋へ向かった。


そして連音は、静かな夜を散歩していた。
風は心地良い冷たさを孕み、頬を撫でていく。

暫く敷地内を散策していると、草むらに物音が鳴る。
「……?」
暫く見ていると、兎がひょっこりと顔を出した。
しゃがんでチョイチョイと指で呼ぶと、少しして兎が寄って来た。
「よしよし……」
優しく頭を撫でてやると、兎は目を細めて心地良さそうにした。


「―――こんな所で何をしている?」
「あっ……あ〜あ」
突然の声に兎は驚き、草むらの向こうに逃げてしまった。
仕方なく連音は立ち上がり、振り返った。

声の通り、そこには不機嫌そうなエリスが立っていた。何故か着ていたジャケットの袖の片方が短くなっている。
「幾ら敷地内でも、夜に子供一人で出歩くのは危険だ。さっさと戻れ」
「ご忠告どうも。でも自分の身ぐらい……自分で守れますから」
そう言って肩を竦めて見せる。と、エリスの表情が険しくなる。
「君はどうしてここに来たんだ?まさかキョウヤみたく、フィアッセを守りに来たとか、言うんじゃないだろうな?」
「俺は、あの人の歌を楽しみに来ただけですよ。尤も、それを邪魔する奴がいるなら………叩き潰すだけですけど?」
「……残念だが、子供の出番は無い。君は、大人しくしている事だ」
連音の言葉を子供の戯言と受け取ったのか、エリスはそのまま行ってしまった。

やれやれと思いつつ、散歩に戻ろうとすると、向こうから今度は恭也がやって来た。
「こんばんは、恭也さん」
「散歩か?」
「えぇ、まぁ。恭也さんは………エリスさんと、どんな話を?」
「そうだな……色々とな」
「エリスさん、豪く機嫌が悪いようでしたけど?」
「エリスに会ったのか……やれやれ」
恭也は苦笑いし、そして連音に事情を話した。

エリスは恭也に、自分の仕事を邪魔するなと警告した。しかし恭也はそれを、直接的でないにしろ断った。

エリスは銃器中心の時代に、刀やナイフといった刀剣類に拘るのかといった所にまで不満をぶつけたのだった。

「――そりゃあ剣士ですからね、刀は使うでしょうに」
連音は話を聞いて、ちょっと呆れてしまった。剣士が剣や刀を使うなど、当たり前の事だ。
「向こうは、それじゃ納得しないらしいがな……」
銃は刀剣と違い、射程距離が長い。その上、扱いは刀に比べ容易で、誰が使っても威力に違いは無い。
武器という点で、これほどメリットの多い物はそうは無い。

だから、世界中に銃は普及しているのだ。


「だがまぁ、エリスの仕事を邪魔する気は無い……何事も無いなら、大人しくしているさ」
「そうですね……」
二人は満天の星空を見上げた。

願わくは何事も無き事を。そう、星に願いを込めた。















翌日。
連音は人気の無くなった食堂で一人、朝食をとっていた。
元より食を多く取らない連音のメニューは、トーストと、ドレッシングの掛かっていないサラダとスクランブルエッグ。そして紅茶である。

CSSは男子禁制。連音と恭也がいるのは特別である。
なので二人はその容姿も相まって、必然的に注目を集めてしまっていた。

特に連音は生徒達に可愛がられ、よく撫で繰り回されそうになった。
なので、時間を外して朝食を取っているのだった。


食事を終えて校内に入ると、せわしなく生徒達が動いている。
ダンボールを持って走る生徒。パソコンで楽譜のデータを整理する生徒。

そんな彼女達を尻目に歩いていると、恭也達が見覚えのある人物と話している。
「お早うございます、アイリーンさん」
「お早う。夕べは良く眠れた?」
「まぁ、ぼちぼちと。皆、忙しそうですね……やっぱりワールドツアーが近いからですか?」
「えぇ。皆がステージに上がる訳じゃないけど……ステージをセッティングしたり、サポートしたりするのは、ここの学生達の仕事だからね。
ここを卒業して、立派な歌手になった先輩達がね……満場の拍手の中で歌うのを見て、
いつか、私もあの部隊に立ちたい、って夢を見るんだよ」
「正しく、『夢の舞台』って事ですか」
連音はアイリーンの言葉に納得した。生徒達の顔は皆、生き生きとしている。夢を真っ直ぐに追い掛ける、そんな瞳だ。
「それに、フィアッセが校長を継いで、最初のコンサートだし……失敗する訳には行かないって気持ちもあるかな……」
「――そうですね」
アイリーンの言葉に連音だけでなく、恭也と美由希も頷く。
「わっ……?」
「っ……?」
突然、アイリーンは恭也と美由希を抱き寄せ、その耳元で囁く様に言う。
「……今回、何か凄く嫌な予感がするんだ。勝手だけど……あの子の事、お願いね……恭也、美由希」
「はい……!」
「きっと、守ります……!」
「――――ありがとう」
守れるなら守りたい。でも、その力は自分には無く、こうして頼む事しか出来ない。
アイリーンの無力への無念と、真摯な思いを受け止め、二人は決意を新たにする。

「アイリーン」
と、そこに何故か刺々しい声が掛かった。
四人が振り向くと、厳しい表情をしたエリスが、こちらに向かって歩いている。
「お早う、エリス。服、いつもと雰囲気違うね……どうしたの?」
「別に……フィアッセは?」
「えっ、校長室だけど……?」
「ありがとうございます」
アイリーンの言葉に、やはり刺々しい言葉を返し、エリスはそのまま足を止めずに通り過ぎてしまった。

「……何か、何時にも増して愛想の無い事。恭也……昨夜、何かあったの?」
「えぇ……色々と」
「人気の無い所で、色々とやったと?」
「えぇ…………ッ!?いや、待って下さい!!何を言ってるんですか!?」
思わず返事をしてしまい、恭也はハッとする。
「恭ちゃん……何をしたの!?」
そう聞きつつ、美由希が後退っていく。
「恭也……あなたって………ケダモノ?」
アイリーンも同じくツツツ、と下がっていく。
「いや可笑しいでしょう、そのリアクションは!!連音君、何とか言ってくれ!!」
恭也は最後の希望と、連音に助けを求める。
「まさか、エリスさんの服があんなになっていたのって………恭也さんが!?」
「誤解を深めるような、言い回しをするなぁっ!!」
最後の希望はあっさりと消えた。









「――校長、そろそろ時間です」
昼前になって、イリアは仕事中フィアッセに声を掛けた。
「あ―――うん、ちょっと待って」
フィアッセは書類を整えて引き出しに仕舞うと、鍵を掛ける。
フィアッセに合わせ、エリスもソファーから立ち上がる。
「劇場の視察、だよね……ご一緒させてもらうよ?」
「うん。あ、恭也と美由希と、連音君も一緒で良いかな?」
「フィアッセ……!?」
「あ、違うよ。劇場の近くに、美味しいイタリア料理店があるから、一緒にどうかなって……エリスも好きでしょう、イタリアン?」
「っ……そりゃあ、好きだけど」
「うん、じゃあ決まり!!」
「……はぁ」
フィアッセは嬉しそうに手を叩き、エリスは深く溜め息を吐いた。








誘いを受けた連音達は、早速ガードの一人に頼み、劇場の見取り図を見せて貰った。

「何をしている?」
ボンネットの上の地図を見ながら、様々な状況を想定していると、エリス達が現れた。
「あぁ、皆さんが、これから向かう建物の地図が見たいと……」
「ッ……」
途端、エリスの視線が厳しくなり、恭也を睨みつける。
「邪魔はしない。約束したろう……?」
「………ふん」
エリスはそのまま、車に乗り込んでしまった。
先に乗車していたフィアッセとイリアは、その様子に首を傾げた。

「……俺達も車に乗るぞ?」
恭也達は、フィアッセ達の前を行く車に乗車した。

車は直ぐに走り出し、CSSの敷地を出る。
その車中、恭也は連音に尋ねる。

「劇場の様子、どう思う?」
「今日は一般の客もいるみたいですね。襲うなら……被害者が立ち寄る可能性が高く、かつ警備が行き届かない場所……」
「そんな都合の良い所……あっ!」
美由希は首を傾げ、そして思い至る。
「そこでは美由希に頑張って貰わないと……」
「……うん、頑張るよ」


車は順調に、劇場への道を進んでいく。










「これはこれは。ようこそ、いらっしゃいました」
「こんにちは、支配人。お久しぶりです」
「さぁ、どうぞこちらへ」
劇場に到着し、フィアッセとイリアは出迎えた支配人に続いて奥に向かう。

一緒に向かうかと思われたエリスは、部下にフィアッセに付くように言うと、もと来た道を戻っていく。
「エリス、何処へ……!?」
「―――邪魔するなと言ったろう?」
取り付く島も無く、エリスは行ってしまった。

「うぅ〜っ、私、あの人苦手……」
やはりキツイ語尾のエリスに、美由希は顔を顰める。
「そう言うな。それより、美由希はフィアッセに付いてくれ。俺達は劇場内を見回ってくる」
「うん、分かった。気を付けてね」
美由希は刀の入った円筒状のバッグを抱えて、追い掛けていった。

「じゃあ、俺達も行くぞ?」
「はい」
連音と恭也は二手に分かれ、劇場内を見回った。

通路の細かい所まで見ていくが、不審な物などは無かった。
合流し、今度は大ホール内の調査に向かう。
恭也は二階席を、連音は一階席を見回る。

「特に異常は無いか……」
先に調査を終えた恭也は、壁に寄り掛かりながら、入り口に置いてあった劇場の見取り図を開く。
犯人が遺産を目的に、何らかの形でフィアッセを狙うとすれば、ここで何かを仕掛けてくる筈だ。

ガードが付いた以上、CSSの敷地内で襲う事は難しい。
この後フィアッセはコンサートの為、イギリスを発つ。

襲撃の機会は、ここしか無い筈なのだ。



見取り図を見ながら思考していると、同じように見回っていたのだろう、エリスが現れた。
視線が合って早々、エリスは恭也を睨みつけた。
「エリス?」
「大きな事を言っておいて、何をこんな所でのんびりといるッ!?」
「おいおい。邪魔をするなと言ったのは君だろう?」
「うっ……!」
恭也のツッコミに、エリスは口篭る。邪魔をするなと確かに言ったのに、恭也に怒るのは筋違いというものだ。

「あ、そうだ……昨夜はすまなかった」
恭也は昨日、エリスと揉めた時にエリスの服を駄目にしてしまったのだ。
まだ謝っていなかった事を思い出し、恭也は頭を下げた。
「……別に良いさ。仕掛けたのはこっちだし……どうせ安物だ」
恭也に謝られた事にエリスは、ばつの悪そうな顔をする。
「何なら、俺が直すが?」
「は……?」
「これでも、裁縫は得意だ」
恭也がそう言うと、エリスは突っかかる自分が馬鹿馬鹿しくなったのか、大きく溜め息を吐いた。

「奇妙な男だな……君と話していると、毒を抜かれる」
「本業は喫茶店の店員だからな。同僚の店員や友人に、相手をリラックスさせる会話を心掛けろ、と訓練されているからな」



『お客さんには、優しく温かくね』
『そうやって接してあげないと、駄目ですよ?』
『師匠、顔は良いけど……無愛想な所がありますからね』
『会話だけで無し、もう少し……笑顔の練習とかも、しないとあかんと思いますよ?』




その時を思い出したのか、恭也は笑ってしまった。


「話は変わるが……今回の件、君はどう見ている?」
一転、真剣な表情で恭也はエリスに尋ねる。
「……悪質なファンか、有名人に付きまとう性質の悪い変人か……そのどっちかだろう?
ティオレ・クリステラの遺産は幾つも在るけど……脅迫状の主が要求してきている物に依頼主―――イリアにも心当たりは無さそうだ」
エリスは少し考え、根拠も添えて答えた。
イリアはティオレの信頼厚い人物である。その彼女が、フィアッセに危険が迫っているというのに、そんな嘘を吐く理由が無いのだ。

だが、恭也はそれに納得出来ない。
「――遺産について、調べたのか?」
「……いいや。依頼主のプライバシーだからな、私達はそこまでは…………そんなに重要な事か?」

「―――重要でしょうね、間違いなく」
「ッ!?」
突然、掛かった声にエリスは驚く。振り返れば連音が、何時の間にかそこに立っていた。
「どうだった?」
「異常は無し……で、遺産の事ですけど……」
連音は恭也を見る。恭也は頷き、口を開いた。
「可能性として……例えば、イリアさんが嘘を吐く人とは思わないが、イリアさんでさえ本当の事を知らなかったり、
あるいは何らかの理由で、嘘を吐かざるを得ない状況ってのもある……」
「特に、後者であった場合……イリアさんは誰かに、強く口止めされている可能性がありますね。
彼女に嘘を吐かせるほどの人物………例えば、亡くなったティオレさん自身とか」
「……少し、調べてもらおう」
「そうですね。うちの方にも回しておきます」
「頼む」
連音は頷き、階段を駆け下りていった。
エリスはどこか怪訝そうに、二人を見ていたが、恭也がホールを出るのを見て、それを追い掛けた。


盗聴のされ難い公衆電話から、掛けるのは国際電話。

暫くのコールの後、目的の場所に繋いでもらう。
『ハイ、代わりました。六番隊副隊長の弓華です』
出たのは、香港警防の菟 弓華。元、龍の構成員という肩書きを持つ女性である。
「こんにちは、高町ですが……」
『あぁっ、キョウヤ!!久しぶり〜っ!!今回は会えなくて残念でしたけど……元気だった?』
「えぇ、おかげさまで……ところで、一寸調べて貰いたい事があるんですが……」
『調べ物?何を調べるんですか?』
「ティオレさんの遺産について……どんなものでも良いんで、出来るだけ早く、お願いしたいですが……」
『はいはい、オッケー。そうですね……数時間でリターンできると思いますよ。リターンは暗号通信の方が良いですよね?』
「えぇ、お願いします」
『はい、お任せ!じゃ、ミユキにも宜しくね〜!』
「分かりました。では、失礼します」
『は〜い!』


「……一体、何処に掛けていたんだ?」
いつも通りな調子の弓華との電話を終えた恭也に、エリスが尋ねる。
「香港警防にな……数時間で返してくれるそうだ」
「―――ッ!?香港警防に、知り合いがいるのか!?」
「美由希の母親が四番隊の隊長なんだ。ここ数年、美由希と二人で、訓練や何かでお世話になっているんだ」

香港警防隊。その名前にエリスは驚愕した。


世界屈指の司法集団、香港警防。

正式名称を『香港国際警防隊』と言い、その力と悪名を世界中に轟かせ、あらゆる犯罪者が、その名前に震え上がるとさえ言われている。


曰く、法を守る為ならば、如何なる法をも打ち砕き、悪を討つためならば如何なる悪にでもなる―――最悪にして、しかし最強の正義。



「―――君は、あそこの人間なのか……?」
驚きの余り、声が僅かに上ずってしまう。
「今の所はまだ……ただ、将来の道筋の一つではあるな。美由希も誘われてはいるけど、あいつも今の所は……その気は無いようだ」
「……?待て……じゃあ、あの子は?」
「あぁ、連音君はまた別さ。ここに来る前に、香港警防の訓練に一緒に参加していて……その流れで、一緒にこっちまで来たんだ」
「なッ……!?あんな子供が……香港警防の訓練に!?」
またしても、エリスは驚かされた。最強の司法集団、その訓練は当然、苛烈である。
その訓練に、参加した子供など聞いた事も無い。

「あの子は強いぞ……見た目で判断したら、一瞬と経たずにやられるだろうな」
恭也が冗談めかして言うが、エリスはそれ処ではなかった。
「君達は、一体……?」
「君とフィアッセの幼馴染と、コンサートを聴きに来たゲストさ。物心付いた頃から偶々、近くに“刀”が在った……ただ、それだけだよ」

搾り出したようなエリスの問い掛けに、恭也はそう答えた。














連音は里に連絡をとる為、劇場脇の人気の無い所に来ていた。
『――では、詳細が分かり次第、お伝えします』
「あぁ、宜しく頼みます」
竜魔に連絡を終え、連音は端末を仕舞う。

「―――さて、こんな子供に大勢で……何の用ですか?」
連音は伏せていた顔を上げ、周囲を一瞥した。

植込みの影から、十人もの男達が現れる。
「クックックッ……」
「ヒヒヒ……」
とても正気とは思えない様子の男達は、ナイフや銃器で武装を施していた。
“主”
「あぁ……この鼻腔に纏わり付く、氷の様な冷たく不快な臭い………洗脳性の強い新型麻薬の臭いだ」
“起動ノ是非”
「必要無い」
連音は男達を一瞥し、ゴキリと指を鳴らした。

風が、吹いた。

「ヒャッハーーーーッ!!」
その瞬間、一人が飛び出してナイフを振り上げる。
凶刃を目の前にし、しかし連音は動かない。
「―――フッ」
ナイフが連音の突き刺さる瞬間、連音の姿が消える。
「ヘグッ……!?」
一撃を躱し、連音の指が喉仏の下――鎖骨の窪みに突き刺さる。
器官を潰され、男の息が止まる。すぐさま連音はその腕を掴み、地面に叩きつける。
顔面から落とされ、一人目が倒されると、それを皮切りに、一斉に襲い掛かってきた。


連音は高く跳躍しての宙返りから、一人の両肩に目掛けて膝を落とす。
ゴキン、という音と共に肩の骨が砕け、連音は頭に徹を込めた肘を打ち込む。

連音目掛けて拳銃の引き金が引かれ、乾いた音が響く。仲間ごと射撃の的にされるが、連音は男の背中に転がるように移動し、それを盾に躱す。
血飛沫が舞い散るが、連音の表情に僅かな揺らぎも無い。

男の背を押し、すぐさま駆ける。
一瞬で銃を持った一人の後ろに回りこむと、膝の後ろを蹴折って、体を落とさせる。

首に腕を絡めて締め上げると、銃を持った手を掴み、銃口を向けさせて引き金を引いた。
オートマチックの拳銃から何発もの銃弾を撃ち、男達の足や腕を撃っていく。
「っ……!」
弾切れになった瞬間、首に回した腕を外して体を振り向かせる。
がら空きの体に連音の掌が触れる。刹那、男の体が弾ける様に飛ぶ。
数人を巻き込み倒れ落ちると、その隙に連音は駆け出した。
「ハァアアアアーーーッ!!」
そこに向かえ討つ様にナイフを持った二人が襲い掛かった。
連音は一撃を躱すと、そのままもう一人の腕を掴み、肘目掛けて拳を叩き込む。
ベキッ、と音を鳴らして肘が砕け、ナイフが零れ落ちる。
「フッ!!」
すぐさまそのナイフを蹴り飛ばし、もう一人の足に突き刺すと、それを足場にこめかみを爪先で蹴り飛ばした。
「せいやぁッ!!」
そして腕を掴んだまま体を捻り込み、地面に倒れ込むようにして頭から叩きつけた。

連音はすぐさま起き上がると同時に、腰から暗器を取り出して両拳に嵌める。
吹っ飛ばした男を退かし、立ち上がろうとする一人の顔面に目掛けて、鋭い一撃を見舞う。
暗器を通し、骨と歯の砕ける音が伝わる。

連音は更に別の男にも拳を叩き込んだ。血を噴きながら吹き飛んでいく。
「これが本当の“鉄拳”制裁――って、通じないか?」


連音が付けたのは、鉄拳という暗器。
メリケンサックに刃が付いた形状のそれは、いわゆる隠し武器として使われる事が多い。
ただし、連音の鉄拳は歯止めが施されており、純粋に打撃強化の意味で用いられている。

故に、拳の先の鋭角なそれは、連音の打撃を必殺の一撃に昇華していた。


「アァアアーーーーッ!!」
「ヒャアアアーーーーッ!!」
連音に銃で撃たれ、その体から血が流れているにも拘らず、奇声を上げ、更に襲い繰る男達。
「―――阿呆が。突進するだけの獣に、俺を殺れるかッ!」
連音は一気に神速の領域に飛び込む。モノクロの世界の中で、連音の拳が次々に叩き込まれていく。


時間にして三秒。
男達は吹き飛び、倒れたまま動かなくなった。


“敵全勢力 無力化確認”
全員を倒した事を確認し、鉄拳に付いた血を振り落として仕舞う。
「しかし、何だって俺に……?」
敵の狙いはティオレの遺産であり、フィアッセの筈である。彼女を襲う為にきた連中と鉢合わせてしまったのか、それとも関係者として狙われたのか。

「動くな!そこで何をしているっ!!」
「――っと」
流石にドンパチとやってしまったので、警備員が二人駆けつけてきた。銃を構えるので、仕方なく両手を上げる。
「これは……一体、何があったんだ?」
「えっと、とりあえず警察と救急車……後、劇場にマクガーレン・セキュリティサービスの人がいると思うんで……呼んで来て貰えますか?」
手を上げたままで連音が頼むが、言われるまでも無く警備員は無線で応援を呼んだ。


さて、自分はどうしたものかと考えていると、抵抗の意志が無いと判断されたらしく、銃を納めてもらえた。
代わりに、しつこく何があったのかを問われる事になったが。

数分後。エリスの部下が駆け付けたお陰で、連音は開放された。
「……じゃあ、フィアッセさんも襲われたんですか?」
「でも、本人に怪我はないし……襲った連中も既に取り押さえられているよ」
「そうですか、良かった……。でも、だからなんですね……警察がこんなに早く来たのも」
連音の耳に、パトカーと救急車のサイレンの音が聞こえた。





劇場内では、到着した警察が現場検証を始め、関係者への簡単な事情聴取も行われていた。

「ごめん、フィアッセ……私が付いていながら……」
「ううん、平気だよ……」
エリスは後悔した。どこかで事態を甘く見ていた。そんなつもりは無くても、そうなってしまっていたと。

フィアッセを襲った男達は、美由希によって倒されて拘束された。

他に、ショットガンを持った薬物中毒者と思われる男も、恭也によって撃退。


そして、もう一つ。
エリスの視線は横にスライドする。

その先にはソファーに腰掛け、呑気にオレンジジュースなどを飲んでいる連音。
警察が行き交うピリピリとした空気の中、その姿は余りにも不釣合いである。

部下の話によれば、連音が遭遇したのは十中八九フィアッセを襲った連中と繋がりがあるようだ。

勿論、彼らは凶器を所持していた。しかしそんな相手を、たった一人で全滅させてしまったのだ。
本人にしてみれば大した事ではないが、他の人間から見れば、驚く他は戦慄するしかない。

「………あ、恭也さん。何ですか、その手に持ってるのは?」
向こうで警察と話していた恭也とが美由希が戻ってきた。と、連音は恭也の持っている物に目が行った。
「あぁ、これか……犯人からのメッセージだ。どうやら今回は、只の挨拶らしい……」
「見せて貰っても良いですか?」
「あぁ」
恭也からメッセージカードを受け取ると早速、内容を確認する。
「おいキョウヤ!勝手な事をするなっ!!」
エリスは大事な物証となる物を、自分ではなく連音に渡した事が不満らしく、睨む。
「そう言うな……無関係とも思えないんでな」
「……?」
「………なるほど。多分、恭也さんの言う通りですね」
エリスを尻目に、カードを読み終えソファーに放り投げる。

エリスはそれを取り、読んでみた。

『こちらからのご挨拶は如何でしたか。気に入って頂けたでしょうか。
また改めて伺おうと思います。その際には、もっと素敵なプレゼントを用意したいと思っています』

そしてカードの端には、黄色のクローバーと死神の鎌を重ねたマーク。




「今回、俺とエリスが押さえた奴は囮だろう」
「でもって本命はフィアッセさん………じゃなくて俺、ですね……間違いなく」
ジュースの缶を傾け、事も無げに言う連音に、フィアッセとエリス、美由希が目を見開いた。
「どういう事なの連音君?あなたが本命って……ッ!!まさか!?」
「……?」
フィアッセのリアクションに連音と恭也は疑問を持つ。エリスを見れば気まずそうな表情。
どうやらフィアッセには、連音が襲われた事は知らされていなかったらしい。
賢明と言える判断だが、その気使いは逆効果になってしまった。

口にしてしまった事は仕方無しと、連音は続ける。

「犯人の狙いはティオレさんの“最後の遺産”。その鍵であるフィアッセさんを追い詰めたい。
しかし殺してしまっては元も子もない。だから、手を変えてきた。
もしここで、自分のせいで無関係な人間……しかも、子供が襲われて死亡、ないしは怪我をさせられてしまったら?
本人を襲うよりも効果的に、フィアッセさんを追い詰める事が出来る……でしょう?」
「ッ!?じゃあ、私のせいで……連音君は危険な目に遭ったの……!?」
「フィアッセさんが気に病む必要なんて無いですよ。そんな事したら、向こうの思う壺ですから」
「でも……!」
辛そうな表情のフィアッセに、連音は笑って答える。
「あの程度の連中、百ダース来たって問題にもなりませんって」
そう言ってヒラヒラと手を振ると、今度はエリスが睨むような視線をぶつけてきた。
「ふざけている場合かッ!!君は命を狙われた……殺されかけたんだぞっ!?」
「―――別に、命を狙われたのは初めてじゃないですから」
「ッ……!?」
連音が何事も無いかのように言うと、エリスとフィアッセが驚きに目を見開いた。

「でもこれで、敵の本命は見えてきましたね」
「あぁ、そうだな」
連音の言葉に恭也が頷く。

「敵の本命は……恐らくはコンサートツアーだ」





















薄暗い室内に、男の低い声が響く。
「―――あぁ、“挨拶”はちゃんと済ませたよ。あっちの方からも助っ人を呼んだ。腕の良い戦闘者達だ。………相手のデータ?あぁ、貰ってるよ」
コルクボードには、フィアッセの写真と共に新たな写真が数枚、張られている。
「K−14。本名不明。国籍不明。香港か中国、あるいは日本人。香港警防の関係者。使用武器はナイフ全般に刀。
……あぁ、凄いな。敵対した相手に実に容赦が無い。その関係者と思われるもう一人もだ。どちらも若いのに大したものだ」
『………!?』
「あぁ、分かっている。ところで、一緒にいた子供のデータはどうだ……見つからない?どういう事だ……?」
『………!!』
「ほぅ……存在しながら、しかし存在しない子供か……面白い」
『………?』
「あぁ、大丈夫さ。あの時は少々しくじったが、脅しにはなった」
『………』
「もう、十何年も前だがな……あの頃から、欲しいと思っていたんだ」
『…………?』
男の指がフィアッセの写真を伝い、滑っていく。
「あぁ、最近は更に良い。そういえば……あの時、邪魔に入った男も刀使いだったな……。
こういうのを、東洋では何と言ったかな………そう、『縁が在る』だ……」



男の含んだような笑い声が、室内に木霊した。





















では、拍手レスです。




※犬吉さんへ
連音はシリアス的にもギャグ的にもキレさせちゃいけませんね。鬼の形相を見た三人娘乙www


>このシーンのイメージ的には速攻生徒会です(知ってる人いるかな?)
外壁ぶち破る位だし、ドアなんて吹っ飛んでるだろうなと思ったら………浮かんでいました。
大概、一緒に模擬戦に参加してドンパチと言うのが多いのですが、連音は被害者代表として怒っていますwww

とりあえず……皆、生きてて何より。(エー


※犬吉さんへ
最新話、待ってました。自分としては、このまま続編として続いて欲しいです。
これからも楽しみにして待ってますね。


>待ってましたとは……嬉しい限りです。
StSにはこの外伝を挟み、それから行く予定です。
宜しければ、お付き合い下さい。


※宛、犬吉様。 
A's編終了、おめでとうございます。 
21話の文中に『ふ亜kk差を見せている』とあるのですが・・・これは誤字ですか? 確認お願いします。


>ありがとうございます。何とか終わりました。
ご指摘の所は本来『不安な顔を見せている』となるのですが……作者はキーをリズムで打つので時折、訳の分からない文章が生まれますwww
いつもは直ぐに気付くのですが、今回は見落としていました。修正版を送りたいと思います。






拍手を下さり、本当にありがとうございます。


拍手はリョウさんの手によって分けられております。
この作品に限らず、拍手を送られる方は何方宛か一言、添えられますようお願い致します。




届くと嬉しさで、ウヒャッホウな感じで時が止まりますw(トロ・ステーションより)










作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
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