世界が夕闇に染まる中、先んじて闇に染まった建物内に、申し訳程度の照明が揺れ動く。

そこは既に使われていない雑居ビル郡。さながら白の如きその中に、幾つもの足音が響く。
目だけの出た覆面と軍用ヘルメット、防弾、防刃性に優れた軍用ベストを装備し、自動小銃で武装した集団。

彼らは無駄の無い動きで、ビル内部を素早く移動する。
「―――――」
曲がり角で背を壁に当て、鏡を使いその先を見る。
「良いぞ、行け」
腕を振り、別ルートから来た味方に指示を出すと、すぐに階段から武装した兵士達が数人、フロアに上がってきた。
「気を付けろ」
三人が過ぎると、男もバックアップとしてその後ろに付き、移動を再開した。

標的の気配は無い。男は別の場所にいる仲間に無線を送った。
「S1部隊、展開終了」
『―――S2部隊、展開終了』
これで、標的のいるフロアは完全に包囲された。
男は先に向かった仲間と合流する為に走った。



「S2部隊、展開終了」
兵士は仲間の移動に合わせ、動く。

「―――ッ!?」
仲間の姿が曲がり角で消えた瞬間、男の前に光が踊る。それは一瞬で首に絡みつき、男の体を宙に引き吊り上げた。
「グ……アァッ……!?」
何が起きたのか理解も出来ぬままもがき、瞬く間に手足は動きを止めた。
ダラリと全身が垂れ下がると、男の体が冷たいコンクリートの床に落ちる。そしてその上から、ベスト以外は同じ服装に、ジャケットを纏った男が降り立った。

「―――まずは一人」

男の姿は、すぐに闇の中に消えた。



「―――おい、ケビンは如何した?」
「遅いな………まさか――――ッ!!」
異常を感じた兵士達だったが、すぐにその思考は中断された。

何処かから、甲高い金属音が響いたのである。
それが自然に起きたものではないと、二人は直ぐにその音が鳴ったであろう場所に向かった。


ドアの隙間から、赤い日が差し込んでいる。音がしたのはその部屋だろう。

二人がドア脇の壁に付き、残る二人は援護の出来る距離を取る。

気を付けろ、と仲間に視線で注意を促す。
小さく頷き、一人がドアノブに手を掛け―――――。

「グファッ!?」
突然ドアが吹き飛び、顔面に強打を食らった兵士、はドアもろとも壁に叩き付けられた。
壁の兵士がハッとして室内を見た。三つ編みを揺らして走り来る人物に気付き、反射的に銃を構える。
「―――フッ!!」
一瞬にして銃身を手で叩き落とし、同時に顔面を鉄パイプで突く。
更にそのまま鉄パイプを捨て、ジャケット裏の二刀を肩越しと腰側から抜き放つと、同時に駆け出す。
瞬く間に間合いを詰め、その脇を抜ける。と同時に、刀の峰で首を打ち据える。

「クソッ!!」
ものの数秒で三人も倒され、銃の間合いの内側に詰められた。兵士は小銃のグリップで打撃を放つ。
が、身を屈めて躱すと直ぐに腕を刀で打たれ、止めとばかりに顔面を、柄頭で激しく打ち据えられた。
そのまま壁に叩きつけられ、ズルズルと落ちていく。

全員が動かない事を確認し、彼女――――高町美由希は次の行動に移った。







もう一部隊の方でも、既に異変を確認していた。
「駄目です。S2部隊応答ありません……」
「何だと……!?カウンターテロ専門の特殊部隊が、何てザマだ……ッ!相手は銃器も持たない三人。
しかも二十歳そこそこの子供と、本当の子供相手だぞ!?」
驚愕と苛立ちに声が荒げる。が、今は目前の標的を倒す事だと、思考を切り替える。


「―――――来るな」
壁を背にした、その標的―――高町恭也は、静かに飛針を抜き取った。








「―――僅か12分で、もう五人も倒したか………強いね」
通信機器の前で、ビルの見取り図に線を引きつつ、髭を蓄えた初老近い男は感嘆の声を漏らした。
「―――まあまあです」
男の名はジェフリー・レイ。AGPO特殊部隊『WED』の教官を務める人物である。
双眼鏡で様子を窺いながらそう返したのは、香港特殊警防隊第四部隊長―――御神美沙斗。
高町士郎の実妹にして、高町美由希の実母である。

「だがまぁ、地の利が有るとは言え、銃も近代兵器も持たない戦闘には……限界が在るんじゃないかね?」
「………限界は在りますね」
そう言いながら、美沙斗は振り返る。
「刀だけでは……近代兵器には勝てない。ただ……その限界は、此処ではないのです。見ていて下さい」
「―――ほう、それは楽しみだ……だがその言葉、あの子供にも言えるのかな?やはり無謀だったのではないかね?」
「―――さて、どうでしょうね?」
僅かな微笑を残し、美沙斗は再び双眼鏡で様子を見始めた。





   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー 
         外伝  聖歌の守護者達

         序章  魔都香港の剣士





恭也のいるフロアに、金属音が響く。足元に転がるのは円柱状の物体。
(やはりスタングレネードか……!)
こういった状況でやはり効果的なのはスタングレネードで無力化し、制圧するという動き。

だが、来ると分かっている以上、その対策は取ってある。
恭也はグレネードに背を向け、瞼を閉じる。

瞬間、閃光と轟音がフロアを蹂躙した。



光が勢いを衰えさせる中、兵士達は一気に突撃する。
小銃を構え、容赦無くトリガーを引く。
「ッ――――!」
クワッ、と目を見開き、恭也が動く。背後の壁に次々に弾痕が刻まれていく。
まるで瞬間移動のような動きの前に、照準は完全に置いて行かれる。

まるで軽業師の様に跳躍し、兵士達の視界から一瞬消える。
「何―――ッ!?」
その動揺の隙を突いて、着地した恭也の手が動き、光が飛んだ。
「ッ!―――ァアアッ!?」
悲鳴を上げた兵士の腕には、太い針が突き刺さっていた。鋭い痛みが走る。
だがそれも僅かの間の事。あっという間に間合いを詰めた恭也は、差した刃を抜き放っていた。
「グァアアアッ!!」
袈裟懸けに切り捨てられ、兵士は倒れる。恭也は身を翻すままに刃を返し、更にもう一人も切り伏せる。
それは端から見れば、正に疾風怒涛。

「クソッ!!」
恭也目掛け、引き金が引かれる。連続する短い炸裂音と共に、薬莢が飛び出し、床に散らばっていく。
「――――ッ」
恭也は三方からの射撃を尽く躱す。それどころか、更に一人目掛けて、投げナイフを投擲していた。
「ウグッ!!」
それが手の甲に突き刺さり、思わず銃を落としてしまう。

そして、別の所からもカシャン、カシャンという音が響いた。
「っ……!?」
視線の先には味方の兵士。だがその体は、彼の見ている前で糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「う……あぁ………っ!!」
兵士は余りの恐怖に後退さる。崩れ落ちそうな体が壁にぶつかり、何とか支えられる。
散らばった薬莢。その中に倒れる仲間。

銃撃を物ともせず―――否、何も出来ないままに、自分を除く全員がやられた。

訓練通り、セオリー通りに動いた。スタングレネードでの無力化。包囲からの銃撃。

自分達は何一つ、ミスを犯してなどいない。断言しても良い。
それなのに、何だこの光景は。

相手は自分達の手に負える相手ではない。自分達の戦術の外側にいる存在。
「……ば、化け物だ………!」
それを、認めるしかなかった。









「全滅だと!?」
届けられた報告にジェフリーは驚愕した。
被害は予想していた。だが、それでも自分達の勝利は確信的だった。

しかし蓋を開けて見れば、結果はその真逆。

「ま、まだだ……!階下に待機している、もう一部隊を――――ッ!?」
ジェフリーは殺気を感じ、机上の銃を取ろうとする。が、その前に冷たい刃が首筋に突きつけられていた。

「―――無理ですね」
ジェフリーの後ろには、高町美由希の姿があった。銃を取り、引き金を引くよりも早く、彼女の刀は彼を切り捨てるだろう。

「―――如何でしょう?」
美沙斗の若干、皮肉めいた質問に、ジェフリーは両手を上げるしかなかった。
「―――悔しいが降参だ。訓練は……我々の敗北で終了だ」

それを聞き、満足そうに美由希は刃を戻した。



ビル内に訓練終了の合図が響く。恭也はそれを聞き、刃を納めようとした。
と、その場から飛び退く。澄んだ金属音と火花が床に散る。
突然、真上から何者かに襲撃されたのだ。


追い撃つ襲撃者と数度打ち合い、恭也の刃が相手の眉間に寸止めされる。しかし、恭也の鳩尾にも、襲撃者の刃が寸止めされていた。

「―――不意打ちとは、やってくれるな」
「―――油断大敵ですよ、恭也さん?」
互いに目線でタイミングを計り、刃を戻す。

と、丁度恭也の無線が繋がった。
『もしもし、恭ちゃん?こちらで中央を制圧……勝ったよ』
「了解。こっちは予想外の伏兵に襲われた」
『えっ?大丈夫なの……!?』
「あぁ、問題無い……なぁ、連音君?」
『へっ……?』
間の抜けた声を出す美由希を余所に、恭也は目の前にいる少年に言った。

「えぇ、何にも問題は有りませんよ」
そう言いながら、少年―――辰守連音は肩を竦めた。












それは、恭也の戦闘が行われる少し前の時間。

恭也達のいるフロアから、数階下の階。そこには万が一に備え、バックス部隊が待機していた。

「そろそろか……」
一人が呟く。

カウンターテロの特殊部隊である自分達と、銃火器を持たない三人。
しかも一人は完全に子供であり、隊員達の心には、何処か憤りに似たものが澱んでいた。

無論、それでミスを犯すような事はない。子供のテロリストなど、そう珍しくもないからだ。


「―――ん?」
突然、背後で音がした。そっちを向くと、何と仲間の兵士がうつ伏せに倒れていた。
「ジャックッ!?」
驚く兵士達。だが次の瞬間には、また別の仲間がバッタリと倒れていた。
「クソッ!何がどうなってる!?」
互いに背を向け合い、残る四人は暗闇に目を凝らす。小銃を構え、直ぐに攻撃が出来るように。

異常なまでの静けさの中、それを破壊して何かが飛翔する。
「ブハッ!?」
とても硬い何かが、一人の顔面にぶち当たった。
三人がその悲鳴に意識を引っ張られた瞬間、それは現れた。

「グハッ!?」「ヒギャアッ!!」「ヘボァッ!!」

悲鳴が重なり、三人が崩れ落ちる。

「ッ……!?」
顔を抑えたまま、しかし兵士はその光景に、痛みすら忘れる程の恐怖を見た。

倒れた仲間達に代わって、其処には一人の少年が立っていた。
小柄な体格ゆえ、女性用の一番小さな装備を身に付けた子供。

手には、銃火器どころか、ナイフ一本すら持っていない。

そして少年は、ゆっくりと最後の一人に向いた。

「う……ぅうわぁあああああッ!!」
異常すぎる光景に、兵士は冷静さを失くし、銃口を少年に向ける。が、銃はあっさりと彼の手を離れた。
少年の足が振るわれ、銃を蹴り飛ばしたのだ。

直ぐにベストから拳銃を抜くも、その腕をあっさりと押さえ込まれる。
「ッ―――!?!?」
腕を捻られ、顔面に肘が突き刺さる。痛烈な打撃を喰らい、壁にぶつかるとそのままズルズルと落ちていった。


全員を戦闘不能にし、少年は念のためと上階に向かった。

それと同時に、別ルートからやって来た美由希が現れた。
「うわ〜……皆、急所に一撃……連音君、えげつないなぁ〜」
自分も首やら鼻っ柱やらに打ち込んでおいて、この言い草である。

ともあれ、此処の制圧が終わっている以上、後は本丸を落とすのみ。
美由希はそのまま暗闇に消えたのだった。
















恭也と美由希は、修行の一環として、香港警防隊の訓練に参加していた。
その総仕上げとして、カウンターテロ部隊との模擬戦を行ったのだ。

そしてそこには、高町士郎からの推薦を受けた連音の姿もあった。




訓練は全て滞りなく終了し、時刻は既に午後八時を過ぎようとしていた。
香港市外にあるレストランにて、遅めの夕食である。

「何人か、怪我させちゃいましたね……出来るだけ急所は外した心算なんですけど……」
美由希は烏龍茶の入ったコップを傾けて、そしてすまなそうに言った。
それを聞いて呆れたのは、他ならぬジェフリーであった。
「何人か……と言うかねぇ……骨折九人、刺傷十数人、打撲はほぼ全員……無傷で済んだのは誰もいないんだがね?」
「す、すみません……」
ジェフリーの皮肉めいた言葉に、美由希はしゅんとしてしまう。
「―――ジェフ、余りうちの娘を苛めないでくれないか?」
美沙斗はジェフリーを軽く睨む。良くも悪くも真面目な美由希には、こういった言葉は冗談として余り通じないのだ。
「―――まぁ、再起不能になるような怪我は、とりあえず一人もいない」
しかし彼自身、悪意が有った訳ではないが、この結果には一言でも言いたくなってしまう。
「とりあえず……ですか?」
「あぁ。階下の控えチームの連中が、揃いも揃って除隊願いを出そうとしてな……一体、何をやったんだ?」
ジェフリーの視線が、美由希と恭也に向けられる。そして美由希はそのまま視線を恭也の隣の少年に向けた。
「特に何も……ただ、銃を一発も撃たせずに制圧だけですけど?」
ワンタンスープを啜りながら、何の事は無いと彼は答えた。
「っ…!?君が、やったのか……!?」
ジェフリーは目を丸くして驚いた。恭也と美由希のどちらか、あるいはその両名がそれをしたと思っていたのに、答えたのは向かいに座っている子供。
この見かけ通りの子供に、プロを制圧するだけの力が有ると言うのか。

内心の動揺を抑えつつ、ジェフリーは咳払いする。
「―――ま、まぁ、彼らには良い経験になっただろう。自分達の訓連や戦法の通じない、そんな相手がいる事がね」
ジェフリーは一度区切る為、お茶を一口飲む。

「しかし、香港警防に神業的なサムライソードの使い手がいると聞いてはいたんが……」
「えっ?母さん、もしかして有名人なの?」
「さぁ、どうだろうね……?」
美由希が軽く身を乗り出して尋ねると、美沙斗はクスッと笑った。

「だがまさか、その弟子達までこれ程の腕が立つとはね……驚きだよ」
「いや、この子達は私の弟子ではなく……彼に剣を教えたのは私の兄で、娘は兄と彼に剣を習ったんです」
「では、彼の方がマスターで、君の兄がグランドマスターという事か……流派は、何と言ったかな……確か……」
「―――小太刀二刀 御神流です」
「私は御神流正統。兄と母は御神不破流です」
「なるほど。では、彼も君の弟子なのかな……?」
ジェフリーが恭也に尋ねる。視線はその隣にいる連音に注がれている。

ちなみに連音は、小龍包に苦戦中である。

「いえ、彼は御神流ではありません」
「……?では一体……?」
「ジェフ、あなたもこの業界が長いのだから、聞いた事があるでしょう……伝説の暗殺者『アイスブルー』の名を」
「―――ッ!?あ、あぁ……知っているとも……だがそれが……?」
「彼は……その息子です」
「なっ―――!?」
ジェフリーは思わず立ち上がっていた。ガタン、と椅子が倒れ、周囲が何事かとざわめき始める。
「お客様、如何なさいましたか?」
「い、いや……何でもない。すまない……」
店員に声を掛けられ、ハッと我に返ったジェフリーは椅子を戻して座り直す。

そして落ち着く為に、烏龍茶を傾ける。

「まさか……本当なのか?あのアイスブルーの……息子とは」
ジェフリーの動揺に満ちた視線に、連音は頷いて答える。
「事実です。母の事は自分の誇りで、でも母は母で、自分は自分です」
「………そうか」
その視線に真っ直ぐに答える連音に、ジェフリーは情けなくも動揺した自分を恥じた。

「ところで、君達もいずれは香港警防に……?」
「えっと……私はまだ大学生ですし、兄も家業の方がありますから」
「家業……やはりヒットマンか?それとも……剣道の道場かね?」
「いえ……」
美由希は恭也と顔を見合わせ、苦笑した。実はこういったやり取りは、初めてではないのだ。
それを知る美沙斗もクスクスと笑っている。

連音は我関せずと、デザートを黙々と食べている。

「――――喫茶店です」

「―――――は?」
そして、答を聞いたジェフリーの反応も、やはり経験したそのままであった。













所変わって、日本は海鳴市。
喫茶翠屋は学校が半日で終わる土曜日である為に、とてつもない忙しさに見舞われていた。
学校終わりの助っ人を召喚し、漸く地獄のランチタイムは終焉を迎えた。

「いや〜!皆、本当に助かったよ!」
士郎は助っ人三人娘こと神咲那美、城島晶、そしてつい一年ほど前に帰国した鳳蓮飛に、例を述べた。
この地獄を乗り切った事に対する彼女達の功績は、そう低くない。

「これ、良かったら飲んで一休みしていって?」
そう言いながら桃子が、アイスティーの入ったグラスをプレートに乗せて持ってきた。
「ありがとうございます」
「「遠慮無く、いただきまーす!!」」
「忍ちゃんもご苦労様。一休みして」
桃子はカウンターを拭いている忍も声を掛けた。
「はい。それじゃ、失礼して」


ボックス席に座って、四人はアイスティーに口を付ける。
冷たい喉ごしと、鼻腔に広がる優しい香りに、感嘆の息が漏れる。
「それにしても、なのちゃんは今頃、どこにいるんやろねぇ〜?」
「あぁ、なのちゃんが『実は魔法少女でした!!』って聞いた時には色々と心配しちまったよなぁ〜」
「ま、お猿に心配されるなのちゃんが、うちは可哀想やけどな〜」
「っだとぉ!?この亀が!!」
一瞬でエキサイトする晶。それを「まぁまぁ」と那美が宥める。
「でもあれですね。なのはちゃんも心配ですけど……恭也さん達も大丈夫でしょうか?」
「確か、香港でしたっけ?」
「……え?あ、あぁ…美沙斗の所で集中訓練だ。きっと、派手に扱かれているだろうな」
と、カウンター席に座る士郎は、何かを誤魔化すようにコーヒーを啜る。
「手際が良いから、恭也がいれば仕事は楽なんだけど……」
「逆に客の入りが多くなりますしね……師匠目当てで」
高町恭也。帯に襷に、使い難い男である。

「そう言えば、連音君も一緒に香港でしたよね?」
「うん。あいつも何だかんだで、世界中を飛び回り始めてるのよね〜」
「久遠、連音君に会えなくて寂しがってるんですよ」
那美は膝の上の久遠を撫でると、尻尾が僅かに揺れる。
「ま、帰って来たら遊んでくれるから……大丈夫よ」

「……それにしても」
コップをテーブルに置き、鳳蓮飛―――レンが少し店を見回した。
「何か、うちのいない間に色々変わりましたね……やっぱり」
「まぁ、それはね〜……仕方ない事よ」
「フィアッセさんも、居なくなっちゃいましたしね……」
「確か今は、イギリスで、CSSの校長をやってるんですよね?」
「元気にしてっかな〜、フィアッセさん……」
などと四人が話していると、店の電話がけたたましく音を鳴らした。士郎はカップを置くと急いで受話器を取った。

「はい、喫茶翠屋です」
『あ、士郎?私……フィアッセですけど』
「っ!?フィアッセ!?」
突然の連絡に、翠屋に驚愕の声が響き渡った。











香港 彌敦道。
幾つのも露天、屋台が立ち並ぶ通りに恭也達は居た。
その目的は土産物探しである。

紙袋を提げ、三人は路地を進んでいく。
「連音君はもう、お土産は買ったの?」
「はい、大体は終わってます」
「へぇ〜、流石は忍者だね」
「それ……関係無くないですか?」
「恭ちゃんは?」
「あぁ、家の分と忍と那美さんと……後はハラオウンさんの所と、はやてちゃんの所とな」
「素早いね……あ、そうだ!私、那美さんと忍さんに、チャイナ服買ってくるように頼まれてたんだった!!」
「訓練も粗方終わって、もう直ぐ帰国ですし……買いに行くなら急いだ方が良いですよ?つ〜か、何頼んでんだよ、忍姉は……」
「じゃあ、ご飯食べたら直ぐに買いに行こう!!」


そうと決まれば、早速屋台で腹ごしらえである。
選んだのは美沙斗お勧めの屋台。そこで福建炒飯と焼豚飯大盛、白湯麺を注文する。

流石に屋台は調理が早く、直ぐに料理がやって来た。
「しかし、チャイナ服って……あの二人が着るのか?」
箸を美由希に渡しながら、恭也が尋ねる。
「うん。忍さんと那美さんなら、きっと似合うと思うな。あ、私とノエルさんの分も買うんだよ。皆でお揃いなんだ」
「ほぉ……」
恭也はつい、面々のチャイナ服姿を想像してしまった。
誰も彼もが美女、美少女であり、恐らくはとても魅力的であろう。
「じゃあ、俺もハラオウン提督とエイミィさんに買おうかな……クロノへの嫌がらせに」
「アハハ!クロノ君、きっと怒るよ〜?」
などと話すものだから、想像中の恭也の脳内に、リンディとエイミィのチャイナ服姿が浮かんでしまった。


「…………はっ!?」
結構ぼんやりとしていたのだろうか、我に返った時、二人の冷たい視線が突き刺さっていた。
「………俺、恭也さんってストイックな人だと思ってたんですけど……違うんですね」
「恭ちゃんって見た目よりも……結構エッチぃんだよね〜」
「人聞きの悪い事を言うなッ!!」
憤る恭也だが、二人は尚冷たい視線を送る。
「チャイナ服を買うお店は決まってるんですか?」
「うん。市街地の方にあるお店でね……ガイドブックにも載ってるんだよ」
「………おい」
「あ、そうだ!フィアッセにも贈ってあげようかな〜?」
「お、良いんじゃないか?」
「エッチぃ恭ちゃんには聞いてないよ〜だ!あだッ!?」
恭也のデコピンが美由希に炸裂した。
「いい加減にしろ」
「うぅ〜、口で勝てないからって、暴力に走るなんて最低だよ〜っ!」
文句を言いながら、美由希は真っ赤になった額を涙目で摩る。

「あの、美由希さん?」
「ん……何?」
「フィアッセって……もしかして『光の歌姫』フィアッセ・クリステラさんの事ですか?」
「そうだよ。私達にとって……大事な家族。数年前までは、家に住んでいたんだよ」
「へぇ……あ、でも士郎さんはアルバート・クリステラ氏の護衛をしていたんだから、納得かも」
「………変な所は知ってるんだね」

何だかんだと言いながら食事をしていると、恭也の着ているジャケットから電子音が響いた。
ポケットを探り、音の元――携帯電話を取り出す。ディスプレイには『香港警防隊』の文字。
「もしもし……あぁ、美沙斗さん。如何したんですか?」
『どう?休暇は満喫出来ている?』
「えぇ、おかげさまで。紹介してくれた屋台で食事中です。それで、何かあったんですか?」
『いや……実はこっちにフィアッセから電話があったんだ』
「フィアッセからですか?」
丁度話題にした人物の名前に、美由希と連音が顔を見合わせる。
『あぁ、なんでも相談したい事があるとかで………詳しい話は聞かなかったが、少し真面目な話みたいだったよ』
「……そうですか」
『今はツアーの準備で、スクールの方に滞在しているそうだ。三人とも、こっちでの研修メニューは殆ど終わりだし、
日本に戻る前に……少し、会いに行ってみたら如何かな?』
「―――分かりました。部屋に戻ったら連絡してみます」
『あぁ、そうしてやってくれ。じゃあね』
「はい、じゃあ失礼します」

「―――もしかして、イギリスに行くの?」
恭也は電話を終えると、美由希が早速尋ねてきた。
「どうだろうな?連絡してみないと分からないが……多分な」
「イギリスかぁ……何年ぶりかな」
美由希は、何処か懐かしむように天井を見上げた。
「美由希さんはイギリスに行った事、あるんですか?」
「ちっちゃかった頃にね……会えるかな、フィアッセに」
「会えますよ。でもイギリスかぁ……楽しみだなぁ」
連音も釣られるように天井を見上げた。

「―――て、連音君も行く気なのか?」
「当然です。折角『光の歌姫』に会えるチャンスなんですから。まさか恭也さん、遠い異国の地から、子供一人で日本に帰れ……なんて、言いませんよね?」
「………言っても帰れそうだけどな」
「その場合、イギリスに先回りしますので」
「やれやれ……」












時は夕暮れ。三人が世話になっている美沙斗のアパートメント。
そのベランダから、茜色に染まる香港の町並みを見ながら、恭也は何か胸の奥にざわめきを感じていた。

それは、魔都とも呼ばれるこの町が見せる幻影なのか。


部屋に帰ると早速イギリスに連絡を取った。だが出たのは件の女性ではなく、CSS校長代行 教頭イリヤ・ライソンであった。
都合が付くようなら、フィアッセに会いに行きたいと言うと、イリヤはスケジュールを確認後、快諾してくれた。

許可を貰った所で、平行して飛行機のチケットをしている美由希から何時の便かが伝えられ、先方に。
週明けぐらいに到着できると伝え、電話を終えた。


美由希は鼻歌交じりに荷物を整理し始める。
恭也は武装以外の荷物は余り無く、連音に至っては手荷物程度しかない。


「香港の夕焼けも、もう見納めですね……」
「そうだな……」
下から掛かった声に恭也が答える。
ベランダの手すりに足を引っ掛け、逆さまにぶら下がっているのは、勿論連音である。

「―――恭也」
「……美沙斗さん?」
振り返ると、美沙斗が立っていた。その瞳は真剣な光を湛えている。

「伝え聞いただけの話だけど……ここ数週間、彼女の……フィアッセの周りに、余り良くない噂がある」
「良くない噂……?」
「恐らく相談というのも、それに関係しているんだろう……気を付けて、護って上げると良い。ここでの訓練が、きっと役に立つ筈だ」
「―――はい」
美沙斗の言葉に、恭也は静かに、しかしはっきりと返す。

護るべき者を護る為、御神の剣士としての答。そして誓い。


「ところで、君は如何するんだ?」
美沙斗がベランダから顔を覗かせ、連音に尋ねる。
「当然、行きますよ。チケットも三枚取ったんですから」
「そうか、当然か……」
ハッキリと言われ、美沙斗はクスクスと笑った。



最初は兄の推薦とはいえこんな子供がと、彼女も思った。
しかし蓋を開けてみれば、とても子供のそれとは思えない能力。

天性の才に、絶え間ない努力が生み出した―――成長途中の怪物。
厳しい訓練を乗り越えた彼ならばきっと、恭也や美由希の助けとなるだろう。















そして時間は流れ、出立の日。


「じゃあ、元気でね」
「美由希も……気を付けて」
忙しい時間の合間を縫って来てくれた美沙斗の見送りを受けて、三人は一路ロンドンへと飛んだ。



眼下に遠ざかる香港。その光景を感慨深く、恭也は見下ろしていた。
(香港……長い様で短かったな……)

―――ゴソゴソ。

(最初あの町を見た時は、内心不安があったんだが……)

――――ゴソゴソ。

(こうして遠ざかると、寂しいものだ)

――――――ゴソゴソ。

「―――おい、美由希。さっきから何をしてる……?」
若干、苛立ちの篭った目線を向ける恭也。が、当の美由希はそれに気付かないまま、バッグの中を漁っている。
「あ、えっと……本を探してるんだけど……っと、あぁっ!?」
折角見つかった本が手から滑り落ちる。慌てて美由希はそれを拾い上げた。
「落ち着け。いい加減、お前も飛行機に慣れろ……!」
「うぅ〜っ……だって、苦手なんだもん〜ッ!!」
フィアッセに会えるという喜びに、美由希は自分が飛行機が苦手な事を忘れていた。
不安を誤魔化そうと本を読もうとするも、どうにも集中できない。
日本 ― 香港間なら、それ程時間は掛からないが、イギリスとなれば話は別だ。

「……あのさ、恭ちゃん?」
「手なら繋がんぞ?」
「ふぅう〜っ!意地悪〜っ!!」

(二人とも……香港行く時と同じ事言ってるし……)
そんなやり取りを耳にしつつ、真後ろの連音は毛布に包まって瞼を閉じた。




―――ゆさゆさ。
「う………ん?」
眠りの世界に入ろうかという所で、誰かに引き戻される。
尚も揺さぶられ、仕方なくうっすらと瞼を開く。

「はぅう〜〜〜〜っ!!」

「ぶはっ!?アガッ!?」
視界に飛び込んできたのは、涙目の美由希のドアップ。突然の不意打ちに驚き、身を引いた瞬間、窓の縁に頭を強打した。
「痛ぅ〜っ!!何ですか、美由希さん……?」
「お願い、連音君だけが頼りなの〜ッ!」
「えっ!?ちょっ……恭也さん!?」
手をしっかりと握られ、涙目で更に迫る。連音はどうにも出来ず、恭也に助けを求める。
座席の背もたれから手が伸びる。
「……頑張れ〜」
「恭也さ〜んッ!?」
「連音く〜ん!!」
「くぅう〜〜〜っ!!」


ロンドン行きの国際便は中々に混沌としていた。
















霧深き都―――ロンドン。

何処かの薄暗い室内。天井にはワイヤーで様々なものが吊るされ、オブジェとして飾られている。

「あぁ、手筈は順調に整っている……『遺産の鍵』は必ず手に入れる」
その中で、男は中央に置かれたビリヤード台の上に転がる玉を弾き、男が受話器の向こうの相手に語る。
「確認するが……何人殺しても構わないんだな?……あぁ、心配するな。鍵は必ず……」
乱雑に物の置かれたテーブルから、男は突き立ったナイフを引き抜く。
「フィアッセ・クリステラを手に入れて、秘密を洗いざらい吐かせて見せるさ……」コルクボードには何枚ものフィアッセの写真。その内の何枚から、低俗なコラージュが施されている。
「こちらの要求は二つ。必要経費を惜しまない事と………事が済んだら、あの娘は自分が貰う事………欲望?いや違うな……愛しているのさ」
ボードの写真を一枚取り、愉悦の眼差しを向ける男。その瞳には狂気の光が宿る。

「もしそれを邪魔するものが在るなら………消えてもらうだけだ」
乾いた音が響き、ナイフが写真に突き刺さる。


そこに写っていたのはフィアッセではなく、まったくの別人。
ブロンドの髪を後ろで束ねた女性。

刃は、その心臓に突き立っていた。


「そうだろう―――――エリス・マクガーレン?」
















「いや〜っと、着いた〜っ!!」
「地に足が着いた途端、元気になって……大丈夫か?」
「………見捨てておいて、今更何を?」
「…………ううんッ!」

狂気が、霧の奥から姿を現そうとする。
その事実を知らぬ三人は、英国の地に降り立った。






そこに待つのは――――歌姫と御神と、因縁深き敵。
















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