夜。町が眠りに付いた頃、降り立つ影があった。
細い肢体を黒い水着にも似た服に包み、漆黒のマントをたなびかせ、その手には金色に光る石をはめ込んだ黒い戦斧。
未だ幼さの見え隠れする顔立ちにルビーのような瞳と、美しいブロンドの髪が月光を受けてキラキラと光る。
そしてその脇に控えるのは大きな狼に似た動物。

「ジュエルシード…母さんの望んだもの…。行こう、アルフ…」
月に雲が掛かると、その影に解けるように二つの姿は消えていった。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第六話  黒の魔法少女



月村邸の一階の端に連音にあてがわれた部屋がある。そのベッドの脇で連音は空中に浮かぶモニターの前に正座をしていた。
そのモニターには白髪、赤い瞳の女性――永久の姿が映し出されていた。
「………」
「………」

(く…空気が重い…!!)
海鳴に着いて早一週間。未だにジュエルシードを見つけられていない状況を逃げたい気持ちを抑えて報告した。
その結果、既に二十分間このままである。
怒られるにしろ、呆れられるにしろ、何かを言われた方がずっとマシである。

拷問のような時間の末、永久が口を開いた。
「それで、他に報告する事は?」
「………いえ、これだけです」
「………分かった事は災禍の魔石の名がジュエルシードという事。そしてそれを集める魔法を使う者がいるという事。
本当にそれだけですね?」
「は…はい……」
嘘だった。一人の少女、八神はやてに関する事を連音は一切報告していなかった。竜魔衆として、組織に属する者としてそれは背信行為と言われても弁解の余地はない。
だが、報告をしたなら彼女に対して刺客が送り込まれるかもしれない。


竜魔衆が守るのは世の安定。その為に人の命を奪う事も当然あった。
そして組織の秘密を保持する為に、そうする必要に迫られる事もあった。


矛盾しているかもしれないが、それほどまでに竜魔衆の力は秘密にされなければならなかったのだ。


今、連音のしている事は竜魔衆を危険に晒している事でもあった。

そして永久も何かしらに気付いているのか何度も尋ねる。
「本当に…これだけですね?」
モニター越しにでも威圧感が伝わってくる。
だが、それに負けじと連音もモニター越しに睨み返す。
「……これだけです」
再びの沈黙。やがて永久がふう、と溜め息を吐いた。
「そこまで睨まなくとも報告は信用しています。ただ事態が事態、早急にジュエルシードの回収を行いなさい」
「はい」
「任を与えた姫様の信頼を裏切らないように……」
「……はい」
モニターが消え、ようやく解放されたものの連音の心にはとげが刺さっていた。
「信頼を裏切るな……か」
ジュエルシードを見つけられない事もそうだが、はやての事を黙っていた事は明らかに裏切りだった。

(はやてが誰かに誰かに俺の事を話すとは思えないが……)
今更ながらどうして彼女の事をここまで庇うのか、自身でも理解できないでいた。
「とにかく、ジュエルシードだ。あれを見つけないと……!」
あれだけの力のある物を全く発見できないという事に連音も流石に疑問を持っていた。
そこで一つの仮説を立てた。

ジュエルシードとは通常は魔力そのものを感知できない、または極めてし辛い状態にある、というものだ。


元になったのは目前で発動したジュエルシードの事だ。あれを見るまで連音は気配を感じる事も出来なかった。

これは連音が正体を知られないようにする為、普段は自身の力を封印している事にも原因がある。
だが、それだけであの距離にいて気が付かないという事はやはりありえない。

ならばジュエルシードは発動するまでは発見が困難な代物である可能性が高い。
逆に言えばその気配に気が付くのは発動した時だけという事だ。
ならば誰かが発動させる前に自身の手で発動させてしまえば簡単に見つけられるのでは?そんな考えが過ぎった。
「――て、これはダメだな。危険が大き過ぎる」


結局、地道にいくしかないという結論に達した所で、ドアがノックされた。
「は〜い、どなたですか〜?」
「ノエルです。少々よろしいですか?」
連音がドアを開けると、ノエルが立っていた。と同時に連音の足元にまとわりつく感触。
見下ろせば数匹の子猫が連音にじゃれついていた。
月村家は猫屋敷と言っても過言ではない程、猫がいっぱいいる。
その中で、どうにも連音に懐いてしまっているのがその数匹だった。
「もしかしてこれですか?」
「この子達がずっと連音様の部屋の前で鳴いておりまして……まぁ、それだけではないのですが…」
「と言うと?」
「本日、お嬢様のご友人がいらっしゃっているのですが…」
そういえば今日、すずかが仲の良い友達とお茶会をするという話をしていた事を思い出し、何となく連音は分かった。
「分かりました。顔を見せないようにしますよ」
この屋敷で異性は連音だけだ。その自分が顔を出せば、すずかも気分が良くないだろう。
この屋敷で世話になるという話を聞いて凄く反発された事を覚えていたからだ。

勿論、これは連音がそう感じただけであってすずか自身はそう思ってはいない。
と言うより黙っていた姉に対して色々言っていただけなのだが連音は気がついていない。


(ま、都合がいいか。せっかく今日は大手を振って町を歩けるんだからな)
見た目は小学生な連音(実際にそうだが)は平日の昼間に歩き回る事が出来ない。
ビルの上を飛び回るぐらいならいいのだが、ジュエルシードが何処にあるか分からない以上、町を歩いていくしかないのだ。

以前、歩いていたら国家公務員に補導されそうになって逃げた事が何度かあった。どうにもこの町の国家公務員は仕事への意欲が高いらしく、既に連音は彼らのマーク対象になりつつあった。
特にタバコを咥えた女性公務員らしき人物はものすごい勢いで追撃してきたもので、撒くのに一苦労したものだ。


そんな訳で平日は15時以降にしか動けず、こういう日はとても貴重だった。


早速出かける用意をしようとした連音をノエルが止めた。
「そうではなく、そのご友人が連音様に会われたいと言っているのです」
「………はい?」
どういう事かと連音は首を傾げた。何故、すずかの友達が自分に会いたいなどと言うのか理解できなかった。


ノエルに導かれるままに廊下を進んでいく。
その間も子猫達が必死に足元にまとわりつくもので踏まないよう気を付けなければならず、これが中々難しい。
結局は子猫をノエルと共に拾い上げる事になった。


通されたのは一面をガラス張りにした温室も兼ねた屋内テラス。陽だまりの中で何種類もの猫がまどろんでいる。
そしてその一角、窓際に備えられたテーブルと椅子。そこに四つの人影があった。

一人はすずか。もう一人は忍だ。
そのすずかに紅茶を注いでいるメイド服の少女はファリン・K・エーアリヒカイト。
ノエルの妹で、すずかの専属メイドだ。

そしてもう一人、ロングのブロンドヘアーの少女が優雅に紅茶を飲んでいた。
彼女がすずかの友人のようだ。
四人の姿は一つの絵画にも例えられるほどに美しく、さまになっていた。



「あ、来たわね」
忍が連音の顔を見てにやりと笑う。その顔だけでここから逃げる事を選択したくなった。
「俺、帰って良い?」
「ダメ」
「ですよねー…はぁ…」
結局、連音は子猫を抱えたまま適当な席に着いた。ノエルは連音が部屋に入ると同時に呼び鈴の音が聞こえたため、子猫を降ろして玄関に向かった。
「…で、何で俺が呼ばれた訳?」
「えっと…話すとちょっと長いかな…?」
「簡潔に頼む」
連音の言葉にすずかはできるだけ掻い摘んでどういう事なのかを説明した。



話の内容は実に簡単なものだった。
すずかがとある昼休み、ポロリと今、自分の屋敷に遠縁の男の子が遊びに来ている、と言った。
そしてこの金髪の少女――アリサ・バニングスが「じゃあ今度の日曜にそいつの顔を見に行こう!」と言い出し、現在に至る。
もう一人は反対したらしいが完全に押し切られたとのこと。

(もうちょっと頑張れよ、もう一人よ〜っ!!)

顔も知らない三人目に連音は今更な文句を飛ばした。


「しっかし…あんた本当に男?なんか忍さんに随分似てない??というかまんま子供にしたって感じ?」
アリサは初対面なのにえらく失礼な事を言ってきた。
「誰がどう見たって男だろうが!?後、そんな恐ろしい事を言うな!!」
負けじと言い返す連音。忍の睨みがキツイが気にしたら負けだ。
「でも、何か女顔だし睫毛だってすごく長いし…男っていうよりやっぱ女でしょ!?
女装とかしたらきっと似合うわね、よかったら穿いてみなさいよ、スカート」
「誰が穿くか!!」
一進一退。このまま戦闘開始か、と思ったところで再びドアが開かれた。
まだ来客が会ったらしい。
さっきの話で少なくともあと一人は来るだろうことは予想していたので別段、連音は驚く事もなく、ファリンの入れてくれた紅茶をすすった。

「なのはちゃん、恭也さん」
「すずかちゃん」

ゴホッ!

その名前と声に連音は軽くむせた。
恐る恐る振り返ればそこにいたのは一人は忍と同じぐらいの年頃の男性。
黒いロングのアンダーシャツとその上に白い半袖のYシャツ。そしてジーンズ姿。
何気ない立ち振る舞いにも隙はなく、一見して只者ではない事が伺えた。
が、問題はその隣にいた。


ちょこんと結んだツインテール。服装は以前見た時と同じものだ。
そして、陽だまりのような暖かな笑顔を向けるその顔も一週間前に見たものだった。
それに、背中に背負っているだろうリュックから顔を出しているのは明らかにユーノだった。

「なのはちゃん、いらっしゃい」
と、ファリンもなのはの来訪を歓迎した。
どうやら彼女が噂の三人目で間違いないようだ。


もうこれ以上の衝撃はないだろうと、できるだけ心を平静に保つ。紅茶も気管支を出て、もうむせなかった。
ワンクッション置く為にクッキーに手を伸ばし、口に咥える。

「恭也…いらっしゃい」

ピタリ。

その異様な声に連音の動作と思考が止まった。

きしむ首を動かしながら忍の動きを追う。
忍と男性――恭也は見つめ合い、二人だけの世界を作っていた。
その光景にある者はやれやれと思い、またある者は優しげな笑みを浮かべている。
ただ一人、辰守連音はその光景に戦慄を覚えていた。まるでこの世の地獄を見ているかのような顔だ。

「恭也さんはお姉ちゃんの恋人なんだよ」
すずかが耳打ちしてきた。その言葉に口に咥えていたクッキーがポロリと床に落ちる。
その音に反応して、猫達がわらわらとクッキーに群がってきたりしたがそれどころではなかった。

連音は立ち上がり、おもむろに恭也に近付いて行く。
「――ん?何だい?」
恭也がえらく真剣な目をした連音が来たものだから怪訝そうな顔をした。
初対面の子供にそんな顔をされる憶えは彼にはないのだから当然である。

連音は恭也の手を取り、真っ直ぐに見上げた。
「恭也さん!」
「え…!?」
「何があったかは知りませんがまだ若いんです!人性を諦めないで下さ―ゴフッ!!」
連音の体がくの字に歪む。見れば忍のリバーブローが見事にめり込んでいる。
「あんたは、何が、言いたいのかしらぁ〜?」
「まだ救える人を救いたいだ―ゴハァッ!?」
今度は見事なストレートアッパーが炸裂した。


見事に連音をK・Oした忍に待っていたのは
「お前、この子に何したんだ?」
という恋人の詰問であった。
「や。やだ…何もしてないわよ…!」
「………嘘…つき」
「ふん!」
今度こそ連音に止めが刺された。



忍と恭也が部屋から出て行く。
「あんた、あれは失礼じゃないの!?」
とアリサ。
「いや、忍姉の恐ろしさを知らないからそんな事言えるんだ。あの恭也さんだって人が良さそうだからきっと騙されてるんだ!!」
連音が拳を握り締めて力説した瞬間、何かが顔目掛けて飛んできた。それをまともに喰らう連音。
えらく柔らかく暖かなそれは徐にニャーと鳴いた。
「………忍姉ぇ…動物虐待だぞ?」
「うるさい」
つーかまだいたのか、という言葉は飲み込んだ連音であった。



「今日は誘ってくれてありがとうね」
なのはがお礼を言うとアリサは一言「うむ」と言って頷く。
「こっちこそ来てくれてありがとう」
と、謙虚に返すすずか。
「で、この子がすずかちゃんの遠縁の子?」
「うん、辰守連音君。連音君、こっちがお友達の高町なのはちゃんと…」
「アリサ・バニングスよ」
「よろしくね、連音君」
「あ、あぁ…よろしく」
「でも、なんだか女の子みたいだね?睫毛とかすごく長いし…」


「でも『ツラネ』って言い難い名前ね?」
アリサは何度かツラネ、ツラネと言っているがその数度を噛んでいた。名前からして外国人と分かる彼女には言い難いのかもしれない。
「だったら連で良いぞ?」
「「レン?」」
「漢字で音を連ねるって書くから連。あだ名だよ。昔な―」
「あぁ〜!そんな事よりもファリン、まだなのはちゃんのお茶用意出来ないのかなぁ〜!」
すずかが話を遮る様に突然大声を出した。それに何かを感じたアリサはにやりと笑った。
「で、なにがあったの?」
「あ、アリサちゃん!!」
「人の名前を何度も何度もつりゃねつりゃねって呼ぶ奴がいてな、仕方なく作ったんだよ、あだ名をさ」
「へぇ〜〜〜〜〜〜」
アリサと連音の視線がそのまますずかにスライドする。
すずかは必死にごまかそうと子猫をいじくるが既に耳まで真っ赤になっていた。「うぅ〜…」
「じゃあレンで」
「よろしくね、連君」
「ん。まぁ、よろしく」


「今日はどうやら元気そうね?」
アリサはなのはに向き直り、少し安心した様に。
「えっ?」
「なのはちゃん、最近少し元気がなかったから……。
もし何か心配事があるなら話してくれないかな、て二人で話してたんだけど……」その言葉に、なのはは自分がどれだけ無自覚のまま心配させていたのか気が付いた。友人の優しさに心が震え、少しだけ涙が浮かぶ。

連音は膝の上の猫を撫でながらその話を聞いていた。

どうやらこのお茶会そのものがなのはを元気付ける為に催されたものであり、連音はそのダシに使われたという事のようだ。
その事に少し不快さを感じたが、再びなのはと出会った事は少なからずマイナスではなかった。
向こうは連音の事には微塵も気が付いていない様子だし、情報戦という観点からそれは圧倒的優性を意味していた。

「キューーーーーッ!?」

いきなり聞こえた必死な小動物の鳴き声。全員がその泣き声に向くとユーノが一匹の子猫に追い掛け回されているではないか。
「あぁ、ユーノ君!?」
「アイン、だめだよ!!」
と、なのはとすずかが立ち上がる。
「は〜い、おまたせしましたぁ〜!イチゴミルクティ−とクリームチーズクッキーで〜す!」
そこにタイミング悪く現れたのがファリンだった。もしこれがノエルであるならばどれ程の心配もしなかっただろう。
だがしかし、彼女はファリンである。

ファリンは何もない所で転ぶなど天才的なドジっこぶりを発揮する、ある意味での天才であった。
その彼女に向かって突進する二匹。さぁ転べ、と言わんばかりのシチュエーションである。

ファリンの足元をぐるぐると回りながら逃げるユーノ、追うアイン。
それをかわそうと必死になるファリン。
「あぁ…あぁ!?うわぁああぁ!?」
踵を軸にぐるぐるぐるぐる。ユーノらもぐるぐるぐるぐる。
ついにファリンは目を回してしまった。そのまま後ろに倒れこんでいく。
「ファリン危なーい!!」
「くうぅ!!」
「ちぃ!!」
すずかとなのは、そして連音が同時に飛び出した。


間一髪、なのはとすずかはファリンを支え、連音は飛び散ったソーサーとスプーンを片っ端からダイレクトキャッチした。
「おぉ〜!」
その姿にアリサが賞賛の拍手を送る。

連音の頭の上にポトン、と飛び上がったアインが乗っかる。
「「「セ〜フ……」」
「はわぁ〜!なのはちゃん、すずかちゃん、連音君、ごめんなさ〜〜い!!」


その叫び声を聞いたノエルはハァ…と、溜め息を吐いたとか吐かなかったとか。



場所を庭に移してお茶会の再開である。なのは達は猫の話で盛り上がっている。里親に貰われていく子もいるとかそういう話に、少しだけ寂しいといった顔をする三人。
「で、俺は何でまだ参加しているのかな?」
それとは別に誰も答えてくれない疑問を呟く連音。あの後、帰ろうとしたらアリサに首根っこを掴まれて連行されたのだ。

いまいち居心地の悪い空間にどうしたものかと辺りを見回すと、アインが森の方に歩いていくのが見えた。

「――――っ!!」
それから少しして、突然なのはの表情が強張った。何か恐ろしいものでも見たか、感じた様に。
その様子に表向き、普通に猫を弄りながら連音はなのはに意識を向けていた。
すずか達は子猫と遊んでいてなのはの様子に気が付いていない。
何事かを悩みながら、やがてユーノが地面に降りて、森に向けて走っていく。
「ユーノ君!?――っ!」
勢い良く立ち上がったなのはに二人が気が付いた。
「あらら、ユーノ、どうかしたの?」
「うん…何か見つけたのかも…。ちょっと探してくるね」
「一緒に行こうか?」
「大丈夫、すぐに戻ってくるから待っててね?」
すずかの申し出を断り、なのははユーノを追って森に消えていった。
その後ろ姿に、二人は何かしら違和感を覚えていた。


「――琥光」
“反応感知”
その言葉に連音も立ち上がる。
「連音君?」
「ちょっと行ってくる。あぁは言ってたが流石に一人で森は危ないからな。何かアイツ…どんくさそうだしさ」
そう言って連音も森に走っていった。



少し走った後、連音は足を止めた。目の前にはシャボン玉の表面のように流動する空間があった。
「異層型の空間結界…ここか!?」
連音は腕輪を構える。
「いくぞ、琥光!!」

“高速起動”

連音の体が一瞬で光に包まれて、それが砕けて消えるとそこに忍装束を纏った連音の姿が現れた。
「――結界透過!!」
琥光を抜き放ち、空間の狭間を切りつける。すると、その断面が歪み、大きな穴となった。
そこに迷うことなく入る連音。そして、穴は何事もなかったかのように再び閉じた。

結界の中は風景こそそのままだが、全体に灰褐色のフィルターを掛けたようになっていた。
その中を走る連音は目前に見えた人影に慌てて近くの木に身を潜めた。
顔を出し様子を窺う。すると――


ニ゛ャァアアアアアアアアアアアアアア…………!!


「………………………は?」
大気を震わす猫の鳴き声。見上げればそこにはジャイアントな子猫がいた。
その顔立ちと首輪から推測してそれがアインであることはすぐに分かった。だが、その原因が分からない。

なのはとユーノもその光景に呆然としていた。
「あ…あ……あれは…?」
どうにか事態を理解しようと声を絞り出して、なのははユーノに尋ねた。
「た…たぶん……あの子猫の大きくなりたいって想いが正しく叶えられたんじゃないかなと……」
「そ………そっか………」
自信なさげなユーノの言葉になのははそう返すのが限界だった。
(いや、それにしたってアレはないだろう!?)
心の中で激しく突っ込む連音。その間にもジャイアントアインはのっしのっしと歩いていく。
「だけどこのままじゃ危険だから、早く元に戻さないと!」
「そ、そうだね…!流石にあのサイズだとすずかちゃんも困っちゃうだろうし…」(だから、そういう問題じゃないだろう!?)
いまいちズレた思考のなのはにツッコミを入れたくなるが、それを必死に堪える。
どうにもはやてとの一件以来、ボケに関して反応が過敏になっているようである。
「レイジングハート…っ!?」
なのはが首に掛けていた石――レイジングハートを取り出して起動させようとした瞬間、金色の閃光がアインを襲った。
その衝撃にアインが悲鳴を上げる。
なのはがその方向に振り返る。彼方、敷地の向こう側にある電柱の上にブロンドの髪をツインテールに結んだ、黒衣を纏った少女が杖を構えていた。


「バルディッシュ、フォトンランサー…連撃」
“Photon Lancer.Full auto Fire”
杖の先端にスパークをしながら魔力が収束していく。そして弾ける様に先程の閃光が連続してアインに再び襲いかかった。
「魔法の光!?」
ユーノの驚愕の声になのはが我に返る。そして手にしたレイジングハートに強く呼びかけた。
「レイジングハート、お願い!!」
“Stand by Ready Set up”
レイジングハートが輝き、なのはを包み込む。そして光が砕けると、白い魔法衣に身を包み、その手に杖を持ったなのはが現れた。

なのはは攻撃の斜線上に飛び、アインの上で防御フィールドを展開する。
襲い来る光弾はその防御を貫けず、次々に落とされていく。
が、黒衣の少女はそれを見るや攻撃をアインの足元に切り替える。
それを防ぐ事ができず、アインはまともに喰らって倒れこんでしまう。
なのはもアインの上にいた為に一緒にバランスを崩したが、飛行魔法により何とか着地に成功した。


(攻撃の切り替え、戦況判断が早い。あの黒いの…戦闘訓練を積んでるな……。なのはも悪くはないが…)
連音は一連の戦いを分析しつつ、尚も沈黙を守る。


これから先の為、情報をしっかりと収集しておく事を優先したのだ。
無論、なのはの命に危険があるのなら、すぐに助けに入っていただろう。
だが、攻撃の威力に比べ、殺意や悪意といったものを連音は感じることができなかった。
もし悪意を持つのなら、最初の一撃でアインを殺していてもおかしくなかったからだ。
最初の攻撃は牽制、もしくは調整と判断できた。



いつの間にか少女は近くの木の上に降り立ち、なのはと対峙していた。

「同系の魔道士……ロストロギアの探索者か……?」
「……間違いない…僕と同じ世界の住人…そしてこの子…ジュエルシードの正体を…!?」
少女の言葉にユーノが驚く。少女はなのはに注意をしながら視線をずらす。
「バルディッシュと同系のインテリジェントデバイス……」
何処までも冷静に分析をしていく。
「バル…ディッシュ……?」
なのはの目が少女の持つ杖――バルディッシュを映す。
レイジングハートと違い、金色の宝石をはめ込んだ、戦斧に近い形状。漆黒のフレームは闇の如く見えた。

(ロストロギア…?それがジュエルシードの正体だと…!?何なんだ、ロストロギアとは…)

「ロストロギア、ジュエルシード……」
“Spythe Form, Set up”
少女が杖を振り上げると斧刃のようなパーツが90度動き、金色の魔力刃が生まれる。
その姿はさながら死神の鎌だ。
驚愕するなのはに向けてバルディッシュを構え、
「申し訳ないけど、頂いていきます」
枝を蹴り、一気に襲いかかった。
“Evasion.Flier Fin”
いきなりの事になのはは反応できなかったが、レイジングハートが起動させた飛行魔法でその一撃を回避する。

空に舞うなのはを見やり、少女はバルディッシュを大きく後ろに引く。
“Arc Saver”
「ふっ!!」
バルディッシュを勢いよく振りぬくと魔力刃はブーメランのように飛翔してなのはを襲った。
とっさに防御するなのは。だが、少女は放った次の瞬間には魔力刃を再び出し、地を蹴り一気に間合いを詰めている。
防御光から飛び出したなのは目掛けて真っ直ぐに振り下ろす。
それをなのははギリギリのところで受け止める。

少しの拮抗。やがて弾ける様にして互いに間合いを放ち、なのはは地面に、少女は木の枝に降り立った。

“Divice Mode”

バルディッシュは刃を消して再び元の形状に戻る。

“Shooting Mode”

レイジングハートもその先端を音叉状に変化させる。

“Divine Buster,Stand by”
“Photon Lancer,Get Set”

杖を構え、射撃体勢で対峙する二人。互いに次の一手を打つタイミングを窺っていた。
その時、気を失っていたアインが気が付き、動いた。一瞬、なのはが視線ごと意識を逸らしてしまう。

(――決まったな)
連音はこの戦いの決着がついた事を悟った。
戦いの基本は相手を視界に捉える事。
なのはが意識ごとアインに向いたのに比べ、少女の方は注意こそ向けたものの、視線はなのはを捉えたままだった。
経験の差。才能だけでは埋められない決定的な差が勝敗を決した。
「……ごめんね」
少女は一言だけ呟き、閃光が放たれた。



吹き飛ばされたなのははユーノがどうにかフォローをしたことで怪我はないようだったが、意識を完全に失っていた。

“Sealing Form.Set up”

バルディッシュの先端が少し延び、斧刃が180度動き、さながら槍の様になる。四つの光の翼が展開し、魔力が増大していく。
「捕獲!」
大地を雷光が走り、アインを打ち据える。
悲鳴を上げるアインの体からジュエルシードが浮かび上がった。

「ロストロギア、ジュエルシード…シリアルXIV……封印!」
“Yes,sir”
天空に光が立ち上り、黒い空間が生まれる。そこから無数の光の矢が降り注ぎアインを貫いていく。
そして更に、アインに目掛けて巨大な光が放たれた。

“Sealing”



そして閃光が治まると、そこには元の姿に戻り、気を失ったアインとジュエルシードがあった。
「っと…これ以上は見ているだけって事はできないな」
連音が幾つかの印を結ぶと、空中に棒手裏剣と呼ばれるものが出現した。
「フッ!!」
それを手に取り、一気に投げつける。



「――っ!?」
空を切るその音に反射的に少女はバルディッシュを振りぬく。
キン、という金属音と共に手裏剣が地面に突き刺さった。
「ほう…一応不意を突いたつもりだったんだがな……」
連音は奥からゆっくりと姿を現した。
「誰です…?あの子の仲間……?」
その言葉に倒れたままのなのはを一瞥し、そして向き直った。
「いや、仲間じゃない。尤も敵でもないがな…今のところは、だが」
「…邪魔をするつもりですか?」
「そのつもりだ。お前には色々と聞きたいこともあるしな……」
連音が琥光を握る。それを見て少女もバルディッシュを構え、対峙する。
「――何故、ジュエルシードを集める?」
「答える必要も…意味もない事……」
「なら…お前の背後にいる者の事を教えてもらおう!!」
「――っ!?」
地面を駆け一気に連音は間合いを詰める。その速さに一瞬動揺したが、少女はすぐに迎え撃つべく死神の鎌を展開する。

「はぁっ!」
「斬っ!」
刃と魔力刃がぶつかり火花を散らす。連音はそこを支点にジャンプして少女の背後に回り込む。
「ふっ!!」
背中合わせの状態から裏拳を繰り出すが、少女はその気配を察し、身を屈め回避する。
同時に放たれた足払いが連音の足をすくった。
倒れそうになるのを片手をついて防ぐが、そこを死神の刃が横薙ぎにしようとしていた。
「貰った!」
「甘い!」
連音の蹴りがバルディッシュの柄を押さえ、その刃を寸前で止める。
逆に連音の斬撃が少女を襲った。それを大きく飛び退いて躱す少女。
再び間合いが離れる。

(思ったより強いな…反応がここまで早いとは……)

(あの子と違う……素人じゃない。私と同じ……訓練を積んでいる…!?)


接近戦はいささか分が悪いと判断したのか、少女が刃を納め、なのはを倒した魔法を構える。
「フォトンランサー…ファイア!!」
“Photon Lancer”
閃光が連音に放たれる。だが、連音はそれを回避せず真っ向から受け止める。
「切り裂け、琥光ぉ!!」
“一刀両断”
振り下ろした一撃にフォトンランサーが真っ二つに裂かれる。それに驚愕の表情を浮かべる少女。
その一瞬の隙、その為に危険を冒して真正面から連音は立ち向かったのだ。

「はぁっ!!」

気合と共に再び走る。さっきよりも更に速く。
慌てて少女が雷球を発射するが、あっさりと全弾回避していく。
「くっ…速いっ!?」
一気に懐に飛び込まれ、少女は咄嗟にシールドを展開した。琥光はそれに阻まれるが、そのまま刃を振り抜いて盾を破壊する。

破壊の衝撃で土煙が上がり、周囲の視界を瞬く間に埋め尽くす。


僅かに見える影に向けて少女がバルディッシュを振り抜くがそこには誰も居らず、連音は既に大きく飛び退いた後だった。
「中々やりますね…」
大きくスタンスを取り、バルディッシュを構え直した。
その瞳が更に鋭さを増す。が、連音は覆面の下で不適に笑う。
「既に決着はついた」
と。一瞬何を言っているのか解らないという風だった少女が、ハッとしてある場所を向いた。
戦っている内に離れてしまった、回収するはずだったジュエルシードのあった場所。
そこを見ると、アインが倒れているだけだった。
「―――っ!?そんな、いつの間に!?」
「お探しの物はこれか?」
連音が左手を突き出す。二本の指に挟まれるようにして収まっているのは青い石。「…!!」
「ジュエルシード、確かに回収させてもらった」
琥光の柄の宝石に近付ける。すると、その中にジュエルシードが吸い込まれていった。
“回収完了”

「くっ…!」
「まだやる気か?お前じゃ俺には勝てないぞ?」
連音は敢えて少女を挑発する。さっきまでの戦い方で彼女の状況判断力がかなりのものと判断したからだ。
一瞬でも撤退を考えたであろうタイミングで挑発する事でその気持ちに揺さぶりを掛け、尚且つ冷静さを奪おうとした。
「………」
それが効いたのか、少女は二歩ほど走り、そのまま一気に地面擦れ擦れを飛んで突進してくる。
更に加速しながらフォトンランサーを放った。閃光が影になり、少女の姿が連音の視界から消える。

「その攻撃は効かないっ!」
斬撃が再びフォトンランサーを切り捨てる。そしてそのまま後ろにいる少女に備える。
が、少女はそのまま連音の真上を通り過ぎる。
挑発に乗ったと見せかけて、この場からの撤退を決断したのだ。


『この借りは必ず返します…!』


通り過ぎる直前、連音の頭に響いた静かな怒りに染まった声。振り返ると少女の姿は既に大空の彼方にあった。
その速度と距離から追撃は事実上不可能だった。
それを見上げながら連音は溜め息を吐いた。
嵌める為に仕掛けた筈が、逆手に取られてまんまと逃げられたのだから複雑な心境だ。
「まぁいいか。ジュエルシードを確保できるんだしな……」
「えっ…?」
何処にいたのか、ユーノがいつの間にか側に立っていた。
とりあえずそれを気にも留めず、アインに近付いていく。そして、軽く手を振ると何も無い空間に異変が起きた。
「あ――」
ユーノが驚きの声をあげる。
まるで砂粒がさらさらと流れ落ちる様に空間そのものが崩れ落ち、その下からジュエルシードが姿を現したからだ。

連音はそれを拾い上げると琥光に回収させた。

“回収完了”

その現象に少し考えを巡らせたユーノが呟いた。
「幻術……」
「ご名答。その様子だと異世界にもあるみたいだな?」
幻術。その名の通り幻を操る術で、連音の得意とする術の一つだった。
少女の盾を破壊した時、爆発が起こした土煙が視界を覆った。その時に予め仕込んでおいた幻術を発動させたのだ。

仕込んだのは最初、連音が姿を現した時。
戦いながらその機を窺っていたのだ。
「じゃあさっき回収したのも…?」
「幻術だ。戦いながら幻術を仕掛けられたなんて気が付かないだろうしな」

連音はなのはを見た。アレだけ派手にやっていたにも拘らず未だに意識を失ったままだ。
「ユーノ、だったな…?」
「…?」
「意識が戻ったら伝えろ。ここから先、あの黒衣の魔道士とも必ず戦う事になる。それでも関わろうとするのなら……」
「………」

「…覚悟を決めろ、とな」


風が突如として強く吹いた。それに思わず顔を逸らしたユーノが再び見た時、そこには誰の姿もなくなっていた。




その後、なのはが意識を取り戻したのは夕暮れに染まる月村邸のベッドの上だった。
ベッドの回りを心配そうにしている友人や兄に囲まれて、なのはな迷惑をかけてしまった事を謝っていた。

「レンが森で倒れていたなのはを見つけて、運んできてくれたのよ」
「連君が…?」

なのはが顔だけ動かして連音を探す。連音は部屋の壁に寄り掛かり、なのはと目線が合うと溜め息を吐いてそっぽを向いた。
なのははそれを迷惑をかけてしまったせいだと思ったが、実際はそうではない。

あの後、某特撮ヒーローの様に元の姿に戻った連音は現場に戻り、なのはとアインを屋敷まで運んだ。
その余りに白々しい演技っぷりに自己嫌悪しているだけだった。
とはいえその場に留まるのは得策ではなく、かといってそのまま一人で戻る事もできなかった為の苦渋の決断だった。


なのはは「ユーノ君を捜していて転んで気絶してしまった」と?を吐いた。
当然、連音はそれが嘘だと知っていたが何も言わず、ただ黙ってあさっての方向を向いていた。



なのはと恭也、アリサはノエルに車で送り届けられ、そしてその日の夜、なのはは自室にいた。
お風呂にも入り、パジャマに着替えて、今日、出会った少女の事、そして自分が意識を失っていた時の事をユーノに聞いていた。

「あの杖や、衣装や、魔法の使い方…多分…ううん、間違いなく僕と同じ世界の住人だ」
「うん……ジュエルシード集めをしていると……あの子とまた、ぶつかっちゃうのかな……?」
なのはの言葉にユーノはただ俯いた。口に出さなくてもそうなる事は容易に想像がついたからだ。
そしてなのはも、それに気が付いていた。

「覚悟を決めろ、か……」
「え…?」
ポツリと零したユーノの言葉になのはは小首を傾げた。
「あの人…忍者とかいう…あの人が言ってたんだ。これから先も関わる気なら覚悟を決めろ、て……」
「覚悟……」

何のための覚悟なのか、どういう覚悟なのか、それは分からない。


脳裏にふと浮かんだのは少女の顔。
綺麗な瞳と綺麗な髪。そして戦ったのに不思議と怖いとは思わなかったという事。
だけど何故か少しだけ、胸の奥が悲しい気持ちになった。


ジュエルシードを集める事を止めるつもりはなかった。だが、誰かを傷つけるような事はしたくなかった。
あの少女の気持ち。そして彼女に躊躇なく刃を向けた忍者の気持ち。
それを知りたいとなのはは強く願った。

何で戦わなくちゃいけないのか、と。



「失敗しちゃった…もう少しだったのに……」
少女はソファーに腰掛け、大きな狼らしき生き物の頭を撫でる。
狼はくぅ〜ん、と甘えた声を出して少女の手の心地良さを感じる。
「ジュエルシード…幾つかはあの白い子が持ってるのかな…?それともあの覆面の子…?」
少女の顔に少しだけ影が差す。それを感じ取り、狼は心配そうに鳴いた。
「大丈夫だよ…迷わないから……」
そう言って微笑む少女。心配してくれる家族の暖かな想いを受けて、もう一度その心に誓う。

(そう…迷わない……だから、待ってて……母さん)

視線が中空に向かう。その先にあるのは一つの写真立て。

(――すぐに、帰ります)




月村家内、連音の部屋。



ベッドに横たわり、連音は相棒である琥光と今日の事を話し合っていた。

“行動疑問”
「何で高町なのはからジュエルシードを取らなかったのか、って話か?」
“肯定”
「別に…無理やりとる必要もない。それよりも大事な事があるしな」

“黒衣ノ魔道士”

「あぁ、あいつがきっと裏にいる闇に繋がっている…。何としても押さえるぞ」


そう口では言いながら、連音の心に引っかかるものがあった。
ぶつかったからこそ分かる違和感。

彼女の刃に曇ったものはない。
それどころか洗練されたそれは美しいとさえ感じた。


それ程のものを持ちながら、彼女の瞳にはどこか隠しきれない悲しみ、寂しさが映っていた。

その瞳を持つ者を、連音は一人だけ知っていた。




一面が真っ白に染まる銀世界。その中にある、世界を穢す真っ赤な染み。
横たわる紫の髪の女性。その腕に抱かれる幼い子供。
その染みは女性から流れ、最早どうにもならないと分かる。
それでも子供は女性を、母の名を叫び続ける。この世に魂を留める為、必死に。
だが、既に母の命は消えている。それでも尚、子供は母の名を叫ぶ。
ただひたすらに。
彼に許された唯一つの抵抗だった。



「………嫌な事…思い出しちまったな………」



窓から見える月は美しく、金色に輝いていた。




海鳴の町は、再び静かな夜を迎え入れた。














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