祝福の風は、空へと還った。

その最後に様々な想いを抱き、見届けた者達はそれぞれの居場所へと帰る。

そんな中、連音は本局へと向かう。
竜魔として、決着をつけなければならない相手がそこにはいる。



   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー

       第二十二話  もう一つの結末



「ふぅ……」
長年使った執務室を片付け、グレアムは一息ついた。

本局内で彼が起こした騒動に対する責任及び、闇の書事件に関するアースラへの捜査妨害、犯罪幇助という罪を問われ、グレアムはその立場を辞する事になった。

対面上とはいえ希望辞職となったのは、グレアムの今までの功績があった事も、小さくは無かった。

書類関係はデジタルデータであり、全く嵩張る事は無いが、それでも関係各所に引継ぐ事は多い。
だがそれも、事前にこういった事態になると用意していたお蔭で、どうにか済ませる事が出来た。
「お父様、これで最後です」
リーゼアリアが書類を作成し終え、グレアムに回す。それをチェックするとすぐに転送した。

これで、グレアムのするべき事は全て終わった。階級を示す制服もすでに返しており、後は本局を去るのみである。


十一年もの間、彼が積み重ねてきたものは、その全てを否定され、破壊された。

未来を信じる子供達によって、孤独な少女の未来は守られ、因縁深き闇の書は、永久にその脅威を葬られた。



「これで、管理局ともお別れか……ちょっとだけ、寂しい気もするねぇ〜」
「そうね……ずっと、ここで働いてきたんだからね……」
どこか感慨深げに言うリーゼ達。二人はここで、生まれ育ったようなものだ。
そう思うのも当然の事だ。

「……では、行こうか」
主を失った部屋の照明が消え、ドアが閉まる。
人気の無い通路を、転送ポートに向かって進んでいく。


と、しばらく進んだ所で、グレアムは足を止めた。
「お父様?」
「どうした……ッ!?」
グレアムの視線の先。そこに立つ小さな人影。
覆面と、藍色の装束に身を包み、地に着きそうな程に長いマフラー。
腰に直刃の刃を納めた―――竜魔の忍。


「お前は……!!」
「辰守連音……!何故、ここに……!?」
敵意と警戒心を露にするリーゼ達。それに反し、グレアムは静かに連音を見つめていた。

「……来ると思っていたよ」
「用件は……分かっているな?」
冷徹な言葉を吐く連音に、グレアムは瞳を閉じ、頷いて返す。
「―――あぁ。取りに来たのだろう…………私の命を」
「な――ッ!?」
「お父様ッ!?」
グレアムの言葉に、リーゼ達が驚きの声を上げた。
「父様、どういう事!?」
「ロッテ……良いんだ。こうなる事は分かっていた……彼を……竜魔を敵に回すとした時点でね……」
「ッ!!意味分かんないよ!!」
グレアムは一歩前に出て、連音に言う。
「どうか、少しだけ待ってもらえないか?この子達には罪は無い……」
「誰かに引き継がせると……?」
連音の問いに、グレアムは頷く。
「リンディ君か、クロノなら……引き受けてくれるだろう」
「―――生憎だが、そいつは聞けない」
途端、連音の纏う雰囲気が変化する。突き刺さる純粋な殺意に、背筋に冷たいものが流れる。

「貴様らは私怨により地球を無用の危機に齎し、更には無関係な者さえ巻き込んだ。
ギル・グレアム、その使い魔リーゼアリア、リーゼロッテ。我が主君の命と竜魔の名の下に……裁かれよ」
「「―――ッ!」」
連音が琥光の柄に手を掛けると、リーゼ達がグレアムを庇うように前に出た。

「ふざけんじゃないよ……ッ!」
「ここは本局。こんな所でそんな事、出来ると思っているの!?」
「……出来ないと思うのか?」
「何ですって……?」
「既にここは、俺の結界の中だ。何が起ころうとも、何者も止める事は出来ん……」
「――ッ!?」
アリアがハッとして周囲を見回す。窓の外は何も映さず、通路は遥か彼方まで続いている。
「空間歪曲型の捕獲結界……!?そんな、いつの間に!?」
「竜魔の歴史は暗殺の歴史でもある……貴様ら如きに見抜けるものか」
「っ……!」
「何だ、あいつの姿が……霞む!?」
ロッテの言う通り、連音の姿が徐々に薄まっていく。同時に、張り詰めるほどだった殺気もまた薄らいでいく。

何が何なのか分からないリーゼ達だったが、次の瞬間には戦慄していた。


突如として一陣の風が吹き抜け、そして次の瞬間には、自分の体がバラバラに切り裂かれていたのだ。
真紅の血をばら撒き、崩れていく自分の体を、ただ眺める事しか出来ない。
「「あ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?」」
絶叫と共に頭が血溜りに落ち、全てが真紅に染まった。







「――――――――ハッ!?」
ロッテが我に返る。
顔面蒼白のまま、すぐに全身を見るが何処にも傷一つ無い。
アリアも同じように体を弄っている。
「ッ……はぁ……はぁ……!」
無事と分かり、全身から汗がドッと噴き出した。

「何よ、今のは……!?」
「まさか、今のは幻術……?でも、こんな……?」

「幻術じゃない。ぶつけられた殺気に、自らの死を幻視しただけだ」
「「な――っ!?」」
背後からした声に、慌てて振り返る。連音がそこに立っており、抜いた刃を静かに鞘に納めていた。

「っ……!」
首下に走った痛みにグレアムが顔を顰める。指で触れると、赤い血がそこには付いていた。
それはリーゼ達も同じで、やはり同じように首に赤い一筋を刻み込まれていた。
それは一度、命を刈り取られた証。

「……何故だ?今の瞬間、我々を殺す事が出来た筈だ……?」
「―――どんな意図があったにせよ、お前の援助によって、はやての生活が守られていたのは間違いない」
「故に、見逃すと……?」
「見逃す?勘違いするな。貴様らの生殺与奪は俺の手にある。何時、如何なる時であろうともな……」
「………」
「来るが良い、地球に。だが心せよ……地球は最早お前の故郷に非ず。そこはこの世で最も広い、蒼き牢獄。
竜魔の双眸は決して貴様らを見逃さず、そして貴様らの命……すでに竜の口内にある事、努々忘れるな……」
声を響かせながら、連音の姿が深まる闇に解けていく。

「その命消える時まで……己の罪を悔い、竜魔を恐れよ………」

そして、連音の姿が完全に消え去ると全てが闇に変わり、そして元の空間に返った。

「―――ッ、ハァ!ハァ…ハァ……!」
プレッシャーから解放され、リーゼ達は汗を滴らせながら膝を着いた。
グレアムも、額に滲んだ汗を拭う。
「むかつくガキだね……殺すなら、何時でも出来るってか……っ!」
「でも、私達は誰も気付けなかった……首を斬られた事に。殺せたのに殺さなかった……」
「ッ……!!」
ロッテが苛立ちを拳に乗せて床にぶつける。
実際にロッテは連音と戦い、重傷を負わされている。それさえも、殺そうとしていなかったから、それで済んだと言われたに等しい。
使い魔として生まれ、魔導師として高い実力を持ちながら、それは慢心となっていたのかもしれない。

「檻か……なるほど。咎人は裁かれるまで、檻に閉じ込められるか……」
「お父様……」
「行こうかロッテ、アリア……。罪には罰を、それが法を犯した報いだ……」
「あいつとだけは、いつか決着をつけてやる……!」



新たな因縁と様々な思いを残し、グレアム達は管理局を去った。








「―――では、ギル・グレアム一派はそのまま……?」
『はい。これ以上、世界に危機を齎すことは無いと思います……監視が相当と』
「報告、ご苦労でした。速やかに帰還しなさい」
『御意』
通信を終え、永久は主に向き直ると、座して深々と頭を下げる。
「―――どうやら、事は全て終わったようです」
「えぇ、聞こえていました。これで、我々に科せられた使命もまた……」
「はい。後は……天のみぞ知りましょう」
「……そうですね」

竜魔の里にある巨大な湖。そこに封じられている、超巨大次元航行船―――通称”霊廟”。

その中の施設の一室。
溶液に満たされたカプセルに似た装置の中に、静かに眠る物があった。

それは、一冊の本であった。









「報告終了、と……後はミゼットさんにお礼を言いたい所だけど……日を改めた方が良いな」
グレアムの退任を受け、管理局内は表向きの平穏を見せているが、その奥では混乱が生じている。

当然、管理局上層部にいるミゼット達にも、色々と面倒が回ってきていた。
落ち着くまで、数日は掛かるだろう。




転送ポートを使って地球に戻った連音は、その足で八神家へと向かった。
その手には大きめの紙袋があり、中には用意したクリスマスプレゼントが入っている。

門前までやってきた連音は、ふと聞こえた話し声に庭先を覗いた。
「ん……?」
見慣れた人物達と大小の動物が二匹、何やら話している。


「だから、こうやって……こうだよ!?」
「むっ……こうか!!」
ザフィーラがアルフに続いてポーズを取る。
そして光に包まれると、狼は子犬へと姿を変えた。

「そうだよ、それが子犬フォームさ!!」
「む……確かに、これは……」
子犬となったザフィーラが、体の具合を確かめるように動く。

「何をやってるんです?」
「あら、連音君?どうしたの?」
シャマルが振り返り、連音に驚いた。
「えっと、はやてに用があったんですけど……何をやってるんですか?」
「あぁ、ザフィーラは大型の狼の姿だからな、余り町向きではない」
「だから、はやてちゃんの負担を減らす為にも、ああやって効率の良い姿を教えてもらっているの」
「あぁ、なるほど……」
シグナムとシャマルの説明を聞き、納得する。
とりあえず、ザフィーラを見ないにした。あの姿であの低い声は、ただのギャグだ。
「それで、連音君はどうしたの?てっきりアリサちゃんのお家に行ったと思ってたのに」
「アリサの家……?」
「聞いてないのか?今日、クリスマス会というのをすると、主と共に向かったのだが」
「そういえば、フェイトがそんな事を言っていたような……」
ある日の夕食時、フェイトが話していた事を連音は思い出した。

「じゃあ……すみませんが、これを渡しておいて下さい」
連音は紙袋から、ラッピングされた物を取り出してシャマルに手渡す。
「え?えぇ、構わないけど………連音君は、アリサちゃんのお家に行かないの?」
「これから一度、里に帰るので……じゃあ、これで失礼します」
連音は軽く頭を下げ、そして走り出す。
「あ、待って……!」
シャマルが慌てて顔を覗かせるが、道の何処にも連音の姿は無かった。







高町家のリビング。
恭也はソファーに座り、昨夜の出来事を思い返していた。
(あの異常な世界……なのははずっと、あんな所に……?)
なのははずっと隠しているつもりだったが、恭也や美由希、士郎も、なのはが何か秘密を持っていることに気付いていた。

だがそれが、人外魔境の世界で、あんな嵐のような攻撃をする化け物と戦う事だったとは思いもしなかったが。

「……で、これか」
恭也はテーブルに置かれた一枚のカードを手に取った。

「ふぁああああ……おはよぉ、きょうちゃん……」
リビングのドアを開け、美由希が欠伸を噛み殺しながらやって来た。
「早いことあるか。もう昼過ぎだぞ?」
「恭ちゃんと違って、昨日は頑張って働いたからねぇ」
恭也が腕を、残像が起こる程の速さで振るった。
「ほほう、あれだけ謝らせておいて……まだ言うか。流石に怒るぞ?」
「怒ってるよね!?もう既に、限界値だよね!?」
眼前を通り過ぎ、ドアに刺さった飛針に、美由希が顔を蒼白にして叫ぶ。
「本気だったら、当てていたに決まってるだろう?」
「決まらないでよ!?」

ブーブー言いながら、美由希は恭也の隣に座る。
「……で、何を見てるの?」
「なのはからのクリスマスカードだ。ほら……」
恭也からカードを受け取り、美由希は書かれている文章を読み上げた。
「えっと……
『お父さんとお母さん、お兄ちゃんとお姉ちゃんへ。今や大事なお話があります。
リンディさんとフェイトちゃんも一緒に来てくれるので、晩御飯の前にでも、少しお話を聞いて下さい            なのは』
…………大事なお話?何だろうね、大事なお話って……?もしかして、隠してる事と関係してるのかな?」
「さぁな……色々とあるんだろう、将来の事とか……そういう事が」
恭也はそう言いつつも、恐らく美由希の言葉が正しいと感じていた。

昨夜、なのははフェイトの家に泊まった事になっているが、それが偽りである事を恭也は気付いている。
早朝に帰ってきたなのはは、恭也の顔を見るなり部屋に逃げ込んでしまった。

(言い辛い事なんだろう……黙っていた事、隠していた事を言うというのは勇気が要るからな……)

恭也は美由希からカードを受け取り、テーブルに置いた。
「とりあえず……今夜は空けておけよ?」
「その言葉……そっくりそのまま、恭ちゃんに返すよ」
「美由希……」
意地悪い顔で言う美由希に、恭也は満面の笑みを向けた。
その両肩に手を置き、美由希を見つめる。
「きょ、恭ちゃん……!?」
突然の恭也の行動に、美由希は驚き戸惑う。顔が自然と熱くなってしまう。


「美由希……………薙旋と雷徹と花菱、どれを喰らいたい?」
「恭ちゃん最低だよッ!?」




そして、そんな様子を、庭先から見ている人物が一人。
「あれ、連音君……?」
「お、本当だ。気付かなかったな……流石は本物の忍者だな」
恭也は庭に面した窓を開けると、
「何をしてるんですか……って聞くのは駄目ですか?」
「別に良いが、大して面白くも無いぞ?いつものように愚妹を弄っているだけだ」
「あぁ、なるほど」
「納得しないでッ!?」
美由希の心からのツッコミは、当然スルーされる。
連音は紙袋から包装された物を取り出し、恭也に差し出した。
「これ、クリスマスプレゼントです。あと、美由希さん……は、預かっておいて下さい」
リビングの隅でいじける美由希に苦笑しつつ、恭也に渡す。
「後は……なのはのも預かって貰えますか?」
「何だ、クリスマス会には行かないのかい?」
「えぇ、これから里に帰らないといけないので。戻っては来ますが……時間が掛かるかも知れません」
「そうか……色々と大変だな」
[いえ。恭也さんも、昨日は大変だったみたいですね?]
「あぁ……あんな事になるとは思いもしなかった」
連音が尋ねると、恭也は深々と溜め息を吐いた。
「その後はもっと大変だったよ。店は豪く混雑しているし、全員には責められるし……結局、片付けも殆ど遣らされたから、クタクタだよ。
昨夜のあれは……やはり、君がこっちに来た事と関係があるのかい?」
「えぇ。でも、全て終わりました……もう、あんな事は起こらないでしょう」
「そうか……それは助かった。流石に二度目は御免だからな……」
余程堪えたのだろう。参ったと言わんばかりに、恭也は心の底から溜め息を吐いた。
結界に取り残され、管制人格の攻撃に巻き込まれ、その後は翠屋の仕事をし、流石に心身共に限界だったようだ。
「あははは……」
連音は何とも言う事が出来ず、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。




クリスマスプレゼントを配り終え、高町家を離れた連音は、紙袋を適当なゴミ箱に放り込んだ。

大きく伸びをすると、連音は朝までの雲が晴れた青空を見上げた。
吹き抜ける風は冷たくも澄んでおり、それを胸一杯に吸い込む。

そして思い返す。
闇の書は完全に破壊され、世界は守られたものの、守れなかったものも在る。

なのはにあぁは言ったものの、連音の中にもそういう思いはあった。
それを傲慢だと言ったが、傲慢で何が悪いというのか。自分に出来る事をと考える事は間違いではない。

ただ、その思いに引き摺られれば……その後にあるのはもっと深い後悔だ。


どこかで、割り切るしかないのだ。どれだけ理不尽でも。


「――さて、行こうか」
わざとらしく声を上げ、連音は走り出した。助走の勢いのまま強く足を踏み込み、大地を蹴る。
そして突風を巻き上げて、連音は空に舞い上がった。








しばらくの間飛んでいると、眼下の風景が山と森に変わり、段々と白く染まっていく。
風も海鳴市とは比べ物にならない程に冷たく、凍えてしまいそうだ。

そんな中に湯気の立ち上る、拓かれた場所がある。

竜泉郷。竜魔の里の、表の顔である。

連音は一番大きいホテルの屋上に降り立つと、ドアを開けて中に入った。
エレベーターを使い、一階まで降りる。
このホテルは辰守家の物だが、一般の従業員が殆どで、連音の事を知るのは極僅かしかいない。

なので、見つからないように従業員用のドアを潜る。
その先にある裏口のドアを通り、外へ出ると連音は山道に足を踏み入れた。

竜魔の結界は通常、外へ出る事は容易いが、中に入る事は容易ではない。
里に入るには、特定のルートを通らなければならないのだ。

連音が通っている山道もその一つ。
雪深い道を進んでいくと、やがて人里が現れた。


「ふぅ、やっと帰ってこられたか……」
飛び出すように里を離れ、早一月。
生まれ育った里に帰り着き、連音も安堵の溜め息を吐いた。

まず、帰還と任務の結果報告をする為に、朱鷺姫の城【星詠の宮】へと向かう。


城の表門に辿り着くと、其処に着物姿の女性が立っていた。
「―――ようやく帰ってきましたか」
「只今帰還いたしました、永久様」
連音は汚れるのも気にせず片膝を着き、深く頭を下げる。
「――では、改めて報告を聞こう」
「――闇の書は完全に破壊。復活の可能性はありません。残された守護騎士プログラム及び夜天の王に関しては、その身柄を時空管理局が預かりました。
今後、世界的危険をもたらす可能性は低いと判断します」
「報告は確かに。では今日は屋敷の方に戻り、体を休めなさい。明日の朝、ここへ来るように」
「承知致しました」
連音は立ち上がり顔を上げると、そこに永久の姿は無かった。
消えた気配すら感じられなかった事に驚きつつも、連音は踵を返した。
相手は竜魔設立の時より生きる、人ならざる存在。自分如きに悟られるような相手ではないと分かっている事だ。

連音は辰守の屋敷――我が家への帰路に着いた。



巨大な門を潜り、屋敷へと入った。
「―――ッ!」
敷地に足を踏み入れるや否や、四方から風切音が響く。僅かに体を下げると、その眼前を手裏剣が通り過ぎた。

それをとっさに躱すと、すぐさま体勢を立て直す。
「なっ!!」
連音の眼前に、鉄塊の如き巨大な刃が迫っていた。
反射的に苦無を抜き放ってその軌道に沿わせると、火花を散らせて剣先が連音から僅かに外れる。
連音は直ぐに神速の領域に踏み込み、眼前の刃から大きく飛び退く。と同時に琥光を起動させる。
「障壁ッ!!」
“多重展開”
展開させた多層型シールドに、巨剣が喰いこむ。ヴィータの渾身の一撃すら、赤子の力と思わせる程の衝撃が全身を襲った。
「――っく!」
連音が横に退くと同時にシールドが突き破られた。遠く背後の庭石がその余波で砕け散る。
「どうした……その程度か?」
「…ッ!」
相手と自分では、比べる事すら愚かしい程の実力差がある。
万全の状態ですらそうなのだ。
疲労と闇の書とのダメージを負った状態では、結果は日を見るよりも明らかだ。
ならば乾坤一擲、全てを一撃に込める以外に無い。

選ぶのは瞬刹と神速。繰り出すのは必殺の一撃。
知らざる者には回避も防御も不可能の絶技。
「ぬぅうううん!!」
巨剣が横薙ぎに振るわれ、連音はギリギリでそれを伏せて躱す。
懐ががら空きになる瞬間に神速を発動、瞬刹で加速させる。

相手との間合いを最短で詰める、必殺の刺突。
届いた。確信に近い自信。
その瞬間、眼前に突如として壁が降り立った。剣先とぶつかり、火花を散らす。
「―――ッ!?」
不可侵の筈の世界に現れた障害に、連音が目を見開く。
「神速……御神の技を会得したか。だが、その程度しか維持できない技を使うとは……愚か者め」
「っ……!?」
背後からする声。振り返る間も無く、衝撃が横っ腹を叩いた。
障子窓を突き破り、室内にまで一瞬で弾き飛ばされる。
「ゲフッ!!」
壁に巨大な亀裂を作って磔にされる。肺から、強制的に空気が吐き出される。
襲撃者は巨剣を庭に刺したまま、室内に踏み入る。
「神速とは、その自在性をもって奥義と成す。瞬刹との併用は良い考えだが、肝心の神速があれでは……話にならんぞ?」
「………」
しかし連音に言葉は届かない。完全に白目をむいて意識を失っていた。

「あぁッ!か…壁がぁッ!?連音様がぁ!?」
たまたまそこに現れた椛は、その惨状に悲鳴を上げた。
「おぉ、すまんが片付けを頼む。聊か、遣り過ぎたようだ」
「片付けって……今、終わったばかりなのに……主様!!あぁっ、障子戸まで!?張り替えたばっかりなのに〜ッ!!」
涙目になって叫ぶ椛だったが、襲撃者――辰守宗玄の姿は何処にも無かった。

「もしかして……これも?」
庭には突き刺さったままの巨剣。柄も含めれば2mになるそれを見て、椛はうな垂れる。
とりあえず剣から片付けようと、椛は地面からそれを引き抜くと、担いで倉庫に向かって歩き出した。
その足跡は、深々と地面に刻みつけられていた。





「っ………?」
連音が目を覚ましたのは、明け方近い頃だった。
見慣れた天井は自室のもの。体を起こそうとすると、全身に激痛が走った。
「ぐぅ…ッ!そうか、頭領にやられて……くそっ、本気で化け物だな……」
常在戦場の心得を刻み付ける為、兄が不意打ちを仕掛けてくる事はあった。
しかし今回は頭領自ら。敵う筈も無いが、一矢を報いる事さえ出来なかった。
「………風呂でも入ろう」
のそのそと着替えを取り、痛む体を押して、連音は風呂場へと向かった。





「……っ!……ふぅ」
掛け湯をし、硫黄の香りがする湯船に体を沈めると、ビリビリと痺れるような刺激が冷えた肌に刺さる。
それが治まると、連音は深々と息を吐き出した。
窓から見える空は、紫色に染まっている。

ここに至って、ようやく事件が終わった事を実感する。

「………」
湯に体を浮かせて漂えば、雲のような湯気がひたすらに揺らめいている。
天井から雫が湯船に落ち、その音が響き渡る。

とても静かで、世界から音が消えたかのような感覚。心臓の音がゆっくりと、鼓膜を揺さぶる。

徐々に体が湯船に沈んでいく。息を止め、流れに身を任せる。

湯船の中にたゆたいながら、頭の中を空っぽにする。

瞼の裏に映るのは、祝福の風と名付けられた者が消え行く姿。
その力と魔導を残し、彼女は消えた。


その光景が雪景色と重なって、過去を思い出させる。

自分を守る為に消えた。
自分の為に犠牲となった。

それは心を、魂を雁字搦めにして沈めていく。


届かない言葉と、届かない手。


はやてをあの場所に連れて行った事は、過ちだったのだろうか。
ただ徒に、はやての心を傷付けただけだったのではないだろうか。

あの場所から去る時、はやては連音の事を一切見ようとしなかった。
ただ、夜天の欠片を抱き締め、騎士達と共に去っていった。

「っ……」
連音は音を立てて顔を出すと、ずぶ濡れの髪を無造作に掻き揚げた。

連音は冷徹な人間ではない。むしろその真逆である。
しかし過去の事件、竜魔としての自覚。そういった事が連音を冷徹であらせようとするのだ。

それは、なのはやフェイトといった情に動く人間と一緒にいる場合は特に顕著で、逆にクロノと居る時は素の状態に近い。

だから一人になると、どうしても考えてしまう。
あれから何年も経ち、強くなった筈。しかし、それでも届かないものが在る。
全てを救えるとは思わない。だけども、如何にか出来る手段が無いとは思えない。
それは勿論、只の可能性であり、今となっては何の意味も無い。既に確定された事なのだから。

(なのはに偉そうに言っておいて、自分がこれじゃあな……)

力も、経験も、絶望すらまだ足りない。

闇の書のとの戦いで、嫌というほど思い知らされた。

管制プログラムにも、防御プログラムにも、自分の力は届かなかった。

自分はまだ、何かを成せるほど強くない。

自分だけの『力』で、どれだけ『世界』を守れるかは分からない。
だけど、『力』が無い事を嘆かないように。『力』があれば守れる『世界』があるのなら。

―――もっと強くなりたい。

身も。心も。知識も。何者にも負けないように。





湯殿の窓から見える空に、暁が輝く。

夜が明け、また一日が始まる。







連音は着替えを済ませると、言われた通りに星詠の宮に向かった。
門前に着くと、そこには昨日と同じく永久の姿がある。

永久は連音について来るように言うと、背を向けて城の中へと入る。
連音もそれに続き、城に足を踏み入れた。

年末の大掃除の為に多くの人間が走るのを尻目に、廊下を抜けた先の奥の間に入る。

光の一切無い暗黒の空間。扉が閉じられ、それは生まれた。

「――では、行くぞ」
足元に幾重もの幾何学模様が描かれ、光を放つ。
床から発した光は壁の溝を走り、天井に達する。すると天井の中心にある半球体状の物体が淡い光を放ち始めた。
「―――ッ」
瞬間、凄まじい光に包まれて、連音は目を開けておく事が出来なかった。

ちかちかとする目で周囲を見ると、そこは薄暗い空間。
屋内である筈なのに、天井が見えないぐらいに高い。
壁には役割を果たしているとは思えない、斜めに重なり連なる柱がある。

「ここって……まさか?」
「『霊廟』の最奥。極限られた者だけ、入る事を許される空間だ」
「そ、そんな所に……!?」
しんと静まり返る空間。只人の踏み入る事を許さない荘厳さを感じてしまう。

「案ずる事は無い。琥光の主となったお前には、その資格がある……こっちだ」
永久に続き、通路をひたすらに進んでいく。
足音が遥か彼方まで響き、知らぬ間に連音は固唾を呑んでいた。

どれだけ歩いただろうか、不意に永久の足が止まった。
目の前には扉。永久が手をかざすと、扉がゆっくりと開いた。

広い室内には、幾つものクリスタルに似た物。
それの内の数個が光のリングで繋がり、一つのポッドの周囲を回転している。

そのポッドの中身が連音の瞳に映ると、驚きに見開かれた。その中に眠るのは一冊の本。白の表紙に金色の剣十字が見える。
「あれはまさか……白夜の書!?」
「いや、あれは白紙の魔導書……その名の通り、何も書き込まれていない魔導書……だった」
「だった……?」
つまり、今は何かが書き込まれている。そういう事なのかと連音が考えていると、永久がコンソールを操作した。

すると、クリスタルの中に幾つかのデータと、何かの姿が映し出された。
それを見て、連音は更なる驚きに見舞われた。

「あれは……リインフォース!?何で!?」
半透明の一糸纏わぬ姿で、彼女は膝を抱いて眠っているように見えた。
「消滅する際に、ユニゾンデバイスのデータを複写した。今はここで、データの修復を行っている」
「一体、どうして……?」
「そうだな……昨日、何があったのか……話すとしよう」










「お前は……誰だ?」
振り返ったリインフォースは、戸惑いの色を孕んだ声を発した。
それも当然だ。目の前にいるのは、服装こそ違うが、自分と瓜二つ―――いや、少しばかり、向こうの方が若干ながら年上のように見える。
「誰だ、とはまたご挨拶だな………まぁ、仕方ない事だが。最後に会ったのは戦場で、お前は壊されていたからな」
どこか寂しさを感じさせる言葉を吐かれ、リインフォースは何故か心に痛みを感じた。
「ッ―――!?」
突如として脳裏に過ぎる、残照。









轟く雷鳴。咆哮が大地を揺さぶり、亀裂からはマグマが噴き上がる。

最早、世界の崩壊を止める術は無い。

嵐巻き起こる戦場に、対峙する二つの存在。
映した様にそっくりな姿を持つ二人は、脇に書を抱え、対峙していた。
「もう、この世界は崩壊する………止める事はできない」
「避難も、最早間に合うまい……一つの方法を除いてな」
「夜天の書よ……あなたを封印します」
いつの間にか、夜天の書の前には新たな人物が現れていた。
法衣にも似た服と軽鎧を身に着けた女性。その手には金色の弓が納まっている。
「“永劫の書”よ……その力を、私に」
「御意……ユニゾン・イン!」
光が溢れ、永劫の書と呼ばれた存在は主と一つになる。

溢れ出る魔力が、プラチナの輝きとなって太陽の如く世界を照らす。

それは、神々しき王の降臨。

「神王陛下……」
神王と呼ばれた彼女は、その呟きに答える事無く、弓の弦に指を掛けた。
その先に現れるのは、絶対零度を思わせるような―――蒼白の矢。

神王はそれを天に向かって撃ち放った。



暗雲を貫いて、描かれるのは巨大な魔法陣。
そこに波紋が立ち、何かがゆっくりと召喚される。

それは―――――魔力で創り出された巨大な槍。
灼熱と変わった世界にあって、しかしそれの周囲だけは、突き刺さるほどに寒い。
槍は神王の横に浮かび、冷気を放ち続ける。

夜天の書が一気に襲い掛かる。魔力を拳に込め、容赦無く繰り出す。
「阻みなさい」
神王がその手をかざすと、光の障壁が生まれた。夜天の書の拳とぶつかり、激しく火花を散らす。
しかし厳しい表情の夜天の書に比べ、神王は何事も無いような表情をしている。
「クッ……!」
夜天の書は間合いを離し、巨大な魔法陣を出現させた。

「破壊の閃光よ、全てを呑み込め。滅びを呼ぶ声となれ……!」
夜天の書は全魔力を収束させる。漆黒の光が魔法陣に集められ、巨大な矢となって放たれた。

躱す間も与えず神王に命中し、大爆発が起きる。轟音と爆風が彼方にまで響き渡った。

「………ッ!?ぐぁ…っ!!」
突然、夜天の書が頭を抱える。内側から制御し切れない何かが、鎌首を持ち上げてくる。
(こ、これは……まさかっ!?)

「―――ッ!!」
爆煙が突如として吹き飛ぶ。夜天の書が驚愕した瞬間、その胸には深々と、一本の槍が刺さっていた。

煙の向こうには全く無傷の神王の姿。彼女が槍を投擲したのだ。
「くぅ……ぉおおああ……っ!!」
その傷口から、夜天の書の体が凍りつき始める。
槍を引き抜こうと長柄を掴むと、その両手すら凍り付いていく。

『無駄だ。その槍は触れる全てを氷結させる……例えそれが、夜天の書であろうともな』
ユニゾンを解除し、神王の体から永劫の書が姿を現す。

夜天の書はすでに八割近く凍り付いている。僅かに足先と頭部を残すのみだ。

「あなたはその氷塊の檻にて、永遠の眠りにつくのです。来る時まで……」
「すまない……必ずお前を助けて見せる。だから…………今は眠れ」

永劫の書の頬に僅かに伝うもの。それを最後に夜天の書は氷の棺に閉じ込められた。







「そうか………久しぶりだな、永劫の書よ」
過去から戻ったリインフォースは、静かにその名を口にした。

永劫の書。
夜天の書の上位プログラムにして、最強のユニゾンデバイス。
今は亡き、魔法世界ベルカの守護神。そしてその支配者、神王に仕えた存在。

「どうやら思い出したようだな……愚妹め」
「―――何故、こんな所にいる?」
リインフォースが問い掛けると、永久は少しだけ表情を崩した。
「その前に聞きたい。お前は本当に、このまま滅ぶ事を望んでいるのか?」
「―――それ以外に道は無い。私が存在する限り、主に危険が及び続けるのだからな……」
「夜天の書のデータは、すでにどの世界にも存在していない。修復する事は不可能……と?」
「その通りだ。アガスティア……『霊廟』にすら発掘出来ないのだ。これ以外に主を守ることは出来ない……」
「だがもしも、それ以外の道があるとしたら……どうする?」
「何だと……!?」
リインフォースが驚きの声を上げる。永久が手を開くと、そこに一冊の魔導書が現れた。

「それは……何だ?」
「私が創ったストレージデバイス『白紙の魔導書』。これに、お前のデータを移す……そうすれば」
永久が説明すると、全てを聞く前にリインフォースは首を振った。
「無理だ。データを移したところで、歪められた基礎構造がそのままである以上……」
「あぁ、分かっている。だから、闇の書を消滅させる際、ユニゾンデバイスのデータのみを抽出する。
それならば、幾ら基礎構造が歪められていようと関係無い。夜天の書は無くなっても、お前は残る事が出来る」
「………そんな事が、本当に可能なのか?」
リインフォースは戸惑っていた。消える事を覚悟し、こうして来たと言うのに、示されたのは蜘蛛の糸。
だがそれは、本当に掴んで良いものなのだろうか。


壊れ逝く主を救う事も出来ず、数多の世界を滅ぼし、多くの怨嗟と血涙を生み出し続けた自分が―――救われて良いのだろうか。


「勘違いさせて悪いが……これでも、完全にお前を救えるか……その保証は全く無い」
「……?」
「お前はユニゾンデバイスとしての機能自体にも、不具合を生じている筈だ。
高確率での融合事故……それが証拠だ。つまり、破損の影響をお前自身も受けているという事だ。
データを移しても、崩壊するかもしれない。崩壊しなくても、永遠に目覚めないかもしれない。
もし目覚めても……力も、記憶も、心も……何もかもを失っているかも知れない。
一応、データを改修してあるが……シミュレート上の話だからな。正直、確率は低い」
「………そうか」
「後は、お前自身で決めるが良い……私は、空で待っている」
永久は大きく翼を広げ、フワリと宙に浮かんだ。

「―――待ってくれ」
「―――何だ?」
「何故、それを……?」
リインフォースに問われ、永久はそんな事かと嘆息した。
「約束しただろう……必ず助ける、とな。まぁ、少々時間が経ちすぎている上……必ず、とは言い難いがな。
例え数万年経とうとも…………私は、約束を違える気は無い」
永久はそれだけを言い残し、灰色の空へと昇って行った。

「―――随分と変わったものだな、永劫の……いや、我が姉よ」
リインフォースは小さくなっていく姉の姿を、消えるまで追い続けた。

その耳に、小さな足音が聞こえる。
リインフォースは、その方に振り向いた。

(だが……私はやはり)

















「――じゃあ、あの時あそこに……?」
「あぁ……」
永久は頷いた。

「………」
連音は胸に、言い知れない思いを覚えた。

リインフォースは選んだのだ。生き残る為の道を。
結果として自分がやった事は、徒にはやての心を傷付けただけだったのだ。

「――お前には感謝をしている」
「……感謝?」
連音は永久の言葉に戸惑う。感謝される事など、何もしていないというのに。

永久は、妹の眠るポッドに触れながら呟く。
「あの時、夜天の書は消える事を選んでいた…………八神はやてが現れるまでは」「ッ……!?」
「お前と八神はやての言葉に……心を変えたのだ」
「――っ!?」
「あの時の言葉に、一つの嘘も無かった。妹は何時かきっと目覚めるだろう。果て無き旅路を越えて、な」
「………」
闇の書が滅び、彼女は白紙の魔導書に想いと力と心、そして魂を宿そうとした。

リインフォースは言った。
『私の魂は、きっとその子に“も”宿るでしょう』と。

リインフォースは闇の書に付けられた新たな名前。

闇の書が滅びれば、自分という存在が消える。


ここにいるのは、剣十字と同じ―――夜天の残り火。

何時目覚めるとも知れない存在。もし目覚めても、全てを失っているかも知れない。

自分という存在が消えるかも知れない恐怖。それでも尚、彼女は一縷の望みに掛けたのだ。

祝福の風として、もう一度空に舞う為に。




「―――この事を、八神はやてに伝えるか?」
永久の言葉に、連音は首を横に振った。
「……いいえ、伝えません」
「何故……?」
連音はポッドの前まで進むと、コンコンと軽く叩いた。
「時が来れば……自分で言いに行くでしょうから」

はやては家族を、そう呼ぶ筈だった存在を失ったと思っている。
伝えれば、はやてはどれほどに喜ぶだろうか。

だが、もしかしたら目覚めないかも知れない。目覚めても、記憶や想いも失っているかも知れない。
それはより深い傷を、はやてに与えるだろう。

そして何より――――それを伝える資格を、自分は持っていない。

それを持つのは唯一人。ここに眠り続ける者のみである。


(目覚めるまで嘘吐きを引き受けてやる……だから、ちゃんと起きろよ)








霊廟から里に戻った連音は、再び海鳴市に向かいたいという旨を、永久に伝えた。
「そうか……だが、無理はしない様に。見た目の傷が無くとも……体はボロボロなのだからな」
「分かっています。こんな無茶を続けていたら……そう遠くない内に、壊れるでしょうね」
強大な敵に対する為、刻印や五行奥義といった負担の果てしなく高い切り札を使ってきた。
その上、無影の会得やカートリッジシステムによって、蓄積されたダメージは、何時噴出してもおかしく無い状態にあった。

少なくとも、数ヶ月以上は大きな任務から外れ、療養する事になるだろう。

とはいえ、体を錆びさせる訳にも行かず。

そういった点からも、海鳴に行く事は丁度良いのだった。

剣や技の訓練を適度に行える相手もいる上、良い氣の流れを持つ町そのものが、心身を癒す事だろう。
近隣に温泉がある事も良い。湯治としゃれ込む事もできる。

一日やそこらを湯治とは呼ばないが。




行く時とは違って屋敷で手荷物を纏め、連音は海鳴市へと戻っていった。


初めて海鳴市を訪れた時の様に、鉄道を使っての旅。
任務でもない、只の旅。

流れる風景、町並み、駅に着けば人の流れ。
平等に流れる一秒を、全く不平等の中で共有する。

列車という特異な空間にあって、連音は世界から隔絶されたような気がした。


再び列車は動き出し、世界が流れ出す。

ガタンガタンという音と、揺り篭の様な揺れが、連音を内側から停滞させていく。
静かに瞼を閉じ、連音は眠りについた。







海鳴市に帰ってきた頃には、既に日が傾こうとしていた。
年末ダイヤで電車の数が減っているのが原因だった。

今日中に着ければ良いので、別に急ぐ事も無いのだが、流石に座りっぱなしも辛い。
すっかり固まってしまった体を解そうと、思いっきり体を伸ばす。


「さて、と……」
地面に置いた荷物を持ち直し、連音は歩き出した。


クリスマスを終え、年越しに向かって進んでいく町を連音は進んでいく。

流れる人のほとんどが先日、この世界が滅亡の危機を迎えていた事など知る由も無く。

否。そんな事は知る必要も無いのだ。


コートのポケットに手を突っ込んで、連音は小走りに駆け出した。


マンション前に着くと、なにやら人影が見えた。
よくよく見れば、それはアースラのスタッフ達だった。

「――アレックスさん?」
「ん……やぁ、連音君。もう帰ってきたのかい?」
「えぇ、それなりに早く済みましたから……で、何してるんですか?」
アレックスは大きなボックスを抱えている。こうしている今も、スタッフが荷物を運び出している。

「アースラが本部に戻ったけど、細かな機材とかはそのままだったからね……事件が終わったから、やっと片付けだよ。まぁ、これで終わりだけどね」
「じゃあ、ここはどうなるんですか?」
マンションを見上げながら、連音は尋ねた。
「そのまま艦長が使うそうだよ。フェイトちゃんも、此処から学校に通うしね……」
「……公私混同も甚だしい気がするんですが?」
「う〜ん……」
アレックスも首を傾げて苦笑していた。




マンションのドアを開けると、何やら話し声がする。何かもめている様だ。
「クロノ、お願い!!行かせてッ!!」
「だから!そんな事できる訳無いだろう!?」
「どうして!?」

「何やってんだ、お前ら……」
見ればクロノが、凄い剣幕のフェイトに迫られている。
「丁度良かった!レン、聞いて!!クロノが……レンを探しに行かせてくれないんだ!!」
「いや、待て!」
「昨日の朝に別れたきり帰って来なくて……プレゼントと書置きだけ残していなくなっちゃったんだ!!
クロノは心配ないって言って聞いてくれなくて……レンからも何か言って!?」
「クロノ……行かせてやれば?」
「いやいや!その必要は無いだろう!?」
クロノは的確なツッコミを入れてくる。しかし悲しいかな、フェイトとの間には思考のズレが生まれていた。
「ありがとう、レン!大丈夫、ちゃんと見つけてくるから!!」
言うが早いか、フェイトは矢の様に飛び出して行った。


バン、ダダダダダ………バタン!!





「………」
「…………」



バタン!ドダダダダダ……、バンッ!!


「レン〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」
フェイトが再び矢の様に帰ってきた。

「意外と早かったな」
「フェイトで遊ぶな!」

この後、似たようなボケを八神家でも行ったのは、当然の話である。

勿論、天然一直線のフェイトと違い、はやては見事なノリツッコミを繰り出した訳だが。
ただ、その裏側に隠したものに連音は気付き、嘘を吐いている事が心苦しくあった。



こうして、事件は漸く終わりを迎えた。

幾つかの悲しみ、一つの約束と小さな嘘を残して。





















時は流れ、翌年の五月頃。

ジュエルシードを巡る戦いから一年。闇の書事件からは半年が経過した。


フェイトはハラオウン家の養子となり、執務官候補生として、なのはは戦技教導隊を目指し、武装隊仕官候補生として正式に管理局に配属。

はやての麻痺も、徐々に回復に向かっている。
今は特別捜査官候補生として配属され、守護騎士達はその補佐官として活躍を始めている。

ユーノも闇の書事件での活躍を認められ、無限書庫の司書としてスカウト。正式に配属された。


そして今。
ミゼット・クローベルの執務室には、部屋の主と共に一人の少年がいた。

「あら、これは中々……」
ミゼットは、連音が菓子折りとして持って来た翠屋のシュークリームに舌鼓を打っていた。

連音も、持参した茶葉で入れた緑茶をすすっている。
湯飲み代わりのマグカップを置いて、連音は一息吐いて背を正し、頭を下げた。

「色々とご挨拶が遅れました事、また事件中にご迷惑をお掛けしました事、合わせましてお詫び申し上げます」
「別に気にしなくても良いわ。ずっと、只忙しいだけで張り合いが無かったから……久しぶりにワクワクしたもの」
ミゼットはコーヒーを一口、口にすると無邪気な笑顔を見せた。

「報告は聞いたけど………派手にやったみたいね?本当にそういう所はソウジロウ譲りね」
「そうですか?」
「彼の方がもっと派手にやっていたけどね……それで、これからあなたは如何するの?」
「如何する……とは?」
「お友達は管理局に入ったのでしょう?ソウジロウ……あなたのお祖父さんも、一時とはいえ所属していたわ。
丁度、査察部が新しい人員を欲していてね……私の所に誰かいないかと聞いてきたのよ」
「それ、狼捜査官ですよね……聞いたのって?」
連音がジト目で尋ねると、ミゼットは可愛らしく小首を傾げた。どうやら図星らしい。

「でも査察部には、クロノ執務官の友達も居るのよ?」
「意味が分かりません」
「あら?クロノ執務官とは、お友達なんでしょう?」
「全然違います」
ミゼットは「あらあら」などと言いながら、コーヒーをまた一啜り。

確かにクロノとは、事件の時に色々と行動を共にしている。
しかしそれは、リンディからの要請を受けての事であり、友人関係があるのかと聞かれれば疑問である。

しかし傍目からすれば、二人は友人に見えるらしい。


(しかし、クロノの友人か……類は友をというし……査察部なんて所にいるんだ、きっと偉く頭の硬い奴なんだろうなぁ……)

クロノは悪い奴ではないが、あれと同じ様なのがもう一人というのは、遠慮したいものだと連音は思った。



「ハックシュン!!」
同時刻。査察部内でくしゃみをする、緑色の髪の少年がいた。




「そでじゃあ……人と待ち合わせているので、そろそろお暇します。」
「あら、そうなの?もう少しお話したかったのだけれど……」
ミゼットは心底残念そうに言う。
「また今度……次は美味しい温泉饅頭を持ってきます。祖父の好物なんですよ」
「……楽しみにしているわ」

連音は入り口で頭を下げ、執務室を後にした。


中央棟上層階から出て向かうのは、東棟。
様々な技術部の集まっている区画である。はやてのシュベルトクロイツや、なのはのレイジングハートが調整を受けている。

―――その筈だったのだが。

「は?」
『だから今、模擬戦の真っ最中なのよ。連音君は上層階にいたから連絡が行かなかったのよ』
マリエルから調整が終わったと聞き、連絡を取ってみれば、エイミィから返って来たのはそんな言葉だった。
上層階には、緊急以外での直接通信は制限をされる。ましてや、仕官候の模擬戦程度の内容では間接でも連絡を取る事は出来ないのだ。

『ていうか、ミゼット提督と知り合いだった、てのが凄い驚きだったけどね〜』
「知り合いというか……で、何処でやってるんです?」
『南棟の第三区画にある第6訓練室だよ』
「了解」

南棟第三区画は、主に一般局員の部署が集中する区画で、局員訓練用の施設などもある。
第6訓練室は、最も大きい部屋の一つである。

連音はそこに向かった。






訓練室モニタールームでは、リンディ、レティ両提督が訓練の様子をモニターしていた。
「まー、何と言うか……若い子は元気ねぇ」
「そうねぇ。仕事でもトレーニングしてるでしょうに」
「技術向上が楽しいんでしょうねー」
どこか長閑に、二人はマグカップを傾ける。

「それにしても……今回の【闇の書事件】って、第一級ロストロギア関連事件なのに、終わってみれば死者0名。
おまけにレア能力付きの魔導騎士に、即戦力レベルの配下4名までゲットして……。
『リンディ提督は、一体どんな奇跡を使ったんだ?』って、噂になってるわよ?」
「あらまぁ」
レティの言葉に、リンディは肩を竦める。どうやら噂は本人にも届いているらしい。

「奇跡なんて……私は何もしていないわ。全部、あの子達が頑張った結果よ……」

「……そうね。奇跡云々は兎も角、あの子達は頼もしいわね」
レティの言葉に、リンディも頷く。
「あの子達が大きくなって、部下や教え子を引き連れて、一緒に事件や捜査に向かっていくようになったら……世界も、少しは平和になるかも知れないわね」

モニターに映る未来の可能性に、リンディは目を細める。
もう自分では届かない、そこに行く事のできる可能性。

子供だけが持つ、絶対の特権。それが、いつかは希望になると、リンディは確信に近い思いを持っていた。


「ん……?」
レティがモニターに目を戻すと、何かに気付いた。
訓練室には内部隔壁に受けた負荷によって、シグナルが点灯する。

現在のシグナルは―――イエロー。

しかし、訓練―――模擬戦闘は更に激しさを増していく。

「訓練室……ちょっと危なくない?」
「え、えっと……」
どれだけ管理局基準に則った模擬戦闘だろうと、AAA以上のメンバーが殆どを占める状況にあって、それは何の安心も与えはしない。

そんな事に、今更気が付いたのだった。






「「――――ッ!?」」
「い……っ!?」
守護騎士達に動揺が走る。なのはとフェイトに、凄まじい魔力がチャージされたからだ。

「フィールド形成……発射準備完了……ッ!」
なのはの顔が、今までに見せた事の無いものになっている。
その身に流れる御神不破の血か。それとも元来の性質か。なのはは負ける事に大きな抵抗があった。

だから、勝利で終わらせる為に。
「お待たせしました……おっきいの……行きます!!」
なのはの魔力が、フェイトのザンバーに注ぎ込まれていく。

「「N&F中距離殲滅コンビネーション!!ブラスト・カラミティッ!!」」


ブラスト・カラミティ。それはバレルフィールドを展開後、なのはの魔力を受けたザンバーによって攻撃。
直後に二人の砲撃によってフィールドを攻撃魔力で満たす、空間攻撃である。

射程は短いが、訓練室内で使用するには充分の範囲だ。


しかし、この状況に一人立ち向かう者が在った。
「どっこい、こっちも詠唱完了や……広域攻撃Sランクの意地があるからな……退かへんよ……!!」
AAA二人による合体魔法 VS 広域Sランクの魔法攻撃。


嫌な予感しかしない状況にクロノは、溜め息を吐いた。
「……ユーノ」
「結界展開完了。大丈夫、訓練室は壊れない」
この中で、最も強固な結界を作れるユーノがグッと親首を立てる。
封時結界。これならば、幾らなんでも。


それがとんだ甘い考えである事を知るのは、数秒後の事。



「全力全開!!」
「疾風迅雷!!」
「轟炎爆裂!!」

「「ブラストシュート!!」」「クラフト・エクスプロージョン!!」



その瞬間、管理局を大規模な揺れが襲った。
満たされ、行き場を失った魔力は暴れ狂い、結界内で爆発。その時、結界を越えて隔壁の一部をすっ飛ばしたのだ。




「ゲホ…ゴホッ……!」
「あ…あぁ……がはっ」
「全員、生きてるか……」
粉塵と爆煙の中で、ボロボロになったそれぞれが声を掛け合う。
フラフラとしながら、皆が一堂に集まる。もう、模擬戦どころではない。
「あーあ……こりゃ酷いねぇ」
アルフが天井を見上げて呟いた。内壁が吹っ飛び、骨組みが露になっている。というか、一部落ちている。

非常用シャッターも降りていて、被害はどれだけのものか、想像するに恐ろしい。


そんな中、爆心地の三人娘もボロボロになっていた。
互いの魔法攻撃のダメージに加え、自爆同然のダメージを受けて、立つ事もままならない。

「アハハ……あかん、体が……」
「にゃはは……わたしも、フラフラだよ」
「派手に壊れちゃったね……」
などと言いつつ、笑い合っている。


未来はこれから始まっていく。結んだ絆と、見つけた夢に向かって。

彼女達は、これからも進んでいく。

大人になっても忘れない、願いと巡り会いを胸に抱いて。






「…………随分と、楽しそうだなぁ」


「「「…………え?」」」

三人が声のした方を向くと、歪んだ訓練室のドアを持った、幽鬼の如き少年が立っていた。
頭からはダラダラと血が流れ、顔は真っ赤になっている。


「ど、どうしたの……レン?その怪我……」
「……聞きたいか?」
「っ……!?い、良いよ……無理に言わなくて」
「遠慮するな……なぁ、『高町』?なぁ、『八神』?」
「にゃ…っ!?」
物凄い形相で見下ろされ、三人娘は最早ガタガタと震えるしかなかった。

「お前らが模擬戦をしていると聞いて、ここまで来たんだよ……そうしたら、ドアの前に着いた途端、ドアが吹っ飛んできてさぁ……壁とサンドイッチにされたんだよ……。
なぁ、さっきの爆発…………『誰が』やったんだ……?」
「「「―――――!?!?」」」
犯人が分かっていながら、しかしあえて、それを本人に尋ねる。

「え、えっと……」
「さ、さぁ……よう知らんよ……?」
「わ、わたし達も巻き込まれただけだし………ねぇ?」
「そ、そうや!!フェイトちゃんの言う通り……巻き込まれただけやから!!な!なのはちゃん!?」
「え!?えっと…………うん、多分そんな感じ……かな?」

冷や汗をダラダラと垂らしながら、三人は必死に恐怖に耐えていた。
悪あがきと分かっているが、正直、本気で怖い。

「ほぉ……つまり」
ブンッ!という音と共に、特殊金属製のドアが放り上げられた。

放物線を描き、ドアは真後ろに飛んだ。

「ギャアッ!!」
そして轟音を上げて床に突き刺さった。
「……お前らがやった、という事で良いのか?」
衝撃で散った粉塵の向こうには、腰を抜かしたアルフとシャマル。更に戦慄し連音を見るその他。

隠す事無く発せられた怒気に、こそこそと逃げ出そうとしていたのだ。
怒っていても、そんな気配を見逃すような連音ではない。

連音が問い掛けると、全員が一斉に首を振った。

「全員違うというのか……まぁ良いか……」
連音は呟くように言うと、琥光を起動させ忍装束を身に纏う。

「…………え?」
誰かが間の抜けた声を出した。
「模擬戦の最中なんだろう?なら、ここからは俺も参加させてもらおう……」
「えっと……もう、終わったよ……?」
「じゃあ、第二ラウンドを開始しようか……」
フェイトがおずおずと尋ねると、連音は底冷えするような笑みを浮かべた。
「いや、もう……体がな、まともに動かへんのよ」
「気にするな。俺は気にしないから」
「いや、気にせぇよ!!」

はやての叫びに、連音は琥光を抜く事で答えた。


「さ〜て……始めるか」

「いーーーーやーーーーーーーーーーッ!!」



誰かの絶叫が響いた瞬間、爆発が起きた。




阿鼻叫喚の地獄となった第6訓練室に、少女達の未来は儚くも散ったのであった。










では、拍手レスです。本当にありがとうございます。




※竜魔のケジメ・・、うん、シグナム達死んだな。
どんな事情でも襲ったんだしそれ相応の事は受けないとね。犬吉様、次の更新も頑張って下さい。


>いやいや、それだとBADEND……まぁ、最後のオチはそんな感じでしたがwww

とりあえずグレアム一派には、きっちりやり返しました。
コミック版でも、ちゃんと謝ろうとはやてが言っていました。本当に大変なのはここからです。


※シャドウブレイカーの感想。
次の話でA’s編もおわりですか。このまますぐにStSにつながるのかそれとも・・・?
嫉妬するフェイトもいいですが、やはり連音ははやてといるとほんわかしますね。これからも続きをよろしくお願いします。


>感想ありがとうございます。

連音とはやてが揃うと、あんな感じになってしまいますね。
そしてフェイトは無自覚にヤキモチを焼くという……何だ、このラブコメww

STS編はどうしようかと考え中です。続編か、新作か……さて。


※犬吉さんへ
シャドウブレイカー、一気に読ませて頂きました。某とまとなサイトでも犬吉さんの小説読ませて頂いてますが、もう素晴らしいの一言につきます。
連音の強さ、心の葛藤、陰陽五行の術式、そして無自覚に立てていくフラグの数々!!!!
(マテあ、失礼(汗)基本ギャグが好物の人間故お許しを。
さて、リインフォースを見送るシーンはリリなのシリーズの名場面の1つですね。
白夜の書が出てきた時はもしかして助かる!?と思いましたが、こちらの世界では白夜の書はもうなかったのですね。
悲しいではありますがそれが世界であるとも思います。長文になりましたので、これからのご活躍を楽しみにしつつ、失礼致します。

P.S.アリシアが可愛らしすぎますwwww


>感想ありがとうございます。素晴らしいと言って頂き、感謝の限りです。
某サイトさんの方は、こちらがクライマックスなので一寸止まっておりますが、あちらも続きますので宜しくお願いします。

最初は深く考えずに始めたのですが、ドンドンとシリアスになっていきました。
無自覚のフラグはきっと、その反動ですねwww

ツルギ様の作品『もう一つの魔導書』では、トレイター=白夜の書によって救われたリインフォース。
僅かな時を生きただけの人間には抗いようの無い運命が、ハッキリと描けたと思います。
ツルギ様には、改めて感謝を。


そしてアリシアは、正月SPで復活しています。
ボケとツッコミにシリアスと、三拍子揃った恐ろしい子になってしましましたwww






拍手を送って下さり、ありがとうございます。

拍手はリョウさんの手で分けられております。
送られる際は誰宛か、一言加えて頂くようお願いします。













作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。