クリスマスイヴの翠屋は、例年以上の混雑振りを見せていた。
恭也に忍、美由希は勿論の事、晶に那美も駆出され、完全可動状態である。

「4番テーブルのオーダー、入りました!」
美由希が厨房に伝票を出すと、そのまま置かれていたケーキセットを手にしてその場を去った。

「7番、オーダー入りました!」
「会計、入ります!!」
晶が新たに伝票を持ってきて、那美がレジに走る。

恭也も空いたテーブルを片付け、洗い物を厨房に運ぶ。
「ほら、追加だ」
「えぇ!?まだ来るの!?」
シンクでひたすらに、洗い物と格闘し続ける忍に渡す。
「何を言っている?まだ、これからだぞ?」
「何か、去年よりも忙しい気がする……」
忍が深々と溜め息を吐いた。
忙しいのは、客商売としてはありがたい事だ。
とはいえ折角のイヴに、恋人と話す事さえできないのは考え物だと、苦笑しながら、恭也はその隣に立ち、洗い終わった皿やコップを拭き始めた。

その時だった。突如として異様な風が吹き抜けたのは。


「恭也、そっちが終わったら……あら?」
調理台で作業していた桃子がシンクの方を向くと、そこにいた筈の二人の姿は何処にも無かった。

まるで、神隠しにでも遭ったかのように。



   魔法少女リリカルなのはA’s シャドウブレイカー

        第十八話  追憶と幻想



人の気配を完全に失った町に、二人の少女の姿があった。
なのはとフェイトの友人、アリサとすずかである。

翠屋に向かう途中、いきなり強い風が吹いたと思ったら、世界は異様なものへと変わっていた。

空や町並みの色がおかしくなり、あれだけいた筈の人が、何処にも見当たらないのだ。

アリサはすずかにその場で待っているように言い残し、周囲を調べに行き、そして戻ってきた所である。
「ダメ!やっぱり、誰もいないよ…!急に、人がいなくなっちゃった……」
「っ……」
「辺りは暗くなるし……何か、光ってるし……!」
アリサとすずかが、視線を上げる。
その先にあるのは、桜色の光。

今も収束を続ける、闇の書のスターライトブレイカーの輝きである。

「……一体、何が起きてるの!?」
半年前は地震が、世界中で長時間に渡って観測され続けるという異常事態。

そして今、町から自分達以外の人が全員消えるという異常事態。

状況は全くもって不明だが、あの光が自分達にとって、良くない物だという事は分かる。
「とにかく逃げよう!出来るだけ遠くに!!」
「……うん」
不安な面持ちのすずかの手を掴んで、アリサは走り出した。





「これって……何なの!?」
「分からん。だが、俺達以外に人の気配が無い……」
突然吹いた風に違和感を覚え、恭也たちがフロアに出ると、そこには誰の姿も無かった。
あれだけいた客も、美由希達クルーも、誰の姿も。ただ一人、神咲那美を除いて。

もしやと思い外へ出ると、やはり人っ子一人いない。
「……強い力を感じます。誰かが私達を、結界か何かに閉じ込めたみたいです」
「誰かって……なんで私達を!?」
「そこまでは……でも、あれが関係している気がします」
那美は視線を上げた。そこに見えるのは桜色の光。この異様な状況で、一際異彩を放っている。

「――二人はここに居てくれ。俺はあれを調べてくる」
「ちょっと待って」
恭也が行こうとすると、それを忍が止めた。
「何だ……?」
「か弱い女の子二人を置いていくの?」
「か弱いかはともかく……危険があるかも知れない場所に連れてはいけないだろう?」
「でも、状況が分からない以上……一緒に居た方が良いと思います。離れてはいざという時にフォローが出来ませんし」
恭也の言葉に、那美が異を唱える。

恭也はしばし考えた末、答えを出した。
「……絶対に俺から離れるな?何かあったら、すぐに逃げる事。良いな?」
「オッケー!」
「はい……!」

こうして三人は、光のある方へと進みだした。









しばらく走っていると、すずかが急に足を止めた。
突然の事に、アリサはつんのめりそうになるが、ギリギリで耐えた。
「ちょっと、どうしたのよ!?」
「――人の足音がする。しかも、複数……」
「――っ!?それって、人がいるって事!?」
その言葉を聴き、アリサは興奮気味に聞き返した。

自分には聞こえないが、すずかが嘘を言うとは思えない。
アリサはすぐにでも、その人達の所に行こうと思った。だが、すずかの腕がアリサを引き止める。

「ちょっと!何で、行こうとしないの!?」
「こんな状況でだもの。助けとか、そんなんじゃない事だって有り得るよ?まずは、敵か、そうでないかを見てから……」
「……あんたって、変な所は冷静よね?」
とりあえず、ここはすずかに一理在るとアリサも思い、身を隠す。

やがて足音は、アリサの耳にも届いた。

パタパタと足音がする。

二人は思わず息を呑んだ。心臓がバクバクと音を立て、息をするのが苦しくなる。

まるで、ホラーかサスペンス映画のヒロインにでもなったような気分だ。

「っ……?」
二人の隠れている路地裏の前を通り過ぎる直前、足音が止まった。

そして、声が掛けられた。
「そこにいるのは誰だ……!?」
「「……ッ!?」」
それは威圧的な、しかしとても聞き覚えのある男性の声。
二人は顔を見合わせて、目をパチパチと瞬かせ合った。

そして、恐る恐る顔を出す。

「ッ!!恭也さん!!忍さん!那美さんっ!!」
「お姉ちゃんッ!!」

「アリサちゃん!?すずか!?」
「どうしてこんな所に!?」
二人の問い掛けに答えるより早く、アリサとすずかは、その胸に飛び込んだ。

不安から解放され、泣きじゃくる。
恭也と忍は、とりあえず二人が落ち着くまで、優しくその頭を抱いてやった。



ようやく落ち着いた二人に話を聞くと、恭也達と同じく、突然こんな場所に来てしまったらしい。

「恭也、どうするの……?」
「私はあれから離れるべきだと思います。さっきよりも、光が強まっているみたいですから」
那美の言葉に光を見遣る。遠目でも、その光と、大きさが増しているのが分かった。

「よし、ここを離れよう。駅の向こうまで行けば、心配無いだろう」
恭也はアリサを、忍はすずかをおぶって走り出した。







“Sir,左後方300ヤードに一般市民がいます”
退避を続けるなのは達は、バルディッシュの言葉に驚いた。
この結界は自分達を捕らえる為の物だ。その中に一般市民がいるなどと、想像もしていなかった。
そのまま方向を変え、捜索に入る。
“距離、70…60……50……”
段々と近づいてきた。

「なのは、この辺で……!」
「うん……!」
フェイトは手を離し、なのははそのまま滑空しながら地面に向かう。
加速したままアスファルトの上を、砂塵を巻き上げながら滑っていき、強引にブレーキングを決める。

「―――ッ」
おおよそ、小学生がするとは思えない漢らしい着地を成功させ、なのはは周囲を見渡した。

フェイトも砂塵の中を抜け、信号機の上に着地する。

バルディッシュの計測では、すぐ近くにいる筈だ。

この場所から見えないのはビルの影にいるからではと、その辺りに注意をする。
“20……18ヤード”
「――っ!?」
もう目と鼻の先まで来ている事に驚き、キョロキョロと見回す。

その時、なのはが砂塵の向こうの人影を見つけた。

「あのーっ!危ないですから、そこでジッとしていて下さーいッ!!」
なのはが声を張り上げて叫ぶ。それに驚いたように人影は振り返った。



砂塵が晴れ、互いの顔が目に映った。
「え――っ!?」
その瞬間、なのはの瞳が大きく見開かれた。


「なのは……フェイトちゃん……?」
そこにいたのは恭也と忍と那美。その背中にはアリサとすずかがいた。

「お兄ちゃん、忍さん、那美さん……!?」
「アリサ……すずか……ッ!?」

互いの状況が全く分からず、張り付いたように止まってしまう。


“Master!!”
「――ッ!!」
レイジングハートの声にハッとし、振り返る。果たして、そこには放たれた閃光があった。

地面に着弾し、それはビルを津波のように呑み込みながら、物凄い速さでせまってきていた。
この中で一番速いフェイトですら、回避は出来ないだろう。

ここで皆を守りつつ耐え切るしかない。
“フェイトちゃん、皆をお願い!!” “分かった!”
フェイトは、カートリッジを二発使って、防御魔法を構成する。
「全員、そこから動かないで!!」
“Defenser Plus”

五人の周囲を囲むように、金色のドームが展開する。
その前にフェイトは降り立ち、シールドを構える。

「レイジングハートッ!」
“Wide Area Protection”
なのははフェイトの前に立って、カートリッジをニ発爆発させての頑強なバリアシールドを展開させる。

三重の防御体勢を整え、破壊の嵐を待ち構えた。



「く―――ッ!!」
閃光がバリアに触れた瞬間、凄まじい圧力に吹き飛ばされそうになる。
ギリギリで足を踏ん張り、なのはは耐えた。
しかしズル、ズル、となのはの足が下げられていく。

まるで暴風雨を正面から傘で受け止めているような、そんな感覚だった.

なのはの盾によってフェイトにはそこまでの負荷は無いが、それでも厳しい状況は同じだった。
防御力の低いフェイトでは、なのは無しに、これを耐え切る事は出来ない。

“なのは、なのは!大丈夫ッ!?”
“フェイトッ!?”

ユーノとアルフから念話が届く。

“大丈夫ではあるんだけど……ッ!!”
“アリサとすずかと……なのはのお兄さんとかが、結界内に取り残されてるんだ……っ!”

“っ!?何だって!?”
“エイミィさん!!”
ユーノが急いで、アースラに連絡を取る。
『余波が収まり次第、すぐに避難させる!!何とか堪えてッ!!』

““―――ハイッ!!””





やがて、嵐はその姿を消した。
圧力から解放されたなのはは、深々と息を吐いた。

「――もう、大丈夫です」
フェイトは、四人を庇うように抱き締め、背を向けている恭也に声を掛けた。

その声に五人は、恐る恐る辺りを見回した。

あれだけの出来事があったにも拘らず、周囲の建物には一切の被害が無い。

「なのは、一体これは……?」
「ごめんなさい、もうちょっとだけ……動かないで?」
「……なっ!?」

五人の足元に、白い輝きが現れる。驚く彼らが何かを言おうとする前に、光の中に消えてしまった。

『転送、完了したよ』
“はい、有難うございました……”

「見られちゃったね……」
「うん……」
なのはは五人の消えた場所を見つめながら呟いた。

“ユーノ君……ゴメン、皆の方をお願いできるかな?”
“アルフも、お願い……”
“でも、フェイト……!?”

「―――行こう、アルフ」
「っ!でもさっ!!」
「気掛かりがあると、なのは達が思いっきり戦えないから……」
ユーノの言葉に、アルフも渋々頷く。
“なのは、フェイト……気を付けて”
“―――うん”

そしてユーノとアルフは、恭也達が転送された場所へと移動を開始した。




なのは達にエイミィから連絡が届く。
『クロノ君が今、こっちに向かってる。闇の書に停止と、はやてちゃんの解放を呼び掛けてくれって』
「分かりました」


なのはとフェイトは頷き合い、遠くにいるだろう闇の書に呼び掛ける。
“はやてちゃん、闇の書さん……!止まって下さい!!ヴィータちゃん達を傷つけたのは、わたし達じゃないんです!”
“シグナム達とわたし達は……!”


「―――我が主は」
「「――ッ!?」」

上空からした声に、ハッとして顔を上げる。
いつの間にか、闇の書はすぐ傍までやって来ていたのだ。

「この世界が……自分の愛する者達を奪った世界が……悪い夢であって欲しいと願った。我はただ……それを叶えるのみ」
闇の書が瞳を閉じ、その胸にそっと手を触れる。

「主には……穏やかな夢の内で、永久の眠りを……そして」
「――っ!!」
闇の書が伏せられていた瞳を開き、添えていた右手を前に突き出した。
「そして……愛する騎士達と、掛け替え無き方を奪った者には…………永久の闇を!」
足元に、闇色の魔法陣が光り輝く。
「ッ!!闇の書さんッ!!」
なのはが叫んだ。彼女の言葉はとても純粋で、余りにも悲し過ぎるから。

闇の書は、なのはを見下ろしたまま、呟いた。
「―――お前もその名で、私を呼ぶのだな?」
「……っ!?」

突如として地面が割れ、砂漠の王者が召喚される。同時に、触手が亀裂から生え出した。
砂龍はビルを破壊し、触手はなのは達を一瞬で絡め取った。

「ぐ…あぁああ……!!」
「うぁ…ああああ……っ!!」

「――それでも良い。私は主の願いを叶えるだけだ……」
闇の書が、その本体たる魔導書を開く。

「願いを……叶える、だけ……?」
体を締め付けられながら、なのはが声を絞り出す。
「そんな願いを叶えて……それで、はやてちゃんは本当に喜ぶのっ!?
心を閉ざして、何も考えずに……主の願いを叶えるだけの道具でいて……あなたはそれで良いのっ!?」
「我は魔導書……ただの道具だ」
闇の書の頬に、一筋の涙が伝う。

「だけど、言葉を使えるでしょう!?心が在るでしょう!?……そうでなきゃ、おかしいよ……
本当に心が無いんなら…………泣いたりなんかしないよッ!!」
なのはの心が痛みを発する。余りにもさびしい、余りにも悲しい。
目の前にいる、そんな人の為に。なのはの心が涙を流す。

「……この涙は、主の涙。私は道具だ……悲しみなど……無い」
闇の書は、なのはの叫びを否定する。
主の体を乗っ取り、それではやての心が、感情が表に出る筈も無い。それを知っていて尚、闇の書はそれを否定する。

「……バリアジャケット、パージ!!」
“Sonic form”
フェイトがソニックフォームを起動させる。その余波が触手を引き千切り、脱出に成功する。

「―――悲しみなど無い……?そんな言葉を、そんな悲しい顔で言ったって……!誰が信じるもんかッ!!」
フェイトが怒り叫ぶ。自分を、思いを否定し続ける闇の書に。
「あなたにも心があるんだよ!?悲しいって、言って良いんだよ!?
あなたのマスターは……はやてちゃんは、きっとそれに答えてくれる、優しい子だよ……!?」
「だから、はやてを解放して……!!武装を解いて……っ!!お願い……」


「…………」
闇の書には分からなかった。何故、眼下の少女達はこうも叫ぶのか。
そんなにも悲しみに満ちた瞳を、自分に向けるのか。

今まで敵対した者達は、何時も恐怖と、憎悪と、殺意の眼差ししかなかった。


自分の世界を壊す者への敵愾心。
阿鼻叫喚の地獄の中には、それしかなかった。

(――――いや、昔に一度だけ……あの目を見た事がある)

遥かなる、追憶の向こう側。おぼろげなる、過去の残照。



――すまない……必ず、お前を助けて見せる……だから……今は眠れ――



貫かれる自分の胸と、かすかに届く声。

冷たい世界に囚われていく、自分の瞳に映ったものは―――――涙。


果たして、それを一体何時見たのだろうか。




「―――っ?」
思考に埋没し掛けた闇の書を、突如として起こった地震が引き戻した。
地面が割れ、あちこちから炎が噴き上がり出す。

それは闇夜を照らす篝火の如く、天すらも照らし出した。

「早いな。もう、崩壊が始まったか……」
闇の書が覚醒する事で、世界そのものに影響を及ぼし始める。
それが暴走の始まる前兆だった。

「私も直……意識を失くす。そうなれば、すぐに暴走が始まる……」
自分の手をジッと見つめ、呟いた。
「意識のある内に、主の望みを叶えたい……」
そして、闇の書は再び行動を開始する。

“Blutiger Dolch”

「「……ッ!?」」
なのはとフェイトの周囲に、赤い短剣が突きつけられる。

「―――闇に、沈め」

瞬間、二人を爆発が包みこんだ。


「…………」

爆煙を突き抜けて、なのはを抱えたフェイトが現れる。
ダガーが爆発する寸前、ソニックフォームの超加速で脱出したのだ。

フェイトはなのはを離すと、憤りを込めてバルディッシュを振り被った。
「この……駄々っ子!!」
“Sonic Drive”
四肢に輝く翼が一際の輝きを放つ。
「言う事を―――」 “Ignition”
「―――聞けぇええええええッ!!」
一瞬で最高速に乗り、フェイトが突撃を掛ける。


しかし、闇の書は静かな面持ちを崩さぬまま、左手に持つ、開かれたままの魔導書を前面に動かした。
「―――お前も、我が内で眠ると良い……」

「ハァアアアアアッ!!」
咆哮し、バルディッシュを正面から叩きつける。が、頑強なる盾に阻まれ、弾き返される。

「なっ……!?」
魔導書が輝くと、フェイトの体を金色の光が包み込んだ。体から力が抜け、意識が遠くなっていく。
「フェイトちゃんッ!!」
フェイトの名を叫ぶなのはの前で、弾ける様にフェイトは消えた。

“Absorption”

魔導書が輝きを治め、無慈悲に閉じられた。
「―――全ては、安らかな眠りの内に」
「あ…あぁ……」
なのはは眼前の出来事に、ただ呆然としていた。









魔法陣が出現し、その中に恭也達が送り出される。
いきなり変わってしまった周囲の状況に、全員が戸惑う。
「ここって、聖祥の小等部……?何で、こんな所に……」
「恭也さん、あれ!」
すずかが指差す方向。そこには幾つもの火柱が立っていた。
「何なのよ……何なのよ、一体!!」
アリサがついに限界を迎え、校門をゲシゲシと蹴り出す。
那美が何とか止めようとするが、勢いは増すばかりだ。

恭也も何とか冷静さを保ってはいたが、正直情報が何も無く、考える事すら出来ない事に苛立ちを感じていた。


そんな時だった。空の上から気配が近付いて来たのは。
恭也は静かに鋼糸を取り出し、上空に向かって振るった。
「うわぁっ!?」
鋼糸は標的を絡め取り、恭也は思いっきり引っ張った。
鋼糸は一番太い物で、切れる事は無い。

恭也達の眼前に引きずり出されたのは、見た事も無い民族衣装に身を包んだ幼顔の少年。

突然の事に混乱し、目を瞬かせている。
「――さて、貴様には聞きたい事がある。」
「――え?」
「この事態、お前は何かを知っているか?」
「え?え??」
気が付けば、少年は五人に完全包囲をされていた。

「あんた、何か知ってるの?知ってるなら言いなさい?知らなくても言いなさい!!」
「アリサちゃん、結構無茶言ってるよ?」
「あの、離すなら早い方が良いですよ?怪我とかしない内に……」
「でも止めないのよね〜、那美も」
「という訳だ。さっさと吐いた方が身のためだぞ?」
恭也は袖から短刀を取り出すと、少年に向けた。

「ひ、ヒィイイイイイイッ!!」



「あ〜あ……どうすりゃ良いのさ、この状況……」
その余りにも悲惨な光景に、アルフは頭を痛めていた。

とりあえず、ユーノを助ければ良いと、アレックスは思ったとか、思わなかったとか。









「…………え、エイミィさんッ!?」
『状況確認……っ!フェイトちゃんのバイタル、まだ健在!闇の書の内部空間に閉じ込められただけ!
助け出す方法、現在検討中……っ!!』

なのははとりあえず、フェイトの無事である事に安堵した。

「我が主もあの子も、覚める事無い眠りの内に、終わり無き夢を見る。生と死の狭間の夢……それは、永遠だ」
終わらない夢。それは夢を夢とせず、それを見る者にとっての現実にさえ変わる。

死に最も近い生。生に最も近い死。ならば、それは永遠であると。

「―――永遠なんて、無いよ」
しかし、なのははそれを否定する。
「皆、変わってく……変わって行かなきゃいけないんだ……!わたしも……あなたもッ!!」




「―――その通りだ。永遠に、意味なんて無い……!」
「―――ッ!?」
なのはがその声に驚き、反射的にビルの屋上を見上げた。

その隙に砂龍が動き出し、なのはに迫った。

瞬間、なのはの眼前を影が駆け抜け、そして砂龍の脇を駆け抜けた。

『GYAAAAAAAAAAA……』
断末魔の悲鳴を上げながら、砂龍が幾重にも切り裂かれ、地面に落ちていった。

ボトボトと落ちる肉塊の向こう側。
刃の血を払い、影は振り返った。

「ッ!! 連君っ!!」
連音はマフラーを腕で払い、覆面の奥で不適に笑った。

「―――待たせたな」






アースラ内では、突如として現れた連音に驚きを隠せなかった。
転送ポートの制限が解かれたのはつい先ほど。クロノがそれで、こちらに向かっているのだから。

なのに、連音はそれに先んじて帰ってきた。

個人転送で帰って来られない事は無いが、時間がとても掛かる。間に合う筈も無い。

『――ハラオウン提督、聞こえますか?』
「――えぇ、聞こえるわ」
『状況を教えて下さい』
「リーゼ達によって、はやてさんは闇の書を起動させたわ。彼女達を押さえる事には成功したけど、闇の書はなのはさんを狙っているみたい」
『フェイトは……どうしました?』
「フェイトさんは、闇の書の内部空間に閉じ込められてしまったわ。暴走まで余り時間が無いの。何とか闇の書を止めて!!」
『――了解』



通信を終え、連音は闇の書を睨んだ。
「あれが闇の書……その管制プログラムか。完全に、融合事故を起こしているな」
(それにあの姿……あの方と瓜二つだと……?)


「騎士達の敵の一人、竜魔……そして主の想い人、辰守連音……生きていたのか……?」

闇の書は、瞳の奥に僅かな戸惑いの色を映す。

「闇の書よ……お前には用は無いっ!さっさとはやてを出せ!!」
連音はキッと睨み、叫んだ。僅かに、闇の書の表情が変わる。
「――お前も、その名で私を呼ぶか……」
「自分で散々、そう名乗っただろう?名前は、生まれて来てから最初に掛けられる”呪”だ。
お前が闇の書と呼ばれ、それをお前が自らも名乗った時から……お前は、それに縛られていたんだ。
全く……聞いていた以上に、頑固でネガティブで……楽しみに取って置いたケーキを誰かに食われたら、
空っぽの皿を何時間も見つめ続けたりする位に執念深い……ってな!?」
連音は琥光を抜き、切っ先を突きつける。

「そんな奴には厳しく行かせて貰う……ッ!」
“瞬刹”
一瞬で加速し、連音が攻撃を仕掛ける。
「破ァッ!!」
闇の書がシールドを展開するも、構わずに斬撃を叩き込む。

「―――ッ!?」
斬撃を受け止めた闇の書の顔が、初めて歪む。
それに気付いた全員が、驚きの表情を見せた。
連音は更に連続でシールドに打ち込む。甲高い音が響くたび、闇の書がはっきりと表情を変えていった。

苦痛と戸惑い。それが大きくなっていく。

「だぁあああああああっ!!」
気合を込め、懇親の一撃を振るうも、それは空を切った。
「くっ……!」
ついに闇の書が押し負けた。大きく下がり、間合いを取り直す。


連音が打ったのは只の攻撃ではない。その全てに、魔導によって強化された徹を込めていたのだ。
どれ程に頑強な防御も、衝撃を抜く技を連続で打ち込まれ、ついに届かされたのだ。


何故、圧倒的な力を持つ自分の防御を、なのはやフェイトの攻撃を防いだ盾を、魔力の下回る連音が抜いたのか。

その原理を理解出来ない。闇の書は眉を潜めた。


「さて、はやてを返して貰おうか……?あいつに、世界を滅亡させる訳には行かないし、氷漬けも御免なんでな……」
「……主は、この世界を夢であって欲しいと望んだ」
「はやては、そんな事を本気で思う様な弱い奴じゃない……!」
「お前が思うほど……主は強い方ではない。だから「かも知れないな」!?」

連音は覆面を下げ、その素顔を晒す。
「――だが、お前が思っている程……弱くも無い筈だ。余り、自分の主を見縊るな……ッ!!」

連音が、琥光を刺突の構えに取る。
そこから繰り出されるのは、必殺の一矢。
「―――瞬矢ッ!!」
連音の体がぶれ、閃光の矢が煌く。

“瞬刹”
瞬間、闇の書の姿が消え、連音の背後に現れる。
瞬矢の硬直が解けない、隙だらけの背中に向かって拳を握る。

「――五行、朱炎拳」
その拳が業火に変わり、繰り出される。それは一瞬で炎の矢となり、夜空を切り裂いた。

連音の最も得意とする五行の力。それをコピーし、改変したものを闇の書は使って見せた。

「―――流石に躱すか。大人しくして貰いたかったのだがな……」
「……自分の技にやられる程、莫迦じゃない」
散っていく火の粉の向こうに、連音が姿を現した。
目にも留まらない速さで、振り返ると同時に盾を展開させていた。

使われたのは、御神流奥義之歩法 神速。

攻撃を繰り出される瞬間、神速の領域に潜り込み、防御体勢を整えたのだった。

高い自在性を持つ、神速ならではの回避であった。

(魔導を複写するとは聞いていたが、まさか瞬刹と五行まで……神速が無かったら、今ので終わっていたかもな……)
内心で恭也達、御神の剣士に感謝しつつ、連音は琥光を構える。


(だが、状況は最悪に傾いているな……フェイトがいないのは計算外だ……!)


リスクを避ける為、準備を整えた後にはやての協力の下、防御プログラムの破壊を行おうと考えていた。

それにはグレアムの計画は邪魔であり、更にデュランダルを確保しておきたかった。

しかし事態は、後手に回った時にと考えていたシナリオよりも悪いものだった。
闇の書の力は相当のものだと、覚悟はしていた。
最悪は、刻印を使う事さえも考えには含まれていた。


だが、連音の予想を遥かに超えて、闇の書は強大だった。

今は魔導以外の部分で、戸惑わせているだけ。実際のダメージなど無いに等しい。

仮に刻印を使えば、ダメージを与えられるだろうが、恐らくは数分と経たずに再起不能になるだろう。

それ程に、力の差は歴然としていた。


(最悪中の最悪……虎穴に入らざるを得ない、か)
連音は覆面の下で、厳しい顔をした。
闇の書を如何にかするには、はやてを覚醒させる必要がある、
外部からダメージを与え、揺さぶる事も出来ない。

説得も、これ以上の効果は無いだろう。


なら、残された手段は最も危険で、最も可能性が低く、最も直接的な手段。


連音は密かに、なのはに念話を送る。
“なのは?”
“何……?”
“この状況、覆すのは中々に厳しい……単独で、何処までやれる?”
“単独で……?えっと、何とか頑張れると思うけど……どうして?”
“―――はやてを力尽くで、叩き起こす”
“え……えぇっ!?”

なのはが驚きの声を上げると同時に念話が切られ、連音が一気に闇の書に攻撃を仕掛ける。

連音の腕に、帯状魔法陣が展開される。
「撃ち抜け、風撃裂破ぁっ!!」
術方陣が展開し、そこから竜巻が発射される。それは蛇の様にうねりながら、闇の書へと迫った。
「――っ!」
竜巻は一瞬で闇の書を呑み込み、蹂躙するかと思われた。
しかし、闇の書は片手を振るって、それを粉砕して見せた。

それすらも予想の範囲。連音は構わずに最高速で突撃する。

一気に間合いを詰め、闇の書の腕を掴んだ。
「……ッ!?」
そのまま脇を抜けて背後に回り込み、一瞬で関節を極める。
「クッ――!」
「関節を極められるのは初めてか?良い勉強になったな!?」
連音は容赦無く締め上げる。手加減などすれば、簡単に外されてしまうからだ。

「……ブラッディダガー」
“Blutiger Dolch”
「ッ!?」
連音の背後に、ブラッディダガーが出現する。
それが輝きを増した瞬間、連音は再び神速の領域に潜った。

モノクロの世界で連音は、闇の書ごと体を反転させる。

そして、その体を前方に突き出した。


「――ッ!?」
爆発。闇の書がその中に巻き込まれ、連音はギリギリでそれから離れる。
「ハァアアアアアアアッ!!」
今が好機と、連音はすぐさま切り返して、闇の書に追撃を掛ける。


「―――お前も」
「――なッ!?」
黒煙から魔導書が姿を現し、闇色の魔法陣が輝きを放ち、斬撃がそれに防がれてしまう。

そして光が連音を照らし出すと、連音の体が琥珀色の光に包まれた。

「ッ!!連君っ!!」
なのはが叫ぶ。それはフェイトが闇の書に閉じ込められたのと、同じ光景だったからだ。

「――我が内で、眠るが良い」




「――――お断りだ」
“破壊”
琥光の宝石が光ると、連音の体を包んでいた光が砕け散った。
闇の書の顔に、ハッキリとした驚きが浮かぶ。

「切り裂け、琥光ぉッ!!」
“一刀両断”
連音が琥光を振り上げ、魔導書を両断する。
「まさか……ッ!!」
斬光を残し、そこから巨大な闇が口を開いた。

「待っていた……お前が俺を閉じ込めようとする……この瞬間を!!」

闇の書の内部空間は、一種の結界である。
そして琥光には空間、結界に干渉する能力が備わっている。

結界である以上、琥光の力はその一手に於いて、闇の書にすら勝る。


そして開かれるのは、深遠に至る道。その入り口。
「なのはっ!!」
「ッ!?」
「後を頼むッ!!」

連音は叫ぶや否や、そこに自らを飛び込ませた。

その姿が闇に解けて消え、入り口も瞬く間に閉じられた。


「………」
なのはは突然の事に呆然としていたが、すぐに連音の言葉を思い出した。


――はやてを、力尽くで叩き起こす――


(そうか……連君は、はやてちゃんを助けに行ったんだ……!)

後を頼むと言われた。自分にも、するべき事がある。

なのははまず、戦闘区域を移動させる事にした。
海に向かって飛翔する。


それを視線で追い、闇の書はポツリと呟いた。
「…………愚かな事を」

それが、なのはに対する言葉なのか、連音に対する言葉なのか、知るのは一人のみである。

















暖かな日差しが顔を照らし、心地良い感触が体を包む。
「っ……うん……?」
かすかに聞こえる小鳥の囀りに、フェイトは瞼を開いた。

「ここは……?」
少しぼやける目を擦り、周囲を見渡した。
広い室内は、何も無い、と言ってしまえる位に整理が行き届いており、ドーム状の天井は星空を模したデザイン。

何処だろうか。とても見慣れたような、しかし違うような。

そんな不可思議な感覚に捕らわれていると、隣から聞こえてくる寝息に気が付いた。

オレンジ色の体毛をした子犬と、すっぽりとシーツを被った何か。

「っ……」
フェイトが恐る恐るシーツに手を伸ばした時、突如としてドアがノックされた。
(フェイト、アルフ……朝ですよ?)

「ッ!?」
ドア越しに聞こえたその声に、フェイトは目を見開いた。
(そんな……まさか……!?)

驚きに固まってしまったフェイトを余所に、ドアは開かれた。
姿を見せたのは、一人の女性。

「二人とも、ちゃんと起きていますか?」
「あ……」
「ふぅぅ〜、眠いぃ〜……」
モゾモゾと、子犬―――アルフが目を覚ます。

「全くもう……使い魔がそんな事では、行けませんよ?」
女性は、呆れたように言いながら、カーテンを開け放った。

「――さて、大きな子供も起こさないと」
女性はシーツを掴むと、躊躇無く引っぺがした。
バサァッ! と、盛大に剥ぎ取られ、シーツの下に隠されていたものが現れた。

「―――ッ!!?」
フェイトは、再びの衝撃を受ける。

細く長い手足を折り畳み、丸まるようにして眠る女性。
緑色のネグリジェに身を包み、金色の髪は朝日に煌き、その美しさを映えさせる。

「うぅ〜、さ、さむいぃ~……」
その人物はモゾモゾと動き出し、温もりを探して手を伸ばした。
「キャッ!!」
それはフェイトに触れるや、ガバッ、とフェイトを引き寄せ抱き締めた。

「うぅ〜、温か〜い……!」
すりすりとフェイトに頬ずる。いきなりの事態に戸惑い、フェイトは動けない。

「てぃやっ」
「ペブッ!?」
それを救ったのは、先の女性だった。
抱き締め頬ずる彼女の鼻を、デコピンの要領で弾いてやったのだ。

その予想以上の痛みに、彼女はのた打ち回る。

「全くもう!早く起きなさい、アリシア!!」
「うぅ〜っ!私のチャーミングな鼻が潰れたらどうするのよ、リニスッ!!」
鼻を摩りながら、涙目で文句を言うアリシア。それを呆れたように返すリニス。

「そんな事は知りません。大体、どうして毎晩毎晩、フェイトのベッドで寝てるんですか!?」
「姉妹の絆を深めようとするこの姉の思いを、否定するの!?」
「これ以上、どう深める気ですかッ!!全く……昨日も、遅くまで起きていたんでしょう?」
「別に、そこまで遅くは無いもの。ねー?」
「ねー?」
「っ!?アルフ、あなたまで!?」
「げっ、しまった!!」
「――さて、さっさと着替えてこようかな〜っと」
ベッドから降り、家履きを履くアリシア。アルフもそれに続いてベッドから飛び降りる。

「――っ!こら、待ちなさい!!」
「や〜だよ〜っ!!」
「リニス、そんなに怒ってばっかりだと……」
「……?」
「―――行き遅れるわよ?」
「余計なお世話ですッ!!」

リニスが怒声を上げると同時に、アリシアとアルフが廊下に飛び出した。
(キャ~、リニスが怒った〜ッ♪)
(怒った〜ッ♪)


「全くもう……これじゃあ、どっちが姉なんだか分からないですよ……」
ドア越しにも聞こえてくるその声に、リニスは深々と嘆息し、肩を落とした。


そんな賑やかしい光景の中、フェイトはずっと固まっていた。
突然の事態に驚いた訳ではない。

在り得ない事に、驚いたのだ。


「………リニス?」
「はい。何ですか、フェイト?」
「あ……アリシアは……その……」
「……?アリシアに、何か用ですか?」
フェイトが言い辛そうにしているので、リニスが尋ね返す。

「えっと……」
「……とりあえず着替えて下さい。朝食の用意は出来ていますし、アリシアも着替え終われば向かうでしょうし」
「……」

聞きたい事は一杯あった。だけど、どれをどう聞けば良いか、全く分からない。

フェイトは頷き、ベッドから降りた。

しかしすぐに、その思考が止まる事となった。

「―――プレシアも、先に食堂で待っていますよ?」
「―――ッ!?かあ……さん?」







「お早う、母さん」
「おはよ〜、プレシア〜」
ワンピースに上着を羽織ったアリシアが、食堂に先着していたプレシアに挨拶する。
「アリシア、アルフ……お早う」
二人に微笑み返すプレシア。そこにリニスもやって来た。当然、アリシアとアルフは僅かに身を引く。
それを横目に、リニスは溜め息を吐いた。

「プレシア、困りましたよ……今日はきっと、嵐か雪になるかも知れません」
「……どうしたの?」
「それが……ほら、フェイト?」
リニスは柱に向かって声を掛けた。よく見れば、柱からは金色の尻尾が生えている。
「あ……」
呼び掛けられ、フェイトは恐る恐る姿を見せた。
「フェイト、どうしたの……?」
「どうも、何か怖い夢でも見たようで……今が、夢か幻だと思っているみたいですよ?」
「フェイト、もしかして勉強のし過ぎ……?」
「うん、それはありえる」
「アリシアは、もうちょっと勉強して下さい」
「良いのよ。及第点はちゃ〜んと、取ってるんだから」

「………」
プレシアは椅子から立ち上がると、フェイトの所まで向かった。

そして眼前で跪いて、そっとフェイトの頬に触れた。
「……ッ!!」
「大丈夫、もう怖くないわ……ここには私が、リニスが、アリシアがいるわ」
「プレシア〜っ、あたしも〜っ!!」
「そうね、アルフも……ね?」
プレシアが笑うと、アルフがエッヘンと胸を張った。


(違う……これは夢だ。母さんも、アリシアも、リニスも……もう、皆いない……!)

時の庭園が飛び立つ前、リニスはバルディッシュを残して姿を消した。

時の庭園での決戦時、アリシアは全ての闇を祓って、光と共に消えた。

そしてプレシアは、嘱託試験を見届けて、病に命を落とした。




(じゃあ、これは……?これは何……?)

望んだ時間。望んだ世界。
知ってしまった温もりを、そっくり映し出したこの世界。

(あぁ、そうか……これは、わたしが”本当”に望んでいた時間だ……)


フェイトの頬に涙が伝い、落ちる。

誰も欠ける事無く、本当に幸せな時間。

文字通り、『夢』の時間。





















「何という事だ、雪菜様が……!」

―ごめんなさい―

「宗玄様、なんと御労しい……」

―ごめんなさい―

「束音様は十四、連音様は、まだ六つにもなっていないというのに……」

―ごめんなさい―

「一体、何処の者だ……!」

「違うっ!お前は、何も悪くは無い!!」

――ごめんなさい―

「お前の命は母さんの命だ!!だから、お前が生きている限り……母さんはずっと生きているんだ……!!」

― …………そっか。そうなんだ…… ―

「安心しろ。連音の事は、兄ちゃんが守ってやるから……何があっても、絶対にだ!!」

―僕は、もう死んでるんだ。ここにいるのは、僕であって僕じゃない…… ―



目の前に映るのは、自分であって自分で無い存在。

―僕は、母さんにならなくちゃ……僕じゃ、行けないんだ…… ―












「―――下らないな」
一閃。途端に、世界は音を立てて砕け散る。
足元に波紋が波打ち、それが彼方まで広がっていく。


全てが闇に包まれた異界の底で、連音が叫んだ。
「出て来い!こんな幻で惑わそうとしても無駄だッ!!」

声が響き、彼方に消えていく。




『――――流石ダ。深層心理ニ眠ッテイタ記憶ヲ見セラレテ、尚モ平然トシテイルトハ……』

「っ……!」

足元の闇が大きくうねり、そこから静かにそれは姿を現した。


紫の肌に全身に赤いラインを走らせた、闇の書に似た姿を持つ。四肢には獰猛な獣の爪を模した、手甲と足甲。
灰色の髪は大きく曲がりくねり、蛇のよう。
瞳は全てが真紅に染まり、闇の書と同じく、耳と背に黒い翼を持つ。

それこそが、この世界の女王。



「闇の書の、防御プログラムか……ッ!」
『―――否。我ハ闇ナリ』
「……ッ!?」
『我ハ、全テノ人ニ掛ケラレシ呪ナリ。我ハ、全テノ世界ニ打チ込マレシ楔ナリ』

防御プログラムが、背の翼を羽ばたかせる。吹き荒れる風が波を起こした。
『我ハ学習シタ。現在ノ守護騎士プログラムニハ、欠陥ガ認メラレル。今後ノ対処ハ困難……』
「何を言っている……!?」
『故ニ、新タナル守護騎士ノ作製ヲ行ウ……』

連音の勘が警鐘を鳴らす。
ここに来て、更に事態は厄介になった。



『辰守連音……幼キ身デアリナガラモ、守護騎士ト互角ニ渡リ合イ、心ニ深キ闇ヲ抱くク者ヨ……』

防御プログラムが雄大に両手を広げ、そして―――――笑う。

『汝、真ナル【闇ノ書ノ守護騎士】トナレ……!』










悲しき聖夜の決戦は、更なる闇を呼ぶ。
















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