互いの想いを懸けて、少女達は戦った。
ぶつけて、ぶつけられて、やっと届くその気持ち。
それすらも本当に届いているのか、確認する術は無く。

でも、確かに言える事が其処にはあった。

高町なのはとフェイト・テスタロッサ。
世界が違い、出会う筈の無かった二人の少女の間には、新しい絆が生まれていた。

そして、避けられない時が目前に迫っていた。



    魔法少女リリカルなのは シャドウダンサー

       最終話  海風の誓い 薫風の約束



決闘はなのはの勝利に終わり、全員はアースラに収容された。
なのはとフェイトはお互いに魔力ダメージが大きく、簡単な検診の後、ベッドですぐに寝息を立ててしまった。

そして、連音もついでに検診を受けさせられていた。
医師はその回復力に、ただただ感心していた。
「大したものだね……怪我そのものが、もうほとんど治っている……!」
「そうですか…良かった」
連音は手を開いたり閉じたりしながら答える。
感覚的には連音にも分かっているが、第三者にハッキリ言って貰えると安心もする。

しかし、医師はすぐに厳しい顔をした。
「でも、ダメージそのものは抜けた訳じゃないからね。後遺症だってある……無理は絶対にしないように」
「はい…分かってます」

言われるまでも無く、連音には分かっていた。
病院に連行された時にはやてと出会い、その血をほぼ無理やりに飲まされたのだ。
それが無ければ、ここまでの回復は在り得なかっただろう。


後は里に戻ってから、治療を受ければ良い。


「そうか……里に、戻るんだな………」
当たり前の事を連音は呟いた。
海鳴に来たのは務めを果たすため。それが終われば、里に戻るのは当然だ。

それは海鳴という町との別れを意味していた。
恐らく、二度と来る事は無いだろう。


全てを滅し、そして世界の闇に還る。それが、竜魔の忍としての掟。



連音は艦内の通路を歩いていた。
と、向こうから歩いてくる人影。

翠色の髪を束ねた女性――アースラ艦長リンディ・ハラオウン。
「あら……一人なの?」
「えぇ……高町達は寝てますし、ユーノとアルフはクロノに呼ばれて」
連音がそう答えると、ニッコリと微笑まれた。
「それじゃあ、今は暇をしているわけね?」
「提督が暇であるとは思えませんが?」
そう切り返すが、またしてもニッコリと微笑まれて。
「大丈夫。報告書はエイミィが作ってるし、裁判に必要な資料はクロノの仕事だから♪」
連音はちょっと二人に同情した。
特にクロノは、今までもこういった感じに貧乏くじを引いてきたんだろうな、と思うと涙を禁じ得なかった。

「で、良かったら少しお話しない?お茶とお菓子ぐらいは出すわよ?」
「………はぁ」
まぁ、クロノが苦労しようと連音には関係ないと思い直し、せっかくのお誘いを受ける事にした。


艦長室に通され、ソファーに座る。
少しして、リンディが二つの湯飲みが乗ったお盆を持ってきた。

「連音君は、お砂糖幾つ?」
「え…?っと、じゃあ二つで……」
ポチャン、ポチャンと水音が二つ。
「ミルクは?」
「え…??じゃあ、お願いします」
チ〜♪、と注がれるミルク。

ティースプーンで、クルクルとかき回される。

角砂糖にミルク。コーヒーだろうか。
しかし、コーヒーの香りはしない。
なら、紅茶だろうか。

どっちにしても湯飲みという時点で妙である。

「はい、どうぞ」
「あ、どう……も」
連音は受け取ってから、それに気が付いた。
いや、湯飲みの時点でこれの筈なのだ。
だが、これに砂糖やミルクを入れるか、など聞くだろうか。いや、無い。

濃い緑色だったであろうそれは白色が混じり、甘い香りを湛えていた。

どうしたものかとしばらく見つめていた。
チラリとリンディに視線を送れば、ニコニコとしながら同じように角砂糖とミルクを入れた緑茶を飲んでいた。
時折、チラチラと期待に満ちた視線を送られる。

連音は考えた。
向こうは異世界の住人だ。もしかしたら、これが一般的なのかもしれない。
もしそうならば、郷に従うのが礼儀というものだろう。

決してリンディの視線の意味など考えない。
湯飲みの縁に口をつけてズズ〜ッと、すする。
「――――――――どう?」
もの凄くわくわくした様な口調でリンディが尋ねてくる。
軽い溜め息を吐き、連音は口を開いた。

「そうですね……ミルク、もう一寸欲しいかな……?」
その言葉に、リンディの瞳がキラキラと輝いた。



連音は知らない。
これが時空管理局で『リンディ茶』と呼ばれ、密かに恐れられている代物である事を。
そして、リンディにとって、連音が初めての賛同者である事も。


後日、この事実を知った某執務官は、絶望の淵に立たされたとか、寧ろ堕ちたとか。


それはさておき。

「それで……何か話があるんじゃないですか?」
連音がそう言うと、一転してリンディは真剣な面持ちとなった。
「―――プレシア女史とフェイトさんの事よ。先程、正式に本局に移送する事が決まったわ」
「――すぐに、なんですね?」
「そうね……明日の朝には、移送になるわ…だから」
リンディは立ち上がり、デスクの引き出しから何かを取り出した。

「これを……あなたの手から渡してあげてくれる?彼女に……」
差し出されたそれは、連音が崩壊する庭園から持ち出したものだった。
「どうして……?これは、提督から渡しておいてくれと……」
「確かに…君が目を覚ました時、そう約束したわ。でも…やはりこれは、あなたの手から渡すべきだと思うの……」
リンディはまるで、自分にはその資格が無いかのように言い、連音の手にそれを乗せた。

「それに、プレシア女史もあなたと話をしたいと言っているわ……。これを逃せばもう、そんな機会は訪れないから……」
リンディの表情が微かに曇った。






アースラ護送室内。
プレシアは体を起こし、ある筈の無い来客を迎えた。
連音をここに案内し、リンディはすぐに表に出てしまった。

「随分と…顔色が良いわね………あれだけの怪我だったにも拘らず」
「そっちは随分と顔色が良くないな……やはり、一時的な回復だったか……?」
「そのようね……絶対回復能力の効力が切れて、前の様に…いえ、もっと酷い状態だわ……。
まぁ、あれだけ負担の大きい魔法を連発したのだから、自業自得ね……」
プレシアはそう零しながら、しかし、何か憑き物が落ちたように清々しささえ感じられた。

「だから、その絶対何たらとかじゃないんだが……。ま、好きに呼べば良いけど……で、医者は何だって?」
「――長くても後、三ヶ月。そう宣告されたわ……」
「――そうか」
連音は同情もしなければ、別段罪の意識を憶える事もなかった。
確かに、連音と戦った事で血の効力は消え、プレシアの残り少なかった寿命は著しく減った。
しかしそれはプレシアの行いの結果。その責任は彼女が背負うべきものだ。

それに連音は一度、殺されかけてもいる。
その事に関しても、連音は恨むでもなく当然の事と受け止めていた。


「あなたは……どうして?」
「ん…?」
「掛け替えのない者を亡くしたのでしょう……私と同じように。なのに、何故……?」
「―――言っただろう。一人だった…そう思い込んでいたお前と、そうじゃないと気が付いた俺と……。
違ったのは、たったそれだけだ……」
ギュッと、連音は自分の胸を掴む。
その手に響く鼓動。それを繋げてくれた人達がいる。だから、留まれたのだ。


「アリシアは……どうなったの?」
「天に還った。死者は甦っても幸せにはなれないからな……やっと、安らかな眠りを迎えただろうさ」
「そう……。不思議ね…、あなたがそう言うと、本当にそうだと思えるわ」
プレシアがクスリと笑った。
それにつられる様に、連音も笑う。

これが本当のプレシア・テスタロッサの姿。
もうそこに、狂気の魔女は存在してはいなかった。


「―――と、そうだった」
「……?」
連音は危うく、ここに来た目的を忘れる所だった。
プレシアが意図を理解できず、首を傾げる。

そのプレシアの手元目掛けて、連音はそれを放り投げた。
ポスン、という音を立てて落ちる。

プレシアはそれを拾い上げた。そして、それを見た途端、その瞳が見開かれた。
「こ、これは……!?どうして、これが……!?」
余りの驚愕に、プレシアの手が震える。



それは、埃に汚れた写真立てだった。

そこに収められた写真に写るのは、かつて幸せだった頃の時間。
ありふれた時間が、どれだけ掛け替えのない物なのかを知らなかった自分が、そこにはいた。


「これだけは虚数空間に呑まれなかった……唯一のアリシアだ…………もう、手放すな」
「……ッ!」
ポロポロと、プレシアの瞳から大粒の涙が零れる。

声を殺し、嗚咽するプレシア。
連音は静かに背を向けた。
「確かに渡した。じゃあな」
そのまま出て行こうとする連音の背に、プレシアの呟く様な声が届いた。




「――――――ありがとう」

それに答える事無く、連音は護送室を後にしたのだった。








昼過ぎほどの時刻に、なのはとフェイトは目を覚ました。
互いに計った様に目を覚まし、今は顔を見合わせて笑っている。

多少賑やかしいので連音が覗き込むと、二人は笑い合いながら涙を流していた。

やっと望んだ時間。
なのはが必死に求め、フェイトがずっと欲しかった時間。

それを邪魔するのは野暮だと、連音は気配を消してそっと医務室を出た。



再び暇を持て余し、どうしたものかと悩んでいると、黒いインナー姿の少年が歩いてきた。

「あぁ、丁度良かった。暇そうだな?」
「いや、暇じゃない」
「嘘吐くな」
「嘘じゃないし」
「それで、君にも一寸聞きたいことがあってね」
「聞けよ、人の話を」
「――ジュエルシードの事だ」
「――何だ?」


場所を通路から移し、艦内にあるリラクゼーションフロア。
壁のスクリーンには高次元の海が映し出され、心理的に広さを感じ、圧迫感を取り除く。

そこのソファーに座ったクロノと連音は、重い沈黙の中にいた。

他に人は無く、男二人で黙ってコーヒーをすする光景は中々に痛い。


やがて、クロノが口を開いた。
「君は……あの時、どうしてジュエルシードを使った?」
「ん…?俺はジュエルシードを使った事など無いぞ?」
「嘘を吐くな!プレシアとの戦いの時、使っただろう!?」
クロノは激しい剣幕で迫る。
連音は少し考え、口にした。

「もしかして、アリシアが使った件か?」
「生憎だが、僕はそういったオカルトは信じない」
「頭の固いヤツだな……じゃあ、聞くが、俺が使ったのなら、どうしてジュエルシードはちゃんと発動したんだ?」
「だから、その事を聞いているんだ!?そもそも、ジュエルシードは次元干渉型のエネルギー結晶体だ。
誤った形で発動すれば、願いを歪んだ形で叶えてしまう。
しかし、あの時はそれが無かった。一体、何故だ!?」
クロノは一気にまくし立てた。

連音はそういう事かと、コーヒーをすすった。
「そもそも、何故、誤った形で使うと願いが歪むんだ?」
「それは……誤った形だからだろう?」
「違うな。お前は知らないだろうが、ジュエルシードは願いを込めてもちゃんと発動するんだ。
現にこの目で俺は見た。だから間違い無い」
連音は思い出す。
アリシアが時の庭園から連音を脱出させた時の事を。

あの時、ジュエルシードは何の間違いも無く、正しく願いを叶えていた。

「なっ!?何だって!?」
連音の発言に、クロノが驚きの声を上げた。

「元々、副次効果とはいえ、願いを叶える事はちゃんと出来るんだろう。問題は使う側にあるんだ」
「使う側…?」
連音は頷いた。
「恐らく、願い――思念を発する時、ノイズの様な物が入るんだろう。それによって歪んでしまうんだ」
「ノイズ……?」
「恐らくは人の体、肉体そのものの事だ。人に限らず体を持つものは、須らくジュエルシードを歪ませてしまうんだ」

長く生きれば、思考的にも、肉体的にもどうしても穢れる部分は出てくる。
それこそが、ノイズの正体。

月村邸でアインが巨大化したのは、当時のユーノの推測通り、まさに正しく願いを叶えたと言える。

無垢な子猫の『大きくなりたい』という願い。それを文面通りに叶えたのだから。

だが、それでもそのままを叶えただけである。

しかし、アリシアは違った。
連音を助けたいと願い、その結果、連音を針付けていたサンダーニードルを消し、
連音を地球、海鳴市まで次元転送したのだ。
そして、もう一つ。



「ああいう発動の仕方で、正しく願いを叶えられるのはたった一人……人の心と想いを持ち、ノイズを持たないアリシアだけだ。
どっちにしたって、俺が使ったんじゃない事は説明がつくだろう?」
「むぅ……」
クロノは唸った。
確かにジュエルシードが正しく発動した時点で、連音が使ったのではない可能性は大きい。

とはいえ、オカルト的な結論を認めることは出来なかった。
「目の前で見ておいて、よくもまぁ……」
「うるさいっ!」
フン、とそっぽを向くクロノの姿に、連音は笑いを堪える事ができなかった。









そして連音、なのは、ユーノは再び海鳴市に帰ってきた。
明日の早朝に見送りをする為に、日の傾き始めた町を岐路に着いていた。

「連君はこのまま、すずかちゃん家に?」
住むのか?そう尋ねるなのはに連音は首を振った。
「事件は終わった。俺も俺のあるべき所に帰るさ………」
「そっか……そうだよね。連君はその為に来たんだもんね………」
何処と無く、気まずい沈黙が二人の間に漂う。
ユーノもそれを感じ、ただ黙ってなのはの肩に乗っかっていた。



「くぅ〜〜〜〜ん!」
「ん?」
「あっ!?」
と、道の向こうから駆けて来る久遠の姿。
それに気が付き、なのはは久しぶりに出会った友達に笑顔を零し、駆け出した。

「くーちゃ〜ん!」
「くぅ〜ん!!」
なのはが手を伸ばす。久遠は真っ直ぐに走る。





その脇をすり抜けて、久遠はピョンと連音の胸の中に跳び込んだ。
「くぅ〜ん!」
久遠はパタパタと尻尾を振り、連音に甘えていた。
「うわ、こら、だから顔を舐めるな!!」
連音はしきりに顔を舐められ、必死に避けていた。


「―――え?」
その光景になのはは呆然としていた。
「く…くーちゃん……?」
なのははもう一度、その名を呼ぶ。
と、連音の顔を舐めるのを止め、振り向いた。

「あ、なのは」
「にゃーっ!にゃ、ちょ、くーちゃんっ!!」
なのははテンパり、大慌てで連音の手から久遠を引っ手繰る。
凄くショックな事を言われたが、それ所ではなかったからだ。

なのはは連音の顔を覗き込み、恐る恐る尋ねた。
「………聞こえた?」
「…何が?」
「ううん、聞こえてないなら良いの……ふぅ」
なのはは安堵の溜め息を吐いた。

「なのは、苦しい…」
「にゃーっ!!くーちゃーんッ!?」
なのはは慌てて久遠を背中に隠してしまった。

「………お前はさっきから何をやってるんだ?」
「………ふぇ?」
連音の言葉に、なのはが間抜けな声を出した。
そしてしばし長考し、再度尋ねた。
「連君……くーちゃんの事、『知ってる』の…?」
「まぁ、一応……神咲さんとも知り合いだからな…?」
「そ、そうなの!?………はぁ〜、よかったぁ〜!」
那美と久遠が高町家と懇意なのは、入院中に知った事であった。
那美の名前が出た事で、やっとなのはは久遠の事を知っているのだと理解できた。

「あのさ、なのは……その子って…?」
と、ユーノが疑問に思ったことを聞いてきた。
「あぁ、そっか。この子は久遠。くーちゃんて、なのはは呼んでるんだけど……なのはの大事なお友達なんだ」
「へぇ〜…」
ユーノは久遠の顔を覗き見る。と、見慣れない存在を怖がり、なのはの手からするりと久遠は逃げてしまった。
そしてそのまま、連音の足元に張り付いてしまう。
「おいおい、何だ?」
足に張り付かれると邪魔なので、ひょいと久遠を抱き上げる。
「あはは……くーちゃんてすごい人見知りだから……」
「そうなのか?初対面の時から、屋敷まで付いて来られたけどなぁ〜……………高町、何やってんだ??」
気が付けば、なのはが道端でガックリと膝をついていた。
「なのはは……なのはは仲良くなるまで一ヶ月も掛かったのに………そんなのフィアッセさんだけだと思ってたのに…うぅ…」

どうやら、触れてはいけない琴線に触れてしまったようで、なのははすっかり凹んでいた。
その傍らでユーノがオロオロとしていた。

それを見ながら、連音は思った。
(はやての事は………言わんほうが良いな、うん)
久遠にも、その辺りをしっかり厳命しておいた。





久遠をすっかり定位置になった頭の上に乗せ、帰り道を行く。
「じゃあ、ここでお別れだな」
道中の分かれ道。片方は翠屋へ。片方は月村邸へ向かう道。
「あれ?お店には来ないの?お兄ちゃん、会いたがってたけど?」
「いや、明日会うだろうし」
「え…?」
「明日、フェイト達を見送った後…、俺もこの町を出る」
「ふぇぇっ!?」
「くぅんっ!?」
連音の言葉に久遠は純粋に驚き、なのはは余りにも急な事に驚いた。
「そんな!もうちょっと、こっちには居られないの!?」
「ジュエルシードも移送されるし、後は向こうの仕事…。治療の事もあるし、キリも良いからな。
それに、向こうからも早々に戻るようにって、昨日連絡が来たし……」
「………」
そう言われ、なのはは思い出した。こうして平然としているが、ほんの数日前まで意識不明だった事を。
見舞った時、その姿に過去の父の姿が重なった事を。


「つらね……行っちゃうの?」
寂しそうに久遠が顔を覗き込んできた。
その鼻先を撫でてやりながら、連音も複雑な顔をした。
「悪いな……久遠」
「くぅぅぅぅん……」
どうしようもない。久遠もそれは分かる。
理解できるが、心はそうは行かない。


「あ、久遠!……と、なのはちゃん?連音君??」
「神咲さん?」
「那美さん?」
久遠を探して、翠屋の方からやって来た那美が二人に声を掛けた。


「そっか……連音君、帰っちゃうんだ……で、久遠が張り付いている、と」
「そういう事、で良いと思います」

那美返そうと、連音は頭の上の久遠を取ろうとした。
が、久遠は必死にしがみ付いて、全く離れようとしないのである。
力ずくで、とも行かず、連音はどうしたものかと考える。

ちなみになのはは、久遠のそんな様子にまた凹んでいたりした。

「ほら、久遠。もう降りなさい」
「くぅーん!」
フルフルと首を振り、それを拒否する。
「………久遠」
「くぅ〜ん……」

那美の悲しそうな声に、久遠も悲しそうに鳴く。
そんな様子に連音は、やれやれといった風に溜め息を吐いた。
「あの、神咲さん。良ければ今日、久遠を預からせてもらえますか?」
「えっ!?でも……」
「いや、久遠と遊んでやるって約束してたのを思い出したんで……な、久遠?」
「くぅ……いいの?」
「あぁ。約束は守らないとな?」
連音が頭を撫でてやると、久遠は気持ち良さそうに目を細めた。
「くうぅ〜ん」
じゃれ付く久遠に連音は苦笑いを浮かべ、その手を離した。
「それじゃ、明日。さよなら、神咲さん。高町もな」
「あ……うん。バイバイ、連君」
「えぇ。明日、見送りに行きますから」
「くぅ〜ん。ばいばい〜」
連音はなのは達と別れ、久遠を連れて屋敷への道を行った。

そして、なのはも那美と共に翠屋への道を行った。
「ところで、那美さんは連君とどうやって知り合ったんですか?」
「え゛っ!?…………………えっと……あっと……それは…」
いきなりのなのはのフリに、那美は咄嗟に答えられず、しどろもどろになってしまった。
そのテンパリ具合は、いい感じに頂点を極めようとしていた所で、なのはが止めた。
「あの……もう、いいですよ………?」
「…………………え、あ、そう……!?ふぅ〜、良かった……」
なのはの気遣いに那美は本気で感謝した。額の汗を拭い、安堵の溜め息を吐く。
そんな那美を見て、なのはは苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。



連音は久遠を乗せて夕焼けの町を越え、屋敷に続く林道を進んでいた。
枝葉を抜け差し込む夕日の先に、燃えるような海鳴の町が見える。

「――――ッ」
突如、目の前に紅蓮に染まる世界が現れた。硝煙と煉獄の生み出す地獄。
悲鳴と銃声が辺りに木霊し、ドクンと心臓が強く鼓動する。


連音は静かに瞼を閉じ、そしてゆっくりと開いた。

そこにあるのはやはり、海風と夕日に包まれた海鳴市だった。

初めて守った世界。
守りたいと思った人達のいる世界。

守りたいと思えた、自分の世界。



「つらね…?」
「何でもない……帰ろう」


連音は再びその足を進め始めた。










明けて早朝。
学生――小学生などは起きていないぐらいの時間。
当然、月村すずかも夢の中である。

連音は昨夜の内に纏めておいた、大きなバッグを屋敷の入り口に置いた。
ちなみに久遠は連音の頭の上で大欠伸をしている。
まだ夢うつつ、といった具合だ。

「それでは、こちらの方は車に積んでおきますので」
「はい、お願いしますノエルさん」
「いえ、ではご友人のお見送り…いってらっしゃいませ」
ノエルは深く頭を下げ、連音を送り出す。

友人ではないのだが。そう言おうとしたが、連音は止めておいた。
別にそこまで否定する理由も無かったからだ。
それに折角、ノエルがそう言って送り出してくれたのに否定するのは、無粋というものだ。

「それじゃ、行ってきます」
そして、連音は月村邸から外へと踏み出した。
ここに来て、何度も繰り返したこの行為。その最後をかみ締めるように、連音は外門までの道を歩いていった。







決闘の行われた臨海公園。冷たい海風が吹くその場所に連音が到着すると、既になのはが着いていた。
笑顔と涙を浮かべながら、フェイトと話をしている。

それはフェイトも同じであった。
出会った当初と同じ人物とはとても思えない程に、ぎこちなくも表情は豊かで、
彼女の心が変わり始めた事の証明でもあった。

二人を邪魔する気は無かったので、そのまま向こうのベンチにいるクロノのところに行こうとしたが、
それより早く、なのはが連音に気が付いた。

「あぁ、連君!」
「えっ!?」
その声にフェイトも振り返った。

気が付かれてしまったのなら仕方ない。
連音は二人に歩み寄った。

「おっす。二人とも早いな」
「早くないよ…連君が遅いだけ……!」
「あのなぁ。お前んちと違って屋敷は遠いんだよ、分かってるか?」
「それは分かるけど……連君ならあっと言う間でしょ?」
「生憎、目立つ行動をしないのが忍というものだ。これだって急いで来た方だぞ?」
到着早々、ビルの上を跳び回った人間の台詞とは思えないが、その辺りは連音も学習したという事なのだろう。


「あの……、来てくれてありがとう…ございます」
「いや……これから、本局なんだろう?」
「はい。母さんもですけど……わたしも、自分の罪を償わないと…」
「そうか……まぁ、今のフェイトなら心配は要らないな」
そう連音が言うと、フェイトは少しだけはにかんだ様に笑い、頷いた。

「あれ?そういえばお前ら、リボンはどうしたんだ??」
ふと、連音は二人に違和感を覚えた。いつもツインテールにしている髪型が、今日はストレートなのだ。

「えへへ……リボン、交換したんだよ」
そう言って、なのはは黒いリボンをポケットから取り出して見せた。
フェイトも、ピンク色のリボンを取り出して見せた。

どうやら、餞別という事らしい。

「そういう事なら………っと、何が良いかな……?」
ゴソゴソと連音は懐を探った。
「ん。これなら良いだろう。ほれ」
連音は取り出した物をひょいとフェイトに渡した。
それはフェイトの手の中で、冷たい輝きを放っていた。
「………ナイフ、ですか?」
「苦無という物だ。何本かある中で、それは庭園でお前を助けるのに使ったヤツだ……縁もあるだろうし、お守り代わりに持ってけ」
「はい…………ありがとうございます」
ちょっと引きつった様な表情なのは気のせいではないだろう。


連音とフェイトのやり取りを見ていたクロノが、声を掛けてきた。
「すまないがそろそろ時間だ……良いか?」
「え!?ちょっと待って!フェイトちゃんッ!」
「う…うん……!」
なのはに促され、フェイトは一転して緊張の面持ちに変わる。
連音の前に立ち、息が荒くなるフェイトに、反射的に一歩、後ろに下がってしまった。
フェイトは大きく深呼吸し、そして、キッと連音に強い決意の眼差しを向け、口を開いた。

「あの…ッ!!」
「は、ハイッ!?」
その迫力に思わず丁寧な返事を返してしまう。

「わたし……フェイト・テスタロッサといいます……!」
「………………は?」
フェイトはゴソゴソとポケットを探り、金色の三角に似た物を取り出す。
「この子は…バ、バルディッシュです……!」
“Nice to meet you”
「…………はぁ」
「………」
「………」
「……………」
「……………」
「……………」
「…………で?」
「――ッ!?」
フェイトは『ガーン!』という文字が背後に入りそうな程に、ショックを受けた。「何なんだ、一体…?」
連音は何が何だか分からず混乱し、フェイトはなのはにすがる様に抱きつき、なのはは何やらフェイトを鼓舞している。

「あの、君達……?そろそろ時間なんだが……?」
クロノがなのは達に恐る恐る声を掛ける。
「もう、クロノ君!大事な所なんだから空気読んでッ!!」
「うぇっ!?なっ!?僕が悪いのか!?」
恐ろしいまでの剣幕にクロノが盛大にショックを喰らった。柵に掴まり、ガックリとうな垂れている。
しかし、誰もそんな彼を気にしなかった。

「―――で――だから――――頑張って…!」
「う…うん……頑張る…!」
なのはに励まされ、フェイトは再び連音に向き直った。
顔は紅潮し、鼻息も荒くなっている。整った顔立ちと相まって凄い迫力だ。
「あの……!わたしはフェイト・テスタロッサなんです!!」
「あ、あぁ……それは、知ってる……」
今更、自己紹介をされるまでも無い。フェイトどころか、ここにいる全員の名前も分かる。
フェイトの意図を理解できず首を捻っていると、彼女は謎を解く鍵を口にした。

「あ……あなたの…………あなたの名前を…教えて下さいッ!!」
顔を真っ赤にして、叫ぶようにフェイトは言った。
「俺の…名前……って、知ってるだろう?プレシアと戦った時にあそこに居たし」
「そ、そうですけど………でも、聞きたいんです……あなたの口から、ちゃんと…あなたの言葉で……!」
「何で?」
当然の疑問として連音はフェイトに尋ねた。態々フェイトが、連音の口から名前を聞きたがる意味が分からなかったからだ。

その返しにフェイトはますます紅潮させた。
胸に手を当て、懸命に何かを抑えようとしている。
緊張でカラカラになった口で、必死に唾を飲み込む。
「そ……それは……」
「フェイトちゃん、頑張って!!」
「う…うん……っ!」

なのはの声援を背に受けて、フェイトは覚悟を決めて叫んだ。
「わたしと…と、友達になって欲しいから………!!」
「えっ…!?」
「な…なのはが……友達になるには……相手を見て、名前を呼べば良いって……だから…!」



海風と波の音だけが響く。
連音はいきなりの事に唖然とし、フェイトは叫んでしまった想いに後悔と羞恥を抱き、ここから逃げ出したかった。


連音には全く分からなかった。
なのはと違って連音は、フェイトにとって完全に敵のようなものだったからだ。
一時休戦したとはいえ、その辺りに変わりは無かったし、それに自分はフェイトに特別何かをしてやった訳でもない。

だから、どうしてフェイトが自分と友達になりたいと言い出したのか理解できなかった。

「…………」
だが、言葉や理屈だけで人の心は語る事はできない。

フェイトを見ると、彼女は震えていた。
今までずっと孤独の中にいた彼女。なのはという友達ができたのも、つい昨日の事だ。

『わたしと…と、友達になって欲しいから………!!』

そんな彼女が、この言葉を言う為にどれ程の勇気を振り絞ったか、今のフェイトを見ればすぐに分かった。


必要なのは理由じゃない。
この勇気に、自分はどう答えるのか、だ。


そんな事は考えるまでも無い。




「―――連音だ」
「え…?」
「俺は辰守連音。そして、相棒の琥光だ」
そう言って笑い、連音は右腕を差し出した。
“改メテ 挨拶致シマス”
「え………あ…………っ!」
最初は、その意味を受け止めきれずに呆けていたが、やがてその瞳に涙が浮かぶ。
出された手を両手で包み込んで、フェイトはポロポロと大粒の涙を零した。
何かを言いたいが、声が詰まってしまって何も出て来ない。

フェイトは頭の中で必死に『ツラネ』と繰り返す。
せめてそれだけを彼に言いたい。
目を見て、ハッキリと伝えたい。

その思いで、フェイトは胸が一杯だった。

そして、全身全霊を以って想いを口にした。

「―――つりゃね」
「…………」
「…………」
「噛みやがった」
「噛んじゃった」
「噛んだね」
「見事に噛んだな」
「うぅ〜っ!!」

全員の容赦ない総ツッコミを喰らって、フェイトはガックリと項垂れ、アルフはおろおろとしている。

「フェイトちゃん、大丈夫!噛むぐらい、よくある事だよ」
「そうだぞ。俺の名前なんて、結構噛まれるし……な?」
連音もなのはも一寸やり過ぎたかと反省し、フォローを入れるがフェイトは項垂れたままだ。

しょうがない、とばかりに連音は溜め息を吐き、フェイトに声を掛けた。
「―――レン、だ」
「―――――え?」
「連音が言い難いならレンで良い。あだ名だよ。知らないのか?」
連音が聞くとフェイトはコクコクと首を縦に振った。
そこからする必要があるのかと、連音はどう簡単に説明しようかと考えた。

「えっと……あだ名ってのは…そうだなぁ……親しい人の呼ぶ、特別な名前の事だな」
「親しい人の呼ぶ…特別な、名前……?」
「ま、言い難い奴のために考えた呼び名だ。こっちの方が言い易いだろう?」
フェイトは何度かレン、ツラネ、と言い比べている。
やはりフェイトにとっては、レンの方が遥かに言い易いようだ。
「えっと……レン?」
「おう、言えるな」
「レン……レン………ッ!」
一声発する度に、フェイトの瞳に再び涙が込み上げる。
「うわっ!おいおい、泣くなよ…!?」

「くぅん」
また泣き出しそうなフェイトに連音が困惑していると、ペシペシと柔らかな物が連音の頭を叩いた。
「っと、悪い悪い」
連音は頭の上の子狐をひょいと持ち上げた。
それを見て、フェイトの顔が僅かにほころぶ。涙を拭って久遠を見やった。
「わぁ…可愛い……あれ?この子って……確か前に……?」
「あぁ、改めて紹介する。こいつは久遠。俺の友達で、同時になのはの友達でもある」
「そうなの、なのは?」
「うん!くーちゃんは、なのはのお友達なんだよ。くーちゃんっていうのは連君と同じ、なのはが付けたあだ名なんだ」

なのはが嬉しそうに紹介すると、フェイトも「よろしく」と言いながらそっと手を伸ばした。

「くぅ…」
と、久遠は首を竦めてしまった。
「あ…っ」
「あのね、くーちゃんは人見知りするの。別に、フェイトちゃんが嫌いとかじゃないんだよ」
嫌われたのかとフェイトが軽くショックを受けるが、即座になのはがフォローを入れた。
それを聞き、フェイトも少し安心した。

そして連音も久遠に言って聞かせる。
「久遠。フェイトはな、これからちょっと遠い所に行くんだ。だから、頭ぐらい撫でさせてやってくれないか?」
「くぅ〜……」
連音に言われ、久遠はちょっと困った風に鳴いたが、やがて自分から頭を差し出した。

「あ…良い、の……?」
「くぅん」
フェイトは恐る恐る手を伸ばす。久遠も怖い気持ちに必死で耐える。

そして指先が久遠の頭に触れ、ゆっくりと撫で上げる。
「わぁ……温かい……さらさらで…」
フェイトは久遠の毛並みに感嘆の吐息を漏らした。
久遠も最初はびくついていたが、連音となのはという親しい二人が傍にいる事と、
フェイト自身も優しく撫でるので、徐々に固さが解けていった。br>
今は心地良さそうに瞳を閉じている。


それを見て、なのはは嬉しそうに言った。
「えへへ……これで、くーちゃんとフェイトちゃんもお友達だね?」
「くぅ……フェイト、お友達?」
「そう…なのかな?」
なのはの言葉に二人はちょっと戸惑うが、なのははうんうんと、しきりに頷いた。



「それじゃ、今度こそ良いな?」
立ち直ったクロノが聞いてくるが、良いなと聞きながら有無を言わせない迫力がそこにはあった。
なのははそんなクロノに苦笑いを浮かべるしかなく、連音は肩を竦めていた。

そんな中、フェイトは連音に尋ねてきた。
「あの……本当に良いんですか?レン……って呼んで…?」
「何でそんな事を?」
「だって……その…親しい人の呼ぶ名前って言っていたから……」
どうやら、その辺りがフェイトは気になるようだった。
「………俺は連で、久遠はくーちゃん。ユーノは淫獣でクロノは黒助。
別にそこまで深刻な話じゃないからさ。あだ名なんて、言い難いから付けるなんて良くある事さ」
「そうなんですか……?」
キョトンとするフェイトに連音は「そんなもんだ」と頷いた。

「ちょっと待て!誰が淫獣だ!!?」
「そこのフェレット男は良いが、誰が黒助だ!!?」
「誰がフェレット男だ、この黒助!!」
「黒助と呼ぶな!!この淫獣が!!」
「………なのは、淫獣って何?」
「………さぁ?帰ったらお兄ちゃんにでも聞いてみるよ」
「わたしも、母さんに聞いてみる」
「それは激しく止めとけ」



ギャーギャーとクロノとユーノが言い合っている内に、フェイト達の足元に転送ゲートが開かれる。

「元気でね…フェイトちゃん……!」
「うん……なのはも、レンも……元気で」
「……フェイト」
「……?」
連音はさっきとは一転して真剣な顔となった。
「人は……何時死ぬか分からないし、後悔だって…絶対にするもんだ……。だから、自分の真実を大事にな」
「………うん。ありがとう、レン……」
その言葉に、少しだけ寂しい笑顔を浮かべる。

そして、光が徐々に強くなっていく。
「ありがとう、なのは…レン……!絶対に、また会いに来るから……!
二人が困った時は……今度はわたしが助けるから………!だから…!」
「フェイトちゃん!!」
「だから………わたしの名前を呼んで………!わたしも、二人を呼ぶから……!!」
「あぁ!でっかい声で呼んでやるよ!!」
「わたしも、フェイトちゃんの事、いっぱいの声で呼ぶから!!」
溢れ出した思いのまま、なのはが叫ぶ。
いっぱいに手を振って、旅立っていく友達を送り出す。
フェイトも、最初は小さく、でも段々と大きく手を振り返した。

そして魔法陣が一番強い輝きを放ち、転送が完了した。


閃光が消えた後、そこには誰の姿も残っていなかった。

なのははしばし、フェイトのいた場所を眺めていたが、やおら振り返り、連音に言った。
「それじゃあ、なのはは一度帰ってから学校に行くね。連君はこのまま…?」
「あぁ。じゃあ、ここでお別れだな。」
「そうだね……」
連音の足元に風が集まっていく。
「元気でな…………なのは」
「……ッ!!」

連音の言葉になのはがハッとした。
今まで苗字で呼んでいた連音が、初めてなのはを名前で呼んだのだ。
「連君も…元気でね……!」

連音が背を向けた瞬間、突風が吹き、なのはとユーノが顔を背ける。

そして風が治まった時には連音の姿も消え、木の葉が舞い散っていた。
いかにも忍者らしい去り方に、なのははその大きい瞳をパチパチとさせた。

「…………帰ろっか、ユーノ君」
そしてなのはは家に向かって駆け出した。







朝の混雑も激しい海鳴駅前。
連音は来た時と同じように巨大なバッグを背負っていた。
持っている本人には大して重くもないが、見ている方はハラハラしてしまうビジュアルである。

連音の見送りに恭也、美由希、忍、ノエルの姿もあった。
久遠はノエルの腕の中だ。
「それじゃ、気を付けてな」
恭也が左手を出す。
「はい。色々とありがとうございました、恭也さん。士郎さんにもよろしくお伝え下さい」
連音はその手をしっかりと掴む。
「えっと…美由希さんにも……その…色々ご迷惑をお掛けしまして……」
「えっ!?あぁ、いやいや……もう良いよ。事情が…あったんだし……」
そう言ってパタパタと手を振る美由希。その頬がちょっと赤みを帯びているのに誰もが気づいた。

連音の入院中、一度美由希が病室を訪れた事があった。
その際、美由希的に色々とあったのだが、それを知る者は本人のみである。

怪訝な表情を浮かべていた忍だったが、ふと構内を見回した。
「それにしても那美は遅いわね……」
そう。昨日、見送りに来ると言っていた那美の姿がなかったのだ。
約束をすっぽかすような人間でないのは分かっている。

ならば、何か事故にでもあったのだろうか?

有り得る。そんな心配が一同に浮かんだ時だった。
「ごめんなさ〜い、遅れました〜ッ!」
人込みの向こうからやって来る那美の姿があった。
「もう、遅いじゃない………あれ?」
忍は波の前にいる誰かに気が付いた。
人込みを抜け、現れたのは車椅子に乗った少女だった。

「は、はやて……?」






恭也達は気を使い、はやてと連音は二人きりとなっていた。
重い沈黙が二人の間に漂う。
「どうして、何も言わんと行こうとするん!?」
「………」
「那美さんが教えてくれんかったら……わたし、何も知らんままやったよ?」
「……それで良い……」
「っ!?何が――」
「会えばいらない未練を持つ。そう、思ってた……」
「……?」
「でも、きっとそうしていたら……もっと未練を持っただろうから……ありがとう」
「〜〜〜〜〜ッ!!」
あの日の朝のように微笑む連音に、思わずはやては言葉を詰まらせてしまった。
(色々言ってやりたかったのに…何も言えんやんか……!)
何か負けてしまったようで、悔しさに頬を膨らませるはやて。
そんな彼女の様子に連音は首を傾げていた。


“主 列車発車時刻 二十分前”
「――っと、もうそんな時間か……悪い、そろそろ行かないと」
「ちょ、待って!連音君……!また……会えるんやよね……!」
はやての必死の思いに、連音は首を振った。
「いや……もう、この町に来る事は無いだろうし、それに会わない方が良い」
「そんな……何でッ!?」
連音は少し寂しそうな表情で、はやてと向き合った。

「竜魔が戦う時……それは世界が危なくなった時だ。だから、俺が海鳴に来る時はそういう事がこの町で起きる、そういう意味だ。
だから、俺と会わなければ……それだけで安全って事だ」
「そんな……言っとる事は分かるよ…せやけど折角、友達になったのに……!そんなん、悲しすぎるやんか……」
「それも竜魔の宿命……仕方ないさ………でもな?」
連音ははやての手に触れる。
小さな手を包み込んで、そして、言葉を紡いだ。

「もしも…はやてが辛くて、苦しくて、どうしようもなくなった時……その時、俺がはやてを守るから。
例え、世界の果てからでも駆けつけて………はやてを…守るから」
「………ほんまに?」
「あぁ……竜魔の……俺の名に懸けて。絶対だ……!」
はやての瞳に浮かんだ涙を拭い、連音はニッと笑った。
「―――しゃあないなぁ〜、信じてあげる」
そして、はやても太陽の様な笑顔を返した。




改札を抜け、連音の姿が人込みに消えていく。
その背が見えなくなったのを見届けて、忍は盛大に背伸びをした。
「さ〜て、那美と美由希ちゃんは学校ね。ちゃんと行きなさいよ?」
「行きますよ!人聞きの悪い事言わないで下さいッ!!」
「流石に一間目は遅刻ですけど……」
那美は苦笑いを浮かべる。サボりで遅刻をした事が無い為、内心かなりドキドキしていたりする。
「では忍お嬢様。私は、はやて様と久遠さんをお送りしてまいります」
「すんませんノエルさん。お願いします」
「オッケー。で、恭也は病院ね?」
「うぐっ!?……いや、良いんじゃないか?今日は……」
「ダメ。行かないと若先生の怒りゲージ、一気にMAXになるわよ〜?」
「うぐぅ!!それは……嫌だ…!」
「じゃあ諦めなさい」
二人のやり取りについつい一同が笑いを零す。
そんな中、久遠がポツリと零した。


「フィリス………つらね帰るの、しってる……?」


その瞬間、時が止まった。

そしてそれは、高町恭也の死刑宣告が同時に行われた瞬間でもあった。








そんな事になっているとは知らない連音を乗せた列車は、ゆっくりと動き出した。
窓から海鳴の風景が見え、少しの寂しさを覚える。


多くの出会いと、そして別れと。
過去との邂逅と、未来の選択と。


「全ては姫様の刻見のまま、か……」

もしも、他の竜魔の忍ならプレシアを殺していただろう。
もし殺さなくても、彼女の闇を払う事はできなかっただろう。

同じ罪、痛みを背負う者でなければそれを祓う事はできず、きっと悲しい結末となっただろう。

プレシアの命は僅かしかない。
それでも、フェイトにとってその僅かな時間が、掛け替えのない物となるようにと祈る。

そして、この町で出会った人達。
世話になった月村家の人達。

大切な事を伝えてくれた高町家の人達。

何も聞かず、手当てをしてくれたフィリス医師と、その血を与えてくれたはやて。

そして、アースラの面々。

多くの出会いがあった。

その果てで、やっと分かった自分の戦う意味。

母の想いと、父の言葉。

受け止めて、受け継いでいく。



竜魔の誇りと共に。








平穏の戻った海鳴の町は、今日も青空が広がっている。









そして、聖祥学園。
なのはは目の前の光景に、口を閉じる事ができないでいた。

「あう……連音君のバカぁ…何で眠ってる内に帰っちゃうの……お姉ちゃんも…」
アリサは「はぁ〜あ」と深い溜め息を吐いていた。

「えっと……これって、どうなってるの??」
「何かレンのやつがすずかが寝てる間に帰っちゃったんだって。それで、こうよ」
机に突っ伏して泣き愚痴る親友の姿に、なのはは苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。



















遥か向こうから薫風が吹き、連音の瞼がゆっくりと開かれる。
緑と青の世界が視界を埋め尽くしていた。

「ここはあの時の……また、夢を見ているのか?」
連音の記憶では里にすら着いていない。それ以前にまだ列車の中の筈だ。

そこは、かつて雪菜と邂逅を果たした世界だった。
同じ風景を見た連音には、それが夢だとすぐに判断できた。

しかし、以前と違うのはここには誰もいないという事。
あるのは風と、草の香りのみだった。

「一体どうして……?」
そう呟いた時だった。
一際強い風が吹き、草が青空に舞い散る。
「――っ!」


目を閉じ、それを耐える。
やがて風は止み、連音は乱れた髪を手櫛で直す。
夢の中でも、やはり気になるものらしい。


「へぇ……綺麗な所だね」
「っ!………どうして……!?」
不意に掛けられた声に振り返った連音は、その人物に驚いた。

長い髪を風に踊らせ、白いワンピースに身を包んで、白い素足で草むらに降り立つのは美しき聖女。


「………アリシア、どうして…!?」
「どうしてって、ここは連音の心象世界でしょう?」
「だったら、尚更お前がいるのはおかしいだろう!?」
「別におかしくないよ……えっと何て言ったっけ?夢…夢ま………マッコウクジラ?」
「―――夢枕か?」
「そう、それそれ!」
「盛大に間違えるな!?」
「アハハハ……」
アリシアは盛大に笑って誤魔化した。


アリシアと連音は隣り合って座っていた。
吹く風は優しく頬を撫でる。

「ありがとう、ツラネ。お母さんを止めてくれて。後、フェイトの事も」
「別に……俺の方こそ礼を言わないといけないだろ?お前に助けられたし……」
「えっ?あぁ、あれ……でも、あれは私のせいだし……」
「でも、俺が死ななかったのは……お前のおかげだ」
「……」
「やっと分かったよ。幾ら夜の一族の血でも、あれだけのダメージを受けて大暴れして、死なない訳がない。
俺の命を、ずっと……繋ぎ止めていてくれたんだろう?アリシア……」

それがジュエルシードが願いを叶えたという、もう一つの証明。


その問いにアリシアは答えず、すっと立ち上がった。
日差しを受けて金色の麗髪が光り煌めく。

「………綺麗だね。ここって、ツラネにとって大切な場所なんでしょう?」
「俺が、家族で最後に来た場所……。この後、母さんは……母さんだけじゃない、多くの人達が…俺の犠牲になった」
「ツラネ………ツラネは、ダメだよ?」
「……?」
「ツラネはちゃんと一生懸命生きて。そして……幸せにならなきゃ」
強く、アリシアは言った。背を向けているので表情は窺えないが、肩が少し震えていた。

「そりゃ……一生懸命には生きるさ。俺の命は余りに軽いけど……同時に凄く重いからな。
でも幸せには……なれないし、なる資格はないよ」
「ダメッ!!ツラネは幸せになんなきゃ絶対にダメ!!」
「どうしてそこま―――」
で。そう言いきる事はできなかった。

振り返ったアリシアの柔らかな唇が、連音の言葉を塞いでいた。


一秒にも満たない口付けは、再びアリシアから離れて終わった。
「な…は……な……っ!?」
顔を真っ赤にしながら、連音は起きた出来事に思考をフリーズさせていた。

「大好きだよ、ツラネ………」
「あ、アリシア…!?」
「だから、幸せになって欲しいの……あなたにも。ちゃんと」
「す、好きって……会って数日…つーか、全然時間だって……」
「それでもっ!!初恋で、ファーストキスで!!時間なんて関係ないのっ!!」
まくし立てて、アリシアはプイッと向こうを向いてしまう。

「どうして、もっと早くツラネは産まれなかったんだろ……?どうして、私は早く産まれちゃったんだろ?
…………言っても仕方ない、か。そうよね、過去は過去だもの」
うんうんと何やら一人で悩んで、一人で解決してしまっている。

アリシアは振り返り、ビシッと連音を指差した。
「だから、今回は許してあげる!!でも、来世は私……誰にも譲らないよ!!」
「………何が、ですか?」
「だから、他の人を好きになっても良いって言ってるの!でも、今回だけよ!次は許さないからね!?」
「………あ、あのなぁ……俺は」
「あ、できたらフェイトね。フェイトなら、こう……上手く憑依とかできるかもしれないから」
「話を聞けよ!そして黒いぞ、考え方ッ!!」



そうこうしている内に、空が夕焼けに染まっていく。
「あぁ、もう時間切れッ!?」
「やれやれ……忙しい奴だな」
「うるさい!とにかく……一生懸命生きて、幸せになって。そうしないと許さないからね。
こっちに来ても、何度だって叩き返してやるんだから!!」


「………そりゃ怖いな。女神に殴られたら死んじまうよ?」
「どうせその時は死んでるんだから問題ないわ。むしろ生き返れるわよ?」
そして、二人は互いに笑いあった。


光が世界を染め上げ、アリシアの姿が消えていく。

―それじゃあね―

雪菜の時のように、アリシアの声だけが木霊する。



「―――じゃあな、アリシア」
三度吹く薫風に、連音の言葉が解けて消えていった。










瞼を開ければやはり列車の中だった。
夢の事を思い返しながら窓から外を見れば、映るのは故郷の山々。

不意に漂う緑の香に、連音の脳裏にアリシアの姿が浮かび上がった。



(………来世で、絶対に会おうな………アリシア)






列車はもうすぐ、停車駅に到着する。
連音は荷物を棚から下ろした。





改札を抜けて、舗装されていない道を進みだす。
ジャリ、ジャリ、という音を響かせて、連音の足は力強く前へと進んでいった。




道は分かたれ、それぞれがそれぞれの道を行く。
多くの想いを知り、戦い、繋がり合った心。

今は、遠き別離の時。



















































時は過ぎ、六月三日。


ベッドに横になって、彼女は図書館から借りてきた本を読んでいた。
スタンドライトだけで細かい文字を読んでいると、流石に目が疲れる。

ふと時計を見れば、時刻は十一時五十九分。
「ふぁ…もう、こないな時間か……」
明日の朝に病院にいかなければならないので、しおりを挟み、本を閉じる。
そして、ベッドに潜ろうとした。

カチ、カチ、と秒針が音を刻み続ける。
避けられない宿命を告げる為に。









六月四日 零時零分。全ての針が頂点を頂くその時。



     ―Anfang―



運命は、再び動き出す。









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