士郎と美由希が帰宅すると、リビングには桃子が一人でくつろいでいた。
「ただいま〜」
「お帰り美由希、あなた……て、どうしたの美由希!泥だらけじゃない!?あぁ、服もボロボロ……」
いつもの様にお帰りと言ったところで、美由希の有様に気が付き、素っ頓狂な声を上げた。
美由希は慌てて士郎の影に隠れる。
「お父さん、お風呂先に入るね。じゃっ!」
「あっ、こら美由希ーっ!?」
桃子の言葉を振り切って、美由希はドタドタと自室に駆け込んで行った。
士郎はやれやれ、といった風に頭を掻きながらキッチンに入り、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
桃子はふと一人いないのに気が付く。
「あら、恭也は?」
「フィリス先生の所でお泊りだ」
「……そう。なら、心配はいらないわね」
士郎のその一言だけで桃子も理解できたようで、それ以上聞く事は無かった。
「あれ?なのはは、もう寝たのか?」
士郎がソファーに座ってリビングを見渡せば、なのはの姿がどこにも無かった。
夜も遅く、もう寝ていてもおかしくない時間だ。
こほん、と咳払いを一つして、桃子は士郎の隣に座った。
「あのね、なのはの事なんだけど……」
「ん…?どうかしたのか……?」

桃子の口から出た言葉に、士郎は最大級の衝撃を受けた。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第十八話  黄昏の決意



夜が明け、朝日が海鳴の町を照らし出す。
しかしまだ本格的に動き出している訳でもなく、町は静けさの中にあった。

それはここ、海鳴大学病院内も同じであった。

面会謝絶の札を掛けられたその一室。
そこで静かに眠り続ける連音の横に、一人の男性の姿があった。

「まだ、目を覚まさないか……」
彼――高町恭也は嘆息した。
いくら深刻なダメージとはいえ、連音の回復能力ならば既に意識を取り戻していてもおかしくは無い筈である。
しかし、未だ連音は目覚めない。

ふと、恭也は昨夜のフィリスとの会話を思い出した。
打身について懇々と説教をされた後の事である。



『私に直接見せた、という事は……この子は“訳在り”なんですね?』
『えぇ…』
『だったら聞きませんけど……。でも、普通では考えられないです』
『…?何が、ですか…?』
『他の怪我はともかく……この胸の刺し傷は肺も傷つけているし、明らかに致命傷でした……』
『っ!致命傷……“でした”?』
『肺につけられた傷は……信じられませんが、もう治りかけています。
出血も主要な血管からと思われるものは、全て止まっていました。
正直……人間の回復力では在り得ません……』
『………』
『大丈夫、何も聞きませんから。後は消耗した体力さえ戻れば大丈夫でしょう……。
はぁ〜、まさかこんな……闇医者みたいな事をする日が来るなんて……』



(だが、未だ意識は回復しない……それに、傷も……塞がっていない、か)
恭也はそっと、その髪を撫でる。
「忍なら、もうとっくに治っているだろうが……言ってもしょうがないな」
これ以上は自分にはどうする事もできない、と恭也は頭を振った。

そして、恭也は静かに連音の病室を後にした。


時は回り、病院も診察と、見舞いを受け入れだした時。
月村忍とノエルの姿もそこにはあった。
一階のロビ−で恭也と話している。
その姿はとても絵になっていて、通り過ぎる人が時折振り返ったり、遠巻きに見ている人がいたりした。

「じゃあ、まだ意識が……?」
「あぁ、危ない所は脱したらしいが……」
恭也の言葉に忍の顔が暗くなる。
恭也は忍の肩に手を置き、優しく微笑む。
「大丈夫、心配するな。あの子はそんなに弱い子じゃない……そうだろう?」
「………うん」
恭也の励ましに弱々しくだが、答える忍。
どこか、甘い雰囲気の流れる中、それを壊したのはノエルだった。
「とりあえず、ここから移動いたしましょう。無駄に目立っておりますので」
「「え…?」」
気が付けば二人を囲む人数はかなり多くなっていた。
それも当然で、恭也も忍も美男美女というに相応しい容姿を持ち、
そんな二人が揃っていれば、誰もが足を止めてしまうものだ。

尤も問題は、自分の容姿に無自覚な恭也と、その恭也以外に意識が行かない忍にあるのだが。


とりあえず三人はそそくさとロビーを後にするのだった。


「ところでノエル。何だ、そのバスケットは?」
恭也はノエルの持っているランチバスケットが気になり、指差した。
中身は分からないが、見舞いというには少しお門違いな気がしたのだ。
「これですか?これは――」
「――くぅん?」
ノエルが蓋を開ける直前、中身がぴょっこりと顔を覗かせた。
「なっ!?久遠っ!?」
流石に生もの――いや、生き物とは予想が付かず、恭也は驚きを隠せなかった。
久遠は恭也を見ると嬉しそうに鳴いた。
「実は二日前、屋敷に連音様が御連れになられたのですが……その、屋敷には」
「……猫か」
「はい。それに連音様もあのような状態ですから、見舞いの後にさざなみ寮の方へと思いまして」
なるほど、と恭也は納得した。
久遠にとって猫は不倶戴天の敵。その巣窟にいるなど、命が大絶賛でピンチというものだ。
どういう経緯かは分からないが、それでも一日、あそこにいたのだから
連音は余程久遠に好かれているという事だろう。
(なのはが知ったらどう思うやら……)
ふと、久遠と仲良くなる為、必死に神社に通い詰めていたなのはの姿を思い出し、苦笑した。
およそ一月を費やし、ついに打ち解けた事を喜んでいたが、当時いた“姉”にあっさりと懐いて、数日の間、凹んだままだった。

あの時は彼女が年上で、なのはにとっても家族であったからその位で済んだだろうが、
同年代でこの町に来たのは少し前。それなのに、寄り付かない筈の月村邸に留まるほどの親密さ。
立ち直れるか、ちょっとだけ心配になった恭也だった。

「――!?」
と、何かに反応し、久遠がピョンとバスケットから跳び下りた。そのまま廊下を真っ直ぐに走っていく。
「あっ!待ちなさい、コラ!!」
すぐさま三人は久遠を追って走り出した。

久遠が軽快に廊下を走り、道行く患者にナースに医師の足元をすり抜けていく。
その都度、「きゃぁ!」やら「わぁ!」やら短い悲鳴が響き続けた。
「いけませんね。かなりの大騒ぎです、お嬢様」
「見れば分かるわよ!!もう、若先生に見つかったら……うぅ〜、考えたくない!」恐ろしい想像をしたのか、忍はブルルッ、と体を震わせた。
「俺だってあの地獄の整体フルコースは嫌だぞ!?」
恭也も苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。“嫌”が漢字な辺りに本気さが窺える。
と、久遠が角を曲がった。恭也らも続いて曲がる。
その先にいるのは――フィリスだった。患者であろう、車椅子の少女と話している。

瞬間、恭也の脳内を二つの考えが走った。

一つ――神速を使い、久遠を捕まえて、そして怒られる。

二つ――久遠をこのまま行かせ、そのまま通り過ぎる。そして後で怒られる。

フィリスが久遠の目的とは微塵も考えない。
そんな訳が無い。絶対の確信だ。

それは忍も同じで、二人はアイコンタクトで互いの意見を交し合った。
コクリと頷く。

(選択は2!プランの変更は無しだ!!)

その決断をした時、フィリスが恭也達、そしてその前を走る小動物に気が付いた。
「え、恭也君!?久遠!?」
「へ?」
フィリスの言葉に車椅子の少女も振り返った。
そして――。
「くぅ〜ん!」
久遠は彼女に飛びついた。
「なんや、久遠か!?どうして病院に…?」
久遠は車椅子の少女――八神はやての胸元で甘えていた。

第三の答えの出現に、恭也と忍は唖然として立ち尽くしていた。
まさか、久遠の懐いた相手が他にもいようとは思いもしなかったのだから仕方ない。

尤も久遠は、はやてと言うよりも、はやてと一緒なら連音に会えるという事だったのだが。
勿論はやての事は嫌いではないし、別段嫌な感じもしていない。
しかし優先順位では連音の方が上なのだ。

そんな事は人間様にはどっちでも良い事であるが。
何故なら恭也達の前にはにっこりと笑うフィリス・矢沢が立っているのだから。
「恭也君、忍ちゃん?」
「「は、はい!」」
思わず良い返事。
「院内に、動物を持ち込んじゃいけないって、知ってますよね……?」
「「はい!」」
「そして、院内の廊下を走る事も危ないから駄目だとも、知ってますよね……?」
「「はい!」」
その返事に、フィリスは満面の笑みを浮かべる。
しかし、その背後には怒りのオーラがありありと見てとれた。
文字通りの“外面如菩薩、内心如夜叉”であった。

「二人にはスペシャル整体フルコース、用意しておきますから楽しみにしてて下さいね?」
「えぇっ!忍ちゃん、全然健康そのものなのに!」
「フィリス先生、俺は怪我人ですよ!?」


「何か……モンクデモアリマスカ?」


「「いえ、ありません……」」
「素直でよろしい」
笑顔のままで発せられた迫力に、二人は完全に負けた。

「あれ、二人……?」
と、恭也はノエルがいない事に気が付いた。
途中まで一緒だったのにいつの間にか消えていたのだ。

そのやり取りに唖然としているはやての脇から白い手が伸びて、抱かれていた久遠がひょいと取り上げられる。
「あっ!」「くぅん!?」
同時に声を上げる。
手の先を見れば、白いワイシャツとジーンズというラフな格好の長身の女性。
その手に持ったバスケットの中に、しっかりと久遠を収めている。

「はうっ!!」
顔だけをピョッコリと覗かせた久遠の姿に一瞬、悶絶しそうになるはやて。
動物好きに対して、ましてや小動物ともなればその破壊力は絶大である。
「ちょっと、ノエル!何一人逃げてるのよ!」
噛みついて来る忍にノエルは首を振った。
「いえ、お嬢様。院内で走ってはいけませんので、途中から歩いていたのです。
けして、フィリス先生の動体反応を感知して回避した訳ではありません」
「……ノエル、それは逃げたと言っているようなものよ?」
ガックリとうな垂れる忍。その肩をポンポンと恭也は優しく叩いた。


そんなやり取りをよそに、フィリスの目はノエルの持つ物に釘付けであった。
そこからピョッコ(略)久遠にフィリスは興奮に震え、そろそろと手を伸ばす。

フィリス・矢沢は無類の動物好きであった。

その手が久遠に、ついに届くという瞬間。
「――くぅん」
「あぁっ!?」
久遠がパタリと蓋を閉じてしまったのだ。
ガーン!と、効果音が付きそうな程のショックを受けて、ガックリと膝を着くフィリス。

彼女は動物に、無差別に嫌われる特性の持ち主でもあった。

そんなフィリスに全員、声を掛ける事なんてできなかった。
だから、そのまま無かった事にする。それも優しさだ。


(きれーな人やなぁ〜。モデルさんみたいや……あれ?)
はやてはノエルを見上げながらふと、思い出していた。
二日前、連音と会った時にその名前を聞いた事を。

連音の世話になっている屋敷に勤める、美人で、仕事の出来るスーパーメイド。その名前がノエルだと。

(せやけど、この人……どう見ても、メイドさんいう感じやないけどなぁ〜……)

人違いかとも思ったが、ノエルという名前が佐藤や鈴木のように、ありふれたものか分からないので判断が付かない。

迷った時はストレートに聞く。これが一番手っ取り早い。
そう一人ごちて、はやてはノエルに声を掛けた。
「あの〜、ちょっと聞いてもえぇです?」
「…何でしょうか?」
ノエルに視線を向けられると、その美麗さに思わずたじろいでしまう。
しかし、ここで負けては真相には辿り着けない、とばかりに気合を入れ直してノエルを見やる。
「……私は何か睨まれる様な事を致しましたか?」
「へっ!?いやいや、別にそうや無いんです!!ただ……何しとる人なんかなぁ〜って。モデルさんとか……?」
「いえ、私は―」
「ノエルはうちのメイド長よ、お嬢ちゃん?」
ノエルの言葉を塞いで忍が答える。はやてはちょっと驚いた風に目を見開いた。
今まではフィリスが影になっていたり、久遠を見ていたりしていたので、忍の顔を見るのはこれが初めてだった。

「何?私の顔に何か付いてる??」
そう言って忍は自分の顔をぺたぺたと触る。
はやては慌てて否定した。
「いや、そうやないんです。ただ、友達によう似てたんで……ビックリしてしまって……それで…」
「ふ〜ん、そんなに似てるの?その友達に?」
「えぇ、物凄く。その子…男の子なんですけど……」

目の前に、連音と瓜二つの顔をした忍に立たれ、はやては完全に困惑していた。
しかも、その忍の顔は面白いものを見つけた悪戯っ子のように輝いていたからだ。
早急に対処しなければ危険だと本能が警報を鳴らす。

「もしや、あなたは八神はやて様でいらっしゃいますか?」
「へ…?」
救いの声はすぐ隣から響いてきた。
次いで、忍の「チッ」という舌打ちと『ゴツン!』という音も耳に届いたが、はやては聞かなかった事にした。

「あの……なんでわたしの名前を?」
「久遠さんから昨日、お聞きしました。連音様のご友人だと」
ノエルの発言にはやては驚く。が、驚いたのははやてだけではなかった。
「ちょっと、ノエル!久遠の事…!」
「はい、八神様はちゃんと存じ上げているそうなので、問題はありません」
「な、なら良いんだけど……なんか、ガード甘くなってないかな……?」

久遠が妖狐――すなわち妖怪の類である事は、本来なら神咲家の者だけが知る話である。
それがつい昨年に起きたある事件で、多くの人間にその事実が知られてしまったのだ。
しかし、人外魔境を絵に描いたような面子は、それを平然と受け入れてしまったのだった。

『ま、猫又もいる世の中だし、妖狐ぐらいはいるだろう』

と、こんな感じである。

しかし、問題も浮上した。こうもあっさりと受け入れられた事で、久遠自身のガードがかなり甘くなっていたのだ。
そのせいで、那美やその他関係者はかなりの苦労をしたらしい。

今回もどういう経緯かは分からないが、久遠の秘密を知る人間が、知らない内にまた一人生まれたのだ。

言えばちゃんと聞く久遠だが、自覚という部分では微妙であった。

(まぁ、苦労するのは忍ちゃんじゃないしね)

あっさりと手の平を返し、那美のあたふたする様を想像してご機嫌になる忍であった。


「はやて、どうして病院?」
再び顔を出した久遠が尋ねる。
「わたしは定期検査で昨日から入院しとるんや。で、久遠は何でここに?」
「久遠、つらねのお見舞い」
「え――?」
久遠の言葉に、はやての思考が停まる。
誰の見舞い?何度も繰り返すが理解が出来ない。それを心が拒絶する。
そして気が付いた時、そのドアの前にはやてはいた。

面会謝絶。その文字が異様にハッキリと見えた気がした。

「これ、面会謝絶って…?」
「訳ありのようでしたから、掛けてもらいました。……実際、意識は回復していませんが……」
改めてその事実を聞いて、忍の顔が曇る。
夜の一族の血を引く以上、一晩経っても意識が回復しないという事は明らかに異常だった。
昨夜の内に辰守本家にも連絡はしたものの、何の反応も返ってきていない。

嫌な考えばかりが頭を過ぎる。それを消し去るように何度も頭を振った。
ぼさぼさになった髪を手櫛で直し、忍はドアノブをそっと回し、潜る。
恭也らが続いて中に入り、そしてノエルに車椅子を押されて、はやても中に入った。


東病棟の三階にある、少し広めの個室。
窓からはカーテンの隙間を縫って朝日が差し込んでいる。

まるで、そこだけ時間を切り取られたかのような幻想感。
その中で少年は未だ目覚めず、恭也が朝に見た時のままでいた。

「――っ!」
はやては息を呑んだ。
真っ白なシーツから覗く顔は、半分を包帯が覆い隠し、露出した半分も細かな傷が無数に見えた。
そして何より、一切動く気配すらないその姿に、高台での光景がフラッシュバックした。
無意識に車椅子の手すりをギュッと握る。
心臓が早鐘のように鳴り響き、息をする事も苦しかった。
「――大丈夫です」
「え…?」
不意に掛けられたのはノエルの声。
「連音様はお強い方です。これ位では――」
「ちゃいます…!」
ノエルの言葉にはやては否定を被せた。
「連音君は……そないに強くなんて…無いです……。ホンマはもの凄く弱くて、わたしと何も変わらない……。
誰にも自分の事を……本当の心を言わん……言う事が出来ん……。寂しい子なんです……」
今なら分かる。
時折見えた、連音の消え入りそうな表情の意味が。

きっと、ずっと一人なのだ。
周りにどれだけの人がいても、その心を晒す事もできず、孤独の闇に置いたまま。
そしてその事を、連音自身も知っているのだと。

それが自分の命を失わせる事だと知っても、一人でそれを背負って消えたのだと。

「〜〜〜〜っ!」
気が付けば涙が溢れていた。

自分がどれ程無力かという事を、見せ付けられた気がした。

どうしてあの時、自分を頼ってくれなかったのか。
出会って数日程度で、信頼が無いのだと分かっている。

それでも、あの夜空を見せてくれた。一緒に色んな所に行ってくれた。
くだらない口ゲンカも結構したし、夕日だって見てくれた。

あの日、終わっていた筈の命を守ってくれた。

自分の人生は、そのたった数度の邂逅で見違えるように姿を変えた。
世界は冷たくなんかない。今なら胸を張ってそう言える。

なのに、それを教えてくれた友達に何もしてあげられない。

それがとても悔しくて、凄く悲しかった。

「くぅ〜ん……」
涙が伝わる頬を久遠が慰めるようにペロペロと舐める。
その久遠の頭にも、熱い雫は滴り落ちていった。
はやてはギュッと久遠を抱きしめる。
「はやて…?」
「ごめんな、久遠……ちょっとだけやから……」
少し力が強くて苦しかったが、久遠は何も言わずにはやてに抱きしめられたままでいた。

「恭也……」
「あぁ、そうだな……」
恭也達はそっと、連音の病室を後にした。

忍はこのまま大学に向かうと言い、先に帰った。
ノエルは久遠を那美の元に返す為、ロビーでしばらく時間を潰すと言い、そのまま怪談を降りていった。

残された恭也とフィリスは、恭也の骨折以外の怪我を改めて見る為、診察室に向かっていた。
「まさか、はやてちゃんとお友達だったなんて……ちょっと驚きです」
「そんなに驚く事…ですか?」
恭也の問いにフィリスは小さく頷いた。
「あの子…はやてちゃんは原因不明の麻痺で、生まれつき足が悪くて……、
その上、ご両親も物心付くかどうかの頃に亡くなっていて……ずっと一人だったんです。
私はメンタルケアで何度かお話をしたんですけど、何て言うか……はやてちゃん、自分が痛いのは凄く我慢しちゃうんです。
どれだけ寂しくても、それを絶対に人前に出したりしない、そんな子で……。
だからお友達も……多分“本当”は、いないんだと思うんです」
「……」
「だから、本当に不謹慎ですけど……あそこまではやてちゃんが想う友達ができて、凄く嬉しいんです。
昨日は違ったけど、最近は本当に良く笑うようになってきてたんですよ……?」
フィリスは複雑な面持ちで微笑む。
医師として、意識不明の人間の事を言うのは胸が痛んだ。br> だが、心からそう思うのも事実である。

だから、ふと零してしまう。
「……あの子、連音君でしたよね。大丈夫、ですよね……」
それは医師としての自分を否定する言葉。だが、恭也はフィリスの頭をそっと撫でて笑う。
「大丈夫です。あの子は……強いです、間違いなく。俺が保障しますよ」
「………はい」
恭也の手のごつごつした感触に、フィリスは心が少しだけ解かれる気がした。



連音の病室内。
久遠を膝に抱き、はやてはそっと連音の髪に手を伸ばした。
「ボロボロやな……せっかく綺麗な髪しとるのに、もったいないよ…?」
そう小さく呟いて、ゆっくりと何度もその髪を指で梳いていく。

最初会った時は、まるで本の中から出てきたヒーローみたいだった。
常識外れのモンスターを相手に空を飛び、刃を振るう。そんな、余りにもありふれた正義の味方。
でもそれは、すぐに違うと分かって。
いきなり屋上に置き去りにするわ、慌てて飛んでくるわ。

でも、突然消えてしまった。

二度目の出会いは本当に偶然。感じたものに従って、その先で。
色々と言いたかったのに言葉が出なくて。
そして、最初の口ゲンカ。途中から何故かすごく楽しくなった。

次の日、約束をして一緒に色んな所を回って。
そして、いきなり倒れて。

もし、あの時に久遠と那美がいなかったら。そう思っただけで怖くなる。

そして、これが三度目。
「なぁ……起きてや?」
言いたい事はいっぱいある。
「もう朝やよ…?」
でも、そんな事はどうでもいい。
「早う起きんと……」
ただ一言で良いから。
「忍者がっ…寝坊しとったら…あかんっ……やろ?」
その声を、どうか聞かせて欲しい。


また、涙が溢れ出した。
もう散々泣いて目が真っ赤になって、瞼も腫れぼったいのに。
それでも涙は更に零れてくる。

手で押さえても、その隙間から零れ落ちていく。
嗚咽も、堪えきれずに溢れ出した。












「――っ!?」
不意に、はやての顔に何かが触れた。
久遠ではない。誰か別の、人の指。


「何………泣いてんだよ?うるせぇな………」
弱々しく、でも、はっきりと。その声ははやての耳に届いた。
顔を上げれば、こちらを向いた包帯だらけの顔。覗く瞳は少しだけ笑っていて。

また涙が溢れ出したが、今度こそ、はやてはそれを止めることはしなかった。
嗚咽も堪える事をしなかった。

沸き上がる衝動のままに、はやては

「連音君っ!!」

連音のベッドに跳び込んでいた。




車椅子のくせにダイブをかますという荒技(命名 八神ダイブ)によって、声無き絶叫と共に、再び連音が意識を失い、
ついでに、膝から落ちた久遠も床に頭を打って悶絶したりしたのだった。

怪我人の上にダイブをしてはいけない。



「どうですか、調子は?」
「全身が酷く痛みますが……それ以外は…大丈夫です」
フィリスの診察を受けて、連音が答える。
「肋骨七本、鎖骨骨折。手と顔には重度2の火傷。全身に打撲と刺傷。
胸の傷は肺を傷つけて、失血死寸前で意識不明。
これだけの状態から奇跡的に意識が回復したばかりで……今、大丈夫と言いましたか?」
フィリスは笑顔で言うが、内心がどれ程のものか面識が無くてもすぐに分かった。
「すみません…全く大丈夫ではありません」
それを聞いて、フィリスは小さく溜め息を吐いてカルテにペンを走らせた。
「…とりあえず、後でまた来ますから」
書き終えてペンを白衣のポケットに差し、立ち上がった。

「あの……」
「…?どうしたの?」
「……何も、聞かないんですか?」
連音の言葉にフィリスは首を振る。
「聞いても、きっと答えてはくれないでしょう?だから聞きません。
一応、訳ありとは知っていますけど」
「……そうですか」
「今は体を休めて、怪我を治すことだけを考えて?無理をして何かあったら…また、はやてちゃんが悲しむから……」
少しだけフィリスはその顔を曇らせて、連音の髪を撫でた。
「はやてちゃんだけじゃない。忍ちゃんも、恭也君も、皆が悲しむ。だから……」
「……はい」
その髪を撫でる手はとても小さく、でもとても温かだった。

「絶対安静だから、大人しくしていてね?」
大人しくも何も、少し動こうとしただけで全身に痛みが走り、悲鳴が出そうになる。
仕方なく小さく頷くとフィリスも満足したのか、大きく頷いて病室から出て行くのだった。


出てきたフィリスを待っていたのは、恭也とノエル、はやてであった。
久遠はノエルのバスケットの中から顔を覗かせている。
「それで、どうです?」
「脈拍、血圧共にかなり弱ってはいますが、意識はハッキリしています。
一応…危険は脱したと言えるでしょう……」
危機を脱した、そう言いながらもフィリスの表情は暗い。
それに、皆が何かを感じ取った。
「連音様に……何か?」
「何と言うか……不自然なんです。こう……生きている筈なのに、そうじゃないような……」
その言葉にはやてと久遠は目を見開き、恭也とノエルも厳しい顔をした。
それぞれがその言葉の意味する所を違う形で知り、理解したからだ。
雰囲気の変わった面々にフィリスは自分が失言をしたと思い、大きく慌てた。
「…て、な、何言ってるでしょうね…私ったら……大丈夫、怪我が治るまで時間は掛かりますけど、ちゃんと責任を持って担当しますから……!」
その言葉にノエルは深く頭を下げた。
「どうか、よろしくお願い致します」

空気は、やはり重たいままであった。




聖祥学園。今は昼休みの時間。
なのは、アリサ、すずかの通うこの学園では給食は無く、各自が弁当を持参している。
という事で、アリサとすずかは屋上でお弁当を広げていた。
いつもなら、ここになのはが加わり三人で昼食となるのだが。

「なのはってば……学校休んで何やってるのよ……!」
アリサはブツブツ言いながらサラダにフォークを突き刺した。

それは朝のHRでの出来事。
担任教師になのはがしばらく欠席する事が伝えられ、なのはと特に仲の良いアリサとすずかは驚きを隠せなかった。
特にアリサは、最近のなのはの様子がおかしい事でケンカをしたままであった。
病気でも、身内の不幸でもないと付け加えられたが、アリサには確信があった。

この欠席となのはの悩みとが同じ所にある、と。
そして、その為になのはは学校を休んだのだと。

「大体、二人分のノートを取るのって結構大変なのよ…?そこん所分かってるのかしら?」
グチグチ言いながらミートボールにフォークを突き刺す。
「でも、率先して手を上げてたよね、アリサちゃん?」
「う゛…」
「ノートだって、書かなくても後でコピーしたのを渡すだけでも良いんじゃないかな?」
「う…うるさいっ!アタシは……なのはが来た時に自分がどれだけ罪の重い事をしたのかって事を思い知らせる為にね…!」
「そうだよね〜。その為に休み時間中、ずっとノート写し書きしてたんだものね?」
「すずか……あんた今日は随分といやらしいわね……。何かあったの?」
すずかの言葉にアリサはげんなりした様に聞き返した。
これ以上、悩みの種は欲しくないと顔にありありと書いてあった。

しかしアリサの望みを一刀両断するかの如く、すずかの顔は曇っていた。
アリサはハァ、と溜め息を吐いた。
「連音君がね……最近変なんだ……」
「レンが?ん〜、最初から変な奴だった気がするんだけど?」
すずかは小さく首を振る。
「昨日……また、帰ってこなかったんだ」
「“も”って事は前にも?」
「うん……その時はさざなみ寮にいたみたいなんだけど……」
「あの“魔窟”に………。ますます変な奴ね」
「でもね、昨日は本当に帰ってこなかったの。お姉ちゃんとノエルは夜になってから出かけて、帰ってきてからも、何か変だったし……。
朝、連音君の事を聞いたらはぐらかされて……」
すずかの声は段々と小さくなっていった。
「はぁ〜あ……しょうがないわね!」
アリサは盛大な溜め息を吐いて、親友の背中を叩いた。
力が強かったせいですずかは軽く咽ているが、アリサは気にしない。

「つまり、旦那が帰ってこないから浮気を心配してるって事でしょ?」
アリサの言葉にすずかは真っ赤になり、ぶんぶんと顔を横に振った。
「ち、違うよ〜!どうしてそうなるの〜っ!?」
「だってそうとしか聞こえないもん」
「あ、アリサちゃ〜ん!!」


聖祥学園の屋上はちょっとの寂しさがあるものの、おおむね平和であった。





同時刻。
はやては再び連音の病室を訪れていた。
短時間なら、面会をしても良いとフィリスの許可を貰ったのだ。

「どうや、体……、痛む?」
「お前にやられたせいで凄く……」
「もっかいやったろか?」
「本気で死ぬから止めてくれ……」
真剣に嫌な顔をする連音に、思わず笑いが零れる。
ほんの数時間前にはもう二度と聞けないと思っていた声が再び聞こえる事に、心が震える。
こんな風にまた、話が出来る。

傷が痛む筈だが、連音も不思議と笑みが零れていた。
その、幼い女神の微笑を見ていたら、時の庭園での出来事が嘘だった様にさえ思えた。

そんな穏やかな、午後のひと時。しかし、それはすぐに終わりを告げた。

「――ッ!?」
突如、連音の顔が苦痛に歪んだ。
脂汗が噴き出し、喉から潰れた苦悶の声が発せられる。
「っがぁ……!ァア…!!」
「連音君!?連音君ッ!!?」
いきなりの事にはやては混乱し、必死にその名前を叫ぶ事しかできなかった。

ドクン、と心臓が強く鼓動する。
その度に全身を激しい衝動が襲い、意識が何か引き摺り落とされそうになる。

揺らぐ視界の中で、はやてが必死に叫んでいるようだが、連音の耳には雑音程度にしか認識されない。

朦朧とする意識の中で、しかしそこだけハッキリと見えるものがあった。


幼い女神の、その――細い首筋。


(マズイ……この感じは……っ!)
こみ上げる、抗い難い衝動。それは昨夜に感じたものだった。
うっすらと憶えている、昨夜の出来事。

尤も強く憶えているのは、自分に怯えて、化け物を見る目で見ていた美由希の顔。
(駄目だ……止めろ……!)
必死にそれを押さえ込もうとするが、ドクン、と響く度に、薄皮を剥ぐように理性が失われていく。

あの時よりも遥かに強い、吸血衝動。

何かを叫び、自分のベッドの脇に手を伸ばすはやて。
その手を反射的に連音は掴んでいた。

「っ!?連音君!?待ってて、今、ナースコールするから!」
「ここから…離れろ…!急いで……!」
朦朧とする意識の中で、必死にそれだけを口にする。
「何言うとるん!離して!!早う先生を呼ばな!!」
しかし、連音の手ははやての腕を掴んで離さない。
「誰も呼ぶな…!いや、忍姉か……ノエル……さん…を……」
もう、言葉を発する事も侭成らなかった。

白んで行く視界の中で、連音の理性もまた消えていった。


「……連音君………?」
はやては妙な違和感を覚えた。
ここから離れろと言いながら、連音の手は今も強く自分の腕を掴んだままだ。

まるで、意思と体がチグハグに動いているかのように。

それに、今まであれだけ苦しんでいた筈なのに、今は逆に全くと言っていいほどに静かだった。
冷たいものが背中に伝う。


空気が変わっていた。


はやての本能がそれを理解し、離れようとした時には全てが遅かった。

「キャアッ!!」
突如襲ってきた強い力にはやての体が宙に踊った。
逆らうことも出来ず、その小さな体は床に落とされ、その上に何かが覆い被さってきた。

「痛っ!!」
打ち付けた痛みに耐えて起き上がろうとするが、すぐさま両肩を何かに掴まれ押し戻された。

ギリギリと爪が肩に食い込んでいく。
「痛い!痛い!!止めて!離して!!」
必死にはやては叫ぶが、“それ”には届かなかった。

はやては見た。
少年の瞳が今、目の前で真紅に染まっていく様を。
はやては知った。
今、正に自分の命が危機に晒されている事を。

「連音君…!一体どうして……!?目ぇ覚まして!」
痛みに耐えながら、はやては必死にその名を呼ぶ。
普通に動くだけで痛む体を無理やり動かしたせいで、病院着と包帯にどんどんと血が滲んでいき、
手足を伝って床に、はやての服に落ちていく。
「グ…ァア……!!」
連音は煩わしい物を引き千切るように、顔に巻かれた包帯を剥がす。
痛々しい傷痕と共に晒された、もう一つの瞳。それもまた、真紅の輝きを放っていた。
荒く吐息が吐かれ、凶暴なる牙が外気に触れる。

「ひっ!」
そこにいる存在にはやては恐怖した。
連音と同じ顔をした、全く別の存在。混乱と恐怖を前に、はやては身を固くする事しかできなかった。


(ヤメロ……)
まるで意識が外に弾き出された様に、連音はそれを見下ろしていた。
はやてを組み敷き、その牙を突きたてて血を、命を奪おうとしている。

はやての瞳は恐怖に染まり、震えている。

(ヤメロ……ヤメテクレ………)

分かる。この衝動のままにはやてを襲えば自分はきっと助かる。
そしてその代わりに、はやてが死ぬと。
その命の全てを喰らい尽くすまで、きっと自分は止まらない。

(イキルト、ノゾンダカラ……?ダカラ……マタ、オレハ……コロスノカ?)

母の命を奪って生きて、今度ははやての命を奪うのか。
止められない衝動。自身が制御できない。

(イヤダ……モウ、オレハ……)

ゆっくりと、その牙がはやてに迫る。

(誰かを犠牲にしてまで生きたくない!!)



瞬間、世界が砕けた。



「ガァアアアアアアアアッ!!」
獣の咆哮が響き、はやてはぎゅっと目を閉じた。
(連音君…っ!)
最後の瞬間まで、その名を唱えて。


ガァアアアアアアアアン……ッ!!


鼓膜を破らんばかりの轟音が、はやての耳の側で響いた。
キーンと耳鳴りがする中で、ゆっくりと瞼を開く。
開かれた視界の隅に見える、連音の頭。それははやてを逸れてその更に下、床に減り込んでいた。

「っ…!ぅがぁああああっ!!」
咆哮し、頭を引き抜く。そして、更に床目掛けて振り下ろす。
今度ははやてから離れた場所に。
何度も、何度も。
額が割れ、室内に鮮血が散る。それでも連音は止まらず、更に打ち付ける。
数度の頭突きで床には蜘蛛の巣状のヒビが走っていた。

最初呆然としていたはやてだったが、飛び散る鮮血が顔に降り注ぎ、ハッとした。「ダメ、止めて連音君っ!!キャッ!!」
止めようとするはやてだったが、それを振り払い、更に何度も連音は床に頭を叩きつける。

数度繰り返し、ようやく天を仰ぐようにして止まった。
ぐらりと揺らぎ、そして、倒れる。
「連音君っ!!」
「はやて………大丈夫か…?」
額が割れて血が流れ、荒く息を吐きながらも、はやてに問いかける。
その瞳は既に真紅の輝きを失っていた。
「うん…大丈夫……、大丈夫やよ……」
こくこくと何度も頷くはやてに、連音は少しだけ微笑み、意識を失った。

騒ぎを聞きつけた看護士が部屋に駆け込んできたのは、それとほぼ同時だった。
「何これ!?何があったの!?」
「矢沢先生に急いで連絡!処置室用意して!!」

看護士達が慌しく動き、連音をストレッチャーに乗せて運んでいく。
それを呆けたように見ていたはやてに駆け寄る人がいた。

「はやてちゃん!」
白衣を着た女性――はやての主治医である石田幸恵であった。
「石田……先生……?」
「大丈夫!?何があったの!?怪我は、体は大丈夫!?」
石田医師の問いに、はやては力無く首を縦に振る。
そのただならない状態に石田医師ははやてを抱き上げて、はやての病室に走った。


この騒ぎは未だ入院中の恭也の耳にもすぐに届き、
そしてノエルから意識回復の連絡を受けた忍の知るところともなった。


「それで若先生。連音の容態は?」
忍の問いにフィリスの表情は暗い。
「正直……芳しくありません。せっかく落ち着いていたのに傷口も開いて……。
状態はどうにか持ち直しましたが、これ以上何かがあったなら……」
「あったなら……?」
僅かな沈黙の後、フィリスは小さく呟いた。
「今度こそ、命の保障はできません」


「あぁもハッキリと言われると…堪えるわね、かなり……」
「そうだな……」
忍と恭也はフィリスの話にやり切れない思いを抱いていた。
何があったのか知る少女は倒れるように意識を無くし、看護士の話を聞いてもいまいちハッキリしない。

手を講じるにしてもやはりはやてから話を聞く必要があった。

今はただ、はやてか連音の意識の回復を待つしか出来なかった。
「忍はどうする?」
「このまま居るわ。大学は……代返を頼んでおいたし……」
「そうか……」

沈黙。会話は途切れ途切れで、重苦しいまま。

ただ待ち続ける事しか、二人には許されなかった。


そして、夕焼けが差し込む病室。そのベッドではやては目覚めた。
オレンジに染まった天井をぼんやりと眺めながら、どうしてここにいるのか思い出していた。

「わたし……連音君の病室に…せや、石田先生が………っ!」
ついに思い出し、はやては弾かれたように跳ね起きる。
脇には看護士が持ってきたのだろう、車椅子があった。

はやては器用にそれに乗り、部屋を出た。

目指したのは連音の病室。しかしそこに連音のネームプレートは無く、ドアは閉ざされていた。
「一体何処に……?」
はやては、今度はナースステーションに向かった。
病室を移ったのなら、看護士に聞けば分かると思ったからだ。

その途中、向こうから来るのは見覚えのある二つの人影。
「あ――月村さん、高町さん……」
「やぁ、もう大丈夫なのか?倒れたと聞いたが…?」
「はい…。あ、そうや、連音君の病室…どこか分かりますか?」
「む…まぁ、分からない事も無いが……」
恭也の言葉にはやてはほっとした。
病室を知っているという事は、すなわち連音が一応は無事だという事だ。

「でも、その前に良いかしら?」
忍がはやての前に出てくる。その瞳に最初のようなふざけた雰囲気は微塵も無い。
「な、何ですか……?」
その自分を射抜くような威圧感に、はやては思わず身を退いていた。

「あなたが知る全てを教えてくれるかしら?大丈夫、連音の事ならちゃんと知ってるわ。
ただ、あなたがどれだけの事を知っているのかを知っておきたいのよ」
「えっ…?」
忍の視線が更に鋭さを増す。まるで、自分の心の奥底すら見透かさんばかりに。
その迫力に固唾を呑んでいた。
この人に嘘は通じない。そう、はやては直感した。
しかし、例え連音の親類縁者だとしても、彼の秘密をおいそれと話すような事はできない。
知っている風な口ぶりではあるが、それがどれ程か分からない。

この人を相手に、ただ言葉を鵜呑みにするようなバカ正直さは、自分の命を縮めるだけだ。

「………」
「………」
沈黙の中、忍のプレッシャーが更に強まる。気が付けばその瞳がいつの間にか真紅に染まっていた。
連音の様な凶暴性が無い代わりに、身も凍るような冷徹さを発している。
自然と震えそうになる体を必死に抑えながら、それでもはやては意地で、それに屈しなかった。
屈してしまったら、きっと連音に会えなくなる。そんな気がした。


どれだけの時間そうしていただろう、不意に忍の表情が緩んだ。
「なるほど。頭も良いし、度胸もあるわね………ふむふむ」
一転して忍の顔がほころぶ。それと共にあの威圧感も嘘のように消え、はやては唖然とするしかなかった。
「忍…お前なぁ……」
恭也は顔を手で覆い、溜め息を吐いた。
「すまんな、こいつは君を試したんだ。連音君の事を“本当に”知っているのかどうかを、な」
「へ……?」
「もし君が何かを答えていたら、その程度しか知らない関係だったという事だ。
そして、本当に彼の事を知っていても、親戚とか、その程度の事しか分からない相手に話すようなら、余りに軽率。信頼に値しない。
「……」
「だが、君は本当の事を知っていて、そして脅迫じみた威圧にも負けなかった。
つまり、君を試したんだ。すまんな」
「た、試した……?」
一体何故、自分がそんな事をされなければならないのか分からず、はやては混乱した。
その様子を見ながら、忍はチロッと舌を出しておどけて見せる。
「一応、必要な事なのよ。それに個人的興味もあったからね」
「必要…ですか?」
再び、忍の顔が真剣なものに変わる。
「それで、何があったの……て、さっきので少しは推測できるんだけどね……。連音の目、紅くなったんじゃない?さっきの私みたいに……」
「っ…!?」
「やっぱりね……という事は説明しないといけないかな?」
忍はさっきの試しの時に夜の一族の力を解放して見せた。
その変化にはやてはすぐに気が付いたが、その時の反応が少しおかしかった事に気が付いていた。

まるで、一度見たものを再度見るような驚きと、恐怖感。
それを忍は見落としてはいなかった。
「それじゃ、まずは何が起きたのか……教えて?」

はやてはこくりと頷いて、今度こそそれを明かした。
それは奇しくも忍の推測を裏付けるものであった。


「連音君……一体あの紅い目は何なんですか!?あれになった途端、おかしくなって……。
それに、あんなに辛そうで……。お願いです!何か知っとるんなら教えて下さい!!お願いしますっ!!」

はやての懇願を聞き、忍は溜め息を一つ吐いて、そして確認をした。

「――これから言う事は、普通に生きる女の子には関係のない話。
知らなくても、連音との関係がどうなるって訳でもない。
でも知れば、あなたは日常を外れることになる。知らなくて良い世界を知る事になる。
だから、最初に聞くわ………。
あなたは、どんな真実でも受け入れる覚悟はある……?」

彼女の思いは本物だ。だが、それでもはい、そうですかと言える事ではない。
真実を知って、態度を豹変させる人間など珍しくもない。
人は、異形をどこまでも嫌う。それが大抵の人間なのだ。

だから聞かなければならない。
連音の心を、これ以上傷つけない為に。


「はい……!」


その心配を吹き飛ばすように、はやては迷いなく、そして力強く頷く。

「わたしに……教え下さい!!」



その瞳は、黄昏にあって美しく輝いていた。













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