その瞳が紅月の如く染まる時、潜在する力はその身を縛る鎖から解き放たれた。
命を守る為、命の炎が最後の輝きを放つ。
消えるのが先か、繋がるのが先か。
その行く末は、神の名を頂く剣士のみが知る。



   魔法少女リリカルなのは シャドウダンサー

       第十七話   月下に閃く刃



次元空間、時空航行艦船アースラ。

その一室で、クロノとエイミィは夕方に起きた戦闘記録を検証していた。
モニターに映るのは、なのはとフェイト。エイミィがそのデータに感嘆の声を上げる。
「すごいや!どっちもAAAクラスの魔導師だよ!」
「あぁ…」
「こっちの白い服の子はクロノ君の好みっぽい、可愛い子だしぃ〜」
「っ!?エイミィ!そんな事はどうでも良いんだよ!」
「魔力の平均値を見ても、この子で127万。黒い服の子で143万。
最大発揮値は更にその三倍以上!!クロノ君より、魔力だけなら上回っちゃてるねぇ〜?」
エイミィが茶化した風に言う。それにクロノは少しだけふてくされた様に返す。
「魔法は魔力値の大きさだけじゃない!状況に合わせた応用力と、的確に使用できる判断力だろう!?」
予想通りの返しに、エイミィはにたりと笑う。
「それは勿論。信頼してるよ?アースラの切り札だもん、クロノ君は」
「むぅ…」
そう言って笑うエイミィにジト目を向けるクロノ。
エイミィの言葉に当然?はない。が、それはいつも、クロノをからかうのによく使われるので、クロノは複雑なものだ。
結果、エイミィはクロノの冷たい視線に晒される訳だが、蛙の面に何とやら。全然平気だったりする。

と、ドアが開き、リンディが入ってきた。制服ではなく、プライベート用の私服姿だ。

「あぁ、艦長」
「ん?…あぁ、二人のデータね」
「えぇ…」
モニターに映し出されているなのはとフェイトの姿を見て、クロノ達がしている事を察する。
エイミィの座る椅子の背もたれを、自然と掴む力が強まる。
「確かに、凄い子達ね……」
「これだけの魔力がロストロギアに注ぎ込まれれば、次元震が起きるのも頷ける…」
「あの子達……なのはさんとユーノ君がジュエルシードを集めている理由は分かったけど……。
こっちの黒い服の子は何でなのかしらね……?」
「……随分と必死な様子だった。余程強い目的があるのか……?」
クロノは夕方の事を思い返しながら答える。

クロノの戦闘停止を無視してアルフが攻撃。
その隙を狙ってフェイトがジュエルシードを取ろうとするが、クロノによって阻止された。
あの状況で、撤退よりもジュエルシードを優先させたのは不可解だった。
「目的……ね。まだ小さな子よね……普通に育っていれば、まだ母親に甘えていたい年頃でしょうに……」
リンディは少しだけ寂しそうに、モニターに映るフェイトの姿を見ていた。

「目的といえば……例の『ニンジャ』でしたっけ?あの子も謎ですよねぇ?
確か、見た事も無い魔法を使うんですよね……今回は何で来なかったんだろ?」
エイミィの言葉にリンディが頷く。
「なのはさんの話だと……ジュエルシードを封印する目的で動いている、この世界の諜報員みたいだけど…?」
「魔法の無い管理外世界にそんな組織があるとは思えない。どこか別世界のエージェントの可能性が高いです」
クロノはリンディの言葉を否定した。
なのはと直接接した感じでは、?を吐かれた可能性は限りなく低いと言える。
そう考えれば、なのはの知っている情報が偽りである可能性が一番高い事になる。
「どっちにしてもその子、この黒い子と互角に渡り合ったんでしょ?
て事は、その子もAAAクラスかな?もしかしてクロノ君より強いかもっ!?」
「ッ…!さぁね…?でも、近い内に出会う事になるだろう。その時、ハッキリさせるさ」
クロノの目が異様な闘志に満ちていた。
「何でこんなやる気なんです?クロノ君……」
「さぁ?大方、自分より魔力の強い子が出てきて、ライバル心でも出たんでしょう?」
「艦長…エイミィ……!丸聞こえだ……!!」
今度は二人が冷たい視線に晒される事になった。




深い闇に浮かぶ、真紅の双眸。
それは遥か先にいる獲物を捕らえていた。

異様に鋭くなった聴覚は獲物の息遣いすら捕らえ、嗅覚は微風に乗る体臭すら嗅ぎ分けていた。

理性など無い。
全ては生存本能のままに。

命を繋ぐ為、命を喰らう。
それは、この世の絶対の摂理。

自らの命を守る為に、他の命を奪う。
奪えなければ、死が待つのみ。

生きる。全てはその為に。


影は地を蹴り、夜空を舞った。



裏山の一部に比較的緩やかで、木の間隔が拓けた場所がある。
そこは恭也達がこの山で鍛錬を積むのにベースとしている所だ。
山篭りなんてする時には、ここにテントを張ったりする。

そこにやって来て恭也は手にしていたバッグを下ろす。
そしてバッグを開けて中から黒い、1メートル位の物を二本取り出して士郎に渡す。
そして自身も同じ形状の物を取り出す。
更に中からベルト上の物を取り出し、士郎と恭也はそれを身に着ける。
「さて、それじゃ始めるぞ。まずは軽く流してからだ」
士郎はそう言って腰に二刀を差し、恭也も腰の後ろで十字型に二刀を差し、互いに構える。
「軽く、か。無理はしない方が良いぞ?もう若くなんだからな」

ピキッ!

士郎の頭に四つ角が立った。
「失礼な事を言うなぁ?まだまだ、お前程度に遅れは取らんぞ?」
「ほぉ、それは知らなかったな」
「恭也〜、親を敬わん息子がどういう目に遭うか、キッチリ教えてやろうか?」
「なら俺は息子を息子と思わん親がどういう末路を辿るか、バッチリ教えてやろう」
一刀を抜き、恭也が踏み込むと同時に左手を振るい、小刀を打つ。
士郎は抜刀の一撃でそれを叩き落し、恭也の攻撃を受け止める。
そのまま身を捻りいなすと、がら空きの腹部に蹴りを打ち込んだ。
「ぬっ!」
が、恭也はとっさに膝を曲げ、脛でガードしていた。
更に不安定な状態から横に刀を振るい、士郎を突き放す。
髪の毛を掠め、数本が宙に散る。
「ハァッ!」
「フッ!!」
裂帛の気合と共に繰り出した士郎の一撃が、恭也の一撃とぶつかり、火花が散った。
その威力に僅かに恭也の体がぶれる。元々不安定な状態であった事もあり、耐えられなかったのだ。
そこに更に士郎は斬撃を放つ。かろうじて防御するが、そのまま大きく弾き飛ばされた。
「どうした、恭也!そんなものか!?」
「ッ…!そんな訳無いだろう!!」
着地を決め、同時に恭也が腕を振るうと、キラリと光る物が士郎目掛けて飛び掛かった。
御神の使用する暗器の一つ、鋼糸。拘束や斬撃用のそれを振るったのだ。

それを刀で振り払い、士郎が駆ける。恭也も鋼糸をしまうと同時に刺突の構えを取っていた。

「はぁああああっ!!」
「おぉおおおおっ!!」
二人の一挙一動を見逃すまいと、目を皿の様にして美由希はその攻防を見ていた。
(二人とも、やっぱり凄い……私ももっと……!)
その思いに、知らず知らずの内に拳を握り固める。

二人が再びぶつかろうとしたその時――。

「「―ッ!」」

恭也と士郎が同時にその場から飛び退いたのだ。
「え――?」
訳も分からずに驚く美由希。が、すぐに理由が分かった。

二人が退いた直後、真上からスコールの様に何かが降り注いだのだ。
それは二人がいた地面に次々と突き刺さり、針山を作っていた。
「これって――飛針!?」
「いや、これは……っ!?美由希っ!!」
恭也がいきなり美由希の方に駆け出した。そのまま、跳びつき押し倒す。
「うぇ!?ちょっ、恭ちゃん!!?ダメだよ、いきなりこんな!!」
突然の事に慌てふためく美由希。だが、次の瞬間、今度は美由希のいた場所にそれは突き刺さっていた。
「何っ!?あれって手裏剣!?」
刺さっていたのは鋸刃のような手裏剣だった。
どれ程の勢いだったのか、半分以上が地面にめり込んでいる。

二人は急いで立ち上がり、木の幹に隠れる。
「恭ちゃん……お父さんは?」
「反対側だ………来るぞ!」
月が雲に隠れ、辺りが深い闇に飲まれていく。
そして影は音も無く、そこに舞い降りた。

身の丈は小さく、全身からは嫌という程の血の臭い。
手に握る刃は短刀ほどの大きさだ。


そして何より印象的なのが、ヘドロの様なその殺気。

人というよりも獣。そんな感覚を覚える。
余りにも心地悪い感覚に美由希も恭也も、士郎さえも顔をしかめる。

だが、恭也と士郎にはまた別の感覚があった。

((この感じ……どこかで………?))

必死に記憶の糸を手繰っていく。
そして――その答えに辿り着いた時、月は再び顔を出した。

「え……?」
美由希はきょとんとした。
それはそうだろう。そこにいたのは見覚えのある少年だったのだから。
だが、その顔はすぐに厳しいものになる。
今もその少年からは、おぞましい殺気が尚も隠す事無く垂れ流されていたのだ。

恭也は慎重に影から体を覗かせる。
「一体、どういうつもりだ……?連音君……!」
美由希に出てこないよう手で制し、恭也は少しずつ近付いていく。
しかし、連音は答えない。
嫌な予感がした。
何故、連音からこれ程の血の臭いがするのか?
それにこの殺気は何なのか?

全てが嫌な予測に繋がっていく。
一歩、さらに踏み込んだ瞬間、士郎の声が響いた。

「避けろ、恭也!!」
「――ッ!?」

反射的に横に跳んでいた。何かが空を舞い、恭也のいた場所を切り裂いていた。
「苦無!?」
それは柄に細いワイヤーが結ばれた苦無だった。
ワイヤーを引き、連音の手元に戻る。

そして、連音は恭也の方に向き直った。

「――っ!!その怪我はっ…!!」
衣服を染め上げる、赤黒いもの。
それは連音の胸と腹と両腕両足から滴り続け、どんどんと範囲を広げていた。

一見しただけで重傷だと分かる。

そして、連音の目が恭也に向けられた。
「その瞳……まさか…っ!?」
「ゥウ……ゥウォオオオオアアアアアアッッ!!!」
動揺する恭也。その隙を突いて連音は駆け出し、刃を突き出した。
反応が遅れた恭也に刃が迫る。
「クッ―!」
突如、士郎が二人の間に割って入り、連音の苦無を刀身を盾にして防いでいた。
しかし全身が悲鳴を上げ、がっくりと膝を着く。その額にはじんわりと脂汗が滲んでいた。

「お父さん!恭ちゃん!!」
美由希が影から飛び出す。
「来るな、美由希!!」
恭也が叫ぶ。だが、それよりも早く、連音は恭也を飛び越え、美由希に襲い掛かっていた。

美由希はとっさに足元に転がっていた枝を蹴り上げ、その手に掴む。
「やぁあああああ!!」
美由希は枝を槍の様に突き出した。
自身が最も得意とする刺突技。だがそれは、鋭さこそあれ、氣の込められたものではなかった。
何故なら美由希は連音の正体を知らない。
竜魔の事を知っているのは士郎で、本当の意味で理解できているのは恭也だけだ。
だから妹と同い年の子供、しかも大怪我をしている連音に真に本気など出せなかった。

そして、美由希の突きが連音に当たる直前、連音の姿が霞の如く消えた。
「えっ!?」
「下だ!!」
恭也の声に視線を向けると、地面に張り付かんばかりに身を屈めている連音の姿。
飛び上がり、三人の視線が途切れた一瞬で幻術を使ったのだ。
実像の前に虚像を置き、攻撃そのものをずらす、竜魔忍術“蜃の参位”という術だ。
その身を跳ね上げるように連音が美由希に突進する。
反射的に枝を盾にするが、それを簡単に粉砕し、体ごとぶつける様に拳を叩き込む。「ゴホッ――!!」
拳が鳩尾にめり込み、美由希の意識を刈り取った。
倒れる美由希を連音は全身で受け止める。

「美由希っ!!」
恭也が駆け出そうとする直前、連音は美由希を抱え、一気に飛び上がった。
幹を蹴り、枝を飛び、山の奥にあっという間に消えていった。
「ちぃっ!」
恭也は舌打ちし、携帯を士郎に投げて寄越した。
「ここじゃ圏外だ。父さんは下山して忍に連絡を!」
「待て、恭也!今のあの子は普通じゃない!一人じゃ…ッ!」
立ち上がろうとする士郎の全身を痛みが襲った。
「俺を助けるのに神速を使っただろう!?その体で使った後で、まともに戦えるのか!?」
「……」
士郎は何も言えなかった。
事実、御神の技――神速は只でさえ肉体に負担が大きい。
それを怪我の後遺症が残っている士郎が使って、無事で済む筈がなかった。
「大丈夫だ、美由希は必ず助ける……それと連音君の事も…!とにかく、忍なら何とかできる筈だ!」
「――分かった。油断はするなよ」
「あぁ――!」
恭也は背を向けて答え、二人を追って走り出した。

一人残った士郎はどうにか体を起こし、下山を始めた。
「――情けない男だな、高町士郎……。娘も、友人の息子の事も守れんとは……。
頼むぞ、恭也……二人を…!!」




裏山の奥には小さな池があり、その畔に連音は降り立った。
担いでいた美由希を無造作に放り投げる。
「うっ…!」
地面に投げられたショックに美由希の意識が覚醒する。
痛む胸元を押さえながら辺りを見回そうとした時、いきなり何かに押さえつけられた。
そして光が一閃し、美由希のパーカーがシャツと下着ごと両断された。
一瞬の出来事に訳が分からなかった美由希だが、外気に晒された肌に、自分が何をされたのかに気が付く。
「きゃぁあああああっ!!」
とっさに腕で体を隠そうとするが、連音に馬乗りになられ、体を押し倒され、
片方を足で、もう片方を手で押さえられる。

「アァァァァ……!」
「ぐっ…!うぅ…!!」
更に連音は、異様な雰囲気のまま美由希の顔を押さえつける。
恐ろしいまでの力に抗う事もできず、美由希はその細首を晒した。

感情を一切浮かべず、連音はついにその口を開く。
異様に張り出した鋭い犬歯。それに合わせたかのように粘ついた唾液が糸を引く。
必死にもがくが、連音はびくともせず――いや、そんな抵抗をされている事すら気が付いていないのかも知れない。
連音の瞳に映るのは只一点、首の血管のみだった。

(何なの…これ!?こんなの……まるで……吸血鬼みたいじゃないっ!)
美由希は尚も暴れる。しかし、連音の力は完全に美由希を制していた。
視界の端に見える連音の顔は、最早美由希には化け物にしか見えなかった。

(いや……いや…!助けて……!!恭ちゃんっ!!)

美由希が迫る恐怖に瞼をギュッと閉じた――その時だった。

「ッ――!!」
いきなり美由希を押さえていた力が消えた。と、美由希の耳に風切音と何かが刺さる音が届く。

「……?ひっ!?」
美由希がそっと目を開くと、目前に小刀が突き刺さっていた。
それも、あと数センチで見事に美由希に命中していた距離だ。

恐る恐る体を起こす美由希が見たのは、離れて対峙する二つの影だった。
「大丈夫か、美由希!」
その声に美由希は最初呆然とし、そして安堵から瞳に涙を浮かべた。
「恭ちゃん……!」


恭也は二刀を抜き、連音に対峙していた。
連音もまた苦無を構え、恭也に向かっていた。
「言っても無駄と思うが……大人しくしろ。そんな怪我で暴れたら本気で死ぬぞ!?」
「ハァァ……ハァァァ……」
「クッ…、やはり正気を失っているのか……」


恭也は忍の言葉を思い出していた。

『辰守は自身の命の危険時以外、血の摂取を基本として必要としないの』

真紅の瞳は夜の一族の力が覚醒している証。
命の危険に血が目覚め、それが暴走しているのだ。

そうなる程に危険な事に連音が関わっている。
竜魔の事を聞いた時、その事に何故気が付かなかったのか。

たった一日。
あの道場での一戦からたった一日で、こうも変わり果てた姿になった連音。
恭也はギリッ、と奥歯を噛み締めた。

止められていた筈だ。なのに、出来なかった。
そんな自分のバカさ加減に腹が立った。


その理性を失った瞳に、一年前に戦った一人の女性の影が重なる。
只一つの目的のために冥府魔道に堕ちた、御神の剣士。

高町美由希の本当の母――御神美沙斗。

恭也の大切な家族の命を狙い、そして実の娘によってその憎悪の鎖を断ち切られた、悲しい女性。


「まだだ…!まだ、止められる……!!」
恭也は噛み砕かんばかりに歯を食いしばる。
御神の剣は守る為の力。この手の刃はその為にある。

あの時、美由希が美沙斗を止めた様に。

今度は、自分が連音を止める。
更なる研鑚を積んだのは、きっとこの時の為に。

そして、二つの影は激突した。




月村邸の広すぎるフロアに、電話の呼び鈴がけたたましく鳴り続ける。
しばらく鳴り続けた後、ノエルが受話器をとった。
「はい、月村でございます」
『あぁ、ノエルさん!?高町ですが、忍ちゃんはいますか!?』
「忍お嬢様ですか?はい、少々お待ち下さい」
ノエルはリビングにいる忍を呼ぼうと受話器を置き、向かおうとした。
と、向こうからその忍がやって来た。
「ノエル〜、誰からだったの〜?」
「士郎様からです。お嬢様に繋いでくれ、と」
「え?もしかしてバレたっ!?」
昼間、恭也とふざけ合っていた時に一枚、大皿を割ってしまったのがばれたのかと、忍の顔が何とも言えないものになる。
「何やら慌てていらっしゃるようですが…?」
「う〜ん、明日こっそりと代わりを持っていくつもりだったのに……はい、代わりました……」
忍は受話器をとり、士郎の話を聞いた。
そして、その顔が見る見る内に真剣なものに変わっていった。
「はい…で、今どこに……はい、分かりました。今すぐにそちらに……はい…では後ほど」

忍は電話を切ると同時にノエルに向き直る。
「何かあったのですね?」
「連音が……大怪我したって」
「連音様がっ!?」
「かなりヤバイみたい……聞いた限りだと完全に暴走してる……ノエル、車を回して、4WD車よ!」
「かしこまりました」
ノエルはキーを保管してある部屋に走って向かった。
忍も手当てに使える救急箱と、輸血用の針の付いたチューブをバッグに放り込む。

「お姉ちゃん……?」
「すずか…。ごめん、ちょっとノエルと出かけて来るから……遅くなると思うから先に寝てなさい。
戸締りも、ちゃんと確認してね……て、そりゃ無理か、広いから。アハハハ…!」
「何か、あったの…?」
姉の無理やりな笑いにすずかは何かを感じ取ったのか、不安そうに尋ねる。
「大丈夫、大した事じゃないわよ……ほら、良い子はもう寝なさいって」
出来るだけ優しく微笑んで、忍はすずかの頭を撫でてやる。

表からエンジン音が響いた。
「っと、それじゃ行ってきま〜す!」

小走りに玄関を抜け、車に乗り込むと再び顔が真剣なものに変わった。
「急いで!美由希ちゃんがさらわれて、恭也が追ってるみたい!」
「では、美由希さんの血を欲して…?」
「というか、一番狙い易いのを狙ったんでしょうね。ったく…あのバカはッ!!」複雑な思いに忍の顔が歪む。
ノエルはアクセルを踏み、一気に車を走らせる。
「絶対に…死なせたりなんかさせないわよ……!忍ちゃんのカミナリ…喰らわせてやるんだから……!」




連音は跳び上がり、恭也に苦無を振り下ろす。
それをギリギリで躱し、恭也は小太刀を横薙ぎに振るう。
「ガァッ!」
それを連音は前の時のように足で押さえ、それを足場に再び宙を舞った。
同時に手裏剣を打ち放つが、それを恭也はことごとく叩き落していく。
恭也も飛針を打つが、連音はそれをあっさりと躱してしまった。
そして、再び刃が交わる。

この一進一退の攻防は、既に十分以上も続いていた。

(時間が無い…!一気に決めるっ!!)
恭也は一気に地面を蹴り、駆け出す。間合いを詰め、刃が同時に振るわれた。
二刀から繰り出す連撃――奥義『虎乱』。しかし、それは虚しく空を斬る。
一瞬で連音の姿が消え、恭也の背後に移動したのだ。
それは道場で見せた瞬刹だった。しかし、その速さは比べ物にならない。
あの時は追えた動きを、恭也は今度こそ追えなかったのだ。

「クゥッ!?」
とっさに振り向き、苦無を防いだ。
背後から襲い来る刃を防いだのはほぼ偶然だった。
重ねてきた修練と、実践で培われた勘が恭也の体を動かし、振り向かせていたのだ。
ぶつかり合う刃。だが、その衝撃は恭也の方が強く受けた。
「チッ…!」
衝撃を逃がす為、後方に下がる。だが、連音は更に追い討ちをかける。
「アァアアアアア!!」
踏み込みの衝撃がソニックブームとなって空間を揺さぶる。
人間を超えたポテンシャルが、全開で使われている。

「神速――!」
恭也はモノクロの世界、神速の領域に潜る。
潜在能力の解放によって時間間隔を延長し、超人的な速度を得る。御神を、御神たらしめる奥義。

その中でゆっくりと、だが自由に動けるのは御神の剣士のみ。
攻撃をかわし、後の先で反撃を打ち込む。それが恭也の狙い。
だが――。

(速い――ッ!!)

神速の世界で、連音は明らかに恭也より速く動いていた。
僅かな差。しかし、それは絶対的な差だ。
身を捻り、躱すだけで精一杯だった。

目前を刃が掠め、そして神速が終わる。
色の戻った世界。地面を抉るように土煙を上げて、連音はブレーキを掛ける。

「――グゥゥゥ……」
連音は攻撃が何故当たらないのかが理解できず、奇妙な声を出した。
そして再び瞬刹を使う。

恭也も再び神速を使う。しかし、やはり躱すだけで精一杯。反撃には至れなかった。
神速の領域で速さを上回られ、そのダメージだけが積み重なっていく。
しかし、光明もあった。

(こちらの動き――神速が見えている訳じゃない。それに……)
恭也の目に連音の傷口から噴き出す鮮血が見えた。
痛覚も麻痺しているのだろう。しかし、技の衝撃は確実に命を終わりに導いている。
時間がないのも事実だが、その前に先程の様な動きが出来なくなるだろう。

恭也は二刀を納め、抜刀の構えを取った。

恭也の最も得意とする四連撃の抜刀術――奥義『薙旋』。
鞘走りと神速から放てば、自身の技の中でも最速を誇る。
そして、一度は連音を倒している技だ。

これで、終らせる。
グッと体を倒し、間合いを測る。

「っ!?」
いきなり連音は大きく飛び退き、池の中に飛び込んだ。
腰ほどまで身を沈め、苦無を口に咥え、手を水の中に沈めた。

本能的に何かを察し、行動をしたのだろう。
(水辺……確かにその中なら速さが落ちる……が、その場所じゃ意味が無い……)
連音がいるのは深い場所ではなく、一足で充分届く範囲だ。
「行くぞ……っ!!」
恭也は駆け出し、そして神速の領域に飛び込んだ。
広がるモノクロの世界。しかし連音は動かない。
小太刀がゆっくりと抜き放たれていく。


「ガァッ!!」
「――ッ!?」
連音の口が獣の声を発した瞬間、足元から何かが吹き上げてきた。
それは神速の中の恭也目掛けて、襲い掛かる。

巨大な水柱――否、それは波だった。恭也の全身を飲み込むほどの強烈な波。
「しまっ――!」
連音の真の狙いに気が付いた時、恭也はそれに飲み込まれていた。

神速は素早く動く歩法だ。だから物理的干渉は絶対に受けてしまう。

例えば、進行方向から突風が吹いたなら?

突風でなくても、代わりに波を喰らったなら?

その世界で動く為の速さを何かで殺されたら?

まして、水辺を越える為に、跳んでいたなら?

波を勢いで突き抜け、しかし、そのせいで既に速さは死んでいた。
そこに連音の繰り出した蹴りがゆっくりと襲い掛かった。
抜刀した小太刀を盾にするが、その上から構わず連音の足が叩き込まれる。

そして、神速が終る。
「ガァアアアアッ!!」
「ぐぁああああああっ!!」
凄まじい音が響き、恭也の体が弾き飛ばされた。地面を転がり、そして滑っていく。

「恭ちゃんッ!」
もうもうと上がる土煙の向こうに美由希の悲鳴にも似た叫びが響いた。

「―――ぐぅっ……!」
しばらくして、その向こうで恭也が呻きながら身を起こした。
蹴りを防いだ刀はその手に無く、胸には黒い跡が刻まれている。
そして恭也の背中――シャツが吹き飛んでいた。

膝に活を入れ、恭也は立ち上がる。その口元に血が滲んでいる。
(甘かった…!理性を無くしていながら、攻撃は冷静…、更に神速を殺してくるとは……!
しかも、蹴りが防御を貫いて……剄打か…!?)

神速からの薙旋。それは突進力を生かした攻撃だ。
迷い無く真っ直ぐに駆け抜け、斬撃を放つ。
放たれれば連鎖的に襲い来る刃を防ぐ事は困難。

逆に、初撃を止められればその後は繋がらない。
そして神速と併用する事によって速さを得る代わりに、神速は自在性を失う。

威力を増す為に突進するという性質と合わせ、大きな弱点と言えた。

だが、言う事とやる事では全く違う。
神速は常人には捉える事は出来ないし、薙旋も剣速の速さは凄まじいのだ。

しかし、連音は一度それを見ているし、喰らってもいる。
対抗策を考えていても、何ら不思議ではなかった。


焦りが下手を打たせた、その代償は大きい。

(膝がもう限界か……後一回、行けるか…?)
恭也は幼い頃に膝を壊し、その影響が今も残っている。
一時は治らないとさえ言われていたが、良い医者との出会いによって完治の方に向かっている最中だった。

後、一度。それで連音を倒せなければ、この場の誰かが死ぬ。絶対に。

一撃で、連音の意識を刈り取らなければならない。
だが薙旋を破られた以上、連音を仕留められる必殺の攻撃は無い。

(いや、一つだけある……だが、出来るのか…?)

脳裏に過ぎったそれは、正に一撃必殺。
回避不可能。防御不可能。

御神流、最強最速の奥義。

一年前、その領域を恭也は垣間見た。
そして、ずっとその領域に挑み続けてきた。

だが、至らなかった。ただの一度も。
そして今、肉体は深いダメージを受けている。
そんな状態で、あれが出来るのか?

(違う…!出来るかどうかじゃない…!!)

恭也は残った一刀を鞘に収め、居合いの構えを取った。

(やるんだ…!やってみせろ、高町恭也!!)

全ての力をこの一撃に、恭也は収束させていく。
その鬼神の如き気迫に、連音も反射的に苦無を持ち、渾身の一撃を構える。
異様な程の前傾姿勢。それは獣の構えだった。
全てを捨てた、攻撃の構え。

恭也もまた刃を返し、間合いを測る。

「恭ちゃん…まさか、『アレ』を打つつもりなの……!?」

美由希には恭也の考えがすぐに分かった。
確かにあの技ならば連音を倒せるだろう。しかし、恭也は一度として成功していない。
美由希自身も一度だけ。それ以降、そこに届く事すらなかった。余りにも分の悪い賭けだ。
「っ!?」
美由希は足元に転がる物に気が付いた。

それは恭也の小太刀。連音に蹴り飛ばされた一振りだった。
美由希は迷う事無くそれを掴んだ。服を結んで立ち上がる。
「恭ちゃん、私も!!」
「来るなッ!!」
「…えっ!?」

助太刀に入ろうとした美由希を恭也は制した。
それが何故なのか、美由希には分からない。だがそれでも、美由希はそれに逆らえなかった。

恭也は思い返す。本当に数日程度の出来事を。

初対面でいきなり手を掴まれて。

温泉で色々と話して。

そこから帰ってきて、道場で戦って。

そして、風呂場でまた話して。

そして、過去を知った。

真剣な眼差しと、無邪気な笑顔。そして、垣間見えた寂しさと。

「――終わらせよう、今度こそ」

そして、恭也と連音の姿が美由希の視界から消えた。


モノクロの神速の世界。
その中で、連音は更に速く動いていた。
これが見えている訳ではない。純粋に速いだけだ。
苦無を前に突き出しての突進。単純。しかし、それだけに恐ろしい。
恭也の剣よりも、確実に速く届く必殺の一撃だ。

(神速で駄目ならば――)
恭也の集中力が更に高まる。
(更に超える――!!超えて見せる!!)


そして恭也の世界は、全てが闇に包まれた。
連音の姿も、周りの風景も。自身の姿すら、まさしく全てが。

恭也がしたのは神速の二重掛け。それは自滅の道。
一度はそこからそれを見たのだ。見ただけだった。

だが今回、恭也は辿り着いた。ついにその世界に。
神速の、更に外側へと。

見えるのは一筋の光。
迷う事無く、恭也はそこに沿って刃を滑らせた。


その技を極めた剣士の前では、あらゆるものが零となる。
距離も。間合いも。武器の差すらも。

見えない。知覚出来ない。だから躱せない。防げない。


闇の世界に見える一筋の光。故にそれは、こう名付けられた。



―御神流 斬式 奥義乃極『閃』―と。



「――――ッ……!?」
「――ッ!」
恭也の剣がミシミシと音を立てて、連音の体にめり込む。
瞬刹の超加速に対しての『閃』による超高速のカウンター。
その破壊力は想像を絶するものとなった。それこそ、人外のものすらも屠らんほどに。
「ウガァァ…ッ!!」
その威力に連音は大きく目を見開き、血を吐き出す。
「ぐぅぅっ…!!」
だが、その威力は連音だけではなかった。
恭也の全身もまた悲鳴を上げていた。特に剣を握る腕からは骨のきしむ音がし続けている。
ブチブチと筋繊維の切れる音もしている。

「ハァアアアアアアアアッッ!!!!」
咆哮し、恭也はそれでも剣を振り抜いた。瞬間、ゴキン、という音を腕が発した。
そして、連音の体はスローモーションのように宙を舞い、ドサリと地に落ちた。


「ハァ…ハァ……ハァ…。終わった…のか?ウグッ!!」
倒れた連音を見下ろし、恭也の気が緩んだ途端、全身に鋭い痛みが走った。
たまらず膝を着き、刀が手から零れ落ちる。
膝も異様な痛みを発し、もう立ち上がる事もできない。

「恭ちゃん!!」
美由希は慌てて恭也に駆け寄り、今にも泣きそうなぐらいに不安な表情を浮かべていた。
「大丈夫…。膝が限界で、腕が完璧に折れただけだ……あ、肋骨もいったか…?」
「ぜ、全然大丈夫じゃないよっ!?」
美由希は喚くように突っ込んだ。しかし恭也は頭を振った。
「大丈夫だ……。もう、終わったんだからな?」
恭也は美由希を見ず、その一点を見続けていた。
仰向けに倒れたまま、ピクリとも動かない連音の姿を。
その姿に美由希は嫌なものを感じた。
「恭ちゃん……まさか…?」
「あれ位で死ぬような子じゃないさ。それにもうすぐ来るだろうし……」
「え…?」
美由希が誰の事を言っているのか聞こうと思った時、池の反対側からけたたましくエンジン音が響いた。
「ナイスタイミングだ、忍……」
それは、月村家の4WD車だった。


停車した車から降りてきたのは忍とノエル。そして途中で合流した士郎だった。
「恭也、大丈夫!?連音はっ!?」
「そこで倒れてる。すぐに手当てをしてやってくれ」
恭也はそう言うが、忍の目には恭也の怪我が真っ先に飛び込んできた。
その原因が連音であるとすぐに分かり、恭也の言葉にすぐ聞く事ができなかった。
「で、でも恭也も――」
「こっちは俺が見よう。だから忍ちゃんは連音君を」
「は、はい……。ノエル、応急処置を」
士郎に言われ、ようやく忍は連音の方に向かった。
忍とて連音の方が重傷と分かっている。しかし、そこは理屈ではない。

既にノエルは連音の状態を確認していた。
「身体の傷以外は大した事はないようです。ですが、出血量から見て、すぐに輸血が必要です」
ノエルは淡々と忍に伝える。
それを聞いて、忍はバッグからそれを取り出した。
「それは…輸血用のチューブですか?」
「私の血なら連音に合うわ。ノエルは手当てをお願い」
忍は一方の針を自分の腕に刺し、チューブに血が流れ込んでいくのを確認し、もう一方を連音の腕に刺す。
少し、クラッとなる感覚に耐えながら忍は連音の髪をそっと掻き上げた。
ノエルもそれを横目に手際よく応急処置を施していった。


「これで良し、と。痛むか、恭也?」
当て木をし、三角巾で腕を吊って、士郎が聞いてきた。
「骨折してるんだ、当たり前だろう」
「その上、筋繊維が少し切れてるしな?」
「分かってるなら聞くな!痛っ…!」
叫んだせいで痛みが走り、恭也は顔を歪める。
「恭ちゃん、大人しくしてなきゃだめだよ!?お父さんも!!」
「むぅ…」
「ははは、悪い」
三人は連音達の方を見やった。
ノエルの手当ては見ただけでも的確で、しっかりと止血もされている。
恭也は立ち上がり、近付く。

「どうだ?」
「うん……顔色は大分良くなったけど……」
「おい忍、お前の方が顔色悪いぞ?」
振り返らず連音を見続ける忍の横顔を見て、恭也は驚いた。
顔色を見る限り、忍の方が重症そうだった。
「お嬢様、これ以上はお嬢様の体に良くありません。お止め下さい」
「でも…!」
「どちらにしても、ここではこれが限界です」
「うっ…」
ノエルの言葉に忍が黙った。意味が分からず、恭也はノエルに尋ねた。
「どういう事だ?血さえあれば大丈夫なんだろう?」
その言葉にノエルは首を振った。

「出血は治まりましたし、応急処置も行いました。ですが、未だ傷の再生が始まりません。
原因も特定できませんし、正規の治療を受けさせる必要があると思われます」
「むぅ………だが、治療を受けさせるといっても、この状態をどう説明する?
事情も聞かず、診察してくれる医者なんて……」
「御一方、心当たりがございます」
ノエルの言葉に少し考え、そして恭也と忍の顔が顔を見合わせた。
「ま、まさか……」
恭也は嫌な汗をかいていた。それはこれから、ノエルが言おうとしている言葉に対してのものだった。

ノエルは二人の腕からチューブを外し、そこにガーゼを当てる。そして連音を抱き上げ、こう言った。
「急ぎましょう、海鳴大学病院――フィリス・矢沢先生の所へ」
この台詞は美由希と士郎にも聞こえていた。

「「「うえぇええええええええっっ!!??」」」


その絶叫は高町家によって独占されていた事は言うまでもない。




すっかり車両の少なくなった道路を、規定速度を大きく超えた速さで走り続ける事十八分。
恭也達を乗せた車は海鳴大学病院の前まで来ていた。
「何か、あっという間だったような……」
「気のせいです」
恭也の呟きをさらっと流して、ノエルは既に閉じられた門の前に車を向けた。
それに気が付き、守衛が詰め所から出てきた。
「ちょっと、駄目だよ!?ここは、もう通れないよ!」
「申し訳ありませんが、怪我人を乗せていますのでゲートを開けて頂けますか?
それと、フィリス・矢沢先生にお取次ぎを。今夜は夜勤の筈ですから」
ウィンドウを開けてノエルが言うが、守衛も早々通す事はできない。
「すいません。開けて貰えませんか?」
と、今度は士郎が顔を覗かせる。
「ありゃ?あなた、確か翠屋の…?て事は、怪我人てのは…」
「うちの息子です。ハハハ、本当にお恥ずかしい……」
「いやいや。そういう事ならちょっと待ってて下さい。今、開けますから」
そう言って守衛は詰め所に戻り、ゲートを開ける。そして内線で呼び出しをかける。
それを見ながら、恭也はこの後に待っているであろう事態に頭を痛める。
しかし連音を見せられる医者に心当たりが無い以上、選択の余地は無かった。

そしてゲートが開かれ、車を中に進ませる。と、入り口から飛び出してきた人影があった。
白衣を着た、美しいプラチナブロンドの小柄な女性。
彼女こそ、噂のフィリス・矢沢医師である。
「恭也くんっ!!」
「早速来たかっ!」
思わずたじろぐ恭也。美由希も、士郎さえもその剣幕に軽く身を退いていた。
ノエルは入り口前で停車させ、運転席から降りると容赦なく後部座席のドアを開けた。

ノエルにすれば、後部座席のシートを倒して、そこに寝かせた連音を運ぼうとしただけだが、
恭也達はその後部座席に座っていた為、もろにフィリスの視界に入ってしまった。
そう、腕を折り、三角巾で腕を吊られ、その上泥だらけで、全身ボロボロの恭也の姿を。

「恭也くんっ!その怪我はどういう事ですか!?定期健診はすっぽかすし、その上、そんな大怪我を…!
まさか、膝まで傷めてないでしょうね!?」
「い、いや、それは…」
怒涛の如く迫るフィリス。その迫力に恭也の目が泳いだのを彼女は見逃さなかった。
「傷めてるんですね!?もう、本当にあなたは――」
「お待ち下さい、フィリス先生」
「ッ…ノエルさん?」
更に迫るフィリスをノエルが制した。
「恭也様の事は、後ほど御存分になさって下さって結構でございます」
「おい」
「ですが今は、この方を先にお願いいたします」
「?この方……ッ!?」
後部座席の連音を見てフィリスの表情が変わる。
それは、命を守る戦士の瞳。
「酷い怪我…!すぐに診察室へ運んでください!!」

フィリスは踵を返し、院内に駆け込んだ。
ノエルは連音を抱えて後を追った。

忍と美由希、士郎もそれに続く。

そして恭也は――。
「今すぐにでも旅に出ようかな……?」
なんて事を呟いたのだった。




フィリスの手によって一通りの処置が終わり、恭也達は中に呼ばれた。
「さ、今度は恭也君ですよ?腕と…肋骨もでしょう?」
「うっ…」
「隠そうとしても分かりますよ?素直に言ってください?」
口調こそ穏やかだが、その後ろからは言い知れない圧力を感じ取れた。
「それと、士郎さんと美由希さんも。恭也君の後、診察しますからね」
「いや、俺は……恭也だけで!」
「そうそう!恭ちゃんだけ、お願いします!!」
二人して恭也を盾に逃げようと考えるが、フィリス・矢沢医師はそんなに甘い女性ではなかった。
「士郎さん、先週の検診……来られませんでしたよね?」
「うぐっ!」
「美由希さんも、この間傷めた腕……完治してなかった筈ですよね?」
「はうっ!?」
フィリスはにっこりと笑って止めを刺した。
「何でしたら、こちらから出向きましょうか?」

「「すいません、勘弁して下さい」」

見事なまでの平身低頭であった。

「恭也君も、訓練はしばらく控えて養生してくださいね?」
「はい…」
素直に従う恭也。逆らっても勝ち目など何処にも無いと分かっている。というより悟っていた。
(ま、軽く振るぐらいなら良いだろう…左は無事だし。後は…飛針ぐらいか?)

「養生の意味、分かってますね?刀も駄目、投げ物も駄目ですよ」
「………はい」
とりあえず、フィリスの方も恭也の事をよく理解していた。

「そ、それより連音君の容態は?」
「一応は峠は越えたと……正直、生きているのが不思議なぐらいです」
一通りの診察を終え、フィリスは診察用のベッドの方に向かった。
カーテンを開けると、体を横たえた連音とそれに付き添う忍とノエルがいる。
連音は全身は勿論の事、顔の半分程も包帯で巻かれていた。


唯一覗く瞳も瞼は閉じられたままだ。
救いといえばその顔に幾ばくかの精気が見て取れた事だろうか。
「聞くだけ無駄とは思うんですけど……どうしてこの子はこんな大怪我を?」
フィリスの言葉に恭也は首を振る。
「すみませんが俺達にも分からないんです。……会った時にはもう」
「派手な打身の痕も?」
「いえ、それは俺が…」
「……」
「…………忍、俺は先に戻る」
「待ちなさい、恭也君」
踵を返した瞬間、ガシリと肩を掴まれた。
(か、体が動かない…!?)
まるで金縛りにあったかのような状態に恭也は戦慄した。
振り返るのがとても怖い。

「……じゃあ恭也、俺達は先に帰ってるからな…!」
「生きて帰ってきてね〜!」
「待て、父さん!美由希!!」
「では、私達も一度屋敷に戻りましょう」
「そうね。若先生、連音の事お願いします。明日、朝イチで来ますから」
「待て、ノエル!忍!!」
「えぇ、責任を持って預かります」
フィリスが手を振って士郎らを見送った。

恭也を置き去りしにし、全員は振り返ることも無く診察室を後にする。
「クッ…!何という裏切りだ…!!」
信じていた家族、そして恋人に裏切られ、恭也はがっくりと膝を着いた。
しかし、恭也には絶望する時間すら与えられてはいなかった。

「さ〜て、あの打ち身と恭也君、どういう関係なのかしら〜?」
「い…いや、それは……」
「胸の怪我の次に酷いの、アレなんですけど〜?」
「………」
最早、恭也には何も言う事が出来なかった。



そして、恭也と連音は病院で一夜を明かす事となったのだった。

その待遇に関しては、天地の差があった事を記しておく。










では拍手レスです。


※連音なら大丈夫、忍者は耐え忍ぶ者だから

そうですね。それこそが忍者でしょう、やはり。
忍術を行使する者、というのも好きなんですけどね。
一人ではないという事がこの後、決定的な未来を作ります。

※面白かったです!!

ありがとうございます。凄く励みになります。
今回の話は如何でしたでしょうか?
連音対恭也はシャドウダンサーの軸の一つなのですが…。
上手く書けているかが心配でwww




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