辿り着いたのは世界を繋げる次元の海。そこにたゆたうのは悪意の城。
そこで連音は出会う。
それは、希望という名の絶望。
そして、悪夢という名の真実。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第十四話   時の庭のアリシア



連音は人の気配の無い、薄暗い廊下を進んでいた。
石造りの柱には蔦が巻きつき、所々に苔が見て取れた。
妙に冷たく湿っぽい空気が廊下の向こうから流れてくる。

「うっ……!」
思わず口を塞ぐ。
カビ臭いのもそうだが、それ以上にこの”場”に満ちるものが不快だった。

陽炎のように揺らめく闇色の霧。
常人の目には映らない、それは人の”陰の氣”。
「ここまではっきりと陰気が……ぅう!」
広範囲に広がる氣はそれだけで強悪だ。
それも、今の連音のように魂と魄のバランスが危ない状態では猛毒に近い。

意識を集中し、気を強く持つ。
そうしなければ倒れてしまいそうだった。

「……っ?」
進んでいくと、徐々にだが陰気が薄くなっているような気がした。
やがて、薄闇の向こうに光が見えた。
ドアを開け、中に入る。

そこはエントランスホールのようで、天井は見えないぐらいに高く、その壁面には螺旋の通路がどこまでも続いていた。

「ふぅ〜。ここで一休みだな……」
実際にそれ程の距離を進んだ訳ではない。
しかし、陰気の影響をダイレクトで受ける連音にとって、消耗は余りにも大きい。
周囲に何も無い事を確認し、柱の影に腰を下ろす。
見渡すと大きなドアが目に入った。
「ここがエントランスなら、あの先が入り口か。じゃあ普通に考えて正面が怪しいか…?」

エントランスには幾つかのドアがあり、連音はその内の一つから出てきたのだ。

最初の捜索を正面の入り口に定め、連音は立ち上がった。
本当ならもっと休んでおきたい所だが、ここは敵の本拠地。
一つ所に何時までもいる訳には行かない。
連音は再び歩を進めた。

再び続く薄暗い道。柱にはやはり蔦が巻いているが、苔は見えない。
廊下の中心は何かしらの鉱石で作られたのだろうか、青緑の淡い光を湛えている。
不思議だった。
この通路には先程よりも濃い陰気が流れていた。
だが、連音の体はその中にあっても消耗しないのだ。
まるで誰かが守っているような。

(これも那美さんの霊力のおかげ……なのか?)

だが、どうして今は大丈夫で、さっきはダメだったのか。
その辺りが分からなかったが、今は考えている時ではない。

やがて、何かが通路の向こうから聞こえてきた。
「何だ……?」
その声の方に進んでいくと、一枚の扉。それをゆっくりと開け、中を窺う。
そして慌てて中に飛び込み、柱に身を隠した。

そっと、慎重に覗き込む。
「あれは…アルフか。あんな所で何を…?」
目を閉じ、耳を塞ぎ、うずくまって震えるアルフ。
その原因はすぐに分かった。
「うぁあっ!!」
何かで打ち据える音と、苦悶に満ちた悲鳴。その声の主はフェイトだった。
アルフの向こうに見える入り口からそれは響いてきている。

(これは……鞭の音………?)
嫌になる程簡単に想像がついて、反吐が出そうになる。
上を見れば中を覗き込めそうな隙間があった。
気付かれないように柱を登り、渡っていく。
慎重を期したが、今のアルフにはそれに気が付ける余裕はなく、難なく辿り着けた。

壁の向こうは一層開けた空間になっており、奥の一段高い場所に立派な作りの椅子があった。
部屋の中心には通路にあった物と同じ鉱石で作られたと思われる、レンズのような装飾がなされていた。
周りの造りや装飾からここは謁見の間、もしくは玉座の間のようだった。

そして、その中心――レンズの上にフェイトはいた。
腕はだらりと中空に上げられ、その足は床には付いていない。
手首に巻かれた細い光がフェイトを柱の上部から吊るし上げているのだ。

フェイトのバリアジャケットはボロボロになり、その下から白い肌が晒され、赤い蚯蚓腫れが見てとれた。
酷い所は出血までしている。

ぐったりとしているフェイトの前に杖を持った女が一人いる。
髪は軽いウェーブが掛かり、足元に届かんほど。
片方の瞳は髪に隠れ、晒される瞳は深い闇と狂気の光を湛える。
闇の如きローブにその身を包んだ、魔女。

足元揺らめく、陰の氣。

(あれが……闇の正体……!)

魔女はゆっくりと歩き、フェイトに近付いていく。
「――良い、フェイト?あなたは私の娘…。大魔導師、プレシア・テスタロッサの一人娘……。
不可能な事などあって駄目。
どんな事でも……そう、どんな事でも成し遂げなければならないの」
その指でフェイトの顔を上げ、口元を歪ませる魔女――プレシア。
フェイトはただ、「はい」とだけ答える。
「こんなに待たせておいて、上がってきた成果がこれだけでは……。
母さんは笑顔であなたを迎える訳には行かないの……分かるわね、フェイト?」
「…はい、分かります……」
「だからよ?だから、憶えて欲しいの……」
プレシアの瞳の狂気が強まり、陰気が強まる。
「もう二度と……母さんを失望させないように!」
手にした杖が光り、鞭へと変わる。
「……っ!!」
それを見て、フェイトの顔に恐怖と絶望が広がる。
これから再び始まる事にギュッと目を閉じ、歯を食いしばる。


そして、悪夢が始まる。

響く鞭打ちの音。
無抵抗のまま打ち据えられ続けるフェイト。
許されるのはただ、悲鳴を上げるのみ。
どれだけ理不尽でも、それは期待を裏切った自分が悪いのだと。そう思い込んで。

娘を鞭で打ち続けるプレシアの顔は更に狂気を強めていく。
悲鳴が上がる度、陰気は膨れ上がり、流れていく。
鞭で打つプレシアの姿は虐待や折檻ですらない。

調教。そう言った方がピッタリだった。

それを見ていた連音は何か異様なものを感じていた。
この光景自体も異様ではあるが、そうではない。


連音は最初は動こうとした。
だが、二人の間にある違和感を覚え、動かなかった。

何かが違う。見えているのに見えていない、そんなもどかしさ。
普通に見れば、母の命令でジュエルシードを娘が探している。それだけだ。

だが、それだけでは説明が付かない。
なぜ、プレシアがそこまでジュエルシードを求めるのか。

それを知らなくても、プレシアを討ち果たせばそれで終わる。
しかし、心がざわめく。

自分は真実を知らなければならない、と。


やがて、音がやむ。
「ロストロギアは母さんの夢を叶える為、どうしても必要なの。
特にあれは……ジュエルシードの純度は他の物より遥かに優れている。
あなたは優しい子だから躊躇ってしまう事もあるかもしれないけど…。
邪魔する者があるなら潰しなさい、どんな事をしても!
あなたには…その力があるのだから」

(ん…?)
最後の言葉。その瞬間だけプレシアの狂気が薄まった気がした。
だがそれはすぐに戻り、気のせいだったかと連音は思った。

プレシアの鞭は再び杖に変化し、同時にフェイトを拘束していた光が消え、床に崩れ落ちる。

それを見下ろしたまま、プレシアは言う。
「行ってきてくれるわね……私の娘、可愛いフェイト…?」
フェイトは自由に動かない四肢に力を入れ、体を起こす。
そして力なく、しかしはっきりと微笑む。

「はい…行って来ます……母さん」
しかし、それを見る事無くプレシアは背を向ける。
「――しばらく眠るわ。次は必ず、母さんを喜ばせて頂戴」
それだけを言い残し、プレシアは奥に姿を消した。

痛む体を押さえながら、立ち上がったフェイトの目に映ったのは小さなテーブル。
その上に置かれた小さな紙の箱。
フェイトが母への土産にと、買ってきた物だ。
置き去りにされたそれを見て、フェイトの心が締め付けられた。

まるで、自分の想いを置き去りにされたかのようだったから。


玉座の間から出て来たフェイトにアルフが気付き、駆け寄った。
崩れ落ちそうな体を支え、泣きそうな声でフェイトの名を呼ぶ。
「フェイト!ごめんよ…。大丈夫!?」
「……何でアルフが謝るの?平気だよ、全然……?」
そう言ってアルフに微笑みかけるフェイト。だが言葉とは裏腹にその顔に生気は無い。
「だってさ…!まさか、こんな事になるなんて…!
ちゃんと言われた物を手に入れてきたのに……あんな酷い事をされるなんて思わなかったし…!
知ってたら……絶対に止めたのに!!」
アルフが悲しみに満ちた声を吐き出す。
しかし、フェイトは首を振った。
「酷い事じゃないよ…?母さんは…私の為を思って、て…」
「思ってるもんか、そんな事!あんなのただの八つ当たりだ!!」
「違うよ…。だって親子だもの……。
ジュエルシードは……きっと、母さんにとってすごく大事なものなんだ。
ずっと不幸で…悲しんできた母さんだから……。私、何とかして喜ばせてあげたいの……」
フェイトの言葉にアルフの勢いが弱まる。
「だって……でもさぁ……!」
それでも、アルフは自分の思いを吐き出そうとする。それがフェイトの思いと違っていても。
そんなアルフの頬にフェイトの手が触れた。
「アルフ、お願い。……大丈夫だよ、きっと」
優しく微笑むフェイトに、アルフの心が震える。
止めたい。でもフェイトの願いを聞かないという選択は出来ない。
「ジュエルシードを手に入れて帰ってきたら……きっと母さんも笑ってくれる。
昔みたいな優しい母さんに戻ってくれて……。アルフにもきっと、優しくしてくれるよ?」
「っ…!」
「だから行こう…?今度はきっと……失敗しないように……」



フェイトとアルフが去ったのを確認し、連音は隠行の術を解く。
「……きっと、か」
きっと。なんと都合の良い希望の言葉。

きっと笑ってくれる。
きっと守れたはず。
きっと戻ってくれる。
きっと自分よりも。

不確か過ぎる未来と在り得ない可能性を、一つの言葉が結んでいく。

「っ……!」
連音は強く首を振る。
今はそんな事を考えている場合ではない。するべき事は多いのだ。

(プレシア・テスタロッサ……少し調べてみるか)

床を蹴り、駆ける。
フェイトの言葉を受け取るなら、ここはアジトと言うよりも彼女の家であろう。
この、異質な場所が。

だが、それならここにどんな施設があるのか、想像も出来る。
魔導師であるのなら、何かしらの研究を行っている部屋があるだろう。
資料をまとめる為の書斎などもあるかもしれない。

家である以上、生活空間も存在するはずだ。
そこを探れば他に誰がいるのか、掴む事も容易い。

柱に巻いた蔦や生えた苔は、ここが何処かの世界で長い間存在していた証。
「ならば当然、生活空間は日の当たる範囲…」
逆に研究施設は薬品などを使う事もある以上、日光は厳禁のはずだ。
「つまりは地下…」

どちらから探るべきか、思案した。
普通ならば研究施設だ。プレシアが何故ジュエルシードを求めるのか、知る事が出来るだろう。
だが、同時に生活空間も気になる。
重要度は低い。だが、心に引っ掛かる所もある。
二人の間にある、絶対的な温度差。それが何なのか。

「はっ!?」
連音は通路の先に人影を見つけ、とっさに身を隠した。

それは金髪をリボンでツインテールに結び、ライトブルーのワンピースを着た少女。

(あれは……フェイト?だが、何か違和感が…?)

それは確かにフェイトだった。しかし、何かが違う。

『そこにいるのは、誰…?』
「……!?」
フェイトは連音の隠れる柱を向いて声を発した。
薄暗い通路で、気配を殺して隠れる連音を見つけた上、
その声は呟くようでありながら、まるで耳元で囁かれているようだった。
思念通話とも違う、別の何か。

連音はフェイトの得体の知れない力を警戒し、ゆっくりと離れる。

『――あなた、私が見えるのね?』
「なっ!?」
背後から掛けられた声に驚き、振り返る。
そこにいたのは通路の向こうにいた筈のフェイトだった。
かすかな光に包まれ、ふわりと浮かぶ姿は神秘的で。

そして、連音は違和感の正体に気が付いた。
一つはその幼さ。
フェイトは連音やなのはと同い年ぐらいであったが、この眼前のフェイトは違う。
もう少し幼い。六、七歳ぐらいだろうか。

そしてもう一つ。
そのフェイトは――。
「思念体…いや、霊体か……。お前は一体…?」
琥光を握り、自然と体が半歩下がる。
すると、フェイトに似た少女は頬を膨れさせた。
『もうっ!人に名前を聞く時はまず自分が名乗るものじゃない!?
……まあ、良いわ。ようやく私を見れる人に会えたんだもん!』
少女はゆっくりと降り立つと、くるりと回った。
『私はアリシア……アリシア・テスタロッサよ』



プレシアは深い闇の中にいた。
眠りにつく時、いつも彼女はそこにいた。
(あぁ……またこれなの……?)
彼女は知っていた。この後にどうなるのかを。

闇が消えて――そして繰り返すのだ。

終わらない悪夢が。

(アリシア……)

そして、悪夢という舞台は始まる。



「アリシア・テスタロッサ……?フェイトと同じファミリーネームだな」
『そうよ。だってフェイトは私の妹だもの』
えっへんと、無い胸を張るアリシア。
「妹…?姉じゃなくてか?」
見た目的にもアリシアはフェイトの姉には見えなかった。
アリシアは再びむくれた。
『そうよ!だって私が生まれたのはかれこれ三十年ぐらい昔だもの。……それより、あなたの名前は?
まさか、人に聞いておいて自分は名乗らない、なんて事は無いわよね?』
にっこりと笑うアリシア。その笑顔に有無を言わせない迫力があった。
「……連音。辰守連音だ。これで良いか?」
『うん。偉い偉い』
「頭を撫でるな!」
満足そうに頭を撫でようとするアリシアの手を払い除ける。
それに驚き、アリシアの眼が見開かれる。連音も驚き、自分の手を見ていた。

霊体と触れ合う事は流石の連音にも出来ない。
その筈なのに触れることが出来たのは、恐らく那美の霊力があるからだろう。
神咲家の霊力は半端ではなく、霊に触れる事ぐらい容易だ。

自分の迂闊さを呪ったが既に遅い。
アリシアは振り払われた腕を押さえたまま、呆然としていた。


『…………すごい』
「……は?」
『すごい!声が消えて、姿が見えて、その上触れるなんて!!』
連音の手を掴み、ぶんぶんと振り回す。
連音はいきなりの事に対応できず、困惑し、されるがままだ。

「ちょ、待て!止めろ!!」
『すごいすごい!!ほんとに触れる!!』

喜びはしゃぐアリシアの瞳に光る物が浮かぶ。
『ほんとに…凄いよ……!』
「アリシア……?」
連音の手に落ちる、温かなもの。それは触れる度、霧のように消えていく。

『――ごめん。誰かと喋るのって…こうなってから初めてだから……。
それで、連音はどうしてこの【時の庭園】に来たの?
どう見ても時空管理局の人には見えないし、お母さんの関係者にも見えないもの』
「あ〜…時の庭園がここの名称として、何だ、その時空管理局ってのは?」

時の庭園。時空管理局。アリシアによって示される新たな言葉。

一つはこの場所の名前。
もう一つは何かの組織の名称だろう。
特に後者はその名前から異世界の法的機関のようであり、この事件に関わってくる可能性を憶えた。
できる事ならこれ以上、邪魔者には増えて欲しくはないものだ。

『……時空管理局は悪い人を捕まえたりする大きな組織よ。
管理局を知らないって事は、連音は何処かの管理外世界の人なの?』
連音の願いは数秒で崩れ去った。
プレシアは次元震を引き起こす代物を欲しているのだ。
管理局がこの件に関わってくる可能性はほぼ百%である。

だが、その中で気になる言葉もあった。

アリシアは時空管理局という組織が悪い人―恐らく犯罪者―を捕らえる組織だと言った。
そして最初、連音をその組織の人間には見えないとも言った。
「アリシア…お前は知っているのか?プレシアが……何をしようとしているのか」
そう。彼女は何かを知っている筈だ。
そうでなければ、連音を管理局の人間に見えないと言う事は無いのだ。

アリシアはさっきとは明らかに違う、驚きの色を浮かべて顔を伏せた。
『………知ってるわ。教えて欲しいなら教えても良いけど……』
顔を伏せたまま、答えるアリシア。

『でも、これだけは答えて?』
「何だ…?」
『ツラネは……何者なの?』

連音は答えに詰まった。
彼女がフェイトの姉と名乗った以上、当然プレシアの娘だ。
その娘に「お前の母を討ちに来た者」と言う事が出来るだろうか。
だが、ここで?を吐いたとしてもすぐにバレる。

迷った末、本当の事を打ち明ける事を選んだ。
「俺にはジュエルシードという物を集め、封印する使命を与えられている者だ。
そして、ジュエルシードを狙う存在……プレシア・テスタロッサを場合によっては討つ事も……」
『…………』
「………だがその前に、何故そこまでプレシアはジュエルシードを欲するのか。
それを今、調べているところだ」
連音の答えにアリシアは沈黙している。

「―――っ」
無意識に固唾を飲み込んでいた。
アリシアの、その幼い容貌からは想像もつかない程の迫力に畏怖を憶える。

まるで永久や朱鷺姫にも似た雰囲気を今の彼女から感じた。

『――分かったわ』
アリシアの姿が眼前から消える。
『こっちよ。ついて来て』
そして、背後から響く。
連音が振り向くと、通路のずっと向こうにアリシアはいた。
「ちょっと待て。どこに…?」
『知りたいんでしょう?お母さんの事を…。それが分かる場所よ』

アリシアはそのまま奥にどんどんと進んでいく。
「おい、アリシア!?」
連音もまたその後を追って行った。


アリシアは振り向く事無く、進んでいく。

重い沈黙。
潜入者としては音が無い事は良いだが、この雰囲気は流石にキツイ。

何か聞くべき事は無いだろうか。
この空気から逃げる為にそんな事を考えてしまう。

と、その時連音は気が付いた。

アリシアは陰気の霧の中を平然と歩いている。

霊体は、今の連音よりも遥かに陰気の影響を受けやすい筈である。
しかし、この陰気の巣窟のような空間にあって、彼女は未だハッキリと自我を持っている。

「なあ、アリシア…」
『何……?』
「お前はどうして……この陰気の中で平気なんだ?」
『……?陰気…?』
アリシアは聞き慣れない言葉に振り返る。
「この霧の事だ。これは人の魂や心に悪影響を与えるものだから……大丈夫なのか?」
『う〜ん…このモヤモヤは私が死んで、それから目が覚めた時にはもうあったから……。
最初は纏わり付いてきて気持ち悪かったけど、あっち行け!て、思ったら消えちゃうの。
私、魔法の才能は無かったのに…こんな変な力があったなんてビックリしちゃって…。
………これって、お母さんから出てるんだよね…?』

アリシアの顔に悲しみの色が差す。陰気の意味が分からなくても、理解しているのだろう。

そして連音も、なぜアリシアがこの中で平気でいられるのか理解した。

アリシアは魔道の才ではなく、類い稀なる霊的才能の持ち主なのだ。

魔力を外からの力で生み出すものと定めるならば、
霊力は内――魂から湧き上がる、泉のようなものだ。


彼女の魂は陰気の影響を受け付けない程に高潔で、強大。
長い歴史上、聖人や聖者と呼ばれる存在にも匹敵する魂の持ち主。

それは正に偉大なる素質。得がたき才能。
もしも彼女が生きていて、その才能を開花させていたならば、
間違いなく、アリシアは聖女として歴史に名を刻んだであろう。

そして死した後、神格を得て神にもなったであろう。

しかし、これはあくまでも連音の世界での話。
そういった霊的な事象は、異世界では完全に否定され、発展した科学がそれを排除するのだ。

生まれる世界を誤った、悲しき聖女。

何とままならないものだろう。連音はそんな事を思った。


そして、二人はそこに辿り着いた。

「ここは…?」
『全ての始まった場所……お母さんの研究室…』


重厚な扉はあっさりと開かれる。

室内は他と同じように蔦の絡まった柱が壁際にあり、
それと他にはファイルの入った簡素な棚とテーブルがあるだけだ。

部屋の奥には大きな幕が掛けられている。
ここは既に使われていないのか、足を踏み入れた瞬間に埃が舞った。

『これよ……』
アリシアが指し示したのはデスクの上に置き去りにされた、埃に埋もれた一冊の本。
埃を叩き落とすと、その下からくすんだ赤い表紙が現れた。
閉じているベルトを外し、開いてページをめくっていく。
書かれているのは見慣れない文字だった。

「これは……日記か?琥光、翻訳してくれ」
“了承”
琥光は忍者刀から腕輪に戻り、連音は宝石部を文字に向ける。

琥光はそれを淡々と読み上げていく。

そこに記された、プレシア・テスタロッサという名の女性の物語を。


結婚し、子を授かり、幸せだった時。
夫と別れ、辛かった時。支えてくれた娘の存在への感謝。
職場の同僚と上司にも支えられ、平凡ながらも暖かで、穏やかな日々が過ぎていく。
人見知りせず、明るい笑顔を皆に向ける愛娘、アリシア。
アリシアが拾ってきた図々しい性格の、しかしプレシアとアリシアには懐く、リニスと名付けられた山猫。

二人と一匹。そして支えてくれる多くの人達。
特別な事など望まない。ただ、この日々が続いていく事だけがプレシアの願いであった。


それが壊れる時が来た。
始まりは一つの辞令。
大型の魔力駆動炉の開発。その開発を引き継ぐ事。

余りにもずさんな資料管理、無茶苦茶な開発スケジュール。
それを整理し、調整し、それでも足りない開発時間。
同じチームのメンバーと共に苦心の毎日を送る中、段々とプレシアの心は削られていく。

それでも何とかやっていけたのは、この開発が終われば管理部に異動になる。
そうなればアリシアとの時間を作れる。その一心からだった。

だが、終わらない開発。それに加え、やって来た「主任補佐」なる人物によって全てが更に狂っていく。

効率化の名の下に無視される安全性。信頼性を失くす代わりに前倒しにされる開発スケジュール。
危険性を訴えるも、それは届かず。
同じように訴えた者は次々に姿を消していった。

それでも、安全性を高める為に奔走するプレシア。


日記はここで一度終わっていた。

数ページの空白の後、続くのはどれほどかの日数を重ねた後だった。

「この空白の間、一体何があったんだ?」
『憶えているのは……あの日、魔導炉の稼動実験が行われる予定だった事。
そして、それは失敗に終わって……私はその事故で……』
アリシアは言い辛そうに呟く。
自分の死を口にするのは流石にいい気はしないようだ。

連音はそれ以上聞く事は止めた。
実験は失敗した。それだけ分かれば充分だから。


そして、日記は続く。



プレシアが背負わされたのは全ての責任。
すでに名目上の責任者でしかなかった彼女は、この時になって責任者の名を使われたのだ。
保身を図る者達によって。


そして彼女に与えられた取引。
それは、全ての罪を彼女が背負う代わりに、社は莫大な金額の賠償金を払う、というものだった。

そして、彼女はそれを受け入れ、地方へと消えた。


どれだけ醜悪な言葉を吐こうが、帰ってこない。
何も。誰も。全ては失われたのだ。それだけが彼女の事実。

自分が、殺してしまったのだ。

家族を。アリシアを。

その事実に幾つかのおまけが付いたところで何も変わらない。

何故ならば、彼女には為さねばならない事があったからだ。
その為に、金は必要だったから。



『それから、お母さんは地方で取り憑かれたみたいに研究をしていたの。
そして、いっぱいのお金を手に入れて……表から姿を消した』

「……っ…!」
今、連音の心の中に怒りにも似たものが渦巻いていく。

利己的な人間達によって狂わされた人生。
それは奇しくも連音の過去と重なるものだった。

どうにか心を抑え、連音は言葉を吐き出す。
「……だが、これがどうしてジュエルシードに繋がる?まさか、あれの力で復讐をするつもりなのか?」
あれだけの力を持つジュエルシードだ、それを憎い相手のいる町ででも暴走させれば簡単だ。
それ以外に思いつかないのは、まだ知らない事実があるのだろう。


「…?」
再び日記に視線を落とした時、デスクの上に倒された物が目に入った。
それを拾い上げる。

「これは……?」
『私とお母さん……と、リニスよ。異動になる前に撮った最後の写真ね……』
連音の脇から覗き込んできたアリシアが、少しだけ寂しそうに言う。

そこには本当に幸せそうな家族があった。
リニスを抱えて無邪気に笑うアリシア。
主に抱き抱えられながら、ふてぶてしく欠伸をするリニス。

そして、その姿に優しく微笑むプレシア。

だが、それはもうこの写真の中だけだ。


プレシアは失った。
事故でも、彼女は自分の関わった事で家族を殺してしまったのだ。
誰か見知らぬ他人が――第三者がいたのならば、それを憎む事ができた。
許す事もできる。
だが、憎むべき相手は他ならぬ自分。

唯一、許してくれる相手はこの世に存在せず。
世界の全てが「あなたは悪くない」と許しても、

自分を許す事などできないのだ。


ならばどうする?
どうすれば良い?


そして、彼女は思いつく。
地方での研究もその為に。


いないのならば。
失ったのならば。

取り戻せば良い。
生き返らせれば良い。



「何だ、これは…?」
日記は徐々に絶望の詩から狂気の言霊へと変化していった。
それは紙の上に書かれて、くすんでも尚、冷たいものを背中に感じさせる。
『お母さんがこの時携わっていたのは……使い魔を超える…人造生命誕生の研究よ……』
重い空気が、沈黙が室内を支配した。

人工の生命自体は、使い魔という存在もそれに該当し、技術も確立している。

それを超える、という辺りに連音は嫌なものを感じた。


日記は連音の思いを現実にした。

保存されていたアリシアの体から採取した細胞で、プレシアはあるものを作り出した。

培養液の中で生まれたそれはアリシアそのものだった。

そのアリシアに、同じく保存されていたアリシアの記憶を移したのだ。



「クローニンングと記憶の転写!?」
『そう。命を失った器を捨てて、命を持った新しい器に記憶を移す。
絶対不可侵、絶対不可能とされている【生命蘇生】技術の探求。
何処かの科学者が作った基礎を基にして進められた研究。
それが人造生命開発計画――プロジェクトF・A・T・E……』
「プロジェクト……フェイト…?まさか、フェイトは…!?」
連音はアリシアを見た。
アリシアは俯き、前髪に隠れてその顔を窺う事はできない。
だが、滴る光の粒が全てを語っていた。

これが、フェイト・テスタロッサなのだ、と。


使い魔はあくまでも魔法生物。
マスターの魔力によって生きる存在だ。

そうではなく、一個の固体としての確立。
同じ固体を科学によって生み出す。

それが、生命蘇生の答え。


日記には少しだけ続きがあったが、読まなくても連音にはこの結末が分かっていた。
「こんな事が……成功する訳が無い!記憶を移して……そんな事で同じ人間が作れるものか!!」

それは絶対の確信だった。
記憶とはそもそも足跡のようなものだ。
その時に心で、体で感じたものが積み重なって今の自分となる。
嬉しかった事。悲しかった事。そういう事があった、というのが記憶なのだ。

当然記憶は重要なものだ。
だが記憶が、記憶だけで人を形作る事は決して無いのだ。

ましてや、アリシアは幼い子供。その記憶すらも曖昧だ。

そして、DNAはあくまでも人体の設計図である。
僅かな環境の違いでも、完全に同じものが生まれる事は無い。


その事をプレシアが見落としていた時点で、結末は一つしかなかった。


生まれた存在――「フェイト」はさまざまな事がアリシアと違っていた。

アリシアが左利きだったのに対し、「フェイト」は右利き。
アリシアがリニスを可愛がっていたのに対し、「フェイト」はリニスの事を憶えていなかった。

そして、アリシアに受け継がれなかった魔導の才能を「フェイト」は受け継いでいた。

美しい、金色の魔力光と共に。

その色こそ、かつてアリシアの命を奪った暴走事故の時に発せられたものと同じだったのだ。



プレシアの絶望と共に、日記は終わっていた。


日記を閉じ、余りにも重い溜め息を吐き出す。
連音の予想通りとは言え、やり切れない思いだ。

そして、ようやく連音にも見えてきた。

二人の間にあった違和感の正体。

そしてフェイトの言葉の意味と、プレシアがジュエルシードを望む理由。

「プレシアはこの方法を諦め、別の何かをしようとしている。
その為にジュエルシードを欲し、フェイトを……手駒として使っている。そうだな?
全てはアリシア……お前を生き返らせるために……」

アリシアは静かに頷いた。

『私はずっと見てきた……お母さんを……フェイトを。
あんなに傷ついても頑張ってるフェイトに……私は何にもしてあげられない。
ずっと側にいるのに……お母さんに何も言ってあげられない……。
お願い、ツラネ……お母さんを止めて…フェイトを助けて……!
これ以上、私のせいで誰かが苦しむ姿は見たくないの……!お願い……』

思いつめた様に顔を上げたアリシアは、連音の手を痛いほどに掴み、懇願した。
大きなルビーの瞳からは涙が零れ、もう抑える事が出来ない。

大好きな人が苦しむ姿を誰が望むものか。
優しかったから。大好きだから。
自分のせいでその人が酷い事をして、自分はそれを止められない。

何も出来ない。自分の無力さに嘆く苦しさは、連音もよく知っていた。

「勿論、プレシアは止める。だが俺は……良いのか?」
『私の声も、姿も、ツラネにしか見えないし届かない……だから……任せるわ』
「――分かった」
『でも一つだけ……お願い……』
「………何だ?」

アリシアは奥に進んでいく。そして幕をすり抜けて消える。
連音も奥に進む。
幕に手を掛けると、その向こうは更に続いていた。

奥の部屋には壁に並んで、何基もの空のカプセルが並ぶ。
その大きさは子供が充分に入れる大きさだ。

そしてその一番奥。
何かしらの液体と共に白い何かの入ったカプセルが在った。

それだけは他と違い、稼動している。

アリシアはその横に立ち、連音の方に向き直っている。
「………」
連音はゆっくりとそれに近付いた。

「…ッ!?これは……!」
連音はその中に浮かぶものに驚いた。
そこに浮かぶもの。

それこそアリシア・テスタロッサの体だった。
それは今も尚、生前の姿を留め、何十年という時を全く感じさせなかった。

そして、驚く連音にアリシアは言った。



『私を……どうか終わらせて』








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