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ARMREDCORE4





ARMORED CORE 4







神話の御世において、神とは即ち力である


第二話  鴉は山猫へと









ある未来、ある日、国家という概念は地球上から消え去り、世界はすなわち、六つの大企業グループによって支配された。

スタンダート・ミリタリー・カンパニーを標榜とする世界最大規模の企業、グローバル・アーマメンツ――通称GA。

レオーネ・メカニカを盟主としたメリエス、アルブレヒト・ドライスからなる、欧州第二の規模を持つ三社企業連合体、インテリオル・ユニオン。

財閥系巨大資本であり、コジマ技術の独自開発に成功している企業オーメル・サイエンス・テクノロジーを傘下に置く総合軍事企業、ローゼンタール。

紛争地域を支配圏内に持ち、南アジア経済圏を拠点とした工業系総合企業、イクバール。

単一にして、欧州最大規模の勢力を持つ総合企業、BFF。

初期のコジマ技術の開発に重要な位置を占め、その技術のリーディングカンパニーである企業アクアビットと密接な関係にある新興企業、レイレナード。

これら六つが世界の王。その力こそがネクストACである。

だが、国家を倒すという利害一致関係の終わりは、平和ではなく――。












エミール・グスタフはコロニー・アナトリアの実質支配者と言っていい。

彼は元々、AMS研究の権威、故エドガー・イェルネフェルト教授の一部下であり、科学者であった。

だが才能は科学者としてよりも、指導者――政治家としての能力が優れていた。

アナトリアの住人たちが教授の死後、エミールにコロニーの全権を委ねたのもこの才能が周知の事実だからである。

だが、いくら才能があるからとはいえ、コロニー・アナトリア最大の危機を乗り切ることができるかと言えばそうでもない。

「問題は金、か」

イェルネフェルト教授の死後、部下によって持ち逃げされたAMS技術の専門性、商品性を失ったアナトリアは慢性的な資金不足に陥っている。

今現在は万が一の為に蓄えていた資金がある為、住民の生命線である食料プラントは稼働できるが、もって五、六年。

世界がパックス・エコノミカによって、資源が企業に管理された以上、あらゆる“もの”は企業から買わなければならない。

だがプラントを維持させるための費用は、当面の見通しでは全く無い。

最悪、住民のいくらかを企業へ実験マウスとして売ろうかと考えたが、それでは最終的に、自分の身が危うくなる。

エミールはチェアに深く座ると、深く溜息を吐いた。

「・・・教授、あなたならどうしますか?」

虚空に呟く声は、ただ漂うのみ。

『エミール、入るわよ』

声と同時にフィオナとアラン・フィラデルフィアが、アナトリア官庁執務室へと入る。

(・・・ああ、そうだ。彼を呼んだのだったな)

自分のしたことを忘れてしまうとは。三十をだいぶ過ぎて痴呆になってきたのか。

歳は取りたくないものだと思いながら、溜息を吐く。

アランは向かいのソファに座り、フィオナも隣に座る。沈黙は好きではないのか、アランはエミールの顔を見るなり話しかける。

「なあ、何で俺を呼んだのか教えてほしいな。エミールさん」

言動から分かるほど苛立つアラン。顔を見てからという行動から見ると、どうやら存在を嫌われたようだ。

「君をレイヴンとして見込み、頼みたい事がある」

「なんだ? 暗殺か? それともACを使ってどっかの街で略奪をしろってか?」

「違う。最後まで聞いてくれ、アラン・フィラデルフィア」

フン、と鼻を鳴らすと、気にいらげにソファに深々と座る。隣のフィオナは心配気に二人を見やる。

「・・・アナトリアの用心棒になってほしい」

「・・・・・・」

「アナトリアには住民の為の食料プラントが二機ある。それを狙って、今回のようなゴロツキがまたいつか襲ってくるかもしれない。企業も、アナトリアを見捨てた。ここにはまともなパイロットがいないうえに、この情勢では君に頼るほかないんだ」

アランは腕と脚を組み、睨む。

確かに、世紀末的であるこの世界では力無き者はただ野垂れ死ぬのみだ。それは自分がよく分かっている世界。

弱肉強食。これほど単純明快な世界と言葉は無い。

「私からもお願いします、アランさん」

隣のフィオナは頭を下げる。それを見てアランは冷淡に言った。

「それは父親の遺した街を無くしたくないからかい、フィオナ・イェルネフェルトちゃん?」

ハッと、フィオナは頭を上げ、目を剥いてアランを見る。

「何で知っている? って顔だな。気づいたのはここを襲ったクソのレイヴンを倒して、病室に連れて行かれた後だ。医者にイェルネフェルト教授について教えてもらったら、君がその一人娘だと聞いたんだよ」

「ごめんなさい・・・」

「何で謝る? 何も悪いことはしていないだろう?」

「・・・だって、AMS技術は父が生み出して、それを使ったネクストはあなたを傷つけて・・・」

徐々に震え声となるフィオナを、アランは優しく頭を撫でる。

「気にしないでくれ。物なんて使いようで、人を傷つければ、守ることだってできる。俺はたまたま、運が悪かったってことだけだ。な?」

優しげな笑みを浮かべるアラン。涙を拭くフィオナを一瞥すると、冷淡な面持ちに戻り、再びエミールを見る。

「報酬は?」

「・・・君に渡せる金は無い。だが、衣食住には困らないよう、手配はする。頼む、君はアナトリアの希望なんだ」

エミールが深々と頭を下げる。アナトリアの代表が頭を下げたのだ。冷たい態度をとっていたアランもこれには驚く。

眼を見て分かったが、十年以上の傭兵経験から、このテの人間は血も涙もない冷酷な人間だと思っていた。

だが話を聞いてみればどうだろう。ちゃんと他人の事を考える立派な人間である。自分の目が狂ったのか。

「・・・訊くのを忘れていた。雇用期限はいつまでだ?」

「できることなら長期間。三年、いや四年。それ以上が望みだ」

「ふぅん・・・」

「機体は今回襲撃されたACを改修して使ってほしい。腕のいい整備士がいるから、そこは期待しておいてくれ」

それを聞いて一際大きな溜息を吐いたアランは、フィオナを見る。純粋無垢な双眸が申し訳なさそうにこちらを見る。

――彼女は命の恩人。ここを襲撃したレイヴンを倒した後、アナトリア、住民は薄汚い傭兵である自分に「ありがとう」とも言って、見舞いにも来てくれた。

いや、ここは傭兵としての感覚で考えるべきではない。

一人の、人間として。

アランは笑みを浮かべると、背筋を伸ばし、きちんとエミールと向き合う。

「オーケー。その依頼、引き受けよう」

途端、エミールは顔を上げる。表情は殆どないが、眼には僅かに喜びと驚きが混ざっているのが分かる。

対称的に、フィオナは喜びの笑顔をここぞとばかりに出し、場所が場所なら抱きつかんと思えるほどだ。

――何故守りたい?

一宿一飯の恩義とはまた違う。目の前で困っている人を助ける、人間としての当たり前の行動。

本当に傭兵らしくない、情に溢れた『答え』だった。






翌日。朝のアナトリアは賑やかである。

他のコロニーと比べると、住民の数は決して多くはないが、それでも活気は溢れている。

子供たちは学校へ行き、大人は食料を得るために働く。

だが、いつまで食料が保つかは分からない。企業から見放されたこの辺境のコロニーで、何とかして生き抜く術を見つけていかなくてはならない。

退院したアランは街道沿いから、人々の流れを見てそう思った。

貧乏であるが、笑顔を絶やさない者達。しかし、力は無い。だからこそ、自分が守らなければならないのだ。

元傭兵である自分が。

改めて考えれば『人のため』に働くなんて、生まれて初めてだと気付いた。

(今まで自分と金の為に戦ってきたもんなぁ)

死と退廃のみが蔓延る生まれ故郷。親の顔も知らず、銃を握りしめ、明日に自分の命があるかも分からず生きる子ら。

神など信じられるはずもなく、己の智と力のみで生き残らなければならない。その内の一人であった自分。

泥水を啜って生き残り、気付いた時には傭兵になり、幾度の修羅場をくぐり抜けていく内に、『生ける伝説』とまで呼ばれるようになった。

その伝説が最新兵器に敗れ、今や辺境の町の用心棒。

同業者が見たら――生きていればだが――どう思うだろう。そんな普段考えないようなことで思索に耽るアランだった。

「るるるーるーるー、とぅーとぅーとぅー」

突然、耳に底抜けに明るい声が入る。それは少し離れた一軒家からだった。

清廉な声。まるで歌手のようだ。

引き寄せられるかのように、声を頼りに元へと辿って行く。

無個性なコピー住宅が並ぶ中で、着いたその家は今時珍しい、一見して木造建てだと分かる家だった。

家の形も少々変わっている。記憶が確かなら、東洋に存在していた日本という国の家作りに近い。

となると住んでいるのは日本人か。

アランは物珍しげに、その家の前で止まっていた。

「あら、どうしました? 何か御用ですか?」

それほど広くはない庭で植木の花に水を撒いていた女性が、アランに声をかける。

柳腰の美人。一言で言えばこれに尽きる。ストレートロングの黒髪、柔和な思いを抱かせる眼と笑み。

マタニティドレスを着、腹は大きく出っ張っていて、臨月の妊婦であることが一目でわかった。

だがそれ以上に気になる事は、若い。幼いと言ってもいい。

物腰から察するに二十代そこそこと分かるが、外見はどう見ても少女そのものだ。

「・・・いえ。珍しい家だと思ったので、気になって」

「あ、わかります? 主人が設計したんですよ、故郷の家作りと同じにしたいって」

「へえ・・・」

横目で表札が見えた。

【Kou Krasawa&Senka Karasawa】

Karasawa。カラサワ。唐沢。どこかで聞いた名前だ。

たしか――。

「おおおぉぉい、泉花(せんか)。どこだぁー?」

抜けた男の声が聞こえる。夫か?

声の主は、玄関を開け、庭先へと躍り出る。

やたらガタイのいい男だ。顔つきから見て極東の人間かもしれない。着ている服は、たしか日本という国の作務衣という古い服だったはず。

「ん?」

気のせいではなく、どこかで見た覚えがある。記憶を引っぱり出ながら、男を見るアラン。

「あぁ、いたいた。泉花、花の水やりくらい俺がやるよ」

「あなたの水やりはいい加減なんです、劫(こう)。いつもバケツひっくり返したようなやり方なんですもの」

「それは・・・花だってそれくらいの量が喜ぶだろ、人間と同じく」

「花はあなたのアルコール摂取量と違って、適量でいいんです。わかりました?」

「・・・はい。ところでそこにいるのは、お客さんか?」

劫と呼ばれた男はアランを見る。二人は見つめ合った途端、同時に記憶が蘇った。

互いを指差す二人は驚いた面持ちで言う。

「昨日の格納庫の!」

「昨日のレイヴン!」





エミールは珍しく、興奮して笑っていた。

知人からはと呼ばれるほど冷めた性格の彼が、直情的に喜ぶ姿など見た人間はほとんどいない。

彼は今、デスクで一枚の書類を見ている。ただそれだけで彼は笑っているのだ。

(間違いない。これなら上手くやれる・・・!)

書類は、アランの生体データ。フィオナが救助した際に調べたものだ。

そこには彼を喜ばせる記述が記されている。そして、それを見た途端、彼の頭脳は一見馬鹿げているとしか思えない発想へと行きついた。

無謀と言う人間もいるだろう。そして人を人とも思わぬ所業とも言うかもしれない。だが、これはアナトリアを救う唯一の方法だ。

エミールは直ぐに関係者を集めるべく通信を入れる。傍から見れば、狂気を孕んだ笑みを浮かべて。











「いやなんとまぁ、こんな所でアナトリアの救世主に会えるとは光栄だ」

「ええ、昨日は助けていただき本当にありがとうございます」

この夫妻、唐沢劫と泉花は救世主とはいえ、余所者であるアランに非常に好意的だった。

彼を見るなり、「一緒に飯でもどうだ」とほぼ強引に家に招かれ、いつの間にか朝食を共にすることになってしまっている。

テーブルに置かれているのはアランには見たことのない、東洋の食べ物がずらりと並んでいる。

ただ一つ気になるのは、椅子がないとどうも尻が落ち着かないことだ。日本では椅子ではなく床(正確には座布団と呼ばれるマット)に座るのが基本らしい。

「ごめんなさい。私たちのご飯はいつも和食なんです。お口に合わないようでしたら残して――」

「いや、何年か前にニホンの食べ物を食う機会があったから大丈夫だ。それに美味くてヘルシーだと聞いている」

「だからと言ってたくさん食ったり、調味料をたらふくぶっかけていいもんじゃないぞ」

「アランさん、これなんかいかがですか?」

泉花が薦めたのは、茄子の味噌漬けだった。だが茄子も味噌も見たことのないアランには奇天烈な料理にしか見えない。

「なんだこりゃ」

「茄子の味噌漬けさ。うまいぜ、特に白米と一緒の食うとな」

「ナス? キノコか?」

「お前は何を言ってるんだ」

そう話しこんでいると突然、ドアを二、三度叩く音が部屋に響く。そうえいばこの家にはインターホンが見当たらなかった。

唐沢一家が使わないだけか、それともニホン人はインタホーンを使わない民族なのか?

どちらにせよ少々変わっていることに変わりはない。

「はぁい、どちらさまですかー?」

「おいおい、身重が走るな。俺が行くって」

「いいんです、劫。私が行きます」

玄関へと向かう泉花。朝早くに一体誰だろう。時間帯を考えない訪問だとすると、研究所の人間かもしれない。

泉花は到着すると何の確認もせずドアを開けた。一見不安全に見えるが、アナトリアの住民は物騒な事とはほとんど無縁であるので、客にこのような対応をするのはごく一般的である。

余所者は例外であるが。

「あら、フィオナちゃん。おはよう」

「おはようございます、センカさん。ごめんなさい朝早くに」

朝早くから茶のスーツを着込んでいるフィオナ。アナトリア官庁で働ている彼女が来たということは、機体整備絡みに違いない。

「いえいえ。でもこんな朝早くに用ってことは・・・劫絡み?」

「はい。エミールが官庁で呼んでいると伝えて下さい。詳しいことはその場で話す、と」

「了解。でも電話が指定された距離以上じゃないと使えないっていうのも不便ね」

「アナトリアも切迫しているので・・・ごめんなさい」

「まあ付き合いってのは面と向かった方がいいものね。あ、そうだフィオナちゃん、朝ご飯食べていきなさいよ」

「ええ? いいですよ、そんな」

「いいのいいの。研究所の不味くて少ないご飯じゃ食べた気にならないでしょう」

確かに、とフィオナは内心苦笑して納得する。あそこの食堂のメニューはどれをとっても美味しくない。

それはお前がお嬢様育ちで舌が肥えているからだ、と指摘する人間もいるが。

「うーん・・・それじゃあ、甘えちゃいますね」

泉花の作るニホン料理は、今ではフィオナの好物だ。中東では一風どころか、変り種と見られるニホン料理を作るのは彼女しかいない。

そしてアナトリアでも珍しい東洋の人間。それは夫もだが。

そもそも彼女らは七年前に、父エドガーが『良い腕の技術者』を雇ったとして連れてきた夫婦だ。

聞いたところによると、夫の唐沢劫は企業に属していた優秀な技術者で、妻の泉花は食品会社社長の令嬢であるらしい。

一体どういう経緯で、どんなロマンスがあったのか。聞いてみたい過去だが、聞いてはいけないだろう。

人の過去にやたら首を出すのは、仲が良くともやってはいけないことだ、

「さあ、上がって。ご飯冷めちゃうわよ?」

「はい。それじゃ、おじゃまします」

玄関に上がると、客がいるのか、見たことのない靴が一足あった。フィオナは小首を傾げてそれを見る。

それに気づいた泉花はニヤけた面持ちで言った。

「ああ、言うの忘れてた。昨日のアナトリアの救世主様がいるのよ、今」







「なあ、カラサワさんよ」

「劫でいい。アンタとは長い付き合いになりそうだからな。他人行儀なのもあれだろ」

「じゃあ俺もアレンでいい。で、コウ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「なんだ? 嫁のスリーサイズは絶対答えんぞ」

一瞬何を言っているのかと劫の目を見たが、厳しい目つきを見る限り、どうやら本気で言っているようだ。

アランは慌てて否定する。

「いやいや、俺が訊きたいのはだな、あんたが何でアナトリアにいるかってことさ」

「あ?」

「昨日ACを操縦してわかったんだが、機体整備の行き届きが素晴らしかったよ。標準型ACなのに、ハイエンド型AC並みの動きのキレができた。あれは相当腕が良くなければできないな」

「かもな」

「その若さであれほどの技術なんだ。企業に属していてもおかしくはない。だろ?」

「・・・ご名答。俺は元々企業所属のACの一整備士だったのさ」

茶を一口啜ると、劫は苦笑を浮かべて語り始める。

どこか懐かし気に、そして嬉しそうに。

「まあ、自分でも機体整備の腕には自信がある。だが、ちょっと腕を見せすぎたせいか、二十一で――まあ、アレだ。指示をだけ出す役職に就いちまってな」

「おいおい、二十一でって・・・あんた筋金入りの天才じゃないか!」

「でもな、俺って指示出すより自分でやりたい性分なのさ。で、退屈だと思っていたころにイェルネフェルト教授と知り合って、アナトリアに誘われたってやつさ。妻との馴れ初めのその頃だ」

「随分タフな嫁さんだよな。ヤマトナデシコってのは、ああいうのを言うのか?」

「いやいや、アイツは仕事が仕事ならバリバリのキャリアウーマンさ。それと大和撫子はな――」

「あら、私が大和撫子ですか? 嬉しいこと言ってくれますね。でも、それはフィオナちゃんに一番似合う言葉だと思いますよ」

「? ヤマトナデシコ、ですか?」

笑顔の泉花とフィオナが現れる。

「あなた。エミールさんが至急官庁に来いって言ってるらしいですよ。多分、機体の整備関係かも」

「何、エミールが? こんな朝っぱらから何だってんだ、飯も食い終わってないのに。泉花、昼飯頃には帰ってくるから、メニューは朝の残りでいい」

「後で私がお弁当、持っていきますよ?」

「駄ー目ーだ。臨月だろ、お前は。安静にしてろ。そんじゃあ、行ってくるぜ」

キザっぽくウインクをすると、劫は駆け足で去っていく。

居間に一瞬、静寂がやって来たが、すぐに終わった。

泉花とフィオナはアランと対面するように座る。

「あのセンカさん、ヤマトナデシコって何ですか?」

「大和撫子は日本の、女性への褒め言葉ね。清楚で凛としてて、慎ましく、そして男を立てて男に尽くす女性の事を言うの。ね、フィオナちゃんにぴったりでしょ?」

「俺もそう思うな。フィオナちゃん、そこらの女性よりずっと落ち着きがあって、なお且つ綺麗だ。こりゃ旦那になる男は相当な幸せモンだろうな」

「あ、ありがとうございます・・・」

褒め殺され顔を赤くして俯くフィオナ。

「まあ君みたいな女性は男が放っておかないだろ?」

「いえ、ラブレターや男性から告白を受けたことは一度も・・・」

「なに? こんな美女がいるってに声一つかけないだと?。目が狂ってるやつらが多いんだな、フィオナちゃんの周りにいた男は」

「び、美女・・・ですか?」

さらに顔を赤くするフィオナに、軽いひじ打ちが入る。

泉花だ。何か厭らしい笑みを浮かべている。

その笑顔をフィオナの耳に近付けると、ひそひそと囁くように言った。

「ちょっと、フィオナちゃん。もっと会話をしなさい」

「え? 何でですか?」

「何でって、貴女、口説かれてるのよ!」

「口説か――ええ!?」

「こんなかっこいい男の人に口説かれてるのよ。ほら、貴女ももっと積極的にアプローチしなきゃ」

そうは言われても、今まで異性を意識したことなど殆どないフィオナにとって、男性を口説くことなどできるわけがない。

確かにアランはハンサムだ。写真で見た、『アナトリアで一番のハンサムボーイだった』と自称していた父エドガーの若かりし頃よりも。

そんな男性が今、自分を口説いている。何故だろう、もっと綺麗な女性がいるだろうに。

フィオナはそう思いながらも嬉しく感じていた。胸がほんのりと暖かくなる、不思議な感覚。

「あ、あのっ、アランさん」

「ん?」

笑顔で返すアランが眩しい。それを見た途端に、フィオナは顔が熱くなるのを感じた。

心臓が飛び跳ねるように動悸し、暑くもないのに汗が噴き出る。

頭の中が真っ白になって、言おうとしていた言葉が忘却の彼方へと吹き飛んで行った。

その場で固まるフィオナ。

顔を真っ赤にさせ、口をパクパクしているのをアランは訝しげに首を傾げる。

「どうした、フィオナちゃん?」

「あ、い、いえ、その、え、と・・・!」

オロオロとし続けているフィオナを尻目に、泉花はニヤリとして呟く。

「恋ね・・・」










「入るぞ、エミール」

「ああ」

劫はアナトリア官庁執務室へと足を踏み入れる。そこにはエミールの他に、古参の住人、同僚の整備士、AMS研究所職員、計十人が肩を並べている。

このメンツが集まるとは、一体何が起こるのか、と劫は顔を渋めて考える。

「で、エミール。こんなに集めて何をするんだ? サッカーでもするのか?」

「・・・諸君、これから話すことは機密事項だ。血縁の者だろうと一切の口外を禁じる」

どうやら洒落を言う雰囲気ではないようだ。劫はエミールを囲むような人の縁に混じり、彼を見た。

「我々はあの余所者――アラン・フィラデルフィアを利用し、アナトリアを立て直す」




















時の流れは早く、アランがアナトリアの用心棒となり、そろそろ五年が過ぎようとしていた。

五年――。それはアナトリアが限界へと近づいている年数だ。

資金不足にあえぐコロニー。住民の暮らしも以前と比べると貧相になっていってしまった。それは大抵のコロニーでも同じ状況。だが、このままこの状態が続けば、アナトリアは崩壊する。

多くの住民たちはそれに確信づいている。だがエミールは何もしようとしていない。ただ傍観を決め込むのみ。

住民の一部は蜂起を起こそうと考えたが、たとえ彼を退かせたとしても、彼以上に人を導ける者はおらず、アナトリアの貧困がなくなるわけがない。

このまま餓死し、野垂れ死ぬやもしれぬと未来のヴィジョンが明確の物となっていく恐怖の中、生活していく人々。

それが変わったのは、ある初夏の日のことだった。











アランの朝は早い。

日の出と共にAMS研究所で宛がわれた自室のベッドから目覚め、食堂の不味い朝飯を食べた後トレーニングをし、ACでのアナトリア周辺の警戒を行う。

いつか終わるかもしれないが、いつもと変わらない日々。

「C地区、周辺調査終了。これより帰投する」

『了解。帰ったらお昼ご飯ね』

この五年で彼女は随分と変わったとアランは思う。初対面の際の、いかにもお嬢様であると言わんばかりの弱々とした雰囲気も、今では随分とタフなものとなった。

友人の劫と泉花曰く「フィオナは惚れた相手に合わせるタイプ」らしいが、そこで惚れた相手は誰だとたずねる気は起こらなかった。

言ってしまったが最後、酒の肴にされるほど質問攻めにされるのが落ちだ。

「ああ。研究所のクソ不味い飯は勘弁だなぁ」

『久しぶりに私が作りましょうか? ムサッカなんてどう』

「ああ。頼むぜフィオナ」

『ええ――ちょっと待って。レーダーに機影が出たわ。この大きさ・・・輸送トラックね。それにしてはやけに大きい』

「アナトリアに輸送トラックが? そんな話、聞いていないぞ?」

『待って、エミールに訊いてみるわ。アランはトラックの確保お願い。座標は07−3-22。そこから20キロね』

「了解。急行する」

――なんとなく。そう、なんとなくであるが、アランは嫌な予感がしていた。

戦士の勘とも言える。とにかく、胸騒ぎがして仕様がない。

できることなら係わり合いのない事であってほしいと願うばかりだ。

そう思いながら、機体を駆けさせていると、目的地の座標数キロ手前でフィオナから通信が入った。

穏やかな声音から察するに、敵が来たという話ではなさそうだ。

『アラン。機影のことだけど、どうもアナトリアの事と関係があるみたい。その事についてはエミールが説明するわ』

ふむ、と呟き首を傾げるアラン。輸送トラックについて、エミールは知っていてフィオナは知らなかった。

これはつまりトップのみしか知らない、隠匿性の高い情報なのだ。輸送されている物は、機密レベルの代物なのだろう。

(エミールめ、何を企んでいるんだ)

やはりあの男、腹に一物ある人間だ。

『その輸送トラックについてだが、それはBFFからの輸送トラックだ。話は私がつけておく。君は丁重に彼らを護衛してくれ。くれぐれも不遜な言葉をかけないでくれよ、レイヴン』

「ちっ・・・はいよ」

やはりこの男は、何年経とうとも生理的に嫌いだ。





「こちらはコロニー・アナトリア所属の傭兵、アラン・・・あー、アラン・イブニングミラーだ。こちらからのリーダーの命令だ。貴殿を護衛する、どうぞ」

偽名を使ったのは、自分が伝説の傭兵として広く名が知れ渡っている為だ。こんな辺境のコロニーに用心棒をしているなぞ情報が漏れ出してしまったら、後々面倒な事になる。

『こちらBFF社輸送車051-TC266。コロニー・アナトリアの方ですね、エミール・グスタフさんから話は聞いております。護衛をお願いします、オーバー』

Bernard and Felix Foundation――BFF。

欧州第一の規模を持つ総合企業であり、積極的な企業買収・合併を行い、単一企業でありながら多くの子会社を擁している。

精度の高い精密武器製造に定評があり、今搭乗しているノーマルACもBFF社製で、高精度の大型スナイパーキャノンが特徴だ。

そのBFFに、エミールは何を輸送させたのか。

アランは随伴する横で見て思う。

この巨大トラックが運んでいるコンテナは、超重量級の物資――つまりは兵器関連物資だ。

幅は目測で六、七メートルほど。だが全高はその二倍を超える。もしかしたら人型の兵器、つまりはACかもしれない。だがそうなると、何故今頃なのか?

自衛用の戦力を強化するという理由ならば話は簡単だが、その情報をわざわざ隠しておく必要がない。

となると、このコンテナには何が入っている――?

「・・・ゲホッ、ゲホッ。くっそ、やっぱり俺も年か」

ここ最近、やたらと咳き込む回数が多くなってきた。体も妙に重く感じる時がある。

鍛錬は行っていても、人間体力は落ちていくもの。老化のせいで、風邪でも引いたのだろうとアランはそれほど気にしないでいた。

元々、医者は嫌いだ。











アナトリアへと到着したコンテナはAMS研究所の地下施設へと運ばれた。何に使うかは伏せられたまま。

ACを降り、格納庫から出たアランは街へと行き、ある場所へと向かう。

――アナトリア中央公園。

コロニー・アナトリア唯一の公園であり、住民の憩いの場。そこでアランはある約束をしていた。

向かう場所は比較的広い原っぱ。そこには幼少から少年まで様々な年齢の男の子らが活き活きとした笑顔で待っていた。

「アランおじさんおそい」

「おじさん、今日はどんなお話聞かせてくれるの?」

「おれ、おじさんが一番危なかったって思った話が聞きたい!」

アランはたまに自分の戦場での体験談を、暇を見つけては子供ら――専ら客はやんちゃな男の子である――に聞かせているのだ。

アナトリアから出たことも、テレビから流れる外の情報しか知らない子供らにとって、自分の体験はとても新鮮のようで、目を輝かせて自分を見る彼らに、アランは自然と笑みがこぼれていた。

子供たちの輪の中心に入るアラン。座ると、

「さて、今日はどんな話をしようか?」

と周りを見渡す。

すかさずやんややんやと要望が入る。アランは頷きながら、一つの言葉に耳を傾けた。

「おじさんとおんなじくらい強いひとっているの?」

九死に一生を得た話はいくらでも話したがこの話題は初めてだ。

自分と双肩をなすほどの強いレイヴンは、たった一人だけ。一人だけいた。

「よし、じゃあ今日は俺と同じくらい強い奴の話をしよう」

しん、と周りが静かになり、男の子らは一言も聞き逃すまいと耳を傾け、真剣にアランを見る。

「俺と同じくらい強い奴は、たった一人いた。そいつは俺の相棒で、俺がレイヴンになるチャンスを与えてくれた、言わば恩人なんだ」

遠い目をするアラン。

かれこれ、二十年ほど前の話になるだろうか。

「ちょっとばかり歳は食っていた奴だったが、腕は超が付く一流だ。俺も奴とは敵として会いたくはないと思うほどに」

伝説のレイヴンも恐れる男。熱い視線がさらに釘付けとなる。

「国家解体戦争じゃあ見かけなかったが、多分、生きていると思う。俺がこうやって生きているんだから、死ぬがはずがない」

穏やかな笑みを浮かべ、虚空を見る。昔を懐かしむなんて、自分も老けてきた証拠だろうか。

だが三十三歳にもなれば、世間一般では老けてきている対象だろう。なんとなく、物悲しくなってくる。

思いため息を吐いたその時だった。一人の男の子が叫ぶ。

「あ、フィオナおねーちゃんだ!」

「ん?」

ちょうど前方からフィオナが走ってくるのが見える。急ぎの用か?

「アラン」と大きな声で呼んでいる。これは少々恥ずかしいものがあるな、と顔を訝しげる。

「ああ、アラン。ここにいたのね」

少し荒げた息を整えるフィオナ。吐息が悩ましく聞こえるのは男の性である。

「急ぎの用か? フィオナ」

「・・・ふぅ。ええ、そうなの。エミールがAMS研究所に来てほしいって」

「研究所に? 何の用で」

「ごめんなさい。訊いたんだけど、答えてくれなくて・・・」

「ふぅん」

黙秘。エミールの常套手段だ。それを使うのは大抵、自分に都合が悪いか、もしくは腹黒く計算をしている最中だ。

今回は恐らく後者だろう。何をしたいのかは分からないが、どうせロクでもないことだろう。

だが行かなければ後で愚痴られ、数ヶ月は貴重な食料の分量を少なくされる。それは勘弁願う以上、行かなければなるまい。

「オーケー。気は乗らないけど、行くとする」

はぁ、とため息を吐いて行こうとすると、服の裾を引っ張られる感覚。振り向くと、一人の幼い男の子が服の裾を引っ張っているではないか。

見るからに活発そうだ。しかも見覚えがある。悪い意味で。

「お前は何の用かな、シン」

「アランおじさん、いつフィオナおねーちゃんと結婚すんの?」

次の瞬間、シンと呼ばれた男の子の頭を掴むと、ギリギリと音が鳴るほどに万力を込める。

妙に明るい笑顔を浮かべながら。

「おまえはなー、シン。そう一言多いからパパンやママンからいつもゲンコツくらんだぞー。わかったかー?」

「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ。ごめんなさいごめんなさい。もうにどどいいません」

この生意気なことを言う五歳児の名は、唐沢慎。

唐沢夫妻の一人息子であり、アナトリア一の悪ガキと称され、名を知らぬものはいないほどの有名人だ。

両親は嘆き、悪さをする度叱ってはいるが、一向に反省する様子はない。

「子育てって難しい」と毎日呟くのは唐沢劫の談である。

「・・・・はあ。フィオナ、行こう」

「え? あ、そう・・・・・・ね」

頭を抱えて渋い顔をするアランと、目が遠い場所へといっていたフィオナ。先ほどの慎から受けた質問は、周りの大人からでさえ同じようなことを言われる。

やれ結婚はまだか、子供はまだかと何年も言われれば、流石に対応するのも億劫になる。

こんなにも言われて何も進展がないのは、アランが今更恋愛に負い目を感じ、フィオナが恋愛に奥手であるからだが。

だが常に肩を並べて歩く姿は恋人か夫婦のそれである。

「・・・フィオナ」

「?」

「もう少しだけ、待っていてくれ。もう少し・・・」

「・・・うん」

頬をほんの少しだけ赤らめる二人だった。








AMS研究所は地上だけでなく地下にも多くの施設が存在していることを知っている人間は多いが、詳細を知る人間はごく限られた人間のみだ。

全容を知るのはエミールを始めとしたイェルネフェルト教授の側近の研究員のみ。だがその側近たちも殆どが教授の死後に情報を持ち去って逃げ、今やエミールと僅かな数の研究員が知るのみだ。

エミールに連れられエレベーターで地下深くへと降り、ドアが開いた瞬間、体が急に強張る。往年の戦士としての本能が危険信号を発し、『この場所は危ない』と告げている。

「どうした、アラン・フィラデルフィア。そんな険しい顔をして」

アランの雰囲気に気づいたは珍しく笑みを浮かべてこちらを見る。

その笑みは不気味そのものであり、言葉とは裏腹に、心配しているようには見えない。むしろ小馬鹿にしているようにしか見えない。

やはりこの男とは仲良くなれそうにない――というより、なりたくない。

「なんか、胸がざわざわしてな。嫌な予感がするんだよ」

「ふむ、野生の勘というやつか。なかなかいいものを持っているな。流石だよ」

「どういう意味だ?」

「すぐ分かるさ」

そう言い、ドアの先にある薄暗い廊下へと足を踏み入れるエミール。対してその後ろに付いていくべきか迷うアラン。

あの男に付いていくと死神でも待っているような気がしてならない。それほどまでに本能が危ういと教えている。

(エミールめ、俺をどこに行かせる気だ?)

地下深くの研究施設。今ここにいるのはエミールと自分のみ。

まさか俺を殺す気かと、思案がよぎるが、それならばフィオナを使って呼ばず、自ら密かに呼ぶはず。

だとするなら、少なくとも暗殺される心配はないと見てもいいだろう。素人ならば殺気を出さずにはいられないからだ。

アランは数秒の思索の後、鼻を鳴らして嘲笑を浮かべ、エミールを追って行った。

(さて、蛇が出るか、それとも・・・・)







薄暗い廊下を何度も曲がり、そろそろ歩くのが飽きてきた頃、先導していたエミールは、一際大きく、厚いドアの前で止まった。

そのドアには

「どうした」

「ここは二つのカードキーを同時に読み込ませないと開かない仕組みでね」

そう言いエミールはアランに何かを投げ渡す。

――カードキーだ。

何をどうしろと言いたげな目をエミールに送ると、

「何をしている? キーを同時にやらないと開かないといっただろう」

この男、どこまで腹の立つ性格なのか。やはり後でふんじばらないと気が済まない。

そう思いながらも言われたとおりにカードキー読み込み口へと行くアラン。その顔は仏頂面の極みだ。

「いくぞ。1,2,3っ」

「ちっ・・・」

不本意ながら言われた通り、エミールと同時にキーを通すと、軽い電子音とは裏腹に、分厚い鋼鉄の扉が重々しい音と共に開く。

途端、薄暗い通路に、闇に慣れた夜目には眩しい光が差してくる。

アランは明るさに目を細め、手で光を遮ろうとする。

その光の中で、アランは、“何か”を見た。それはまるで――









アランは無神論者である。自分の育ったあの泥のような世界で神を信じる者は誰一人とていない。

だが、今のこの瞬間だけ彼は“神”を信じていた。

光の先に見えたのは、鋼鉄を身に纏った巨神だった。

鋭角的ながらもその巨体は逞しく、圧倒的な存在感、威圧感を放つ。

二本の足でそそり立ち、六つの目を持つ多眼のその機械神は、アランの目を驚愕とさせる。

「・・・おい。なんでここに・・・」

外見からしてACであることは一目瞭然だ。だが、この型のACが、ここにあるはずがない。

何故ここにある。アナトリアにある。

これは・・・。

「なんでネクストACがあるんだよ・・・!」

ネクストAC――六大企業の支配を確立せしめた絶対的な力、鋼の巨人、地上最強の兵器。

企業しか持ちえぬ機体が、何故ここに?

「知りたいか?」

いつの間に隣にいたエミールが機体を見上げながら言った。殺気を孕んだ視線を送るが、物ともせぬ様子でアランを見る。

「技術研究用“という”名目でBFFから借り入れたんだ。アナトリアはAMS技術発祥の街だからな、企業にはいくらでもコネはあるのさ」

「待て。借り入れた、と言ったな。いくらなんでもタダじゃないだろう。それにネクストACとなれば莫大な金だ」

「だろうな」

「・・・答えろ。――“どうやって”ACを借りた?」

問いに、エミールは平然と言い放つ。さも当然だと如く。

「勿論、アナトリアの残り少ない資金を使ったに決まっている。おかげでもう、アナトリアは逼迫という言葉すら――」

鈍い音が格納庫に一瞬響いた。激昂したアランがエミールの顔面を万力込めて殴ったのだ。

日々肉体の鍛錬を欠かさないアランから繰り出されたパンチに、只の研究員であるエミールが避けられるはずも無く。

唇が切れたのか、口端から血を流すエミール。起き上がろうと体を上げた瞬間、襟首を掴まれ、易々と持ち上げられる。

眼前には阿修羅の形相と化したアランがいた。

会って五年。ここまで彼の怒り狂った顔を見るのは初めてだ。

「俺はな、そういうタチの悪いジョークが嫌いなんだ。エミールさんよ、今の発言、取り消してくれないか?」

怒りに震えたアランの声がエミールに突き刺さる。しかし、エミールは億尾もせず、皮肉を笑みを浮かべている。

「生憎、ジョークはあまり好きではない性分でね。今の言葉は全て真実だよ」

「貴様――!」

殺意を籠めた鉄拳を目の前の屑に降らせようとした、その時だった。

「やめろ、アラン」

直前、拳が文字通り目と鼻の先となった瞬間、聞き覚えのある男の声が耳に響いた。

動揺が一瞬生まれたアランは、その拳を止める。

「そいつを殴っても、解決にはならないぜ」

「・・・コウ」

自他共に認めるアナトリア一の整備士、唐沢劫が何故ここにいるのか、アランには分からなかった。

「とうとう、この日が来たか」

アランを見る劫の顔は、無感情のようで、険しい。だが、慈しみのとも、諦観ともとれるような面持ちだった。

「エミール。お前説明もせずにここまで連れて来ただろ。だから殴られるんだ」

「仕方ないだろう。説明したところで快諾するはずがないからな。ここで話したほうがこの男も首を縦に振らざるを得なくなる」

「相変わらず人が悪いな」

なにやら当人の知らぬ間に話しが進み、アランは次第に分けがわからなくなり、眼前のエミールを床に放り投げると、劫へと詰め寄っていく。

「コウ、何がどうなっているのかちゃんと説明してくれ。お前、エミールと何を企んでるんだ? あのネクストACは何だ? 」

鬼気迫った眼光で睨めつけるアラン。それを真正面から受け止める劫。

何秒、何分かの静寂の後、劫は重い口を開き、言った。

「・・・わかった。ありのまま話そう、アラン。エミールの――俺たちの計画を」








きっかけは、アランを助けた際に採った生体データだった。

この地アナトリアでの生体データ採取は、ネクストACの操縦に必要な天性の素質、AMS適性も調べる事ができる。

生ける伝説と呼ばれたレイヴン、アラン・フィラデルフィアにも、その資質があったのだ。

――AMS適性のある傭兵。

この言葉が脳裏を過ぎった瞬間、エミールはある妙案を思いついた。

ここアナトリアで、リンクス――ネクストACを使った傭兵業を執り行う。

リンクスとネクストACは今現在、企業のみが持つ最高戦力である。ネクストACの戦力は、場合によってはノーマルACの一個中隊、或いはそれ以上の戦力ともなるといわれている。

その最高戦力を商品として売り出す。

まず釣り餌に食らいついたのは六大企業の一角、グローバル・アーマメンツ・アメリカ――GAであった。

GAは、GAアメリカを頂点とし、欧州法人GAヨーロッパ――GAEと、ハイテク電子系を母体としているMASCインターナショナル、ロケットエンジン技術を尤も得意とするクーガー、軍用車両、炸薬系実弾兵器に定評のある有澤重工。

これだけの工業能力がありながらも、GAにとって唯一の欠点――コジマ技術とネクストACの開発においては他社と比べれば遅れを取っており、ネクストACの保有戦力も圧倒的に少ないことが上げられる。

このバックボーンがあったからこそ、GAはネクストACによる傭兵業を受け入れたのだ。

「すまない、アラン。今まで黙っていて。いや、謝って許されることじゃないな」

「・・・フン、だろうな」

アナトリアを立て直すためとはいえ、たった一人に負担を押し付けている。それも友人であるアランに。

劫は当初猛反対したが、ならば家族と共にアナトリアで死ぬか、と問われた彼は、首を横に触れるわけが無かった。

「・・・それと、お前にはまだ隠している事がある」

「チッ。何だよ、これ以上まだあるのか?」

いい加減にしろと言いたげに天を仰ぐアラン。居た堪れない面持ちの劫は何度か視線を泳がすと、意を決して彼を見た。

「・・・ああ」

それは彼への死刑宣告にも等しい言葉。

言いたくない。だが、言わなければアランは後々にもっと苦しむ事になるのだ。そして自分も。

「アラン。お前、体調が悪いと感じたことはないか」

「む? あると言えばあるぞ。ここ最近、体が重く感じるし、たまに咳が酷くなる時がある。まぁ、年取って体が弱ってきてるんだろうよ」

「医者に診てもらってないのか?」

「ああ。病院はあまり好きじゃないんだ。注射が嫌いなもんでね」

半ばふざけた調子だが、事実、アランは注射嫌いであり、病院も嫌いだ。この五年間どんなに体調が悪くとも、「寝れば治る」と意地を張り続け、フィオナに子供のようだと笑われている。

「じゃあ、ここに来てからは一度も検査を受けた事も?」

「今言っただろう。病院は好きじゃない。俺が病院に行っていないことがそんなに悪いか?」

ため息交じりの言葉に、劫は居た堪れない面持ちで目を逸らす。

そして、何かを言おうと口を動かそうとしているが、間誤付いているだけで中々言葉が出ない。

彼らしくない。普段からざっくばらんな性格の男にしては。

不信感ばかりの募るアランは、

「コウ。正直に言ってくれ。包み隠さずに」

「アラン・・・・わかった。言おう。お前に、真実を」

劫の目が、真っ直ぐにアランへと向けられる。先ほどまでの迷いを纏った目は、もうない。

「お前はもう、長くは生きられない。コジマ汚染によって、な」

静寂が支配する。二人は何も言わない。

いや、アランは発言が理解できず固まって、劫は彼の反応を待っているのだ。

汚染とは、長く生きられないとは、何だ。どういう事だ。そもそもコジマ汚染とは何だ。

頭の中で疑問がぐるぐると螺旋を描き、そのままバラバラとなって墜ちていく。

「その分だと、コジマ汚染が何なのかも知らないようだな」

いつの間にか身なりを整えて立っていたエミールが言う。本人曰く『友好の笑み』という嘲笑を浮かべて。

この男の笑みはやはり、癇に障る。五年前からそうだ。

コイツだけには笑われたくない。絶対に。

「エミール」

「わかっている、劫。話そう、一から十まで全部」








五年前と同じく、エミールは丁寧に解説してくれた。

アランの体を蝕んでいるというコジマ汚染とは、ネクストACのプライマルアーアーマーから放出されたコジマ粒子が原因だと。

コジマ粒子は様々なテクノロジーに応用が利く反面、広範且つ長期、致命的な環境汚染を引き起こす危険物質でもあったのだ。

彼の場合は、アナトリアまで逃げ延びる際に、ネクストACが駆った戦場を知らずに歩いた事が原因だろうと判断された。

ここ最近の体調の悪化は前哨に過ぎない。いずれはもっと酷い状態になるという。

――汚染された身体は、寿命を迎える前に確実に死んでしまうだろう。

エミールの言葉は真理であり、残酷であった。要は、残り少ない余命をネクストACの搭乗者、傭兵として全うしろ。

加えて、ネクスト操縦者は常にコジマ粒子を浴び続ける為、そうじて短命だと言う。

そう、アナトリアの為に死んでくれ。こう言いたいのだ。

アランは迷った。住民とは五年間の付き合いがあるとはいえ、『街の為に命を捧げてくれ』と言われても、直ぐにイエスと言えるほどの、勇気は無かった。

ノーと言えば自分も含め、アナトリアの住民は飢え死にだ。

薄汚い傭兵である自分を快く受け入れてくれた住民たち、いつも話をせびる少年少女たち。そして、フィオナも。

答えは明白かもしれない。言葉も少ない。けれど、口に出していうにはあまりも重過ぎる言葉だ。

イエス。この言葉がこれほど重いと感じた事はなかった。アナトリア全住民の命という重責は、一傭兵には荷が重い。

だが、アナトリアを救えるのは自分しかいない。

この事実は変えられない。

「コウ。俺は、ようやくアナトリアのみんなに恩返しができそうだ」

「え?」

余命を病人として無意味に過ごすか、それとも傭兵として生きるか。

決着は着いた。人身御供として生きる道を、死出への戦いへと征くことを。

「エミール。やってやろうじゃないか、前代未聞の、傭兵業ってのをな」

アランの言葉に、コウは口を開けて呆然とし、エミールは相変わらずの無表情で「ありがとう」と言った。

(フィオナが聞いたら、怒るだろうな)

癇癪どころでは済まないだろう。さながら炉心融解とも言うべき激昂状態になるだろうか。

それでも、アランには何故か笑みが浮かべられた。それは人生への諦観の笑みにも見えた。












アナトリアが、アランが傭兵業を始めるという情報は、その日の夜、全住民へ公示された。

この情報開示に、反対意見を言う者は少なくなかった。だが、劫と同じく、他に生き延びる手段があるかと訊かれれば、皆、口を閉ざすしかなかった。

アランは、こんな傭兵のために文句を言ってくれるだけでもあり難いと思った。

だが。

「馬鹿ッ!」

鋭い音と共に、涙を浮かべるフィオナは、研究所から走り去っていった。

ロビーに残るのは、頬に真っ赤な手形を残したアラン。

予想はしていた。こんな非道な行いを彼女が許すわけがないと。それでも自分はやらねばならない。

皆が明日を生きられるために。この身を犠牲にして。













翌日、早速ネクストACに乗るための作業が始まった。

まずは機体を操縦するために、体に改造手術を施すことからだった。

ネクストACを操縦するには、パイロットの脳と機体を電気信号的に接続しなければならない。その為、脳にナノマシンを、脊髄に接続端子を埋め込めなければならない。

手術が終わった後、全身麻酔から目を覚ましたアランに、エミールはこう言った。

「おめでとう。今のこの瞬間から、君はリンクス(LINKS)だ」

鴉(Raven)から山猫(Lynks)か、とぼやくアラン。

リンクス。ネクストと繋がる者。世界最高の力を手にした者の称号。

これでもう後戻りはできない。後はもう、死が最後までやってくるまで、だ。

さらに次の日には、AMSと機体との接続訓練が行われた。

だがその日のことをアランはあまり覚えていない。

いざネクストと自分を接続し起動した途端、脳が灼きれてしまうほどの情報の津波に飲まれ、奇声とも聞こえる悲鳴を上げて、意識を失ったからだ。

ネクストはパイロットの思考によって動く。だがBMIとは一般的に脳にかなりの負担をかける代物だ。

元々AMSは身体障害者用に発明されたものらしいが、脳と神経に高負荷をかけてしまうが故、実用化には至らなかった。

AMS適性という天性の資質が高ければ、負担は少ないが、アランの適性はお世辞にも高いとはいえないものだ。

何度も吐瀉し、血反吐も吐いたが、アランは耐えた。耐えたのだ。

そして、訓練開始から二ヶ月。アランは、アナトリアから少々遠くにある野外訓練場にいた。

気づけばアランは、己が意のままにネクストを操れるようになっていた。

ネクストに接続する度に、凄まじい負荷が襲い掛かるが、アランは、文字通り己が身を粉にして耐えた。

標的を、神がかり的な精密さと速さで射抜くアランのネクスト。

機は熟したなと、エミールは珍しく、嬉しそうに呟く。傍らのフィオナは、沈痛な面持ちでモニターを見続ける。

しかし、ただ見ているだけではない。

「標的の全撃破を確認。次はレベル5、無人MTを出します。実戦に備え、実弾を装備しています。気をつけてください」

フィオナは考えた。彼のために、己を犠牲にしている彼に、何ができるか。

AMS適性のない自分では共に戦うことなどできない。

なら、非力な自分に何ができるだろうか。

彼女が選んだ戦いの道は、彼をオペレートすることだった。エミールに誘われたものだ。

オペレーターはレーダー索敵の都合上、最前線に赴く事になる場合が多い。アランほどではないが、危険はある。

それでもいい、と彼女の意志は固かった。

たとえ死が待ちうけていようとも恐くなかった。彼と一緒なら、死が最後にやってこようとも。








老いたエミールは語る。




第一人者の死と盗まれた技術。彼女の救ったあの男、伝説的なレイヴンと技術研究用のネクスト機体。

唯一の商品性を失った技術の専門性を失い、深刻な経済状況にあったコロニー・アナトリアにとって、生活の糧としての傭兵は必然的な結論だった。

私はあの男を利用し、その為に彼女を利用した。

是非も無い、あの男にしかできなかったのだから・・・。










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