「待たせたな。スケアクロウ、メイプル」


 メールで指定された場所『マク・アヌ』のクエスト屋の前でハセヲは二人にそう言った。


「おー、来た来た」

「こんにちは、ハセヲ」


 図体のいい男と、対称的に背の低い少女が、各々の応答を返す。


「今更だけどよ、先に俺らの頼みごと聞いてもらっちまってもいいのか?」

「アリーナは明日からだ。今日は暇だったしな、構わねえよ」


 どのみち何かやってねえと気が済まねえしな、と付け加える。

 昨晩からひどく気分が悪かった。体調的なことではなく、精神的なものだ。ろくに寝付けず、浅い眠りで数時間を寝ただけだった。その上気分の悪さは先日のまま。何かで気を紛らわせていなければ、どうにかなってしまいそうだった。それというのも全て――


(あの女のせいだ……クソ!!)


 苛立ちが募る。昨晩は目を閉じるたび、瞼の裏にあの場面が映っていた。志乃の顔で『立ち止まれ』などというふざけきった事を、どこまでも真剣な顔で言った、あの場面が。

 似ているのは外見だけだ。あれは志乃ではない。何度そう言い聞かせようとも、映像は苛むようにフラッシュバックを繰り返す。

 正視に堪えれず目を開ける。しかし疲労した身体は睡眠を要求し、目を閉じれば精神がその映像を拒絶する。終わりのない責め苦、廻り続ける悪循環。時間と共に精神が蝕まれ、同時に怒りが育まれていった。

 あの女に対する怒りではない。自身に対する怒りだ。

 あの言葉を聞かされる度に、あの表情を見せられるたびその度に、欲求に押しつぶされそうになった。

 少しぐらい立ち止まってもいい。闘い続けなくてもいい。どうせ誰も見ていない、ほんの少しだけでも休んでしまえばいい。そんな悪魔じみた誘惑が断続的に押し寄せ、その度にそれを跳ね返し、そんな事を僅かなりとも考えてしまった自己嫌悪で怒りが芽生える。

 『ハセヲ』は闘い続けた。あの日からずっと闘い続けた。闘って闘って闘って、その末に闘うことに疲れてしまった。そんなものは全て言い訳に過ぎない。

 彼女は今も闇の牢獄に囚われている。彼女はこうしている今も地獄にいるのだ。それと比べれば、今の自分はどれほど楽な状況だろうか。なにせまだ生きている。意識がある。痛みを感じれる。食べれる。喋れる。動ける。

 これほどまでに恵まれた状況下で、痛みを感じれず、物を食べることも出来る、喋れず、動けない彼女を放っておいて休みたいなどと、そんなことふざけた事が許されるはずが無い。

 『ハセヲ』は彼女を救えるその時まで、休むことなど許されない。


(とりあえず、今は目の前のことを考えなくちゃな……)


 あの女のことは忘れていい。あそこまで言ったのだ、偶然でもなければ二度と会うことも無いだろう。

 幸いにして出場メンバーは得られた。その実力もそれなりのものだ。数合わせ程度にしか期待していなかったのだが、嬉しい誤算だった。

 あとは協力条件、クエストの手伝いをすればアリーナのメンバーは確定となる。それから後は簡単だ。アリーナで戦い、踏み躙り、のし上がり、そしてエンデュランスと接触を果たし、『G.U』を利用して三爪痕の情報を得る。

 なんの問題もない。なにも気にするようなところは無い。ハセヲはそう締めくくり、スケアとメイプルとの会話に意識を戻した。


「あとよ、俺のことはスケアでいいって。スケアクロウって長えだろ?」

「わかった、スケア。で、協力して欲しいクエストってのは?」

「おぅ、期間限定のクエストらしくてな。なんつったっけ……『誰彼をめくる桃』だっけかな」


 随分と珍妙な名前のクエストだな、とハセヲは眉をひそめた。

 クエストは一癖も二癖もあるような、面倒で凝ったものが多いせいか、名前も無意味に捻ったものが多々見られる。このクエストもその手合いのものだろうか。


「『黄昏を巡る者』だよ」

「あー、そうそう。それだそれ」

「ぜんっぜん違うじゃねえかよ……」


 メイプルの指摘にあっさりと同意するスケアにジト目を向けた。


「そか? 結構惜しかったと思うんだが」


 ……やはり、人選にミスがあったかもしれない。ハセヲは軽く後悔を覚えた。

 確かに戦力としては申し分ない。単体での能力も、初心者にしては飛び抜けて優秀だ。その上コンビネーションも良く、PKを追い返したという気性も評価に値する。

 だが、戦力以外の面で色々と問題がありそうな気がしてならない。これ以上の厄介ごとを抱え込む余裕は無いので出来れば避けたい種類の人間だったが、この際贅沢は言えない。


「回復アイテムとか買ったか?」

「うん、私はカバン一杯に持ってるよ」

「俺もだ。アイテムは十分に持ってる」

「おし、んじゃクエスト受けるぜ!」


 スケアがクエスト屋のNPCに話しかけた。二、三ほど簡単な会話を済まし、クエストを受諾する。

 やがて依頼人――目つきのギラついた、ずん胴で背の低いNPCがのそのそ歩いて現れた。やけに饒舌で長ったらしい前口上を省き、依頼の内容を簡潔にまとめるとこうなる。


『闇に満ちる幾重の門、その奥底の神殿。そこに正体不明の強いカゲが現れた。討伐し、その証拠を持ち帰って来い』


「……カゲってなんだ?」


 首を捻り、腕を組んでスケアが疑問を浮かべる。


「うーん……闇属性のモンスターかなにかかな」


 メイプルが考え込む。妥当な線だが、与えられた情報からはそうだと言い切ることは出来ない。

 この手のクエストは志乃と何度か攻略したことがあるが、依頼の内容からは予測も出来ないことが起きたこともある。


「こういう手合いのクエストは実際に行ってみないとわからねえよ。行こうぜ」


 親指で背中越しにカオスゲートのある広場を指す。応じるようにスケアが声を張った。


「よっしゃ、んじゃ行くか! 初めてのクエストだし、気合入れねえとな」

「初めて?」


 スケアの言葉を聞きとがめる。初心者とは聞いていたが、これほど上達しているのにクエストもしたことがないのか、と。


「うん。今までレベル上げしかしてなくて……クエストは初めてなの」

「ふーん……それにしちゃ、ややこしそうなクエスト選ぶんだな。モンスター退治以外にも、クエストなら色々あるだろ」

「いいじゃんいいじゃん、気にすんなよ。ちょっとした理由で前々からやりたかったクエストなんだよ、これ」


 な? とスケアがメイプルに同意を促す。メイプルがやや困った表情を見せながらも、コクンと頷いた。

 怪訝そうなハセヲ先頭に、カオスゲートのある広場へと歩みを進める。道中……といっても数分程度だが、スケアとメイプルが楽しそうに談笑していた。時たま話を振られたが、適当に返事をするに留めた。

 二人は『The World』を楽しむことの出来る、一般的なプレイヤーだ。必要以上に交わる必要は無い。自分とはプレイをする目的自体が、違う。

 橋を越え、カオスゲートの広場に着いた。ゲートを起動させ、エリアワードを入力する。ワードは――


「『絶え間なき 迷走の 影法師』――だったな」


 ワードを打ち込む。カオスゲートが混沌の扉を開き、目的地への道を繋げた。


「準備はいいか? 転送するぞ」


 確認を取り、ハセヲたちは光となってゲートへと飛び込んだ。




















「へぇー、来たこと無いタイプのダンジョンだな」


 転送されてきたのは古代の神殿のようなダンジョンだった。石造りの回廊にうっそうと草が生い茂り、人々の記憶から忘れ去られた遺跡を思わせる。


「俺も来たことない。イベント専用のダンジョンだな、こりゃ」


 クエストでは専用に特別のエリアが用意されることがある。今回もその手のものらしい。幾百のエリアを巡ったハセヲでも見たことの無いダンジョンだった。

 周囲には特に異常はない。三人は奥に続く回廊へと足を踏み入れた。

 それから数分経った頃だろうか、ハセヲの後ろを歩いていたメイプルが口を開いた。


「そういえば、まだ名前しか言ってなかったね」


 ハセヲが振り向くのを待ち、改めて、と前置きをしてメイプルが頭を下げた。


「魔導士のメイプル。『The World』を始めたのは最近の初心者だけど、戦闘には自信があります。よろしくね、ハセヲ」

「お、んじゃ俺も改めてっと。撃剣士のスケアクロウだ」


 スケアがおもむろに大剣を引き抜き、掲げる。


「プレイを始めたのは、メイプルと同じく最近だ。PCとはあんまし戦ったことねえけど、それなり自信あるぜ? 年は十七。現役ばりばりの青春まっしぐら、花も恥らう高校生活満喫中! どうよ、うらやましいだろ? 最近の趣味はバイクで好物はリンゴ、マイブームは――」

「“憤怒の爆炎《バクドーン》”」


 溜息混じりの呪紋に応じ、精霊たちが炎と化してスケアに襲い掛かった。やる気のない主人の命に忠実に従い、てきとうにスケアを焼き始める。

 それでも呪紋の威力は確かなようだった。台詞を中断させられたスケアは盛大に燃え盛り、数秒たって黒焦げのよく分からない物体へと姿を変えた。

 ブスブスとくすぶりの煙をあげるその物体を見つつ、ハセヲはメイプルに問う。


「……いつもこうやって止めてんのか?」

「うん。こうしないと止まらないから」


 苦笑しつつ、メイプルは黒焦げの物体に目をやる。傍から見ていると、まるで悪戯好きな子供を見るような母親の目だった。見ているのが黒焦げの物体で無ければ、の話だが。

 凄まじくシュールな光景だと思っていると、おもむろに煤だらけの物体が立ち上がり、湯水の如く回復アイテムを使用した。洗い流されるように黒一色の身体に色が戻り、


「いきなり何しやがる!?」

「つまらないことこの上ない話がダラダラと続きそうだったから、止めておいたほうがいいかな~って」


 メイプルがにこりと微笑む。台詞と表情が1ミクロンたりとも合致していない。どうやら本人に悪気は全く無いらしい。

 地面に両手両膝をついて落ち込み始めたスケアを横目に、ハセヲは声を放った。


「俺のことは聞いてるか?」

「ん? あぁ、シラバスたちから聞いてるぜ。大体はだけどな」

「んじゃ、俺は改めて説明する必要もねえな」

「おいおい、あくまで大体だっての。ちゃーんと自己紹介はするべき――」

「スケア!!」


 鋭く叫んだメイプルの視線の先、黒い何かが牙を剥いて飛び掛ってきていた。

 スケアの反応は速やかだった。垂らしていた大剣を、手首の動きだけで天井へと切っ先を向ける。幅広な大剣を盾として、襲撃者の攻撃を真正面から受け止めた。

 ハセヲが双剣を引き抜く。スケアの脇から滑り込むように前へと飛び込み、大剣に弾かれた襲撃者へと刃を振るう。

 ギン、という甲高い金属音。双剣は網のように広げられた爪で防がれ、敵はその反動で後方へと大きく跳躍した。襲撃者の全貌が三人の視界に捕らえられる。

 それは獣だった。猛禽類のような鋭い牙、長刃のような爪、強靭な脚を用いた狩人であるべき獣の姿をとっている。普通の獣と明らかに違うのはその身体の色。獣の身体は一切の光を拒むような、深い闇色をしていた。


「っと、なんだコイツ……どっから出てきやがった?」


 スケアが油断無く剣を構え、周囲に視線をめぐらす。

 右足を前に出し、左足は踵を浮かせてやや後方に置き、つま先で体重を支える。左手は自分の臍の前に、右手は自然に少し上にあたるように大剣を構えている。最も基本に準じた、青眼の構えだ。


(なるほど……判ってんじゃねえか)


 自然体で迎撃に備えつつ、スケアの構えを横目で見た。

 昨日は見られなかった構えだが、この状況では正解だ。敵の正体は未知、戦力も不明、そんな状況下ではまず相手の実力を測ることが必要となる。防御にも攻撃にも即座に応じることの出来るその構えは、この状況において正しい。

 ハセヲは満足感を得た。レベルとしての強さだけではなく、実力を最大限に生かす方法をスケアは知っている。これならば、アリーナでもそれ相応の期待が出来るだろう。


「スケア、右!」


 前衛二人の後ろに引いていたメイプルの警告に応じ、スケアが視線を指示された方角へ飛ばす。

 上半分が砕けた石柱。その影――死角ではなく、石柱によって出来た影が蠢いた。ぐにゃりと、歪むようにして影が実体化し、一匹の獣の姿となって飛び出してきた。先程スケアに襲い掛かったものより、一回りほど大きい。


「なるほど……これが『カゲ』ってことか」

「……つーことは、なにか? ひょっとして、そこらの柱の影とかにも……」


 スケアが呟いたのを合図とするように、至る所に出来た影が蠢き、実体化し始める。元となった影の大きさに準じた獣達が飛び出し、一個の群れを作った。


「“憤怒の爆炎《バクドーン》”!」


 メイプルの言霊が響いた。その魔力を糧とした黒の精霊たちが慌しく飛び回り、幾つもの火の玉を形作る。火球群は群れの中心に着弾し、カゲ――『シャドウ』が散り散りに逃げ惑う。その内の二匹の前にそれぞれハセヲとスケアが飛び込み、行く手を阻むように正対した。


「っらぁ!」


 スケアは豪圧を纏った大剣をカウンターで打ち込み、シャドウを真っ二つに切り裂いた。

 チラリと視線をやる。ハセヲも一匹のシャドウをバラバラにしていた。襲い来る二匹目に視線を戻しつつ、スケアは疑問に思う。


(弱すぎねえか?)


 ハセヲも拍子抜けしたような表情を浮かべていた。こちらと同じ疑問を抱いているのだろう。敵はなかなかに素早いが、それだけだ。攻撃手段も単調で、見切ればどうということはない。

 襲い掛かってきた二匹目の攻撃を屈みこんで回避し、懐から一息に切り上げる。先程よりのものより一回り大きいシャドウは天井に叩きつけられ、地面に落ちる。それきり動かなくなった。


「手応え無えなぁ……」

「ああ、妙だな」


 ハセヲが双剣を携え、スケアの横へと歩いてきて同意する。見ると五匹のシャドウがバラバラになっていた。こっちが二匹を相手にしている間に倍以上の数を切り伏せたらしい。


「メイプル、無事か?」

「うん。ちょっと驚いたけど……」


 と言うメイプルの隣には、もはや何匹分かも分からないシャドウが重なるようにして倒されていた。炭になっているものやバラバラに切り裂かれているもの、何かに潰されたようにして倒されたシャドウたちが積み上げられている。


「……ちょっと驚いて、それかよ」


 ハセヲが呆れ気味に言った。魔導士は格下に対しては特に強い。しかし、ほにゃりと微笑んでいるその姿と、数匹のシャドウを一蹴したその成果がまるで吊りあっていない。


「え? なに?」

「いや、なんでもねえ。とりあえず片付いたんだし、先行こうぜ」

「よし、今度出てきたら俺が纏めて相手してやらあ! あの程度ならいくら出てきても怖くねえしな」

「ほんと? じゃ次は任せていい?」

「おぅ、俺の活躍シーンを堪能しとけ」


 ふははははと哄笑を喚き散らしつつ、スケアが奥へと駆け出す。

 二人も追って駆け出したが、スケアは全力ダッシュで先へ先へと進んでいった。

 通路を抜けると、やがて一際大きい空間へと出た。円形状に切り取られた部屋。その正面にこれみよがしと大きな扉がある。

 スケアが扉に向かい無造作に進むと、それを阻むように三匹のシャドウが姿を現した。


「お、出やがったな。なんだなんだ三匹だけかよ、もっと纏めてかかってきやがれ! フハハハハハ――」


 スケアが吠える。と、それに応じるように、


「ギシャァ――――!!!」


 部屋の柱や瓦礫の影から数十匹のシャドウが一斉に飛び出し、扉の前に立ちはだかった。


「ハハハ―――――は?」


 天井から、床から、壁から、そこらじゅうの影から続々と実体化していく。大小様々な影の獣が牙を剥き、群れをなしてスケアを威嚇した。その数は控えめに見ても三十を下らない。しかもまだ増え続けている。


「…………」


 沈黙。

 哄笑が止み、スケアの口元が引きつる。首筋にたらりと汗を流したのを、ハセヲとメイプルは見て取った。


「あー……なんか、ちょっとばかし多いような……気が」


 スケアが引きつった顔でゆっくりと振り向く。視線の先のメイプルはにっこりと微笑んで、


「じゃ、頑張ってね♪」


 数十匹のシャドウがスケアへと雪崩の如く襲い掛かった。


「どわああぁぁぁぁぁ!?」


 ――三分後。

 二十匹ほどを切り捨てたスケアが必死の形相で助けを求めるまで、メイプルはしっかりとスケアの活躍を見届けた。

 ハセヲがそんな二人の様子を見て、やはり人選ミスだったのだろうかと思い悩んだのは言うまでも無い。




















「ま……まだかよ」


 シャドウの残骸の山を背にしてスケアがへたり込む。

 先程の戦闘が七回目となる。一回ごとに、つまり奥に進むごとにシャドウの数は多くなり、消耗戦を強いられた。一体一体が雑魚でも数が揃えば厄介だ。事実、先程の戦闘では後半になって苦戦を強いられた。回復アイテムの残数も心もとない。ハセヲとメイプルはまだいくつかを要しているようだが、スケアは既に使い果たしていた。


「マップ見る限りじゃ、次で最後だ。行き止まりの小部屋になってるからな」


 『妖精のオーブ』――マップを探索するアイテムを使ったハセヲが扉を睨む。ほぼ一本道となっていたこのダンジョンで、未踏の場所はこの先だけだ。


「もう少しだね、頑張ろ!」


 へたり込んでいるスケアの肩をメイプルが叩く。特性上、率先して先鋒を切っていたスケアが三人の中で最も疲労が顕著だった。


「気楽に言ってくれんじゃねえよ、こっちは最前線なんだぜ? もう少し休ませて――」

「“憤怒の爆バクドー――」

「だあぁぁぁ!? 解った、すぐ起きるからやめろ! もう回復アイテムも残ってねえんだぞ!?」


 慌ててスケアが飛び起きる。メイプルは呪紋の詠唱を中断した。その表情が多少残念そうだったのは何かの間違いだろう。

 メイプルにせっつかれ、スケアが渋々と扉に手をあてる。ハセヲはスケアのやや後方に待機し、メイプルは更にその後方にいる。扉が開くと同時にハセヲが飛び込み、スケアがそれに続く形だ。さしたる打ち合わせをしないまま、三人はそれぞれの役割を理解していた。

 スケアが二人を見る。視線で肯定の返事が返り、スケアは扉を押し開けた。

 扉が完全に開ききる前に、ハセヲが隙間から部屋に滑り込む。スケアが後ろに続き、メイプルが更に一拍を置いて部屋に入る。


「……あれ? モンスターいねえじゃねえか」


 スケアが拍子抜けした声を漏らす。ここまで来た部屋とは違い、柱や瓦礫による影もない。周囲の壁にとりつけられた燈台がぼんやりと部屋を照らす。それによって出来ている僅かな影も薄く小さい。

 ここまでの戦闘で、より濃い影から出てきたシャドウの方が強かった。影の濃さが戦力にそのまま直結するのだろう。逆に言えば、薄い影からは雑魚のシャドウしか現れない。この部屋の弱々しい光に照らされた薄い影では、実体化してもさほどの脅威も感じない。


「あ、あそこ。部屋の奥に祭壇があるよ」

「やけに派手な宝箱がのっかってんな。あれを取ればクリアってことか」


 スケアが祭壇に登り、宝箱の錠に手をかける。

 そのとき、ハセヲは経験上の直感から一つの疑問を感じていた。

 ここまでの戦闘でそれなりの苦戦はした。しかし、それは敵の数が膨大であるが故の苦戦だ。敵が強いゆえの苦戦ではない。

 このクエストを依頼したNPCは『正体不明の強いカゲ』が現れたことに対する問題の解決を求めていた。今まで、さしたる強いカゲは出てきていない。そしてこのクエストは――宝箱を手に入れることが目的ではない。

 ――罠だ。


「ちょっと待て、スケ――!」


 ハセヲが叫ぶ。だが遅かった。スケアが宝箱の錠を外し、蓋を開ける。

 次の瞬間、宝箱から凄まじいまでの閃光が放たれた。


「ク――――!」


 宝箱を中心として強烈な光が室内に満ち、その光によって色濃い影が三つ生み出される。

 スケアの背後、そしてメイプルとハセヲの背後。閃光によって出来た、三人の影が。


「なんだ!?」


 影が蠢き、実体化する。ただしその形状は獣ではなく人のそれ。シャドウはそれぞれ人間の形でその姿を露わにした。

 大柄のカゲは大剣を、痩身のカゲは双剣を、そして背の低い女性的なフォルムを取ったカゲは書物をそれぞれ構えていた。


「――ドッペル、ゲンガー!?」


 応える様に、シャドウがそれぞれの相手へ攻撃を仕掛けた。




















 速い。

 ハセヲは舌打ちを一つして応戦した。

 双剣を巧みに操って襲い掛かってくる敵の正体は聞いたことがある。映し鏡のように瓜二つな姿を取り、どこまでの深い闇で表面を覆った影のモンスター。プレイヤーの影である存在『ドッペルゲンガー』。

 時に繊細に、時に強引に、力と技が噛み合った攻撃を絶え間なく繰り出してくる。同等の技量で防御するハセヲにはその攻撃は届かない。だが同時に、同等の防御能力を有しているドッペルゲンガーにもハセヲの攻撃は届かなかった。

 実力が拮抗する、どころの話ではない。同等だ。

 力も、技も、速度も、そして戦術までも等しい。どちらも付け入る隙など作らず、またどちらとも付け入る隙など与えない。

 ――ゆえに、このままではハセヲの敗北は決定的となる。


(やつは――万全の状態だ。傷一つ無い、最高の状態で実体化した。だが――)


 それに対するハセヲは万全ではない。ここまでの戦闘で多少のダメージを負っている。呪紋でほぼ全快させてはいたものの、最高の状態ではない。

 拮抗が崩れていく。ドッペルゲンガーの攻撃が僅かにハセヲの身体を掠め、ハセヲの攻撃が徐々に余裕を持って回避されていく。ジリ貧だ、このままでは負ける。ハセヲは瞬時に判断を下し、声を張った。


「メイプル、スケア、交換するぞ!」


 交換する。

 ただその一言。

 それだけでスケアとメイプルはその意味を察し、部屋の中央に向かって走り出した。

 ハセヲもまたドッペルゲンガーの攻撃を弾き返し、中央へ駆け出す。二人の背後にはドッペルゲンガーがそれぞれ追っていた。恐らく自分の後ろにも同等の速度で追ってくるドッペルゲンガーの姿があるのだろう。

 二人の目を見る。スケアがハセヲの背へと視線をやり、メイプルは併走するスケアの背後に視線を飛ばした。視線の動きで意志を交わし、ハセヲはメイプルの背後を凝視する。

 部屋の中央に三人が到達し、交差する。次の瞬間にはそれぞれがドッペルゲンガーと再び戦闘を始めていた。

 違うのはその相手。三人ともが、先程までと違うドッペルゲンガーを相手としていた。

 まずスケアがハセヲとすれ違いざまに大剣を薙ぎ、その背後を追っていた双剣のドッペルゲンガーを吹き飛ばした。

 メイプルは中心に至ると同時に右、併走していたスケアへと振り向き、短く唱えた呪紋を放った。小さな竜巻がスケアの背後へと発生し、ドッペルゲンガーを拘束する。

 呪紋を唱えたことによって硬直したメイプルに向かい、呪紋を放つ魔典を掲げたドッペルゲンガー。それに呪紋が完成する寸前にハセヲが襲い掛かり、刃の柄で腹を打ち、呪紋の完成を阻んだ。

 戦闘相手の交換。これが、三人の導き出した現状の最良手段、そしてクエストを達成する為の唯一の手段だった。


「オオオラァアァアァ――!!」


 スケアが吼える。

 スケアはこれまでの戦闘のせいで三人の中で最も消耗していた。そのため、先程の戦闘では苦戦が顕著なものとなっていた。


「散々ボコってくれやがった張本人に仕返ししたかったことなんだがな……とりあえず、その貸しはオマエに払ってもらおうかぁ!?」


 怒り心頭といった様子で大剣を振るう。怒りのままに振るわれた大剣の一撃は双剣でさばききれるような軽いものではない。全ての武器の中で最重量、最高攻撃力を誇る大剣は双剣の防御をいとも容易く打ち破る。

 防御を突き破り、弾き飛ばし、壁に跳ね返ったところで更に追撃を加える。下段から石造りの地面ごと切り上げ、飛礫と大剣の両方でドッペルゲンガーを襲う。

 致命的な一撃クリティカルヒット。ドッペルゲンガーの胸に大剣が切り裂き、影色の血が舞う。そのままなす術もなく地面に叩きつけられた双剣のドッペルゲンガーはトドメの一撃をその身に受け、崩れ去った。


「――やっぱ偽者は偽者だな」


 スケアは崩れゆく影を一瞥して一言、


「アイツはこんなもんじゃねえ、最初の一撃を防御せずに避けてたはずだからな」


 顔をしかめつつ吐き捨て、ハセヲの加勢をすべく駆け出した。

 二人がかりで魔典のドッペルゲンガーを容易く始末し、最後に残った大剣のドッペルゲンガーを三人の一斉攻撃で沈める。苦悶の悲鳴も無く全てのドッペルゲンガーは葬り去られ、カゲは再びただの影へと還っていった。




















 マク・アヌのカオスゲートの広場。

 全ての街の中で最も多くの人間が訪れるこの街で、最も多くの人間が集まっている場所、それがこのカオスゲートの広場だ。

 その広場に新たに三人のPCが訪れた。転送された光を零しつつ、広場の出口へと歩き始める。一番後ろを歩くPC――メイプルが胸をなで下ろしつつ言う。


「ふう……強かったけど、なんとかなったね。けど、スケアの形をしてるドッペルゲンガーを倒すのは少し心が痛んだなぁ」

「おかしいな、俺にはオマエが凄まじい笑顔で呪紋を撃ってたように見えたんだが……」

「目の錯覚だよ」


 ね? と笑顔付きでメイプルは返答を返す。

 スケアは返答に窮し、とりあえずは気にしない方向にしておくことに決めた。


「漫才やってねえで、とっとと報告しようぜ。倒した証拠ってのはこれで間違いねえはずだしな」


 ハセヲは黒い石を手にしていた。何やら複雑な紋様の刻まれた曰くありげな石だった。閃光の放たれた宝箱の中から見つけられたものだった。

 あの石を手に入れる為には宝箱を開けなければならない。しかし、開ければ閃光が放たれ、その場にいた全員の影からシャドウ――ドッペルゲンガーが出現する。同等の実力を有するドッペルゲンガーの相手をしながら石を取り出すことなど出来ない。石を取って帰ることが出来るのは、ドッペルゲンガーを倒した者達だけということになる。証拠としては十分だ。

 カオスゲートの広場は街の中心地から海を隔てた小島にある。中心街との交通経路はマク・アヌ名物の黄昏が一望できる長橋のみとなる。

 橋を渡り、ギルドショップの立ち並ぶ商店通りに入る。カオスゲートから街に入る上で必ず通らなければいけない場所にギルドショップが置かれているのは商戦上の戦略だろう。行き交う人間に声をかけて客引きをしているショップがあれば、黙っていても人が押し寄せてくるようなショップもある。その商店通りの一角に、クエスト屋は置かれていた。

 受付のNPCに話し掛け、クエストの成功を報告する。


「はい、確かにこれは討伐の証拠品として十分ですね。こちらで預かっておきます。依頼人のディンゴさんをお呼びしますので少々お待ち下さい」


 報告を済まし、ハセヲは未だ何やらを言い争っている二人の元へと歩み寄る。数分もしないうちに依頼人がどこからともなく現れるだろう。しかし、ハセヲにはその前に聞きたい事があった。


「よう、お前ら」

「ん、どうしたの?」

「あんだ?」


 言い争い――と言っても、スケアが一方的にまくしたてていただけだが――を中断して二人がハセヲへ向き直る。


「なんでこのクエストを受けたんだ? 何か欲しい報酬でもあったのか?」


 真面目にハセヲは問う。それは道中で気になっていたことだった。

 クエストであれば他にも簡単なものはたくさんある。ラッキーアニマルの調査や、この世界の動力機構を支える生物『チムチム』の捕獲を頼んでくるようなクエスト、果てはイカれた迷子のロボットを探し出してくれなどという実にユニークに富んだクエストが数多くある。

 それは、通常のプレイでは体験することの出来ない、クエストならではの楽しさを含んだものだ。初めてのクエストであれば、そういった普段とは違う楽しみを得られるものを選ぶのが普通だ。

 しかし、今回のクエストはモンスターの討伐といった、普段やっていることとさほどの変わりの無いものだった。無論、謎解きや予期せぬ展開、いつもと違ったエリアに行けると言った普段とは違う楽しみを味わえはする。だが、モンスターを倒すのが主目的だという点ではいつもと変わらない。初めてであるにもかかわらず討伐クエストをわざわざ選んだことには何故か。ハセヲはそこにささやかな興味があった。


「おぅ、ちっと見てみたいものがあってな。このクエストの報酬でそれが見られるらしいんだ」

「見たいもの……限定アイテムかなにかか?」

「ちょっと違うかな。シラバスさん達が教えてくれたの、ハセヲとこのクエストをすればきっとそれを見られるだろうって」


 なんだそれは、とハセヲはいぶかしむ。

 具体的に聞き出そうと口を開いたところで、視界の片隅からノソノソとずん胴のNPC――依頼人のディンゴが歩いてくるのが映った。

 三人ともがディンゴに向き直る。


「よう……無事に、かどうかは知らんが影を倒してきたらしいな……ひよっこだと思ってたが、やるじゃねえか」


 芝居のかかった口調だとハセヲは感じた。

 それも当然。話している依頼人はNPC――プレイヤーの操作していないキャラクターだ。『The World』においてディンゴはそういった役割を与えられているのだろう。


「いいだろう……貴様の力を認めてやる」


 ディンゴが右手を突き出す。その指先から小さな光の玉が放たれ、ハセヲの胸を穿った。


「な――――!?」


 予想もしないことに、ハセヲは困惑する。

 ハセヲの身体がゆっくりと宙に浮かぶ。胸を穿った光の玉は膨張を繰り返し、ハセヲの全身を包み込んだ。


「さあ、目覚めるがいい……貴様の新たな力に!」


 ディンゴが鋭く放つと同時、光が紋様となり多重のリングでハセヲの身体を覆う。リングから螺旋の光が伸び、ハセヲの纏っている衣に注がれ始める。

 光は衣を分解し、新たな形で再構築をしていく。露出させていた腹部に新たな黒衣が巻かれ、肩にはプロテクターが、手には手甲が装着された。

 腰から下衣が伸び、脚部の防具も一回り装甲が厚くなり、その形状も微調整が行なわれより防御力の増す形に創りかえられた。


「これは――」


 全身の衣が一回り厚くなり、より頑強な形へと変貌を遂げた。身体の各所を露出させていた衣は全身を隈なく覆い、軽鎧へと再構成がなされる。

 最後に、光はハセヲの両頬を撫で、そこに刻まれていた紋様を分解した。

 雷の紋様は消え、新たに刻まれたのは風と雷の紋様。頬に鋭く刻み込まれた、戦士の紋様。ハセヲはこのとき、新たな存在として再び世界に降り立った。

 本来であれば二度と刻みなおされることの無い紋様。『The World』で禁忌である再度の刻印を許された唯一の存在――錬装士。その錬装士が新たな刻印をその身に受け、より強い力を得るための儀式。それこそが――


「ジョブ――エクステンド!?」


 覆っていた光のリングが消失し、ハセヲの身体がゆっくりと地面に降り立つ。そこに在ったのは今までの軽装ではなく、戦士として鎧を纏った姿だった。


「おー、すっげー!」

「おめでとうね、ハセヲ!」


 儀式を見届けた二人がハセヲに拍手を送る。


「ちょ、ちょっと待て。それじゃ、このクエストは――」

「期間限定のジョブエクステンド用のクエストだ」

「凄かったね、あんな風に姿が変わるんだぁ」


 はっきりと見て取れるほど狼狽したハセヲの横で、当然のようにスケアとメイプルが言う。


「お前ら、なんでわざわざジョブエクステンド用のクエストなんか選んだんだよ!?」

「だーから、言ったろ? 一度ジョブエクステンドするの見てみたいな~と思ってな。それに――」

「やっぱり勝負は引き分けだったからね。私達ばかりの都合には合わせられないし……シラバスさん達がジョブエクステンドのこと教えてくれたから、丁度いいかなと思って」

「――――」


 唖然。

 最初に感じたのは困惑で次に訪れたのが呆然だった。


「ほら、受け取りな……貴様の新しい力だ!」


 ディンゴが低い声で言うと同時に、ハセヲの眼前に光の粒子が零れ出した。

 ハセヲはスケアとメイプルを見る。メイプルは静かにコクンと、スケアは親指を立てて突き出しながら白い歯を見せて頷きを返す。

 ハセヲは一度目を閉じた後――迷い無く光へと右腕を突き刺した。ぶち抜くようにして引き抜きだされたのは鋭利な牙を連ねた長大な剣。全ての武器の中で最高の攻撃力を誇る重装武器――大剣。

 二、三度試し振りをする。以前の――1stフォームの身体では扱えなかった大剣を苦も無く振るえた。思い通りに、長年使い込んだ武器のように手に馴染む。

 再び『死の恐怖』は幾人ものPKを蹴散らしてきた武器を――大剣を己が物とした。


「だが小僧、貴様の道はこれで終わりではない。時が来ればまた会おう……お互い、生きていればな」


 ディンゴが時代のかかった台詞を残し、去った。

 ハセヲは見たことの無い自分の姿に、しばしの間黙り込む。以前の『死の恐怖』の姿――3rdフォームになった時は、ある特殊イベントによって1stから3rdへと一足飛びに姿を変えていた。2ndフォームへになるのはこれが初めてとなる。

 拳を握りこむ。そこには力が感じられた。大剣を自在に扱えるほどの力。それが新たに自分の力として備わっていた。


「――――」


 顔をあげる。スケアとメイプルの二人は黙ってこちらを見ていた。


「――クエストは、これでクリアだな」

「おぅ、お疲れさん! ジョブエクステンドも見れたし、大成功だな」

「それじゃ時間も遅いし……また明日、かな?」

「そうだな……後で時間と場所をメールで送る」


 じゃあな、とクエスト屋の前で別れる。

 今回のクエストはスケアとメイプルの都合にハセヲが付き合ったものだ。賭けの上で約束されたこととはいえ、その事実関係は変わらない。ゆえに、礼を言うべきはスケアとメイプルの二人であり、ハセヲが礼の言う立場では決して無い。

 だが、と自身の心に言い訳をした。


「落ちる前に、一つ言わせてもらうけどよ――」


 港へと向かう二人の背に向かって言う。

 二人は夕焼けを背にして振り返り、朱に照らされたハセヲを見た。

 ハセヲは二人が完全にこちらを向くのを待ち、


「お前ら――とんだ物好きだな」


 ログアウトを実行した。

 光となって螺旋を紡ぎ、僅かな残滓を残してハセヲが『The World』から姿を消す。スケアはハセヲが完全に去るのを待ってから、


「ったく……こっちでも素直じゃねえのな、アイツ」


 苦笑混じりに言った。

 皮肉とも取れるハセヲの置き言葉を二人はしっかりと理解している。それゆえの苦笑だった。

 ふとスケアが横に視線をやると、困ったように微笑んでいるメイプルの顔が見えた。恐らくは自分と同じことを考えているのだろう。

 つまり、ハセヲは言外にこう言っていたのだ。

 ――ありがとう、と。

 捻くれた親友を想いつつ、スケアはメイプルを連れて再びエリアへと出掛けた。なにせ明日からのアリーナでは優勝が目的なのだ、少しでもレベルをあげてハセヲに追い付いておかなければならない。

 明日の試合の時間は既に調べてある。リアルでの休息の時間を差し引いても、レベル上げの出来る時間は残されていた。


「んじゃ、いくか」

「うん」


 それ以上の会話は無い。

 胸に残る心地よい想いに浸りつつ、スケアとメイプルはカオスゲートへと足を運んだ。















To be Continue












作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

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第三十八話 : 影










待つことになんら意味は無く


待たれることにもまた意味は無い


意味を持つのは往けよの一言