『知識の蛇』から退出し、通常の『レイヴン』のホームへとハセヲは戻った。
それを待ち受けるように、ホームの広場に一人のPCが立っているのをハセヲは見た。どこかサバンナあたりの狩猟民族を連想させられるような風貌のPC――クーンだった。
「クーン、来てたのかよ」
「……あぁ」
答えるクーンの様子はどこかおかしい。いつもヘラヘラとしている表情がなりを潜めており、眼がギラついていた。そのいつもと表情はハセヲが初めて目にするものだった。
「どうしたんだよ、なにか用か?」
「……ハセヲ、お前に聞きたいことがある」
初めて会ったとき――AIDA対峙していた時でも、不敵な笑みを浮かべていた。だが今はそれすらない。口元が堅く引き締められ、表情に軽々しいものが欠片も無い。まるで戦場に赴く武士のようだ。いつもの様子からは想像もできない。ハセヲは心身を緊張させた。
「大事な――そう、とても大事な話だ……。答えてくれるな、ハセヲ?」
「……俺も聞きたいことがある。それに答えてくれるんならいいぜ」
交換条件というわけではない。クーンにはわざわざ条件を突きつけなくとも、大抵のハセヲの質問には答える。それを判っていながら、あえて条件を出した。
これほどまでに真摯な瞳から放たれる問いに対して、なんらかの気後れがあったのかもしれない。それを何と無く察しつつ、せめて態度だけは気圧されることの無いようにクーンの目を見返してハセヲは訊いた。
「クーン、アンタは憑神を使った後――リアルに影響は出るか?」
「――妙なことを聞くんだな。憑神を喚び出すのに集中力を必要としているのは知っているだろ、精神的な疲労は勿論あるさ」
「……それだけか?」
「それだけって……あぁ、時間的な影響か。AIDAが発生したら数時間は『The
World』で待機しとかなくちゃいけないから、リアルに影響する場合もあるな」
「そうか……。いや、なんでもない」
ハセヲは、クーンにはそうと判らないように溜息を零した。
やはり違った。憑神を喚び出した後の痛みは、碑文使いに共通するものではない。少なくともクーンはあの痛みを知らない。
アレは俺特有の――三崎亮にのみ起こる現象だったのだ。恐らく、あの痛みは――
「ハセヲ――今度はオレの番だ」
クーンがハセヲの思考を遮るように声を放った。
ハセヲは顔を挙げ、クーンの目を見た。その瞳には普段には無い力強さが篭められており、抜き身の刀のような鋭い視線がハセヲに突き刺さる。
ハセヲもまたクーンへと意志を篭めた瞳で見返し、来るべき問いに備える。クーンがここまで真剣になるほどの問い……それは一体どのようなものか全く想像がつかなかった。
緊張のひと時、沈黙が降りる。クーンは目を閉じ、静かに口を開いた。
「開眼した時の記録、見せてもらったよ。オマエならいつか開眼するとは思ってたけど、まさかこんなに早いとはな……。正直に言うと予想外だった、驚いたよ」
「足踏みしてる余裕なんかねえからな」
「ああ、そう言ってたな。で、問題はこれからなんだが……記録には開眼した際の前後の映像データも残っていたんだ。オレは、それも見てしまった……」
「前後の映像データ……それが、どうかしたのか?」
ハセヲにはクーンが何を聞きたいのか、皆目見当がつかなかった。
先を促すとクーンは閉じていた瞳を薄く開いた。その瞳には、何故か燃え滾るような、敵意に似た意志が篭められていた。
「聞きたいことはただ一つ。ハセヲ、オマエは――――どうやってパイを口説いた!!?」
「――――――は?」
一瞬、ハセヲは自分の耳かクーンの頭が壊れたのかと疑った。
今のはなんだ、幻聴か。それともクーンの発声器官がイカレたのか。だが、それを否定するようにクーンの表情はどこまでも真剣なままだった。
「とぼけるなハセヲ! オレは見たんだ、オマエがパイに膝枕をされている映像データをおぉぉ!!」
「……ちょっと待て。まさか聞きたい大事な話って、そんなくだらない――」
「くだらない!? くだらないだとハセヲォ!!?」
クーンは、熱の入った――というより、熱病に冒されたかのような様子で一気にまくし立てる。
「パイだぞ、あのパイだぞ!? 冷静とか冷徹とか冷酷とか冷厳とか『冷』って漢字が入るものなら何でも似合いそうなパイだぞ!? いわば彼女は氷の美女にして魔女! そのパイが膝枕をするなんて……物理的にありえない! さあ白状しろ、どうやってパイを口説いた!? そしてそのやり方をオレにも伝授するんだ、ハセヲ!!!」
「…………」
怒りを通り越すと呆れるとかいう言葉があったはずだが、ハセヲの今の心境にはそれは当て嵌まらなかった。
体の奥から沸々と湧き上がってくる衝動を感じる。ついでに言えばその衝動の色はドス黒く、濃度の濃いものだった。言語に変換すればその衝動は『殺意』とでも名付けられそうなものだった。
しかし、ハセヲは奇跡的にその衝動を抑えこむ事に成功した。驚異的な精神力を持っていることも成功した原因の一つではあるが、主たる要因はそれではない。ドス黒いそれを抑え込めたのは、クーンの背後に一人の女性を見たからだ。
ハセヲはその女性の姿を瞳に収めると同時に、数分後のクーンの運命を予見した。恐らく的中率は100%に近い。彼女の表情からそれを察することが出来た。あの様子であれば、自分の分までさぞ盛大にやってくれるだろう。
「クーン、ちょっといいかしら」
「ちょっと待ってくれ、今大事なとこなんだ!!」
「あら、何が大事なとこなの?」
「決まってるだろ!! パイの――――」
――そこで、クーンの言葉が途切れた。
クーンの体があたかもゼンマイの切れた人形の如く停止した。微動だにせず、石と化している。背後から自分に声をかけてきた人物が誰なのかを判ってしまったのだろう。
「パイの――続きは何かしら? とても興味深いわね」
妙に親しげに、桃色の髪の女性はクーンの肩に手を置いた。
その声はとてもおおらかで、かつ慈愛に溢れたものだった。ただ、約一名限定でソレは審判者の死刑宣告に聞こえただろう。つまりはそういった声だった。
ギギギギギ、とオイルの切れたブリキ人形のようにクーンは背後へと首をまわす。そこには一人の鬼がいた。
「パ、パ、パ……パイ、さん……どうして……こちら、に……」
おいでになられたんですか? と、ライオンに狙われたウサギのような目でクーンは絶え絶えに口にした。
絶対零度であり地獄の業火でもあるような形容しがたいオーラを立ち上らせている女性――パイが静かに答える。その表情はとてもにこやかだった。
「八咫様にハセヲの資料をお持ちしたのよ。開眼が成功したこともあって、随分と提出するデータが増えたものだから、直接視て頂こうと思って」
パイは微笑みを浮かべたまま、クーンの顔を覗き込む。普段であればクーンが踊って喜ぶようなシチュエーションではあったが、本人にその余裕は無い。ダラダラと滝のような汗を流している。
「なにやら、とても面白そうな会話をしていたようね。私にも聞かせてもらえるかしら?」
微笑の含まれた声だったが、同時に拒否を許さない何かもまた含まれていた。
「い、いや……それほど、面白い話でも、ない、ですよ……な、なあ……ハセヲ君」
もはや決定的に――何かよく判らないものが決定的になってはいたが、クーンは最後の希望に縋るようにハセヲへと視線を戻した。どうやら同意を求めているらしい。
だが、今のクーンは絞首刑一歩手前のソレだった。ハセヲはそんなクーンをいたわるような、哀れみの篭った目で真実を告げることにした。せめてもの慈悲だ、トドメをさしてやろう。
「クーン――。パイな、ほとんど最初っからそこにいたぞ」
サア、とクーンの顔から血の気が引いていくのが目に見えて判った。
クーンの表情が凍りつき、代わりというようにパイの表情が変化し始める。
「最後に何か言い残すことは?」
パイにも人並みの慈悲心を持っていたようだ。遺言を聞いてやるという行為は慈悲深さの極みだろう。
最後の意志を汲み取り、独りで迎えなければいけない死に立ち会うその行為、それは慈悲以外の何者でもない。そういった意味で、パイは慈愛に満ちた女神だった。今は魔王だが。
――さて、そろそろ俺は行くか。
「えぇと……あの、出来ればお手柔らかに」
「却下」
死刑場から出ていくハセヲの背後で、一匹の修羅が拳を振り上げた。
ホームの扉を閉める寸前、か細く長い断末魔が聞こえた。地獄から轟いてきたかのような悲鳴だったが、恐らくは気のせいだろう。ハセヲは歩きながら胸の前で十字を切る。
嗚呼、太陽が眩しい。輝ける夕日は今日も変わることなく、マク・アヌの街を朱に照らしあげていた。
*****
「残り二人の出場メンバーは任せる、か……」
先程までの出来事を頭の中から綺麗さっぱりに消去し、マク・アヌの港を歩きながらぼやく。八咫から強制されたメンバーで出場するのはご免だったため、採択を任されたのは都合が良かった。しかし、かといってアテがあるのかと訊かれれば、さしてあると言えるわけでもない。
元々ソロ専門でPKKをしてきたハセヲだ。一般的なPCとは交流そのものが無く、会話を交わすことも稀だった。PKとは何十度と無く会話をしたが、実際には三爪痕の情報を訊きだす為の尋問のみだ。交流とは程遠い。
対人対戦を常としている以上、PKの中には実力者も多く含まれている。だが、元々自分のやりたいようにやるといった自己を中心とした考えを持つものばかりの集団だ。PKKと組むようなPKはいない。
オマケに三爪痕の攻撃――『データ・ドレイン』で全てのデータが初期化されている。消されたデータの中には、当然メンバーアドレスも含まれていた。
元々それほどの人数が登録されていたわけではなかったが、あれからメンバーアドレスに登録された人間は更に少ない。
「となると、あいつ等を誘うしかねえか……」
結局、消去法で誰を誘うかを決めた。というよりも、他に選択肢が無い。『月の樹』のアイツは戦力外、クーンとパイは独自に出場、となれば残る人間はシラバスとガスパーの二人しか存在しないのだ。
到底戦闘向きとは思えないような二人だが、いないよりはマシだろう。今の自分では三人を同時に相手することなど出来はしない。ソロでアリーナに挑むのは論外だ。
「そうと決まれば、メールで呼びつけて――」
「あぁ、ハセヲだぁ!」
「やあハセヲ、奇遇だね!!」
「――――」
背中からかけられた声に対し、ハセヲはひそかに溜息をついた。
都合がいいといえばいいのだが、タイミングの良すぎる二人の登場を素直に喜べない自分がいた。激しくデジャヴを感じる。
「つーか、お前ら狙ってやってんのか……?」
「え、なにをぉ?」
「さあ……?」
顔を見合わせ、不思議そうに二人――シラバスとガスパーが首を傾げた。
何故か納得の出来ないものを感じつつも、ハセヲは話を切り出すことにした。一般プレイヤーに知ることの出来ないこと――AIDAや碑文使いなどのことを省き、アリーナで優勝しなければならないことを伝える。その出場メンバーに数あわせでいいから出てもらいたい、と二人を誘った。
「えーと……ぼ、僕らが?」
明らかに狼狽した様子で、シラバスはたらりと汗を流した。
「うーん……。僕、対人対戦は苦手で……」
「それは俺も判ってる。数合わせでいいんだ、敵は俺が蹴散らす」
「本当に数合わせでいいんなら僕は出れなくもないんだけど……ガスパーが」
「だぞぉ……」
シラバスの言葉を受けて、ガスパーがしょんぼりと頭をたれる。
「ガスパーがどうしたんだ?」
「えぇとね……実はオイラ、あがり症なんだぁ。アリーナってお客さんがいっぱいいるでしょぉ? オイラ、そんなところじゃ一歩も動けないぞぉ」
「あがり症だあ? ンなもん、ぶっつけ本番で意外とどうにか――」
「いや、実は前に一度出場したことがあるんだけど……。本当に一歩も動けなかったんだ、ガスパー」
シラバスの説明によると、正真正銘一歩も動かずにやられてしまったらしい。スタート地点で石のように固まってしまい、数秒後には倒されていた。シラバスもそのすぐ後にやられてしまい、一回戦で敗退したとのことだった。
「……マジかよ」
「えぇと……ゴメン」
「だぞぉ」
ハセヲは眩暈を抑えるように右手を額にあてた。
ガスパーが完全に駄目だとなれば、シラバスと二人で出場しなくてはいけない。だがそれは明らかに無謀だ。二対三で最初から数的に不利な上に、シラバスがほとんど戦力にならないとあっては勝率が絶望的なのは間違いない。
だが、それでもアリーナには出場しなくてはならない。ハセヲは自らの手でエンデュランスへの挑戦権を手にし、接触しなければならなかった。
八咫と交わした取引、三爪痕の調査についてはエンデュランスと接触できればという条件付だ。他の一般出場者は勿論のこと、クーン達にも負けるわけにはいかない。
「くそ、アイツを誘うしかねえのか……」
限りなく本気で数合わせにしかならなさそうな最後のアテ――『月の樹』の電波女がアリーナで戦う姿を思い浮かべてみる。だがどんなに想像力を働かせてもまともに闘えるイメージがつかめない。数秒で倒されるイメージなら限りなくリアルに想像できるが、なんの慰めにもならない。むしろ逆だ。
「ハセヲ、数合わせでもいいならアテがあるんだけど……」
と、シラバスが遠慮がちに言った。
「アテ? どんなヤツだ」
「一昨日に話した初心者の子たちなんだけど……僕らよりはアリーナに向いてるんじゃないかなと思って」
「……初心者がまともに対人対戦できるワケねえだろうが」
疲れきった声でハセヲは否定する。
『The
World』は年齢的には万人向きのゲームだが、やりこむと言うのであればかなりの熟練度が要求される。モンスターなどのNPCが相手ならば絶対必要なものではないが、対人対戦となれば話が違う。
なにせ相手も人間だ。状況に応じて思考し、最適な手段を導き出して行動する。その為、対人対戦ではレベルや装備以外にプレイヤースキル――操作する人間の熟練度が重要視されることとなる。咄嗟に行動することもままならない初心者では、まともな戦力として期待できなかった。
「けど、すっごく上達してるんだ。物凄くやる気のある二人で、この前にPKと戦ったこともあるし」
「どうせ呆気なくやられちまったんだろ」
「ううん、違うぞぉ。あの二人、PKを追い返しちゃったんだぁ」
「なに?」
額に当てていた手離し、顔を上げる。
聞く所によると、その初心者の二人とやらと一緒にダンジョンを攻略している最中に三人組のPKに襲われたらしい。
シラバスとガスパーは逃煙玉――追跡を逃れる為の煙幕を放ち、二人を連れて逃げようとした。何度もPKに襲われた経験を持つ彼らは闘う手段こと持ち得ないまでも、逃げ延び、生き延びる為の手段を講じれるようになっていた。
PKは他者を殺害することを主目的に置いており、それは衝動的なものだ。一般的なPKは特定人物に狙いを定めてから行動するのではなく、偶然出会った――自分より弱そうな――相手を襲う場合が多い。
そういったPKたちは、えてして苦労を嫌う傾向にある。ただ逃げ惑うだけの相手ならば喜んで狩り立てるであろう。しかし、逃げる為の手段を、あらかじめ用意しているような手合いの獲物を追いかけるような面倒なことは好まない。他の獲物を探す方が得策だと判断するのだ。
シラバスたちはそういったPKたちの行動パターンを、経験上から知っていた。だからこそ、一目散に逃げようと二人の手を取ったのだ。
しかし二人は、その手を拒んだ。
いや、拒んだといった言い方は正確ではない。二人は決して、逃げ出そうとするシラバス達の行動に忌避を示したわけではない。自分たちが逃げ出すことに対して許せぬものがあったのだ。
自分達は闘う、その間に逃げてくれ。二人はそう言った。PKを恐ろしさや陰湿さについては教えている。それを知った上で二人は戦うことを選んだ。
そんな彼らを置いて行くことなどは出来ない。初心者を手助けするためのギルドに所属し、その行為に誇りを抱いているシラバスとガスパーが初心者である二人を置いて自分達だけ逃げるような真似が出来るはずが無い。結局、煙幕が晴れるのを待って四人で迎え撃つこととなった。
襲ってきたPKたちのレベルは同程度のものだった。あとは対人対戦の経験、装備、プレイヤーの熟練度、そういった要素が勝敗を決める要素となる。シラバスたちはそれらの要素に乏しいものが有り、それは傍らの二人とて同義のはず。だと言うのに、二人はPKたちと互角に戦っていた。
数的にこちらが有利なことを差し引いても、二人はPKたちと十分に渡り合っている。ともすれば、そのまま倒してしまう可能性すら見出せるほどだ。予想外の反抗に戸惑ったPKはそれ以上の戦闘を避け、逆に逃げ出すこととなった。
その話を詳細に聞き、ハセヲは唸った。
「一応訊いとくが本当に初心者なんだろうな、その二人」
「本当の本当に初心者だったぞぉ~。最初は動くだけでもすっごく難しそうにしてたしぃ」
「その数日前にプレイを始めた初心者がPKを追い返した、か……。少なくとも、性格上だけでも多少はマシかもしれねえな」
「それじゃ――」
「会って話がしたい。呼べるか?」
シラバスは頷き、連絡を取る。
二人はどうやらとあるエリアでレベル上げをしている最中らしい。そのエリアワードを訊く。
「『瞬かぬ 邂逅の 赤銅荒野』にいるみたい」
「判った。こっちから出向くって伝えてくれ」
「僕らも行くよ、紹介した手前もあるしね」
「わぁい! ハセヲと一緒にエリアに行くのってぇ、久しぶりだぞぉ~」
無邪気に喜びを表現するガスパー。シラバスもどこかいつもとは違う微笑を浮かべていた。
その二人とは対照に、ハセヲは表情に影を落とす。
(あの電波女を誘うのだけは避けたいからな……マトモな奴らであってくれよ)
その二人が少しでも戦力になってくれることを祈りつつ、ハセヲはカオスゲートへと歩みを進めた。
To be Continue
作者の蒼乃黄昏です。
小説を読んでいただきありがとうございました。
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『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。
作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ-ル、投稿小説感想板に下さると嬉しいです。