電子と知識が支配する静謐なる座。
世界を観測し、秩序を形成し、異物を排除する為の秘匿領域。
その空間の名は『知識の蛇』――その中心に座するに相応しい賢者が重たげに口を開く。
「開眼に成功したようだな――まずはおめでとうと言わせて貰おうか、ハセヲ…」
その言葉には、なんの感情も込められていない。
事務的に、言うべきことだけを言う。そういった点では、パイよりもよほど徹底されていた。
声の主は、威厳の衣を纏う一人の男――『八咫』。
「『AIDA、及び三爪痕のついての新たな情報を入手した。『G.U』本部まで来られたし』――だったな? 来たぜ、驚くほど都合の良いタイミングでの呼び出しに応じてな」
正対する黒衣の錬装士――ハセヲが不敵に言い放つ。
メールを確認したのはつい先程、日課である志乃の見舞いから帰ってきてからのことだ。開眼した直後の心身疲労が回復した頃を見計らって、新情報が入手できたなどとどの口が言うのか。恐らくはもっと以前に入手していた情報なはずだ。いつもなら真っ先に怒鳴り込んでいるところだが、それをも呑み込んで応じる余裕が今のハセヲにはあった。
「アンタの望みどおり、碑文の開眼には成功した。三爪痕の情報、受け取りに来たぜ」
「ふむ、等価交換という訳か…。では、まずはこれを見たまえ…」
八咫の声に応じるように、両者の中間に位置する空間に一つのモニターが作り出された。
モニターに時折ノイズの混じった、映像記録が投影され始める。まるで古い映画を見ているようだ。ダンジョンに挑む三人組のパーティが映し出されている。
森林タイプの沈降探索系ダンジョンだ。パーティの編成は、前衛二人に後衛一人。平凡な、取り立てて変わりのない編成だ。
「これは?」
「五日前に起きた、とあるエリアでの記録だ…。彼らの背後に、注目したまえ…」
「……何もねえじゃねえか」
「これからだ、来るぞ…」
目を凝らす。映像に変化はない。映し出されているのは別段変わりのないダンジョンで、いたって普通の三人組のPCだった。別段異常があるようにも――
――コォーン――
「――――この音!?」
甲高い、透き通ったような鐘の音が響く。同時に、三人の背後――何もないはずの空間に一つの変化が生じた。
いつのまにかソレは生じていた。在るべくして、在るように在った。忌わしき焔。鮮やかまでな蒼。蒼炎を纏った光玉が、其処には在った。
蒼玉が弾け飛ぶ。蒼の焔が何も無い空間に燃え盛り、一個の存在を迎え入れる門を創造する。その焔の扉の中から静かに歩み出て、ソイツは姿を現した。
蒼炎の衣を纏い、虚ろな瞳を彷徨わせ、双対の凶刃を手にした化け物――三爪痕。
『な、なんだコイツ……どこから!?』
『モンスター……いや、PKか?』
『な、なんかやばそうな感じだよ。逃げよう!』
モニターの中のPC達が騒ぎ立て、逃げ出し始める。当然だ、どんな鈍いヤツでも自然と判る。アレは“やばい”存在だと、関わってはいけないモノだと問答無用で理解させられる。三爪痕とは、つまりそういった存在だった。
逃げ惑う三人の背を虚ろな瞳で眺め、三爪痕は右手を高々と翳す。
赤光が輪環状に展開し、右腕に紋と化して纏われた。その腕が裁きを下すかのように、一人のPCの背中へ向けられる。肩口に象られたシリンダーが回転し、砲と化した右腕に一発の弾丸が形成され、装填される。
収束された絶対の力は臨界を迎え、撃ち放たれた凶弾が無慈悲に一体のPCを貫いた。同時に悲鳴。撃たれたPCがノイズにまみれ、崩れ落ちる。
『ひ――! な、なんなんだアイツ!』
『止まるなよ、早く逃げろって!』
生き残った二人は倒れた仲間に構うこともなく、死に物狂いで逃げ続ける。その様はただ醜かった。
三爪痕はその二人には関心がなかったようだ。狩りの成果を確認すると、静かに蒼玉へとその身を還した。蒼炎が爆発的な光を撒き散らしつつ、その存在を虚ろなものへと変換して行く。そして、まるでそんな存在は元からいなかったのだと言うかのように、虚空へと姿を消した。
(三爪痕……!!)
ギリ、と歯が鳴ったのが聞こえた。ノイズの海に飲まれ、もはや何も映してはいないそのモニターを、ハセヲは睨み殺すかのように凝視し続けた。
「『データ・ドレイン』と呼ばれる攻撃だ…。あのPCを操作していたプレイヤーは、リアルでの意識不明が確認された。我々はプレイヤーを、未帰還者と断定した…」
「未帰還者……意識不明者の通称か」
「そうだ、『The
World』からリアルへと帰還できなくさせられた存在として我々は捉えている…。最初に意識不明が確認されたプレイヤー『七尾志乃』も同様だろう」
「――な、に?」
「待っていた、と言っただろう。ハセヲ、我々はずっと君を観察してきた。当然、君が三爪痕を追い続ける理由も知っている。三爪痕に倒され、意識不明にされたという七尾志乃を救出したいのだろう…?」
突如、『知識の蛇』の壁一面に無数のモニターが表示され始めた。右の壁面にはハセヲの見てきた記憶が。左の壁面にはハセヲを見ていた記録が、克明に映し出されていた。
「テメェ、俺の過去を……『ハセヲ』の記憶を盗み見してやがったのか!!」
「そう、我々はずっと君を観察してきた……。君の関わってきた全てを『知識の蛇』は観察し、記録している」
「なんの権限があって――」
「我々は『The
World』を保持する為の機関、そしてAIDAを排除する為の存在『G.U』だ。その為に必要な処置を取っているに過ぎない。君は、AIDAに対抗する為の碑文を有していたのだからな」
壁面の無数のモニターが消失し、再び薄い暗闇へと戻る。
「それじゃ、志乃がやられた時の記録も――」
「無い。君のみを対象として観測していた。PC『志乃』については、一般的なデータしか得られていない」
役立たずめ、とハセヲは心中で罵った。
口を開けば意味の無い怒声をあげてしまいそうだった。この男の前では、その行為は意味を持たない。いや、むしろつけこまれる隙を作ることにすらなる。あくまで冷徹に、論理的に対応を――取引を行なわなければならない。
現に、こちらの取りうる行動を先読みして、八咫は自分の都合の良いように話を誘導している節がある。コイツは敵ではない。だが味方でもない。対等に取引を交わすだけの関係だ、と自身に言い聞かせる。
「これを最後に、三爪痕は消息を絶った…。現在も調査を続行しているが、有力な情報は得られていない」
以上だ、と八咫は締めくくる。同時に一つきり残ったモニターが消失し、空間に静寂が舞い戻る。
「さっきのエリアは何処だ?」
「聞いてどうする…? 既に三爪痕はあのエリアには存在しない、行った所で徒労に終わるだけだ。それよりも、君にはやってらいたいことがある…」
八咫は指揮者のように手を振った。応じて、再びモニターが作成される。映し出された映像は先程のものとは違う場所だった。
「どこだよ、これ」
「……そうか、君には縁のない場所だったな。今映し出されているされている場所は『アリーナ』だ…」
――アリーナ。話だけは聞いたことがある。
タウンの中であるにも関わらず、唯一対人対戦が許可された戦闘地帯。たしか、トーナメント形式で最強を競う催し物だったはずだ。ハセヲにとっては知る必要がなく、また興味もなかったのでそれ以上のことは知らなかった。
モニターの奥からは観客達の熱狂が伝わってくる。どうやら闘いが始まるらしい。
「この映像は先日の試合のものだ…。タイトルマッチ――宮皇の座を奪い合う試合となる…」
円形状の戦闘舞台を囲むようにして、周囲の観客席から熱狂の声が飛び交う。観客数はざっと数百人単位。その戦闘舞台に、剣闘士達が光と共に降り立つ。
「……三対一じゃねえかよ。一人の方が宮皇ってやつか?」
現れたのは四人のPC。方や軽装の女性三人のパーティ、方や妙に線の細い男一人のソロだった。
言うまでもないことだが、多数を相手に単独で勝利を得るにはよほどの実力差が必要とされる。レベル、装備、戦闘方法の相性、プレイヤーの操作熟練度、積み重ねた戦闘経験、そういったあらゆるもので相手を圧倒的に凌駕していなければ勝負にもなりはしない。
「いや、三人組の方がこの試合当時での宮皇だ…。大扇を背負った女性PCがそうだ…」
「――あの時の」
見覚えがあった。一昨日、PKとの戦闘に横槍を入れてきた双剣士だ。ソイツを八咫は指差していた。たしか、揺光とかいったか……。
「知り合いかね…?」
「聞く必要があんのかよ」
「そうだな……愚問だった。彼女はこの日まで長期に渡り、宮皇として君臨してきた実力者――揺光」
「この日まで?」
「彼女は、この試合で宮皇の座を奪われた」
「……三対一でかよ」
あの女――揺光の実力は知っている。そう捨てたものでもないどころか、かなりの実力者だったはずだ。その揺光が三対一で敗北を喫したという男――対戦者に視線を移す。
「アイツ、どこかで……」
線が細く、病的に肌白い男。その姿には、見覚えがあった。だが思い出せない。
司会者だろうか、やけに熱っぽい解説をまくし立てられている。
『さあ、いよいよ頂点の対決! たった一人で幾人ものつわものを破り、破竹の勢いで駆け上がってきた挑戦者が宮皇を下すのか!? それとも、長きに渡り王座に君臨し続けた宮皇が挑戦者を退けるのか!? いよいよ、試合開始だあぁぁ!!!』
司会者の合図に合わせ、試合が開始した。同時に揺光のパーティが男に向かって駆け迫る。
まずは揺光たち三人の速攻。三人共に双剣士という、攻撃回数、俊敏性に特化した編成だった。
息つく間も与えず、嵐のような攻撃を浴びせている。一人一人の能力値も高いが、コンビネーションが完璧だった。揺光を中心に隙間無い連続攻撃を繰り出している。宮皇として君臨してきた、というのも納得できる攻撃だった。
男はその攻撃をさばき続けるが、明らかにジリ貧だ。あと数秒もしないうちに被弾し、嵐に切り刻まれる姿がありありと想像できる。前もって結果を教えられていても、この劣勢を覆せる手段など存在しないように思える。
「ここからだ、目を凝らしておきたまえ…」
八咫がそう言うと同時、一つの変化が起きた。一瞬だけできた間隙をつき、男が反撃の一撃を振るう。剣を軽く振るっただけの凡庸な一撃にも関わらず、包囲していた揺光たち三人が不可視の力で弾き飛ばされた。
男は斬刀士、刀剣を操る軽戦士だ。三人纏めて一撃で吹き飛ばせる力のある職業ではない。不可解だった。戸惑いはモニターの中の揺光たちも同様のようだ。正体不明の攻撃に備えてか、離された間合いを一転して慎重に詰める。
『駄目だよ……こんなんじゃ、駄目だ……』
ポツリと、斬刀士が呟く。怒号のような歓声にかき消されることなく、その掠れるような小さい声が不思議とハセヲの耳に届いた。何故か、脳裏に響く声だった。
『そんなものじゃ、彼女は喜んでくれやしないよ……』
誰に告げているのかも判らない虚ろな呟き。それに応じるように、突如として眩い閃光に闘技場が包まれた。
光は世界を満たすべく駆け抜け、神が降りるに相応しき無限にして夢幻の空間へと変革させ、創造する。
光の色は妖紫。見る者を蟲惑させる魅了の色彩。羨望願望を散りばめた魅惑の化粧。その光を破り払い、粉と散らして姿を現したその存在は――
「憑神――!?」
その姿は、明らかに異形だった。上半身は獣であり人である姿、下半身は貴婦人のドレスのような薔薇で構成されている。どう見てもその優雅なる姿は仕様外のものだった。
「あれが第六相――≪魅惑の恋人≫だ」
神はあくまでも優雅に、その姿を視ることすら許されない哀れな生贄へと、細くしなやかな両腕を掲げ――振るった。
抗う術もなく、三人の双剣士が吹き飛ばされ、死に至らしめられる。それを冷ややかな眼で見下ろした後、神は光と化して消える。消え去った後、元の空間――戦闘舞台には男のみが立っていた。
『しゅ、瞬殺! 一体何が起こったというのか!? 一瞬の攻防を制し、舞台に燦然と立っているのは挑戦者だー!!』
騒ぎ立てる観客、必要以上に熱を帯びた司会者。その誰もが何が起こったのかもわからず、そこにある事実のみを認めていた。挑戦者が宮皇を倒したと言う事実を。
「最早、言うまでもないことだが…」
八咫のその声で、ハセヲは意識をモニターの中からこの場へと移した。
「憑神の姿は、一般PCには視認することが出来ない…。観客達には、一瞬で宮皇が倒されたように見えているのだろう…。だが憑神は仕様外の力であり、プレイヤーにも影響を与えかねない強大な力だ…。不必要に乱用してよいものではない。『G.U』として速やかに彼に接触する必要がある」
「……それがどうした。俺には、関係ねえ」
「関係はある…。ハセヲ、君は三爪痕を追っているのだろう? そして、三爪痕と関連性があると見られているAIDAも、君にとって無視できる存在ではないはずだ…」
「だったらどうした?」
「彼のPCから、AIDA反応が確認されている」
――思い出した。その一言であの男が誰だったのか、どこで会ったのかをはっきりと思い出した。アイツは、最初にAIDAと会った時の……ロストグラウンドにいたあの男だ。白樹に腰掛け、AIDAと戯れていた姿を覚えている。
「AIDAと碑文使いは、相対するものじゃねえのかよ?」
「現在判明している事実は、AIDAに対して有効な力が憑神だという事だけだ…。AIDAは碑文使いに狙いを定めて敵対行動をとっているわけではない。碑文使いであれ一般PCであれ、関係なく無差別に襲うのだからな……」
「――俺に、何をさせたい?」
「話が早くて助かる……。君には第六相の碑文使い、エンデュランスの調査を頼みたい…」
「エンデュランス……」
それがアイツの名前か、と呟き、ハセヲは記憶にその名を刻み付けた。
「宮皇となって以来、エンデュランスはアリーナにしか姿を現さないようになった…。どういうわけか、ゲートを介さずにアリーナへと出現している」
「仕様外の方法で、アリーナに直接転送しているってことかよ」
「そのとおりだ…。その為、通常の方法では彼に接触することは困難とされる…。ハセヲ、君には近日開かれるトーナメントで宮皇への挑戦権を獲得し、エンデュランスと接触してもらいたい」
「AIDAと三爪痕に確かな関係があるってワケじゃねえんだろ」
「だが、『G.U』の主たる目的はAIDA現象の解明、及びその解決だ…。当面の成果さえ得られないようでは、その分三爪痕の調査に費やせる労力は少なくなり、結果として有力な情報を手に入れることは難しくなるだろう…」
「――全部、計算づくって事か?」
「私は事実を述べているに過ぎない。君にはこれを拒否することも出来るが……どうするね?」
いちいち神経を逆撫でするような言い方だ。一言一言が頭にくる。その怒りをなんとか抑え込み、何を言うべきかを頭の中で整理する。
「加えて言えば、パイとクーンにも出場するように指示している…。だが、強者揃いのアリーナだ、最後まで確実に勝ち抜けると言う絶対の保障が得られるわけではない。そこで、君にも出場を要請しているというわけだ」
「――判った、出てやるよ。だが条件が有る」
「言ってみたまえ」
「エンデュランスの接触に成功したら、三爪痕の情報を寄越せ。少なくとも新しい情報が手に入るまでは三爪痕の調査を優先してもらうぜ。ヤツは碑文使いであり、AIDAの関係しているPCなんだろ。接触できれば、当面の成果とやらは得られるはずだ」
要求を突きつける。得られた情報から導き出された妥当な、そして認められるであろうぎりぎりの線の要求だ。
視線が交わる。八咫はしばし黙考する素振りを見せた。
「……よかろう。三爪痕について新たな情報を入手するまでは、AIDAの調査よりも三爪痕の調査を中心的に行なうことを約束しよう。残る二人のメンバーに関しては君に一任する…」
To be Continue
作者の蒼乃黄昏です。
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