「時計の針が、進んだ」


 どちらともなく声が響く。

 隠された禁断の地に佇む二人が、どちらともなく言の葉を紡ぎ、またどちらともなく耳を傾ける。


「これでようやく、次の段階へと進むことができる」

「もしくは早々に、といったところか。どちらにせよ、好都合だ」

「問題は――」

「プレイヤー『三崎亮』の拒絶反応・・・・


 言って、情報を手渡す。

 言われ、情報を受け取る。


「彼らは?」

「解決には至らない。しかし、鎮静剤としての役割を持つ」

「ふむ……使えるか」

「彼らの目的もまた『ハセヲ』だ」

「我々の目的とは根本から違えど、か」

「既に動かしておいた。だが、あくまで一時しのぎでしかない。前回は上手く作用したようだが、今回も同様の効果をもたらすかは不明だ」


 腕を組み、思案する。

 左腕を抑え、思考する。


「見守るしかないだろう。既に時計は加速を始めた、直に答えは出てくる」

「結局のところ、本人の問題となるのか」

「せいぜい、祈るとしよう」


 片方が眉をひそめ、片方が皮肉な笑みを浮かべる。


「祈る、か……。オマエは誰に祈る」

「そうだな――」


 問われた片割れは朱に染まった空を見上げ、皮肉気に表情を歪めた。


「今は無き……女神に」










      *****










「――――――――」


 まどろみの中にいた。

 海のように深く、まるで母に抱かれている既視感を覚える。

 羊水に包まれているような、ひどく心地の良い浮遊感。知りもしない、温かさ。


「――――――――」


 ここはどこだろうか、という疑問が頭をよぎったが、どうでも良かった。

 そんな些細な疑問は、今の気持ちの前ではなんら意味をもちはしない。

 今はただ、こうして気持ちの良い感覚に浸っていたかった。


「――――――――ハセヲ」


 そこへ、一つの声が届いた。


「貴方は、選択した――」


 声はどこから届いてきたのだろうか。


「貴方は、自分の意志でその道を選択した」


 ああ、そうか――。


「危機の無い虚無の日常は――ここで、完全に途絶えた」


 この声は――


「今はゆっくり休みなさい。貴方の物語は、ここから加速する」


 自分を包んでくれている誰かの――羊水の声なのか。










      *****










「う…………」


 ぐちゃぐちゃに乱れた、ひどく不確かな意識の中で呻いた。


「なん、だ……?」


 先ほどまで感じていたものは何だったのだろうか。

 ひどく不確かで、それでも記憶に深く残るソレが頭の中で廻っている。

 まるで夢を見たときのような、おぼろげな感覚。

 誰かと話していたような気がする。どこか聞き覚えのある声だった気がするのだが……。


「う、ん…………」


 視界と意識にもやがかかっている。何もかもが不鮮明だ。

 どうやら眠っていたらしい。何か柔らかいものに頭を乗せているようだ。

 枕だろう。ということは、ベッドで寝ているということになる。

 いつの間に寝ていたのだろうか。いや、そもそも、いつログアウトしたのだろうか。

 意識にかかったもやを振り払い、どうにか思考を形にする。

 そうだ、俺は確か――


「気がついた? ハセヲ」

「――――パ、イ?」


 開眼に挑んで……AIDAに取り憑かれたパイを――


「――――! パイッ!!」

「――もう、いきなり大声出さないで頂戴。驚いたじゃないの」

「あ……わるい」


 呆けている頭でそう返答する。

 いつもならうるさいだのと言い返すところなのだろうが、つい口をついて出てしまっていた。


「驚いたわね……貴方が素直に謝るなんて。いつもそうなら、私もやりやすいのだけれど――」


 案の定だったようだ。パイは驚きの混じった、そしてどこか呆れている声でそう言った。


「――パイ、無事なのか?」

「ええ、おかげさまでね。碑文にも影響は出てないわ。アナタのおかげよ」


 ハセヲが素直に謝ることが珍しければ、パイの感謝の言葉もまた珍しかった。ひどく優しい声で、ハセヲの耳に届く。

 その一言で安心したハセヲは、落ち着いて意識をハッキリさせることにした。


(あれ……? 俺は今たしか、ベッドで寝て……)


 いないようだ。

 パイと会話をしているということは、いまだ『The World』の中にいるということになる。

 では、先ほどから頭の下に敷いている、温もりの伝わってくるものは何なのか……?


「――――――――――は?」


 焦点が合い、鮮明となった視界。その一面に、パイの顔があった。

 横たわっている自分を覗き込む様に、子を見守る母のような温かな表情が向けられていた。

 思考が徐々に形をとり始める。

 どうやらパイのすぐ近く――というよりも、密着するような形で、横になっているようだ。

 首を横にして、頭を乗せている柔らかな何かを見る。


「――――――――――え?」


 枕ではなかった。

 いつも使っている枕の色は白だ。肌色ではない。

 ついでに言えば、こんな温かさは枕には無い。柔らかな感触も、枕のそれとは違うものだ。

 そのまま固まること十秒。それは枕ではなく、太股だということに気づいた。

 自分はそれに頭を乗せている。つまり――


「――――――――――!!!?」


 膝枕である。


「どうしたのよ? いきなり素っ頓狂な顔して」

「な、な、な、な―――!?」

「…………な?」

「な、なにやってやがんだ――!!」


 慌てて飛び起きる。

 周囲を見渡すとそこは先ほどまでいたエリアのままだった。

 あれから移動はしていない。ここで倒れたままだったことになる。

 とすると……自分は今の今まで、パイに膝枕をされていたということに――


「どういうつもりだ!? 説明しろ!!」


 説明も何も無いとは思うが、茹で上がった頭ではそれを叫ぶのが精一杯だった。


「説明って……何を?」


 一方のパイはきょとんとした表情を返すのみ。


「決まってんだろ、なんであんな真似してたんだっつうんだよ!?」

「あんな真似……? ああ、AIDAに襲われたときのことね。あのときの貴方はまだ開眼していなかった。『G.U』として、一般PCとそう変わらないアナタを助けるのは当然の――」

「――そうじゃねえ! それについても言いたいことは山ほどあるが、今はそっちじゃねえ!」


 腕を振る、自分でもそうと判るぐらいに、顔が紅潮していた。


「じゃあ何だって言うのよ……。あ――」


 ハセヲの顔を見て、どこか間の抜けた声をパイはもらした。

 そして可笑しそうにクスクスと、かみ殺した笑みを零し始める。


「成る程ね。少しは可愛いとこあるじゃない」

「――るせぇ!!」

「はいはい、それじゃ説明するわよ。なんだか誤解しているようだけど、さっきのは私の碑文の力を貴方に注いでいただけ」

「……なんだよ、その碑文の力を注ぐってのは」


 ぶすっと、いかにも不機嫌だといわんばかりに問いを返す。


「私たち碑文使いは、互いに共融することが出来る」

「共融?」

「そう。貴方は碑文の力を使いすぎて疲弊し、倒れた。だから、私の力を流し込んでそれを補っていた、というわけよ」


 さらりと、パイはよどみなく説明した。


「詳しくはまた日を改めて説明するわ。今はゆっくり休みなさい――現実リアルのアナタも、相当消耗してるでしょうから」


 確かに、そのようだった。さっきから激しい眠気が断続的に襲ってきている。

 いや、それだけではない。全身を包む不安感。これは――


「一時的にエリアからでもログアウトできるようにしたから、今日はもう寝なさい。身体を休めることが、今のアナタの急務よ」

「――ちっ、分かったよ」


 あくまで不機嫌そうに装い、ゲートを開く。

 通常ならばタウンに戻らなければログアウトは出来ないが、パイの言ったとおりログアウトが可能な状態となっていた。システム管理者としての権限だろう。今更ながらに、CC社の人間だということを思い知らされる。


「――――ひとつだけ、聞かせろ」

「なに?」

「アンタ――パイさ、俺が開眼するのを嫌がってただろ。なのに、なんで庇った?」

「……どういうこと?」

「クーンから聞いた。パイは俺の開眼に反対してるってな」

「あのお喋り……!」

「あのままやられてたら、俺はそれで終わりだった。碑文も回収できたはずだ。なあ――なんでだ?」


 今問うべき質問ではないことはわかっている。

 開眼できた今、わざわざ聞くような質問ではないことも承知している。この質問は互いの関係に悪戯にヒビを入れるだけのものになるかもしれないものだった。しかしそれでも、ハセヲは全てをハッキリさせておきたかった。

 曖昧な関係を拒んだが為。そして恐らくは、パイと対等に向き合う為に――彼女を、肯定する為に、今ここで聞いた。

 やがてパイは諦めたように溜息を付き、口を開いた。


「――碑文も回収できたはず、か……。さっきも『碑文が取り出せるように細工しているんだろ』って言ってたわね」


 言った。

 AIDAに襲われた直後、パイに助けられてしまった直後、八つ当たりのようにそう喚き散らした。


「開眼してしまった今だから言えることだけれど……アナタのPCデータには、一切手をつけていないわ。勿論、碑文にもね」

「なに?」

「正確には、手をつけることが出来ないのよ。碑文に選ばれたPCには、強固なプロテクトがかけられている。CC社の最高権限を以ってしても、解除できないほどのプロテクトがね」


 ハセヲはまじまじと自分の身体を見た。

 このPCボディにそんなプロテクトがかけられているとは、思えない。しかしそれ以上に、パイが嘘を言ってるようにも思えなかった。


「結局のところ、私達はアナタに手をだすことなんて出来やしないのよ。出来ることといえば、あなたの心理を誘導することぐらいかしら」


 苦笑混じりにパイは天井を仰ぎ見た。声には自嘲が含まれている。


「じゃあ、俺があの時AIDAにやられてたら――」

「恐らく碑文はどこかに転移して、その所有者であるアナタは意識不明……といったところかしら」

「…………」

「私がアナタの開眼に反対していた理由、これはいたって簡単よ。アナタは関わるべきではないから、反対していただけのこと」

「なんだよ、そりゃ」

「文字通りの意味よ。アナタはもう『The World』に関わるべきではなかった。ましてや、碑文には二度と関わるべきではなかったのよ」


 ハセヲはそれを怪訝気に聞いた。

 関わるべきではなかった……?

 何を今更。俺は――ハセヲはもう既に十分関わってしまっている。それこそ、目をそらすことなど出来ないほどに――


(――――二度・・と、関わるべきではなかった?)


 二度と、とはどういうことか。

 最初にスケィスを喚び出した時の事を一度目とするならば納得できる。だが、パイは『碑文には』といった。憑神のことを指してはいない。碑文ならばこれまで既に三度接触している。

 ではパイは、いつのことを指して一度目としているのだろうか。


「それと、庇った理由だけどね」


 思考を遮るようにパイの声が届いた。

 とりあえず先ほどのことは保留として、ハセヲは耳を傾けた。

 するとパイは何を思ったか、急に顔をあさっての方向へと向け――


「これには理由なんてないわよ。勝手に身体が動いてただけ」


 文句あるかと言わんばかりの口調で、そう断言した。


「――――――」


 しばし唖然。

 碑文の転移を防ぐ為に庇われたと思い込んでいたハセヲにとって、意外すぎる答えだった。

 言い切ったパイの様子から嘘とは思えない。それだけに、ハセヲにとって少なからず衝撃を与える事実でもあった。


「さ、説明はこれで終わり。さっさと寝なさい!」


 そういったときにはいつもの事務的な態度に戻っていた。


「あ、あぁ……」


 意味の無い気迫に押される形で、ログアウトの実行作業を行なう。

 取りようによっては命令とも受け取れるそれに反抗しなかったのは、ただ単に疲れているだけだ。そう思い込むことにした。


「――――ハセヲ」


 そうして――視界が暗転し、リアルへと戻る直前。


「助けてくれてありがとう。感謝してるわ」


 そんな、やわらかい声を聞いた。







To be Continue












作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

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第三十話 : 関係











鏡合わせでただ語ろう


互いの問いが尽きるまで