「随分と……寝てたらしいな」


 目が覚めた頃には日が沈みきっていた……どころではなく深夜を過ぎ、朝の四時となっていた。

 こんなにも長い時間を寝ていた自分に感心しつつ身体を起こす。

 まずは手足を動かし、五体が満足に動くかどうかを確かめた。


「脚は動く……立てる。左腕もいけるな。右は……クッ」


 拳を握ったり開いたりを繰り返して確かめていたが、動かす度に脳髄と右手に痛みが刺さる。

 全体的に、体調はほぼ回復している。右腕以外の箇所は問題なく動き、痛みもない。しかし、右腕だけはまるで動かされることを拒むように痛みが走る。


「また、右腕かよ……」


 僅かに残留している眠気を振り払うかのように、頭を振る。

 そして疲労しつくしていた昨日では考えられなかったことを――何故こうなったのかを考える。

 そもそも、ハセヲは衰弱していた原因は三爪痕の最後の攻撃によるなんらかの後遺症のようなものだと考えていた。

 三爪痕はPKしたプレイヤーの意識を――志乃の意識に干渉し、意識不明に陥らせた化け物だ。そいつにPKされた以上、意識不明になっていなくともなんらかの機能障害を負うぐらいは当たり前だと言える。

 身体が弱り、痛みだしたのは三爪痕にPKされてからログアウトした直後からだった。

 最初は身体が衰弱するだけで痛みは無かった。

 二度目はログアウト直後に痛みが走り、数時間まともに動くことが出来なかった。

 しかし、それも消えた。

 痛みは無くなり、身体の体調も回復した。何が原因で治ったのかは判らないが、そもそも痛みや衰弱になった現象もよく分からないものなのだ。考えても仕方が無い。

 だが、回復したはずだった。

 完治したはずだった。

 そのはず――だった。

 けれど、なんてことだろう――この身体は、治ってなどはいなかった。


「――――」


 ――今回の三回目。

 痛み、どころの話ではない。

 激痛と名付けるのも生温い。

 あれは『狂痛』だ。

 狂う痛み。狂気の痛み。狂おしい痛み。そういった痛みだ。

 それは痛覚を一本ずつ剥ぎ取られ、丁寧に串刺しにされていくような……この世のものとは思えない痛みだった。


「結局、何も治ってなかったってことか……」


 ならば何故痛みが一時的にでも消えたのか。

 二度目も翌日には回復していた。今回の三度目も、今は痛みが沈静している。

 再発した以上、症状が治っているということはない。では治っていないはずなのに、なぜ痛みが消えているのか。

 その答えも実に――実に簡単に導き出された。

 回復していないのに痛みが消え、体が動くようになったのはつまりそういうことだろう。

 馬鹿馬鹿しいほどに簡潔な――そして残酷な答え。

 ただ――潜伏期間に入ったというだけだったのだ。


「つまり――」


 いつ爆発するとも知れぬ爆弾を抱えている――この体は。

 しかも致死性。

 猛毒を孕んだ炸裂弾。

 内側から粉微塵に吹き飛ばしかねないほどの火薬量。

 ――ああ、なんてことだろう。

 この体は――死に瀕している。


「くっ……ふっ……は、はは……」


 何度考え直しても行き着くのはその答え。

 原因が三爪痕しか考えられない以上、いくら突き止めても答えは一つしか導き出されない。

 三爪痕は俺に――致死性の傷跡ウィルスを刻み込んだ。


「はは……はっ……く……ははははははははっ!!」


 なにが可笑しいのだろうか。いつの間にか笑い出していた。

 突然に死に晒された境遇が映画かドラマのようで笑えてしまうのだろうか。

 恐怖に押し潰されそうになって、笑うということで精神を防衛しているのだろうか。

 それとも――体に爆弾を抱え込んでいるなんてことを、当たり前に受け入れている自分が余りにも滑稽で、笑うしかなくなってしまったのだろうか。


「ははははははははは! はぁはぁはははは!!」


 それすら判らず笑い続けた。

 涙が出るほど笑い続けた。

 目の奥が熱く、いつまでも涙が出続けた。

 そのまま涙が枯れるまで、ただ――道化のように笑い続けた。










      *****










「ねえ……」

「ん?」


 高級住宅地へと続く長い坂道――家への帰り道を二人はただ無言で歩き続けていた。

 その沈黙を破ったのは浅見であり、その言葉に仏頂面で答えたのは伊藤であった。


「買ってきた果物、どうしたの?」

「ベッドの横に置いて来た。あんだけありゃどれかは食えるだろ」


 家を訪ねる前、二人は近場の商店街に果物を買いに寄っていた。

 縁の薄い浅見は目を白黒させていたが、伊藤は慣れた手つきでひょいひょいと買い物籠に果物を片っ端から放り込み、山ほどの量を買い込んでいた。

 亮の具体的な病状までは判らなかったが、体が弱っていることだけは報告から自明の理であった。

 今回で恐らく二度目。それ以前に隠していたのならばそれを回数に加えることは出来ないが、あの毅然とした三崎亮が周囲を騙しきれないほどに体調を悪化させたのは、これで二度目になる。

 全身筋肉痛だと言い訳していた一度目でも通院した様子が無いところを見ると、今回も行く気は無いのだろう。ならばせめて栄養価の高いものだけでも、との気遣いであった。

 自然な手つきでピッキングを行い部屋に侵入すると、そこにはベッドに横たわっている三崎亮の姿があった。

 昼間からベッドにもぐりこんでいる点を差し引けば、まあいつもの優等生――三崎亮だったといえる。

 ただし、付き合いの浅い普通の人間から見れば、の話である。


「ねえ……」

「あんだよ」

「三崎君……辛そうだったね」

「そうか? 俺にはいつもの優等生に見えたけどな」


 あさっての方向を見ながら伊藤は答えた。


「バレる嘘はつかないほうがいいよ……。意味が無いから」

「ンな事もねえさ……バレバレだからこそ意味を持つ嘘ってのもある」


 ぼんやりとした様子で伊藤は歩き続ける。その足取りは目に見えて気力が無く、ただ重たげに足を運んでいるかのようだ。

 浅見の言葉にも今ひとつ普段のキレが無い。いつもの彼女であればその後に『どのみちマサヨシちゃんみたいな浅知恵の働かない単細胞の嘘なんてすぐバレちゃうけどね』ぐらいのことは付け足して当たり前である。

 言ってしまえば、二人とも覇気が無い。それもひとえに、亮の発した言葉が原因となっていた。

 二人が部屋を出る前に亮が投げかけてきた、あの言葉。


『関わらないでくれ――迷惑だ』


 完全な拒絶の言葉。

 他者の関わりさえ拒む孤独な意志の表れ。


「関わるなって、言われちゃったね」

「――ああ」

「迷惑だって、言われちゃったね」

「――ああ」


 その言葉が、道中の二人の心にずっと残り続けていた。

 絶えず反響し、思考の全てをその言葉が染める。それほどまでに、彼の言葉は心に深く刺さったのだ。

 ――伊藤将義、浅見楓、三崎亮。

 この三人の付き合いはそう長いものではない。知り合ったのが高校の入学式。それから一年、二年と同じクラスでの付き合いとなるわけだが、たかだか一年と半年ほどの付き合いでしかない。

 三人の通う高校は都内有数の進学校ではあるが、土地柄の関係上、地元から進学する人間も多い。

 同級生の中では中学校からの付き合いや、それこそ小学校からの十年近い付き合いのある友人がクラスメイトであることもそう珍しくは無い。それに比べれば、三人の付き合いは短いものであると言わざるを得ないだろう。

 三崎亮にとっては、それこそ短く浅い付き合いだ。しかし二人――伊藤と浅見にとってそれは違った。

 二人はこの街の一角に存在する高級住宅地に居を住まえる、豪商の子だ。

 かといっても家の名に縛り付けられるようなことは無く、一般的な子供として育てられてきた。

 両家の親は古くからの馴染みであり、共に良き親であった。掛け替えのない子供時代を、家門などというもので取り上げるような真似はせず、一般的な家庭の子供と同様に愛を注いで育ててきたのだ。

 しかし――それでも二人と周りとの間に軋轢は生じてしまった。

 まず価値観が違う。

 物事に対する視点、考え方、その価値の重さが違った。

 望めば手に入ってしまう二人にとって、一つ一つのものに対する価値観が周囲に比べ希薄な傾向にあった。その為、なんら価値のないものでも宝のように扱う子供特有の行動に理解が示せず、子供特有の輪の中に順応し切れなかったのだ。

 虐めにあったり疎外されたわけではない。しかし、それでも二人は、自分たちと周りとの間に埋めがたい溝があることを幼心に感じ取ってしまっていた。

 そして、二人は無難に育ち、無難に生きた。心許せる友人を、お互いしか得ないまま。

 ――それも仕方が無いと思っていた。

 成長した心で振り返ってみてもそれは仕方が無いことだった。家を疎ましく思ったこともないし、そういった家に生まれたことを悔やんだ事も無い。ただ、周囲と視点が違ってしまっただけの話なのだから。

 そうして、生きてきた。

 無難に生きてきた。

 周囲の環境との間にこれ以上の軋轢、齟齬を生まないように。

 少しでも溝を埋められるように努力して――そして諦めた。

 中学校を卒業し高校生となり、新しい生活の始まりを告げる入学式も二人にとってあまり意味を持つものではない。

 年を重ねるごとに溝は埋めがたい深さとなり、周囲と人間と自分たちとの壁は強固なものとなっていったのだだから。

 周囲の人間にとって自分たちは『普通の人間』では無く『裕福な家に生まれた人間』として見られてしまう。周囲にとって、二人は『金持ちの息子』と『金持ちの娘』であり、最初から『伊藤将義』と『浅見楓』として見てくれる人物は皆無だった。

 わざわざ自分たちからバラさなければ普通の人間として振舞うことも出来る。けれど二人はそれを嫌った。自身と周囲を偽ってまで輪の中に入り込もうとすることをひどく嫌った。故に、自身を隠さず振る舞い――結果、溝は御しがたい深さとなった。

 しかし、何故か入学式のその日に限ってひどい早起きをしてしまった二人は、通学途中の公園で待ち合わせた。もしかすると新しい生活になにかを期待しているのかもしれないな、などと皮肉を言い合いながら入学式までの時間をそこで潰した。

 公園に隣接する高校へ続く道には、ぞろぞろと新入生が期待に満ちた顔で歩いている。

 誰もこちらに関心は無い。

 公園に足を踏み入れることも無い。

 馬鹿げたことだと思いながらもふと考える。

 この公園と道路を分ける境界線は、自分と周囲との溝そのものを象徴しているようだと。


 そうしてこれまでと変わらぬ新生活を送ろうとしていた矢先に――二人は彼に出会ったのだ。


 出会いはこれといって特筆すべきものでもない。それこそ彼本人にとっては、覚えてすらいないほどの出来事。しかし、二人にとっては何よりも得がたかった、待ち望んだ出来事だった。









『何やってるんだ? そろそろ行かないと間に合わないと思うけど』


 入学式のあの日。彼はつまらなそうに公園の入り口から声をかけてきた。

 二人はそのように声をかけられたことは無かった。常に二人で居たためだろうか、いつしか周囲を寄せ付けない空気を纏っていたらしく、そんな二人に自ら声をかけてくる人間は稀だった。


『ああ、俺たちはいいんだよ。時間ぎりぎりになったら行くから』


 多少戸惑いつつもそう答えた。


『時間ぎりぎりって……何でだ?』

『……私たちは、違うから』

『――違う?』


 彼もまた戸惑う。こちらの意図を汲めないのだろう。


『なんか知らないけど、ようするに時間ぎりぎりじゃないと行けないのか?』

『うん……そう、かな。私たちは、混ざっちゃいけないから……』

『……ふぅん』


 そう言うと彼はいとも無造作に、道路から公園へと足を踏み入れ、、二人へと歩き出した。


『んじゃ、俺も付き合うよ』


 二人はそれを理解できなかった。

 何故そんなことを、と聞いても『さあな』と、はぐらかすばかり。

 今にして思えば理由など無かったのかもしれない。


『名前教えてくれないか?』


 初対面の相手へのお決まりの台詞。彼が壁の向こう側の人間であると知りつつも、聞かれてしまったが為に名乗った。


『俺は伊藤。コイツは浅見だ』


 取り立てて珍しい苗字でもないが、ここら一帯でこの二つの名前が一緒に出てくることには特別な意味がある。

 この二つの名前を一度に出せば必ずこう聞かれる。あの金持ちの伊藤と浅見の人間なのか、と。

 それを聞かれるのが嫌で先手を打って言った。


『多分アンタもご存知の伊藤家と浅見家の人間だよ。俺らは』


 この後に相手が何を言うかは大体判っている。大抵が仰天するか騒ぎ立てるか、どれくらい金持ちなのかなどと意味のない質問をしてくるだけだ。いつだってそうだった。それは恐らくこれからも変わるまい。社会に出るまで、一生変わるまい。


 そう――思っていた。


『へえ。そうなんだ』


 ――驚いた。

 ただ、驚愕の一字のみが思考の全てを支配する。

 隣の浅見は口を半開きにして呆けている。恐らく自分の表情もそう変わるまい。

 この両家の名前を出して平然とそれを流す人間など、ただの一人もいなかった。

 そんなことは些細な事だと言うように、何でもない事だと言うように振舞ってくれた人間など――いなかった。


『お前、名前は?』


 気づけばそう聞いていた。

 そして言ってから気づいた。


『あぁ、悪い。先に名前言うべきだったな』


 目の前の彼は――照れくさそうに笑っている彼は――


『俺は三崎亮っていうんだ、ヨロシク。伊藤君、浅見さん』


 長年求めてやまなかった人間なのだと。

 壁や溝など関係の無い、対等であってくれる人間なのだと――。









 ――そんな出会い。

 恐らくは亮はほとんど覚えてすらいないであろう出会い。

 それでも――二人にとっては掛け替えのない、大切な出会い。

 あの日から二人は変わった。

 二人を取り巻く環境が変わり、二人の取るべき行動も変わり、二人の周囲にいる人間も変わった。

 ――いや、変わったのではない。変えてくれたのだ。

 いつまでも二人だけだった自分たちを、壁や溝なんてありもしないモノの先から引き摺りだしてくれたのだ。


「関わるなって言われたし、迷惑だとも言われちゃった」


 それは恐らく本心からだったろう。

 三崎亮という男はあのような類のことを生半可なことでは言わない。言った以上それは事実であり、また本音であった。


「けど――」


 しかし――


「それでも――関わるんだよね?」


 黙ってみていることなど出来はしない。


「――ああ。当たり前だろ」


 だから浅見のその言葉にこう答えるのは――当然のことだ。


「無理矢理にでも関わってやる。んでもって――助ける」


 恩人が――アイツが今、苦しんでいる。

 あれほどまでに苦しんでいる。

 他人にそれを隠しきれないほどに……苦しんでいる。

 ならば、それを助けるのは当然のこと。

 嫌われても構うものか。

 拒まれてでも無理矢理助ける。

 何故なら三崎亮は――


「なんせアイツは」


 およそ望めば何でも手に入れられた自分たちにとって、いくら望んでも得られなかったモノ――


「俺たちの――親友だからな」


 二人にとっての、ようやく手に入れられた宝物なのだから――。













To be Continue




>第二十二話・三話の連続更新に歓喜。
>大変だとは思いますが、ハックシリーズ頑張って下さい。


有難うございます! 

皆さんに応援のメールなどいただいているので、楽しんで連載させてもらってます♪

長い長い物語となるかもしれませんが、ご愛読ご感想をよろしくお願いいたします。






作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。

ご感想をメールで下さった方には、お返しに

『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。




作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。







.hack//G.U 『三爪痕を知ってるか?』

第二十三話 :得難き宝











泣けよ


泣き止むまで此処にいるから