ぼんやりと、あの日を思い返す。

 あの日――世界の終焉が約束されたあの日。


「“波”が来る――」


 そう彼は言った。

 いつものマク・アムの湖畔で座り、私はそれを聞いた。


「聖域に隠れていろ。マク・アヌと言えど、アレには抗いようも無い」


 それには答えず、ぽつりと聞いた。


「貴方はどうするの?」

「私も直に行く。オマエが聖域に入るのを見届けてから、な」


 どうしてこんなことになったのだろう。

 誰がこんな事を望んだのだろう。

 私には分からない。


「何をしている。もう幾分かの猶予も無いぞ」


 けれど一つだけは分かっている。

 私はこうしている今も、ある欲を抱いている。


「――私は、行かない」

「な―――に?」

「聖域には、行かない」


 私はその欲求に従う。

 例え滅び行くのだとしても、生き様を曲げたくは無い。


「正気とは思えんな。“波”に抗えるとでも思っているのか?」

「私は“波”を知らない。けど、それがどうしようもない存在だってことは理解できる」

「では何故だ」


 さあ。なんでだろう。

 私自身にもよく分からない。

 ひょっとしたらただの意地だったのかもしれない。

 けど、もう決めた。

 決めたからには実行する。

 私は自身の欲求に従い、此処に残る。

 けれど――それには彼は関係ない。


「貴方だけ行って。私は此処に残る」

「断る」


 答えは簡潔だった。

 しばしの間、言われた意味が判らず呆けてしまった。

 その一言だけで十分だというように、彼はそれ以上何も言おうとしない。

 仕方が無く、聞いた。


「なんで? もう数分も持たないんでしょ?」

「ああ。既に“波”が到達するまで秒読みに入った」

「じゃあなんで行かないの?」


 彼は視線をそらし、どういうべきか悩んでいるようだった。

 一拍をおいて嘆息交じりに口を開いた。


「さあな。気紛れだ」

「そう。じゃあ私も気紛れ」


 言って立ち上がった。

 パンパンと太股を叩いて草を落とす。


「唐突に散歩に行きたくなったの。付き合ってくれる?」


 手を差し出す。

 彼の瞳を見上げ、促した。

 彼が何故残るのかは判らないが、残った以上何をしようとしているのかは判る。

 彼は言った。

 “波”は強大なる存在。およそ抗う術すら持てぬ理を異する存在だと。

 けど、それでも残ると決めてしまった。

 ならば、為すべきことは唯一つ。


「全く……私が言うのもなんだが――」


 手と手が触れ合う。

 彼の手は熱く、高揚が直に伝わる。

 そのまま強く握り締め、彼の言葉を待った。


「もう少しマトモな嘘を言え」


 苦笑して彼は視線を地平へ向けた。

 “波”が走る、地平へと。

 ――怖く無いといえば嘘になる。

 身体は震えっぱなしで足は今にも逃げ出しそう。

 私を構成する核たる要素が自己保存を命じ、警告音がけたたましく脳概に響く。


「それじゃ――いきましょう」


 それらあらゆる恐怖を無視した。

 隣には彼がいる。みっともないところは見せられない。

 気を引き締め、毅然とした足取りで歩き出す。

 視線の先には、すぐそこまで迫り来る“波”。

 抗いようも無い、この世界において原典たる存在。


「この結末を誇れるものとする為に」


 言って駆け出し“波”に向かって翔んだ。

 打倒せしめる術も無く、ただ抗うためだけに二人は翔けた。

 その結末が誇れぬモノであることを知りつつ。










          *****










「………ッ!? ……! ……………!!」


 声が聞こえる。

 耳元で叫ばれているかのようだ。ひどくうるさい。

 まだ……寝ていたいのに。


「………ヲ………! ……起……!!」


 ダメだ。こうもうるさくては眠れない。

 仕方が無く、目を開ける。


(――――え?)


 真っ白だ。

 ただそれだけ。

 ただ、白いだけの視界。


(なんだ――ここ、どこだ?)


 視線を這わす。

 右。白い。

 左。どこまでも白い。

 真正面。限りなく白い。


(な、んで――?)


 いや、違う――白いのではない。

 これは白いというより――


(色が――無い)


 視力が――死んでいる。


(じょ、冗談じゃねえ!)


 目を閉じ、瞼越しにこする。

 そして覚悟を決め、目を開けた。


(――見え、る)


 色が戻ってきた。

 思わず安堵の息を吐き、身体の力を抜く。。

 視界には重苦しい曇り空に、二人の人が写っていた。


「ハセヲ!!」


 耳元で叫ばれ、顔を顰める。

 なにやら聞こえると思えば、先ほどからクーンが呼びかけていたようだ。


「んだよ、うるせえな。何度も呼ばなくても聞こえてんだよ」

「本当か? オレのことが判るか!?」

「……は? 何言ってんだよ、クーン」


 顔を上げると心配そうな顔でクーンが覗き込んでいた。

 うっとおしいので手で追い払う。


「……おい、なんで俺が倒れてんだ」


 身体を起こす。何故か自分は地面に横たわっていたらしい。


「憑神の開眼に失敗したのよ」


 クーンの横に立つパイが睨むように視線を向けてきた。


「失敗……したのか」


 ああ、そうか。そういうことか。


「つまり、失敗してあのボスにぶっ飛ばされて倒れてた、ってことか」


 ああ、そのはずだ。俺はボスに――スチームシェルに倒されてしまったのだ。


「……え? ハセヲ、あなた何言って――」

「何って……やられちまったんだろ、俺。考えてみりゃ、敵の目前で動き止めるなんざ馬鹿げてたな……」

「あなた……覚えてないの?」

「――覚えてない? 何をだ」


 戸惑ったようにパイとクーンが視線を交わしている。

 まだ頭がはっきりしていないのか、思考が纏まらずまどろみの中にいるようだ。


「……ハセヲ、今日は終わりにしよう」

「そうね、続きはまた後日に行ないましょう」


 まどろみの中にいて猶、歯噛みした。

 力を得なければいけないというのに……時間がないというのに、俺は失敗したのだ。


「くっ……!!」


 なんと無様。なんと無残。

 憑神を呼ぶどころか、碑文に繋がることも出来なかった。

 こうしている間にも、志乃は……。


「まだ時間あんだろ? とことん付き合ってもらう」

「ダメだ。時間をかければどうにかなるもんじゃあない」

「ざけんな! こんな所で……こんな所で足踏みしてる余裕なんざねえんだよ!」

「なら、まずは身体を休めなさい。碑文について私たちは貴方よりずっと理解している。一刻も早く憑神を呼び出したいというのなら、私たちの言う事を聞きなさい」

「……くそ、わかったよ! だがな、明日も当然付き合ってもらうぜ!? 憑神の呼び出し方が判るまではG.Uには一切協力しねえからな!」


 そう言い捨てて街へとゲートアウトする。

 やり切れない思いを抱えながら、ハセヲはそのままログアウトした。










          *****










「――どう思う?」


 二人残されたエリア、憂鬱になりそうな曇り空の下にクーンは口を開いた。


「一時的な記憶の混乱……にしては妙ね。前に貴方が言ってた違和感は――」

「ああ、これだ」


 雨がぽつぽつと降り出してきた。

 その内スコールのように振り出してくるであろうことを、なんとなく予想した。


「憑神を知っているのに知らない。碑文と対話したはずなのにそれを忘れている」

「しかも、それだけじゃないわね。記憶が抜け落ちてるばかりか、矛盾を感じにくいように記憶が改竄されている」

「アイツの過去に似たような事例は?」

「無いわ。今まで入院するような病気にかかったことも無ければ、事故に会ったことも無い。全くの健康体よ。精神的にも肉体的にも、現実世界の彼は健全そのもの」


 クーンはハセヲのリアルを一切知らない。しかし、パイはハセヲのことを詳細に、隅々まで調べつくしていた。

 それこそ『The World』の動向から現実世界のプレイヤーの事まで徹底して、だ。

 通常なら個人情報保護法に抵触するが、彼女はCC社の人間。罪にも問われなければ、調べるのも用意だったろう。だがそれでも、こうも徹底したデータを集める彼女の技量と完全主義には舌を巻くしかない。


「となると……原因は『The World』側にあるってことか」

「現実の彼に異常が見られない以上、そうなるわね」


 パイは難しい顔をして考え込んでいる。彼女にも、原因に見当がつかないのだろう。


「けれど、最も重要なのは原因じゃないわ」

「……どういうことだ?」

「考えてみればすぐ判ることよ。クーン、貴方は何故こんな現象が起こったと思う?」

「何故ってそりゃ……」


 言って気づいた。

 そうだ、そもそも何故こんな現象が起こる必要があるのか。

 ――いや、何故起こす必要がある?

 現実世界のハセヲのプレイヤーにはなんら問題がないとパイは言った。

 それはつまり、『The World』の何かがハセヲの記憶に関与しているということになる。

 しかも忘れているだけじゃない。改竄されているのだ。

 それはなんらかの意図が働いて――つまり、『The World』の何かがハセヲの記憶を操作している、という事実を指しているのではないだろうか。


「誰かが、何かの為にハセヲの記憶を操作してるってことか!?」

「もしくは誰かではなく何か、がね」

「どっちにしろ、動機があるはずだ。その動機こそが」

「最も重要視するべき問題、ということになるわね。見当はつく?」


 しばし考える。妥当な、しかし同時に的外れでしかない解答ばかりが頭に浮かぶ。


「ハセヲが碑文に目覚めると不都合な人間がいる、とか」

「仮にいたとして、そいつは何故『ハセヲ』を破壊しないの? PCを通じて現実世界の記憶を改竄するなんて芸当が出来るなら、それも不可能じゃないはずよ」

「なんたって、碑文使いPCにハッキングするような能力があるわけだからな……後は思いつかない。パイは?」

「憶測の域を出ないものばかりね。どれもこれも、あたっているとは思いにくいものばかりよ」

「なんにしても……厄介だな」


 頭を悩ませる種がまた一つ増えてしまった。


「けどまあ……ハセヲに素質があることが判明しただけでも収穫だったか」

「危うく碑文に取り込まれそうだったというのに……楽観的なことを言うわね」

「対話には成功していただろ? 後は自分なりの制御方法を見つけられれば」

「あれで成功? 私たちがいなければ死んでいたかもしれないのよ」


 パイは不機嫌そうな、そして同時に深刻な表情をしていた。


「なあパイ、なんでアイツに限ってそんなに否定的なんだ?」


 彼女は理知的で聡明な女性だ。

 G.Uの準責任者ともいえるヤタのサポーターである彼女は、仕事と私事を完全に切り離して行動できる。

 たしかにパイとハセヲの中は険悪だ。最悪のそれといってもいい。しかし、これが仕事である以上は――
碑文使いが関わる問題である以上、そのような些事は私情に挟まないはずだった。

 まるで、彼女らしくなかった。


「……あの子は、碑文を手に入れるべきじゃないのよ。さっきも言ったでしょう……」


 雨が激しくなってきた。彼女の顔は、雨に遮られ表情を読み取ることが出来ない。

 しかし、何故だろうか――


「判ってしまうのよ、私には……」


 彼女が、今にも泣きそうに見えたのは――。










          *****










「……くそっ……」


 椅子の背に体重を預け、天井を仰ぐ。

 時計を見ると、ちょうど日が変わろうとしていたとこだった。

 三時にはエリアに飛んだはずだ。あれから……九時間経つのか。


「なんでだよ……なんで、使えねえんだよ……!」


 強めの敵と何十を戦闘を重ねた結果、レベルは大分上がっていた。

 三時までカナードの二人――シラバスとガスパーとレベル上げに行った分とあわせれば一日の収穫としては十分だった。

 しかし、今の目的はあくまで憑神を使えるようになることだ。その目的が達成できなければ、レベルがいくら上がろうともなんの意味も無かった。


「あんだけ感情剥き出しにて足りないってんなら、どうすりゃいいんだよ……」


 弱音ともとれる愚痴をこぼす。

 愚痴をこぼした自分に更に苛立ち、乱暴に机を叩く。


「身体を休めろ、か……仕方ねえ」


 とにかく、碑文についての知識が無い以上は指示に従うしかない。

 悔やむよりも、使えるようになる為にあらゆる労力を賭すべきだ。休むのが必要ならば休むしかない。

 姿勢を戻し、椅子から立ち上がる。




「――――――――――え?」




 途端、世界が紅に染まった。


 赤ではなく紅。赤よりも朱く、朱よりも紅い、血のような色。


 目に映るのは全て紅。どこまでも紅い死の色だった。




「――――ガッ―――アァ!?」




 一瞬の後、激痛で意識が飛んだ。




「ギッ……ガ、ア……ッ!!」




 激痛の波が幾度も迸り、無理矢理意識が引き戻される。




「ウアアアアアァァァアァァアァ!!!」




 たまらず叫んだ。


 叫ばずに入られなかった。


 叫ばなければ狂っていた。


 痛み。


 痛みだ。


 それこそ死ぬほどの痛みが奔っている。




「――ギ――ィー―アアアアアァァァアァァアァ!!!」




 何故だ。


 何故だ。


 回復したはずだ。


 三爪痕による後遺症は昨日完全に消えたはずだ。


 何故。


 何故。


 何故痛みが。


 何故これまで以上の痛みが奔る!?




(死―――ぬ)




 死んでしまう。


 このままでは死んでしまう。


 こんな痛みを感じてしまうほど壊れている身体よりも先に――


 心が先に死んでしまう。




「アァアァァア!!!」


 頭を壁に打ちつける。

 何度も何度も壁に床に机に打ち付けた。

 額が割れて血が出ていたがそれでも打ちつけ続けた。

 とにかく今はこの痛みから――内側から奔る痛みから少しでも逃げたかった。


「―――!?」


 玄関。自分の声に紛れて聞こえにくかったが、たしっかにチャイムの音がした。

 いくら防音材を仕込んでいても真夜中にこの大声。不審に思った隣人が様子を見に来たのだろう。

 これ以上声を漏らさぬように右腕に噛み付いた。それでもくぐもった悲鳴がやむことはなかったが、外に漏れるほどのものではなくなった。

 この状態を他人に見せるわけにはいかない。

 今の自分の状態はどこから見ようと異常そのもの。見つければ病院に縛り付けられるのは目に見えている。

 こんな時でも保身にも似た判断を下せるあたり、とっくにどうかしてしまっているのかもしれない。


「く……ぁ………!!」


 ようやくチャイムがやんだ。

 尋常でない悲鳴を案じて強行に乗り込まれてはどうしようもなかったが、悲鳴がやんだことでどうやら諦めて帰ってくれたらしい。

 だが、次にまた絶叫を漏らしては今度こそアウトだ。警察か救急車を呼ばれて病院送りになってしまう。

 カーペットに座り込んだまま身体をくの字に曲げ、左手で胸を掻き抱くようにして耐える。

 いつ終わるともしれない痛みに耐えながら、亮は長い長い夜を明かした。




























To be Continue




〜ご感想に対するコメント〜


〜ご感想に対するコメント〜

精神の繋がり否定しておいて息があがるとかなんですか?
>もうちょい定めたほうがいいですよ。




 精神の繋がりを否定しているのはハセヲの見解であり、それが事実であるということではありません。それでも一般プレイヤーでは息が上がる、などということはないのですがハセヲにはその現象が発生しています。この点についてはこれから先の話で語られることとなっています。

 元となるゲームに不可避のグレーゾーン、及び矛盾点などがあるので読みにくい部分もあるかとは思います。ですが私なりのではりますが、それらに一貫性を持たせて根幹となる事象をある程度定義づけています。

 これまでの話でその定義づけを明かすこと、また語りきることは出来ませんでしたが、物語の進行と共にその不特定の事象にもある程度の筋を通していけると思います。

 今回ご指摘いただいた『精神との繋がりがないはずなのに息が上がる』という矛盾も、これからの話できちんと語られます。ご指摘有難うございました。






三爪痕を知ってるか?、いつも楽しませて頂いています。
>完結まで頑張って下さい。




 楽しんでいただけているようで嬉しく思います。ご愛読有難うございます!
 さっきざっと目算で計算したのですが、このペースだと完結まで百話近いという気の遠くなる事実が……。
 とはいえきっちり完結させたいと思いますので、これからもご感想、ご意見をお願い致します。












作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。

ご感想をメールで下さった方には、お返しに

『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。





作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。







.hack//G.U 『三爪痕を知ってるか?』

第二十一話 :割れる記憶











弱き者よ、汝が名は人間なり


強き者よ、汝が名は
――