(気に食わねえヤロウだ……)


 『レイヴン』のホームの奥底の闇――『知識の蛇』から出たハセヲの脳裏に浮かぶのがそれだった。

 有り体に言って先ほどまでの交渉相手、八咫は間違いなく好かない相手だった。

 人を見下したような物言い。そして何もかも見透かしていると言いたげな口調。

 自分とは完全に馬の合わない相手だ。だが――


「とりあえず……収穫はありか」


 八咫との会話を思い出しながら、ふと呟く。

 思い出すのも腹立たしいが要約するとこうだ。


『このゲームには仕様を逸脱した存在――AIDAと称される“バグではないバグ”が存在する。君にその除去をしてもらいたい』


 聞けば、そのバグとやらは管理者の手でも消去の出来ないモノらしい。

 ハセヲはその話を聞いた時点でふざけるなと叫んだ。正直、ふざけているとしか思えなかった。

 CC社の技術は自他共に認める、世界でも最高峰のソレだ。時代の最先端、もしくは幾世代か先の技術を保有している世界最大企業。その技術は他の追随を許さず、特にネットワーク関連技術においての信頼性はずば抜けている。

 そのCC社の最高技術で消せないものを、目の前の男は俺に消せと言う。馬鹿にしてるとしか思えなかった。

 しかし奴――八咫は、


『君のPCには“秘められた力”がある。その力ならば……いや、その力でしかAIDAを駆除することは出来ない』


 などと、こともなげに言ってきた。

 聞けば『ハセヲ』のPCボディはCC社の極秘プロジェクトで作成されたものであり、一般PCには無い力があるという。そしてその力が、AIDA駆除に必要なのだと。

 馬鹿馬鹿しい話だ。

 “秘められた力”などと安っぽい単語を出されては信憑性も薄れる。そんな事をどこまでも真面目に淡々と語る目の前の男――八咫がまともな頭をしているとは思えなかった。

 そもそもその話は不可解なことばかりだ。

 何故、極秘プロジェクトで作られたPCボディが俺の手に渡ったのか。

 バグを消せる能力を保有しているPCを作る技術があるというのに何故、CC社の手でバグを消せないなどというのか。

 そして何故、そんな力――恐らくはプログラム――を『The World』のPCボディに保有させたのか。

 それに仮に、もし仮に“秘められた力”とやらがあったところで、俺はそんなことをする義務がなければ義理もない。そもそも呼びつけておいてバグの除去に協力しろなどと、言い分が気に食わない。だが――


『我々と君との利害は一致している。我々はAIDAと同じく仕様を逸脱した存在――三爪痕の調査も行っているのだから』


 立ち去ろうとした矢先に八咫が言ったその言葉で、全てが決まった。

 三爪痕はAIDAなのかと聞けば、判明はしていないが無関係ではないだろうと八咫は答えた。

 八咫の言うところによると、三爪痕とAIDAの共通点、すなわち仕様を逸脱した存在という点でのみ論ずれば同一の存在だということは確からしい。が、両者の行動は独立したものであり関連性がないと言う。


『我々はAIDAを駆除する戦力を、君は三爪痕の情報を入手できる。悪い話ではあるまい?』


 物言いは最悪に好かないものだったが、条件は確かに悪いものではなかった。

 締めに『この話を受けるかどうかは君の判断に任せる』と言って八咫は黙った。

 ……ふざけた話だ。

 受けるかどうかなどとっくに答えは出ている。

 そもそも、別の選択肢が存在しない。

 三爪痕の情報の提供、という条件を出されて俺に断れるわけが無い。

 奴はそれをを知った上で判断は任すなどと言ったのだ。

 本当に、全くもって気に食わない奴だった。


『条件がある』


 そうしてこちらが出した条件は二つ。

 AIDA駆除の協力はするが指図は受けないこと。そして三爪痕についての必要な情報が集まれば協力を打ち切ること。

 八咫はその条件を呑み――俺は奴に協力することになった。










          *****










「よぉ、おかえりハセヲ。『G.U』に入るんだってな」


 ホームの広間に戻ったハセヲをクーンが出迎える。


「……G.U? なんだよそりゃ」

「ああ……このギルドの『レイヴン』ってのは偽名で、本当の名前は『G.U』っていうんだ」


 意味はよく知らないんだけどな、とクーンは付け足す。


「名前なんてどうでもいいんだよ。それより――“秘められた力”とやらが何かを教えろ」


 そう、名前などどうでもよかった。

 他のことなどどうでもよかったのだ。

 確かにAIDAとやらの駆除に協力はする。

 『三爪痕』の情報の為だ。それは仕方ない。

 しかし、その情報提供だけが取引を成立させる要因だったわけではない。

 他にもう一つ、ハセヲにとって魅力的な条件が水面下で提示されていた。



  『AIDAは“秘められた力”でしか駆除できない』

  『三爪痕もAIDAも仕様を逸脱した存在である』



 この二点から導き出される答え。

 それは、“秘められた力”を使えるようになれば三爪痕に対抗できる、という事実。

 これこそが、取引を成立させるに至った最たる要因だった。

 他のことなどどうでもいい。

 まずは“秘められた力”とやらの使用方法を知ることが……三爪痕に対抗する力を手に入れることが最優先事項だった。


「八咫はまともな説明しなかったからな。アンタやオバサンに聞け、だとよ」


 言って辺りを見回す。


「オバサンはどうした、いないのかよ?」

「あー、パイはちょっと用事が出来たとかでな。今は席をはずしてる」

「ならアンタに教えてもらおうか。そもそも“秘められた力”ってのはなんなんだ?」


 そう、まずはそのことからだ。

 自分には判らないことだらけだが、優先される事項から聞いていく。


「“秘められた力”……。“憑神”のことか」

「憑神……?」


 聞き慣れぬ単語を反芻する。


「この間さ、ロスト・グラウンドで黒い泡に会ったときのこと覚えてるか?」

「ああ、覚えてるよ。これ以上なくハッキリとな」


 覚えているもくそも無い。

 あんな異常事態に遭遇しておいて忘れることなどできはしない。

 そう、ハッキリと覚えている。

 黒い泡に全く抗えずに逃げ回っていたことを――。


(……なに?)




 抗えずに逃げ回っていた・・・・・・・……?




 おかしい。


 それはきっとおかしい。


 何故かわからないが矛盾している。



(なんだ……? こんなにハッキリと覚えているのに……何かを忘れている?)



 そう、矛盾している。


 覚えているのに忘れている。


 忘れているのに覚えていることになっている。


 それはおかしい。


 決定的におかしい。


 なのに……何がおかしいのかが判らない。




(……くそ)




 苛立たしげに舌打ちをする。

 よく判らないが、杞憂だろう。

 俺はハッキリとあの時のことを覚えているし、何も忘れてはいない。

 余計なことを考えぬよう思考を切り替え、クーンとの会話に集中する。


「あの黒い泡が、俺たちがAIDAと呼んでいる存在だ」

「……あれが、か」


 あの時の黒い泡――AIDA――を思い出す。

 おぞましさと醜悪さを極めつけたような、異形の存在。

 悪意を形にしたような、どこまでも昏く深い闇色をした黒色。

 そして、同時にもう一つの存在も色濃く記憶に残っている。

 AIDAとは対照的に、純粋な微光を身に纏う雄々しき碧の人形。

 無限の地平を生み出し君臨した、見るものを威圧する位の異なる存在。


「――AIDAを駆除できるのは“秘められた力”によってのみ。つまり、あの時のデケェ人形が……」

「ご名答。アレが“憑神”だ」


 クーンは腕を組みつつ説明を始めた。


「誤解を招く例えかもしれないが……憑神を喚び出すということは変身するみたいなものなんだ。俺が感じているものを言葉に置き換えれば、自身に内在する“何か”を身体に纏う……ってところかな」

「理屈はどうでもいい。その憑神の使い方を教えろよ」

「使い方って……もしかして、憑神を喚び出す呪紋とかあると思ってるのか?」

「……ない、のか?」

「ないよ、そんなものがあれば苦労しないしね」


 アハハとクーンは苦笑する。


「じゃあ、アンタはいったいどうやって喚び出してるんだよ!?」

「んー……アレは言葉じゃ伝えれるものじゃないからなぁ。冒険しながらでも教えるよ」

「じゃあ今すぐ行くぞ! 場所はどこでもいいんだろ?」

「そうなんだけど……悪いっ、オレいまからどうしても外せない用事があってさ」


 言いつつ、クーンはじりじりとホームの扉へ後退していく。


「お、おい!? 待てよ!」


 慌てて呼び止めるが時すでに遅し。


「後で必ず連絡するから見逃してくれっ! んじゃ、後でなー!」


 なー、なー、なー……とエコーが残る。

 エコーが消え去った後には、ハセヲと静寂のみがホームに残っていた。










          *****










 結局、クーンに逃げられたハセヲは『マク・アヌ』を当ても無くぶらついていた。

 やるべきことが無くなり、宙ぶらりんな状態になってしまったのだ。

 レベル上げに行こうにも『レイヴン』に行く前、シラバスとガスパーには今日のレベル上げの中止を連絡してしまっていた。あの二人は誘えない。

 あの二人以外にメンバーリストに登録されている人間と言えば……電波の入った『月の樹』のアイツぐらいだ。


「ヴェラとはメンバーアドレス交換してなかったしな……」


 失敗したなと嘆息する。

 この『The World』では基本的に仲間をパーティに誘えるのは街中のみ。一度カオスゲートを潜ってフィールドやダンジョンに出てしまえば再編成は出来ない。

 あの時は街に戻る時間も無く、そのままヴェラと行動を共にしていた。フィールドではパーティが組めなかったため、その場その場で協力し合う関係――俗に言う野良パーティ状態だった。

 現地でパーティ以外の人間と共に同じ敵と戦闘することも出来るが、パーティチャットや援護呪紋などの対象からは除外されてしまうことになる。

 おまけにお互いのHPや状態などのステータスを確認することも出来ない。詳細なデータを得られるのはパーティメンバー内だけであり、経験値やアイテムを得られるのもモンスターにトドメをさしたパーティだけが得られる仕様になっている。

 つまり、現地でパーティを組むメリットはほとんどない。あの時――アトリに無理矢理連れて行かれたエリアで出会った魔道士、ヴェラがメリットの少ない野良パーティに参加してくれたのはただ単に好意からだろう。

 別れ際にメンバーアドレスをもらっておこうと思っていたのだが、途中でいなくなってしまうとは誤算だった。彼女の戦闘技術があればレベル上げも容易になっていたはずなのだが……。


「やめだ。悔やんでも仕方ねえ」


 後悔を振り払うように、頭を振った。

 足手まといを連れて行く気は毛頭なし。カナードの二人は今更誘えない。

 となると、残る選択肢はソロ――パーティメンバー無しの単独戦闘しかない。


「……無理だな。このレベルじゃソロも出来ねえ」


 装備は貧弱。回復アイテムも無し。更には低レベルときた。

 こんな状態ではソロでエリアに出てもやられるのがおちだ。

 この前のリウファングとの戦闘でも、一対一の状態に持ち込み、それでいて万全の状態から戦闘に突入してようやく勝てたのだ。

 ソロでは一対一の状況などほぼ有り得ない。

 敵もまた2,3体で行動しており、ソロで戦闘をするならば自然と一対多の状況を余儀なくされる。

 今の自分に使える武器は双剣のみ。集団戦闘には到底不向きな武器だった。


「チッ」


 今更に、最弱の身となったことを否応無く自覚させられる。

 『死の恐怖』の3rdフォームでは、集団戦闘にこそ威力を発揮する大鎌を主武装として使ってきた。しかし、今の形態は1stフォーム。双剣しか装備できない身だった。


(仕方ねえ……落ちるか)

「あー、ハセヲ!」


 落ちようとした瞬間、絶妙なタイミングで呼び止められた。

 振り返った背後。腰まで届く茶髪を尻尾のようにくるくるとまとめた、どこか動物の尻尾を思わせるような愛嬌のある髪型をしたPCが手を振っていた。シラバスだった。


「シラバスか……丁度いいところに来たな、用事が無くなっちまったから今からレベル上げに――」

「いやー、ちょうどよかった! ハセヲがいてくれて助かったよ!」

「…………は?」

「付いて来て、急がないと時間が来ちゃうよ!」


 言うなりシラバスはタタッと中央広場へ駆け出していく。

 ワケがわからず、渋々とハセヲはその背を追いかけた。

 連れてこられたのは中央広場にあるギルドショップ――ギルドが独自に経営しているショップの集合地帯だった。


「おい、こんなとこまでこ連れてきてなんなんだよ?」

「うん。実はね、今日はレベル上げが中止になったから久々にショップを開こうと思ったんだけど、商品が足りなくてさ」

「で?」

「足りない商品をガスパーと二人で急いで買出しにいってるんだけど、店番がいないんだ」

「……おい、まさか」

「ハセヲに店番お願いするね! そろそろお得意様が来る時間だから」

「バッ、バカ言ってんじゃねえよ! なんで俺がンな面倒くせえこと――!」

「あ、ひょっとして店番するの怖い?」

「怖いわけねえだろうがあ!!」

「それじゃヨロシク! なるべく早く戻るからっ」


 と、シラバスは手を振って駆け出していく。


「お、おい――!」

「それと、挨拶はしっかりねー!」

「ざけんな!! 俺は小学生かよ!?」


 憤慨し叫ぶ。すでにシラバスは通りの奥へと消えていた。


























「くそっ! なんで俺がこんなくだらねえこと……!」


 押し付けられた不運を嘆きながら、渋々とハセヲはショップの店番をしていた。

 シラバスが店番を押し付けてから十分が過ぎていた。その間、ハセヲが愚痴り続けていたのは言うまでもない。

 椅子の背に顎を乗せ、ショップのカウンターに背を向ける形でただぶつぶつと文句を言い続けていた。


「あのぅ……」


 愚痴っていると背後から……つまりショップの正面、客の来る方向から声がかかった。

 ハセヲは咄嗟にカウンターに振り返り――




「いらぁっしゃいませええぇぇぇぇぇ!」




 サービス満天、接客業の鏡のような笑顔でハセヲ挨拶をした。

 文句のつけようも無い、完璧な接客態度。にっかりとしたその笑顔。

 『死の恐怖』の二つ名からは予想も出来ない営業スマイルが、そこにあった。

 …………とにもかくにも、限りなく100点に近い笑顔でハセヲは客を出迎えた。


「……あん?」


 だが振り返った正面、出迎えたはずの客の姿が無かった。

 確かに声が聞こえたのだが、空耳だったのだろうか。


「えと……その……」


 再びおずおずとした声。

 空耳ではない。が、姿が見えない。


(……?)


 身を乗り出して覗き込むと、カウンターの影になって見えなかった死角に小さな客がいた。

 天秤を思わせる大きな帽子をかぶり、肩口に流れる髪を金に染めた、子供の道化師のような服装。どこか儚げな容姿を持つPCが、そこにぽつんと立っていた。

 目が合うと小さな客ははにかむような笑顔を見せ、またおずおずと口を開く。


「あの……ボク、ほしいものがあって……」

「おう、どれだよ?」


 少々乱暴な聞き方だったが、それはいつものぞんざいなものではない。どちらかといえば、祭りの屋台の兄ちゃんが子供の客を相手にしているような、そんな気持ちのいい口調だった。

 自身でそうしようと意識していたわけではないが、自然とそんな口調になっていた。


「シロタエギクの花……です。あります?」

「えーと……一個だけあるか」


 商品の一覧を見て個数と値段を告げる。


「6000GPだな」


 GPとは『The World』における通貨である。

 シロタエギクの花は、装飾品でレア度もそこそこ。6000GPというのは良心的な価格設定だった。


「ん……」

「どうすんだ、買わねえのか?」

「あ……おかね、たりない……」


 肩を落として、ぽつりと小さな客は呟いた。


「足りない? んじゃ、悪いけど売れねえな。こっちも店番を頼まれてる身なんでな」


 小さな客に続けて言う。


「欲しいものあるなら、しっかり貯金しときな」

「あ……ちゃんと、ためてた……」


 客は弁解するように、しかしおずおずと口を動かす。


「ためてたんだけど……なくなっちゃった」

「あん? なんで貯めてたもんが無くなるんだ」

「きのうは朔だったから……たぶん、つかっちゃったんだとおもう」

「朔だったって……なんだ朔ってのは?」

「朔は朔だよ。ボクの……おねえちゃん」

「姉ちゃん?」


 ということは、昨日は姉がそのPCを使っていた、ということか。


「つまり、姉弟で一つのPCを使ってるのか」


 それはそう珍しい話でもない。

 ほぼ全年齢対象となっているこの『The World』は幼い子供もプレイしている。

 それが兄弟であるならば、一つのPCを交代で使う、というのはたまに聞く話だった。


「そんで、貯めてた金を昨日姉ちゃんが使い込んじまった、と……ひでえ姉ちゃんだな」

「ううん……朔のたんじょうびに買うつもりだったからいの。ボクのたんじょうびでもあるんだけど……」

「誕生日が同じってことは、双子か」


 呟いてふと思う。


(誕生日か……)


 誕生日。それは自分にとってどんなものだっただろうか。

 たしかに、子供の頃の誕生日には両親に祝ってもらい、プレゼントをもらっていた。

 それは一般的な家庭と同じく、暖かな家族の営みだったと実感できる。

 しかし、幼い頃から家を空けがちだった両親を持つ自分にとって誕生日という行事は特別なものだった。

 普段はいない両親と共にいられる日。それが幼い頃の自分にとっての誕生日――特別な日だった。


「…………」


 誕生日は子供にとって、自分の為の日であると言える。

 自分にとって最良の日。自分に愛を傾けてくれる日。自分を祝ってもらえる日である。

 だというのに、この小さな客は自身の誕生日より姉の誕生日を気遣っている。自分のものでもある誕生日を姉の為に使おうと、姉へのプレゼントを買おうとしているのだ。

 兄弟を持たない自分でもその気持ちは判った……いや、兄弟を持たない自分だから余計になのかもかもしれない。ただ小さなお客の、その健気な気持ちを無駄なものにしてやりたくはなかった。


「仕方ねえな……まけてやるよ」

「え……いいの?」

「ああ、サービスだ」


 営業用とは違う、親しみのある笑顔でシロタエギクの花を渡す。


「うん、ありがとう!」


 代わりに代金――4500GPを受け取る。

 差額の1500GPは自腹を切るしかないだろう。幸いにも昨日と一昨日のレベル上げで1600GPほど貯まっていた。しばらく新装備が買えなくなるが……


(ま、仕方ねえよな)


 自分の物でもないというのに、小さな客はプレゼントを買えて満面の笑顔を浮かべている。

 こんな笑顔を見せられては、仕方ないというものだ。


「姉ちゃんにもよろしくな」


 ぽんと客の頭を叩いて送り出す。

 自分でもらしくないとは思うが、何故かそういう気分になってしまった。


「あの……」


 と、満面の笑顔を見せていた小さな客はまたおずおずと、何かを言いたそうに口篭る。


「ん、どうした?」


 向こうが話しやすそうに聞いた。

 もじもじと両手をからませていた客は、意を決したように口を開く。


「あ、あの……おなまえ……」

(……名前?)


 自分の名前が聞きたいのだろうか、と首を傾げつつ答える。


「俺か? ハセヲだ」

「……ハ、セヲ……」


 ぽつりと呟いた後、小さな客は嬉しそうに駆け出した。

 そして広場正面門の手前、階段を駆け上がったところで振り返って叫んでくる。


「ボク……望っていうんだ! たりないぶん、きっとかえすからね、ハセヲにいちゃん!」


 言うなりまた駆け出していった。今度は振り返らず、その後姿もすぐに消えた。


「朔と望で……朔望ってとこか」


 名前を聞きそびれたが、それが打倒なところだろう。

 にしても……


「ハセヲにいちゃん、か……」


 全く、子供は純粋なものだと思う。

 苦笑しながら再び腰を下ろした。


「こんにちは」


 と、右から声がかかった。

 条件反射で先ほどの営業スマイルを浮かべ、挨拶をする。


「いらぁっしゃいま――――――――え゛」


 が、その挨拶は途中で途切れた。

 いや、途切れざるをえなかったというべきか。


「フフッ、なんか意外ですねえ」


 のほほんと話しかけてくる客。

 その客の姿――すっぽりと頭を覆う大きな帽子に羽のようなケープ、そして薄い生地のワンピース。


「ハセヲさんて、ぜっっったいこういうことしないと思ってたのに」


 それは紛れも無く今一番会いたくない人間……『月の樹』のアトリのものだった。


「お、まえ……いつ、から……そこに……」

「さっきからです。小さい子には優しいんですね、ハセヲさん♪」

「――るせえ! 冷やかしならとっとと失せろってんだ!」


 完全に調子を狂わされた形でどうにかそれだけを言う。


「むぅ〜、失礼ですねぇ、ちゃんと買います。ちゃーんと売り上げに貢献しますから」

「……ちっとも嬉しくねえのは何でだろうな」

「あれ、嬉しくないんですか?」

「俺が店だしてるわけじゃねえんだよ。馬鹿どもに押し付けられただけだ」


 大体そろそろ帰ってきてもいい時間なはずだった。

 帰ってきてはいないかと、チラリと周囲を一瞥する。

 シラバスとガスパーの姿は見えない。しかし、なにやら見たことある男が、女と連れ立って歩いてきた。

 ハセヲはその男を視界に収め、ゆらりと立ち上がった。




















「本当は君をここに連れてきたくはなかったんだけどね」


 自嘲するかのように零す。

 ああ、本当にここには連れて来たくは無かった。


「あら、どうして?」


 どうしてだって? 

 そんなこと判りきってるじゃないか。


「ここは目に付くものが多すぎる……けどそれじゃ君の情熱的な瞳を独占できないじゃないか」


 歯を光らせ――比喩ではなく実際に歯を光らせ――褒めちぎる。

 そうして、ただ傍らの美女の瞳を見つめ想う。

 嗚呼、なんて美しい瞳。

 その美しさは幾多の紅玉を散りばめても到達不能な美の終着点。

 その美は見るものを蟲惑させる魅了の瞳。

 その美しさを独占できぬことのなんと辛いものか。


「燃えるような美しい髪に真紅の瞳。俺は君の虜になってしまいそうだよ…」

「あら、褒めてくれて有難う。嬉しいわ」

「俺も嬉しいさ。嗚呼、君の情熱的な瞳に見つめられるともうオレは……オ、レ……は………」


 そこで男の――クーンの言葉は途切れた。

 自分を向けられている視線が二つであることに気づいてしまったからだ。

 一つは傍らの美女の情熱的な瞳。

 そしてもう一つ、情熱的というよりも燃えるような怒りの瞳で睨み付けるその人物。それはハセヲその人だった。




「随分と――楽しそうだな?」




 軽く笑みを浮かべてハセヲは言う。

 顔は笑っているものの、目はこれっぽっちも笑っていなかった。


「や、やぁ奇遇だねぇハセヲクン!」


 クーンは裏返った声でどうにか返答する。

 この期に及んでごまかそうとするその様子に、ハセヲの怒りは頂点を迎えた。


「何が奇遇だ、この女たらしがぁ!! 用事があるってのは女とイチャつくことだったのかよ、あぁ!? テメェがイチャついてる間、俺は……俺はなぁ!!!」


 無念と怨念の篭った声で追求する。

 そこへ隣の女がぽつりと呟いた。


「あらハセヲ、奇遇ね」

「だから奇遇じゃねえっつって……!?」


 そこで怒声が止まった。

 クーンの連れている女。夕日のような鮮やかな長髪をなびかせ、緋色の瞳を持つ毅然としたその姿。それは紛れも無く、アトリに連れて行かれたエリアで出会った魔導士ウォーロック――ヴェラだった。


「アンタ……ヴェラ!?」

「あ、ヴェラさん」

「お久しぶりね、ハセヲ、アトリ。あれから調子はどう?」


 微笑を浮かべてヴェラが聞いてくる。


「調子……? なんの調子だ?」

「……いえ、なんでもないわ」


 微笑にかすかな曇りを浮かべたかと思うと、ヴェラはクーンへと向き直った。


「ゴメンなさい、クーン。ちょっと用事が出来ちゃったわ、続きはまた今度ね」

「えぇっ、ヴェラー!?」


 クーン名残惜しそうに――というよりも未練たらしく、ヴェラに右手を伸ばして引きとめようとする。しかし、すでにヴェラは手の届かぬ階段上まで駆け上がっていた。

 そこで彼女は振り返り、


「ハセヲとアトリも、またね」


 にこやかに笑い、ヴェラは軽やかな足取りでカオスゲートへと駆け出していった。


「ああ……行ってしまった……俺の…美の女神が……」


 がくりと膝をつき、クーンは頭をたれる。かと思えば、


「とゆーわけで、またな、ハセヲ。明日連絡するから!」


 しゅたっと立ち上がり、脱兎のごとく逃げ出した。


「テ、テメェッ! 待ちやがれクーン!!」


 呼び止めるが時すでに遅し。

 驚異的な速度でクーンは走り去り、後にはアトリとハセヲのみが残された。


「…………」

「あ、榊さんから呼び出しを受けたので私も行きますね。店番がんばってください♪」

「――いけ! とっとといけ!!」


 やけくそでアトリを追い払い、一人ぽつねんと残されたショップの前で立ち尽くす。

 結局、それから五分後にガスパーとシラバスは戻ってきた。その間、律儀にも接客を続けた自分に腹を立てながらハセヲはログアウトした。










To be Continue





〜ご感想に対するコメント〜

第十七話 :絶対者、読みました。
>久しぶりの更新に感涙です。



ご感想有難うございます!

感涙とは……感激です。









作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。

ご感想をメールで下さった方には、お返しに

『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。










作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。











.hack//G.U 『三爪痕を知ってるか?』

第十八話 :理不尽











忘却の果てに我を見る


永劫の名に意味を知る


牢獄の下に声を聞く


答えは空にこそ在り