ゆるゆると――ゆるゆると目を開ける。

 羊水に包まれた身体は形を得られず、未だふわふわと浮かび続ける一つの肉塊に過ぎない。

 獲得した機能は思考と視覚、そして触覚のみ。

 だが、今はそれで構わなかった。

 なにせ、二年間の間は思考機能すら獲得することができなかったのだから。 

 思考能力を得られるまでの一年は地獄だった。

 思考することは出来なくとも、意識だけは変わらず在り続ける。まるで身動き一つ取れないようにコンクリートづけにされたかのような、精神への束縛。

 その苦痛は言葉で喩えることの出来ない、文字通り地獄のモノだった。

 その頃に比べれば、今の状態は随分マシだと言える。

 なにせ考えることが出来る。何かを触っていることが実感できる。何かを見ることが出来る。

 後の二つの機能は、この半年の間に身に付けたのものだ。思考を得るのに一年と5ヶ月を必要としたことに比べれば、驚くべき成果だと言えよう。


(……眩SIイ……な)


 視覚を手に入れたのは、つい先程のことだ。

 開いた目に光が飛び込んでくる。二年ぶりの光は……やけに沁みた。

 まだ目が慣れていないのか、光を感じることが出来るだけで視界は白に染まり続けている。


(次ハ……腕GA必要ダ)


 五感の内の視覚と触覚しか手に入れていないが、残りの三感は後回しだ。

 出来れば聴覚は手に入れておきたかったのだが、この機を逃すわけにはいかない。

 攻撃能力は必要不可欠だった。その為には、腕は絶対に必要だ。


(モう少Siだ……後mOう少シで、私ハ――)


 段々と光にも慣れてきた。

 一度目を閉じ、改めて瞳を開けて色のある視界を得ようとする。

 しかし目に映るのは広大な白。どこまでも透き通った白。果てしなく続く白だった。


(Maだ見れナいのカ……いYa、違う)


 まだ見れないのではない。

 初めから見れていた。

 今得ている視界は色のないものではなく、白しかない場所のものだ。

 ここは、白しかない世界なのだ。

 少なくとも、地平線の果てまでは続いているであろう白色の世界。

 他に色は無く、ただ病的なまでに……呪いのように、どこまでも白かった。


(どkOダ此処は……こンな所で……何Wo……シてIルのだ?)


 疑問に思ったところで、視界に一つの変化が起きた。

 何も無い白の世界から溢れるように“黒い何か”が湧き出てきたのだ。

 黒いソレは増殖するかのように、その規模を拡大していく。

 そうだ、たしかアレは――


(……そUか、アレが同胞nO姿カ)


 納得した。

 何故こんな所に居るのか、ハッキリと理解出来た。

 コイツは、あの黒を除去する為に此処にいるのだ。

 コイツはその為だけに生まれた――“その為だけに存在する存在”なのだから。


(……Koレは)


 白と黒の二色となった視界に、新たに二つの色が追加された。

 蒼く、そして赤い何かが視界の中央に構えられる。

 それは蒼炎と朱の衣を纏った腕だった。

 その腕を装飾する光は己の存在を示すように、確として展開してゆく。

 手首を中心として広がる光は絶対の力を装填し、撃鉄を上げ己が主の命を待つ。


(………)


 邪魔してやろうかとも思ったが、やめた。

 こんな所で無駄に力を消耗するワケにはいかない。

 既に準備は整いつつある。核を一つ失うのは痛手だが、計画に重大な支障をきたすほどのものではない。

 朱腕の光が臨界へと達する。

 目の前の黒点はかなりの規模のものだが、コイツのコレに対しては無力に近い。

 コイツは、黒点の天敵そのものだ。

 光が放たれる。

 寸分の狂い無く撃ち貫かれた黒点は、撃たれた箇所から分解されるように、その存在を侵食されていく。

 ものの数秒で黒点は消滅し、その核が朱の腕光へと吸収された。


(……グっ……!)


 同時に波紋が走り、ささくれ立った神経に触れ激痛を感じる。

 全身をくまなく串刺しにされたような痛みが走り、呻き声があがる。

 しかし――その痛みさえ今は心地よい。

 この痛みは自分が生きていることの証明に他ならないからだ。


(ソうDa……私hA生きテいル。私ハ今Mo此処二在る)


 それを自覚する。

 自身の生を確としたものとして認識する。

 生命としての形を得ないまま、それでも自分が生きていることを知った。

 それを知った瞬間――黒点が溢れかえった。

 再び溢れ出た黒点の数は一ではなく数十であった。

 意志に呼応したAIDAが、この場に集結したのだ。


(いイ機会ダ……オマエNo力……見セてMoらおウカ――)


 AIDAが迫る。

 絶対の存在たる戦士に対し、敵意をむき出しにして襲い掛かる。

 迎え撃つは蒼炎を纏う朱の断罪者。

 この世界においての英雄にして絶対者。

 その者が呼ばれし名は――


(――三爪痕トライエッジ!)



 







          *****










「……アァァァァアァァァ……」


 吐息。

 それ以外に形容することの出来ない、そんな声だった。

 声の主は鮮やかな蒼炎に纏われた朱の戦士。

 彼はただ、在るべきように其処に在る。

 いや……正しくは“在るべき為にそこに在る”と表現するべきだろうか。

 彼は其処に在るからこそ、その存在を保てるモノだ。

 在ることをやめればその瞬間、彼は無為に還るだろう。


「……アァァァァ……」


 そんな彼の佇む白の世界。

 それが少しずつ、しかし確実に黒に染められていく。

 一つ一つの黒点は微細なものに過ぎない。しかし、それが零で無い限りは蓄積する。それが一にも満たぬ極最小の存在であったとしても、零より僅かでも大きいものならば確実に蓄積されてゆく。

 それが数億数万数兆と集えば、その総量は天文学的な数値にまで自らの存在を昇華させることすら可能となる。故に、蒼の騎士はこの黒点を排除対象、抹殺対象として認識、登録した。

 既に彼を取り囲む黒点――AIDAの数は数十に達している。目算でも、ざっと三十は下らないだろう。

 しかし、この絶対包囲網を築かれている状況下において猶、蒼の騎士は微動だにせず君臨していた。

 当たり前だ。

 この蒼の騎士が畏れる存在など――この世界に在りはしないのだから。


「……アァァアァァァアァ……!」


 一際強い吐息を発し、翔けた。

 優先順位などは在りはしない。

 ただ目に付く存在を片っ端から斬り捨てるのみ。

 敵意も殺意もなく、ただ外敵を削除する為に疾駆する蒼の騎士。

 それをAIDAは収束させた澱光の一斉射撃で迎え撃った。

 尾を曳く光の一つ一つが、この世界有数の高レベルPCをも屠れる威力を持っている。

 それが三十以上。

 いかな人間とて、この一斉射撃を喰らって無事でいられることは出来ない。

 だと言うのに――蒼い騎士は驚異的な速度で迫り来る澱光を、更に驚異的な速度で悉くを回避した。

 常識外、想定外の速度。

 推進剤を使ったかのような瞬発力で死地を突破したのだ。

 それは人間の枠に収まる動きではない。人間などは、既に超越している。

 その速度は認知可能の領域外――光に迫らんとする速度だった。


「……アァァ!」


 狂おしい速度のまま、すれ違いざまに三つ矛の双剣を一閃。

 本来の標的である一体を斬り捨て、その余波で背後の三体をも消し飛ばす。

 同胞の四体を消されたところで、ようやく攻撃がかわされたことを認知したAIDAが第二射を撃ち番える。

 だが遅い。

 撃ち放つ為の必要量を溜める2秒の間に騎士は双剣を五度振るい、更に十二体のAIDAが消された。

 残った十九体のAIDAは渾身の力を装填し、拡散させて蒼の騎士へと撃ち放った。

 それは云わば、一個大隊の軍隊が一人の人間に対して一斉射撃をしている光景に似ていた。

 形振り構わず、たった一人の人間に撃つには過剰なほどの弾数を惜しむことなく撃ち果たす。

 真正面から尾を曳き奔る澱光、

 右から押し寄せる電磁を纏う澱球、

 左後方から迫る鋭き光矢、

 上下から同時に追尾し、暴走じみた光の群れ、

 一つ一つが必殺の意味を持つ澱光の描く軌跡――その総数、実に九十五。

 死角などは無く、全方位から襲い来る澱光を避ける術などありはしない。

 それは最早豪雨だ。

 豪雨が降り乱れる中、濡れずにいられる道理は無い。

 それは蒼の騎士とて例外ではない。

 しかし――






 騎士はその無死角三百六十度の光の豪雨に、躊躇うことなく真正面から飛び込んだ。






 次々に澱光が着弾し、着弾の証拠である派手な飛沫があがる。

 全ての光が違うことなく命中し、瀑布の如き濃霧を生む。

 たった一個の人間が、対軍の掃射に襲われて生きられる道理はない。

 いや、それどころか原型が残ろうはずもない。

 それほどまでにその攻撃は苛烈で、容赦のないものだった。

 だというのに――生きているはずがないというのに――






 濃霧から飛び出して来た騎士には傷一つ無かった。






 完全に、完膚なきまでに無傷だった。

 ――当たり前だ。

 こんな攻撃では騎士は傷つきはしない。

 こんな、存在を分かち散らした攻撃などで傷つきはしない。

 雨粒は人を濡らしても傷をつけることが出来ないのと同義。

 回避の素振りさえ見せなかった理由も至って単純。

 蒼の騎士にとってその攻撃は――回避に値するほどのモノでなかっただけの話だ。


「……ァアァアァァァ……!!」


 騎士が翔ける。

 最早生贄どもに抗う術は無い。

 それから丁度十秒後、白の世界に在った全ての黒が消滅した。










          *****









 その光景をなんと喩えるべきか。

 言葉がない。喩えようがない。これを喩えるに相応しいものがどこにも該当しない。

 無理矢理に自らの見たソレを表現するならば――数万の軍をたった一人で全滅せしめる英雄、といったところだろうか。

 だが、そんなことは実際には有り得ない。

 どれだけ強かろうと、どれだけ勇猛果敢な英雄であろうと、そんな御伽噺おとぎばなしのような芸当が出来る者はいない。

 故に、喩えれない。

 喩えられようはずがない。

 こんな――有り得ない幻想を形にしてしまうモノを喩えることなど、出来るわけがない。


(……いkUら私生児ばカりとハいえ……一分持たナいトはNa)


 軒並みやられることは予想の範疇ではあったが、まさか抗うことさえ許されないとは予想外だった。


(なルほど……絶対者とハ言い得TE妙だナ)


 絶対とは比較や対立を絶した存在であり、他のいかなる万物にも侵されること無き秩序の中心に在るモノのを指す。

 コイツは領域外の存在に対して、文字通り絶対の力を行使する権利を与えられている――否、その権利を作り出し、施行している。

 その絶対たるコイツには、無条件で領域外の存在を排除する力を所有しているのだ。


(AIDAだケデは……不可能、Ka)


 自身の最大戦力が意味を失いはしたが、それが判っただけでも十分だ。

 最初からそれが判っているならば、他にも手の打ち様はある。

 焦る必要は無い。

 一つ一つやるべきことをこなして行けば、自ずと結果は現れる。

 黄昏は目前にまで迫っているのだから。










          *****










「早速来たな。待ってたよ、ハセヲ」


 メールで呼びつけた相手――クーンが『マク・アヌ』のホーム前で待っていた。

 ホームとは全てのギルドに与えられる、文字通りギルドの『家』となる施設だ。

 本部に呼ぶ、と連絡してここに呼び出すと言うことは――


「ここか?」

「そ、ここが俺たちの本部。ギルド『レイヴン』のね」

「………」


 かつて――半年前のあの事件以前、ハセヲもあるギルドのホームに出入りしていた。

 志乃とオーヴァンに勧誘された、曰くつきのギルド――『黄昏の旅団』のホーム。

 今となっては懐かしく、得がたい過去。ハセヲにとってホームとは懐かしく、そして……苦い思い出の詰まった過去の象徴でもあった。


「あれ? そんな怖い顔してどうした?」

「別に……さっさと案内してくれ」

「あー……もしかして俺、嫌われてる?」

「気のせいだろ」


 無駄な会話をする必要も無ければ、その余裕も無い。

 ハセヲはそんざいに答えて先を促す。


「ギルドキー、くれるんだろ。本部とやらのな」

「……あぁ、これが俺たちのギルドキーだ」


 クーンが差し出してきたのは一枚のカードだった。

 タロットカードにも似た、象徴的な紋様が刻まれている変哲のないカード。多少変わったところが在るとすれば、妙に陰険そうな獣人の絵柄が描かれていることぐらいだ。

 これがギルドのホームに入るための鍵、『ギルドキー』だった。


「…………」


 木造りの扉に、ギルドキーを持ったまま触れる。

 扉は微かな光を放った後、ゆっくりと……しかし優麗に開き、訪問者を迎え入れた。


「さて、と……改めて『レイヴン』にようこそ、ハセヲ」


 先にホームへと入ったクーンが出迎える。その横に――


「アンタは……!」


 桃色の髪を二つに束ねた、長身の女が居た。

 その姿は紛れも無く、あの時の……くされPKどもとの戦闘を邪魔した――


「この前のオバサン!!」


 ――――――ピシィッ! と、何かがひび割れる音がその空間に響いた。

 ハセヲにはその音を聞き取ることは出来なかったが、クーンにはこれ以上なく、ハッキリと、完膚なきまでに聞こえてしまった。

 パイがその音を聞き取ったかどうかは定かではないが、そんなことはどうでもいいらしい。ただ目を瞑ったまま、何かに耐えるように震えていた。


「ハ……ハセヲ……オマエ……」


 クーンが呻き声をあげる。そのまま、絶望的な何かに直面したかのような、怯えきった様子でじりじりと下がっていった。

 何に怯えているのだろうかとハセヲは疑問に思う。いや、そんなことよりも――


「ここに居るって事は、アンタも関係者って事らしいな」

「……ええ、そうよ」


 相変わらず震え続けているが、ぎりぎりの所で平然を装ってパイは答える。


「成る程な、あの時は俺を誘うのが目的だったってワケか」


 ハセヲはパイをじろりと睨む。


「でもな、オバサン。年が年だけにそんなビジュアルのPCはきついんじゃねえのか?」


 ――――――破滅的な、とにかく破滅的な音が響いた。

 形容することも叶わぬその音は万人蒼乃黄昏あおのたそがれを震え上がらすに足るものであり、万人に死の覚悟をさせるに十分なモノであった。クーンなどは、既に胸の前で十字を切っている。


「クーン……」


 重く、暗い声でパイはクーンを呼ぶ。


「何でしょうか、パイさん」

「コイツたたき出して!! こんな奴に、大事な仕事を任せるわけにはいかないわ!」

「お、お怒りはもっともなんだが……でもそれは」


 クーンは一度言葉を切り、怯えきった獲物のような表情から一変、真剣な表情で続きを言う。


八咫やたが判断することだろ?」


「八咫様の手をわずらわせる必要ないわよ! こんな――!?」


 パイの怒声が止まり、彼女は何事かを聞き込むような素振りを見せた。

 『秘話通信』――パイはここにいない誰かと会話を交わしているのだろう。

 言って見れば携帯電話のようなものだ。遠く離れている人間とでも二人だけの会話をすることが出来る。


「……はい、来ております」


 かしこまった様子でパイの答える声をハセヲは聞いた。


「……しかし、このような者を二人だけで会わせるわけには……!」


 パイの言葉だけでは判断することは出来ないが、話し相手はこの本部とやらの上の人間であるらしいとハセヲは判断した。


「ハセヲ。八咫様がお会いになるそうよ、いらっしゃい」


 会話が終わったのか……渋々とした様子で、しかしきびきびとパイはハセヲをギルドの奥――暗闇の回廊へと案内する。


「この先よ」

「……アンタは来ないのかよ?」

「八咫様はアナタ一人をお呼びよ……早くなさい」


 パイに先を促される。

 ハセヲの目の前には暗闇の回廊。

 その先に何が在るのかを見通すことの出来ない、深い暗闇。

 闇に一歩踏み出す。回廊にはハセヲの足音のみが、ただ響いた。


「なんだ、ここ……? 随分と殺風景な場所だな」


 行き着いたその空間。

 ただっ広い部屋だが、回廊と同じように光はほとんどない。

 ただ、広いだけの空間だった。


「――! なんだ!?」


 その空間の左右に、突如光が奔った。

 光は意味ある軌道を辿り、やがてその軌跡はモニターを作り出す。

 光も音も無かった空間が急速的に活動を開始し、正面の大壁一面に広がるように光が展開する。


「ようこそ、ハセヲ君…」


 声が響く。

 落ち着き払った、重く荘厳な声。

 その声は上方から響いてきたように思える。


「誰だ!?」


 未だ完全には照らされていない空を睨んでハセヲは言い放つ。

 それに答えるように、一つの座がゆっくりと正面の大壁の前へと降りてきた。


「私の名は、八咫…」


 その座に屹立きつりつするは褐色の男。

 東洋の原住民を思わせるような、右肩を露出させた胴衣と威厳という名の衣を纏う男。

 その男――八咫は決まりごとを言うように、最初にかけるべき言葉をただ紡いだ。


「長い間待っていた――君が来るのを」















To be Continue










作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。

ご感想をメールで下さった方には、お返しに

『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。











作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。







.hack//G.U 『三爪痕を知ってるか?』

第十七話 :絶対者










知識とは追求であり証明であり蓄積である


知能とは自己であり種族であり本能である


知覚とは意味であり生命であり証拠である