「ふう……なんか、どっと疲れた……」


 さすがに疲れきっていた。とにかく、色々な出来事が起きすぎた。

 オーヴァンとの再会。三爪痕トライエッジとの決闘。いきなりの初期化。馬鹿正直な二人との出会い。PKどもとの戦闘。そして……先程の何かが胎動する感覚と、何かを知っていたあの女。

 時計を見ると、オーヴァンと再会してから実に40時間が経過していた。

 何の変化も無かった半年前から、いきなりの激動の今日…いや、昨日か。眠ってなどはいられなかったが、まさか丸二日近く経っているとは思わなかった。


「かなり長いこと意識を失っちまってたのか……」


 初めてそれを自覚し、身体が震えた。

 意識が戻ったときは、とにかく『The world』に戻ることしか考えていなかった。そしてログインしてみれば初期化されて最弱状態。そのままずるずるとワケの分からない二人にとっ捕まって……後は成り行きだ。

 落ち着いて考えれば随分と無茶苦茶な真似をしたものだった。あのまま、また意識を失っていたかもしれないと思うと……ぞっとする。


「……――なに泣き言を言ってやがんだ! 志乃は、今も意識が戻ってないんだぞ……!」


 壁を思い切り殴り、弱音を吐きかけた自分を罵倒する。

 彼女は、志乃はいままさにそういう状態になっているのだ。半年前から……ずっとだ。

 沈んだ気持ちを奮い立たせ、立ち上がる。


「っと……!?」


 立ち上がれなかった。足にまるで力が入らなかったのだ。膝が折れ、カーペットに座り込む。


「なんだ?」


 いくら何十時間も『The World』にいたとはいえ、このような状態にまで疲れるのはおかしい。いや、この状態は疲れているというよりも、むしろ―――


「衰弱、している?」


 疲労を感じる、というレベルではない。立ち上がれぬほどに疲労した状態。それは衰弱だった

 あの時の……三爪痕トライエッジに撃たれた影響だろうか。

 禍々しい赤色が象った、腕輪のような砲口から撃ち放たれた光。あれによって意識を失ったのはまず間違いない。意識を保てていたのは自分の体が“剥がれ落ちていく”のを見たところまでだったが……原因はあれ以外に考えられなかった。

 座り込んだまま五分ほど経った頃、無理矢理にではあるが身体を動かせるようになった。

 階下のリビングに降りる。

 家には自分以外には誰もいなかった。両親とも共働きで仕事が忙しいために、こんなことは珍しくない。父は出張だと言っていたから、俺が『The World』に入ってから恐らく一度も帰宅していない。母も一度料理を作りに戻るとは言っていたが……すぐにまた出たのだろう。


「とりあえず、飯食って寝ないとな……」


 まずは体力を回復させなければいけない。かなり身体が弱っているのだ。なんとか動くことは出来るため、命にどうこう、ということは無いとは思うが……動けなくなるまで走った時の疲労感を数倍にしたかのような状態だった。

 こんな状態では『The World』に入ることも出来ないだろう。まずは体調を回復させなければならない。おまけに明日は学校だ。早く寝なければ登校できるかも怪しい。

 母の作っておいてくれていた料理を手早く食べてベッドに横たわった後、ハセヲは泥のように眠った。








 ――翌朝。


 ギシギシと音を立てる体に鞭を打って体を起こす。幸い昨日に比べて大分回復しているようだ。倦怠感があるものの、生活に支障は無い。昨日の状態であれば制服に着替えるのも一苦労だったろうが、今は問題なく出来た。


「おはよう、リョウくん」


 一階に降りると、母がダイニングにいた。寝た後に帰宅していたのだろう。父は……やはりいなかった。


「おはよう母さん。珍しいな、家にいるなんて」

「えぇ、昨日はなんとか帰れたの。またすぐに出なきゃいけないんだけど……」

「いつも大変だな」

「仕方ないわ。それよりリョウくん、時間大丈夫なの?」


 そういえば、と壁にかけられた大時計を見る。

 長針は0を、短針はちょうど8を指していた。つまり……時刻は8時。


「げ」


 校門が閉まるのが8時30分。ここから学校までの所要時間は最短で25分。ぎりぎりだった。


「行ってくる!」


 朝飯を食べる時間も無い。大慌てで家を飛び出る。

 背中越しに、気をつけてね、と母の声を聞く。それに手を振って応え、学校へと駆け出した。








          *****










 ―――三崎 亮。

 有名な私立の進学校に通う、都内在住の高校生。

 裕福な家庭に一人息子として生まれるが、両親は共働きの為に家を空けることが多く、家では一人でいることが多い。

 日常生活に退屈している、ごくごく平凡な高校生だ。

 いや、一つだけ決定的に平凡ではないものがあった。

 それは、全世界的に圧倒的な支持を誇る『The World』で、『死の恐怖』の異名を持つ有名PCであるということである。

 そのPC名は―――『ハセヲ』といった。








          *****










「おっはよー、三崎。珍しいな、オマエが遅刻ぎりぎりなんて」

「あぁ……ちょっと、な」


 机に突っ伏し、息を荒げながら答える。心臓がバクバク言っていた。

 間に合ったことは間に合ったが、全速力で走って来たせいで体調がまた悪化した。おまけに眠い。


「いつもの優等生らしくないじゃん〜、どったの?」

「……なんでもない」


 話す気にはなれなかった。周囲には『The World』をプレイしていることは隠しているし、こんな事を言っても誰一人信じようとはしないだろう。ゲームのせいで意識を失っていた後遺症などと。


「それより、そろそろ先生来るんじゃないか?」

「おぉっと、そうだったな」


 いっけね、と言いながら慌てた素振りで自分の席へ戻っていった。一般的に世間が思い描いている進学校の生徒とは違い、フランクなスタイルが彼の持ち味だった。まあ、珍しい方ではあるが。

 そうして彼が着席した直後、担任が教室に入ってくる。

 さて、ここからはきっちり切り替えて優等生の『三崎 亮』であらなければ……。











 そして放課後、いつものように友人と別れ、いつもの場所へと、いつもの時間に向かう。

 距離がある為、交通機関を利用しての移動だ。自分の体調も芳しくはないが……行かないワケにはいかなかった。

 電車にバスに徒歩、片道一時間半の工程を経て目的地に着く。

 着いたのは白い大きな建物。何十室もの部屋を保有する、清潔そうな大きな建物だった。そして、建物の頂上には赤十字が大きく描かれていた。

 ここは都内有数の大病院。

 彼女の――志乃の入院している病院。

 いつものように、慣れた足取りで病室へと向かう。病室の前には『七尾 志乃』と書かれたナンバープレートが掛けられてあった。


「失礼します」


 コンコン、とノックをしてから入る。

 部屋にはベッドに横たわる彼女と、窓から差し込む夕日を背にして座っている彼女の母がいた。


「あら。こんにちは、三崎くん」

「こんにちは、おばさん。昨日はお見舞いに来れなくて……どうもすいませんでした」

「とんでもないわ。それより、なにも毎日お見舞いに来てくれなくても……あなたにだって学校とか、色々あるでしょう?」

「学業の方はちゃんとしてますから、大丈夫です」


 勧められた椅子に座り、凛として言う。

 成績は僅かたりとも落ちてはいない。『The World』を日常生活になるべく影響を及ぼさない範囲に収めているのは事実だった。学業はちゃんと成立させている。

 志乃が、『The World』の為に、日常生活を犠牲にすることをひどく嫌っていた為だ。

 故に――半年前のあの日からも食事、睡眠、学校などの必要最低限以外の全ての時間を『The World』に費やすだけに留めておいた。志乃の悲しむ顔は……見たくない。


「志乃さんの具合は……どうですか?」

「……相変わらず意識が戻らないわ……まるで眠っているみたいにね」

「そうですか」


 そんなことは分かりきっていた。

 彼女は半年前のあの日に病院に担ぎ込まれ、都内有数のこの病院に入院した。

 原因は不明。病態も不確か。治療法は皆無。いつ回復するかの見通しも立っていない。そんな状態のまま半年間……あの日からずっと、ここで静かに眠っている。

 容態が回復するはずが無い。しかし、聞かずにはいられなかったのだ。『こっちリアル』で俺が出来ることといったら、ただこうして見舞いに来ることだけ。たったそれだけしか……出来ないのだから。

 彼女はいつものように、白いベッドの上で静かに眠り続けていた……。







 ――十分後。椅子から立ち上がる。


「そろそろ帰ります。失礼しました」

「いえ……いつもいつもお見舞いに来てくれて、本当に有難う」


 答えることの出来ない娘の気持ちを代弁するかのように、彼女の母は深くお辞儀をして言った。


「帰り道は気をつけてね」

「はい。それじゃ、失礼します」


 一礼、頭を下げて退出する。夕日はすでに沈んでいた―――




 病室からから出て、病院の廊下を歩く。時折、すっかり顔馴染みになってしまった看護婦たちとすれ違い、会釈を交わす。

 その廊下の先、見慣れぬ女性―――いや、女の子がそこにいた。恐らく自分と同じように誰かの見舞い客だろう。

 自分の足音が反響する廊下の中、先程の志乃の姿を幻視し、目に焼き付ける。

 昨日は自分もあの状態になりかけた。意識が目覚めることなく、ただ眠り続けるだけの存在へと。

 ある意味では『死』よりも性質が悪い。

 何も感じず、何も思わず、何も出来ない。出来るのは、ただ眠り続けること。たったそれだけ。


 (あれじゃまるで……魂の牢獄じゃねえかよ!)


 彼女は、そんな闇の中に今もいるのだ。絶対に、何をしてでも救い出さなければならない。

 そう。例え、自分が―――


「あの」


 ハッとして顔を上げる。先程の女の子だった。


「志乃さんの……知り合いの人ですか?」

「そうだけど、なに?」


 年は自分と同じぐらいだろうか。明るそうな印象を受けるその子は、何故かおずおずと言葉を紡ぐ。


「志乃さんの容態、どうでした?」

「……病室、すぐそこだから。見てきた方が早い」


 彼女を苗字である七尾と呼ばす、志乃と呼んでいるからには親しい仲なのだろう。ならば直接お見舞いに行ったほうがいい。


「あの、私、お見舞いにはいけないから……」

「………?」


 何故かは分からないが、病室に入ってお見舞いをするワケにはいかないらしい。

 見る限りでは、目の前の女の子は真剣に志乃の身を心配している。他意は無さそうなので答えた。


「悪化はしてないけど、良くもなってない」

「そっか……呼び止めちゃってゴメンね」


 お辞儀をして走り去っていった。病院内では走らないで、と看護婦の咎める声が響いたが逃げるように女の子は駆けていく。


「なんだったんだ?」


 近くで見ても見覚えのある顔ではなかった。毎日見舞いに来ている自分が知らない、志乃の知り合いなどはほとんどいないはずなのだが……。

 しかし、気にしても仕方が無い。亮も帰宅することにした。

 ついでに、この強烈な倦怠感について自分も診察を受けようかと一瞬考えたが、やめた。彼女と同じように、原因など分かるまい。

 帰り道、何故か沈んでしまった黄昏を見たくなった―――








          *****








 いつものように門をくぐり、鍵を差込み扉を開ける。

 物心ついた頃から、ずっと続けられてきた習慣。

 家に帰って鍵が開いていることなど滅多に無い。両親とも仕事が忙しく、父などは数週間顔を見ないこともある。当然、帰宅を出迎えてくれる人間はいない。

 そうやって長年続けられてきた習慣に、半年前から変化が生じた。家に帰って真っ先にやること。それは二階の自分の部屋に入り、パソコンを起動させ、『世界』へと至るということだ。

 ここからの自分は「三崎 亮」ではない。『The World』に生きる――『死の恐怖のハセヲ』だ。






「よう、待たせたな」

「あ、ハセヲ!」


 シラバスは広場にいた。しかし、獣人タヌキ……ガスパーが見当たらない。メンバーリストを見てみるとオフラインのままだった。『The World』の中にはいない。


「ガスパーはどうした?」

「あー、それがね。ついさっき、今日は『The World』には入れそうに無いって連絡があったんだ」

「あん?」

「昨日さ、『The World』にいる時間をオーバーしちゃって、その……間に合わなかったらしいんだ。今日は昨日の分もってことで入れなくなっちゃったって」

「つまりはリアルの事情か」


 隠語だらけで事情がよく掴めないが、リアルに関わることならば仕方が無い。

 基本的に『The World』に生きる人間はリアルの事を話さない。この『The World』に生きる住人にとって、ここはリアルとは別に独立稼動しているもう一つの『世界』だ。

 ここにいる自分がリアルと同じような人間だということはない。むしろリアルと比較して別人とさえ思える自分が『The World』に生きているのだ。

 この『世界』では年齢や身分などという隔たりは意味を持たない。

 リアルでの小学生が、20才以上も年の離れた人間を従えるギルドマスターだった、なんてこともある。この『世界』はリアルでは叶えられないことを実現する、ある種『理想郷』のようなものだ。

 そんなこの『世界』でリアルのことを聞き出すなどと、無粋な真似をする気はない。


「分かったよ、それじゃ仕方ねえな」

「……あれ? 怒らないの?」


 実に不思議そうにシラバスが聞いてきた。

 ……こいつとは一度、とことん話しあう必要があるな。


「昨日はPKどものせいで時間取らしたってのもあるからな。今回は許してやるよ」

「意外だったな……あ、いや、なんでもないよ。それじゃ今日はどうしようか」

「そうだな……」


 二人でもソロよりはマシだ。効率は悪いが、多少はレベルを上げられるだろう。二人でフィールドにでも行くか……?


「あ、そうだ。せっかくだし『月の樹』のトコに行ってみない?」

「月の樹?」

「うん、PK廃止を訴えてる巨大ギルドなんだ。って、『死の恐怖』なら知ってたよね」

(『月の樹』……アイツらか)


 一昨日にちょっかいをかけてきたキザな和風男と、志乃にそっくりだった呪療士ハーヴェストを思い出す。


「行ってどうするんだよ」


 このお人好しが何を言わんとしているか手に取るように分かったが、念の為に聞いた。


「PKに狙われてるって事を相談してみたらどうかなと思ってさ。『ケストレル』のPKたちも諦めてなさそうだったし」


 予想通り。コイツは『月の樹』に保護してもらったらどうか、と言っているのだ。

 言っていることの意味は分かる。俺を狙っているPKどもは中堅レベル。対するこっちは初期レベルに堕とされ、最弱状態だ。単独ではまず間違いなく、やられる。

 奴等のあの調子じゃ諦める気がないであろうこの状況下において、PKの天敵である『月の樹』に保護をしてもらうという、というのは妥当な提案であるように思える。

 ただし……プライドを抜きにすれば、の話だ。


「あんな頭の固そうな奴等の助けを借りろってのか? ハッ、冗談じゃねえ!」


 『月の樹』がPKの天敵ならば――俺は、『死の恐怖』はPKにとっての死神だ。その死神が生贄PKから逃げ回ってどうするというのだ。そんなことは、『死の恐怖』としてのプライドが許さない。


「あんな説教くさい奴等に保護されるぐらいなら、PKされた方がマシだ」


 そもそも、PK廃止を訴えるだの反対するだの、やっていることが気に喰わない。まるで管理者気取りの宗教団体だ。これはたかがゲームだと言うのに『月の樹』の連中は何を考えているのか。

 振り返りつつハセヲは罵倒を続ける。しかし、


「大体、ゲームの中で慈善団体なん…………ざ………………」


 言葉が途切れ、大粒の汗が背筋に流れる。

 振り返ったそこに、なんか、いてはならないヤツが、いた。

 頭に大きな帽子をかぶり、三対の羽のようなケープを纏い、薄い生地のワンピースを着た呪療士ハーヴェスト。志乃と瓜二つのその姿を忘れようはずもない。

 その姿は紛れも無く、あの時の『月の樹』のアイツ。


「ハセヲ?」


 その様子を怪訝に思ったか、シラバスが声をかける。が、そんな言葉は今のハセヲの耳には届かない。


「……オ、マエ…………いつから!?」

「―――……………」


 そいつ、アトリはただ俯いて黙り込んでいる。その様は、葛藤しているようにも受け取れた。いつからいたのかは分からないが……少なくとも先程のを聞かれていたのは間違いないらしい。


「な………なんだよ!?」


 その沈黙がプレッシャーとなって押し寄せてきた。思わず声を荒げる。

 アトリは動じず、何かを決心したかのように一つ頷き。


「ハセヲさん! 貴方は『月の樹のことを何一つ判っていません!!」


 耳を劈くつんざくような大声量でそう叫んだ。

 思わずほんの、ほんの一瞬ではあるが、怯む。その隙を突くようにして、


「私達はもっと『The World』を楽しくしたいだけ。もっとみんなと分かり合いたいだけなんです!」


 凄まじい勢いで。


「誰にだって、人に優しくしたい気持ちとかあるでしょう? その気持ちを、もっと大事にしたいんです! 大事にできるようになりたいんです!!」


 まるで機関銃のように。


「それなのに、みんなすぐ慈善団体だとか宗教だとか、からかって……。私達はただ、みんなでよりよく分かって行きたいだけ! もっとみんなと仲良くしたいだけなんです!!」


 最後は鬼気迫る表情で。


「判って! いただけますか!? ハセヲさん!!?」


 触れ合わんばかりに顔を近づけて叫んできた。


「……オ、オマエ、な……」


 やばい、と直感で感じ取った。こいつもシラバスたちに負けず劣らずネジが飛んでいる。

 そしてそいつ、アトリはなにかに急き立てられるかのような様子で。


「これ、受け取ってください!」

「…………は?」


 問答無用で、メンバーアドレスを渡してきた。

 ……拒否権なしかよ。


「私、これから『月の樹』のことを精一杯ご説明します! 私達のこと、ハセヲさんにもっと知ってもらいたいんです!」

「な……! お、おい!?」

「さあ行きましょう、ハセヲさん! フィールドは『純然たる 怒涛の 万妖』です!」


 なんか、スイッチが入ってしまっているようだ。どこか確固たる決意を秘めているようにも見える。

 思い込みの激しいタイプなのか、アトリはそしてハセヲの腕をぴったりと抱え込むように掴み、カオスゲートへと引っ張って行く。


「あー……僕、お邪魔しちゃ悪いから。今日はソロしとくね」

「お、おい! 邪魔ってなんだ!?」

「いや、だって……」


 何故かシラバスが言いよどむ。その理由を探そうとして……自分の今の状況を客観的に観察してみた。

 自分は今、アトリに両手で抱え込むようにして腕を組まれてつかまれている。そして、アトリにグイグイと引っ張られるようにして、必然的に並んで歩いている。

 これを客観的に見たとするならば、女が男を現在進行形で誘拐している途中。もしくは……煮え切らない彼氏を引っ張っていく積極的な彼女に見えないことも……って、ちょっと待て!?


「おいシラバス! テメェ、なんか勘違いしてるだろ!?」

「大丈夫大丈夫。何も勘違いなんかしてないってば」

「嘘ついてんじゃねえ! 今考えていること言ってみろ!!」

「そんな心配しなくてもいいって。僕だってその辺りは心得てるから、言いふらしたりなんかしないよ。それじゃ、また明日ー」

「話聞けつってんだろぉがあぁぁぁぁぁ!!」


 言い合っている間も引き摺られ、今や豆粒のようにしか見えなくなったシラバスは手を振りながら、爽やかな笑顔で見送っていた。

 それを見てハセヲは、どこか何もかも諦めた表情でカオスゲートへと連行されていった。








          *****







「ここ、私のお気に入りのエリアなんです!」


 問答無用で連れて行かれたエリアで、ソイツ――アトリは満足そうに空を仰いだ。

 深夜の、草原のフィールドだ。


「わかった……とりあえず付き合ってやるから、離せ……」


 いまだに抱きかかえられたままの右腕を振り払う。

 最初は適当に逃げ出そうかとも考えたが……どこまでも追ってくる気がしてやめた。


「えぇと、じゃあ獣神像まで行きましょうか」

「その前に、一つ聞きたい」

「――?」


 さっきから不思議に思っていたのだが、聞いておきたいことがあった。



「オマエ、どうして俺が『ハセヲ』だってわかったんだ?」



 そう、それが先程から気になっていた。

 今のこの姿は錬装士の初期の姿、1stフォームだ。3rdフォームとはイメージは共通しているものの、すぐに同一人物だと断定できるほど似てもいない。事実あのPKどもも、すぐには俺を『死の恐怖』だと分からなかったのだ。

 コイツに会ったのは3rdフォームでの一度きり。なのに、何故1stフォームの自分を『ハセヲ』だと分かったのか。不思議でならなかった。


「確かに最初は分かりませんでしたけど……すぐにハセヲさんだって判りましたよ?」

「だから、なんでだ。前とは全然姿が違うだろ…」


 そう言うと、アトリは少し考える素振りを見せた後。




「だって、ハセヲさんはハセヲさんじゃないですか」




 何の臆面もなく、そう言った。

 息を呑む。コイツの言わんとしていることは判る。しかし……たった一回会っただけの自分を、何故――


「それじゃ、さっそく行きましょう」

「あ、あぁ……」

「『月の樹』のことは、冒険しながら説明していきますねっ」


 二人は月に照らされた草原を歩く。周囲を湖で囲まれ、虫の鳴く声が静寂に響く、落ち着いたエリアだった。

 いかにも、こういう手合いの人間が好みそうなエリアだ。


「っと、早速出やがったか」


 しかし、街の外フィールドである以上は当然モンスターは出る。

 眼前の湖にかけられた橋の手前、橋を守るように二匹のゴブリンが立ちはだかっていた。


「よし、いくぜ!」


 まずは定石通り、手前の一匹目を死角から突撃し、薙ぎ払う。

 こちらの存在に気づいた二匹目が咄嗟にナイフを抜き放ち、切りかかってきた。右でその一撃を受け止め、返す刀で左の刃を横薙ぎに振るう。ゴブリンの右肩に命中したが、浅い。

 大きくバックステップを踏んで、間を取る。大鎌が使えれば、2匹同時に相手をしても十分に戦えるだろうが……いまは1stフォーム、使えるのは双剣のみ。しかもたったレベル3の状態では、2対1など自殺行為だった。

 アイツ、アトリは後衛の呪癒士ではあるが、ゴブリンルーキーごときが相手ならば大丈夫だろう。敵から二手に分かれてそれぞれに攻撃を仕掛けてきた以上、1対1の状況に持ち込んで一匹ずつしとめるのが最も有効だ。

 瞬時に思考し、最善策を選択する。が、


「キャアァッ!」


 ここへ誘ってきた本人が、この世界最弱のモンスターから逃げ惑うなどというのは予定外だった。


「何遊んでやがる!? さっさと戦えよ!」


 ゴブリンの稚拙な攻撃を双剣で捌きつつ叫ぶ。


「で、でもっ、キャッ!?」

「初心者ってワケじゃねえんだろ! そいつ相手なら十分いけるだろうが!」


 思わぬ事態に思考を割き、ハセヲも防戦一方となる。


「わっ、私、戦闘は苦手なんですっ」

「なっ……ふ、ふざけんなよ! 戦えもしないのにフィールドに誘ったのかよ!?」


 アトリは逃げ惑いつつ、ハセヲの横を通り過ぎる。勿論、二匹目のゴブリンを引き連れて。

 一対一で互角の状態だというのに、二匹目までもがこちらに照準を変えてきた。

(くっ……)


「――下がって」

「―――!?」


 飛んできた声に咄嗟に反応し、地を蹴って後ろに飛び退く。刹那――



「――“激流の大河リウクルズ”――」




 水面みなもに落ちる一滴の水のような――凛とした声が月夜に響いた。

 その力持つ言の葉に応え、空気中から掻き集められた水が群れを成し、激流となってゴブリンを包む。

「ギ、ギキイィィィィ!?」

 断末魔の叫びをあげて一匹が激流に飲み込まれ、消えた。最初に不意打ちを食らわせた方の、アトリを追いかけていたゴブリンだった。

 もう一匹は辛くも激流の暴威から逃れるが、逃げ出すのに精一杯なのか隙だらけだった。

「逃がすかぁ!」

 そんな絶好の機を逃すほど甘くは無い。待ち受け、袈裟に双剣を振るって仕留めた。





 戦闘の熱が風に攫われ、辺りに静寂が舞い戻る。

 月明かりに照らされた草原に残ったのは三人の人影のみ。

 双剣を光に収めるハセヲ。逃げ疲れたのか、少し離れたところで息を弾ませているアトリ。そして――


「大丈夫だった?」


 透明な声の持ち主の、女性。

 月が翳り、その姿ははっきりとは見えない。


「あぁ……ダメージはねえよ」

「す、すいません、ありがとうございます。助かりました」


 アトリが駆け寄ってきてぺこぺことその女性に頭を下げる。

 その姿を見て、意せず怒鳴りつける。


「それよりもオマエ、戦闘も出来ないのになんでフィールドに連れてきたんだよ!?」

「た、戦うのは苦手なんですけど、このエリアは好きだから……」

「それじゃ、今までこのエリアに来たときはどうしてたんだよ」

「……いつもは『逃煙玉』とか『導きの羽』を使ってるんです」


 アトリの言う『逃煙玉』は戦闘から逃げ出すアイテムで、『導きの羽』は特定の場所へ瞬間移動するためのアイテムだ。

 つまり……基本的に戦闘をしたことがないということになる。

 思わず、愕然。



「お取り込み中のところ、申し訳ないんだけど」


 それまで傍観していた女性が口を開く。


「よかったら、私もお供させてもらってもいいかしら?」


 雲に隠れた月がゆっくりと辺りを照らし始める。


「……俺は構わねえぜ」


 来てしまった以上は獣神像で宝物を手に入れておきたい。しかし、誘った当人がまるで戦力にならないのだ。ただでさえ時間が惜しいというのに、付き合わされた挙句になんの収穫も無く終わるなどというのは避けたかった。選択の余地は無い。


「わ、私も大丈夫です。よろしく御願いします! 名前はアトリといいます」

「ハセヲだ。アンタは?」


 雲の切れ目から覗いた月の木漏れ日が、幻想的に女性を映す。月に照らされたその身は淡く輝いて見え、燃えるように紅く、鮮やかな長髪を流すその女性は――


「私の名は、ヴェラ――」


 謳うように、透明な声で名乗った。










To be Continue




作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。














.hack G.U 「三爪痕を知っているか?」

第十一話 : 交差する出遭い















無駄だと云われた


愚行だと云われた


だから何だ?