5 逮捕


犯人が残した靴跡の血痕のルートや容疑者の役職等の捜査資料をデータ化し、送信。端末をしまいながら軽く息を吐く。歩きながらの作業は意外ときつい。


ジョシュアはギンガと共に歩きながらこれから逢う相手、ローランド・ディッグ一等陸士のことを考える。


警察機関が誰かを逮捕する場合、その誰かは容疑者である必要がある。


そして容疑者と特定するにはいくつかの条件を満たさなければならない。


容疑者と思われる者に犯罪を実行する動機があったのか? 手段は? その者に実行が可能なのか? 等の条件を満たして初めて容疑者として扱える。


例外として犯人が既に特定出来ている現行犯逮捕もあるが今回は当てはまらない。それ以前に現行犯逮捕をすれば被害者が出るという意味なのであまりいいものではない。


今回の事件の最有力容疑者、ローランド・ディッグ一等陸士の場合は、実行が可能でも手段は予測の域を出ていないうえに動機は不明だ。後一押し足りない。


これでは容疑者として拘束できたとしても短期間で釈放されるだろう。容疑者の自白か犯行を示す物的証拠が必要だ。


それを知ってか知らずか、ギンガは足音を響かせながら早足で廊下を進んでいく。徐々にジョシュアと差が開いるのだが気づいた様子はない。


恐らくローランドが局員としての立場を利用して殺人を行っていることに怒りが湧いたのだろう。前から来る局員が怯えた表情で道を開けるぐらいだからギンガの怒りは相当なものだ。


このままではローランドを目にした瞬間、ギンガは肩に下げた紐付きの箱からリボルバーナックルを取り出し、殴り飛ばしてしまいそうだ。


一応自首を勧めるつもりのジョシュアにとってそれはまずい。なので、少し落ち着かせるために声をかけるが――


「おい」


「…………」


無視された。相当頭に血が上っているようだ。


「おいこら、ギンガ」


「…………」


少し荒らげた声をかけるがこれも無視。かと言ってこれ以上大きな声を出せば近くを歩く他の局員の注意を引くことになってしまう。


ならば、と念話に切り替える。念話ならばどれだけ大きな声を出しても他に漏れることはない。ジョシュアは軽く気合を入れ、





【ギンガァ!!】





「きゃああぁ!!」





念話のボリュームが大きすぎたせいか、ギンガが口から悲鳴を上げて頭を抑える。


「……やりすぎたか」


悲鳴を上げたせいで余計に周りの注意を引いてしまった。


まあ、やってしまったものは仕方が無いと考えていたジョシュアにギンガは恨むような眼つきで近づいてくる。


「いきなり何するんですか!?」


当然の怒りだ。念話は普通の会話と違って頭に直接響かせる。脳を直接殴られるような衝撃を平然と耐えられる人間はいない。


「悪い悪い、少し大きすぎた。でもな――」


ジョシュアはギンガの頭に手を乗せる。


「少し頭を冷やせ、そんな顔してたら犯人が逃げちまうぞ」


そこでギンガはハッとしたように頬に手を当て、怒りとは別の赤さで頬を朱に染める。


「す、すいません」


「ま、お前の気持ちもわからないでもないけどな」


「……ジョシュアさんは、何とも思わないんですか?」


問いを向けてくるギンガの表情は真剣そのもの。ならばジョシュアも相応の答えを返さなければならない。


「正直言ってこんな事もあるだろーなってぐらいにしか思わねぇよ。管理局は正義を掲げてはいるが、すべての局員が必ずしもそれに恭順するとは限らない。
そもそも局員だって人間だ、社会的正義の側にいるってだけで100%の善人じゃない。人を助けもすれば法を破ることもある。今回の場合は局員として
の立場を利用するぐらいは狡猾な悪意を持った局員だったってだけだ。それほど驚くことじゃない」


少し意外そうな表情で聞いているギンガは呟くように「……そういうもの、なんですか」


「そういうものだ、お前も経験を積めば理解できるようになるさ」


「はい」


「よし、じゃ行くぞ」


そう言ってジョシュアが歩みを再開するとギンガも後に続く。今度は二人の差が開くことはなかった。








「ローランド・ディッグ一等陸士を呼んでくれないか?」


地上本部人事部のフロアに入ろうとした女性局員にIDを見せる。女性は少し目を細めた後に「失礼ですが、要件は?」と聞いてきた。


「他の部隊に移るときはローランド一士に相談したほうがいいって言われてな、性悪な部隊長がいる部隊に配属されるのはごめんだろ?」


女性が苦笑と共に「少し待ってください」と言って数分後、局員連続殺人の現時点最有力容疑者、ローランド・ディッグ一等陸士が姿を見せた。


ローランドは浮かべていた笑顔を一瞬怪訝そうに歪めるが、即座に表情を元に戻した。


「初めまして、かな?」


そう言ってくるローランドは6人の局員を殺したとは思えないほど穏やかな口調で言葉を口にし、曇りのない笑みを浮かべている。


「ああ。俺はジョシュア・マッドフィールド。こいつはギンガ・ナカジマ」


「はあ。それで、異動の相談だとか?」


異動の相談に来る男女とあれば、ほとんどの者が二人の関係が部隊で何か問題でもあったのかと考えるだろう。


こうすれば相手の多大な好奇心とちょっとした親切心を刺激する。相談に乗ってもいいかもしれないと思わせれば成功だ。


「少し込み入った相談でな、出来ればゆっくり話せるところだといいんだが」


ローランドは少し考え込み「ではロビーのレストルームでどうかな? 丁度休憩でもしようと思っていたところだし、この後外に用事があるから」


「……そうするか。お前もそれでいいか?」


振り返るとギンガは慌てた様子で「え、あ、はい」と呟くように了承する。


「じゃあ少し待っていてくれ、準備をしてくる」


そう言ってローランドは人事部のフロアへ戻っていった。


その後姿を見送りジョシュアは安堵のため息を吐く。


事前の打ち合わせ通りジョシュアが主体の関係に見えるように演じることができた。仮にギンガが主体となった場合、怒りを抑えきれるとは思えなかったからだ。


それでも多少は不安だったがなんとか成功した。


そのことを念話で褒めるとギンガは微かに笑顔を浮かべたが、これからのことを思うと気が重くなる。


今回の事件で被害者は六人、さらに局員としての立場も利用したローランドは恐らく生きて刑期を終えることはないだろう。


殺した理由次第では出られるかもしれないが、運良く出れても皺だらけの老人になった後だ。どちらにしろローランドの人生は牢屋にぶち込まれた時点で終わったも同然。


つまり、ジョシュアとギンガがローランドに止めを刺すようなものなのだ。


捕まれば終わる。そのことはローランド自身がよくわかっているはずだ。だからこそ、逮捕するその瞬間に何か起こる可能性がある。


しかし今のギンガは犯人を捕まえることだけに意識が向いていて、崖っぷちに立っている犯罪者がどんな行動を取るのか考えた様子はない。


犯人を憎むのは判るが、もう少し捕まえる相手の心理を考えて欲しかった。


相手はBランクの魔導師を殺した上に、魔導師でもないのにAMFを使う可能性がある。矛盾するような存在であるローランドとの交戦はあまり考えたくない。


出来れば話す場所もレストルームではなく人気がない場所が良かった。なにせこの殺人事件は地上本部、ひいては管理局の汚点になる。


外部へ漏らさないように、なるべく穏便に解決したいというのがジョシュアの考えだったが、それは無理なのかもしれない。


そんな事を考えながらジョシュアはローランドが戻ってくるのを見ていた。








地上本部ロビーにあるレストルームは広い。


ロビーは五階まで吹き抜けになっているおかげで閉塞感など欠片もなく、テーブルの数は三十を超え、百人以上の局員が休憩できるようになっている。


今の時間帯は昼食を終えて午後の仕事が始まる頃なので幸い人は少なかった。


「それで、相談とは?」


三人分のコーヒーをウェイトレスに頼んだ直後に、ジョシュアの正面に座るローランドがそう切り出した。


左隣に座るギンガから逮捕の瞬間が近いことによる緊張が感じ取れた。


このまま自分自信が主体となっては話を進めるとギンガに念話で伝え、ジョシュアは口を開く。


「ああ、相談のことだがな、その前にいくつか確認したい」


「確認?」


「そうだ。最近ここミッドチルダで起きている局員が殺害される事件を知っているな」


ジョシュアの質問にローランドは頷いて肯定を示す。


「確か、今朝も一人犠牲になったと聞いたよ。早く犯人が捕まってほしいね、道を歩くことすら安心出来ない」


ローランドは事件に巻き込まれることを恐れている真っ当な局員のような言葉を口にする。


「それなら心配ない、近いうちに捕まえてみせるさ」


「へえ! つまり君たちが?」


ローランドは口調に反して驚いた様子もなく質問を向けてくる。


「……ああ、あの事件を捜査している」


そこでジョシュアは違和感を覚える。ローランドの表情、態度、口調が一致しない。これではまるで――


「お待たせしました、コーヒーです」


思考を遮るように目の前をコーヒーが横切る。三つのコーヒーを並べ終えるとマニュアル通りのあいさつと共にウェイトレスは去っていった。


気を取りなおしてジョシュアは話を続ける。


「一連の事件の現場には証拠が殆ど残されてなかった。近くに監視カメラが無いせいで犯人の容姿は不明なうえ、発射された弾丸だけが現場に残された物的証拠だったんだが、今朝の現場は違った」


「へぇ」


砂糖とミルクをコーヒに加えながらローランドは無表情でそう呟き、通りかかったウェイトレスに砂糖の追加を頼んだ。


「今朝の犯行現場で犯人は被害者の血液を踏んでいた。血っていうのは拭き取られても特殊な光を当てれば反応する物でな、俺達はそれを追っている」


ローランドは今度は答えず、スプーンでコーヒーを混ぜながらこちらを見つめてくる。


「で、ついさっきあんたの靴裏に血液反応を視ることができる光を当てた。するとあんたの靴裏から血液反応が視えたんだ」


コーヒーを混ぜる手を止め、ローランドは緩慢に口を開いた。顔に笑みを貼り付けながら。


「……たったそれだけで私を犯人だと? もしもそれだけで逮捕できるとしたら未解決事件なんて存在しないだろうね」


ギリッ、と隣に座るギンガから歯軋りが聞こえた。ジョシュアはギンガの肩に手を置き「そうだろうな」と肯定する。


ジョシュアは今にも飛び出しそうなギンガを抑えながら口を開く。ローランドのように笑みを浮かべて。


「確かに。それだけだったら良くて二十四時間の拘束ぐらいだろうな。現場にはいたとしても殺害したという証拠じゃあない」


そう言ってジョシュアは肩をすくめ、表情から笑みを消した。


「ところで、銃の引き金を引くと出てくるのは弾丸だけじゃないと知っているか?」


ローランドは笑みの表情を訝しげに歪め、ジョシュアは無表情のまま言葉を続けた。


「最初の犠牲者は十七発の弾丸を撃ちこまれていた。それだけ多いってことは弾倉に入る弾が多いオートマチックっていう拳銃の可能性が高い。そのオートマチックの引き金を引くと、出るのは三つ。 一つは当然弾丸。二つめは薬莢、これは何故か現場に残っていなかったが、恐らく犯人が持ち去ったんだろうな。最後に発射残渣、あーつまり弾丸が発射される時に出る火薬のカスだ」


首から下げたドッグタグをペンライトに変え、ローランドの手首に赤い光を当てる。


「発射残渣はそう簡単には消えない。手を洗ったぐらいでは、な」


ローランドの手は赤い光を当てられているというのに、所々で夜光塗料のような白い反応を視せていた。それは陸士服の袖から肘のあたりまで続いている。


「さて、この光は肉眼では視えない発射残渣を視覚的に捉えられるようにするためのものだ。ローランド・ディッグ一等陸士、あんたの手から肘にかけて発射残渣が視えるが、何か言うことはあるか?」


ローランドは表情を消してスッと目を細め、人事部のフロアで逢った時とは全く違う冷たい雰囲気を纏った。


無言の殺意、とでも言えばいいか。さすがに六人も殺していると普通の局員とは空気が違う。


ジョシュアはそれを真正面から受け止める。隣のギンガから緊張した空気が伝わってくるが、ローランドの雰囲気に萎縮した様子はない。少し安心しながらジョシュアが口を開こうとすると三人の間に電子音が響いた。


着信を告げる端末を見せつけるようにゆっくりと取り出したジョシュアは「チェックメイトだな」と笑みを浮かべる。


訝しげにしている二人に見えるようにテーブルの中央に端末を置き――


「捜索令状だ」


端末に目を落としたローランドは鋭く細めた目を見開く。


驚きを隠せないギンガは「ジョシュアさん、一体いつの間に……」


「警備室を出た後にに令状の要請をしていてな。さすがに逮捕令状は無理だが、捜索令状ぐらいなら出してもらえるようだ。ま、それほどこの事件を重く見ているんだろう。 さてと、ローランド・ディッグ、俺達はあんたの自宅と人事部のデスク、さらにあんた自信を合法的に調べ、物的証拠を押収する権利を得たわけだ」


例えどれほど優秀な捜査官だろうと他人のプライバシーに関わる場所までは捜査権限がない。もし仮に捜査官にどんな場所でも調べる権限が与えられれば、人権侵害になるからだ。


それは法で定められ、破れば厳しい罰則を与えられる。おまけに法を破った捜査で得た証拠は裁判で使用することが出来ず、容疑者を有利にしてしまうのでどんな捜査官もこれだけは破ることがない。


しかし、正式な手順を踏みさえすれば容疑者に関するあらゆることを調べる権限が与えられる。理由があるならば容疑者を素っ裸にすることすらできるのだ。勿論理由があればだが。


「まずは今あんたが履いている靴だ、それに制服の上着も押収する。被害者の血痕に発射残差。これだけ揃えれば十分容疑者として扱え――」


ウェイトレスが近づいてきたことに気づきジョシュアは言葉を止める。


「どうぞ」


冷たい雰囲気を放つローランドの無表情が一瞬で笑みに変わる。その変化はまるで別人かと思うほどの温度差があった。


先程頼んでいた追加の砂糖をウェイトレスが差し出しローランドが受け取り、


「ありがとう。お礼にいい物を見せてあげよう」


笑顔のローランドの雰囲気が一変、再び冷たい雰囲気を発した。


次の瞬間、この場にいる四人のうち三人が動いた。ギンガは立ち上がりつつ危険な雰囲気を発するローランドへ手を伸ばし、ジョシュアはローランドから引き離そうとウェイトレスへと手を伸ばす。


しかしそれよりも速くローランドの手が翻り、いつの間にか握っていた『拳銃らしき物』をウェイトレスの首筋へと突きつける。


『拳銃らしき物』というのは理由があった。ローランドが握っているのは拳銃にしては異常なほど銃身が短かったのだ。


普通拳銃というものはどれほど銃身が短くても、銃を握る部分であるグリップと同程度の長さがある。そうしなければ弾丸を発射した時の反動が大きくなる上に命中力が落ちるからだ。


しかしローランドの手にあるものはそれらの常識を無視し、トリガーの上のあたりまでしか銃身がなかった。だが逆に考えればある意味納得出来る。


銃身が短いせいで反動が大きいなら弾丸の口径を小さくし、命中率が悪いなら接近して引き金を引けばいい。殺傷力が低い口径でも脳を撃たれれば人は死ぬ、つまり、超接近戦用か暗殺用なのだろう。


「賭けるかい? 君等が私を取り押さえるのが早いか、それとも私の指が引き金を引くほうが早いか?」


小さな拳銃の引き金にはローランドの指がかかっている。しかも僅かだが引き金に力が入っていた。分が悪すぎる。


「いや、やめておく」


ジョシュアはウェイトレスへ伸ばした手をゆっくりと戻す。ギンガも分の悪さを察したのかローランドに厳しい視線を送りながら手を戻した。


「あ、あの、これは…………」


緊迫した状況にウェイトレスも察したのだろう。怯えた表情で突きつけられた拳銃を見ている。


「動かない方がいい。私が引き金を引けば君の首に穴が開く」


ローランドの言葉にウェイトレスは額に汗を浮かべながら喉を鳴らして頷いた。周囲の局員も異変に気づき、レストルーム周辺まで騒がしくなり始めていた。


この状況こそ望んでいなかったジョシュアは内心で舌打ちしながら相手を落ち着かせるように両手を上げる。


「あんたは、俺達が捕まえに来たってことを知っていたんだな」


「もちろん。同じ局員のことだから調べるのは楽だったよ」


どうりで態度に違和感を覚えるはずだった。普通なら自分と関係ない事件の話をされれば訝しげに表情を歪めるはずだ。それでなくとも話を中断して自分に関係の無い話だと言うだろう。


しかしローランドはまるで世間話でも聞くような態度だった。事件の詳細を知っていたからこそ、そんな態度を取れたのだろう。


犯人が局員ならこれは予想できたことだとジョシュアは内心で歯噛みする。


「どうするつもりだ、ローランド。魔導師でもないお前が拳銃一つで本部から逃げられると思っているのか?」


「別に逃げるつもりはないよ。ただ、こうなってしまってはもう、出来ることは少ないだろうね」


「何をするつもりですか?」


怒気の篭った声を向けてくるギンガに、ローランドは冷たい雰囲気のままで笑顔を向ける。


「別に、やりたいことをやるだけさ」


そう言ってローランドは口を歪める。


「今朝のようにね」


言葉の直後、ジョシュアの左隣で魔力が爆発的に増大し、全身が強ばるほどの何らかの圧力が周囲に広がる。その中心にいるギンガの足元に通常とは違う魔法陣が輝いていた。


レストルーム周辺に集まっていた局員がざわめく。


通常の魔法陣は完璧な円形のミッドチルダ式、又は複数の円を繋いだベルカ式の三角形か、召喚系や転送系の四角形だ。しかしギンガの足元にある魔法陣はそのどれにも当てはまらない。


複数の円が重なったような形をしているが、所々欠けていてまるで円形の迷路のような歪な形をしている。規則性がなく不完全で、失敗した魔法陣にすら見えた。


その魔法陣を知識のあるものが見れば二つの考えが浮かぶだろう。


ミッド式、ベルカ式とも違う全く新しい魔法体系、もしくは魔法とは別の技術で作られた魔法陣、いや魔法陣ですらないもの。


ジョシュアの考えは後者。何故なら過去に何度か目にしたことがあったからだ。


八年前の自分が所属していた部隊が全滅した日。部隊の仲間を殺した連中の足元に描かれていたものと似ていた。


足元の蒼い陣がさらに強く輝くとギンガは左手を上げる。それはデバイスも着けていない素手のはずなのに何故か危険な圧力を纏っていた。


「お、おい! 勝手に動くな!」


ギンガはローランドの焦った叫びに耳を貸したどころか聞こえているかどうかすら怪しい。虚ろな目をしたまま左手で拳を作り、肘を曲げて力を貯め、やや前傾姿勢となる。


「よせギンガ!」


相棒であるジョシュアの叫びすら届いた様子はない。運悪く、ウェイトレスが拳銃を突きつけられたときにテーブルの位置がずれたせいで、ギンガの拳がローランドに届いてしまう。


このままではギンガの動きに誘発されたローランドが引き金を引いてウェイトレスを殺してしまう。ジョシュアはさらに制止の言葉を重ねようとするが、既に遅い。


次の瞬間、力を貯めた左手が砲弾の如く放たれた。








レストルームに音が響く。


しかしそれは発砲した銃声ではなく、肉と骨が衝突する人を殴る音でもない。


鈍い金属音だった。


ギンガの拳は放たれた直後に停止させられた。受け止めたのはジョシュアの左手だ。


奇跡的にローランドの拳銃から弾丸は発射されず、ウェイトレスは生きていた。


「落ち着け。ギンガ」


虚ろなギンガの目に正気の色が戻る。


「……ジョシュア、さん、私は今、何を?」


どうやらギンガは数秒間記憶が飛んでいたようだ。ジョシュアは溜息と共に左手を離す。


「話は後だ。……悪いなローランド、相棒が暴走しちまった。もう挑発するなよ、今度は止められないかもしれないからな」


話をふられたローランドは額に汗を浮かせながら無言で頷くと、ウェイトレスに拳銃を突きつけたまま後ずさって数メートルほど距離を取る。


これで状況は悪化した。ギンガの暴走によりローランドの警戒心が強まり、距離を取られたせいで拳銃を奪うことができなくなった。もしこのまま強行すれば間合いを詰める間に発砲される可能性が高い。


おまけにここは管理局地上本部、局員の巣だ。その証拠にレストルーム周辺に武装局員の姿が目立ってきている。五階まで吹き抜けになっているおかげで上の階に狙撃手の姿もチラホラと見えた。


ローランドは逃げることは出来ないだろうが、武装局員たちも人質を取られているせいで迂闊には動けない。


このような膠着状態で動けるのは事件の当事者であるジョシュアとギンガだけだ。


「で、これからどうする気だ? ローランド」


「……そうだな、まずは二人共デバイスを捨ててもらおうか。そこの彼女はそんなもの必要無さそうだけどね」


そう言ってローランドは少し引きつった笑みを浮かべる。先程のギンガが相当強く印象に残っているようだ。


ジョシュアは首に下げたドッグタグを外しながら、リボルバーナックルが入った箱を蹴って床を滑らせたギンガに念話を繋ぐ。


【ギンガ、この後俺がローランドの注意を上へ逸らす。お前はその隙にウェイトレスを助けろ。あの拳銃は距離を取ればまず当たらない、ウェイトレスを助けたら自分とローランドの間にウィングロードを多重展開して盾にしろ。 後は姿勢を低くして離れておけ。俺が始末をつける】


【……気を逸らすって、どうするんですか?】


ジョシュアはドッグタグを放り捨て、念話を続ける。


【詳しく話している暇はない。とにかく俺が奴の注意を上へ向けるから、お前はローランドから絶対に目を逸らすな】


【はい】


ドッグタグを放り捨てたジョシュアへローランドは問う。


「君のデバイスはそれだけか?」


「いや、もう一つある」


言いつつジョシュアは陸士服の上着を脱ぎ近くのテーブルに放る。ローランドの表情が訝しげに歪んだ。


「君は、何をしているんだ?」


「何を? お前の言うとおりにデバイスを捨てるだけさ」


言いつつジョシュアはシャツの左袖を肘より上までめくった。そして右手で左肘より少し上を掴み――


『いくぞギンガ』


『はい!』


ジョシュアが右手で左腕を捻ると、まるで元からそうだったかのように、金属音と共に左腕が外れた。


ざわっ、と場が一瞬騒然となる。


「な、何をしている!?」


「だから言っただろうが、デバイスを捨てるんだよ」


そう言ってジョシュアは右手で持った左の【義腕】を上空へ向けて放り投げた。


宙へ飛んだ左腕が、人質になっていたウェイトレスすらを含めたその場にいたほぼ全員の視線を集める。


ジョシュアの義腕の接続部は複数の端子や固定用の金属骨などで構成され、一目で機械と分かった。


その放り投げられた義腕に武装局員すら注視する中、たった二人だけがローランドから目を離さずにいる。


『行け!』


命令通り忠実に前だけを見ていたギンガが疾走。


僅か半秒で接敵、ローランドが驚愕。


「っ!?」


次の半秒で人質の奪取、そして離脱に成功。


「ま――」


銃口を向けられるギンガは自分とローランドの間にウィングロードを多重展開。元は人が走れるほどの強度があるウィングロードだ、多重展開すれば銃弾を防ぐこともできる。


実際、ローランドの拳銃から小さな火薬音と共に放たれた銃弾はウィングロードに阻まれ、床に着弾した。


「くっ」


呻くように歯を食いしばるローランドの頭上から怒声。


「よそ見してんじゃねぇ!」


ローランドが見上げると、そこには跳躍したジョシュアの姿。いつの間にか、ジョシュア自身が投げた左の義腕は元に戻っていた。


そして落下してくるジョシュアの右の掌にはベルカ式の赤い魔方陣。それはローランドの見上げる顔へと向けられていた。


あと半秒足らずで非殺傷設定の魔法が発動し、この騒動は終わる。


そう確信したジョシュアの目に写ったのは、笑みを浮かべるローランドだった。


突如、ローランドから半径十メートル程の空間に不可視の力の波が広がる。そして上空にいるジョシュアもその力の波に飲まれ、右の掌に浮かんでいた魔方陣が光の粒子となり霧散、消失した。


「なっ!?」


消失した右手の魔法に意識を向けてしまったせいで膝を付く格好で着地してしまったジョシュアの頭部に、冷たい金属が突きつけられる。


「チェックメイトだな」


捜査令状を突きつけたジョシュアと同じセリフを、ローランドは銃身が短い拳銃を突きつけて口にした。


そのローランドが銃とは反対の左手に握らえた物体を見たジョシュアが唸るように言葉を吐く。


「お前、それをどこで手に入れた? そう簡単に手に入るものじゃねぇぞ」


太さ五センチ、長さは十センチほどの筒状で、ボタンが複数、幾何学模様が表面に刻まれている。


それはミッドチルダとは別の世界にある反管理局体制組織が対魔導師戦用に創りだした簡易型AMF発生装置だった。


それを持ったローランドはこらえきれない笑いを漏らすように表情を歪める。


「ほぉ、やはり君はこれを知っているのか。なかなか面白いものだね、これは。なにせこれと拳銃さえあれば、私のような資質が無い者でも魔導師を殺すことができる。いい気分だよ」


おもちゃを自慢するガキか、と内心で悪態をつきつつジョシュアはローランドの顔を睨み続ける。そしてローランドもジョシュアからは目を離さずに言葉を続けた。


「本当に、技術の進歩とはすごいものだよ。あれほど驚異だった魔導師をこんなに簡単に無力化できるとはね。さすがAMFだ」


「…………確かに技術の進歩はすごいものだな。俺が一年前に見た物はもっとAMFの効果範囲は狭かったうえに、魔力結合解除効果もCがせいぜいだった。随分と進歩したもんだ」


「これならBランク程度まで無力化できるさ。実際に試したんだからね」


ローランドの言っている【試した】とは今朝殺害されたウィリアム・オーダス三尉のことだろう。彼だけが抵抗した後に殺害されたのだ。


「自慢するのはいいが、そろそろまずいんじゃないのか? 簡易型AMF装置は致命的なほどにバッテリーを食うんだろう?」


ローランドのにやけ面がピクリと反応。ジョシュアの頭に突きつけられた拳銃に力がこもる。そして囁くように言葉を吐いた。


「そう、それが唯一の弱点だ。じゃあそろそろ終わらせようか。局員連続殺害事件の最後の被害者は君だ」


命の危機にジョシュアの額に汗が浮かぶ。しかしそれでも焦らず、ローランドの目を睨みつけながら刹那のチャンスを待った。


ローランドは別れの言葉を口にする。


「さよならだ。――っ!?」


突如二人に接近する宙を駆ける影。その影の足元には翼を冠する道。そして雄叫び。


「はあぁぁぁ!」


影――ギンガ・ナカジマの左手に装着された無骨な金属の篭手、リボルバーナックルが唸りを上げる。


ギンガの対処かジョシュアの始末か。二つの選択肢にローランドの一瞬の迷い。


逡巡の結果、ローランドはギンガの対処を選択し、銃口をジョシュアの頭部から逸らす。


そして、それが事態の集結への決定打となった。


逸れる銃口を認識したジョシュアは床に膝を付いた姿勢のまま、義腕である左腕を拳銃へ向けて振り上げる。指先には鋭利な輝き――機械仕掛けの刃。


義腕はローランドが銃口をギンガに向けるよりも速く振り上げられ、指の付け根に接触。


一瞬後、火花と四本の指、そして鮮血が舞った。


「あ?」


親指のみになった血を零す右手を見つめるローランドは呆けた声を出す。指による支えを失った拳銃は足元に転がった。その近くに予想外の事態に表情を驚愕に染めたギンガが着地する。


そして右手にあったはずの四本の指が床に転がっていることを認識したローランドは絶叫した。


「お、がああぁぁあぁあぁああぁぁぁぁぁああぁあぁああ!」


額に脂汗を浮かべながら床に膝を付き血を流すローランドに対し、今度はジョシュアが立ち上がってローランドを見下ろした。


「たかが右手の指が切られただけで喚くんじゃねぇよ」


その言葉にローランドは答えず、血を流す右手を左手で押さえながら呻くだけだった。


ジョシュアは左の義腕を振るって爪のような刃に付着した血液を払いつつ、落ちた拳銃とAMF発生装置を手に取る。


拳銃の銃身が極端に短くても構造はそれほど変わらないようなので安全装置を掛け、AMF発生装置の電源を切ってギンガへと放った。


「証拠品だ」


唖然とした表情のギンガは危なげに拳銃とAMF発生装置を受け取り、ジョシュアの左腕を凝視する。そんな相棒へ向けてにジョシュアが言葉を発した。


「二年前の戦闘で俺は腕を吹き飛ばされた。代わりに普通の義腕をつけることも出来たが、こういう事態に対処するために武器を仕込んだデバイスを付けたんだ」


ジョシュアは義腕の調子を確かめるように手を開閉する。


「その腕はデバイス、なんですか?」


「ああ、AMF領域で魔法が使えないことに変わりはないが、油断した相手に仕込んだ武器で攻撃できる。それより――」


ジョシュアは手を押さえて膝を付くローランドに近づき、苦鳴を無視して無理やり手錠をかけた。


「公務執行妨害、殺人未遂、質量兵器…………あー、とにかく現行犯逮捕だ。取り調べで余罪が追求されるから覚悟しておけよ」


その言葉が契機だったかのように場がざわつき、レストルームを包囲していた武装局員達が動き出した。後始末は彼らがしてくれるだろう。


ジョシュアは捲っていた左袖を戻してテーブルに放った上着に袖を通す。面倒なのでネクタイは胸ポケットに入れたままだ。


「さて、と。ギンガ」


「は、はい」


ギンガはジョシュアの左腕に向けていた視線を慌てて上げる。それを見てジョシュアは眉をひそめた。


「おいおい、俺の左腕がほしいとか言うつもりじゃねぇよな?」


「違います! ……それで、何ですか?」


「お前、本局の執務官に知り合いはいるか? 縄張り争いをせずに信用できて、AAA以上の魔導師ランク保持者がいいな」


今度はギンガが眉をひそめる番だった。それでも一応考えてくれたようで肯定と質問を口にする。


「一応いますけど、どうしてそんなにランク高いの本局の執務官を?」


「念のためだ。いるならすぐに呼んでくれないか? 要件は緊急、地上と本局、さらに別世界に関わる広域犯罪の可能性あり。ただし無駄足に終わる可能性もあるって言ってな」


ここまで言えばさすがに分かったのだろう。ギンガは表情を驚愕に変えた。


「局員連続殺人に、本局まで――」


「声を落とせ、場所がまずい」


ギンガは口を噤むと念話に切り替えた。


【本局の誰かが関わっている証拠はあるんですか?】


【今はない。だから無駄足に終わる可能性もある。それ以前に俺の思い過ごしかもしれないしな】


【…………わかりました。でも私が知っている執務官の方は常に多忙なので来れないかもしれません】


【別にかまわねぇさ。執務官がいなくても、証拠さえ掴めば俺とお前で本局に乗り込めばいい】


ジョシュアはそう言って不敵に笑う。その顔を見たギンガは何故か呆れたように苦笑した。


【少し時間がかかるかもしれませんよ】


【ああ。その間に俺は証拠を掴んでおく。ついでにローランドの聴取も頼んだ】


そしてジョシュアは念話を切り「そいつは治療した後、108の隊舎で聴取しておけ。俺の要件が済んだら連絡する」そしてギンガへ背を向ける。


「一人で大丈夫ですか?」


「ああ、問題ない。じゃあ後でな」


ジョシュアは背を向けたままそう言い、慌ただしく動きまわっている局員の群れに飲み込まれていった。








あとがき


申し訳ありませんでした! 白砂糖です。


前回は8月中旬に書き上げると言いながらもう5月…………本当に申し訳ありません。


小説連載の難しさ、原作キャラの扱い方などなど、もろもろの苦難を味わい、何度か諦めかけながらもどうにか書き上げ、自分の小ささを知りました。…………最後の言葉、何かの歌であった気がする。


とにかくいろいろ苦労しつつ何とか書きあがりましたが、はっきり言って今回はかなり不安定だと思います。


数ヶ月というムダに長い時間がかかったせいで、私自身、最初と最後がまるで別の小説のように感じています。


しかし未完成というわけではないので、書き上げてしまったからにはこのままリョウさんに載せてもらいます。


時間を置いて自分で読んでみてあまりの羞恥に身悶えするかもしれませんが、それもそれでいいかもしれません。自業自得だし……。


次回の話は頭の中では決まっていますが、描き上げる時期は未定です。実生活のほうで色々やばいことになっていますので。就職とか………………就職とか。


では、またいつか。


作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ-ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。