3 夕餉



「ただいま」


そう言って玄関をくぐるギンガの背を見て、ジョシュアはかつての上官クイントと共にナカジマ家を初めて訪れた日を思い出した。


あの時のクイントも今のギンガと同じ言葉を口にしながら玄関をくぐっていたのだ。


ジョシュアは思わず足を止めて家を見上げる。


この家はあれから何も変わってはいなかった。その事が何故か嬉しく、故郷に帰って来たような感覚が全身を包む。


そんなに多く来たわけではなかったが、ジョシュアは懐かしいと感じていた。


「ジョシュアさん、どうかしましたか?」


見上げていた視線を戻すと不思議そうな顔をしたギンガがいた。


「ああ、いや、何でも無い」


軽く頭を振って帰郷したような感覚を振り払い、ジョシュアは玄関をくぐった。










茶を用意したギンガは今から夕食を作るらしく、ジョシュアはリビングで待つ事になった。


「……変わってねえな」


そう呟きながらリビングを見渡す。


足の低いテーブルに座布団。管理外世界の異文化が平然と持ち込まれ、それでいて何故か違和感がない。


しかしジョジュアは相変わらずこの座布団には慣れなかった。いや、以前よりも違和感が強くなっているといった方がいいだろう。


何せ戦場を渡り歩いて傭兵のような生活していた頃、尻の下に敷くものは血と泥で汚れたぼろ切れぐらいしかなかったのだから。


敷いていた座布団を隣のもう一枚に重ね、自分は床に直接腰を下ろす。フローリングは少し冷たいがやはりこのほうがしっくりきた。


テーブルに視線を向けると、別に喉は乾いていなかったがなんとなく湯飲みを手に取り、茶を一口。


「……苦いな」


テーブルに置かれた茶を一口含むと、八年ぶりの懐かしい苦みが口の中に広がった。


久しぶりの味に懐かしさを感じていると玄関の扉が開く音が耳に届く。その直後に渋い声。


「帰ったぞー」


それに答えるギンガの「おかえりー」という声がキッチンから響く。


「お、ウチの部隊の車があるから誰かと思えばマッドフィールドか」


玄関からやってきたのはナカジマ家の大黒柱だ。


その大黒柱であるゲンヤに言われ、部隊の車をそのまま使っている事を思い出す。


まずかったか、と考えるが部隊長であるゲンヤが何も言わないのだから問題はないのだろう。


「お邪魔してます」


「おう。ゆっくりしていけ」


そう言ってゲンヤはテーブルを挟んだジョシュアの対面に腰を下ろす。


「なんだ、まだ座布団には慣れねぇのか?」


その言葉にジョシュアは苦笑で答える。


見透かされていたような恥ずかしさと、覚えてくれていた事への嬉しさがあった。


「で、どうだった?」


唐突にそう言われ、ジョシュアは事件の事だと判断し今日の捜査で得られた事を口にする。


まあ、ジョシュアの犯人像の予測が大部分だったのだが。


「やはり、AMFか」


ゲンヤは顎に手を当て唸るように呟く。


「可能性は高いと思います」


AMF(アンチ・マギリング・フィールド)
魔力結合を阻害するフィールド系防御魔法にして、AAAクラスの魔導師にしか使う事が出来ない高難易度なものだ。


それが今回の連続殺人に使われている可能性があった。


「しかしAMFはAAAクラスの防御魔法だぞ、そんな魔導師が何故質量兵器を使う必要がある。AAAなんていう能力を持ってんならCやBランク魔導師ぐら い力ずくで殺害出来るはずだ。
わざわざAMFを使って自分が不利になる質量兵器を使う必要はないんじゃねぇか」


「まあ、そうなんですが。かといって魔導師の被害者が全く抵抗出来ていないというのも不自然です。いくらCランクでも現役の武装隊員なら何かしらの抵抗は します」


「……確かにな」


そう言ってゲンヤは思考に没頭するように腕を組んだ。


ジョシュアも同じように数分ほど思考を巡らすが、答えは出ない。


早期解決を望むべき事件だというのに遅々として進まない。さすがに焦りが出てきそうだ。


一応今日一日で現場を回る事を終えたので捜査は次の段階へ進めることになっていた。


——とはいってもやる事はそれほど多くはない。


証拠品の検分、目撃証言の確認、凶器に使われた拳銃の施条痕を過去に起きた事件のデータベースと照合……それぐらいだろう。一日とかからない仕事だ。


その事を口にすると、ゲンヤも答えが出なかったのか溜め息を吐いて組んでいた腕を解き「そうか」と呟く。


「昔だったら自分の足で調べに行くんだが、今の俺はさすがにもうそんな立場じゃあねぇな」


「良い事じゃないですか。出世をすれば待遇も給料も上がるし、管理局ならそう簡単に首を切られる事もない」


「まあ、代わりに責任が増えたけどな」


そう言って笑うゲンヤの姿は、年季の入ったものだけが持つ独特の苦労を重ねたような雰囲気に包まれていた。


ジョシュアがそう感じているとゲンヤは背後のキッチンへと振り返る。


つられるようにキッチンへ視線を向けると、そこにはこちらへ背を向けて料理するギンガがいた。


「ギンガの奴、クイントに似てきたろ?」


「——そう、ですね」


一瞬息を止め、ジョシュアは肯定する。


蒼く長い髪、顔の形、纏う雰囲気。何から何までかつての上司を連想させた。


まるで亡霊を見ていると思ってしまうほど、ギンガの後ろ姿はクイントに似ていたのだ。


この世にはいない上司の名を口にしそうになるほどに。


「マッドフィールド」


視線を背後からこちらへ戻したゲンヤの顔は真剣そのものだった。自然とジョシュアの顔も真剣さに満ちる。


「俺はこれからお前に質問をするが、もし答えたくなければ答えなくていい。…………八年前の事件についてだ」


ジョシュアは全身が強ばったのを感じる。


八年前、思い当たる事は一つしかない。ゼスト隊と呼ばれていた首都防衛隊が壊滅した事件だ。


そしてジョシュアもゼスト隊に所属し、ただ一人だけ生き残った。


「俺は今、いやあの日からずっと、少しずつだが事件の事を調べている。特秘任務だからという理由でクイントの死因すら知る事が出来ないのに、納得いかな かったからだ。
八年前にも訊いたが……お前はあの事件について何か、公にされていない事を知っているか?」


——答えは決まっていた。


ジョシュアは軽く頭を下げ「すいません」と口にする。


「俺から言える事は……」


ジョシュアの答えにゲンヤは手を振って遮る。


「いや、気にするな。お前の立場を考えればそれが正しい。それより悪かったな、嫌な事を思い出させて」


ゲンヤのその言葉に早まった鼓動が治まり、内心ホッとする。ジョシュアにとって八年前のあの事件は『嫌な事』では済まされないのだ。


戦闘で破壊された施設の設備が床に散らばり、それらと同じように仲間の死体も転がっている。


破壊された生体ポッドに詰められていた溶液が足下を濡らし、身体を切り裂かれた仲間の身体から噴出する血液が腕を赤に染める。


散って逝くのは全てが見知った顔、共に戦い、共に飯を食い、共に生きた仲間たち。


ある種の地獄だ。


吐き気がする気分を全て押さえ込み、ジョシュアは口を開く。


「一つだけ、言える事があります」


一瞬でゲンヤの表情が変わる。目を細め、睨んでいるような表情を向けてくる。


「いいのか?」


ジョシュアは頷き一言。


「戦闘機人」


「…………何だと」


細めた目を大きく見開くゲンヤにさらに言葉を向ける。


「あの事件は、戦闘機人が関わっています。正確には、戦闘機人を作ろうとした奴、もしくは奴らが」


ゲンヤは思わずといった様子で背後、キッチンにいるギンガへと振り返った。


そんなゲンヤの行動の意味を知っているジョシュアは笑みを浮かべる。


「大丈夫ですよ、ギンガと……あー、スバルは関わっていません」


その言葉を聞いたゲンヤは安堵の溜め息を吐く。家族を心配する父親らしい行動だった。


安心するゲンヤの姿は八年前以上に父親らしくなったと思わせる。恐らくクイントが殉職し、たった一人で二人の娘を育ててきたからこそなのだろう。皮肉な事 だ。


「……戦闘機人、か。マッドフィールド、なんでお前はそのことを話す気になったんだ?」


それは当然の疑問だ。


八年前と今、時も立場も時代も、何もかも変わった。かといって話す理由にはならないと、ゲンヤは考えたのだろう。


しかし八年という時間は人を変えるには十分すぎる。ジョシュアとて例外ではない。まあ、それだけが理由ではないのだが。


「借りを返そうと思ったんですよ」


「借り?」


「はい。八年前俺は、ゲンヤさん、ギンガ、スバルに助けられました。一人だけ生き残った俺を受け入れてくれたから、ここまで生きて来れたと思っています」


「別に俺は借りになるほど助けたとは思ってねぇんだがな」


「それでも、俺にとっては大きな借りです」


ゲンヤは薄く笑い「……そうか」と呟く。


そこでしばし会話が途切れ、ジョシュアは冷えてしまった茶を口にする。


ゲンヤも自分の湯飲みをキッチンへ取りに行き、茶を注いだ。


ジョシュアが冷えきった茶を顔をしかめながら飲み干すと、ナカジマ家の大黒柱は唐突に口を開く。


「お前はギンガのことをどう思う?」


抽象的な問いに「どう、とは?」と返すと、


「そりゃあ勿論、女としてどうかってことだ」


…………。


「は?」


ジョシュアが気の抜けた声を漏らすとゲンヤはキッチンへ届かない程度に低くした声を出す。


「ギンガの奴は今年で十七、スバルは十五だ。スバルはまだ子供だから良いんだが、ギンガの奴は十七だってのに男の影が全くねぇ。さすがに心配でな。
男のお前から見てギンガはどうだ? 俺としてはクイントに似てるからなかなかだと思うんだが」


どうやら八年という歳月はゲンヤを親バカとは行かないまでも、娘の異性関係を心配するほどに変えたらしい。


子供が成長する度に心配事が増える親は面倒そうだと逃避しかけたが、ゲンヤは至って真面目なのでジョシュアは真剣に答える。


確かにクイントと瓜二つの容姿は美人の部類に入る。おまけにスタイルも良い。これで男の影がないのは確かに心配になるだろう。その事を口にするとゲンヤも 同意するように頷いた。


「108の部隊員で仲がいい奴っていないんですか?」


「ウチの部隊の奴らは無理だな。ほれ、俺が部隊長だろ」


あんたの所為かよ! という言葉を飲み込んで別の案を口にする。


「だったら陸士訓練校時代の奴はどうですか?」


「たまに連絡取ってるのは見るんだが、どれも友達だな」


そうなると可能性は三つ。


一つ。実はギンガに相手はいるのだが何らかの理由があって隠している。まあこれは年頃の娘にはありがち…………かもしれない。


二つ。単純に異性に興味がない。つまり同s(自主規制)な趣味がある。もしくは今は異性関係に興味がないだけで、切っ掛けがあれば後々興味が出てくるかも しれない。


三つ。戦闘機人という理由で友人以上の関係を持つ事を避けている。


一応一つ目の可能性を口にすると、


「だったら家を出て独り立ちするんじゃねぇか? 俺でも最低限の家事はできる、家を出ない理由はねぇ」


二つ目の(自主規制)は口に出さず、単純に興味がないという可能性を告げる。


「それって切っ掛けがなければ生涯独身、て事か。おいおいそりゃまずい、クイントに顔向け出来ねぇぞ」


頭を抱えるゲンヤは娘の現状に相当頭を悩ませているようで、低い呻き声を漏らす。


長年ギンガを間近で見てきたゲンヤは父親として心配なのかもしれないが、ジョシュアは全く心配していない。


今でも十分美人なギンガだが、後数年もすればメディアに出ても十分通用するレベルに達するだろう。


そうなれば男の方から勝手に寄ってくる。つまり、放っておいても切っ掛けはあちらから来るのだ。


仮に三つ目が理由だとしたら、本人の問題だ。ジョシュアが口を出す事ではない。


新しく茶を注ぎながら「煙草吸いてーなぁ」と思っていると、頭を抱えていたゲンヤがゆっくりと顔を上げる。表情は真剣そのものだ。


また何か真面目な話が始まるのかと考えながら茶を一口。


「マッドフィールド、お前ギンガを貰う気はねぇか?」


直後、テーブルに向けて『ゴバァッ』と茶を吹き出す。


「おいおい、大丈夫か?」


そう言ってティッシュを差し出してくるゲンヤに「こっちの台詞だ!」と言いたいジョシュアだが、盛大に吹いてしまった所為で酷く咳き込んでしまう。


一体何をどう考えれば娘を貰ってくれなんて言う台詞が出てくるのか。ゲンヤの頭の中が心配になってしまう。


「あー、ごほっ、えー、なんでそんな事になるんですか?」


なんとか呼吸が落ち着いてきたので吹いた茶をティッシュで拭きながらそう訊いた。ゲンヤは至って真面目そうに答える。


「何も知らない男に貰われるよりは安心出来るからな。それにだ、身体を理由に拒絶なんてされたら、ギンガは酷く傷つくだろう。俺も人の親だ、それだけはさ せたくねぇ
その点お前は全部知っているからな。信用出来る」


確かにそうだろう。仮にギンガが戦闘機人という理由で友人以上の関係を避けたとしても、いずれ限界がきて誰かを好きになるかもしれない。


そしてその誰かに普通の人間ではないという事を理由に拒絶されたとしたら、


——目も当てられない最悪の結果になる。


だからといって「娘を貰ってくれないか」などと言っていいのかは別問題だろう。


「あー…………えー…………」


どうやって断れば波風が立たないだろうかと思案して迷っていると、ゲンヤの方が痺れを切らした。


「てめぇ、ギンガの何処に不満がある」


憤怒の親父がそこにいた。


ジョシュアは慌てて口を開く。


「い、いや不満は無いですけど…………あれです、年の差に問題が」


八年前九歳だったギンガは今現在十七歳。見た目が大人でも二十七歳との結婚はギリギリだが犯罪の匂いがする。少し苦しいがこれなら断る理由になると思って いたが、


「別に今すぐって訳じゃねぇ。二、三年後なら問題は無いだろ」


三秒で突破された。十九歳と二十九歳……はい、合法です。しかしジョシュアはまだ諦めない。


「そ、その前に本人の意思は?」


そう、結婚とは本人同士の意思があって初めて成立する。他人がどうこうする事ではない、はずだ。


「それはまあ、あれだ。お前がなんとかしろ」


ジョシュアが「結局他人任せかよ!」と叫んだのは無理もなかった。









どれほど穏やかで楽しい時間だろうと、いずれ終わりはくる。


例え人だろうと物だろうと、あらゆる事に終わりは必ず訪れる。


そしてジョシュア・マッドフィールドも例外ではない。


ナカジマ家で夕餉を囲んだ翌日、新たな犠牲者が殺害という終わり方で発見された。


穏やかな時間は————終わった。









ATOGAKI

さて、まずは一言。

ゲンヤの口調が難しい!

後もう一言

タイトルは夕餉なのに全然飯食ってねぇ! 

更にもう二言

物語が進まねぇ! (次からはちゃんと進みます) 文章が安定しねぇ! (小説を書く者に取って致命的です。どうにかしないと……)

お見苦しくて申し訳ありません。ちょっと大学の方が忙しくて疲れているんです。主に脳が。

物語と関係ないけど、私実は大学四年で今年度卒業(予定)なんですよ。だから卒業論文はあるし、おまけに一年の頃授業ほとんどでなかったから今年にしわ寄 せがぁぁぁぁぁぁ! はい、自業自得です。

あまり意味の無いお知らせ——PCがmacに変わりました。一応前PCのVistaでも確認しますが、おかしいところがあったらご指摘願います。

…………すいません、全然後書きらしくないですね。とはいっても後書きらしいって何だろうか? まあいい。

えー、では他の作者様恒例の拍手のお返事。

*作者様へ  是非、続きお願いします♪

>お待たせしました、続きでございます。次は来月初旬には書き上げる(予定)です。卒論の中間発表が近づいているので少し後になるかもしれません。

あー、では今回はこの辺で。次の後書きは少しだけ物語の事を話せるかもしれません。

なにせまだ序盤だから小話でもネタばれになってしまうのです。話したいのに話せないというジレンマはけっこうきついです。

それでは、また来月。(来月というのは必ず守ります)

2010/06/20



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