プロローグ



その部屋は全てが白かった。壁、天井、床、そして部屋を照らすたった一つの光すらも白い。白に満たされた部屋。


部屋の中心には一つの手術台があり男が横たわっている。下半身は白い布で隠され、上半身は空気に晒されていた。


男の胸の中心から鳩尾にかけて縦に一本の縫合跡が走り、胸部が切り開かれた事を表している。


そんな男の瞼がピクリと震える。そして瞼の僅かな隙間から目が覗いた。


青い目は天井を視界に収めると眩しそうに目を閉じ、数秒かけて再び開いた。完全に目が開かれると男は周囲へ視線を走らせる。


しかしあるのは白一色。


自然と男の視線は自分の肉体へ移る。


鍛えられた肉体にはいくつかの傷跡が残り、戦う事を生業としていると告げているようだ。


男は自分の肉体を細い目で見て、右手を上げて目の前にかざす。訝しむように右手に視線を注ぎ、男は手術台から上体を起こした。


「どう、いう、ことだ?」


呟きは部屋の空気に溶け、何も返ってはこない。


その直後、男の前方の白い壁が重い音を響かせながら緩慢に上がり始めた。


三十秒後、焦らすように上がった壁が消え去った後には同じ大きさのガラスがあり、そこから奥には機械の台座に支えられた生体ポッドが左右に等間隔に置かれ、幾つも並んでいる光景が広がる。


生体ポッドの半分は人が入れられ、誰もが目を閉じていて意識がないか、死んでいるように見えた。


それを見た男の目は驚愕に見開かれた。しかし男が見ているのは生体ポッドではなく、ガラスに反射して映る自分の顔だ。


「………………お、おおお、おおおオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」


臓腑を絞り出すような叫びが部屋に響く。


叫びが反響する部屋で男は一人、声を上げ続けていた。









一  邂逅



「ジョジュア・マッドフィールド、陸士108部隊への出向を命じる」


そんな言葉を発する女性の上官に、茶色の陸士服をだらしなく着た金の短髪を生やした青年は至って気まじめに、そして簡潔に答える。


「理由をお聞きしても?」


「君は捜査官の経験があるだろう? 108部隊の隊長にその話をしたらぜひ来てほしいと言われてな。それでだ」


「拒否します」


瞬時に部屋の空気が凍り沈黙に支配される。目の前で椅子に座る上官から怒りが発せられているが、ジョシュアは我関せずといった無表情で立ち続ける。


そのまま数十秒ほど沈黙が続くと、上官は微かに怒りを込めた言葉を口にした。


「君に、拒否権があると思うのか?」


「無いんですか?」


「欲しいか?」


「もちろん」


「いいだろう。ならばしかたない。108部隊への出向は拒否、と。では次、これは拒否を認めない。必ず行ってもらう」


そこで一息溜め、ニヤリと笑みを浮かべながら上官は告げる。


「地上本部の苦情処理担当への出向を――」


「イエッサー!! 108部隊への出向を拝命いたします!!」


「よろしい。ついでに私はサーではない」


「イエス・マム!!」


苦情処理。名前だけ聞けば誰もが敬遠するだろう。なにせその仕事は最悪の場合ノイローゼ、鬱、ストレス性胃潰瘍などの被害にあうのだから。


「では今日中に異動を済ませること。書類などは既に処理を終えているので、今の隊舎から移るだけで万事解決だ」


「今日!? しかも書類が終わってるってことは事後承諾かよおい!!」


「何か文句か?」


上官は言葉と共にまるで蛇のように恐ろしい眼光をジョシュアに向ける。


「……いえ、何でも無いです」


上官が蛇なら部下は蛙である。無論ジョシュアは蛙の役に徹する。


歯向かえば苦情処理担当へ出向を決定してしまうからだ。


「では、逝ってよろしい」


「……気のせいだと思いますけど、字が違いませんか?」


「気にしない方がいい。主に君の為に」


笑顔を向けてくる上官の目は笑っていない。


「……そうします」


ジョシュアはそれ以上は何も言わず上官の部屋を後にする。このまま部屋にいれば蛇に睨まれた蛙並みにストレスが堪ると察したのだ。


胃が痛くなりそうな気分でジョシュアは自分に割り当てられていた机へ戻り、少なすぎる私物をまとめる。


煙草、携帯灰皿、焼け焦げたジッポライター、アームドデバイス。


それらをポケットに詰め、隊舎の入口へ向かう。


「講義の後は陸士隊で捜査かよ。めんどくせぇ」


ジョシュアはいくつかの陸士隊や教導隊でちょっとした講義を任されていた。


管理世界における反管理局を掲げるテロリスト等との実戦経験や、質量兵器が飛び交う管理外世界の戦争経験を話すだけという、およそ講義とは呼べないものだった。しかしそれでも実戦経験のある人材は貴重だ。


多くの管理世界を行き来する次元航空部隊や各世界に駐留する地上部隊ならともかく、地上本部という活動範囲を限定されたミッドチルダの陸士隊は他の世界での実戦経験を持つ者が少ない。他の部隊から借りるという手もあるのだが、万年人材不足の管理局では講義の為だけに局員を借りるのはそう簡単ではなかった。


そんな理由で戦争経験のあり、且つ地上所属のジョシュアは重宝されていた。


問題があるとすれば話す事がもうなくなった事だろう。まあ、だからこそ普通の局員のように出向を命じられるわけだが。


「108、ねぇ。美味い飯屋が近くにあればいいけどな」


戦場で所属部隊が変わる事が多かったのでそれほど気にしてはいないが、所属先が変わるということは新しく食事処を探さないといけないのがちょっとした手間だった。




仕事とはあまり関係ない事を考えながら隊舎を出てタクシーを拾い、ジョシュアは108部隊へ向かう。


予想外の再会があるとも知らずに。









「お客さん、着いたよ」


「……あ? ああ。どうも」


代金を払って隊舎の前に立ち、ジョシュアは目の前にある建物を訝しげに見上げる。


「どこかで……見たか?」


頭を指で突きながら記憶を探るが霧がかかったように思い出せない。


「まあいいか」


隊舎に入りロビーで受付に自分の名を告げると、待たされることなく隊長室に案内される。事後承諾させられただけあって準備が良い。これで長時間待たされたら無関係な事務員に嫌味でも吐いているところだ。


案内した事務員は「部隊長は既にお待ちです」と告げ、ロビーへ戻って行く。


ジョシュアは一応礼儀正しく「失礼します。本日出向したジョシュア・マッドフィールドです」と扉越しに声をかける。服装はだらしないままだが。


「おう、入れ」


聞き覚えのある声に違和感を覚えながら隊長室へ入室し、ジョシュアは表情を驚愕に染める。


「久しぶりだな、マッドフィールド」


白髪を生やした中年男性。記憶よりも少し老けていたが、人の上に立つ者が持つ雰囲気は衰えていない。


「……ナカジマ、一等陸尉」


「今はもう三佐だ。どうりで久しぶりな訳だな。最後に会ってから……八年だったか?」


「……はい、それぐらいは経ちました」


「どうした、そんなに俺が三佐になったのが変か?」


「いえ、そういうことではなくて……」


かつての上官、クイント・ナカジマの夫。ジョシュアにとって管理局で最も会い辛く、必ず会わなければいけない人物だった。


「この部屋にいるという事は、108の部隊長は……」


「おう、俺だ。まあ座れ」


ジョシュアは勧められるままにソファーに腰を下ろし、テーブルをはさんでゲンヤと向き合う。


「変わったな、お前は」


失くしてしまった何かを見るようにゲンヤは目を細め、ジョシュアへ視線を注ぐ。


変わったと、ジョシュア自信そう思っていた。以前は純粋な金だった髪も日に焼け過ぎて赤が混じり、顔には戦場で負ったいくつかの傷跡が残っている。


そもそも八年も経ったのだ、十九歳だった以前と変わらない方がおかしい。


「ナカジマ三佐は、あまり変わってないですね」


「ほお、俺は昔から老けてたと言いたいわけか?」


「ち、違いますって。雰囲気だけは相変わらずって話です」


慌ててそう言うジョシュアをゲンヤが笑っていると、「失礼します」の声と共に部屋の扉が開き一人の女性が姿を現す。


そしてジョシュアは再び表情に驚愕を浮かべた。


「……なっ」


「お久しぶりです、ジョジュアさん」


蒼い髪に清楚な美貌。かつての上官がそこにいた。


驚愕の表情で固まったジョジュアをゲンヤは笑った。


「こいつはギンガだ、マッドフィールド」


「ギンガって、娘の……」


「ああ、俺の娘だ。もう一人のスバルも覚えているか?」


「……一応は」


ジョシュアはそう返事をするが表情は驚愕のままだ。死んだ上官と瓜二つに育った娘を見たのだから無理もないが。


「覚えていませんか? 私が小さい頃に何度か家に来ていらしたんですよ」


その言葉にジョシュアは少しずつ思い出していく。


ギンガの母クイントの元へ配属された後、家族に紹介すると言われナカジマ家に行った事があったのだ。


「ジョシュアさんには何度か遊んでもらいました」


確かに覚えはあった。ただし、シューティングアーツの練習を遊びととらえるなら、だ。


しかもその遊びの内容の一部は、クイントが見本と称してジョシュアをボコボコすることだった。


その光景を思い出し、ジョシュアは軽く身震いする。


現実で空中コンボを味わうなど悪夢でしかなかった。


「そういやあ、そんな事もあったな。と、いけねぇ。昔話すると切りがねえな、本題に入ろう。ギンガも突っ立ってねえでこっち来い」


ジョシュアの隣にギンガが座り、ゲンヤは表情を引き締める。


「マッドフィールド、お前を部隊に呼んだ理由は聞いているか?」


「はい。捜査官として、だとか」


「そうだ。ある事件について捜査をしてもらいたい」


ゲンヤは空間パネルを出していくつかの画像を映し出す。


「まずはこれだ」


そう言うゲンヤは忌々しそうに画像を睨む。


ジョシュアの眼前に展開された画像の特徴は二つ。


廃棄ビルの階段、薄暗い路地、マンションの廊下など、映っている場所は違うが、ペンキを大量にブチ撒けたように赤く染まり、画像に必ず人の体が映っている事だ。


「これは、随分と酷い殺し方ですね」


画像に映る遺体は全て頭部が蜂の巣になっていた。だからこそこれだけ血に染まっているのだろう。


戦場でこういう遺体は珍しくないが、それは強力な武装で殺し合う戦場だからこそだ。


ここは多少治安が悪いとはいえ管理局地上本部が置かれるミッドチルダ。そんな場所でわざわざこれほどの殺し方をするなら相応の悪意が必要になる。


「被害者は五人。死因は見ての通り、恐らく質量兵器だろう」


「質量兵器…………被害者の共通点は?」


「共通点は、全て局員ということぐらいで直接的な繋がりは無い。内二人は魔導師だった」


「……局員のみを狙い、魔導師を殺せるほど、ですか」


ジョシュアは細くした目で画像の遺体を見つめる。


少なくとも魔導師を殺せるほどの犯人か、もしくは共犯者がいるということだ。


だからこそのジョジュアなのだろう。この事件にはそれなりの武力と捜査経験を持つ者が必要だ。


「わかりました。捜査資料は後で見せてもらいますがその前に一つ、何故俺なんですか?」


万年人材不足のミッドチルダでもジョジュアのような局員がいない訳でもない。事件の捜査という正当な理由なので他の部隊に頼めば借りることも可能だろう。


なのにゲンヤはジョシュアを選択した。それが不可解だった。


「なに、八年も音沙汰がない奴が地上に移って来ているって聞いたから呼んだだけだ」


私情全開な答えにジョシュアは肩透かしを喰らう。


「か、仮にも部隊長がそんなことしていいんですか?」


「構わんさ、ばれたら適当に誤魔化せばいい。それと――」


そう言ってゲンヤは空間パネルを閉じながらギンガに視線を向ける。


「お前にはギンガとこの事件の捜査に当たってもらう」


「は?」


そう声を上げるジョシュアは隣りへ視線を目を向ける。隣りに座るギンガが驚いていないところを見ると既に決まっていたようだ。


それどころか「よろしくお願いします」などと言われれば逃げることすらできない。


「……また事後承諾か」


「ハッハッハ、まあそういうことでよろしく頼んだ」


ゲンヤの笑い声に軽く顔を引きつらせるが、それでも「まあいいか」という思いがジョシュアにはあった。





八年前の部隊全滅で、たった一人の生き残りだったジョジュアに普通に接してくれたのは、ナカジマ一家だけだった。


他の遺族は酷くジョシュアを責めた。


『何で一人だけ生き残ったんだ!?』 『何で助けられなかったんだ!?』 『どうして!?』 『何故だ!?』


やり場のない怒りは全てジョシュアへ向き、ただ頭を下げて謝ることしかできない。。


それは仕方ないとも言える。家族を奪った犯人が分からないなら、生き残りを責める以外にやりようがなかったのだから。


そして気づいたときには一人だった。腫れものを扱うように友人たちは離れて行き、同僚も憐れみの視線しか向けてこなくなっていた。


そんな中でジョシュアに声をかけてくれたのがナカジマ一家だ。


悲しみを抑えながらも以前と同じように接してもらい、申し訳なさと感謝の念が溢れるのを止められなかった。


だからこそ――


『その時の借りを返すと思えば、安いものだ』と、そう思えた。











あとがき

初めまして、白砂糖と申します。

まずはここまで読んでくださった読者様に感謝を。

では拙作について一つ。実はこの話、私の脳内プロットでは色々とマズイ点があります。

一応時系列はJS事件に沿って進みますが、何と言いますか物語の終着点は似ていても過程が変わる予定です。

まあ今はとにかく自分で決めた締め切り(1〜2週に一本)を守れるように書き続けて行くつもりです。

問題があるとすれば、二次小説は初めてなので原作キャラにセリフが合っているのか分からない時があることや、原作を三期までしか知らない事ですね。(サウンドステージは聞いてません) 矛盾があったらごめんなさい。

最後にタルカス?(名前がうろ覚え)ファンの方、申し訳ありませんがタルカス?は出てきません。

それでは、またいつか。
20010/05/30


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