暗い、昏い場所にいた。

  いずことも知れぬ世界の中に一人の少女が寝そべっている。

  岩で形作られた無骨な玉座に体を預け、ただ虚空を眺めていた。

  長い銀の髪を羽根のような髪飾りで束ね、赤と黒を基調とした甲冑を纏っている。

  十代後半に見える少女の紅い瞳は何も無い暗闇を見つめるばかりで、その心中は誰も窺い知る事はできない。

  だが不意に、その瞳が別の場所へと向けられた。

  そして少女が眺める視線の先にある暗闇から静かに誰かが姿を現す。




 「……なんだ、セオか」

 「なんだ、とはまた冷たいですね」




  現れた人物を一瞥して少女はそんな一言を呟いた。

  少女は不機嫌なのかその声は少し低く、威圧するような雰囲気が感じられる。

  だがセオと呼ばれた者はそんな事は気にも留めずに口の端を吊り上げる。

  漆黒のマントを身に纏う黒髪の少年―――細い手足にスラリと伸びた身体、それに加え整った顔立ち。

  見る者全てに知性を感じさせるその少年の名はセオキルスと言う。

  軍師を彷彿とさせる身形をしている彼は見た目の額縁通りに知識を武器とする者だ。

  情報、知識という面においては誰にも負ける事はないと自負する彼の表情は不敵な自信に満ちている。




 「何、そのつまんない顔。この前の大失敗を忘れた訳じゃないよね」

 「失敗? これは異な事を……この僕が成す事、起こった事象に失敗という二文字はありません。全ては終着駅への筋道なのですよ」

 「訳分かんない理屈こねないでくれる、それ言い訳?」

 「つれないお言葉ですね……まあ、貴方様が現在不機嫌だというのは99.25%の確率で分かってはいましたが」




  セオキルスの言葉に少女はあからさまに不機嫌な表情へと顔を歪めた。

  同時に少女の身体から押さえつけられないほどの威圧感と怒気、そして殺気が漏れだす。

  ただそれだけで空間が重く悲鳴を上げるようだった。

  だが普通ならば震えて竦み上がりそうな重圧の中、セオキルスは表情一つ変える事無く涼しい顔をしている。

  およそ人間では不可能であろうそのやりとりは正しく人間のするものではない。

  彼らは冥魔。

  冥界よりこの世界へと攻め入って来た太古より生き続ける超上の存在である。




 「どうか落ちついてください。我が新たな計画の発動はまだ先ですが―――少し、面白い物を表界で見つけて来たのですよ」

 「面白い物……?」




  胡乱気になる少女にセオキルスはその手握っていた物を見せた。

  掌には小さな菱形の宝石が一つ、転がっている。

  色は青く、中央には紅い刻印が刻まれていた。

  彼らのこの世界についてはまだ浅い知識で言えば、これは人間の使うローマ数字というものに該当する。

  数字は]V―――13を示していた。




  セオキルスから手渡されたその宝石を少女の紅い瞳がじっと見つめる。

  暫くそうしていたかと思うと、少女はすっと目を細めた。

  だがそこに先程までの危険な雰囲気はなく、代わりに玩具を見つけたような無邪気な感情が覗いていた。




 「ふーん……確かに面白そうな物だね。上手く行けば失った宝玉の代わりになるかも」

 「気に入って貰えたようでなによりです。そして面白い事はもう一つ―――」

 「へえ、何かな」




  いつもの蠱惑的な調子を取り戻した少女を見てセオキルスは苦笑しながらも少女へと歩み寄る。

  少女の下に跪き周囲に聞こえないようにそっと"面白い事"を耳打ちした。

  そして―――










 「ふうん……そんなところに居たんだ」










  暗闇の中に狂的な少女の声が響き渡る。

  可笑しそうに、楽しそうに、嗤うように、少女は歪んだ笑みを浮かべた。










  少女の名は冥刻王メイオルティス。

  数多くの冥魔を束ね時を操る冥魔の王にして、クレイルの下に居るメイオ・テスタロッサと名乗る少女の―――その本体。

  獲物を見つけた狩人のような表情を浮かべ、メイオルティスは動き出す。




















  ナイトウィザード2nd Existence of fabrication
                   Scane/07「急転 〜meiorutelisu〜」




















 「……あのルー=サイファーがシャイマールの転生体、ねえ」




  誰とも無く呟いた言葉は必要以上にその場で響き渡った。




  かつての裏界で七二柱の魔王が覇権を巡り争い合っていた中でも、一際飛びぬけて力を持った魔王がいた。

  その魔王は他を一切寄せ付けないほどの圧倒的な力で他の魔王を押さえつけ頂点に君臨し、裏界に一大帝国を築き上げるに至る。

  秩序を築き、領地を築き、裏界に国を築いた魔王―――それが"皇帝"の名を冠する最強にして最悪の魔王、シャイマール。

  だがある時よりシャイマールはその姿を隠し、変わり立つようにシャイマールの第一の僕であるルー=サイファーが頂点に居たのだが……




 「こんな情報、確かに知れ渡ったら大きく動揺が広がるよな……とても隠しきれる情報とも思えねえけど」

 「ただでさえ冥魔の攻撃に晒されて危機的状況に陥っている上にそんな凶報まで舞い込めば―――確かに、ただでは済まないな」




  ケイスケの投げやりな言葉にクレイルが重々しく同意する。

  シャイマールって誰、とか言っていたケイも今年の三月に出現したあのでっかい大蛇だと言えば速攻で沈黙した。

  全世界のウィザードが総力を挙げて決戦に臨んだ"皇帝"シャイマール。

  裏界の大魔王らの協力をも得て世界滅亡の真っ只中で戦い抜いた事は、全員の記憶に新しい。




 「あの時は柊先輩が大活躍でしたよね。シャイマールを倒した上に、その後に出てきた良く分からない人も倒しちゃって」

 「ああ……ゲイザーとかアウェイカーとか言ってた奴か」




  スバルが言っているのは元々この世界の神とも言える存在である"大いなる観察者"ゲイザーの事である。

  一部の者はまだ知らないが、この世界には更に並列して七つの世界が存在している。

  それら全体を管理している幻夢神と呼ばれる神が存在し、その写し身の一体がゲイザーだ。

  ゲイザーとウィザードは世界の行く末を賭けた戦いを繰り広げ、最終的に柊蓮司、志宝エリス、赤羽くれはの三人によって撃破されている。




  と、そこでつまらなそうに会話に聞き耳を立てていたメイオが興味をそそられたように口を開いた。




 「柊……っていうと、あの柊蓮司?」

 「そーだが……無駄に有名なのな、あの下がる男。流石だ」




  どこかで「そのネタはもういーんだよっ?!」とか聞こえた気がしたが陣耶は気のせいだと切って捨てる。

  ただメイオだけが興味深そうに視線を宙に彷徨わせた。




 「はわ……柊ってそっちでも有名なの」

 「まあねー。あのシャイマールやゲイザーを倒したとあったら流石にね……私達がこっちに来るきっ」

 「シャラップ」

 「あいたぁ!?」




  言わなくて良い事まで言いそうになったメイオの頭にクレの拳骨が下される。

  メイオは頭を痛そうにさすりながらクレイルの意図は理解したのか、少々むくれた顔になったものの口をつぐんだ。

  対してクレイルが話題の逸れまくっている話を元の路線に戻そうと口を開く。




 「で、相手が何であれ肝心の確認の出来る宝石は残り一つなんだろ。今すぐにでも動くべきじゃないのか」

 「そうなんだよね……みんな、かなりきついと思うけど頑張ってくれる? 他の部署はみんな手が空いてなくって」

 「もちろん! 世界滅亡の危機なら他人事じゃないし、何より友達の頼みだしね」




  なのはの力強い言葉にくれはもありがとうと顔を綻ばせる。

  確認を取る様に一同を見渡すが、特に反対の意見は出ていなかった。

  ただ約一名ほど嫌だと必死に叫んでいたが、場の空気が華麗にそれをスルーした。

  もう一名狡猾にも気配を殺して逃げようとしていたが、そっちは灯に即座に捕獲された。




 「ちい、この分はお高く利子付けて請求してやる。いや何かネタを探すチャンス……?」

 「くそう、いつもの如く巻き込まれての世界滅亡の危機かよ!? いつまでも奇跡の生還みたいな奇跡は続かねえんだぞう!!」

 「……いやー、お前なら問題無いんじゃね? 何故か生死判定は確実に成功してるし」

 「メタるなアギト」

 「……不安が残るなー」




  しぶしぶと席に戻る二人を見てスバルがポツリと呟いく。

  が、一部にとってはまさにいつもの事なので特に気にした雰囲気はない。

  逆にそのやり取りを見て全員が苦笑を浮かべていた。

  先程までの重苦しい空気は既になく、いつもと変わりない日常のような空気すら感じている。










  ただ一人、メイオが無表情に空を見ていた事を覗いては。




















                    ◇ ◇ ◇




















 「で、今の状況はどうなっているのかしら」




  蒼穹に浮かぶ巨大な城の中、妖しい紅に照らされながらベール=ゼファーはそう尋ねた。

  投げかけられた問いにはすぐに答えが返ってくる。

  返答したのは何の変哲もない椅子に腰かけて巨大な書物のページを繰っている少女、リオン=グンタだ。

  いつもと同じように微笑を湛えながら、彼女は大魔王の望む答えを提供する。




 「確認された宝石は一つを除いて全てが誰かしらの手に渡りました。残る最後の一つを手に入れるために格方も動いているでしょう」

 「そ……このまま膠着状態に入るのか、それとも流れが激しくなるのか」




  どちらにせよ事は動くだろう。

  重要なのはその時に自分がどこで位置取りをしているかという事にある。

  現在、ベルの頭の中にはこの先の展開が幾通りにも描かれていた。

  未知数の力を秘める宝石に、それを手に入れようと動く各勢力。

  不確定要素でもあるために手を拱いている連中も多いが―――力の程が知れ渡れば我先にと宝石を奪いに来るだろう。




  ベルが現在手で弄んでいるソレは、そういう物だ。




 「私達の与り知らぬ外からもたらされた宝石は九つ……その内の八つは既に各勢力の手の中」




  中でも保有数が一番多いのはやはりウィザード達だ。

  こちらの勢力も"裏界"と一括りにするのならば話は別だが、魔王達は共闘関係にある訳でもない。

  頭の中でそれぞれの勢力が持つ宝石の数を整理する。

  ベルが二つ、ウィザードが三つ、ルーが二つで……




 「メイオまで絡んでくると……これはもう厄介ね。私のゲームの邪魔をしてくる可能性が大じゃない」

 「私見で言わせてもらうと確実に介入してきますね、メイオルティスは」




  その言葉に、ベルは実に忌々しげに舌を打った。

  メイオルティスを心底嫌悪しているこの大魔王は、不機嫌な表情を隠そうともしていない。

  宝石を弄る手付きが若干乱暴になる。




 「メイオの奴、今度もまた性懲りなく私の邪魔をしに来るに決まってるわ―――くっそ、どうにかしてケチョンケチョンにできないかしら」




  ベルの思考が"どうやって世界を滅亡させようか"から"どうやってメイオルティスの企みを阻止しようか"に変わりつつある。

  二転三転している内に当初の目的を見失うベルの本末転倒さを見て、リオンは誰にも気づかれないようにそっと息を吐いた。

  これもまた生来の享楽好きな性格と同じ様に死んでも直らないのではなかろうか。そんな事さえ思ってしまう。

  他の大魔王とは一線を画していると言えば聞こえは良いが、どちらかと言えば愉快な方向の意味でしか捉えられない。




 「待てよ、だったらそこで……」

 「……まあ、楽しそうでなによりですが」




  やはり、この大魔王と一緒に居ると飽きは無い。

  次は何を見せてくれるのだろうか……この先を思い描き、リオンはまた一つページを繰った。




















                    ◇ ◇ ◇




















 『アリシア? いつも通りに一緒にバイトしたりして過ごしていたけど―――何か、気になる事があった?』

 「いや、なら良い。変な事を聞いて悪かった」




  一言謝ってからクレイルは0-Phoneの通話切断ボタンを押した。

  役目を終えた携帯を月衣の中へ無造作に放り込んだ後、目の前の鉄製のドアを開け放つ。

  その向こうには座席として備え付けてあるソファーに所狭しと同行者が座っている。

  ブロンズスターの収容可能人数は、操縦者を除けば最大で一〇人。

  人間サイズでないアギトを除いてもこの場に居る人数は九人。はっきり言ってかなり人口密集率が高かった。




 「よー、確認事項とやらは終わったんかい? それとも可愛い彼女にラブトークか」

 「そんなんじゃない」




  ヴィンセントの期待するような声を一刀両断に切って捨てた後に、メイオの隣へ腰掛ける。

  クレイルが返ってくると、窓の外を眺めていたメイオがそちらの方に振り返った。




 「お帰り。用事はちゃんと済ませたのかな」

 「ああ、問題無い」




  無愛想にそう返してクレイルはそのまま目を閉じる。

  現在一同が乗っている機体は単純な飛行機ではなく、これもまたアンブラ社が開発した大型箒、ブロンズスターだ。

  外見としてはそこらに溢れているシャトルと変わりがないが、エンジンにはガソリンではなく魔力を使用している。

  故に機械音以外でエンジン音というものはほとんど無く、地球環境に対しても割とエコだ。

  ガソリンなどよりこっちのエンジンを一般普及させた方がよっぽど地球のためじゃなかろうかとそれなりに本気でクレイルは考える。




 「それで、目的地の北極までは後どれくらいだ?」

 「んーとね、一時間と少し程度だって出てるよ。距離的にはあと一五〇〇くらい」

 「はあ……こんなメンバーで大丈夫なんだろうかね?」




  ケイスケは辺りを見渡して一人呟く。

  この場に居るのはケイスケを含めて一〇人だ。

  ケイスケ・マツダ、スバル・ナカジマ、皇陣耶、高町なのは、武ノ内ケイにアギト、ティアナ・ランスター。

  クレイル・ウィンチェスター、メイオ・テスタロッサ、ヴィンセント・クロイツァー。

  いずれも、一部を除いては世界滅亡の危機を戦い抜いてきた者達だ。

  だがケイスケはその全員が巻き込まれて済し崩し的に世界を救ったという事実を知っている。

  つまるところ、本当に偶然が重なっただけなのだ。

  そんな連中の寄せ集めで本当に大丈夫なのかと主に自分の生命の心配をする。




 「ま、そう思い詰めたところで何か状況が変わる訳でもないだろ。そうなった以上はやって生き残るしかないんだよ」

 「俺はその不条理に反逆を訴えてー」




  ケイスケの心底嫌そうな声に知らず周囲から苦笑が漏れる。

  だが、その時だった。




  機体内部が赤く点滅し、エマージェンシーを搭乗者に伝えた。




 「っ、何だ何だ!?」

 「これは―――前方に魔力反応を確認! このパターンは……」




  突然の事態にその場の全員の足が浮き立つ。

  その中でも比較的冷静だったティアナが原因を言い終わる前より早く―――メイオが動いた。




 「全員、死にたくなければ早くこれから降りて!」

 「メイオ!? お前一体何を―――!」

 「良いから早く!!」




  クレイルの驚愕の声にも一切耳を貸さずにメイオはブロンズスターからの離脱を宣言する。

  普段ではありえない尋常ではない雰囲気に何かを感じたのか、クレイルはそれ以上何も言わずにハッチへと駆け寄る。

  それを見た他のウィザードも慌てて近場の脱出できそうな箇所へと移動し―――




 「―――来るッ!」




  次の瞬間、爆音と光が全てを覆い尽くした。




















                    ◇ ◇ ◇




















  次元の狭間に存在するアンゼロット宮殿には様々な施設が存在している。

  医療施設や訓練施設にフードコート、機体の発着場や教育施設、果てにはコンビニまである始末だ。

  その中には情報管制を主とするオペレーションルームもあるのだが―――




  現在、オペレーションルームは蜂の巣を突いたかのように騒然としていた。




 「ブロンズスターの反応、ロストしました!」

 「馬鹿な、一撃だと!?」

 「乗っていたウィザード達の反応は!」

 「魔力の余波が強すぎて感知できません! いずれもアンノウンです!!」

 「くっ……何という事だ」




  管制室に居るロンギヌス達は情報を慌ただしく解析していく。

  騒ぎの原因はウィザードを乗せて北極へと向かっていたブロンズスターの爆発だ。

  それなりの耐久力と安全性については保障されているアンブラ社製の大型箒が突如として爆発した理由は、第三者による攻撃である。

  爆発の直前、ブロンズスターの前方に巨大な魔力反応をレーダーが感知した。

  だがその次の瞬間には巨大な魔力反応からの攻撃によりブロンズスターが撃墜されたのだ。




 「ガッデム……護衛か何かを付けておくべきだった……!」




  報告を受けながらくれはは奥歯を強く噛み締め、爪が食い込むほどに握った拳を震わせる。

  敵側のエミュレイターが自分達と同じようにあの宝石を狙っているのなら邪魔者の排除はまず最優先に行う筈だ。

  敵対者、もしくは同じ獲物を狙う物に対する妨害―――あるいは先制攻撃は予想してしかるべきだった。

  しかし今更それを悔いても遅い。事態は既に動いているのだから。




 「爆発地点周囲の解析を急いで!

  ブロンズスターに搭乗していたウィザード各員に連絡が取れるかどうかも確認! 索敵班は魔力反応の確認を!」

 『了解!!』




  くれはの号令の下にロンギヌス達は慌ただしくも自身の成すべき事に取り組んでいく。

  そこに先程までの突発的な事態にうろたえている様子は無い。

  アンゼロットほどではないにしろ守護者代行という肩書から発せられた鶴の一声は確かに効果があったらしい。

  自分がそれほどの器とはとても思えないくれはだが、彼女も自身の成すべき事を明確にしてこの場に立っている。

  ロンギヌスを統括する立場に居る以上、自分が状況に呑まれて右往左往している様ではダメなのだ。




 「っ、敵性魔力の解析結果が出ました!」

 「ホント!? それで、攻撃を仕掛けて来たのはどこの誰!」

 「そ、それが……」




  オペレーターのロンギヌスが報告をしようとして言い淀む。

  戸惑うように解析結果が出力されている画面とくれはを見比べて、言って良いのかどうかを決めかねているようだ。

  その時、くれはは猛烈に嫌な予感を感じた。

  この手の予感を外した事が無い彼女にとってそれは凶兆の知らせ以外の何物でもない。ここ一年ぐらいは、特に。

  そしてくれはの不安を後押しするようにオペレーターがもう一度画面を見て、再びくれはの方を見る。

  だが今度はしっかりとくれはの目を見据えている。

  さてどんな報告が来るのかとくれはが心の中で城壁を築いたところで―――










  莫大な衝撃がアンゼロット宮殿全体を揺るがした。










  地崩れでも起こったかのような重音が獣の唸り声のように宮殿全体に轟く。

  現在くれは達の居るオペレーションルームにも響いてくるほどの音と衝撃が、宮殿を襲っていた。




 「なっ、何……!?」

 「緊急事態です! 魔王級と見られるエミュレイター反応が宮殿付近に出現、研究室を攻撃しています!」

 「……不味い、ね」




  オペレーターのロンギヌスが言う研究室とは文字通りの研究室だ。

  様々な現象や魔道具、ウィザードとしての能力やエミュレイターなど多種多様の研究が日夜行われている。

  ある意味では最先端のデータバンクとも言える箇所が襲撃されているのだ。もしも施設が壊滅すればその被害は計り知れない。

  しかし、くれはが懸念しているのはそこではない。




  研究室。

  あそこには今、ウィザード達が苦心して集めたあの”宝石”が解析のために置かれている。




 「っ、宮殿のウィザードを緊急招集! 直ちに研究施設を襲撃しているエミュレイターの迎撃に向かわせて!!」




  指示を飛ばしながらくれは自身も現場に急行するためにその場を飛び出し走り始める。

  そうしている内にも宮殿内に緊急事態を知らせる警報と迎撃に向かうようにと指示をする放送が流れる。

  現場へと急ぎながら、くれはは心の中で強く思う。




  奪われる訳にはいかない。

  柊が、アンゼロットが、灯が、命が、みんなが守った世界を壊させないためにも。

  決して、奪われる訳にはいかない。




















                    ◇ ◇ ◇




















  メイオが最初に感じたのは暗いという事だった。

  生温いまどろみの中から意識が徐々に浮上してくるのを感じ、紅い両目をゆっくりと開いていく。

  が、何も見えない……周りを見渡しても一面に黒が広がっているだけだ。

  しかし身体の感触ははっきりとしている。

  手を翳してみるとぼんやりとだが輪郭を視認できる。どうやら完全な暗闇の中という訳でも無いらしい。

  そこでメイオは身体全体を包む奇妙な感覚に気付いた。

  いつものように空気の中に居る感覚ではない。何かの液体の中に身体が丸ごと浸かっているような感覚を感じる。

  だが息苦しさは感じない。

  月衣という個人結界を纏っている存在は分け隔てなく常識から遮断される。

  "液体の中で人体は息をする事が出来ない"という常識も例外ではない。ウィザードは例え宇宙空間であろうと活動可能なのだ。

  しかし、メイオにとってこの状況は不可解だった。




 (私、何で……)




  こんな所に居るのだろうか。

  未だにまどろみから覚めない頭でこれまでの経緯を頭から思い返していく。




 (クレイルくんが受けた依頼の付き添いで宝石の探索に向かって、そのまま宮殿に行くように言われて、残りの宝石がある北極に―――)




  そこまで考えて唐突に意識が覚めた。

  例えるのなら頭に高圧電流でも奔ったかのような感覚で身体を動かし始める。

  自分の推測が正しいのならばここは海の中……上へと昇れば海上に出られる筈だ。

  月衣の中から自前の箒を取り出しエンジンを起動させる。




 (思い出した……!)




  心が急げと焦り、動悸が激しくなる。海面へと上昇するその時間すら惜しい。

  思い出す……最初から予感はあったのだ。

  この世界を覆う結界の内部へ侵入した異物。弱体化した自分にも感じる事の出来た違和感を、"本体"が果たして見逃すのだろうか?




  答えは―――NOだ。




  メイオ、いやメイオルティスには目的がある。

  世界全て……ファー・ジ・アースだけでなく、全ての世界をも巻き込む壮大な目的が。

  その為に打てるだけの手は打っているし、邪魔になるような存在は排除してきた。

  もっとも、それ以上にベール=ゼファーという存在がメイオ自身の行動目的の大半を占めているのだが。

  だがそれを差し引いても、自分はこのような以上をただ眺めているほど呑気な性格はしていない。




  そして何より、メイオが気を失う直前に受けたあの攻撃。




 (間違いない……)




  上から徐々に光が差しこんできて、海面が見えてくる。

  強い確信と共にそれを突き破り海上へと躍り出た。

  碌に光が射してこなかった視界から一転し、光が照りつける世界へと出た事で視界が少し霞んでしまう。

  だが、その中でもはっきりと認識出来た事があった。




 (紅い―――月)




  空に昇る、鮮やかに映える深紅の月。

  "月門"とも呼ばれる、裏界と表界を繋ぐ扉。

  この世界ではエミュレイターと呼ばれる、常識ではありえない敵性存在が現れる際に昇る不吉な紅。

  そして―――










 「……思ったより、遅かったね」










  自身から見上げる位置に浮かぶ、一つの影。

  長い銀髪は羽根を模した髪飾りで纏め、身体は黒と赤を基調とした甲冑で覆われている。

  右手に握られているのは杖とも槍とも取れる少女の武器だ。

  少女は蠱惑的な紅い瞳に底知れぬ冷たさを湛え、二対の紅い翼を大きく広げてメイオの目前に君臨している。

  忘れる筈も、見間違う筈も無いその姿。




 「こっちも、再会して早々にこんな物騒な挨拶をされるなんて思ってなかったよ」

 「あっはは。だって、この程度で消えちゃうようなら戻す意味も無いじゃない?」

 「まあ……私ならそう考えるよね」




  その少女の酷く狂的な感情が入り混じった言葉を受けてもメイオは微動だにしない。

  それどころか同じように酷く狂的な笑みを浮かべ、まるで予定調和のように高度を上げて目線を少女と同じ位置まで持ってくる。

  二人は身に纏う物こそ違えど、その全てが瓜二つだった。

  目の色も、髪の色も、顔も、表情も、身体も、性格も、思考も、存在意義も、その全てが同一。

  例え今のメイオがウィザードだとしてもその根底にあるものは全く変わってはいない。




  彼女は元々が冥魔なのだ。

  そして、古代の世界を創造した神々の内の一体でもある。

  根底にある価値観など人とかけ離れているし、冥界に堕とされた時に本質も変質してしまっている。




  だから、ウィザードとなったとしても。

  その生き方に、心の底から馴染む事など出来てはいなかった。




 「それで、私は合格かな?」

 「そうだね。私の攻撃にもちゃんと耐えたし、宝石の在り処も知っているだろうし……うん、戻してあげるよ」




  戻す―――つまり、吸収する事。

  本来、メイオルティス自身の写し身であったメイオ・テスタロッサはその身を自由意思で本体へ戻す事が出来た筈だった。

  だがウィザードとして生き永らえた代償か本来彼女の持つ力のほとんどは失われ、本体との繋がりも完全に断たれてしまっていた。

  そしてもはや人間のそれに近づいたメイオ・テスタロッサをそのままメイオルティスに戻す事は不可能と言って良い。

  既に異なる存在としてこの場に立っている以上、それは自然とも言える。

  そこで先程の吸収だ。

  冥刻王メイオルティスにはいくつかの特殊能力が備わっている。

  その一つが吸収―――文字通り、触れた物体を自身の中へと取り込み、同化させ、吸収する能力だ。

  吸収された相手はその能力をコピーされ、更に記憶にも自由にアクセスされる。

  そこに自由など無く、あるのはただ隷属と服従、そして支配。

  だが元々がメイオルティスであるメイオ・テスタロッサならそのまま意識が本体に溶ける事になるだろう。

  それはもはや写し身が本体へ還る事と変わりない。




 「さあ……おいで」




  メイオルティスから手が差し伸べられる。

  手を伸ばせば届く位置に"元に戻る"ための手段がある。

  メイオの手が、動いた。

  ゆっくり、ゆっくりと―――まるで待ち侘びて待ち続けて、既に諦めていた頃に現れた恋人に手を伸ばすように、ゆっくりと。

  メイオルティスは一見すれば慈母のようにも見える、だが酷薄な笑みを浮かべてそれを迎える。




 「……、」




  この短い間に色々な事があった、とメイオは思う。

  何やら良く分からない事でウィザードになり、クレイルに自分を拾わせた。

  そのまま面倒を見てもらう見返りにウィザード家業を手伝って、クレイルの周囲とも僅かながらの繋がりを持った。

  時が来るまで気ままに過ごして、羽根を伸ばして。

  笑って、怒って、むくれて、楽しんで―――色々、普段はやらないような事をやって来た。

  だがそれも、もう終わる。

  目の前の手を取ればそれ以前の自分に戻る。

  人を殺し、ウィザードを殺し、神を殺し、やがては超至高神を討ち倒す、その為に生きる。

  そしてベール=ゼファーを自分の物とするのだ。

  屈服させても、共感させても、取り込んでも良い。とにかく彼女と共に居るのが最優先だ。

  そんな自分に、戻るのだ。




 (所詮―――束の間の、短い夢だよ)




  ただ、少し……新鮮だったし、楽しかった。

  本当に、それだけは思える事ができる。




 (じゃあ、ね……)




  最後に心の中で別れを告げて、メイオはメイオルティスの手を取った。










  取ろうと、した。










 「……あれ、どうしたのかな」

 「え……?」




  気付けば、伸ばした手が触れるか触れないかの位置で止まっていた。

  少し指先を伸ばせば触れてしまう位置……だが、そこから全く動かない。

  指先だけでなく、身体全体がこれ以上の全身を拒むように動いてくれない。




 「ねえ、するなら早くしてくれないかな。私も暇じゃないんだけど。どうしたの」




  そんな事はメイオが聞きたかった。

  手を伸ばせば戻れるのに、だけど身体がそれを拒んでいる。

  理由なんて分からなかった。

  ただ、これ以上手を伸ばす事を何かが頑なに拒否している。

  それこそ、メイオ自身が戸惑うほどに。




 「……まったく。来ないならこっちから行くよ」

 「っ―――」




  痺れを切らしたメイオルティスがメイオの差し出された手へと手を伸ばす。

  今度は、身体が動いた。

  だがメイオルティスの手は空を切る。

  メイオの手は、メイオルティスから逃げていた。




 「え……」




  その事に一番驚いていたのはメイオだ。

  もう本当に訳が分からない。何故自分は本体を拒むのか、何故自分は本体から逃げるのか―――

  いくら考えても答えは出ない。

  ただ回答の出ない疑問だけが頭の中を埋め尽くす。

  そして、










 「―――へえ」










  メイオルティスが、これまでに無いほど狂的な笑みを浮かべた。

  どす黒い、ドロドロと濁りきった感情をその冷たい眼に湛えて、メイオを見つめていた。




 「いいよ、別にそれでも」




  にっこりと笑う。

  だがそこに優しさなどといったものは欠片も存在しない。




 「戻すのは先送り―――」

 「あ……ぁ」




  自分の取るべき行動が分からない。

  どうするべきか、何をするべきなのか。

  目的も、思想も、感情も、自分の事が理解できない。

  何も分からずにただただ困惑の真っ只中に居るメイオに向けて―――










 「だからちょっと……ゲームに付き合ってよ」










  死神の笑みを湛えた、宣告が下された。





















  Next「水面下 〜secret〜」





















  後書き

  シェローティアの空砦、第三巻が来月末発売と聞いてテンションMAX。

  勢いのままに書き上げてNWを投稿です。

  ほんとにたまにしか書いていかないNWも気付けば七話。

  新しいネタが導入されたりで右往左往ですが、中編予定なだけにもうちょっとでクライマックスです。

  しかし全力全壊モードのメイオルティス様にこの面子で勝てるのやら……

  この世界が崖っぷちなんていつもの事ですがね。



  それではまた次回に―――






作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。