――To a you side Another Report プロローグ――


〈7月18日  AM07:20  独国国境都市アーヘン  大聖堂前広場〉

  朝の清涼な、されど7月とは思え無い程肌寒い空気の中で、朝市の喧騒が広場のあちこちに響き渡っていた。
  ドイツの国境に程近い中規模都市、アーヘン。工業大学を抱える大学都市であると同時に、嘗てはフランク王国の首都であったこの街は、
 当時の史跡や文化財が数多く残っている。また、オリンピック以上の権威を持つ大会が開かれるヨーロッパ馬術競技のメッカであり、
 旅慣れた旅行者や馬術を志す者が訪れる観光都市でもあった。

  それら史跡群の中でも最大の規模を誇り、歴代神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式の場となった大聖堂前の階段に立ち、
 眼下に広がる活気溢れる朝の情景を眺めている青年がいた。

  身長は185前後、長身と言っても差し支え無いであろう身体をやや着崩した黒のスーツで包み、
 其の上に白い薄手の外套を羽織っている。後幾らか緯度を下れば奇異の目で見られかねない格好だが、
 肌寒い今の空気の中ではそれ程違和感は無かった。
 服の上からでも解る程、均整がとれて鍛えられた身体からは、静かながら凛とした雰囲気を醸し出している。
  確証は持てないが、顔立ちからするとアジア系……恐らくは日本人だと思われた。曖昧な言い方になってしまうのは、青年の容貌が余りに日本人離れしていたからだ。髪の毛は白い。白髪が多いなどと言うレベルでは無く、一本の例外も無く毛先から根元まで真っ白なのだ。しかも髪そのものには傷んだ様子もくたびれた様子も無い。ストレスに因る物でも、ましてや染めたのでもなく、まるで健康であった髪の毛から色だけを抜き去った様に見える。
  髪に沿う様に、肌も不健康と取られかねない程白い。
 身体が鍛え上げられているだけに、酷くアンバランスな印象を受けると同時に、
 神話の登場人物が現実に現れた様な不思議な魅力があった。
  切れ長で鋭い目がやや威圧的ではあるが、精悍と評して良い顔立ちには縁の無い眼鏡が掛かっており、
 其の奥の瞳もやはり静かな蒼紫色に染まっていた。
  白子(アルビノ)……と言うのだろうが、人間、しかも黄色人種で此処まで徹底している例はそう無いだろう。
 にも拘わらず、青年からは弱々しさは全く感じられず、その長身からは確かな覇気が漂っていた。
  暫し眼下の景色を眺めていた青年だったが、僅かに微笑し傍らに置かれたトランクを掴もうと手を伸ばした所で、
 彼の周囲に歌声が響き渡った。英国の世界的シンガーソングライターの代表曲である其の歌の歌詞は日本語で、
 やはり彼が日本人である事が伺えた。青年は軽く息をつき、懐から未だ歌声を奏で続ける携帯端末を取り出し、
 ごく小さな画面の上に表示された通信発信先を見て−−−即座に顔を曇らせた。

「……………。」

  青年には、既に先程までの神秘性や精悍さは欠片も無い。
 只ひたすらに怠惰さと、通信を繋ぐ事への拒絶の意志だけが伝わってくる。
 朝の柔らかな陽光が降り注いでいた階段が急に陰気さを帯び、彼の周りだけ湿度が増して雨の降る寸前のような雰囲気となっていた。
 じとっとした空気の中で、爽やかな歌声が虚しく響いている。

「………取らない訳にもいかんよなぁ…。」

  ブツブツと文句を言いながら、青年はやっと通話キーを押した。因みに、曲は既に二番に入っていた。
 端末の上部に立体画面が投影され、落ち着いた雰囲気の女性が浮かび上がる。

「お早う御座います。当該世界では只今の時間は朝だと思われますが、御気分は如何ですか?」

「清々しい空気を満喫してたよ、二分前まではな。
 何処かの誰かからの不吉過ぎるモーニングコールでそんな気分は粉微塵に粉砕されたが。」

「それはお気の毒に思います。ですが、私共は飽くまで指示内容をお伝えするだけですので。」

「…………っ。」

  皮肉に富んだ切り返しもあっさりと流され、青年は舌打ちし黙り込む。其れを受けても女性は笑みを崩さず、続ける。

「委員会からの召還命令です。該当常任委員は、命令受領後七時間以内に統括提督執務室に出頭して下さい。」

「………ちょっと待て、オイ。」

  さらさらと紡がれる女性の言葉に、青年は地の底から這い出たような声で返答した。

「何ですか?召還内容については、執務室の方にてお伺い頂きたいのですが。」

「誰がそんな事聞くか、ボケ。………一応聞いておくが、俺が今どういう状態にあるか、知ってるか?」

「はい。現在、四日間の有給休暇中ですね。」

「そうだ。ついでに言うなら一日目だ。
 更に言うなら二週間休み無し、その内五日間徹夜、週百二十時間労働なんて狂気の勤務時間で精神崩壊を起こしかけ、
 漸く捕まえた被疑者と一緒にあの悪魔の顔面に休暇届を叩きつけて、遂に手にした栄光の休暇の、一日目、だ。」

「其れより前に、被疑者の方が精神崩壊起こしてましたけどね。
 両手両足ひん曲がってましたし、口や鼻は兎も角、耳や涙腺から血が流れているのは、私も初めて見ました。」

「いいんだよ。悪人に人権なんて無い。」

「迷い無く言い切る所が恐ろしいですね……。」

  そこかしこに物凄く物騒な内容を孕みながら、青年と女性は問答を続ける。

「話が逸れたが……で、だ。何はともあれ、俺は只今絶賛休暇中な訳だ。そんな俺が、まさか召還なんて、あって良い訳、ないよなぁ?」

  青年の期待を込めた−−と言うか最早懇願に誓い言葉を、映像上の女性は、

「誠に残念ですが、あなたの有給休暇は三十分前に棄却されました。今現在は準待機状態にあります。」

  あっさりと、何の容赦もなく切り捨てた。

「嘘だーーーーーー!!」

  端末を手にのた打ち回る青年。

「却下だ!今すぐその命令を取り消せ!!」

「そう言われましても……私は只命令を伝えるだけですし。」

「ああっ!この役所仕事っ振りが憎い!!」

  どうでも良いが、端末を手に声を荒げてのた打ち回る姿は酷く滑稽で不気味だった。最早、神秘的というより信憑的である。
 時間が時間なら通報されてもおかしく無い。

「………そ、そうだ!アリサは!?確かアイツも今日は休みの筈…」

「ローウェル補佐官は、十五分前に同様の命令を受領し、現在此方に向かっていらっしゃいます。」

「駄目だーーーーーー!!」

  唯一の逃げ道も一欠片の慈悲もなく叩き潰され、青年は力無く崩れ落ちた。

「まあ、どう足掻いても無意味なんですから、サラッと従っちゃえば良いじゃないですか。」

「サラッと従ってたら、真面目に過労死させられるだろうが……。」

「……流石に提督も、そこまではされない、と、思います、けど……多分……。」

「………もういい。」

  青年は深々と溜め息をついて、立ち上がる。

「逝くよ、逝く。取り敢えずあのオッサン殺しに行くから、遺書書いて待ってる様に伝えといてくれ。」

「心なしか、字面が違うようにも思えましたが……、畏まりました。
 ローマ・ヴァチカン市国  サン・ピエトロ大聖堂地下の直通転移ポートを起動致しました。
 フランクフルト空港内に短距離転移陣を御用意致しますので、其方を経由してお越し下さい。」

「……この間みたいに、空港のど真ん中に設定するのは勘弁してくれよ。」

  空港内出入国ロビーのど真ん中にいきなり放り出され、混乱する周囲に対して小粋なマジシャンの真似事をする羽目になった上、
 危うく警官隊に拘束されかけた屈辱的な記憶が脳裏に浮かぶ。

「ふふっ、了解しました。それでは、お待ちしていますね。宮本良介−−−執務官。」

  そう言って、馴染みの通信士官の映像が消失する。光が消えた携帯端末を眺め、

「着信、替えるかな……。シューベルトの『魔王』辺り。」

  そんな事をぼやきながら、傍らに置かれていたトランクとライフルケースを手に取り、
 青年−−−時空管理局情報部特務課  多層世界境界面管理委員会常任委員、宮本良介執務官は、
 活気有る朝の広場の中をゆっくりと歩き出した。






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