地を踏みしめて相手の間合いへと瞬時に迫り、刃を振るう。高速の一閃を相手は意図も容易くその手の剣を振って弾き返した。
 元よりこの一撃のみで仕留められる相手ではないのは知っている。だからこそ弾かれた勢いをそのままに体を回転させ、斜め下からの斬り上げを行う。
 今度は身体を逸らして避けたがそれは剣を振るえなかったのでなく、今行ったこちらの剣技と同じモーションで斬撃を繰り出して来た為だ。

 こちらには相手のような咄嗟の反射を行う繊細な動きは出来ないので大きく後退し、再び距離を離す事となってしまう。
 たった一瞬の攻防であったが既にこれが何回も繰り返され、完膚なきまでに手数を尽く封じられている。
 向こうはこちらが攻めなければ決して攻撃の手を出そうとはせず、況してや戦いを開始した地点より今まで決して移動していないのである。

 剣技を行使する際や回避行動を行う時には足を動かしているのだが、座標としては全く移動していないに等しい。
 嘗められているのは高度な実力を有しながらも、ひと欠片も積極性を持たずに佇んでいる今までの戦闘で理解させられている。
 どの様な手を駆使しようとも何一つ通用しない相手ではあるが、どんな事をしようともあの場から動かしてやろうという意地がある。

 何度目かは既に忘れた疾走で再び斬りかかる。連撃を放ち、相手は足を動かさずにそれを往なしていく。
 只闇雲に攻撃の手数の多い攻撃を与えても決して通らない事は重々承知している。
 両者の刃が交差したまま停止する。敢えて間近で一瞬のみ止まらせ、そのまま相手の懐に体全身で飛び込んでいく。

 獲物の長さの短さを生かし、懐に飛び込んだ此方に対応出来ない刹那の時間を用いて雌雄を決する!
 体を先に進行させたために置いてきぼりとなった刃が追い付き、相手の腹を切り裂く――はずであった。
 現実には得物は空を切るばかりで抵抗が皆無。視線だけが相手を捉え続け、眼前が闇に覆われてしまう。

「っあ!?」

 闇は攻撃を下半身から空へ跳ぶ事でかわした相手の手によって発生し、そのまま地面へと叩き伏せられた。
 得物を持つ手は体重の掛かった足で踏んで封じられ、首元には刃が突き立っている。何一つ傷を負わせる事なく、敗北してしまう。

「――負け、か…」

 全身の力を抜き、完全に脱力状態となる。こうなってはどう足掻いたとて逆転をする術は思いつかない。
 屈辱ではあるがそれ以上に自身が弱い事に腹が立っている。

「――悪くは無い攻撃だが身軽な相手にはあまり有効ではない。体が先行し過ぎているから、見切られる」

 押さえつけていた顔面の手が除けられ、再なる光に目を細めている間に相手より今の攻撃の評価が成されている。
 やはり咄嗟の攻撃が通じる相手ではなかった。未熟な自分が出し抜こうなどと出来る筈も無い。

「では――」

 目の前で突き付けられている刃が動く、瞳を閉じて深く息を吸う。新鮮な空気が肺を満たし、目の前の空を見据える。
 空の広さに比べて、如何ほどに小さき者かつくづく思い知らせてくる。

「――もう一度」

「うむっ」

 離れた刃を見て腰を上げて立ち上がる。放していた得物を拾い上げ、再び対峙する。
 相手の男はまた同じ場所で棒立ちになり、此方は少し離れて気を引き締める。
 再び加速し、刃を振るう。交差した刃から火花は散らず、代わりにくぐもった音が響いた。

 木刀によるエリスの戦闘訓練が、リンクスによってこうして続けられていた。





 事の発端は幾つかの町をエリスと共に回り、新たな町を旅立とうとした時の事。
 町では最近旅人が組織的な盗賊に襲われているという話を聞き及び、リンクスはそれを避けるために本来の道を大幅に外した街道を行こうとしたのだが、

「何を恐れる必要がある。妾達の道を阻む者は全て退ければ良いのだぞ」

 エリスの強引な物言いに実力行使による道行の修正案は破棄となり、旅立つには不自然な夕暮れ時よりも少し前に町を出る事となった。
 これにもエリスは不満を示していたが、リンクスが最早梃子でも動かない状態となったのを理解して渋々了承していた。
 通常と逆の時間帯での出発で昼寝を十二分にして日暮れの前に町を出たのが、相手は二十四時間体制(自転時間は地球と同じと予想される)だった様子。

 平原の草むらの陰に隠れていた複数人が道の前後を塞ぎ、笛を鳴らして仲間を呼んで増援を要請。
 狩りを楽しんでいる笑みと薄気味悪い笑い声を発している者の中で、二人ほど弓を引いて得物に手を取らせないでいる。

「おい兄ちゃん。街での噂ぐらい聞いてんだろう? だったらさっさとそのでかい荷物と一緒に身包み全部置いてけや」

 ナイフの腹を慣れた手つきで撫でて、話に応じないとどうなるかと強調する動作で脅してくる。
 更に恐怖を煽る為に一気に距離を詰めるではなく、徐々に詰め寄ってくる厭らしい動きまで見せつける。

「誰が貴様らなんぞに従うものか」

 それは今までの相手ならば怯えて即座に応じていたのだろうが、エリスには逆効果であった。怯えるどころか一歩前に踏み出し、胸を張って高らかにものを言っている。

「貴様ら如きに妾達の道行く先を妨げられて非常に不愉快だ。何故程度の低い屯するしか能のない猿の為に休むべき夜に行進せねばならぬのだ!?
 全ては貴様らの所為だ。さっさと親元へと帰り、懺悔して一からその知能の低い頭を教育し直して貰えっ」

 元々出発の段階から夜に寝れない事に機嫌を害していた時に限って地雷を踏む輩が簡単に出て来てしまって盛大に憤慨している。
 横に居るリンクスにはフードを被っている少女の顔色は窺えないが、きっと眉を盛大に顰めている事だろう。

「…お前、女か?」

「だから何だというのだっ?」

「悪りぃがお前も残ってもらうぜ。今夜は遅くまで俺達と楽しい事を教えてやるからよぉ!」

 周囲の者達が今の言葉に共感して大爆笑。下卑た笑い方と声に不快度指数が急激に増加しているのが隣に居ても雰囲気で良く分かる。

「こんの――「ストップ」…ぬっ」

 口だけで言っても止められない段階にまでエリスの怒りが爆発する前に首根っこを掴み上げて意識のベクトルを霧散させた。

「放せ、従僕っ。あの戯けの極みの輩共に一言申さねば気が晴れん!」

「安い挑発に乗っては怪我の元。動物にものを申しても認識出来ない相手では独り芝居と同意義」

「むぐっ」

 相手の調子に乗り掛かってしまったのを自覚し、強張っていた身体の力を抜いて脱力。
 平静を取り戻したのを確かめてエリスを改めて地面へと下し、リンクスは前を向く。

「――それでは、先を急いでいますので」

「随分と嘗めた事ほざいてくれるじゃねぇか、兄ちゃんよ? あんた自分の置かれてる状況分かって言ってんのか?」

「? 屯している男達が道を塞いでいる…ような?」

「……たった今、おめぇはここで死ぬのが決まったよ。安心しな、楽に死なせてやらねぇからよ!」

 青筋を立てて駆け出す男を合図に周囲の者達も肉薄を開始する。弓を構えている二人はリンクス目掛けて前後より射る。
 風を切り裂いて前からは頭に、後ろからは荷物が邪魔だったために太腿へと迫っていく。射って二秒と掛からず突き刺さる矢は、エリスによって叩き落とされた。

「――良かろう。なれば妾が直々に手合わせをしてやる。前回は不覚を取ったが今度はそうはいかぬ。妾の実力をその身に刻んでやろう!!」

 ナイフにしては刃先が細長く、生き物を切り裂く事に特化した滑らかな曲線を描く刃の形のダガーの銀が夕陽で茜色に染まっていた。

「リンクスは妾の力をそこで篤と観賞しているが良い。主の実力を今こそ見せて進ぜようっ」

 フードの奥には強き意思を込めた瞳が迫る『敵』を見据え、加速するべく腰を落とす。

「却下」

 次瞬にはエリスの直上より眩い光が灯る。それは視界の全てを白で覆い尽くす程に眩しく、エリスが咄嗟にきつく閉じた瞼の下でも過度の光力に目に痛覚を覚える。

「ぎゃあああああぁあ!!? 目が、目が痛ぇえええ!!!」

「ぐぁああああ!! 何だよ一体なんなんだ!!!?」

 阿鼻叫喚が耳に劈く様に入り、周囲でも自分と同じ状態となっているようだ。
 目が鋭い針で突き刺さったかの如き痛みは治まらず、目を開いて何が起きたのか確認を取る事も出来ない。
 それでも悲鳴を出す程に目に痛みがなかったので幾分かは冷静でいるが、見えないのでは行動の取り様が無い。

「――ぁ?」

 体が宙に浮かぶ感覚。見えないが、誰かに腰を持ち上げられていた。

「戦術的撤退」

 そして前に走り出す感覚に自分が腰を抱き抱えられて走っているのだと分かった。
 声の主は何故か見えている様な軽快さで、どんどん加速して行っている。

「…今の光はリンクスがか?」

「閃光薬。二種類の薬品を練り玉にして持ち、中の特別な液を含んだ木の実を割れば一定の時間の後に爆発、爆発は主に光へと還元する。
 目暗ましとしての役割は十二分に果たす冒険者に役立つアイテム」

「相も変わらず面妖な物を持っておるな…。だが待てよ、なれば今の内に奴等を仕留めれば良いのではないのか?」

 リンクスの解説に見えないながらも感嘆し、目を潰されて苦悶する敵を殺すのは容易なのではないかと思い至る。

「必要無い」

「何故だ?」

「面倒だから」

 帰ってきた答えは酷く単純な動機での殺害拒否。人を殺すのは嫌だとか増援が目の前にまで迫っていたとかいう理由では無い。
 それが言うに事欠いて『面倒』だから! 一瞬だけれども、エリスはリンクスの言った意味を理解出来ずに沈黙してしまった。

「――この………面倒くさがり屋めーーーーー!!!」

 エリスの呆れた叫びは未だに苦悶して転がる男達の耳には残っていなかった。



 襲撃の夜を明かし、日が最頂点へと上り詰めた時分に漸く次の町が目の前に姿を現した。
 緩急が少し大きめの丘に周囲を囲まれた盆地、石造りが建物の大半を占めている様子から辺境の中でも国交などの貿易に携わっている可能性がある。
 エリスにとっては初めてとなる人の大きな往来に興味を引かれるであろうと思われるが、今の彼女は頬を膨らませて機嫌を損ねているのが見て取れた。

「敵に止めを刺さない理由が面倒だからとはどういう了見なのだ…?」

 絶好のタイミングを態々逃した行為に納得がいかず、理解の行く答えを求めて質問を続けている。

「いちいち相手をしているよりも先を急ぐのを優先した」

「追手の可能性は考慮しなかったのか? 放っておけば何時報復に来るか分からぬのだぞっ」

 生かせば相手の怒りが何時如何なる時に突拍子の無い事態に発展するか分からない。
 そんな危険に帯びた行為を選択したのにはやはり、無謀としか言えない。

「その時はその時に応対する」

 それでもリンクスの判断は楽観的とも受け取れる答えであり、エリスには到底理解の届かないものであった。

「むぅ……貴様はいつもそうして争いを避けて来たのか?」

「今回はさらに特別。エリスが敵中突破を選んだからこそ、こうした事態に陥ったのが最大の原因」

「――それはそうだが…」

 リンクスは相手と決して接触をしないルートを初めに掲示し、それをエリスが不服を示した事による結末。
 自分が選んだ事による結果を指摘され、話を逸らされた様で的を射た言葉に口籠ってしまう。

「…が、それを了承したのも自分自身。起きてしまった事を後悔するのは何時でも出来る事であり、以後に役立つための経験として覚えておけば良いのでは?」

「そうだな…今回の件に関しては妾の全面的な失態。先任の強みを持つ貴様に以後の道行の案内を教授して貰うぞ」

「……御手柔らかに」

 自分にも非がある事を認め、自身の欠点を補うべくして自ら率先して教えを乞う素直さ。
 物言いは強気であるがその本質はまだまだ物を知らない少女のものであった。

「しかし…リンクスは剣を交じり合わした事が無いのか?
 見た所それ程力を持つ肉体を有している様には見えんのだが、その鞄を背負っているのが不思議でならん」

 相変わらずの大きな荷物を見上げ、筋肉隆々ではない男が背負っているなど到底現実には思えない光景は何時見ても変わらない。
 剣を振るにしても得意が何処にも見えず、何時も戦闘を避けるのは戦いが出来ないのではと思ったとしても不思議ではない。
 現に盗人に襲われた時には荷物だけを置き去りにする商人や馬車の運び屋などは現実に存在している。

「――剣はそれ程得意ではない。飽く迄も護身としての程度で扱えるだけ、かも?」

「つまり、少し扱える程度だと言う事か…」

「そうなる…?」

 一人思いに耽け始めるエリスに、首を傾げて答えるリンクスの姿など既に眼中になかった。

「よしっ。では妾が直々に剣術を教えて進ぜようっ」

「………何故?」

 しばらく無言での徒歩が続いて又しても突然の宣言に疑問符を浮かべてしまう。

「妾の僕となった者が何時までも戦いとなった時に使えぬのでは困るではないか。有事の際に妾を守るだけの力が無くてはいかん。
 幸いな事に妾は師より筋の良さを常々お誉め頂き、腕を磨いておった。一人の人間に教えるなどそれ程難しいものでもないであろう!」

 人に物を教えるのは初めてで、それが常に自分の強みの分野となって得意満点に高揚して少し荒い鼻息を吹いている。

「良いな。妾が直々に教授するのだ、中途半端な結果になるのは決して認めぬからなっ」

「―――御手柔らかに…」

 当初は不機嫌満点だったエリスは今や軽い足取りでリンクスの前を歩いている。
 今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気であるが、逆に下り坂な現在では転びそうで危なっかしくあった。

「あっ――」

 案の定小石に躓いて転びそうになり、リンクスが襟首を掴んで阻止。
 エリスは振り向いて咳払いを一つし、今度はしっかりとした足取りで先を進み出した。



 町へと辿り着いた二人はいつも通りならばそのまま商売を開始したのが、時間帯がもうじき日が暮れるので一泊の後に始める事になった。
 これは前の町を出る際の時間がずれた為に発生した事態で、それ故に午後は丸々空いた時間が確保できている。
 滞在に必要な衣食品を最低限購入した後にそのまま町外れの森の中へと入り、少し深めに進入した先の広場に辿り着く。
 先頭を行っていたエリスはその場所へと迷いなく突き進み、リンクスの遭難防止対策の進言を必要無いと言い切っていた。

「妾は精霊の中でも風の者達と契約を交わしておる。これは妾だけに限らず、エルフの種族そのものが契約の対象となっておるのだ。
 故に森に、草木に宿る精霊と言霊を介せば協力をして貰える――つまり望む場所へと導いてくれるわけなのだ」

「個ではない、種族による契約…?」

「一個人による契約は、飽く迄も個と個による理解による契約。これは召喚術等の絶対服従による強制に近いものがあるな。
 我らエルフ族にも個による契約を成している者はおるが部族の中の許可の上で、制約を課して風の精霊に更なる力を身に付ける」

 エリスは掌を翳し、小さな声で何かを二・三言呟くと翳した手の平の先に小さな風が渦巻き始める。
 大気を切り裂き音がその小さな風の渦で激しく鳴り響き、偶然巻き込まれた舞い降りた葉が一枚、風の渦に接触した途端に細分化して四方に弾き飛ばされた。

「…かまいたち?」

 以前、魔法使いの男が使用した風の刃に近い性能が目の前に渦巻いている。

「カマイタチ? 何だそれは?」

「――風を圧縮して刃に見立て、遠くの相手を斬り付ける…魔法?」

 実際に主観で見ただけであり、エリスの疑問の声に対して正確に答えられない。
 出来るだけ状況証拠から可能性のある現象をそのままに伝えるが、エリスは顎に手を添えて黙考し始めた。

「…その様な技が人間の中で発明されていたのか。妾達一族は森の守護を第一にしておったが為に森を傷付けない単発の技を多用してきた。
 それが逆に多様性を狭めていたという事か…やはり外の世界は奥が深いのう!」

 手を軽く振り、渦巻く風を手近な岩に投げつける。突風を連れて命中し、刹那の間をおいて岩は命中した地点を基点に破砕してしまった。
 粉々に砕けた岩は小粒の石となり、辺り一面にばら撒かれる。あの魔法使いの男のカマイタチを『斬の風』とすれば、エリスの今のは『爆の風』。
 どちらも風で収束させる過程は同じでも、それをそのまま指向性を持たせて発するか固定して放つかと、難易度はエリスの方が高いのは制御の過程の差で明らかだ。

「今のは妾の魔力を媒体に風を精霊に集めてもらった風を固定化したものだ。
 これは一族の契約の範疇を超えてはおらぬが、個の契約を成せば大地をも削り取れる魔法へと化ける事が可能だ」

「…エリスは個の契約を既に?」

「うむ。簡易な程度ならば修行の内に会得しておるが、それでも仮初の契約と同等の使役しか風の精霊は答えてはくれぬ。
 師が申すには『己が自身で精霊を使役し、認識されよ。なれば精霊はお前を試し、乗り越えた先に聞こえる声に耳を澄ませろ』と仰せつかった」

 手を真上へと翳し、深く深呼吸をして目を瞑った。一際大きな風が吹き抜けるが、それ以外の事はこの後何も起こらない。

「見ての通り、妾の呼び掛けには反応を示して貰えてはおるのだが、それ以上の肝心な『声』が聞こえぬのだ。
 風の精は妾をどの様に思っておるのか、何を試そうとしておるのかさっぱりなのでな。常々理解出来ぬ…」

 落胆の色が濃く、それなりに気にしている現状に不満の声を交えて説明している。
 それでも本題に戻るだけの冷静な意識はあり、咳払いを一つして説明を再開した。

「少し話が逸れたな。個の契約は精霊との契約による魔法行使の強化。他にも主従の誓いによる召喚魔法、神との契りよる神聖魔法等がある。
 太古より今に伝わる主だった魔法系統はこれではあるが、何せあの森の外へと出る者は皆無なのでな。新たに紡ぎ出された魔法がどの程度存在しているのか見当も付かん。
 先ほどのカマイタチなる風の魔法もそれを示す良い証拠だ」

 指一本を振い、リンクスの説明にあったカマイタチの真似をする。それが少し離れた場所に横たわっている巨木の幹を寸断した。

「それに対して種族の契約はそれ即ち、一族の属性の明確化にある。エルフの中にも水の精霊の方が相性が良い者は居る。
 風と相対する火の精霊の場合もあるがこれは個による契約で、後で如何様にも出来るので問題は無い。
 してエルフは森の中で森と共に生を紡いでおり、その過程で風の精霊に近しい生命の種族として受け入れられ、此方もそれを名誉と取った。
 後に風の精霊王シルフがエルフとの契約を認め、森を守護する事と引き換えに風の加護の恩恵をエルフという種族に分け与えてくれたのだ」

「――つまり、種族の契約は精霊の総括者からの力の許しが種族全体に反映されている、と?」

「そういう事だ。風は大地の精霊に近しい存在が故に治癒にも通じておるかの、以前の怪我も一睡だけで大きな回復が可能だったのはそうした理由があっての事だ。
 無論、エルフの自己治癒能力そのものも人間よりも高めであるのは確かなる事実だ」

 腰の鞘より木の短剣を抜き取り、リンクスと向き合うエリス。
 そこの町で買い物ついで購入した訓練用の木の剣は、リンクスの腕を鍛えるためにあった。

「さて、魔法の話はこの程度にし、この後は剣の稽古の話といくぞっ」

「…御手柔らかに、お願いします」

 背負っていたカバンは既に広場の隅に置き、手には二本のエリスと同じ木で出来た剣を携えている。

「二本か。まぁ、初めは貴様の実力を測るにはどんな構えでも構わぬ―――では、妾から行かせて貰う!」

 小手調べにエリスは一直線にリンクスを肉薄。五メートルの距離を一瞬で縮め、短剣を腹へと目掛けて横薙ぎに斬る。
 それを一歩引いてかわされるが、エリスは振り抜く前に強制的にベクトルを逆に返してもう一度薙ぎ払いに掛かった。

「はあっ!!」

 リンクスは先ほどのを逆足で行い、再び回避する。
 エリスの連撃は胴体だけでなく頭、足、腕にまで多様に攻めているが、それらは尽く足の動きでかわされ続けていた。

「やるではないか! だがの、避けるだけでは貴様の実力が分らぬままではないか!!」

 決して命中しない剣。攻撃を全て見切っている眼差し。それらが絡み合って不機嫌が顕著なエリスはリンクスに怒鳴り付ける。

「――了解。迎撃に…入ります」

 大してリンクスは息切れをしていない口よりこれも常時平坦な声色で答え、両腕に力を込めた。

「―――っ!!?」

 勝敗は一瞬で決した。まずは突き出したエリスの短剣を持つ手の甲を、剣を離した左手で掴み、引き寄せた。
 そのまま体制を崩したエリスの足を払い、地面に伏せさせて残った右手の短剣を喉元に突きつけて現状となる。
 ほんの一瞬の出来事にエリス自身が理解が追い付かず、今どうして自分が地面に伏せているのか判別が付いていない。

「………貴様、剣術はそれなりと言っておったな?」

「護身程度に、と」

 退かされた短剣と離れた手に置き上がりながらエリスは問い掛ける。
 少しばかりと言っていた相手が一瞬でエリスを退けた。つまりリンクスの腕はエリス以上、という事となるのだが…、

「何処が護身程度、だ!! 妾よりも強さを誇っているのなど認めぬぞっ!」

「だが現に今――」

「まだ一回試しただけだ。手合わせはまだ終わってはおらぬっ!」

 距離を開いてから再び躍り掛かる。今度はエリスの短剣を持つ手の甲をグリップ部分で叩く事で動きを攻撃の次手を潰す。
 エリスは痺れて感覚を失った右手より左手へと剣を移して斬撃を再開するが、慣れない側の連撃では先ほどまでの速さを有さないために尽く捌かれてしまう。

「…攻撃を続けるのも良いが、それでも安易に隙を突かれてしまうのでは?」

「っ! 分かっておる!!」

 苦し紛れの右の蹴りがリンクスの顔面目掛けて振り上げられる。
 それを最小限の指で剣を支えて開かれた左手によって掴まれ、直撃寸前に完全に停止してしまう。
 身長差により脚を掴まれたままでバランスが上手く取れず、掴まれた右足を軸にフラフラと暴れる。

「は、放せっ! この様な格好を続けさせるなぞ無礼だぞ!?」

 短い裾の丈に太腿の殆どが露出し、足の基部がギリギリのラインで死守されているもエリスは羞恥で顔が赤い。
 だがリンクスはそんなエリスの様子を静かな眼差しに観察していた。

「――実戦では、そんな行動は命取りになると思わるのだが…?」

「どうなるというのだっ!」

「こうなる、かと…」

 反抗的な返答にエリスの足を上へと引っ張り上げ、自身は身体を半回転。
 宙に軽く浮いたエリスの体は完全に無防備な状態となり、態勢を崩したエリスは成されるがままに逆さまとなる。

「なっ?!」

 自身の体が反転したのは分かるが、認識までは届かずに驚きの声が上げてしまう。
 その次瞬には背中に感じる強烈な衝撃と痛覚に意識が一瞬飛び、次の認識の時点では茂みの中へとダイブしていた。
 リンクスは軽い回し蹴りによってエリスを近くの茂みへと吹き飛ばしたのである。

 彼にしてみれば足を掴み、行動を束縛した時点でエリスの『死』は確定していたも同然であった。
 主武器はライフルであるものの、いざという時の接近戦の訓練は積んでおり、この世界の軽重力下の戦いとなればさらに拍車が掛かっている。
 この世界においてエリスの機動や剣術は高いレベルに位置しているのだがリンクスがそれを知る由も無い上に、死んでしまえばその事実は無意味でしかない。

「……妾よりも強いのは従僕としては頼もしい限りではあるが、貴様は自身の評価を低く見積もっている様だが何故である?」

 茂みより脱出したエリスは体に張り付く葉っぱを払いながら尋ねてくる。
 声色には純粋な疑問のみが含まれており、怒りや羞恥は無かったのは思いっきり吹き飛ばされたのが逆に冷静さを取り戻した切っ掛けとなった、という事であろう。

「事実、自分自身の接近戦の能力はそれほど高くは無い。戦いの基本スタイルは遠距離からの射撃」

 接近戦は主に純粋な肉弾戦のガルム、技巧や趣味を凝らしたナイフ戦のブラッドに薔薇を用いるローズである。
 ラプターはオールラウンダーで戦況に応じた戦いをし、情報戦でファントム。そしてリンクスは遠距離からの一撃による支援の役割分担でお互いの長所を生かした戦闘で任務の遂行率を高めていた。
 安全圏からの砲撃が主体のリンクスだが、常に位置を把握されない為の戦況把握や移動、場合によっては敵地の中で絶好の射撃ポイントの確保の為に直接戦闘をする事も度々ある。
 弾数の節約をしなければならない為にどうしてもナイフ戦闘は避けられないのであった。

射撃(スナイピング)? 弓術(アーチェリング)ではないのか?」

「武器の形や手法が異なっているだけで用途は同じ」

 弓矢は鏃に薬を塗る事で効果を付加し、羽根に細工する事で軌道を調整できる。
 銃は弾の選択によって威力や射程が異なるが、銃そのものの性能はそれほど左右されない。

「あれだけの剣術を会得しつつ射撃(アーチェリング)の方が得意と来たか。なれば汝が妾にその術は教授してくれぬか?」

「……自分が?」

 殊勝な頼み方とその内容にリンクスは首を傾げてしまう。

「妾は今までの戦いに関するものは全て師より教わるのみであった。実戦経験などは模擬戦のみ。
 汝の様に実戦に秀でた戦い方は今後の旅において貴重だ。なれば早め早めに経験を積んでおくに越した事は無い――頼めぬか?」

 一度目は矢により負傷し、二度目は無謀な選択をしてしまっている。
 次は無事に済むかどうかの保証などなく、今後も世界を知らない自分が愚かな行動を取らない為にも必要であったとエリスは考えた。
 仲間の行方を知るにも、これからどの様な危険が待ち構えているのか何一つ知らない、無知ゆえの愚かさをエリスは冒す気は毛頭無いのだ。

「…了解」

 頷くリンクス。同行者が常に危険を孕む因子では困るのは彼も同じであり、ならば早めに問題を少なくするのも得策の一つでもある。
 最善はエリスの存在を破棄すれば良いのだが、彼女の強引さにリンクスが対応し切れない弱さでもあるのでこれは既に諦めていた。

「ではこの後の時間から始めるとしようと思うのだが、問題は無いか?」

 意気込んだエリスはいつもならば直ぐに商売を始めるリンクスに問い掛ける。
 先にも説明した通り、時間が時間なので今日は宿を取る以外にする事はそれ程多くは無い。

「…必需品の補充をしてからならば、本日は何時でも可能」

「そうか、では宜しく頼む」

 こうした経緯の後に、冒頭へと物語を繋がっていたのであった。





 エリスによるリンクスへの剣術指南は逆転し、その後数時間をエリスがリンクスによって戦闘指南を受ける事と相成った。
 リンクスは基本的には何もしない。ただ突っ立っており、エリスが延々と攻撃を仕掛けるのみ。
 攻撃手段の是非は口にはするが、決して一つの型を教えるなどしない。事実上、単なる戯事の遊戯でしかないと言える。

「…はぁはぁ――これで何が会得できるのか理解に苦しむのだが……?」

 全身砂塵塗れとなったエリスの呼吸は荒い。最早数えるのも億劫となった時分に、初めは乞う側で許容していた疑問も疲れと共に全面に出てきた。
 今まで知っていた師事と掛け離れた行為に我慢の限界であった。自身がどの様に、どの術を、どんな形で昇華し体得するのか何一つ見出せない。
 始終汗もかかず、呼吸が乱れる事もしないリンクス。その足元は数多の足蹴により深く陥没し、抉れた中に足が落ちている。

「……戦いの中でどんな過程を得たとしても、最後に生き残っていなければ意味が無いのは――理解出来る?」

「――死して事を成す事は出来んからな。例え意思を他者に受け継がせたとしても、その者の未来はその場で終焉を迎える」

 エリスの求める世界に、仲間の行方。他の彼女の知る仲間達は既に行方を諦めている。
 彼女以外に成そうとする者が居らず、彼女自身が諦め、死んだとすればこの後に誰が同じ事を成そうとする者が現れるかは一粒の可能性しかない。
 エリスには他にこの意志受け継ぐ者はいない。だからこそリンクスに指南を乞うているのだが、それ故に手段に疑問を持った。

「戦いで最後まで生き残るには最も必要な事は自分の弱さを知る事。過信すれば例え生き残り続けても、通用しない相手を前に容易く打ち砕かれる。
 狂戦士(バーサーカー)は初めから生き様とはしていないので論外。戦い抜き、生きて事を成す者は自分の弱さと強さを同時に知っていなければ、終わる」

 リンクスの生き方は生存が第一。極力戦闘を避け、どんなに蔑まれようとも、彼は厭わない。
 その話を聞き、エリスは彼の弱気な行動の基点を知った。

「エリス、君は弱い。生き残れない。何も成せない。それが今の君の姿(現実)」

 彼女の想いの根底を否定される。歯を食いしばり、彼女の知らなかった現実が心を苛み、自身が屈辱の塊であるのを理解する。
 無力の中で事を成そうしていた自分を恥じ。無謀にも尊大な目標にただ一直線に突き進んでいた。何時果たせるとも知らぬ現実の奈落へと落ちるかもしれぬのに。

「こちらから攻撃を加えればどうなっていたか、分かる?」

「――何一つ手も足も出せずに倒されるのであろうっ」

 何一つ攻撃が通用しない相手には何をしても意味を成さない。それが数時間の過程で良く理解出来た。

「ぶっぶー。外れ」

 だがその認識が否定された。話の中で最も不可解な言葉に、エリスは不快感を露にする。

「…迎撃をしてみれば、直ぐに分かる」

 そう言って初めて自ら動き出し、エリスへと肉薄する。エリスの瞬発力を上回る速さではあるが、見えないという程ではない。
 交差する様に振り下ろされる二つの刃を一方に体を偏らせる事で命中する刃を一つにし、それを弾き返す。
 疲労困憊の中で肉体を極力無駄な動きを控え様とし、エリスはそれを自然と実行して必要な行動を起こす。

 足払いが来るが跳ねて体を捻り、回し蹴りを繰り出す。首目掛けたそれは腕の防御で防がれて静止。
 そのまま逆足でさらに蹴りを繰り出して避けさせ、態勢を整える。足を即座に加速出来る屈伸で着地し、一瞬で距離を詰める。
 連撃の応酬は力でリンクス、数でエリスが勝っていた。だが二つの剣を相手に一本の短剣で渡り合いエリスの方が、速さが上なのは明白である。

「っはあ!!」

 両腕の隙を突き、一気に剣を振り下ろすエリス。頭を通過し、体を真っ二つにする勢いの攻撃はリンクスの突き出した左腕によって止められていた。
 もしこれが実剣であったならば、腕ごと切断されていたかもしれない。

「防御に回った相手を突破するには二倍の力が必要とする。攻撃の分を防御に回していたからエリスは一撃を入れられなかった。
 が、こうなればエリスの方に分がある。自分の剣の腕は護身程度なのは事実。嘘は言っていない」

「…だったら初めからその様に申せば良いだろうがっ」

 初めて入れられた一本に安堵して膝が折れ、エリスは地面に盛大に寝転がる。
 あれだけ完璧に人を否定しておきながら何とも酷く遠回しない指南に呆れを超えて愚痴も控えめとなっていた。

「実践に勝る経験は無し。と誰かが言っていた様な…?」

「相変わらず疑問で締め括るのう。まぁ、確かに色々と為になる教授ではあったが…」

 自分の弱さを痛感し、だが決して意味が無いわけではない強みの方向性もおぼろげながらも兆しが見えてきた。
 夕闇に染まり始めている空を見上げて、心が澄んだ気分を堪能する。空を飛び交うどんな鳥かは分からぬ影が視界に映る。

「…何とも不思議な飛び方をする鳥であるな。何一つ羽ばたかずに横に綺麗に並んで飛んでおる」

 風を掴んで飛んでいるとしても、どの鳥も羽ばたかずに飛んでいるのは何とも不思議な光景である。
 世界はやはり広く、エリスの知らない事が溢れているのを改めて実感する。

「―――」

「…? どうした?」

 同じ様に空を見上げるリンクスの視線が鋭く、空気が張り詰めた気配にエリスは不審に思う。
 今まで感じた事が無いリンクスの徒ならぬ様子にエリスの心も自然と引き締まる。
 改めて夕闇の空を飛ぶ鳥の群衆を見上げる。先ほどよりも高度を落としていたのでその姿が明確となっていく。
 それは鳥の翼ではなく、硬度を有した無機物の塊であった。



 小さな交易を主な産業としたギルという中規模の町があった。首都のアーカイブより離れた集落でありながらも町は賑わい、活気がある。
 多くの町人が参拝の為に訪れる教会の規模と設備も整い警邏の人員や組織の体制も万全で治安は良く、外界からの盗賊の襲撃の対応に不安は一欠けらも有さない。
 平穏な日常の中のいつもの夕方に、街道は人々で大いに賑わっていた。

 家族の御飯の材料を買うために食材を吟味する主婦。話が進んで買い物すら忘れている女達。
 仕事帰りに自身を労う男達。飲み仲間と盛大に飲み合いをして一際活気づく酒場。
 友達と別れ、家路へと赴く子供達。泥まみれで親に叱られて泣き叫ぶ子供。親に肩車をされてはしゃぐ子供。
 殺生沙汰が起きないかどうか目を光らせる古参な警備兵。仲が良い知り合いと談笑をする新参者な警備兵。
 露店の食材を盗んで怒鳴られて逃げる小動物。街道の隅で生の肉を貪る他の動物たち。

 変わらない筈のその日常が、空より飛来した物によって終焉を迎える。
 一つは街の広場の中央の石像を粉砕して、一つは人々が賑わう往来のど真ん中に、一つは盛大に盛り上がっている酒場の建物の中に。
 数多の飛来物は落ちた場所の周囲数メートルを跡形も無く吹き飛ばし、建物に突っ込んだ物は建物一つを崩落させていた。
 日常のざわめきは阿鼻叫喚へと変貌していく。粉塵の舞う場所では衝撃で倒れ伏して呻く人々、遠くの人々は飛来した物に怯えて我先にと逃げようとしている。

 警備兵の誘導など誰もが耳を貸さず、混乱の中の混乱が発生して怪我人が相乗効果で増えていく。
 だが誰も気が付かず、誰もそれを確認しない。転んだ子供がいたかもしれない。されど多くの人々に踏みつけられて既に絶命しているかもしれない。
 一部の冷静な判断が効く者たちは飛来物で負傷した者達を助けようとその場に残り、看護している。

 壁に叩きつけられた者は絶望的で、地面に転がされた者達は幸いにも骨折や打撲程度で命に別状が無いのが奇跡である。
 広場の石像が粉砕した場所では破片が高速で無秩序に飛来するので惨状が広がっている。崩落した酒場では、生存の可能性すら絶望的である。
 町の混乱を他所に、大きさは五メートル以上はある巨大な黒い塊の飛来物が縦に四つに分割するかの様に中から白煙が噴き出す。

 白煙が噴いた個所を亀裂として開き、中が解放された。残された人々は茫然とその工程を眺め、不思議な現象に目を奪われている。
 塊が蓋を開け、中が完全に開ききった。中も白煙で充満されており、何があるのか視認する事が出来ないが、やがて白い煙は拡散して徐々に煙の先が透け始めた。

「―――!!!」

 初めに目にしたのでは無く、耳をつんざく高音に皆が耳を抑えた。その後に発信源である煙の中を遂に目で認めた。
 それを人々は理解出来なかった。敢えて言うならば化け物がそこには居た。一匹ではなくて何十という数が整然と立っている。
 大きく隆起した上半身に醜悪は顔からは口の中に収まり切らない牙が如実に露出をしている。

 それだけならば巨人族オークや人ならざる魔物グレムリンと認識する者もいたかもしれないが、彼らの恰好がその可能性を否定させる。
 姿態は黒く太い紐で覆われ、瞳は爛爛と輝いている。光を受け止める筈の瞳が輝くなど在り得ない現象に人は慄き、悲鳴を上げて逃げていく。
 救助の最中でも己が恐怖して既に忘れ去り、地面に転がる者も逃げようと必死にもがいている。

 そんな人間を尻目に化け物たちは散開し、転がる人々踏みつけていくが何一つ気にしない。
 その大きさの重さに踏まれた人は骨を潰され肉を断たれ、内臓も破裂して無残な死を遂げていく。
 彼らと距離があり、比較的軽傷であった人々は気力を振り絞って逃げ惑う。

「ガァアルル、ルゥギィォル。…シュゥルルル」

 化け物達が人には理解出来ない言葉を交わし合い、手にしていた金属物を突き出す。
 その物体は銃の様であるが、従来存在する弾装などの形が存在しない。なればそれは銃たり得るのだろうか?
 銃もどきの先端から光が撃ち出され、直進して一人の人間に命中した。その人の命中した背中は大きく穿たれ、人間の悲鳴ではない声を上げて絶命した。

 その現象に人々はさらに叫び狂って逃げ惑う。それをあざ笑うかのように化け物たちの手に持つ光を放つ銃を撃ち捲り、人間を殺していく。
 中には薬莢を排出する実弾を用いた銃も存在し、轟音と唸りを上げる機関砲が露店を粉砕して人間を肉片へと変えていった。



「くそっ、たれぇえええ!!」

 大剣を力のままに振り下ろす。しかしその太刀筋の洗練された一撃は熟練者の力強さを体現している。
 直撃を受けた相手は大きな抵抗を斬っている者に負荷を掛けさせ、全身を縦に引き裂いた時には全力を尽くさせてしまう。
 斬られた者はそのまま地面に転がるが、血の一滴も出てこない。切り裂いた大剣の刃にすら、血糊が何一つない。

「早くこっちに戻って来て! 下がるわよ!!」

 遠くで女性が叫んでいる。新たな相手の剣戟を防ぎ、弾き返して胴体を薙ぎ払う。
 だが全力でもってして切り裂けた相手と同じ種類には腹に切り込みを入れるだけで吹き飛ばしただけである。

「駄目だ! こっちはやっと三体をやった所なんだぞ!?」

「もう仲間の半分がやられたの! これ以上ここに留まったら囲まれてしまうわ!!」

「ホントかよ?!」

 彼らは冒険者で教会近くの宿に彼ら以外の多くの冒険者も泊まっていた。丁度夕方とあって多くの冒険者が宿に居り、教会関係者と共同で突然の襲撃に駆り出された。
 大剣を振るうこの男は多くの屈強な、それこそ自分以上に場数を踏んでいた者達と共に前線へと赴いたのだ。
 しかし前線とは言うものの町の至る所で既に未知の敵に囲まれており、結局な無事な教会を中心に防衛線を張るしか術が無かった。

 そして戦いの始まりと共に、実力者たちが真っ先に死んでいったのである。
 真っ先に先頭に立ち、勇敢に立ち向かっていたのだが、その実力は敵には無意味であった。

「!? また来やがった…!!」

 敵に背を向けて全力で後退を始めた。相手の方が遥かに速い速度で迫ってくるが、距離がまだある時点で気が付いたのが命を繋いだ。

「こいつらを頼む!!」

「こっちも手一杯なのに~~!!! サンダーフレアっ!!』

 男が先ほど呼んでいた女性の隣を通過すると同時に電撃を網目状に放つ。
 複数の敵が全て纏めて直撃を食らって爆砕。今の魔法は決して爆発をする種類のものではない。敵が自ら爆発したのだ。

「助かったぜっ」

「お礼は後でいいから、さっさと下がりましょう!」

「おうよっ!」

 二人は全速力で後退し、最終防衛線である教会の目の前へと戻って行く。辺りには先ほどまで共に闘っていた冒険者たちの骸が転がっているが、彼らにそれを気にする余裕はない。
 一体何人もの数多の経験を有した猛者達が容易く命を落としてしまったのか、自分達が生き残れるのかさえ難しいとさえ彼には思えてならない。
 教会の門の内側では多くの冒険者達が教会に神官による治癒を受けており、戻って来た彼らが治療を願い出るだけの手が空いている神官は皆無だった。

「ちくしょう、ポーションは既に品切れ。頼れるはこの剣だけか」

「大きな怪我が無いだけマシでしょう。それよりも、来るわよっ」

 教会へと近づいてくる多くの敵達。動ける者達は皆、武器を構え、治癒する者は多くの者達を戦線復帰させるべく多量の汗をかいて治癒魔法に専念する。
 突出して迫り来るは四足の獣マッドドッグ。しかしその胴体には生き物ではない鉱物で繋がれており、こいつ等が多くの実力者を葬った剣士の天敵であった。
 こいつは斬り付けると同時に自爆をして、相手ごと爆砕するのだ。そうとは知らずに不用意に近づいても自爆され、肉片へと姿を変えてしまう。

 マッドドッグの対処法は遠距離からの攻撃でダメージを与えれば、安全圏で自爆させる事が出来る。だが足四本の獣ゆえに俊敏で、魔法による攻撃は当たり難い。
 しかも数も多く、魔力が切れたり魔法が当たらずに餌食となった冒険者が多い。範囲系の魔法は魔力の消耗が激しいが一網打尽に出来るので一長一短なのだ。

『『『ファイア・アロー!!』』』

 魔導師達による一斉詠唱により数多の炎弾の矢がマッドドッグの一陣に降り注ぎ、炎弾の爆発と自爆の炎で盛大な爆発が教会前で起こり、地鳴りが周辺に鳴り響く。
 燃え広がる炎の壁を目の前に生き残っている冒険者たちは得物を構えてじっと待つ。敵はあれだけではない。事実、炎を向こうから甲冑を纏って走る何かの音が迫って来ている。
 そして一瞬炎の陰に映ると即座に姿を現した。魔導師や弓術を掛ける者がそれ目掛けて放つが、全て光の壁に阻まれて直撃を防がれた。

 走り抜けてきたのは甲冑の戦士。全身を覆い尽くすその圧倒的な重量感に似つかわしくない軽快に走る姿は異常である。
 ましてや降り注ぐ魔法弾を触れる寸前に膜のような光が迸って無力化し、矢はその装甲の前には無力であった。
 物理攻撃に光の膜は反応せず、これらは剣士達の接近戦に任せるしかない。しかし戦士達の甲冑は隙間を隠す仕様であり、甲冑ごと切り裂く必要がある。

 戦士はどれも力強く、簡単には攻撃を受けてくれずに攻めあぐねてしまう。それでも経験のあるものならば隙をついて斬り付ける。
 常に全力でなければ甲冑を突破できず、兜の目の部分を突き刺しても意味が無いのだ。何故ならばこの戦士達は肉無き戦士ホーンデッドなのだから。

 死霊使い達(ネクロマンサー)が死者の霊を使役する様に、骨となった者達に仮初の魂を与えて使役する事が出来る。これがホーンデッドである。
 死んでいるのだから目潰しや出血多量等の人間であれば致命的な傷は負う事は無く、骨を細分割するか燃やして灰にするかしか倒す手段が無い。
 だが有効な魔法攻撃があの光の膜で無効化され、細分化するにもあの非常に硬い甲冑を破壊するのも並では済まない。

 冒険者たちは多くのホーンデッドを一体一体手間を掛けて倒していくが、そこに再び爆発が起こり出す。マッドドッグの増援が来たのである。
 ホーンデッドごと数人の冒険者を道連れにし、前線が混迷化し始める。ホーンデッドの背後よりマッドドッグが迫り来るため、魔法による攻撃に精度が要求されてしまった。
 数撃ち当るが炎が未だに炎上し続ける今では一体どれ程の増援が来ているか分からず、ましてや味方の冒険者に誤射する恐れのある前線の混戦に彼らの疲労が加速度的に増大していく。

 この二種類の敵の群勢に完全に翻弄されていく最終防衛線。
 最も戦力が充実しているこの場でこの有様であるのならば、他の地区では惨状で埋め尽くされているのは容易に想像が付く。
 夕暮れの空に町の至る所より黒煙が上がり、炎で炎上していく街並みが皮肉にも夜の灯火の役割を果たし出す。
 例え生き延びた者が居たとしても、この悲劇の夜を乗り越えられる人は一体何人いるのか、むしろ生存するのを許す相手であるのか甚だ疑問である。



「――酷い……」

 訪れて半日も経たずに変貌してしまった町の様相に、エリスが発した第一声がそれであった。
 闇に染まりつつある世界の中でもうもうたる炎を無数に立ち上らせ、上空で合体し、大きな一つの煙の柱へと変わっていく。
 活気に満ちた町は最早廃墟に等しい程に破壊され、無秩序の巣窟と化して残虐が継続されている。

 町の外へと逃げようとする者達の数は分からない。あちこちで、一人で逃げる者が居れば大集団で一方向から脱出を図る者達が居る。
 数に規則性を見出せないが、唯一同じなのは殺戮者に見つかれば誰一人、生きて動き続ける者は居なくなるという事。
 一人は切り裂かれ、集団は肉片へと四方からの光の玉により外枠から抉られていく。勇敢にも武器を携えて戦おうとする者も見られるが、結末は変わる事は無い。

「――――」

 顔を青ざめるエリスとは異なってリンクスは目を細めて観察を続ける。
 彼らの居る場所は町より離れた丘の上、盆地の中にある町であるので見下ろして街の様子を窺うには絶好のポイントであった。
 町は殺戮の海と化し、炎の波は人々を飲み込んで海底(冥界)へと送り込む。岸辺に居たリンクス達は奇跡の生還者なのだ。

「どうするのだ?」

 エリスが顔を引き締めて問い掛けて来る。だが彼の答えは決まっていた。

「逃げる」

 数からして無理があった。ましてや立地条件が悪く、逃げる際には上り坂の上に相手には飛び道具が存在している。逃げても助かる見込みは薄すぎる。
 最頂点にいる現時点で、此方の存在が知られていないのならば今逃げても安全に助かる事が出来る。なれば迷う必要は何一つない。

「………」

 その返答にエリスは無言となって眼下を見据える。
 赤く染まる町。燃え盛る炎の音に混じって聞こえてくる断末魔の声達。殺戮の音も絶え間なく聞こえて来る。

「――死ねば何も出来ないぞ…?」

 心中に突き刺さる言葉が耳に入る。近くの木の幹を掴み、心を殺そうと強く握りしめる。

「分かって、おる…」

「自尊心が傷つくのが拒絶する。されどそれに従えば無謀でしかないと理解している――そんな所…?」

「――っ…」

 単なる利己的な自己満足であるのは今ならば嫌でも分かる。自分はどうしようもなく知らず、弱い。
 それを知った後だからこそ、こうして葛藤をしている。体が疲労困憊であるのも一役買っているであろう。

「――だが、」

 だがしかし、それを否定して逃げてしまえばそれこそ自分はどうであろう?
 成せるであろう事を何もせずに諦めてしまう事こそ笑止すべき臆病者ではないのか。

「妾は――」

 とはいうものの、イコールでリンクスが臆病者という訳ではない。彼は力がある。自身の力の領域を知っている。
 その上で選んだ生きる道。聞けば嘲笑する生き様でも、彼は何一つ気にしない。それが彼が選んだ生き様だから。

「妾は――っ」

 飛び出してエリスは斜面を猛スピードで駆け降りていく。その先には燃え盛り地獄と化した町へと。
 リンクスはその後ろ姿を見送り、何一つ止める行動を取らなかった。何故ならばそれが、彼女が選んだ道だから。
 町から空へと視線を上げる。月が顔を出し、闇が深まり完全なる夜が訪れた。浅い時間帯で星の輝きが薄く、町の炎の光と月の夜光が程良く淡く照らしている。
 空を掛ける無機質の鳥達は今も夜空を飛んでいる。月の周りをぐるぐると、町の終わりを見届けようとしている様でもあった。

「…若さ故の無謀。若さの特権とも言うのは適応するのか…?」

 エルフは長命と聞く。エリスのあの身長と容姿からはまだまだあどけない少女そのもの。
 成熟するまでは人と同じなのか、それとも長き年を重ねる毎に成長していくのか。
 そんな世の中の不可思議を口にしてリンクスは町に背を向けた。





 闇の中を逃げ惑う人々は最早いないに等しい。最初の混乱で町人の半数以上が殺され、残された者達の安否は分からない。
 夜を迎えた町は物音がしない静寂に包まれ、燃え盛るあちこちの建築物が焚き火となって町の中を照らす。
 この光は侵略者達には人間を見つけて殺す光であり、息を殺して身を隠す町人には恐怖の光となって怯えさせる。

 半壊した建物の瓦礫が落ちて物音が侵略者達の耳に入ればその場所は尽く銃弾の雨で破壊し尽くされていく。
 身を隠す人々は絶対に動いてはいけない状況に、発狂する事すら許されないでいる。
 だがそんな事を知らぬ、認識出来ない者が居ればその者は死神以外の何者でもない。

「――ぉぎゃ…ぉぎゃぁ……」

 町の中の何処かで赤ん坊の泣き声が響く。か細く聞き耳を立てなければ聞き取れない程に小さなものであるはずが、現状では酷く鮮明に聞こえてしまう。
 直ぐに声は止んだが、近くに居た侵略者達の耳にはしっかりと届いていた。しかし場所を特定出来る者が傍にいなかった為に、現状と思われる近くの場所を捜索し始める。

 発生源は建物間の少し奥まった角の直ぐ其処に、赤ん坊を抱えて毛布で包る母親が居る。
 何とか寝かしつけたのだが、お腹が空いて起きて泣き出してしまっていた。今は母乳を与えて大人しく飲んでいるが、母親は恐怖で泣き出しそうであった。
 だが泣き声に反応して見つかってしまえば死んでしまう。でも怖くてたまらなく、泣きたい。極限状況のジレンマの中で母親の精神は完全に追い詰められていた。

 荒々しい呼吸音が近くで聞こえてくる。母親の場所へと続く脇道の前で銃を持ったオークらしき魔物同士が話し合っているのだ。
 鳴き声としか認識出来ない言語での会話に母親はそのまま気が付かずに去るのを切に願った。
 願いは届き、オーク達の重厚な足音が遠ざかっていくのを教えてくれる。安堵の息を吐き、腰が抜けてへたれ込む。
 しかしそれがいけなかった。抱いている赤ん坊の口が乳房の乳首から外れてしまい、抗議の泣き声が赤ん坊から出て来てしまう。

「ぅぁ――――ああぁあああああっ!」

 隠し様も無い声で泣き出した赤ん坊。次瞬に建物越しに数多の着弾する弾丸の嵐と発砲音が母親に音の衝撃を伝えて来る。

「いやぁあああああああ!!!!」

 母親は限界に達して発狂した。赤ん坊も響く音と間近の母親の悲鳴に怯えて大声で泣き叫ぶが母親の方が圧倒的かつ、周囲の激音にも相殺されていく。
 建物が崩落を起こし、一階の中ばより上は完全に崩れ落ちてしまった。幸いにも母親の居る場所は角の支柱裏側で、弾を食らう事は無かった。
 だが母親は乾いた笑いをし続け、失禁をして虚ろな瞳で虚空を見つめて壊れてしまっている。

「――はは…ぁははは……」

 その声にオーク達はさらに弾を撃とうとするが、トリガーを引いても弾が出ずに訝しがるも単なる弾切れであった。
 そうと分かって銃を捨て、背中に背負っている人の頭ほどある四角い石のハンマーを両手に取って声のする場所へと迫る。
 崩れた壁面を跨って建物の裏路地の道へと足を踏み入れ、笑い続ける母親の姿を認めた。

 母親はもう何処も見ず、聞こえている筈の大きな呼吸音すらも認識していない。
 オークはハンマーを振り上げ、叩き潰すべく振り下ろそうとした。

「待たぬか!!」

 新たな声にハンマーの動きを止めて声のした方を振り返る。そこには炎を背景にして仁王立ちをする少女、エリスが建物の入口であったであろう付近に居た。
 耳が人よりも長いが容姿は人間そのもの。直ぐに攻撃をすれば良いのだが、銃は弾切れで逃げないその様子にオーク達は静観して首を傾げている。

「その者達は初めから戦う意思の無い人間である。
 貴様らが行っているのは単なる殺戮、虐殺と違わぬ愚かしい行為であるぞ! 即刻その様な事を止め、この地より去れ!!」

 力強い言葉を耳にしてもオーク達は理解したのか分からない様子で、結局は無視をして振り上げていたハンマーに再度力を込めて振り下ろそうとする。
 他の者はエリスを殺すべく接近を開始した。

「止めろと言うておるのにっ!!!」

 走り出したエリスはまず、目の前で振り下ろされるハンマーをかわし、親子を殺そうとするオークへと近づいていく。
 到底間に合わないその間合いを虚空の一振りで間に合わせた。建物を巻き込んだ風の刃はオークの体を斬りつけ、振り上げていたハンマーの腕ごと斬り払った。
 痛みに甲高い絶叫を上げるオークに止めとして風の球をお見舞いして腹に大きな穴を開けて吹き飛ばす。進路上の壁面を突き破った先で痙攣を起こしているが既に絶命している。

「成程。簡易に魔力で風を纏めて腕を振って拡散させる事で手軽に行える風の刃か。人間は余程暇人なのだのう…」

 迫りくるオークのカマイタチを連続で浴びせて倒す。ある程度の距離へも届くので中距離の戦いにも使える。
 今居るオーク達を倒し、エリスは少しカマイタチのコストパフォーマンスに感嘆するが直ぐに母親の元へと駆け寄った。

「おい、しっかりせぬかっ」

 肩を揺すって呼び掛けるが、乾いた笑い声しか言葉が返って来ない。
 腕の中の赤ん坊は恐怖で強く抱きめられ、顔の圧迫によって既に心肺停止で青白い。

「貴様の子供がこのままでは死んでしまうぞ! それでいいのか!!?」

 頬を引っ叩いて強く呼び掛けると、叩かれた顔が元に戻って目の焦点がエリスに固定する。
 正気に戻ったとエリスが言葉を続けるが、母親の視線はゆっくりとエリスの耳へと移った。

 尖った耳、人間ではない姿。
 異形の者、化け物。
 来る、襲って来る。
 殺しに来たっ、自分を殺しに来たあいつらと同じ化け物!!!!

「いやぁああああああああ!!!! 誰か、誰か助けてーーーーー!!!!!!?」

 エリスを弾き飛ばして死んだ赤ん坊を抱き抱えたまま街道へと走って逃げて行く。
 恐怖を振り絞って逃げるその姿は完全に狂った異常な人間。その末路は頭が千切れていき、腕が吹き飛び胴体が抉られていって終わる。
 オークの甲高い絶叫と母親の全力の叫びに気が付かない者はいない。既に多くの敵の仲間の増援が周囲に集まっている。

「―――っ、大馬鹿者が…!」

 肉片へと変わっていく人間へと伸ばされていた手は引っ込められ、手近な隠れられる場所に身を潜めて怒りを堪える。
 助かった命をむざむざ捨て去ったあの人間を侮蔑し、結局助けられなかった自身の手際の悪さを呪った。
 エリスの武器は己が魔法術。身に付けている物は何一つない。対して向こうは大多数の人数に数多の飛び道具。圧倒的に不利で失笑してしまう。

「此処の精霊達は貴様らが気に食わないご様子でな、妾に力を貸してくれるそうだ。
 今ならば契約無しで中級魔法が練れる。悪いが易々と此の命は散るのは許されないのでなっ」

 あのリンクスを見返すには、生き残るしかない。こうして無謀に走った自分が奴を見返す唯一の優位を得る!
 隠れ場所より躍り出て、体の周囲に纏っていた風の弾幕を敵に向けて一斉に放つ。風には紫電が纏っており、着弾するとその周囲にも拡散して電撃と風の刃が体をずたずたに引き裂く。
 敵からも弾幕が飛来するが、体の周囲に展開する風の障壁に阻まれて弾道を逸らされ、光の弾はエリス自身の回避行動でかわしていく。
 夜の漆黒に良く映える光の弾は避け易く、接近してくる新たな敵ホーンデッドをカマイタチで吹き飛ばす。
 ダメージは彼の光の障壁で無効化されるが、風は物質の圧力なので衝撃までは殺せない。マッドドッグは風に乗せた火炎で焼き払い、敵の狭間で爆発させる。

「――っ!」

 実弾が風の障壁を貫通してエリスの頬を掠める。一筋の血が流れて自然と止血するが、壁を通り抜ける数が増大しいく。
 元々簡易魔法しか扱って来ていなかったエリスが急に高等な魔法を超連続で、風以外の魔法も織り交ぜて使用すれば魔力の消耗は燃焼の域である。
 かく汗が滝の様に落ちていき、放つ魔法の数が目に見えて減っていく中で敵はその隙を見逃すはずも無くさらなる弾幕を展開し、纏めて突進をして来る。

「やはり無理があったか…!」

 攻撃対象を突進してくる敵に絞り、魔法も風の精霊に限定。カマイタチで範囲攻撃をするもマッドドッグはいいが、ホーンデッドはどうにもならない。
 吹き飛ばせるが傷を負わせられないのでは時間稼ぎにしかならず、それで得た時間を有効に使える手段が無い。
 ましてや前後左右が完全に塞がれている状況に近いのに撤退すら出来ない。敵の数を把握する術も無く、劣勢にエリスは嬲り殺しにされていくしかなかった。


「――結局は話の通りに死に掛けてる…」


 上空より敵の弾丸と同じ実弾と光の弾が敵のマッドドッグ達を抉って破砕し、ホーンデッドは二種類の弾丸を受けては流石に耐えられずに粉砕されていく。
 それに気が付いたオーク達は空目掛けて一斉に発砲を開始。エリスは前方の吶喊する敵が消えた隙に前進し、至近距離でカマイタチの連撃でオーク達を斬首した。
 未だに残っているオーク達はエリスに銃口を向けるが真上からの撃ち下ろされる弾幕に醜い顔を料理されていった。エリスの間近で降り立った何か、それを見てエリスは鼻で荒く息を吐く。

「遅かったではないか。妾の僕であるならば援護はしかとせぬか」

「勝手に敵地に突っ込んだのはエリス。こっちは母艦が去ってから事態を見極めて来た。偉いのは、自分」

 手に持っていたオーク達と同じ銃を投げ捨て、地面に転がる新たな銃を手に取ってリロードする。

「――何故来た。これは妾の自己満足なのだ。貴様が付き合う必要などないのだぞ」

「…言ってる事が矛盾してる。ただ自分にも町を離れない理由が幾つかあったから、来ている」

 四方から迫りくるマッドドッグを二丁の実弾で穿ち、周囲の仲間ごと有爆させていく。効率良く接近を許さず、ホーンデッドは光を放つ銃(光銃)と実銃の連携で対処が出来る。
 両手に持つ銃は一方は薬莢を途切れなく輩出し、一方は水蒸気を立ち上らせて熱量が蓄積していく。
 弾が無くなった実銃は投げ捨ててそこいらの新たな物を拾い、撃てなくなった光銃は捨てられて地面に触れると盛大に銃全身より水蒸気が発している。

「…取り合えず、生還を記念してポーションとマナポーションのセットをプレセント~」

 新たな銃を取る間に二本の小瓶をエリスに渡す。紅と藍の二種類の輝きが炎上する炎を照らされて光る。
 紅のポーションは肉体的に、藍のポーションが魔力の補充に効き目がある。

「良いのか…?」

「要らないなら返す」

 その言葉にムッとして、エリスは二本の中身を同時に飲み干した。味が異なるポーションを纏めて飲んだので変な味で顔を顰める。
 しかし体の疲労が抜けていくのと枯渇しかかった魔力が回復していく気持ちに気分が高揚し、いつもの不敵な様相へと戻った。

「此処に来たという事は少なからず妾の目的に沿って行動をするという事だな?」

「その前にこの事態を打開してから話はするべきでは?」

「良かろう。今は無粋な此奴等を退かしてからとしよう」

 最も包囲が手薄な背後へと二人は疾走する。追撃をする敵を魔法と銃の弾幕で撹乱し、完全に離脱をした。
 だがこの町には完全に安全な場所は無く、精々隠れ場所で見つからない時間を確保しただけと言える。
 血肉の散乱する酒場の奥の部屋、それも酒樽等の定温保存をする個室へと今は身を隠している。他の部屋は逃げ隠れた者達の死体ばかりでエリスが拒否した。

「先ほどから見て思っておったがその服装と背負っている物は何ぞや、リンクス?」

 黒の肌に張り付く服で全身を包み、背負っている黒く大きな筒。エリスはそんな旅商人であり自身の従者でもあるリンクスの全身を観察する。
 大きな鞄を背負っているからその筒程度の大きさを背負えない道理はないが、今の服装と合わさると異様としか言い様がない。

「戦闘服に武器」

「…そうか――で、貴様はそれが何か分かるのか?」

 敢えて突っ込まずにリンクスの手にある二つの銃を見る。エリスには未知の武器を扱えているのが不思議で仕方が無い。

「この突っ掛かりを引けば奴等と同じ攻撃が可能。エリスにも出来る」

 トリガー部分を完全に引かずに撃てるという仕草を見せて教える。
 リンクス自身も光を放つ銃に関してはどの様な機構なのかは分からないが、引けば出るのだからそれで今は納得している。

「ほう…妾に簡単に出来るのか。何とも面妖な武器であるな」

 あれ程自分を苦戦させた物が、人を粉砕する武器がその様な簡単な使い方で良いとは危険極まりない。
 それをそこの引っ掛けを引くだけで十分とは恐ろしくも奇怪であった。

「――で。これからの予定は…?」

 物珍しい物を興味津々で眺めているエリスに問い掛けて意識を戻させる。

「この町で生き延びている人々を出来うる限り助けたい」

 エリスらしい答えであるが、一つ重大な事がその言葉に含まれていた。

「人間なのに? エルフを排斥してきた輩を?」

 エルフは人間に存在を否定されている。憎むべき相手を助けるなど、正気の沙汰ではない。
 リンクスの言葉に動揺の色は無く、力強い意志のみが見つめ返されてくる。

「それを言ってしまえば貴様も人間ではないか。確かに妾の知人には人間を嫌う者が多く居る。
 人間によって仲間を攫われた実情もあったからこそ、今の根強く心に刻まれている。
 だがこの町の人々は今、何をされておる? 誰もが殺戮の渦に放り込まれるという虐殺にあっているのだぞ!?
 これを見過ごす事は、妾の信念に反する。無謀でも、一人でも多くの生きる者を救いたいのだっ」

 言うなればエリスらしい行動理念で収まり、彼女にとって人間への確執は意味を成さない。
 リンクスは無言で銃を置き、腰より一本のダガーをエリスの目の前の床に突き立てた。
 エリスも無言で頷き、そのダガーの柄を掴んで抜き取る。刃の表面は漆黒で塗り潰されて一つの芸術品にも見える。
 リンクスとの訓練をそのままに飛び出していたので今までエリスは丸腰であった。

「――既に第二陣が降下しているのは知ってる?」

「無論。町へと入る際に幾つもの物体が空より降り注いでいたからの」

 大きな地震を伴った落下。人々には新たな脅威が増えたと認識し、完全に絶望した者が大半であろう。

「あれは増援か武器のコンテナ――武器は使い易い分、簡単に消耗するから替えの分があの中に詰まっていると予想」

「ほう。それはやっかいだのう」

 あれだけの猛攻が可能としたカラクリを知ってエリスは驚く。奇抜な戦術に新鮮味を感じつつも脅威であるには変わらない。

「なのでまずはその落ちてきたコンテナの確保を優先して相手の戦力を分析、詳細な今後の行動予定はそれから決める」

 完全に向こうがこの町を占領下に置き、あの落下物に何があるかも分からずに行動するのは危険過ぎる。
 武器ならば破壊するか奪い去り、増援ならば地道に排除していく。それ以外ならば他の可能性も否めない。

「敵を全て排除すればそれで良いのではないのか?」

「先ほどの攻撃の何倍ものをコンテナの前では無限に出来るとしたら?」

「――分かった、その案で行くしかあるまい…」

 あれ以上の攻撃があっては幾ら手があってもあの母親の様になってしまう。
 早く助けたいが、リンクスの言う通りに敵の戦力を知る必要があるとなれば直ぐに行動に移る。

「ならばさっさと行くとするぞ」

「…了解、マム」

 そして二人はより多くの町人を助けるべく、再び地獄の町の中へと舞い戻っていくのであった。



Fiaba Crisis ~ 山猫の旅商人 ~
quest episode : 03 - Alive -



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