〜STRATOS4〜

   CODE−101a STRATOSPHERE

 

 

          * * *

 照明の疎らな管制室に緊迫した空気が漂っている。

 ゆとりのある広々とした部屋にありながら、壁面の一つには大小様々なモニターが敷き詰められ、それぞれ数値やグラフメントを刻一刻と変動させていた。

「MC2832・コードネーム《キャサリン》。データ更新されます。《キャサリン》の現行地球相対速度、毎秒43km。推定加速度0.76G。推定質量52万7千tに修正」 モニター上を上から下へ、右から左へと流れていく膨大なデータを処理しているのは、僅か三人のオペレーターだった。壁に沿って一列に設置された大仰なコンソールに向き合い、慣れた手付きで操作する。

「地球衝突確率は92%。衝突時刻は23日一四○七時」

 声の主はまだ若い、それも女性だった。淡々とした報告は人の気配の薄い室内に逐一反響する。

 人の影は四つ。三人の女性オペレーターと、無言で報告を受けている――女性。年の頃は定かではないが、引き締まった肢体と艶のある美貌は薄明かりの中にも際だっていた。毅然たる双眸は、左右に分けた前髪のために遮られることなく、鋭い視線を時折細めながらモニター上に隈無く走らせていた。

 と、もう別のオペレーターがコンソールの一角に新たな表示を認め、

「本部より入電。――《キャサリン》は予定通り第7オービタル・ステーションにて迎撃せよ」

 告知された命令を淀みなく読み上げた。

 それを受けた司令官と思しき女性の反応もまた早い。すべてが予想の範疇だったといった様相で眉一つ動かさず、抑揚のない口調で結論を下す。

「全鑑に通達。総員《PHASE-1》で配置につけ」

          *

“総員《PHASE-1》で迎撃準備、《PHASE-1》で迎撃準備”

 入り組んだ回廊に、スピカー越しのオペレーターが反復する命令が反響した。一転して艦内が慌ただしさを呈するが、予想されていた行程であるのか、行き交う人々に滞りや焦燥感はない。当事者であるパイロット達もまた然り。すでに待機命令が下されていたため、速やかに指定された場所へ向かう。

 『第7オービタル・ステーション』と称されるその場所は、大気圏外迎撃機の発進設備を有する宇宙ステーション、いわば宇宙基地である。迎撃基地と言ってもその対象は宇宙の遙か彼方より飛来する彗星であり、昨半世紀で急進展した宇宙開発技術の粋として、地球の衛星軌道上に存在していた。

“第1,第2ゲート開放。《CB−1》、《CB−2》、最終チェックに入りました”

 オペレーターが逐一進行を司令官と艦内全域に通達する。

 それに合わせて無重力真空の格納スペースでは重厚な作業服に身を包んだ作業員が迎撃機を手際よく点検し、システムランプを次々とグリーンに変えてゆく。

 同時にステーション外部も変動を始めていた。中核部から四方に伸びているアームの、その双端が放射状に展開し、カタパルトが出現する。

“コメットブラスター・パイロット、エアロックに入ります”

 内部では4人のパイロット達が次々と減圧室に入ってゆく。物々しい防護服に覆われてその容貌は確認できないが、いずれもスレンダーな体躯から、女性であることが推して知れた。

 何百回と訓練し行ってきた動作なのであろう、作業は手際よく消化されていく。

“減圧開始!”

 閉塞感のある小さな減圧室の中では人工の重力が徐々に消失し、やがて無重力空間へと変わる。

「《CB−1》、《CB−2》、発射準備完了」

「《キャサリン》、経路変化無し」

 管制室では三人の女性オペレーターが淡々と次第の報告を続け、指令官が黙ってそれに耳を傾けていた。

「整備員はドックより退出して下さい」

「作戦開始30秒前」

 ここに来て始めて、司令官の女性が自らが数値を読み上げた。ステーション各所で緊張が高まる。

 カタパルトでは、出撃を目前に控えた二機の迎撃機が待機していた。

「《CB−1》、《CB−2》、ATSスタート」

「作戦開始、5秒前………、4………」

 迎撃機のスラスターが唸りを上げ、赤く灼熱し始める。

 そして――

「3………,2………,1………,ダイブ!」

 地球の命運を背負った四人のパイロットが、今、激動の宇宙空間へと飛び出した。

          * * * 

 本庄美風の至福の一時は、今や風前の灯火だった。

 融通の利かない日常と忙しなく迫り来る時流によって、今にも破られようとしている。

 有り体に言えば、彼女を眠りの世界から引きずり出そうとする目覚まし時計のアラーム音と、ルームメイトの声によって。

「美風! ………美風!」

 段違いになった二段ベッドの上段から、黄色いパジャマを纏ったルームメイト、静羽が顔を覗かせる。彼女もまた寝起きでありながら、その澄んだ瞳はしっかりと冴えており、背中まで伸びる赤み掛かった茶髪も殆ど乱れていない。

「もう、いつまで鳴らせとく気?」

「………ふぁ〜ぃ」

 対照的に、下段の布団の中に踞る美風は一向に瞼を上げようとしない。静羽に喚起されて、漸く彼女の手が布団の中から這いだし、手探りで目覚まし時計のボタンを叩く。が、全くその逆回しの動作で再び元の位置に戻る。

「――って、また寝ちゃ意味無いって」

「だってまだ眠い………」

「………もう、そんなんじゃまた単位落とすよ」

 流石に幾らかの苛立ちを見せ始めた静羽の指摘にも、美風は悩ましげに呻いて体を捩らせるだけだった。

「いーんだよ。ンなモンどうでも………」

 現実問題に引き戻そうとした静羽だったが、美風の反応は疎い。

 静羽は半ば呆れ、半ば落胆したように肩を竦めると、下のベッドで眠る美風、次に壁にハンガーで吊られた制服に目を馳せ、

「………はぁ」

 深々と溜息をついた。

          *

 中華料理・広陳。

 前世紀的な家屋の面影を残す母屋が、緑の多い風景に良く調和している。

 店内では青いチャイナドレスに身を包んだ御厨ランが、畳の上に這いつくばってリラックスしているふくよかな猫を、その灰色の毛並みを撫でていた。猫――御厨アリスは重そうな瞼を下ろし、気持ちよさそうに寝息を立てている。

「遅刻だぁ〜ッ」

 そんなほんのりとした朝の空気を見事に台無しにする、素っ頓狂な声が二人――否、一人と一匹の耳を劈いた。

 アリスは迷惑そうに瞼を持ち上げ、ランは小さく微笑んで立ち上がり、戸口をくぐる。声の主は確かめるまでもなく、美風であった。

 半袖の白いシャツに赤のタイ、膝上十数センチまでしかない深緑のスカートと、典型的な学生服姿は、寝坊を自白しているかのように皺だらけだ。

「ランさんっ! 出前用のバイク借ります!」

「もう静羽ちゃんが表で待機中よ」

 そんな美風の姿を見て、ランは項の後ろで結った茶色の髪を揺らして再び静かに微笑む。

 一方の美風はそんな余裕もなく、赤い鞄をひったくるように背負い、慌ただしく靴を履き替える。

「ああッ、急がなきゃ………」

「あ………ちょっと待って」

 左右で無造作に括ったエメラルドグリーンの髪を翻して勝手口を飛び出そうとする美風を、ランがのんびりとした口調で呼び止めた。

 何事かと振り返った美風の目の前に、徐に大きな風呂敷包みが差し出される。

「はい、朝ご飯。こうなるだろうと思って、ちゃんとお昼と別にお弁当にしておいたから」

「ランさん………」

 ランの心遣いに、美風の瞳が潤み、すぐにパッと明るくなる。

 ランは相も変わらず、優しい微笑みを湛えていた。

「ありがとう! 行って来ます!」

「行ってらっしゃ〜い」

 二食分の弁当を小脇に抱えて駆け出す美風に、ランは小さく手を振る。

 今日もいい天気だった。

「全く、どうしてこう毎朝毎朝………学ぶってこと知らないのかねぇ」

 辟易気味に呟いて厨房から姿を現したのは、広陳の店主であり美風達の下宿の大家でもある、御厨リンである。おばあちゃんと呼ばれるに相応の年齢であるが背はすらりと高く、エプロン姿がよく馴染んでいる。

 ランはクスリと笑みを零した。

「若さの証拠よ。おばあちゃん」

          *

 沖縄県、下地島。

 東経125度1分。北緯24度8分。

 宮古島に抱えられるような形で存在する伊良部島に、更に橋で連絡している小さな島である。二十世紀の末に飛行場こそ建設されたものの観光開発は中途に終わり、人口の少ない半面豊かな自然を残している。国連直属の組織、天体危機管理機構によって迎撃基地が建造されたのは、まだ数十年前のことであった。

 草原を貫く一本道を、広陳との文字の入ったバイクが疾走している。

 ハンドルを握っているのは土井静羽。美風と同じ下地島迎撃基地に通う訓練生である。几帳面で面倒見のいい性格故に、最近では事実上美風の世話役をも担っていた。彼女も美風と同じ制服を身に付けているが静羽のそれには皺一つ無く、肩口のエンブレムが良く映えている。その生真面目さを象徴するかのような長く艶のある長髪が、同じく広陳と書かれたヘルメットの裾から流れ、風に靡いていた。

「香鈴と彩雲は?」

 後部座席に、一応ヘルメットを被ってはいるが紐を締めずにしかも後ろ向きに座っている美風が問う。

「………もうとっくに出たって」

 対する静羽は当然だろうと投げやりに答える。本来ならば、クラスメートだけでなく、自分たちも教室に入っていなければならない時間なのだ。

「地上迎撃のローテに入ってるからって、ウチ等はまだ訓練生なんだよ。正規隊員の資格取んなきゃ、コメットブラスターへのキャリアアップなんて、夢のまた夢だよ」

 諫めるように、静羽が言う。最近になって生活がますます怠慢さを増してきた美風を、やはり心配しているのだ。

 しかし座席から足を投げ出して雲一つ無い蒼穹を眺める美風は殆ど上の空であった。

「ん――。まだ一度も上がったこと無いから、実感沸かないんだよねぇ」

 今まで何十回と繰り返した遣り取りだけに、静羽は憤慨するよりも先に落胆し、閉口する。小さな溜息を風に流し、

「………ったく、アタシは巻き添えは――」

 ボヤいたところに、静羽の握るハンドルが跳ね上がった。危うくバランスを崩して転倒しそうになり、後部座席で茫洋としていた美風が突然の蛇行に悲鳴を上げる。

「うぁわ〜っ!」

「道路、早く直してよぉ――」

 アスファルトが抉れ、制限速度の看板が奇妙な方向に曲がった道路に、静羽が一人抗議する。

           *

「ちょっと、静羽ァ〜」

「いいから急いで!」

 バイクを止めるや否や校舎に向け駈け出した静羽を、美風の情けない声が追う。しかし彼女は全力疾走を止めることなく、美風を急かし立てる。

 管制塔からにこやかに見守る司令官の視線などつゆ知らず、二人は玄関に駆け込み、階段を一気に駆け上がった。目指す教室のドアを、二人揃ってくぐる。

「遅くなりまし………あれ?」

 半ば習慣的に遅刻を詫びようとして、しかし二人は謝罪すべき相手がいないことに気がついた。

「良かった〜。まだ如月先生来てない」

 ホッと一息ついて胸を撫で下ろす静羽。

 その後ろに続いて教室に入って来た美風は、しかし事も無げに指摘する。

「なら慌ててくること無かったじゃない」

「………誰のせいで慌てたのよ? 誰のせいで」

 静羽が軽く頬を引き攣らせて、美風に指を突きつけて言及する。露骨に芝居掛かった態度に美風は苦笑して、ちろりと舌を見せる。

「アハッ、そうでした………」

 そんな二人に、教室で談笑していた女子生徒の一人が近づいてきた。

「緊張感足んないんだよ、美風は!」

 両手を腰に当てて、本来美風を叱責すべき教官の替わりに彼女を怒鳴りつける。

 濃い茶色の髪をショートカットにしており、利発そうな顔つきにそのまま利発な男勝りの気性。

「彩雲………」

 美風や静羽と下宿を同じくする一人、中村彩雲である。

「たとえ補欠でも、地球を守る立場には変わり無いんだからさッ!」

 拳を胸の前で握りしめ、こちらも芝居掛かった態度で力説する。しかし静羽と異なるのは、彼女の場合は決して芝居でなく、素のままであるということだ。それが分かっているからこそ、美風は却って頓着する気になれなかった。

「はぁ。朝からテンション高いわ、彩雲は」

「………ちょっと? 美風!?」

 糾弾する彩雲を歯牙にも掛けず、美風はそそくさと席につく。

 美風の相変わらず等閑な対応に、彩雲は腹立たしげに眉根を寄せ、静羽は肩を竦めて話題を変える。

「ねぇ、ところで先生は?」

「ああ、今晩あたり来るらしいんだ」

 その言葉に、自席から気怠そうに耳を傾けていた美風がはたと顔を上げる。

「そっか………それで先生遅れてるんだ」

「ねぇ香鈴、何時って言ってたっけ?」

 静羽が振り仰いだのは、奥の席に座って静かに携帯電話を弄っている、青い髪の女子生徒である。同じく広陳に下宿する、彩雲のルームメイトの菊原香鈴。背が一回り低く、実際に美風、静羽より一つ、彩雲より二つ年下であるために少女という表現の方が似つかわしい。

「え………? 何か言った?」

 おっとりとした大人しい口調で、香鈴が問い返す。メールを打つことに集中していた彼女は二人の会話を全く聞いていなかったようだ。

「………ったく、コイツはコイツで………」

 彩雲は思わず頭を抱える。

「休校になったら嫌だな。他の基地より遅れちゃうよ………」

「心配は要らないわ」

 不安げに呟いた静羽の声に、背後からの女性の声が重なった。二人が振り返り、教室中が視線を集めた先、そこには出席簿を抱えた女性教官の姿があった。

「本日一八○○時より、当下地島迎撃基地は警戒態勢に入ります。――でも、それまではいつも通り」

 教官を兼任する指令補佐、如月沙弥華の声に、教室の諸所で安堵、あるいは落胆の溜息が漏れる。

「良かった〜」

 前者に該当する静羽、彩雲。

「………はぁ………」

 圧倒的後者であることは言うまでもない、本庄美風。

          * * *

 広陳。

 目の覚めるような快晴の下、縁側ではアリスが猫背を更に丸くして日光浴を楽しんでいる。頻繁に上空を行き交う航空機のエンジン音も、聞き慣れてしまえば爽やかさを引き立てる環境音だった。

「おばあちゃん、いま基地で聞いたんだけど、やっぱり今夜来るって」

 店の中から聞こえて来た電話越しの静羽の声にアリスの耳がピクリと反応し、伸びをするように体を捩らせて寝返りを打つ。

「おや、じゃあ忙しくなるね。今のうちに仕込みやっとくかね」

「はあい」

 最小限の遣り取りで静羽とリンは意志を疎通、電話が切れる。

 アリスは何事もなかったように、再び心地よい眠りを貪り始めた。

          *

「大気圏外迎撃部隊、コメットブラスターの使用するトライデントミサイルは、地球の引力を利用して射出するシステムです。地球の重力、及び上層大気と翼による揚力を併用して軌道上を旋回、ミサイルを発射します。射出後三方向に展開したトライデントミサイルは目標直前で爆発し、プラズマカッターを発生させます。こうして理論上では百万トンまでの標的を消化することができると言われていますが、万が一の場合に備え、我々地上部隊がバックアップに回るわけです」

 先程の沙弥華の言葉に偽りはなく、『いつも通り』授業が行われていた。

 沙弥華が要点を簡潔に説明し、静羽を始めとする訓練生達が熱心に耳を傾け、ノートを取っていく。その隣で、美風が大胆にも欠伸を噛み殺している。そして『いつも通り』の因果関係により、

「本庄美風!」

 沙弥華が寝惚け眼で夢現の間を彷徨う美風の名を呼んだ。

 唐突に授業に引き戻され、狼狽する美風。

「は………はいッ!」

「ここで質問です。我々メテオスイーパーが有事の際に行うプロセスは何かしら?」

 美風の動揺など歯牙にも掛けず、むしろ楽しむように沙弥華はしたり顔で問う。因果応報、体だけ残して別世界に旅立っていた美風に回答する術はない。

 最早、沙弥華の思惑通りだった。

「あ………その、有事の経験がないので分かりません」

 逃げ場無しと判断した美風は、溌剌とした笑顔を冷や汗の上に貼り付けて、はきはきと答える。彩雲が頭を抱え、静羽が閉口し、クラスの半分が苦笑した。

「美風………」

 沙弥華はわざとらしく大袈裟な溜息をついて見せ、それからハタと意地悪そうな顔を作り、

「成る程、経験がないと答えられないなら仕方ないわ。でもこれは経験済みよね?」

 どこからともなく一枚のカードを取り出した。丁度サッカーの主審が如何にも嬉しそうにイエローカードを取り出す、そんな場面を彷彿させる仕草で。

「………まただ。ピンクカード」

 ボソリと囁いたのは静羽。当の美風はただ失笑する。

「さあ、答えて」

「こ、コード3。――授業態度を反省し、駆け足でランウェイ一周せよ………であります」

 美風の完璧な暗唱を確認し、沙弥華は満面の笑みを浮かべる。

「はい。よろしい」

 自業自得とはいえ、それこそイエローカードならば何度退場しているか分からない美風は力無く肩を落とす。

「………たはぁ」

          *

 下地島迎撃基地、第四格納庫。

「はー、やっぱノーズギアのライトが点かないなぁ」

 訓練生、宮沢翼。

 端整の取れた顔つきに、育ちの良さそうな刈り揃えられた金髪。

「玉もヒューズも切れてないのになぁ」

 エンブレムを付した白いシャツに赤いネクタイ、深緑のスラックスの制服に身を包んで、紺の帽子を被せた頭を飛行機のコクピットから覗かせる。

「ロックはされてるんだけどなぁ。ギアライトの不良で事故った例もあるし………ん?」

 訓練生、池田空。

 精悍な顔立ちに、赤の強い茶髪をショートカット。

「あれは………」

 作業中の手を止め、グラウンドを挟んだ対面の一点に目を留めた。時代を経ても変わらない意匠の体操服に着替えた一人の女子生徒が、だらしなくあごを上げ、フラフラと走っている。 コクピットから這い出した翼もその視線を追った。

「ああ、俺等と同じ、補欠の本庄だな」

「………じゃ、またピンクカード喰らったって訳か?」

 ピンクカードとは訓練生のペナルティーを示す文字通りピンク色のカードで、対象行為の程度に応じて、内容の異なるものが提示される。

 美風の鞄の中に英単語帳の如くリングで綴られたピンクカードが入っていることは、周知の事実だった。

「まったく、覇気がねぇよなぁ、アイツ」

「でもエリート一家の出って聞いたぜ?」

 屈託無く鼻で笑う翼に対し、どこか釈然としない様子の空。

「へッ、だとしても、オレの許容範囲外だぜ」

 気取った素振りで鼻を鳴らした翼に、空は肩を落として辟易する。

「………お前はすぐそれかよ。他に人の見方しらねぇのか?」

「でっッけェお世話だよ!」

          *

 陸に放り出された魚もさぞや、息を切らし喘ぎながら校舎に戻ってきた美風は、手洗い場に辿り着くや否や静羽らによって用意されていた水を満たしたバケツに頭を沈めた。

 ランウェイ一周は、高校のグラウンド一周とは訳が違う。

「………ったく、ピンクカードの数ではダントツトップだよ?」

「これ以上ペナルティー増えるとホントにヤバいよ?」

 その様子を見守っていた彩雲、ついで静羽が美風を叱咤し、詰問する。

 ぷはぁ、と大きく息をついて、バケツから顔を上げた美風はそのまま地面に崩れ落ちた。

「別にそうなったらそうなったで………」

 二人の懸命の説得も空しく、美風の御座なりな態度は一向に改まらない。それが一月以上も続くとなると、気の短い彩雲はもとより静羽も苛立ちを隠せない。

「せっかく高い競争率突破してここまで来たんだよ。もったいないよ」

「いいよ。アタシのことは放っておいて」

 手洗い場に体を預けて突っ伏し、美風は二人に顔を向けようともしない。それでも責任感の強さと仲間としての立場から、静羽は手を変え品を変え美風を諭す。ややとぼけた口調で、

「そうは行かないんだな。協調性も査定の一部だから」

 掌を返して首を傾げてみせた。彩雲が更に煽る。

「もっと気合い入れなよ美風。アンタだってその気になりゃ――」

「だって仕方ないじゃん。その気にならないんだから」

「美風………」

 堂々巡りの議論に困憊した彩雲は、聞こえよがしに愚痴を吐き出す。

「もう、ホントに出撃が回ってきた時が思い遣られるよ」

「………嫌だなぁ」

 返事があることは期待していなかった彩雲だったが、横合いからの小さな呟きに、虚を衝かれて短く問い返した。

 先程から手洗い場に凭れ掛かり、黙々とメールを打っていた香鈴が、やはり指をケータイの上に馳せながらボソリと囁いた。

「………香鈴は、危ないのキライ」

 ただでさえ美風に頭を悩ませているところを香鈴に混ぜ返されて、彩雲は更に苛立ちを露わにする。

「もう! とにかく………!」

「もういいよ」

 大声で怒鳴ろうとした彩雲を、それまでよりも更に力のない美風の声が遮った。

 その余りに無機質な響きに、二人も思わず言葉を切る。

 しかしその後に彼女の口から発せられた言葉は、これまでと何ら変わりないものだった。

「幾ら言われても燃えないモンは燃えない」

「――美風!?」

「心配してくれてありがと」

 その一種達観したような、あるいは自分自身を諦観しているような言い草には、流石に彩雲も穏便ではいられなかった。

「………じゃあアンタ何でここに来たの?」

 漂い始めた剣呑な空気に、静羽が思わず彩雲を制しようとする。

「あ、彩雲」

「だって………あ――」

 構わず反論しようとした彩雲の視界の端で、美風が徐に立ち上がる。二人の対話など何処の吹く風で、フラフラとした足取りで校舎に向かう。

「ちょっと、何処行くのよ?」

「昼寝ぇ………」

 見咎めて問い質した彩雲にも、美風は気怠そうに短く答え、その場を去ってゆく。

 その活力のない後ろ姿を見送って、彩雲はいよいよ落胆して頭を抱え、嘆息を吐いた。

「はぁ、あれじゃこっちまで調子狂うよ」

 彼女とて考え得る限りの手は尽くして来たのだ。美風を奮い立たせんとする今の状況は、まさに八方塞がりだった。

 そして誰よりも彼女の行く先を憂慮する静羽も、諦めの色が濃くなり始めていた。

「地上迎撃のローテに入ってから、ずっとあの調子」

「………正確には49日前から」

 顔を上げることなく捕捉したのは香鈴。

「まさか、美風が急に怖じ気づくとも思えないし………」

 理解できないと言わんばかりの呟きは彩雲。

 それは静羽も理解していた。訓練生として入隊した当初、誰よりもパイロットとして出撃しようと一生懸命だったのは、他でもない美風なのだ。

「ご両親からのプレッシャーかなぁ」

 結論の出ない議論に、取り敢えず短絡的な答えで終止符を促した。彩雲もまたそれに同意する。

「うん………。何たって一家全員パイロットだもんねぇ」

「期待が重荷ってことかな………」

          *

 赤みを帯び始めた沖縄の水平線。

 下地島迎撃基地に、けたたましいサイレンが響き渡る。

「一八○○時、只今を持ちまして、天体危機管理機構、下地島迎撃基地は第二警戒態勢に入ります」

 管制塔の沙弥華が敬礼し、形式に随って銀髪のイギリス人紳士、司令官に報告する。

「うむ」

 短く答えた司令官の見守る中、基地の各所では投光器に光が灯され、物々しくシャッターを開いた格納庫から緊急発進に備えブースターを装備した迎撃機が台座のトレーラーごと搬出されていく。

「いつも通りの任務だ。出撃がないに越したことはないが、万一に備え万全を期してくれたまえ」

「――了解」

 夕暮れの迎撃基地に、倦怠感と緊張感の入り交じった陰鬱な『いつも通り』が訪れる。

 

                       《TO BE CONTINUED》

 

 

 

 

          * * * * * * *

 あとがき

 静羽:………ストラトス・フォー小説化計画? また下らない企画思い付いて。

 鳳蝶:はは………。森監督が下ろして下さることを期待してたんですが、どうせなら自分で書いてしまえ、と。

 静羽:それで後先考えずに連載立ち上げたわけ? それにしても随分にいい加減な描写じゃない? ちゃんとアニメ見たの?

 鳳蝶:それが………私の自宅はストラトスフォーの放送圏外でして、以前友人にビデオを見せてもらった朧気な記憶を頼りに書いているものですから。

 静羽:あら言い訳? ウチ等の説明もかなり適当だし。アニメ見てない人には何が何だか分かんないよ?

 鳳蝶:その辺りは同人としての温情で………

 静羽:下地島の説明も、それっぽく思い切りデタラメ書いたでしょ?

 鳳蝶:あー、実在の島だって知らなかったんですよ(苦笑)。アニメのオープニングに『協力:下地島の皆さん』って書いてあるのに気付いて、それで慌てて社会の地図帳引っ張り出して………。

 静羽:もう、そんなんで連載続けられるの?

 鳳蝶:まーダメだったらそのときはそのときで………

 静羽:………次のゲストは如月先生にお願いしようか? レッドカード持参で。

 鳳蝶:全力を尽くします!!! (何ですかレッドカードって………)

 静羽:そう。あとこもごまとした指摘は読者の皆さんにお願いすることね。あなたのアドレスは?

 鳳蝶:はい。『v_dreadnaught@yahoo.co.jp』または『v-dreadnaught@ezweb.ne.jp』まで。 静羽:ハイフン(−)とアンダライン(_)に注意ね。 

 鳳蝶:今回のゲストは土井静羽さんでした。