Dream 第五幕 誕生日

 

 いつもの商店街。いつもの空。いつもの売れない大道芸人。

「って誰が売れないだ、くらぁ!」

「君だろ、君」

わざわざ診療所の中から医者に突っ込みを入れられた。

「あんたも売れてなさそうだな」

「医者は暇なほうがいいのだよ」

「声が震えてるぞ」

七十をとうに上回っていそうな爺さんが、さわやかな汗を流しながら俺たちの前をジョギングしていく。引き締まった筋肉の健康そうな老人だ。確かにこの町に、医者は不必要そうだ。

「で、君はこんな場所で脂売っていていいのか? 神尾さんに、観鈴ちゃんのことを頼まれているんだろ」

「朝から勉強するとかで追い出された。それに、いい加減金を稼がないといけないしな」

「稼げてないじゃないか」

「あんたもな」

都会の風は厳しかったが、田舎の風もなかなかのもののようだ。

今日は人形の動きも悪く、ギクシャクとしている。ダメだ、と身を引き締める。こんなことではおひねりはもらえない。

「元々もらえないだろ」

「人の心を読むな!」

「あ、何あれ? 人形が動いてる」

二人組みの子供が近寄ってきた。チャンスだ。絶好の獲物だ!

神経を集中させ、人形に強く力を込める。俺の込めた力に応えるように、人形の動きも次第によくなっていく。会心の出来だ。

「どうだ、すごいだろ」

 人形繰りに集中しているせいで子供たちの表情はほとんど分からないが、きっと尊敬の眼差しをいっぱいに俺に向けていることだろう。さあ、拍手のシャワーを俺に浴びせてくれ!

「…飽きた。なあ、もう行こうぜ」

「そうだね」

ヒューっと、風が吹いた。人形は、今もとことこと歩き続けている。

「芸がないな、芸人」

 聖の言葉がぐさっと胸に突き刺さる。言い返す元気もない…。

 はぁ、まあいい。次の客を待つだけだ。

 そう思ってあたりを見回して気づいた。いつの間にか商店街には人っ子一人見当たらない。休日の午前中にこんなんで大丈夫なのか…?

しかたなく、人形を拾い上げるために地面に手を伸ばす。

「あれ、もう終わりかい」

声がした。聞きなれない声だった。見上げると、スーツ姿の男が一人。

「糸で釣っているようにも見えなかったけど、どうやっていたのかな」

「手品師がタネを教えるか?」

「はは、そりゃそうだ」

男は注意深く人形と俺を観察してくる。その間も、人形はとことこと歩かせ続けていた。

「ポケットの手は、出せないかい?」

出して指を開いてみせる。タネも仕掛けもございません。

「それでも人形は動き続けるか、すごいな」

ずいぶんと感心されたようだ。

「でもこれでは子供は見向きもしないだろう。いくらすごいことをやっていたとしても、楽しくなかったらそれは興味の対象じゃない。こんな力を持っているなら、職業を変えることをお薦めするよ」

「余計なお世話だ」

「そっか……ま、好きでやっているのなら仕方がないな。というわけで君の発展を祈って」

箱を差し出される。どう見てもチップではない。

「なんだよ、これ」

「お礼。知人の家に遊びに来たんだけど、留守みたいだったからね。僕はあまり甘いものは好きじゃないから、よかったら」

そう言い残して、男は立ち去っていった。手にはきれいに包装された箱。甘い匂いがどことなく漂ってくる。

その場で包みを解いてみる。

「ほう、おいしそうだな」

聖が箱をのぞく。中身はショートケーキの詰め合わせだった。

「少し分けてくれないか」

「嫌だといったら?」

メスが手元で光っていた。

「ふ、冗談だ」

こいつの冗談は冗談に聞こえない……。

はぁ、結局得られた収入はこのショートケーキだけか。

俺の腹は喜びそうにないが、あいつは喜びそうだった。

「観鈴」

居間には誰もいなかった。台所のほうに呼びかけても返事はない。

そういえば、勉強するとか言っていたような気がする。ならケーキはちょうどいい息抜きだろう。

ドアを開けあたりを見回す。相変わらず恐竜のグッズだらけだ。よく見ると、壁に掛けられたジグゾーパズルにも恐竜が描かれている。しかし、観鈴はどこに行ったんだ?

くー……。

足元で音がした。ドアのすぐ横の壁にもたれて眠りこけているのが約一名。気持ちよさそうに寝息を立てている。

「おぉーい。宿題してるんじゃなかったのか」

しゃがみ込んで耳元で囁いてみる。起きない。

よく見るとひざの上にはトランプが散らばっていた。

「おまえ……宿題じゃなくて遊びつかれて寝てるだろ」

あどけない寝顔。こうしてみると、本当に小さな子供のように見える。まるで、大人になるための何かを置き忘れてきたような……。

「おい、ケーキだぞ。ケーキいらないのか。一人で食うぞ」

「…ケーキ」

小さな口が動いた。寝言のようだった。

ひょっとしてケーキを食べている夢でも見ているのか?

観鈴の見る夢。それがなにを指すのかはわからない。ただ、ひとつだけわかっていること。

『空の夢』

起きたらどんな夢を見ていたか聞いてみよう。

「あ、往人さん……おはよう」

ようやく目を覚ます。

身体を起こそうと動かすたび、膝の上に残っていたトランプがあたりに飛び交う。

「もう昼だぞ。たくっ、宿題してるって言ってたわりにはずいぶん楽しそうだったみたいだな」

「宿題してたらね、眠くなっちゃったの。それでトランプして目を覚まそうと思ったんだけど、やっぱり眠くて寝ちゃったの」

なるほど、たしかに机の上には教科書とノートが開かれている。ノートの端っこには恐竜の落書き。ちなみに鉛筆は床に落ちていた。

………。

「頑張ったな」

何分持ったかはきくまい。

「それでね、夢を見てたの。空の夢だったからちょっともったいないな」

「空の夢より、現実のケーキのほうがいいだろ」

もらってきたケーキを差し出す。

「すごくおいしい」

幸せそうな顔でケーキをほおばる。二百円かそこらでここまで幸せになれるとは安い奴だ。

「しかしおまえ、本当に恐竜が好きなんだな」

ケーキが乗った皿にも緑色の恐竜が描かれている。

「うん、大好き」

「かなりグロテクスな生き物だと思うけどな」

「そんなことないよ。かわいい」

「他にもかわいい動物ならいっぱいいるだろ。パンダとかシロクマとかカモノハシとか」

「パンダやシロクマとかカモノハシにはない魅力があるの。恐竜には」

カモノハシって可愛いか……? 

自分で言ってみたものの、謎だ。

「恐竜にはね、ロマンがあるの」

「ロマン?」

「そう、ロマン。だって恐竜はすごく長い時間栄えて、でも絶滅しちゃって、今ではもう過ぎ去ったもの。終わりを迎えてしまったものなんだよ。なんだかせつなくて、きゅんとなる」

「ふーん」

どうでもいい話だ。大体、絶滅種なんてのはいくらでもこの世の中にいる。そんなこと言ったら、どれだけせつなくてきゅんとしなくちゃいけないのか。

適当に相槌を打ってケーキを口に運ぶ。甘い。

イチゴをかじる。しょっぱい。

この絶妙な味のバランスが食をそそるのか。

「でも往人さん、わたしがショートケーキ好きなことよく知ってたね」

「見たまんまガキだからな、おまえは。子供が好きなものって言ったら大抵それだろ」

口からでまかせを並べる。

ん、ってことは今の理論だとショートケーキを美味いと思ってる俺もガキということに……。

「観鈴」

「うん?」

「やっぱ今のは無しだ」

はぁ。と、不思議そうな顔をされた。

 

 

赤みがかかった陽光が地上の生き物たちを奮い立たせ、歓喜させるように緑黄のなかへと降りしきる。

七年の地中の苦労を大気中に放出させ鳴り響くセミたちの合唱。薄墨を刷いたような、青々とした簡素な色彩を見せる木々。それらはまるで、空から注ぐ日射しに応えるかのようだった。

気持ちいいくらいの夏。そして棒のようになる足。

「で、何が悲しくて俺はこんな暑い中、坂道を登らなきゃいけないんだ」

昼食を食べ終えた観鈴は、行きたいところがあると家を飛び出してしまった。一応世話を頼まれている以上そのままにしておくわけにもおけず、食器もそのままに観鈴を追いかけてきたわけだ。

坂道が終わる。見下ろすと町全体が一望できた。まさに圧巻。そのままパノラマ写真にして売り出せそうなほどに完成されたその風景は、水平線の果てまで見ることができる。観鈴の家はどこかと軽く探してみたが、似たような作りの木造の家が立ち並んでいて、さすがにその中から神尾家を探し出すのは不可能だった。夏の暑い香りが木々の香りに混じり、ほんのりと甘い、不思議な匂いが鼻を刺激する。

「この町でわたしが一番好きな景色。往人さんにも見せてあげようと思って、強引だったけど連れてきちゃった」

どこに隠れていたのだろう、いつの間にか観鈴がとなりで景色を眺めていた。

「いや、苦労して登っただけの甲斐はある」

「にはは、そう言ってもらえると嬉しい」

坂の上には古びれた鳥居があった。

どうやら神社のようだ。誰かいないか探してみるが、神主どころか坊さんの一人も見当たらない。それにしても神社とは、懐かしいな。

「ひとけがぜんぜんないな」

「普段はそうだね」

「でも、もうすぐ人がいっぱいになる」

「洪水でもきて町の人間が一斉に避難でもしてくるのか」

「違うって。ほら、神社で夏に賑わうって言ったらあれしかないでしょ」

「どれ?」

「お祭り、もうすぐ夏祭りがあるの。ここで」

「祭りか」

「あれ、お祭りあんまり好きじゃないの」

「まあな、ちょっと嫌な思い出があって」

あたりはセミの声しかしない。それはまるで、木々が一年かけて祭りのあとの空気を吸い続けているような……そんな錯覚を感じさせる。

そして、すべてを吸い尽くしたとき、再び祭りの日はやってくる。

「そういや、おまえ知ってるか。ひよこは大きくなっても恐竜にはならないんだぞ」

冷水でもかけられたように観鈴の体がキュッと震える。

「なんでそのこと知ってるの?」

 バツが悪そうな顔。

「晴子が酒に酔った勢いで勝手にしゃべりだした」

昔、観鈴はひよこが恐竜の赤ちゃんだと本気で信じていたらしい。縁日で偶然ひよこを売っているのを見かけて、

「買ってくれって、一日中泣いてたらしいな」

「はぁ、そんな小さい頃の話持ち出して……」

「欲しかったんだろ、ひよこ。いや、違うか。恐竜の子供か」

真面目な顔で首を左右に振られた。てっきり言い返してくると思っただけに、その姿は意外だった。

「欲しかったのはひよこでも、恐竜の子供でもないよ。なんでもよかったの。買ってもらえるなら……お母さんに」

 

 

 夜、二人で夜道を歩いていく。どこの家からか風鈴の音が聞こえてきた。観鈴はいちいちその音に反応して、いろんな家の庭先を覗いていた。

「あ、花火やってる」

「カレーの匂い。おいしそう」

幸せそうだった。そういえば、ここのところ張りつめた顔ばかりしていた気がする。やはり観鈴はこうゆう能天気なほうがらしい。

空を見上げると、天の川が流れていた。小さな星の一つ一つまで、はっきりと見渡せる。本当にここは空気がきれいなんだな。そんな素直な感想が、脳裏をかする。

「実はね、今日わたしの誕生日だった。こんな楽しい誕生日なかったから、すごくよかった」

本当に嬉しそうに言う。一緒にいてやっただけなのに、そんなことを言われると少しくすぐったく感じる。

「なぁ、夏休みはまだまだあるからさ、もっとたくさん遊ぼうな」

「うんっ」

たぶん俺は、観鈴のことが好きになっていたんだと思う。観鈴と一緒にこうして歩いていること、それだけで気分が少しずつ高揚していくのが自分でもわかった。俺は、幸せだった。

夏休みはまだまだこれからいくらでも続いていく。

だから、これからもずっと一緒に。

 

 

「さて、いい加減しめないとな」

聖は両手を頭の上で交差させ大きく伸びをすると、closeと書かれた表札をガラス戸の前に掲げようとする。

靴に何か硬いものがぶつかる。

「んっ?」

足元に白い紙が落ちているのに気づく。

手に持ってみると、長方形のプラカードのようだった。

「なんだこれは、Happy Birthday?」

 プラカードに書かれた英語を聖が読み上げる。バースデーカードのようだ。かわいい恐竜の絵が書かれている。

「誰かの落し物か」

 辺りを見回すが、落とし主らしき人は見つからなかった。

「ふむ……」

 聖は仕方なく、それを懐にしまいこむ。

 

公園の近くの堤防に、二人の男女が座っていた。かなり若い。高校生くらいだろうか。

「あのね、わたしが見た空の夢……その夢はね、ずっと続いているの。一回とか二回とかじゃなくて、毎晩続いてるの。夏休みが始まった日から」

「そっか」

「それでね、わたしその夢をさかのぼってる」

「…どういう意味だ」

「ええと、うまく言えないけどわかるの。風の匂いとか、肌触りで。空気の流れ、季節の移り変わり……わたしは時間をさかのぼっているって」

「なんだよ、それって……」

言葉に詰まったらしく、男はそれ以上何もいわなかった。

「ね、往人さん」

女のほうが男を見つめる。

「わたしの夢は、どこに向かっているのかな」








作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。