Next Summer 第二幕  真実へ

 

 天井がずいぶん上のほうにある。首筋がずきずきと痛む。往人に打ちつけられ地面に倒れこんだ。そこまではなんとなく覚えているが……。

そうじゃ、紗衣たちを追わねば!

「あっ、動かないで」

 身体を起こそうとして、庄治の身体はか細い手に押さえられる。なにが起きたのかと瞳を凝らし前を見てみると、視線の先に短髪の少女が座っていた。

「軽い脳震盪だと思いますが、しばらくは動かないほうがいいです。お年のようですし」

「むぅ…」

 何か言い返そうとしたが、頭に痛みが残っているのは事実なのだから、口から飛び出しかけた言葉を押さえこみ、仕方なく、言われるがまま無言で身体を床に戻す。何だかんだ言っても、身体が疲れきっていることには相違ないのだ。

「お、気がついたみたいだな」

 若い少年の声がすると同時に扉が開いて、短髪の少女と同じくらいの歳であろう少年と、熟年らしき女性が姿をあらわす。その熟年らしき女性の姿に、庄治は見覚えがあった。いや、正確にいえば、女性の姿そのものに見覚えがあったわけではない。自分が知っている女性がもう少し歳をとると、ちょうどこんな感じになる。

「湖葉…?」

 口にしてすぐに、庄治は自分の考えを否定する。たしかに似てはいるが、眉や目の作りが若干違う。それになにより、身体から滲みでる雰囲気そのものが、湖葉のそれとはまったくの別物だ。

「はじめまして、国崎小百合といいます。こちらは息子の和樹、それと霧島佳乃ちゃんです」

「国崎……そうか、ぬしらが。やれやれ、一足遅かったというわけか」

「遅かった?」

「ああ、往人らが一足先にここにきての。どうやらおぬしたちとは入れ違いになったみたいじゃな」

「往人がここに! なんのために!?」

「さあのう……。わしに会いにきたわけでもないじゃろうし、まあ紗衣が率先して連れてきたとするなら、おそらく羽根を見にきたのじゃろうて」

「羽根?」

「うむ。翼人の羽根、そこの祭殿に祭られておるよ」

 庄治が指差した先には小さな羽根。色褪せて、欠片も光をはなつことはない。

「十年ほど前じゃったかの、結界をはってあったはずの部屋に子どもが紛れこんで、それきり羽根の輝きは失われた。そのときの子どもに羽根の力が託されたのかもしれぬ。まあ、いまさらどうでもいい話じゃが……」

「あのっ」

「うん?」

 たどたどしく右手をあげた佳乃に、庄治が不思議そうに目を向ける。

「あたし……なんです。その十年前に部屋に紛れこんだ子どもって。ごめんなさい。あたし何も知らなくて。結界っていうのだってなかったし、鍵もかかってなくて、それで……」

「鍵がかかってなかった?」

「はい。良くないとは思ったんですけど、なんだか誰かに呼ばれているような、そんなふうに思えて……だからお姉ちゃんと一緒に、この部屋に」

「ふむ……羽根に触れたのはおぬしだけだったかの?」

「そうです。あたしが羽根を触ってすぐに懐中電灯で照らされたので」

 そのときの情景を思い浮かべるかのように、佳乃は白とも銀色ともつかないまばゆい光を放つ羽根に目を向けて、言葉を続けていく。

「それから、不思議なことがおきるようになって……突然記憶が飛んで、気がついたら何時間もたっていたり、変なことがおきていたり……このあいだなんて、往人君の首を……」

 黄色いバンダナを見つめ、思い悩むように佳乃は口を閉ざした。

「力の暴走……というわけか。たしか霧島佳乃といっておったな。訊ねるが、おぬしは国崎、つまり法術の一族とは関係ないのじゃな?」  

「えっ……あ、はい。そうですけど」

「ふむ。となると、羽根そのものがぬしを招きいれたわけか。裏葉の意思がいかに強固なものであろうと、さすがに自分と無関係なものは扱えぬじゃろうし」

「扱えないって、どうゆうことです?」

 庄治の言動の奇妙さに、佳乃は繰り返すように言葉をもらす。

「自分たちでやったと思っていたことも、その裏葉って人に操られていた。そう言いたいんだろ」

どっしりと座りこんだまま、両手で腕くみをして和樹が口を挟む。

「きっかけを与えた程度だがね。翼人の伝説に関わりのあるものたちを引き寄せたり、些細な偶然を積み重ねていったり、そんな程度。断じて操りなどではない。『どうするべきか、どうしたいのか。そうゆうことを決めるのは誰でもなく、自分自身でしかない』それが裏葉の持論であったからの」

「その裏葉って名前、さっきからやたら出てくるけど、いったいどこの誰だよ?」

「本名は高田裏葉。翼人・神奈備命の隋人であったものよ。神奈備命が空に囚われてからは、名を国崎裏葉とあらため、救う方法を試行錯誤しておった」

 ゆっくりと、庄治は過去の出来事を語ってゆく。かつてこの世に翼人と呼ばれるものがいたこと。国は翼人の存在を歴史から抹消しようとして、その副産物として生まれたのが人魚の伝説ということ。裏葉と柳也の二人は国のやろうとしていた事柄の真実を知り、翼人伝という書に翼人のことを残していたこと。彼らの末裔が法術を受けつぐ、国崎という一族ということ。

 話のすべてが終わると、

「庄治さん。あなたは自分の記憶を他人に伝える、法の禁忌というすべを使って、何百という歳月を生きながらえてきたと言いました。でも蓮鹿や私の父親、漸次はあなたのそれとは異なる方法で、かりそめの不死者となっていました。あなたは、ひょっとして……」

「ああ、ぬしの思っているとおりじゃ。記憶を伝えるだけでは、不老不死などとは到底呼べる代物ではない。だいいち、あれは術者も術をかけられる側も、両者が法術を会得していなければ意味をなさぬ行為。それでは駄目だったのじゃよ。わしが憧れていたのは、蓬莱の薬がもたらしてくれるような、完全なる不老不死。そのために幾百の月日をかけた。だがいくら法術を学び力を得ようと、何もかも無駄でしかなかった。ようやく編みだした術、蓮鹿にかけられたあれも、呪いに近いものでしかなかった。わしにとって、あんな方法は失敗でしかなかったのじゃよ」

「…あなたの作り出した術で蓮鹿は生きながらえ、私や和樹を離ればなれにさせ、お父さんが死ぬきっかけをつくった。つまり、そうゆうことでいいのかしら?」

「母さんっ!」

「昔のこととはいえ、思えば愚かなことをしようとしたものだ……本当に、すまなかった」

 あおむけの姿勢になっているせいか、その声は妙にこもって聞こえる。天井に向けられた眼はこことは違う、どこか遠い場所を見据えているように思えた。

「質問に答えて」

 小百合の言葉に、庄治は不思議そうに耳を傾ける。急に疑問を突きつけられて、戸惑っている。そんな感じだった。

「お父さんが死んだ理由があなたにあるというのなら、そのことを悔いているのなら、私たちの質問すべてに、嘘偽りなく答えなさい。空にいる少女を助けたいの。自分のやってきた行為が過ちだと思うのなら、私たちに協力しなさい」

 長い沈黙があった。別に庄治は、協力するべきか否か、ということで悩んでいるわけではないだろう。むしろ逆で、彼はわざわざ改めて言われるまでもなく、和樹や小百合に協力するつもりでいた。だが、断られると思っていた。自らの目的、不老不死という存在になるために他人を利用し、いくつもの罪を重ね……そんな自分を信用してくれることなどないだろう。そう思っていた。

 それなのにこの小百合という女性は協力するように、罪を償う機会を与えてくれた。それはとても意外なことで、そしてとても嬉しいことでもあって……。

「…わかった」

 庄治がうなずくと、小百合は唇に手をあて長考する。ゆっくりと、頭のなかで情報を整理しているようだった。

「最初の質問。佳乃ちゃんに羽根の力が託されたと言っていたけれど、あれはどういう意味かしら」

「ふむ、そのことか。羽根が翼人・神奈備命の心の欠片ということは知っておるな」

「ええ」

「そのむかし、白穂という女性がおった。法術の力を持つ男が触れた羽根に宿った命。いうなれば、羽根の申し子ともいうべき存在。わしと白穂は紗衣の真意を知った。わしは紗衣にそのことを感づかれずにすんだが、白穂はわしほどうまく紗衣あざむくことができず、紗衣は自分の目的の真意を知った白穂を、空へと返すことなく、そのまま消し去ろうとした」

「空へと返すことなく……消す? 殺そうとしたってことか!」

「ああ。紗衣からしてみれば、白穂は目的の邪魔をする、障害以外の何者でもなかった。翼人の欠片、羽根であろうと、障害になりえる存在ならば消す。紗衣の本質は、そんなものじゃよ……」

「それで……どうなったんです? その、白穂さんって人は」

 佳乃が問いかけると、庄治はため息をつくように、小さく息を吐き出す。

「なんとか白穂は生き延びたものの、力のほぼ全てを失うこととなった。湖葉と結希が白穂の羽根を見つけてくれたのは全くの偶然であったが、本当によかったことじゃと思うよ……だが、それきり羽根は何年もこの小屋に眠ることとなった」

 そこで一度言葉を区切ると、佳乃のほうにじっと目を向ける。

「白穂はおぬし、霧島佳乃を招きいれた。おそらく白穂とぬしに共通するところでもあったのだろうな。もしくは、白穂の輪廻転生した姿がぬしであったか。いずれにせよ白穂が招きいれた理由は、ぬしを自分の代弁者にさせたかったからであろう。自分の知りえる知識の全てを伝えようとした。最後の力をふりしぼりな」

「翼人の、その禁忌を使ってですか?」

 親から子に、子から孫へと自らの知識・記憶を伝えていく。それが翼人の、法の禁忌。力を失った白穂は、羽根の姿のまま、自分が知りえた紗衣の真実を他の誰かに伝えようとしていた。だが何ヶ月、何年の月日が流れようと、暗くかび臭い匂いのする奥殿に人が姿を表すようなことはなかった。それでも、白穂は待ち続けた。いつか人が来てくれる、いつか法術の力を受け継ぐ自分の末裔が重たい扉を開けて、自分に会いに来てくれる。そのときこそ、私は自分の知りえることの全てを、その末裔のものへと伝えるのだ。そう心に誓い、白穂はずっと、長いあいだ待ち続けていた。

そしてある年の晩夏、夏祭りが終わり冷たい空気が神社全体を包み込んでいたあの日、木造の重たい扉を開けて、二人の姉妹が自分の前に姿をあらわした。

「法術の才を秘めていると、そう信じておったのじゃろう」

「だが佳乃は法術を知らなかったし、才能も持ってはいなかった。記憶を伝えるために佳乃に流れこんだ白穂の力は、行き場を失って佳乃の中を駆けめぐるようになっていった。白穂の伝えようとしていた記憶や力が、何かの拍子で表に出てきたとしても、佳乃にそれを制御するだけの力はない。だから力は暴走して、佳乃は操られたような奇妙な行動に走るようになっていった、と?」

「そのとおりじゃ。なかなか呑みこみが早いのう」

「お世辞はいいよ。とにかく佳乃のその力の暴走ってやつ、どうやったら抑えられるんだ?」

「霧島佳乃と言ったの。すまぬが、羽根を持ってきてくれぬか?」

「あ、はい」

 祭殿に祭られていた羽根をつかむと、佳乃は庄治に歩みよる。庄治は肘をばねにして上体を起こすと、片方の手で羽根を持つ佳乃の指にふれる。もう片方の手は、佳乃の髪の毛の少し上にかざされていた。

「元々は無関係だったであろうに……迷惑をかけた。いま、終わらせよう」

「待ってください」

「ん?」

「終わらせるっていうのは……?」

「ああ、白穂を神奈備命の元へ返すことなく、この場で浄化させるのじゃよ」 当然のことのように話す庄治に、佳乃は間髪いれずに言い放つ。

「それって、白穂さんを殺すってことですか!」

「言い方は異なるが、本質で言えばそうゆうことになるの」

「そんな……なんとかならないんですか? それじゃ、紗衣って人のやろうとしてたことと同じじゃないですかっ!」

「どうにもならぬよ。力を抑えこむために法力を流しこんだとしても、仮にそれが成功し、暴走がおさまり、自らの意思により白穂の力を制御できたとして、それにより真実を知りえたとしても、もはや遅すぎる。紗衣と往人が霊山へ向かった今となってはな」

「霊山?」

「さよう。高野山、金剛峰寺。真言の法力僧たちに封じられた神奈備命の魂は、そこに幽閉されておる。幽閉とはいえいまの高野の者たちは、そのような封印が施されていることなどまったく知らぬじゃろうが」

 佳乃が「どうしてですか?」そう理由を問いただすと、

「大半は蓮鹿によって殺され、わずかに生き延びたものたちも……」

「朝廷の暗部にでも根絶やしにされたでしょうね。翼人を歴史から完全に消し去るつもりなら、翼人や法術に精通している者達を生かしておく道理はないわ」

 話の続きを小百合が口にしていくと、庄治はゆっくりとそれにうなずいてみせる。庄治のその動作が、小百合の言った言葉が歴史の真実であると、そう物語っていた。

「もはや高野山に翼人を知るものはおらぬ。それはつまり、紗衣たちを阻むものは誰一人、あの場にはおらぬということじゃ」

「…なあ一つ聞きたいんだけど、庄治さん。なんであんたは、神奈備命の封印を解くっていうのに反対するんだ?」

 それは当然の疑問だった。和樹と小百合、法術の力を受け継いできた国崎の一族は、空に囚われた少女の呪いを解き放つ、すなわち、神奈備命にかけられた封印を解くことを目的としていたはずだ。紗衣のやろうとしていることも和樹たちと同様翼人の封印を解くことならば、彼らに任せておいたとしても、なんら問題はないように思えるのだが……。

「封印を解くこと自体はよい。わしも、そのことに対して異議を申し立てているわけではないよ。問題なのは、紗衣が封印を解いてしまう、ということじゃ」

「それ、どういう意味だよ……」

「いずれわかる。なによりそれを知ったとしても、紗衣たちを止められぬことに変わりはない。当時は高野山全域を金剛峰寺と呼んでおったからの。寺の数とて、十、二十の話ではない。高野山全域のどこかに紗衣たちがいる。たったそれだけの情報で、どうやって紗衣たちの居場所を探ると言うのじゃ。それこそ、山中に落ちた小石を探すようなものよ」

「そんな……なんとかならないんですか、せっかくここまで来たのに、何もできないなんて……」

「残念じゃが……諦めるしかないの。せめて翼人伝があれば、神奈備命の封じられた場所だけでもわかったのじゃが」

「翼人伝……私の父が持っていたようですが、蓮鹿に奪われて……蓮鹿が死んだときに所有していなかったことを考えると、おそらく紗衣に手渡しておいたのでしょう」

「翼人伝は紗衣の手元か。それは……打つ手がないの」

「そういえばこんな地図を父が持っていたのですが、なにかわかります?」

 手提げ鞄のなかから虫食いの、少し黄ばんだ紙切れを取りだし、小百合はそれを庄治に手渡す。地図に目を通した瞬間、庄治の表情が急変する。

「これは……」

「なにかわかります?」

「たしか小百合といっておったの。父親が翼人伝を持っていたのは事実じゃな?」

「えっ、ええ……」

「ならば本物と見て間違いないの」

「おい、一人で盛り上がってみるみたいだけど、いったいその地図なにが……」

 そこまで言って、和樹も地図がどこを指しているのかを感づいた。

 先ほどまでの会話のながれ、地図を一目見たとたん、確認するようになんども同じようなことを問いただす庄治の態度。それはつまり、

「示しているんだな、その地図が。翼人の封印された場所を……」

 

 

 八坂神社を出てから一時間ほどたっただろうか。勢いよく排気を上げながら、小百合たちの乗る車は速度を速めていく。

「にしても佳乃、本当によかったのか? 白穂って人のこと……」

「うん。気休めかも知れないけど、庄治さんに暴走しないよう力を抑えこんでもらったから」

「けど、いつまた白穂が表に出てくるかわからないんだろ。前になにかで読んだことがあるけど、人格が入れ替わる……二重人格ってのは極度に脳に負担をかけるらしくて、そのせいで、脳に障害が起こりやすいらしい。白穂のそれだって、ある意味二重人格みたいなものだろ」

「…でもあたし見ちゃったから、白穂さんの記憶。だから、あたしの見たことすべてを往人君にも伝えてあげたい」

力を抑えこんだことで、佳乃は白穂の持つ記憶のほとんどを知ることとなった。もちろん白穂の意思の暴走の可能性がなくなったわけではないが、以前までに比べれば、これは大きな進歩と言えることだろう。

「ああ……それは俺もわかってる。往人に伝えて、止めさせるんだ」

車の窓から空を眺めてみると、上空には雲ひとつなく、広大な景色がどこまでも伸び広がっている。宇宙の色が透けてほんのりと藍色のまじった、一切の濁りのない、澄み切った空。

 翼人、神奈備命。この空に囚われた、悲しみを帯びた翼。彼女をこの悲しみから解き放つ。それが法術士の一族と呼ばれる、国崎の血筋の人々の願い。

 庄治から聞かされた紗衣の正体、目的。それが本当に庄治の言葉どおりだとしたら、

「たとえ自己満足だとしても、間違っていることだとしても……」

 翼人は神の使い。星を司る神『星神』の使い。故に彼らの行い全ては正義となる。故に彼ら翼人につき従うものの行いもまた、全てが正義となる。

 




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