この子の可愛さ限りなや。

天にたとえば星の数。山では木の数、かやの数。

おばな かるかや はぎ ききょう。

七草ちぐさのかずよりも

大事なこの子がねんねする。

ねんねんころりよ おころりよ ねんねんころりよ おころりよ…。 

Next Summer 第一幕  はじまり

 

 編みこまれた緑の向こう、ずんぐりとしたカワセミの暗緑の羽根が、木々の切れ間からひっそりとその姿をちらつかせる。チーッ! チーッ! と、古い自転車のブレーキ音を思わせる鳴き声をカワセミが上げて、梢が激しく揺れる。

力強く翼をひろげ羽ばたくと、背の青色が空の色に重なりあい、文字通り翡翠のようなまばゆい光を放ち、カワセミは空へと帰っていく。

 一日の始まりを告げる山鳥たちのさえずり。車内から外に降りると、鼻を刺すような森林の緑特有の臭みがあたりに漂っていることに気づく。踏みしめた土はとても柔らかく、押しかえってくる弾力のせいか、靴が不思議なくらい軽く感じた。

 標識によると京都にはまだ入っていないから、滋賀県のどこかの山中なのだろう。渋滞に引っかかることがなければ、遅くとも昼前には京都につくはず。

薄着のシャツが肌にべったりと引っ付いていて、額からこぼれる汗がまぶたの上にたまり、涙のように落ちていく。指で汗を拭い旅行カバンからペットボトルを取り出すと、小百合は呼吸するくらいのペースでゆっくりと水を飲んでいく。特別急ぐような必要はないだろうが、紗衣や往人の所在がつかめない以上、時間を無駄にするようなことは避けたほうがいい。少し体を休めたら、すぐにでも京都に向け車を走らせたほうがいいだろう。

京都の伝承をしらみつぶしに調べるつもりで町を出た小百合だったが、和樹たちと合流して佳乃の話を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは翼人の伝承のことだった。ずっと昔、父さんたちと離れてあの町で暮らしはじめたとき、金輪際翼人のことなんて考えず生きていくつもりだった。それなのに十余年もたった今になって、ふたたび翼人の伝承を追うことになるなんて……。

奇異なめぐり合わせに、柄にもなく運命なんて言葉が頭をちらついている。

「なあ、母さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 和樹がそう言って話かけてきたのは、腰のあたりまで伸びた茂みに足を踏みいれかけたときだった。ささくれだった草の葉がちくちくと足にあたって、少し痛い。

「親父が死んだのは禁忌を犯した理由、蓮鹿を殺すという目的が叶ったからなんだよな。そして、蓮鹿自身も禁忌を犯していた」

「父さんと蓮鹿って人の会話を聞いていた限りでは、そんな感じだったわね。往人という人を見つけて役目が終わったから、自分の身体は朽ち果てようとしているって、そんなふうに言っていたわ」

「往人が法術を使えるから、って理由だけじゃないんだろ。蓮鹿や紗衣が往人を探していた理由。法術だけなら、別に俺でもかまわないわけだからな」

「それはたしかにね。でもその理由をここで考えても、答えが出るわけないわ。京都に行かないことには何も始まらない。いずれにしろね」

「すべては京都に行ってから、か」

 

 

 真夏の陽射しがまぶしい早朝。プラチナの髪をなびかせて歩く少女の隣を、長身の男が歩いていく。草木が青々とした色をつけ、鬱蒼とした緑を咲かしているにもかかわらず、男の歩幅はとても大きなもので、周りの景色になどまるで興味がない。そんな感じだった。

「翼人伝に具体的な人名が書かれていなかったのは、柳也が裏葉のことを想って、あえて描かなかったと言っていたな」

「うん。名前が記されてなければ、万が一朝廷が翼人伝を見つけたとしても、どこの誰が翼人のことを書き記しておいたかなんてわからないからね」

 往人と紗衣が京都にたどり着いたのは深夜のうちだったろうか。貨物列車の揺れがおさまったおりに抜けおりて、紗衣の案内で二人は右手に浅川が流れてゆく山道をゆっくりと下っていく。山稜からは朝日が顔を覗かせて、淡く大地を照らしていっていた。

夏の盛りだというのに、蝉の鳴き声すら聞こえない。ときおり横を走り抜けていく車の廃棄音だけが、軽薄な周囲の空気を埋めていく。 

「いったいいつまでこんな国道みたいな道を歩かせるつもりだ?」

「もう少しもう少し」

 そんな会話を、なんどもなんども繰り返す。列車を降りてそろそろ一時間はたつはずなのに、目の前の景色は一向に変化を見せない。灰色の地面が終わりなくつづき、苔の生えたブロック塀と、崖の下を流れる浅川が左右に並ぶ。

 俺をどこに連れていくつもりなのか……そんなことを考えているうち、

「…ここは」

「ふふん。見覚えのある景色でも見えてきた?」

 紗衣が上機嫌で言う。

山道から長い一本道に道路はかわり、ぽつりぽつりと家が姿を現しはじめ、やがて大きな広場に出る。幼いころここでやっていた祭りで、俺は母さんに出会った。広場のはずれには、すらりと伸びた石の階段。

「八坂の神社か……。いまさら俺をここに連れてきて、どうするつもりだ?」

「ん、なんなら往人はこの辺に残る? 神社に行くのは、ちょっと確かめたいことがあるだけだから」

「ここにいても暇なだけだ。付き合ってやるさ」

 二人して階段を見上げる。紗衣の小さな背丈では上まで見るのは大変らしく、上下になんども頭が揺れ動いていた。

「相変わらずここの階段は……一体何百段あるっていうのさ」

「数えてみるか?」

「冗談、具体的な数字なんて聞いたら、登る気なくなっちゃうよ」

 茶化しながら、足を踏みだして石段をあがりはじめる。軽く見積もってもゆうに五、六百段はあるだろう長い石段。平然とこの段数を湖葉が登っていたことを考えると、華奢に見えて実はそこいらの男なんかより、よほど体力があったのかもしれない。

 皐月のころには枝元から先端まで、何百と咲き乱れる花弁一枚一枚にまで血液を巡らし、たっぷりとした朱色をしていた梅の花はほぼすべてが散り落ち、のこぎりのようなぎざぎざを持つ薄緑のだ円形の葉っぱが、花のかわりに枝の一つ一つを鮮やかに照らす。

 一歩一歩を踏みしめるように、二人は階段を登っていく。やがて石段が終わりをつげ、突然に視界がひらける。

 茶色い木の幹がむき出しにされた鳥居、力強く地面から伸びる雑草。何一つ、神社の景色は変わっていない。十数年前にタイムスリップしてしまったのかと、そんなふうに思ってしまうくらい、何一つ。

「はいはい、感傷に浸ってる暇はないよ〜。和樹君たちが来ちゃったら、わざわざ急いできた意味がなくなっちゃうんだから」

「わかったわかった」

 景色を見てまわる暇もなく、往人は急かされるように紗衣とともに神社へと近づいていく。

「そういえば、往人知らないかな? 羽根が置かれてた場所」

「羽根? ああ、翼人の羽根か。それは知らないな。そもそもここに羽根があることすら、爺さんから聞かされてなかったわけだし」

「ふぅん。ならさ、神社のなかでどこか怪しい場所とかなかった?」

「怪しい場所って急に言われてもな……子どものころは仏像にばかり目が言っていたせいで、あれ以上に怪しいものなんてなか……」

 言いかけて、幼いころの記憶がゆらりと脳裏に影をちらつかせる。

「いや、たしか妙に重たい扉があったな。本殿からかなり離れた木の小屋。決して近づいてはならないと、そう釘を刺されていた。爺さんに内緒で一度なかに入ろうとしてみたんだが、どうやっても開かなくてな。それっきりそこに近づくことはなくなった」

 中に何があるか気になりはしたが、数日後に湖葉が来たせいもあって、往人は次第に木の小屋のことを、忘れていってしまった。

「きっとそこだね。場所覚えてる?」

「なんとなくならな。裏庭から行ったほうが早い。ついて来てくれ」

 長い廊下を抜けた先、入口の扉は黒く変色していた。そこだけが太古から変わらぬ、太古と同じ雰囲気を漂わせている。手を触れるとひんやりと冷たく、重圧的な何かの力が、外界と小屋の中とを遮断しているように思えた。

押しても引いても横にずらそうとしても、扉はいっこうに開く気配がない。

「鍵がかかっているわけじゃないみたいだが……」

「小規模な結界が張ってあるみたいだね」

 扉に手を振れ、紗衣は独り言のように小さくつぶやいてみせる。

「結界か、どうするんだ? 羽根があるかどうか確認しようにも、扉が開かないんじゃどうしようもないだろ」

「大丈夫、大丈夫。結界ってのは法術の応用なんだからさ、法術を授けたわたしたち翼人にかかれば、開けるのなんてお茶の子さいさいっ」

 紗衣が右手で何かをしたと思っているうち、微動だにしなかったはずの扉はあっさりと開き、長い間人の侵入を拒絶し続けていた扉の内側から、埃とカビとが入り混じったような強烈な匂いが漂ってきはじめる。

「法術に精通している人なら、結界を解くのはそう難しいことじゃないんだよ。さっ、入ろうか」

 小屋の中に入った瞬間、異常なまでの空気の薄さを感じた。どこか高い山の山頂にでも紛れこんでしまったように、奇妙なくらいに息苦しい。

酸欠からか、目の前がちかちか光ってみえる。片膝をついて、往人は荒い呼吸をなんども繰り返す。気を失いそうになり、頭に爪を掻きたて、痛みで意識をとどめる。

「辛いなら外で待ってる?」

 その姿に心配そうに紗衣が声をかけると、

「いや……問題ない」

 往人はそう返事を返す。とは言うものの、額にあてた右手の力を緩めることができない。意識がもうろうとしかけていて、無理やりに痛みを与えつづけていないと、そのままどこかに飛んでいってしまいそうだった。

「それより……おまえは大丈夫なのか? こんな場所だってのに」

「翼人ってのは丈夫なの。空の上は山なんかよりずっと空気が薄いしね。肺活量なら、普通の人には負けないと思うよ」

「はっ……うらやましいな、それは」

 まだ少しふらつくが、だんだんと意識がはっきりとしていく。小屋の外の空気とまじって、気圧がよくなったためだろうか?

 最奥に向けて紗衣が歩きはじめると、往人もそれに続く。突き当たりの部分に祭壇があって、一番上の棚に小さな羽根が横たわっていた。おそらく、湖葉の記憶に出てきた羽根と同じものだろう。

風もないのに、ひらひらとなびいている。

「これがおまえの探していた、翼人の羽根か?」

 指でつまんで問いかけてみたものの、紗衣は何も言わなかった。何も言わず、ただ小刻みに揺れるそれを見つめ続ける。

「本物だね。でも光は失われているか……どうにも、面倒な状況に」

「光? どうゆうことだ? 羽根がここに置かれてあるかどうか、それを確認しにきたんじゃないのか」

 聞かれて、紗衣は困ったように顔を曇らせる。

「うーん、ちょっと説明しづらいんだけど……力を失った、役目を終えた翼人の欠片たちは単なる羽根に戻る。それは知ってるでしょ」

「ああ、結希みたいな人のことだろ」

「うん。それとみちるもそうだね。役目を終えた羽根は、自分たちの見てきた様々な記憶を、空に眠る神奈備命のもとにとどける。本来なら、ね」

 意味深に、紗衣はそこで言葉を止める。

「裏切り……役目をはき違えた、とでもいうのかな。わたしたちのやろうとしていたこと、神奈備命を救おうとすることを、邪魔してくれた人がいたんだよ。空に帰ることもなく、内に力を秘めたまま、それは地上に残り代弁者を探しつづけて……」

「そのくらいにしといたらどうじゃ、紗衣」

 小屋の扉がひらき、年老いた一人の老人が姿を表す。

「おぬしの詭弁はもううんざりじゃ」

「爺さん……まだ生きてたのか」

 往人がそう言うと、庄治はゆらりと視線を横にずらし、長身を眼に捕らえる。

「あと半世紀は生きてやるといったからの。往人、おぬしに紗衣が目をつけていたことは、ずっと昔に気づいておった。仮におぬしが蓮鹿のような危険な思想に至ってしまえば、紗衣と手を組むようなことがあれば、裏葉や柳也の願いは粉々に砕かれてしまう。だからこそわしが引き取り、紗衣に行方がわからぬよう、必死に隠してきたつもりじゃった。なのに湖葉はおぬしを連れて消えてしまい、けっきょく、こうなってしまったわけじゃな……」

「母さんについていくと、そう決めたのは俺だ。母さんが悪いわけじゃない」

「元凶が誰かなぞどうでもよい。真実を知り、それを止めようとして……これがその結末とは、どうにも笑えんな」

『鳳翼不老不死以其羽記天命』

 古い書物ではたびたび、不老不死となったものを翼人と呼びならわす、というような記述が記されていることがある。

 むろんこの記述が誤りであることは確かなのだが、翼人が不老不死と誤解されていた大きな要因は、子孫に記憶を引き継がせてきたことにあるだろう。

記憶だけではない。薬学、知力、技能、翼人はなんらかの方法によって、それら全てを子に託してきた。

ではその何らかの方法というのが、法術としたらどうだろうか。

最初に法の力を翼人から教えられた男は、法術を用い数多の知識を後世へと伝えていった。一般にはこれは法の禁忌と広め、禁忌を犯せばその身は滅ぶ。俗世にそう残した。男が知徳と名乗りだすころには、真実を知るものは誰一人いなくなっていた。

「そして、今では庄治と名乗っていると」

「って、ちょっとちょっと、わたしを無視して話を進めないでくれる? だいたいさっきから黙って聞いていたら、人のこと勝手に悪人呼ばわりしてさ、あんまり酷いといい加減わたしも怒るよ!」

「たしかに、ぬしのやろうとしていることは正しいことなのかもしれん。じゃが、それで人が救われるわけではない」

「あー、もう! 自分の世界はいってるし……わたしは神尾さんや神奈備命を助けるために頑張っているの。忙しいんだからそこどいてよ」

「…嫌だといったら?」

 刹那、往人が飛び、庄治の首元を手刀で打ちつける。

「悪いな爺さん。時間が惜しいんだ」

 マネキンが倒れていくように、ばたん、と庄治の老体は床に崩れ落ちる。

「ひゅうっ、すごいじゃん。本当に大道芸人だったの?」

「力まかせにやっただけだ、すぐに起きあがる」

 小屋から外に出ると、まぶしいくらいに陽の光が射し込んできて、そのまぶしさに目を奪われそうになり、思わず目を閉じる。瞳を閉じ目の前が真っ暗になると、心なしか、身体が軽くなったように感じた。息苦しかった場所から離れ外に出てきたから、一時的に気分が楽になっているのだろうか?

 紗衣は目を閉じると、深く息をはいて背を広げる。白とも銀色ともつかない不思議な色の翼が一対、大空に向け伸びていく。

「飛ぶよ」

 往人をかかえると宙へと舞いあがる。どこまでもどこまでも、空の遥か高みを目指すかのように。

「それで、今度は何処へ?」

「封印されし地、始まりの場所。ここまで言えばどこかわかるよね」

「…金剛峰寺か」

 風の中、二人の姿は積乱の雲の彼方へ消えていく…。

 




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