Summer 第六幕 金剛石

 

 山道にもどった時は日没が近く、林の中は嫌にがらんと感じられた。斜光が木々を橙色に染め、闇を迎え入れていく。野営の場所をさだめ、柳也は背から荷を降ろした。

 裏葉が竹筒を手に川辺に向かうのを見て、「余も手伝おうぞ」と、めずらしく神奈が言って追いかけようとしたが、関が近いことを考えると、どこになにが潜んでいるとも知れず、近くで薪を拾ってくるよう伝える。

「む、柳也どの」

 神奈が言って、すぐそばにあった枝を指さす。

「胡桃か」

 枝に近寄ると、柳也はそれを木からひきちぎる。早成りしたわりにはずいぶんと大きく、滋養もありそうだった。

「食いたければ割っといてやるぞ。薪を集め終えたころに食べるといい」

「割るのはまかすが、食うでないぞ。それは余が見つけたものだからの」

「わかったわかった」

 適当に手を振ってやると、神奈は林の奥に走っていった。薄闇の向こうで、髪に飾っただけが西日にちろちろと光る。

 離れるなと言ったのに、ずいぶんと遠くにいる。だがそれもしかたないことかもしれない。昼間の神奈は、本当に嬉しそうだった。あれほど多くの人や物に接したのは、はじめてだったはずだ。興奮が大きければ大きいほど、終われば夢をつかむような心地になる。今の神奈には、じっとしているのはつらいだろう。

「………」

 手のひらの中に、胡桃がある。

 意識からそれ以外の事象を追い出し、すうと息を吸いこんで、とめる。下手投げで胡桃を放る。同時に、太刀を抜き放った。

 かしゅっ。

 かすかな音が夕闇をふるわせた。流れのままに太刀をおさめると、胡桃は両断され地面に落ちていた。

「…ふう」

 どうやら腕はにぶっていなかったらしい。

「隠れてないで出てこいよ。裏葉」

 木立の背後に呼びかけると、若苗の着物が音もなく現れる。

「…それほどの技を、どちらで?」

「こんなものはただの座興さ。胡桃が一つ割れたところで、今生は渡れない」

 裏葉は何も答えず、腰をかがめて胡桃を拾い集めた。

「それを神奈に渡してやってくれ。太刀を使ったことはいうなよ。胡桃も生き物だ、なんてごねられたら困る」

「余を主とするかぎり、今後一切の殺生を許さぬ。ですか」

「その誓い、俺が本当に守ると思うか?」

 たわむれに訊ねると、裏葉の表情が変わった。

「神奈さまにはかたく口止めされているのですが……社をした夜のこと、山中の沢筋で、柳也さまは『ここから動くな』とお命じになられました。覚えておいででしょうか?」

「ああ」

「あのあと、追っ手の呼び子を聞いた時、神奈さまは半狂乱でした。『柳也どのが追われておる、余が出向かねば殺されてしまう』と。わたくしが策略だと説いても、お聞き入れくださりませんでした」

 あの雨の夜。のような神奈の怒り。

俺を救いたい一心で言いつけをやぶり、探しもとめ……そして見つけたのは、敵の命乞いを聞くことなく、太刀を振り下ろそうとした俺の姿。

「そうだったのか……」

 あとに続ける言葉が見つからなかった。左腰に吊った太刀の緒が、じんじんと疼いているように感じた。

 裏葉は微笑み、おだやかに言葉を続ける。

「おそれながら、柳也さまは不殺の誓いをお守りになるでしょう」

「なぜそう思う?」

「あの時、『その者を斬り捨てよ』と神奈さまが命じられたなら、柳也さまはどうなさいましたか?」

「…怒っただろうな。『人の生命をかるがるしく扱うな』って」

「そうでございますよね」

「大人は童子に範を示してやらないとな」

「そのとおりでございます」

 いつかのように、ふたりして笑う。

 関のあった地点から山を一つ越し、街道を離れると、山中をすすみ沢合で野営する。それを何日も続けていった。さしせまった危険を察したからではない。神奈が市で目立ちすぎたので、念には念を入れてだ。

 追っ手にとって、神奈はあくまで貴人の姫君。山奥で野猿なみの暮らしをしているなど、思いもよらないにちがいない。こちらから街道に近づかないかぎり、見とがめられる恐れはない。

「あちらに見える村が、なにやら妙な風なのだ」

 神奈がそう言って林の端に柳也と裏葉を急かさせたのは、山裾に陽が完全に沈みこんだあとだった。

 ついと、細い指で神奈が指し示すその先、薄闇におおわれるように小さな山間の村が見える。何かを用意しているのか、開けた場所に足場を組んでいるのが見えた。

「物見櫓か…?」

 神奈たちを奥に隠そうとして、裏葉の訳知り顔に気づいた。

「あれは、祭のようですね」

「祭とな?」

「神様に感謝と願いを届ける儀式でございますわ」

「あの村にも社があると申すか?」

「いえ、一口に祭と言っても色々なものがございます。まつられる神もまたさまざまです。あちらに見えますのは、火祭のようですね」

 村人たちは、手に手に木切れを持ち寄っている。男たちがそれを受けとり、櫓に運びあげる。

「あの櫓の最上にて、炎を焚いて祈ります」

「なにゆえにか?」

「ほんのわずかでも神さまに近づくため、でございましょうか」

「そうか……」

 わかったのかわからないのか曖昧にうなずいて、村に視線を戻す。夕風に乗って、の音が流れてきた。祭が始まったらしい。

 うねるような太鼓の拍手を、笛が追いかける。雅楽とはおもむきの異なる、にぎにぎしく素朴な節回し。櫓の上にぽっと炎がともり、またたきはじめた星を目指し煙が昇っていく。人々の歓喜がそのあとを追う。

 神奈はそれをじっと見つめ続けていた。自分とは無縁の幸せを垣間見る、それはまるで、隠者のようで……。

「神奈さま、もっと近くでご見物なさいませ」

「よいのか……?」

 神奈の姿にたまらない辛気を覚え言い放った裏葉の言葉に、神奈は輝かせた瞳をあやふやに伏せる。

「林から眺めるだけならな。輪の中に入るのは駄目だぞ」

 警護担当にとっては、これが最大の譲歩。

「よい。では、余を祭まで案内せよ」

「お供つかまつります」

 林を下るにつれて闇が満ちていく。おそらく、木々が月光をさえぎっているからだろう。祭の音が、だんだんと近くなってきた。

「神奈さま、こちらならよく見えます」

 裏葉が言って、神奈が横に並ぶ。

「おお……」

 瞳を凝らし、思わず声をあげた。

 祭はまさに。燃えさかる火櫓の周りに、たくさんの村人が輪をなしている。ある者は空を仰ぎ、煙と炎の行方を追う。ある者は一心に舞い踊り、衣の裾を滑らせる。囃子はいっそう高く響き、炎と闇が人々を一つに結ぶ。太古から続く寿ぎの調べが、天に還って行く。

「なにゆえにみな、あれほど楽しげなのだ」

 舞い踊る人々から視線を外さず、神奈がつぶやいた。

「あの火の粉を浴びますれば、息災に過ごせるのだと聞きます。みな、信じているのでございます。願いは必ずや天に届くと」

 願いは必ずや天に届く。そう聞いたとき、神奈の肩がぴくりと震えた。

「だれが、願いを届けるのだ?」

 たじろいだ裏葉の顔を、濁りのない瞳が覗きこむ。

「余は神になど会ったこともないぞ。幼きころより何遍もためしたが、余は空など飛べぬ。社殿の屋根より飛びおりた折も、木の葉ほども浮かばなかった。どんなに羽ばたいたとて、余の背羽は空を切るばかり。余の背羽は、益体もないまがいものぞ……」

 ごうと音を立て、炎が燃えさかった。降りかかる火の粉に笑い声がまじり、紅蓮を映した神奈の瞳が、どこか虚ろに揺らぐ。

「それでも願えば、天に届くと申すか」

 心細げに震える背に、裏葉がそっと寄り添った。粗末な袖で神奈の身体を被う。それはまるで、嵐に迷った水鳥が、こごえた雛を羽毛でつつむようで……。

「…届くさ」

 深淵に冴えわたる光明の光。思わず声を発していた。

「願いを心に想えばそれだけでいい。おまえの願いはきっと叶う」

 いや……叶えてみせる。

 見開いたままの、あどけない瞳。その先に、神奈の願いはたしかにあった。幼子を抱き、幸せそうに笑う母。温かな母の胸で、きゃっきゃとはしゃぐ娘子。

どこにでもあるはずの、どうということはない夏祭りの光景。

 夜気にさらされたまま、三人はずっとそこにいた。祭の炎はいつまでも、夏の夜空に照りはえていた。

 祭の夜から数日。

 三人はクヌギの木陰で涼をとっていた。森の中には、降るような蝉の声が満ちている。しかし、暑いというほどではない。吹き渡る風も、どこか空ろな気配をのぞかせる。

夏はさかりを過ぎようとしていた。それなのに、柳也は汗だくだった。朝からずっと、面白くもない書を読み続けているせいだ。

『願いをかなえてやる』と大口をたたいたまではいいが、母君の居場所がわからないのでは話にならない。

 しかし関が設けられている以上、街道には近づきたくない。頼りは社殿から持ち出してきた文書だけだった。

「…もののけにむかひて物語りしたまはむとも、かたはらい…これも違うか」

 放り投げた書が、地面でぱらぱらとめくれた。大きく伸びをしながら、視線をとなりに送ると、裏葉がみじろぎもせずに巻物をたぐり読んでいる。

「裏葉、なにかわかったか?」

「いえ、これと言って」

「そうか……」

 裏葉はつとめがら、仮名も真名も読みこなせる。それに比べ、俺に読み書きの素養はない。書状くらいならどうにでもなるが、漢書はおおよその意味しかわからない。ただ、おおよそながらも少しずつわかりかけてきたことがある。

 翼人という存在が、いかに謎めいたものであるか、ということだ。同じ書の中で、扱いがまったく正反対の場合さえある。人に知恵と知識をさずけた、貴ぶべき神。

 かつて地上に災厄をもたらし、人により掃討された悪鬼。最後にあたった古い書物には、こんな記述があった。

『鳳翼不老不死以其羽記天命』

 不老不死…か。

 ちらりと視線を向けると、神奈はこの前の市で裏葉が手に入れてきた地図をまじまじと見続けている。そんなことをして何が楽しいのか……正直、俺にはまったく理解できない。地図を見るのも一段落ついたらしく、神奈がこちらに歩み寄ってくる。

「ずっと書をよんでおったが、何かわかったのか?」

「まあ、少しは……だがおまえがいた社や、南の社のことはどこにも書かれていない。なぜそこまでして翼人のことを隠す必要があるのか……」

「ふむ……この地図を見てもわからんのか?」

「古い書にさえなにも書かれていないんだ。そんなものがあっても――」

 言いかけて、神奈がちらつかせていた地図に違和感を覚え、

「ちょっと見せてみろ」

 半ば強引に奪うと、それを地面に敷き広げる。

「この森の大きさから察するに……そうか、だからあの物乞いは……」

「なにを一人で勝手に納得しておる。余にも説明せぬか」

「ああ、悪い。神奈、裏葉、ちょっと来てくれ」

 二人をそばに集めると、懐から一枚の地図を取りだし、それを先ほどの地図と並べる。

「これは市で裏葉が買ってきたものと、社から持ち出した社殿付近の地図だ。

市があった場所がここ。神奈、市で物乞いにあったことを覚えているな」

「当たり前であろう」

「市から東の方角、老人が歩けば、ちょうど三日か四日程度の距離に小さな村がある。ここまではいいな」

「だから、なんだと言うのだ。あの物乞いが本当のことを申していただけであろう。なにゆえ、そのようなもったいぶった口ぶりをする」

 声を殺し、神奈と地図とを目で行き来する。喉元にたまった唾を飲み込むと、ごくりっと、波打つように喉仏がゆれる。

「神奈、おまえのいた社殿は森の奥深くにあった。老人がいた村のすぐ隣には、巨大な森林地帯が広がっている。そして吾妻の傭兵、いわゆる、武者の集団に襲われた」

 神奈と裏葉が、息を呑むのがわかった。俺がなにを言わんとしているのか、それを理解したようだ。

「神奈備命の社殿を襲った傭兵の一団は、その勢いで南へ移動。社殿ごと翼人を次々と殺していき、そしてその勢いで都……翼人を失った朝廷へと押し寄せる」

「都へ向かうことは、ないと思いますが……」

「なにゆえだ?」

「あ、いえ、都より南にも翼人の社殿はいくつかございます。ですから、朝廷へ攻め入る前にそちらから、と考えた次第で……」

「ふむ……どちらにせよ、ここで言い争うよりは南に向かったほうが幾分ましか。とはいえ、吾妻の傭兵が北から順に社を燃やしているとしたら、あまり時間的な余裕はないな。神奈、母君と別れたときのこと、なにか覚えてないか?」

 訊ねたとたんに、嫌な顔をされた。

「覚えていないと再三申しておるであろ」

「母君のことでなくてもいい。何でもいいから覚えてないか? 最初にいた社の様子とか、旅の道のりとか、何かないか?」

 藁にもすがる思いで訊き続ける。結局、手がかりになりそうなものは神奈の記憶以外ないのだ。

「幼きころは、社をうつるのはまことにつらい旅であった」

 やがて何かを思い出したらしく、神奈は静かに語りはじめる。

「乗りたくもない牛車に詰められ、歩くことも許されぬ。車の中は地獄のように蒸し暑いのだ。牛車に乗せられそうになるたび「嫌だ嫌だ」と叫んでおった。隋人の男が礼儀知らずの大うつけでの。余が従わぬと、『おまえも金剛に封ずるぞ』などと脅してな、それで仕方なく乗っておったのじゃ」

「…金剛に封ずる?」

「聞きわけのない翼人は、昔からそうするものと決まっておるそうな。あのころはもの知らずだったゆえ、それは脅えたものぞ」

「金剛というと、宝石だろ」

「はい。この世でもっとも硬く、また美しいものと伝え聞いております」

「して、どうやって余をそれに封じるのだ?」

「そんなこと、俺に聞かれたって分かるはずないだろ。ひょっとしたら翼人ってのは小さく折りたためるのかもしれないな。金剛に押しこめておけば静かだし、異動のときも便利そうだ」

「この痴れ者が……」

「柳也さまっ!」

 とつぜん裏葉が叫んだ。

「なんだよ、いきなり」

「南の社というのは、神社とはかぎらないのでは?」

「ああ?」

「貴人を衆目から隠すには、をかつがせましょう? あるいは、などを……」

「袈裟? 神社ではなく、寺院に隠すという意味か?」

 わからずにいると、裏葉は都周辺の壮大な絵地図を地面に広げなおす。

「このあたりが神奈さまの社。こちらが都でございます。を越えて、さらに南に下りますと……」

裏葉の指が、地図の一点を示した。

「ここに金剛がございます」

 正しくは、それは広大な山郡そのものを表していた。俺は二の句もつげられなかった。裏葉が辿り着いた答えが、それほど突拍子もないものだったからだ。

 意に従わない翼人は金剛に封じる。金剛とは何のことか? 悪鬼を封ずるほどの力を持つ『社』とはどこなのか?

「…ここが真言の霊山。高野山、金剛峰寺でございます」

 

 

 都より西方の大きな樹海。日は落ち、静まりかえっているはずの夜の薄闇のなかを、紅蓮の輝きが空へ向けて立ち昇る。

 長槍を手に手に掲げた武者装束の集団が走り、老若男女関係なく、悲鳴が途切れることなく響きつづける。

「国司どのっ!」

「どうした? 何かあったか」

 報告に駆け寄ってきた兵に奇怪さを覚え、蓮鹿は問いかえす。

「この社殿には、どこにも翼人がおりませぬ」

「いないだと、そんなはずはない。よく探したのか? 他の場所ならばともかく、ここにあの翼人が奉られていることは周知の事実であろう」

「いえ、我々がきたときにはすでにも抜けの殻。社殿のものに問いただしてみても、ここには翼人など存在しない、と」

「く、まあいい…手がかりすらないのでは探しようがない。兵を集め行軍の準備を整えておけ。悪鬼の社は近い。みなにも気を引き締めるよう伝えておけ」




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