Summer 第五幕 市と関と

 

 山路から街道沿いに下ると、今までにない賑わいを見せていた。さまざまな装束の人々が、老若男女を問わずひっきりなしに行き来している。

「市が立っておりますね」

「市とはなんだ?」

「品々を取引する場でございます」

「ほお……」

 神奈は瞳をいっぱいに見開き、きょろきょろと辺りを見渡している。社殿で過ごしてきたせいか、俗世のことを何一つ知らず育ってきたのだろう。

「随分と大きな市のようですね」

 都より下ってくる産物が、主に商われているらしい。ただの道ぞいにこれほどの市が立つというのは意外な感じだった。

「見よ見よっ。(うわぐすりを用いない素焼きの陶器)が山をなしておるぞ」

「待て」

 我を忘れて駆け寄ろうとした神奈の襟首を、すんでのところで捕まえた。

「いいか、大声をあげたりさわいだりするなよ」

「わかっておる。余もそこまでおろかではな……む、裏葉あれは何だ?」

 言ったとたんに、別の物に気を取られる。

「鳥梅と申しまして、疝気のお薬でございます」

「あの途方もなく酸っぱいやつだな。では、それは何だ?」

「でございますね。以前神奈さまがつまみ食いされて、ひどくおあたりになったものです」

「あの時は死ぬかと思うたぞ……では、これは?」

「でございましょうか。以前神奈さまが度をこしてめしあがり、たいそうお暴れになったあげくに……」

「いちいちつまらぬことを申さんでよいっ」

 うしろをとぼとぼと歩く柳也は、内心うんざりしていた。やかましいことこの上ない。

「神奈。俺がさっき、なんて言ったか覚えてるか?」

「大声をあげるな、さわぐな。であろ」

「わかってるなら少しは黙れ」

「よろしいではございませんか。これほどの活気があれば、少々の騒ぎなどかき消されます」

「そうは言うが、俺たちはお尋ねものだろ」

「はあ……ですが」

 裏葉の指し示す指の先。

「裏葉、裏葉っ。こっちに来てみよ。まことに珍奇な形をしておるぞっ」

 神奈は好奇心そのままに目に付くもの一つ一つをたずね歩いている。ようするに、もう手遅れだった。

「おいそこの者、この白い棒杭はなんと申すのだ?」

「すずしろ(だいこん)だよ」

「でたらめを申すでないぞ、無礼者。すずしろといえば、かゆに入れる草のこと。この図体では椀におさまらんぞ」

「…あんた、どこの御殿のお姫さまだね?」

「ここより十日も歩いた山の……ふむぐっ」

「いやこの娘、少しばかりおつむが足らず難儀しておるのだ」

「それはお気の毒なことで」

「むむふむ〜。ふむむむふむ〜ふむむむ…」

 頭の足りない娘を笑顔ではがいじめにしたまま、そそくさとその場を離れる。

「…ぷはっ。誰の頭が足りんと申すかっ!」

「おまえ以外に誰がいるんだ。裏葉も気をつかってく――」

 言いかけて、

「いやしねーし」

 きょろきょろと周りを見わたすが、裏葉らしい人影はどこにも見当たらない。名が知れわたっている恐れもあるから呼びかけてみるわけにもいかないし、どうしたものか……。

「裏葉ーっ、どこにおるかーっ! 裏葉ーっ!」

「だああっ、やめろ!」

「むがーっ」

 じたばたじたばだじたばた。

「暴れるなっ」

「うーっ」

 がぶっ。

「いててて、噛むな噛むなっ!」

 まさに、阿鼻叫喚であった。

 

 

 裏葉は一人、街道のはずれにいた。

大きな市とはいっても、ここまで離れると賑わいはほとんどなく、人々の行き来もまばら。商を扱うものはもうどこにもいなかった。

「文にはこのあたりと書いてありましたが……」

 夜晩のうち、なんどか遣いの者が伝達に姿をあらわした。昨夜の文に、この街道沿いに訪れていると書かれていて、だから裏葉は山を降りるよう柳也に促したのだが……。

 あたりを軽く見ましてみたが、探している人物はどこにも見当たらない。ほんの十丈ほど向こうの橋に、大きな人だかりができているのに気づく。おそらく、あそこにいるのだろう。裏葉がそちらに向かおうとすると、

「向こうは関だ。あまり近づかないほうがいい」

突然男の声が響いて、引き止められる。

大葉子の草地にまぎれ、の着物の男が姿を現す。

「このような場所でおさぼりになられていて、よろしいのですか?」

「人手など余るほどいる。俺一人が欠けた程度、そう問題にはならん」

「国司ともあろうものがそのような……」

「国司といってもまだ史生、それも七光りでなれたようなものだ。高田の家の者は霊力だけでなく権力も強く有しているからな。上役どもは、誰も俺に期待などしてはいない。もっとも、だからこそおまえとの連絡が容易に行えるのだが」

「たしかに……わたくしが神奈さまの側近になれたのも、お家の力の影響が大きいとは存じますが」

 裏葉が探していたのは自分の。朝廷から地方官として諸国に赴任された、高田蓮鹿という男。

「兄様、さきほど関が設けてあると申されておりましたが……それではまさか」

「ああ、翼人を始末するよう指示したのは朝廷だ」

「やはり……」

 以前神奈が言っていた太政菅の叛旗。裏葉は元よりそれに疑問を感じていた。

蓮鹿の話によれば、現在の朝廷は上から下まで全て平家によって構成されていて、団結力はとても強固なものらしい。そしてなにより、平家が平家を倒そうとするのもいささか奇妙な話だろう。とはいえ、蓮鹿をとおし朝廷の内情をよく知る裏葉に比べ、それらの情報に乏しく、詳細を知らぬ神奈や柳也ならば、帝からとされる文を信用するのも無理はない。

「兄様は朝廷が翼人を消そうとしているのを知って、いまなお朝廷に忠誠を誓うおつもりですか」

「しかたのないことだろう」

「社殿もろともわたくしを焼き殺すことすら、「しかたのないこと」で済ますおつもりですか? それに、あの社殿で暮らしていた翼人は……神奈さまです」

「ふざけたことを言うなっ! 神奈は死んだ」

「いえ、生きております。わたくしと、文でもお伝えしていた柳也さまと共に、南の社にいると噂される母君を捜しもとめ、旅を続けております」

「………」

「いまからでも間に合います。兄様もわたくしとともに、神奈さまの元へ向かいましょう。神奈さまの母君も、きっと兄様と逢うことを切に願われておられるでしょう」

 言って、裏葉は手を差し出す。

 失ったもの。届かぬ心。手を伸ばせばすぐそこにあるもの。けれど、それをつかむことはできない。自分はもう、汚れすぎていたから。だから……。

 蓮鹿は裏葉の手に自分の手を重ね、そして、強くはねのける。

「設けられた関は、翼人を見つけ出すためのもの……そして、俺は国司だ。今すぐに此処より消えろ。でなければ、おまえを餌に翼人をおびきだす」

「兄様っ!」

「早く行け、見逃すのは一度きりだ。次はない」

「兄様……」

 遠ざかっていく兄の背中はとても大きく、そして、とても悲しい気配を漂わせていた……。

 

 

「暮れてきたな……」

 情報を集めるつもりが、神奈のお守りで半日終わってしまった。あれだけにぎやかだった市も、今は閑散としている。市女たちが店をたたみ、ぽつりぽつりと去っていく。

 夕陽が山際にせまり、喧騒も褪せていく。昼間の熱気を惜しむように、ひぐらしが澄んだ声をひびかせている。

「くすぐったいというに……いい加減にせいっ!」

 神奈の周囲を駆け回っているのは鷹。くちばしは鋭く曲がり、脚には大きな鉤爪を持つ獰猛な鳥。店主が狩りのために特別に育てた鳥らしい。本来なら近づくことさえ危険なはずなのだが……。

「鳥獣のぶんざいで余をからかうとは無礼千万! こら、空に逃げるでない!

そのふざけた尾羽、根こそぎひん抜いてくれようぞ!」

 羽根のある者同士、楽しげに語らっている。

「うちの鷹は、特に獰猛なはずなんだがなぁ……」

 店主も目の前で起こっている光景に、不思議そうに声を漏らす。

 翼人……翼を持つ人か……。

 自然、生き物と調和できることこそが、翼人の素晴らしさなのかもしれない。このまま翼のあるもの同士遊ばせておいてやりたいところだが、そろそろ裏葉と合流しなければ夜になってしまう。

 神奈を鷹からひっぺがすと、また歩きはじめる。

「…お武家さま」

 か細い声で振り向くと、痩せこけた物乞いが、道端にうずくまるようにしていた。

「お武家さま、どうかお慈悲でございます」

 太刀を履いているだけで『お武家さま』とは気前がいい。立ちどまると、それを合図に物乞いは口上を言いはじめた。

「三日前に郷を追われ、着の身着のまま逃れてまいりました。追いはてたこの身では、これより先は歩くことさえままなりませぬ」

「戦か?」

「わかりませぬ」

 悲しげに首を振る物乞いを、柳也は警戒をとかず見あらためた。怪しい様子はないし、武器を隠しているようにも思えない。

「あらあらしき武者装束の一団にただ『立ち退け』と命じられ、家屋敷はおろか田畑も召し上げられました。村の者も散り散りとなり、私のごとき身寄りもない年寄りは、ただ途方に暮れるばかりでございます」

「それは災難であったの」

 物乞いさえ目新しいのか、神奈が身を乗り出すようにして答える。

 その顔を、物乞いはまじまじと見つめ返してきた。

「そちらの娘さまは、もしやいずれの高貴な血筋を引くお方では?」

「おお、そなたわかるか……」

 勢い込んで答えようとしたものの、神奈はすぐにはっとなって咳払いを一つ。

「断じてちがうぞ。余はなにひとつ怪しいところのない、かわいらしい村娘である」

「………」

 言いたいことは色々あったが、物乞いの前で迂闊なことを言うわけにもいかず、あえて黙っておくことにした。

「なにをぼさっとしておる。この者になにかとらせるがよいぞ」

「なにかと急に言われてもな……扇子ぐらいしかないぞ」

 たしなみで袖にしのばせてはいるが、開いたこともない。

「たいした品ではないが、足しにはなるだろう」

 扇子を取り出して、物乞いの前に置いてやる。

「かたじけのうございます」

 扇子を顔の前でささげもち、物乞いは深々と平伏する。

「このご恩は忘れませぬ」

 そして二人は物乞いから離れた。背後では、いつまでもひれ伏して見送くる気配があった。

「よいことをしたの」

「そうとは限らないけどな」

 上機嫌の神奈を制止させると、「なにゆえだ?」と問いが返ってくる。

「りかもしれないってことさ。俺だって食うに困ればだましもすれば誉めもする。物乞いの身の上話など、信じるほうが馬鹿を見るというものだ」

「ほんにおぬしはうつけよの。あの者が痩せ細っておったのは、相違ないであろうに」

 当然の顔で論されて、思わず俺はうなってしまった。たしかに、言われてみればそのとおりだった。

「神奈さまのお優しいお心遣い、感激いたしました!」

「むぉ、裏葉いたのか」

「はい。ただいま戻りました」

 言いながら、神奈を強く抱きとめる。

「痛っ! こら裏葉、やめい」

 悲鳴を上げる神奈とは裏腹に、裏葉のほうは満面の笑み。

「痛い! 痛いというに、ええい、いい加減はなさんか!」

「神奈さまが愛しすぎるのがいけないのでございます」

 ひょうひょうと裏葉は告げると、くるりと柳也の方へと向きなおる。

「そうそう、柳也さま。街道沿いは危険ですので、やはり山路に戻りましょう」

 何かあったのか、と問うと、裏葉は柳也の耳元に唇をよせてきた。

「橋を渡った先に、関がもうけてあります。わたくしたちのことも知られているやもしれず近くには寄れませんでしたが、若い娘だけを選び衣をはだけさせ、背を改めておりました。背中の羽根をたしかめようとしていると思われます」

「そうか……ならば街道を使うのは無理だな」

 今夜は野宿し、渓谷を迂回するため道を探さなければならない。

「しかし裏葉、よく関に気づいたな」

「ここは市が立つにはいささか不便な場所でございましょう。いぶかしく思っておりましたところ、『関止めで市が移った』と小耳にはさみましたので、あるいはと」

 すらすらと裏葉は詭弁を並べていく。

「わかった、助かったよ。山裾までもどって、そこで飯にしよう」

 柳也はそれに気づく様子もない。ある意味当然であった。相手を陥れようとするからこそ、嘘はばれるのだ。自分に非を感じていないのならば、それを嘘と見抜くことなどできはしない。

「ところで裏葉、おまえ『市を見るなら神奈がいると邪魔だ』とか考えなかったか?」

「そんな不敬を思いつくのは、柳也さまだけでございます」

 丸々とふくれた布包みを胸に、涼しい顔で答えたその目が笑っている。

「たくっ……おまえは」

 今度の嘘は、すぐにばれた。