Dream 第三幕 えがお

 

 終業式が終わり一応は夏休みに入ったが、それでも観鈴は翌日も学校に登校した。なんでも成績が悪く早退が多かったので、これから数日は補修が続くらしい。ご苦労な話だ。

観鈴を学校まで送ったあとは暇になるので、ここで一番人が集まる場所はどこか聞いてみると、商店街だと観鈴は教えてくれた。

校門まで彼女を見送り、そこを離れる。

 ゆっくり道を歩いていくとまばらに店が見え始め、やがてずらりと商店が立ち並ぶ。こんな田舎町にも少しは都会的な部分が残っていたのか。少しだけ、意外に感じる。書店の横にひときわ大きな鉄筋コンクリートの建物があるのを見つけ、気になって近寄ってみる。

なんなのだろう、特に何かの店というような看板も見当たらない。そろそろと玄関のガラス戸に手をふれると、鍵はかかっていなかった。ゆっくりとガラスをスライドさせドアを開く。

中にはテーブルが一つと椅子が二つ、備え付けのソファーも置いてある。

喫茶店にしては妙だよな。

一通り店内を見渡してみるものの、テーブル上にはハシもなければ塩もない。唯一置いてあった新品のように真っ白なタオルからは、わずかに消毒薬の香り。それがピリピリと鼻を刺激する。

「そこで何をしている」

ビリッと、体中に電気が走りまわるような感覚に襲われる。

「こんな昼間から泥棒か? あいにくうちには売れるようなものはないぞ」

誰もいないと思ったらいきなり怒鳴られただけでも驚いたっていうのに、さらに泥棒呼ばわりまでされて黙っているほど俺は人間ができてない。

「冗談じゃない。鍵がかかってなかったのに、店内にだれもいなかったから気になっただけだ」

怒鳴り返してやると白衣の女が両腕を組みながらずんっ、と構えていた。なぜだか妙に自身たっぷりな表情。

「ふむ。不法侵入にかわりないな、警察に突き出してやろうか」

「…ゴメンナサイユルシテクダサイ」

そんな場所には行きたくないので無難に謝っておく。

「ふっ、冗談だ。本気にするな」

 そう言って笑われる。とりあえず、不法侵入したことは許してくれたみたいだった。

「ところで、この店はなんなんだ? 見たところ何か売っているわけでもなさそうなんだが」

「見てわからんか。診療所だよ、診療所」

「診療所?」

なるほど。そう考えればタオルや店内がやたら清掃されているのも納得がいく。

「ただいまー」

ガラス戸が開きショートカットの少女が現れた。観鈴と同じ制服を着ているということはこいつも同じ学校ということなのだろうか。

「ん、そっちの男の人誰かな」

「うちに入ろうとした泥棒だ」

「…違う」

「ほぇ、泥棒さん」

「信じるな」

「誘拐魔だ」

「ほぇ、誘拐魔さん」

「だから信じるな!」

どうしてこの町のガキはこう単純なやつが多いんだろう。それとも遊ばれているのか?

「そういえば、自己紹介がまだだったな。私は。一応ここの院長をしている。こっちは妹のだ」

 聖と名乗る女性が、自分と妹の自己紹介をする。そうなると、一応俺のほうも自己紹介を済ませておいたほうがいいだろう。

「国崎往人。少し前にこの町に来た」

自分のことをそう名乗って見せると、聖の顔がけげんそうな表情にかわる。

「国崎……?」

「どうかしたのか?」

「ああ、いやなんでもない。国崎なんて珍しい苗字だな、と思っただけだ」

それっきり考え込むように目を細めてしまった。

どうしたものかと立ち尽くしていると、聖の妹(たしか佳乃とか言ってたな)の腕につけられた黄色い巨大バンダナが目についた。

…なんだあれ。でかい、三十センチ近くはあるかもしれない。あれだけでかいと邪魔にならないのか? というか風呂に入るときはどうしてるんだ、いちいち外すのか?

俺の視線がバンダナ向かっているのに気づくと、佳乃は腕に巻かれた黄色いそれをちらつかせる。それにあわせて俺の首も左右にゆれる。

「どうしてこんなものしているのか教えてほしい?」

「ああ」

「本当にー?」

やたら嬉しそうに佳乃が言う。なぜか教えたいようだ。そんなことを言われると、

「嘘だ」

つい言いたくなった。

「ふふふ、だめ教えてあげない」

華麗に無視された。

「ねぇ、往人君」

俺のことらしい。君づけで呼ばれるのは初めてな気もする。

思わせぶりなそぶりを見せながら、佳乃は体を左右にゆったりと揺らし、

「魔法が使えたらって、思ったことないかな」

かすかにそうつぶやいた。

魔法……ふと、ポケットにいれた人形に手が触れる。そういえば、これもある意味魔法といえるかもしれない。

「使えるから思ったことはないな」

えっ、と驚きの表情を見せる佳乃を尻目に人形を地面に置くと、念をこめる。

ひょこ。人形は意思を持ったように立ち上がると、院内をてくてくと歩き始める。絶好調だ。佳乃だけでなく、聖まで目を奪われている。

「うわー、すごい」

「しかし……、つまらんな。ただ歩いてるだけのようだし」

人形を凝視しながら聖があわれそうに言う。

台無しにされた…。

「これはどうやって動かしているんだ?」

俺のショックなど知るよしもなさそうだ。

「それが知りたければ出すものを出せ」

「なんだ?」

「見物料だよ」

「ち、ちゃっかりしているな」

「一応これで生活費を稼いでいるんでな」

こうやって人形を動かして劇をやり路銀を稼ぐ。大道芸人と呼ばれる生き方。そうやってこの町までたどり着いた。ただ聖の言うとおり、あまりウケはよろしくない。

丸一日やって、やっと夕飯が食えるか食えないか…。

聖は白衣のポケットからコインを一つ取り出し、俺にむかって投げ捨てる。蛍光灯の光を反射しながらきれいな曲線を描くそれを掴む。手を開くと、ひんやりと冷たい百円玉が一つ。

思わず聖をにらむ。

「大道芸のおひねりならそれくらいが妥当なところだろ」

正論だった。

「ち、わかったよ」

百円玉をポケットにねじこむと、人形を足元に引き寄せる。

「法術っていう力だ。手をかざすだけで物を自由に動かすことができる。昔から俺の家系に代々伝わってきた力らしい。昔はもっとすごいことができたらしいが……」

人形を自分のズボンのポケットによじ登らせる。

「今じゃこんな人形一つ動かす程度のことしかできない」

「法術な。物を自由にということは、別にその人形でなくても、動かそうと思えば動かせるということか」

「まあ、そうだな」

聖の白衣の胸ポケットのボールペンに狙いを定め、それに念をこめる。

ひゅっ、とペンがポケットを離れるとゆらゆらと宙を浮遊する。

「ほう」

感心したように聖がまた声をあげる。

「見物料くれ」

「さっきやっただろ」

ケチとでも顔に書いてやろうと、ペンのキャップをはずして、聖の顔にボールペンの先を近寄らせようとする。眼前まで迫ったところで、突然念を送れなくなった。次の瞬間、ペンが真っぷたつになって地面に落ちる。

何がおきたかはすぐにわかった。聖の右手には鋭いナイフが一本。

いやもっと小さい、手術用のメスのようだ。

「馬鹿なことは考えるなよ」

今まで見てきた中で最高の笑顔。顔のよこで、プラスチックを一瞬で切断した銀が輝いている。

「あはは、ダメだよ往人君。お姉ちゃんに変なことすると、五体満足でなくなっちゃうよ」

「あはは、じゃないだろ……」

「お、佳乃よく知っているな。さすが私の妹だ」

妹を褒め称える姉、それに照れる妹。平和な光景だ。

「そういえば国崎君。少し前にここにやってきたと言っていたが、どこから引っ越してきたんだ?」

「いや、引っ越してきたわけじゃない。旅をしていてな、今は神尾って家にやっかいになっている。旅好きだから、たぶんこの町からもすぐに出て行くだろうけど」

「…神尾、神尾晴子さんのところか」

聖の眉が急に引き締まる。

「知り合いか?」

「……ああ、…………よく知っているさ」

ずいぶんと長い沈黙の末に、聖はため息交じりの声で言った。

 

 

 堤防の上で風に当たる。

商店街から学校に戻ると、ちょうどチャイムが鳴り響きはじめたところ。半日と言っていたから、たぶんこれが終わりのチャイムなのだろう。それにしても……。

最後の聖の態度が妙だったことを思い出す。

何かあるのか? 神尾って家は。まああの母親の性格だから、周囲の人たちに受けがいいとは思えないが。

日光が突然現れた影にさえぎられる。

「お待たせ」

観鈴だった。朝と同じ黒いスカートの制服を着ている。学校帰りなのだから当然か。

「往人さんどうしてたの。わたしが学校にいってるあいだ」

「堤防でずっと寝てた」

適当に答える。

「にはは、嘘つきー。教室からここ見えるもん。さっききたばかりでしょ」

どうやらお見通しのようだ。

「朝お前に教えてもらった場所だ。商店街」

「あ、シャボン玉だ」

華麗に無視される。

観鈴の視線の先、どこからともなく、小さなシャボン玉が漂ってきていた。

「かわいい、にははっ」

うれしそうに漂ってきたシャボン玉に指先をのばす。

ふわ……。

観鈴が伸ばした指先をすり抜け、シャボン玉が漂っていく。

その行き先から楽しげな声。いつの間にか駅にたどり着いていた。

そういえば、晴子が駅は無理だとか言っていたような気がする。

綺麗だよな。

雑草も刈り取られているし、特別寂れた様子もない。

「やったーっ、またせいこーっ」

誰かの喜ぶ声が聞こえてそっちを見ると、少女が二人。

「もう一個飛ばすよーっ」

「…うん」

思わず息を呑んだ。

それは、とても幻想的な光景。おそらく観鈴と同じくらいであろう年齢の少女の指先から、光の雫が舞っていた。宙には赤、青、黄色と無限にその姿を変えていく虹の球。

知らぬ間に幻想の世界へと迷い込んでしまったような、そんな錯覚を覚える光景だった。

「あ、遠野さんだ」

幻想の中心にたたずむ少女の名を観鈴が呼ぶ。

「知り合いか?」

「うん。さん。私のクラスメイ…ト…わっ」

少女が俺たちの存在に気づいたらしく、物言わずこちらをじっと見つめる。表情さえ変えようとせず、何もいわずにじっと見続けている。

ふと、少女を取り巻く空気が、現実の色を取り戻した。

「こ、こんにちは。遠野さん」

慌てて観鈴が挨拶する。返答はない。ただじっと見つめられる。

「…奇遇ですね」

 ようやく返事が返ってきた。

「は、はいっ。すっごい偶然。びっくり」

観鈴が大げさに驚いてみせる。

「………」

また沈黙が押し寄せる。観鈴は困ったような表情で俺に目を向けた。そんな顔されてもどうしようもない。無視して傍観することにした。

「…こんばんわ。何か御用ですか? 神尾さん」

「え……えーと、特に用ってわけじゃないですけど。シャボン玉が浮かんでたので追いかけたら綺麗でかわいくて、商店街が寂れてて雑草がこんにちはっ」

通訳が必要だった。

「………」

遠野とかいう少女はじっと観鈴を見続け。

「…そう」

小さくつぶやく。どうやら通じたらしい。異文化コミュニケーションだ。

「………」

再び沈黙。会話が続かないらしい。まあ、あんな会話が続いてもそれはそれで困るが……。観鈴はいちおう笑顔を保ってはいるが、額に冷や汗をかいている。クラスメイトといってもそれほど親しい間からではないようだ。

「おおーい、みなぎーっ」

近づいてくる足音。

ぱたぱたぱたぱたぱた…

…ぱたぱたぱたぱたぱた…

ぱたぱたぱたぱたぱた

どがっ!

「わ、往人さんが木の葉のように」

「なにしてんの、みなぎ。シャボン玉は? いまね、いまね、絶好調だよ。はやくつづきしよ」

「…うん……でも」

ちらりと俺を見る。

「へへへー、はやくはやくー」

少女は甘えるように遠野の腕にすがりつく。

「往人さんいたそう」

痛いんだよ……。

「みちるちゃんこんばんは」

「こんばんわー」

観鈴が俺を吹っ飛ばした少女と挨拶している。…そんなことより早く助けてくれ。

葉っぱに手が挟まって身動きがとれなくなっていた。

「それじゃ、そろそろシャボン玉再開しようかー」

「かみかみも一緒にやる?」

かみかみ……、どうやら観鈴のことらしい。

「うーん、……でもわたしあんまりシャボン玉うまくないから」

「そんなの気にしない気にしない」

「うーん、まぁそういうなら」

おかしいな、こいつなら喜んで「うん!」とか答えそうだと思ったのに。体調でも悪いのか?

観鈴の視線の先には遠野の姿。相変わらず、何を考えているのか全く分からないやつだ。

「…みちる」

「ん、なにみなぎ?」

「…神尾さん、今日は疲れている……かも、…だからまた今度にしよ」

「えー」

みちるが残念そうにいう。

「あはは、気にしないでみちるちゃん。また、今度遊べばいいから…」

震えるような声。どうして観鈴がそんな悲しそうにしていたのか、そのときの俺には分からなかった。そうして、俺と観鈴は駅を後にした。

 帰り道。観鈴は本当に疲れているようで一言も口を聞こうとしなかった。

 見ていた様子そんな感じには見えなかったのは、観鈴が表情を隠すのが上手いからだろうか。

「なあ観鈴、疲れてたんならちゃんと言ってくれよ」

「あ、あはは。そうだね」

 驚いたように言う。やっぱり変な奴だ。

 空を見上げる。金色の米粒のほどの星が、あたり一面を埋め尽くしている。空気が綺麗なんだな。

商店街を抜け、家の数も少なくなってきたころだった。

「往人さん、わたし本当は疲れてなんかないよ」

観鈴がぼそっと口にした。

「あ? じゃあ、なんで遠野って奴はあんな嘘をついたんだ?」

「簡単だよ、みちるちゃんがわたしを誘ったから」

 意味がわからなかった。観鈴を誘うことに何か不都合でもあったのだろうか。

どんよりとした灰色に染まった空の下で観鈴を見つめる。今までの能天気な姿とは似ても似つかない顔。まるで空の色に染まったような、そんな暗い顔をしている。

「にはは、しょうがないよ」

今にも崩れ落ちそうな笑顔。その瞬間、一つの答えが導き出された。まるで、バラバラになっていた歯車がかみ合うように。

「往人さん、遠野さんをせめないでね。ただみちるちゃんを悲しませたくなかっただけだから」

まるで、俺の心を見透かしたような言葉。

『友達か。あの子、そんなこというたのか』

 昨夜の晴子の言葉。

 なぜ最初に俺に出会ったとき、『友達』ということを妙に強調していたのか。それら全てを、観鈴の表情が語っていた。

「大丈夫だよ」

「観鈴…お前」

思わず、声が漏れた。

「大丈夫。観鈴ちん強い子。にははっ」

たぶんそのとき、観鈴は泣いていたのだと思う。顔では思わず釣られてしまいそうなほどの笑顔を振舞っていても、やはり観鈴は泣いていたんだと思う。

俺はそんな彼女を見て、ただ合わせて笑ってやることしかできなかった。

ただ、気持ちを紛らわせてやることしか……。








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