Blow 第四幕 禁忌

 

 早朝、七時。

降り注ぐ朝日の優しい香りが、物置の中にまで染み渡っていた。

「奴は……まだ意識を失ったままか?」

 物置の前で、漸次はその家の主である女性に声をかける。

「ええ。頭の出血がかなりひどかったみたい。でも、そろそろ目が覚めるかもしれないわ。それにしても……」

「ん、なんだ? 何かあるのか」

「本当に……あの頃と変わってないと思って」

 父、漸次の姿は、小百合が若かった頃に見ていた父親と、全く同じ容姿をしていた。法術によって魂を当時のまま、現世に留まらせていると言っていたが、現実にそれを目の当たりにしてみても、未だ半信半疑。

それこそ、父親そっくりな人間と考えるほうが、まだ自然に思えた。

法術は願いを叶える力とは知っていたが、想いだけで、そこまで神がかったことが出来るものなのだろうか?

「そういえば、昨夜和樹から電話がかかってきたわ。京都に向かうようなことを言っていたけど……」

「構わないだろ。あいつが自分から動くってことは、それなりの理由があるはずだ。それに、京都には庄治の爺さんもいるからな」

「そう言うことじゃなくて……美凪があの人に会いに行って、今度は和樹。二人とも事故や事件にあわずに、無事に帰ってくるか心配で心配で……」

「気持ちは分かるが少し落ち着け。あせったところで、何か変わるわけでもない。あせらず、一つ一つ片付けていくことだ。幸い、お前はいま一人身。ここを片付けてから、和樹を追って京都へ向かうことだってできる」

「そうゆうものかしら……」

 言って、物置の戸をゆっくりと開く。神尾家のそれとは違い、遠野家の物置はよく整頓され、ダンボールに入れられた小物がきれいに棚に陳列されている。とはいえ日にそう何度も開け閉めするような場所でもないため、中の空気は埃にまみれ、古臭い匂いが漂う。その最奥、換気扇のつけられた窓のほんのわずか前に建つ柱に、大柄の男が倒れ掛かっていた。

 意識を失って尚その息は荒く、頭に巻かれた包帯は赤く染まり、男の怪我の程度を抽象していた。

 二人が物置に入ってまもなく、ぐったりとした姿勢のままうつむいていた男の目元が、わずかに上下に揺れる。

「やっと起きたか」

 電気はついていないが、射し込む陽のおかげで物置内は十分に明るく、意識を取り戻して間もない男は、目の前に立つ二人の男女にすぐに気づく。

 身体を動かそうとしてみたが、手も足も全く動かすことができない。背中に触れる硬い柱の感覚。右手で左手の甲の部分に触れようとすると、ごわごわとした手触りの、網目状の何かの感触が返ってくる。自分の置かれた状況に気づくと、男は顎を上げ上目遣いになる。

「縄で縛られ、柱にくくりつけられ……絶体絶命だな」

「そのわりにはずいぶんと余裕がありそうだな、蓮鹿」

「落ち着いていると言ってくれ」

 堤防での出来事の際、漸次には二つ幸運なことがあった。一つは、腹と包帯との間に巻いていた雑誌。時間的な余裕がなく、傷が完全に完治する前に再び蓮鹿と対峙することになったため、念のために用意しておいたものである。

ただこれはあくまで前からの衝撃を和らげるものでしかなく、全身を等しく強打するような状況になれば、その効果は薄い。しかしもう一つの幸運のおかげで、漸次は致命傷を負うことはなかった。

堤防から突き落とした際、蓮鹿は学校の校舎側、つまりコンクリートに向けて漸次を落としたつもりだった。だが実際漸次が落ちたのは海側、つまり砂浜に落ちたのである。それにより、無数の砂の粒が彼の身を守るクッションとなり、結果的に蓮鹿より早く彼は意識を取り戻し、そして今に至る。

「で、お前は俺を殺すと言っていたはずだが、なぜ俺は生きていて、簡単な治療までされているんだ? それに、そいつは……?」

 漸次の真横に立っていた女性に視線を向ける。

「小百合……だったか? お前の娘の。ずいぶんと老けたようだが」

 瞬間、真っ黒な鉄の塊が鈍い音をたてて蓮鹿の頭部を襲う。

「女性に向けてそうゆうこと言うのはどうかと思いますよ」

 小百合の手にはフライパン。

 にこにこした笑顔のまま、優しい口調でそう告げる。

「…あ、相変わらず綺麗なようだが……」

「よろしい」

 満足そうに微笑む。

「さて話が少しそれちゃったけど、お父さんがあなたに聞きたいことがあるらしくて、だからこうして話しあいの場を設けたの」

「両手両足縛って柱にくくりつけるのが、この町の話しあいの仕方か?」

「そうよ。何か文句ある? 業に入れば業に従えって言うでしょ」

「ふん、なるほど……食えない女だ」

 薄っすらと笑みを浮かべ、聞きたいこととは? と、蓮鹿は言葉を続ける。

「そうね。色々あるけど……」

「まずは目的からだ。翼人の伝承を追い、人形や往人という法術士を使い、何をしようとしている?」

 小百合の言葉をさえぎり、漸次は問いかける。

「無粋な質問だな。目的はお前達と同じ、空に囚われた翼人を助けようと……、それだけだ」

「ふざけるな! ならばなぜ、お前は俺たちを殺そうとした!!」

「復讐だ……」

 深いため息と共に放たれた言葉には、憤怒と悲哀とが入り混じる。

「翼人を空に封じたのは、お前たちの先祖、法術士どもだ。それに協力したのが柳也、つまりお前の前世だ。翼人が囚われると、奇妙なことに柳也は囚われた翼人を解放しようとした。なぜかは知らないがな」

「…まて、捉えたのは自分たちではないのか?」

「さぁな。なぜ解放しようとしたかの理由など、俺が知るはずないだろう。いずれにしろ、お前たちは翼人を封じた一族の子孫。故に、俺は貴様たちを憎む。ただそれだけのことだ」

 寂寞とした表情のまま、抵抗することもなく、縄に縛り付けられた男は淡々と言葉を続けていく。ただ蓮鹿の瞳には確かに、鮮明とした怒りの感情が宿っていた。

 それを見つけながら、漸次は考えをめぐらせ続けていた。俺の妻はこいつに殺された。小百合と離ればなれになったのも、この男が原因だった。だから、復讐しようと誓った。この身がどうなろうと構わない。この男を殺そう、それだけを思いここまできた。だが蓮鹿が俺たちを襲った理由もまた復讐であり、結局は俺も蓮鹿も似たり寄ったりで、やられたからやり返すという、いわばガキの喧嘩を繰り返していたことを知り、それが滑稽に思え、たまらなくくだらないことのように感じた。こいつを殺したとして、死者が生きかえるわけでも、失った時間を取り戻せるわけでもない。

「法術士を憎んでいるのなら、なぜ往人という青年をそちら側に引き込んだ?怨むべき対象なのだろう?」

「なぜ? おかしなことを聞く……理由は、お前も知っているだろう」

「法によりかけられた呪いは、法でしか解くことはできない……だからか……」

「そういうことだ」

 翼人は法術により囚われた。いわばそれは呪いとも言えるものであり、それを解くには、同じく法術を用いる他にはない。

「………」

 翼人を封じたのは法術士。確かにそれは意外なことであったが、同時に蓮鹿のその話し振りから、前々からの仮説がじわじわと現実味を帯びていく。蓮鹿が自分と同じく「人」ではなく、「モノ」として、ただ目的を達成するためだけに、現世にとどまり続けている存在という可能性。

だがそれには、大きな疑問が残る。

「蓮鹿、一つ聞くが、お前は法術を使えないんだな」

「ああ。俺も紗衣も、今はほとんど使えない。でなければ、わざわざ往人を引き込む道理がない」

「なら、なぜお前は俺と同じ法の禁忌をその身に帯びている?」

 不死となり、誓った願いを叶えるため永劫現世を彷徨いつづける。それが法の禁忌である。法術を使えないはずの人間が、法の禁忌をその身に帯びている。

 なぜ、そんな矛盾が起きる?

「さあ、どうしてだろうな? というより、そんなことはどうでもいいだろう。必要なのは過程ではなく、結果のみだ。それにお前が原因を知ったからといって、何が変わる?」

「…もういい。なら次の質問だ。紗衣と往人が町を出たと聞いたが、奴らはどこに行こうとしている? なぜお前だけがここに残った?」

「聞いてばかりだな。少しは自分で考えてみ――」

 直後、どすっと鈍い音が物置中に響く。漸次が放った蹴りは、縄で縛られ無防備な蓮鹿を黙らすのに、十分すぎるほどの効果があった。

「立場をわきまえろ。お前に許されるのは質問に答えることだけだ。殺すぞ」

「くく、殺すとは……面白いことを言うな」

「…?」

 うっすらと血の流れる蓮鹿の口元に、笑みが浮かぶ。

「どうした? 自分が言ったことだろう。俺の身体が禁忌を帯びている、と。まさか知らないわけではないだろ、禁忌を行った以上、望みが果たされるまでその身が朽ちることはない。結局は、死を迎えることのない奴隷に成り下がる。まあ、どのみち俺はもう終わりだけどな……」

「終わり?」

 小百合が言葉を漏らす。

「言っただろ。望みが果たされるまで死ぬことはない。逆を言ってしまえば、望みさえ叶えば否応がなく朽ち果てるということさ。俺は翼人を助けようとしていた。いや、正確にはその下準備か。国崎往人を見つけた時点で、俺の役目はもう終わっていたんだよ」

 力を込め、後ろで縛られていた両腕を左右に強く広げようとする。すると、みしみしと何かにヒビが入るような音。続けて、ごとんと重たいものが床に落ちる音。

「…ひっ」

 その光景に、小百合は思わず自分の目を疑った。口に手を当て、こぼれかけた悲鳴を必死で口元に留める。こぼしてしまえば、自分の心がおかしくなってしまいそうだった。全身を、感情の波がすさまじい速度で駆け抜けてゆく。

 床に落ちたのは、蓮鹿の手首。先端が淡い銀の光に包まれて、ゆっくりと銀色の粒子へと変化していく。

「俺の役目は、あいつを見つけるまで紗衣を守ることだったからな。死神様が手招きしているのさ。用が済んだなら、とっととこっちに来いってな」

「あいつ?」

「決まってるだろ、国崎往人のことだ」

「うん? どうゆうことだ……法術を使えるものならば、誰でもよかったんだろ。なぜ往人にこだわる必要があった?」

「さあな……人形を持つ者。いや、結希や湖葉とともにいた赤ん坊にこだわっていたのは紗衣だからな。俺の知ったことじゃない」

「知っているのか!? 湖葉のことを! 答えろ、あいつは今どこにいる!」

「聞きたいか? くくっ、絶望するだけだぞ」

 そう前置きして、蓮鹿は言葉を続ける。

「『力』を人形にこめ死んだと聞いた。まあ正確には『力』の一つになったんだが、意味合いで言えば死とたいして変わらない」

「…そうか」

 湖葉が求めていたのは、ただの日常。俺たちに家族として接してもらいたかっただけなのだろう。法術・翼人。そんなものに縛られない日常。だが、俺たちはあいつのそんな思いに気づくことはなかった。求めていたものが手に入らないと気づいたとき、あいつは家を出た。何もかも捨てて、生業から逃げ出した。しかし結局どこまで行こうと、生業から、呪縛から逃れることはできなかったというわけだ。

「蓮鹿。聞くが、なぜお前は翼人を助けようとする? さっきの話を聞く限りでは、お前は俺よりずっと前、それこそ何百年も昔から、翼人を解放しようとしてきたのだろう」

「言っただろ、願いが叶わなければ、死ぬことはできない。俺はずっと昔から、心の片隅で死を求め続けていた。何に縛られることもない、居心地のいい夢の中を、ずっと彷徨っていたかった。言うなれば、安息がほしかった。ただそれだけだ」

「…でもそれならなぜ……なぜ禁忌を犯し、永劫のときを生きようとしたのですか? あなたは、死に場所を求め続けていたのでしょう……」

 小百合の問いかけに、蓮鹿は顔を緩ませる。

その笑みはとても子供っぽく、そして、どこか儚い想い連想させる。

「それをおまえ達に教える義理はないさ……まあ、これで俺はようやく眠ることができるんだ。最後くらい、ゆっくりさせてくれ……」

 指先から、つま先から、銀色が強い輝きを放ち、ゆっくりと蓮鹿の身体を消し去っていく。かつて湖葉が願いの一つとなり消えたあの時と同じ光。

唯一つ違うのは、それが完全な消滅であるということ。そして……。

「なんだ……!?」

 眩いほどの輝きを放つ光。

その光に共鳴するかのように、漸次自身の身体もまた、じわりじわりと銀色の粒子へと変わり始めていた。

「なにを驚く? 何もおかしいことなど起こってはいないだろう」

「蓮鹿、お前……何をした……」

「なにを? 別に俺は何もしていない。さっき言っただろ、望みが叶えば朽ち果てると。さあ、自分のことを思い返してみろ。なにを願い、お前はそんな化け物に成り下がった?」

 紅蓮。湧き上がる炎の中、漸次は復讐を誓った。方法なんて何でもよかった。自らの手で行うのが理想であったが、事故だろうと何だろうと、とにかく蓮鹿が消えれば、蓮鹿が死ねばそれでよかった。

「俺たちは、いわば夢の中を生きてきたようなもの。命という鎖に縛られることなく、時間さえ支配してきた。だが、人はいつまでも夢を見続けることはできない。夢の終わりが訪れれば、俺たちは抗うことすらできず、その流れに飲みこまれていくだけだ」

 気づくと、蓮鹿の身体はもう半分以上が消滅していた。

「じゃあな、先にいく」

 それが、最後の言葉。小百合が駆け寄った頃には、蓮鹿の姿はもう、影も形も残っていなかった。そして……。

「参ったな……まさか、こんなあっけなく死んじまうとは」

 父、漸次もまた光となり、空へと還ろうとしていた……。

「家が焼け落ちた日。俺のなかの時間は、あそこで止まっていたんだな。あの頃から何も変わらなかった。くだらない喧嘩に子供や孫まで巻き込んで……結局、俺が化け物に成り果ててまで現世に残った意味なんて、何もなかったな」

「そんなことない!」

 消えゆく身体に手を添えて、小百合は叫ぶ。

記憶を失い、大切な人たちを失った。もう戻らないと思っていた。でも和樹が……あの子が私や美凪の間にあった溝を埋めてくれて、私たちはようやく前へと踏み出すことができた。

「お父さんが和樹を育ててくれたから……いえ、お父さんがいたから、私たちの今があるの。意味がないなんて、そんなことは、絶対にない!」

「…俺がいたから今があるか……」

 輝き。光をその身に帯びて、少しずつその存在は虚ろになっていく。そして、強い光が物置全体を包み込み、突然に、光が弾ける。

後に残ったのは、女性が一人。

 小百合は、ぼんやりと辺りを見回してみる。人がいた形跡なんて、もうどこにもなかった。まるで、最初から何もかもが夢であったかのようで……。

 物置の扉を開け、降りそそぐ朝の陽へと足を踏みだす。和樹は佳乃と一緒に京都へ向かうといっていた。あの地には、さまざまな伝承が昔から残されてきた。往人と紗衣がこの町を去り、それと時を同じくして京都に向かった和樹たち。それを偶然と割り切るのは容易いが、他に何か、手がかりがあるわけでもない。となれば、私も京都に行くべきだろう。父を継ぐために……。

 道中で、美凪も連れて行こう。それが私の道。

ようやく前へと踏み出した、私の道なのだから……。

 




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