Blow 第二幕 抗い

 

風……冷たい風。

海……金色の海。波がゆれる……金色の波。

一面のすすきの海。誰かが踊っている。

粗末な着物。風に袖が膨らむ。

長い髪が震える。夕映えを背にして、衰えゆく光を捉えて。

指先にさえ、金色を宿して。あどけない少女のように。

どこかで見たことがあるようなその姿に、懐かしさを覚える。

あれは……誰だ?

 目が覚めると、古びた天井があった。壁のほうに視線を向けると、所々ペンキがはげ、茶色い木々の色が浮き彫りにされている。床には材木や埃が散らばって、もう何年も使われていた形跡がない。

射し込む陽射しが、夕陽なのに気づいた。

いまは、いつだ?

「起きたか、国崎」

 名前を呼ばれ振り向くと、大柄の男が壁に身体を傾けるようにして、こちらを見ていた。

 思い出した。昨夜の夜、俺は蓮鹿という男に連れられて観鈴の家を出て……。

それで町外れのプレハブ小屋で、体を休めたんだった。

「さて早速だが、お前には紗衣と共に、早急に京都に向かってもらう」

「京都? なんでまたそんな遠くに?」

「そこが、全ての始まりだからだ。翼人伝承の、その起源がそこにある」

 翼人伝承の起源……言葉の意味はわからなかったが、それより先に、疑問に思うことがひとつ。

「あんたはどうする? 京都には行かないのか」

 蓮鹿は往人に向けて、紗衣とともに京都に、と言った。つまり、自分は京都には向かわない、ということなのだろう。

「いや……俺は俺でやることがある。そう時間が残っているわけでもないからな」

「そうか」

 適当に相槌を返す。往人にしてみれば、蓮鹿が何をしようと関係ないし、興味もなかった。おそらく今の彼にとっては、観鈴に関係しない事柄の全ては、どうでもいいことなのだろう。だからそのあとも、往人と蓮鹿は互いに沈黙を守ったまま、流れゆく時間を、ただ感じ続けていた。

 昼間のうちに紗衣が商店街に買い物に出かけたらしく、その帰りを待つ。

 空は夕焼け色で、もう夜はすぐそこまで迫ってきているはずなのに、町のほうは家々の発する電灯の光によって、不自然なほどに明るい。

 本来ならば夜に明かりなどない。それは自然の摂理。けれど人は与えられた自然をそのままの形で受け入れようとせず、それを自分たちの都合のいいように作り変え、管理しようとした。

例えば夜が薄暗いことに不満を言い、人工的な光を手に入れ、自然にう。

発達した科学によって人は、光を、熱を、力を得てきた。けれど科学がどれだけ発達して、どれだけすごい技術を得ようとも、人は、それに満足することはない。

もっと速く、もっと効率的に、もっと力強く……。

永遠に抗いを続ける。昔から、人は何も変わらない。異能の存在である翼人の、人魚の存在を恐れ……それらを封じこめた時代から、何も変わることはない。

 彼ら人間に管理できないものは、たとえそれが何であろうと、不要な存在でしかないのかもしれない……。

 紗衣が小屋に帰ってきたのは日が落ちてから。夜の帳に風が色をつけて、夏の夜を彩っていく。そんなだった。

「旅行用の荷物色々買ってきたよ。往人も売れない大道芸人やっていたってことは、旅の経験は豊富だよね」

「売れないは余計だな」

「ま、気にしない。気にしない。それじゃ、さっさと行こうか」

 往人と紗衣がプレハブ小屋を離れた数時間後、蓮鹿は月明かりの下で一人、寒空に立ち尽くしていた。

 往人たちを京都に向かわせるようにしたのは蓮鹿の指示。観鈴に執着する往人のその考えが、かつての自分と類似して……自分の手には負えないと、そう感じたからだ。いうなれば、紗衣に厄介ごとを押しつけたと言ってもいい。

もっとも、理由はそれだけではないが……。

『』

 それは、翼人に仕えていた従士の名。彼には親友と呼べる友がいた。

 いや、そう信じていた。

自分が敵を引きつけ、柳也は翼人と共に山中から逃げだす手はずだった。だが、数時間後山のふもとで蓮鹿が見た光景は、同じく翼人に仕えていた女の喉に太刀を突きつける親友の姿だった。そして、その場に翼人はいなかった。

 それから半月ほどの後、都で悪鬼が倒されたという噂を耳にした。

 遠い山に封じられていた、翼を持つ悪鬼が倒された、と。翼人を神と崇めるものがいる一方で、同時にその力を危険視するものも数多くいた。

 悪鬼とはつまり、翼人のことなのだろう。

「…行くか」

 あれからどれだけの月日が流れたか……。

 強まる闇夜の風のなか、蓮鹿は一人歩み始める。

 商店街を抜け、たどり着いたのは堤防。月明かりに波がきらきらと反射していて、海から伸びた白っぽい線が、砂浜をゆっくりと往復していた。

 そこに、誰かが立っていた。

「全ての生き物は、海から生まれでたと聞く。お前でも、それを恋しいと思うことがあるか?」

 その誰かが問う。

「どうだろうな……俺は幼子の頃に親を失ったが、それを恋しいと思ったことはなかったから、たぶんないんだろうな。ただ……」

「ただ?」

「俺のような落ちぶれた人間にすら情をかけてくれる、とても優しい女性がいた。その人の子供が、『海に行きたい』と言っていた。結局、俺も柳也もその子を海に連れて行くことはできなかったけどな」

「その柳也の生まれ変わりが、俺だと?」

「ああ。裏切られた今になっても、どこかで奴を信じていたい自分がいて……お前の顔も髪も、そのどれもが奴とかぶる。お前が俺の前に立つたび、信じてきたものを、俺自身を否定されているように感じて、俺はずっと、深い闇のなかに埋もれていた。だがようやく、その闇から抜け出すことができる」

 構えて、蓮鹿は太刀を取り出す。目の前に立つのは、獅堂漸次。

「おまえを殺すことでなっ!」

ギンッ。

 言葉を終えた刹那、鈍い光を放ち、刃が漸次の腕に切り込む。が、それを予想していたかのように重心をわずかに横へとずらし、漸次はそれをかわす。

ピシュッ、と小さな音が鳴って、蓮鹿の腕に向けて何かが飛ぶ。

「……!」

 驚きつつも刀身を斜めに構え、すり足でそれを避けると、一閃。

刀を構えた腕を勢いよく振り上げる。漸次の髪が宙をぱらぱらと舞う。顎を引いて体制を変えると、

「せいっ!」

 反射的に、漸次がこめかみ部分を力いっぱい殴りつけてきた。

「ちぃっ」

 その一撃は、奇妙なほどの威力があった。手の中にモノを握った場合、その拳は通常の四倍近い威力発揮する。おそらく、小石あたりを握り締めていたのだろう。

 脳を揺さぶるような強い衝撃が蓮鹿を襲って、視界が一瞬ぼやける。

「なめるなっ」

咆哮。空に向けて吼えて、目をカッと見開く。目線の先にわずかに灰色がちらついて、それが漸次の羽織っていたジャケットだと気づく。

 そこか……。

 腰を低く落とし、一心にそこに拳を叩きつける。が、痛みを覚えたのは蓮鹿。

眉の少し下を熱い何かがかすり、そこから血飛沫が数滴宙に飛ぶ。予想外の一撃に慌てて後ろに飛びのく。幸い、傷は浅い。

 銃? しかしそれにしては殆ど音が……サイレンサー加工でもしてあるのか?

 いや、違うな……。

宙に浮く黒い物体に気づき、蓮鹿はそれを二つに等分する。地面に転がったのは、真っ二つに切られた弾丸。

「…法術か」

「ふん。さすがに、カンがいいな」

 砂浜から少し離れた堤防、そこから漸次の声が聞こえてくる。

「察しの通りだ。あらかじめ法術で弾丸を空中に固定しておき、後ろからそれを押し、力を加えておく。法術を解くとどうなるかは、ごらんのとおりだ」

 流れた汗が、眉の下から流れ落ちる液体と重なり、赤く濁る。

「このあいだとは違う。俺は今日ここで、確実にお前を殺す」

「言うだけなら誰でもいえる。問題は、本当にそれができるかどうかだ」

ひゅん、と刀を振り上げる音が響いて、宙を漂う無数の銃弾が砂浜に散らばったのは次の一瞬。

「お前に、それができるのか?」

ばしゃばしゃと海水を跳ね上げながら、蓮鹿は刀身を高く構え堤防まで走りよると、漸次の右手をその眼に捉え、無心に斬りつける。が、浅い。

漸次は腰からナイフを抜き出すと、頭部に狙いをしぼり、一気に突き刺す。

ぶしゅっ!

勢いよく飛沫が周囲に飛びかい、瞬くうちに血生臭さが一帯に充満し始める。

完全な致命傷。だが、数秒後にその場に立っていたのは蓮鹿のほうだった。

堤防から少し下の砂浜に、漸次が全身を強く強打して倒れている。

「刺されることなんて最初から計算の内だってことだ。勝利を確信した瞬間が、一番足元をすくわれやすい」

 漸次に油断はなかった。しかし、相手に致命傷を負わせたことが、逆に彼に油断を与えてしまった。無防備になった腹への、カウンター狙いの一撃。

「とはいえ……頭にナイフ……しばらくは、俺も動けそうにないか……」

 少しだけ顔を傾ける。視界に入った学校の時計台の針は、午前零時を僅かに過ぎたあたりを指し示していた。

 おそらく、往人たちはもうこの町を出て……。

 強烈な寒気がして、ぶるっと全身が震える。

「血を……流しすぎたか……」

 蓮鹿の意識は、そこで途切れる。

 

 

「また、ここか……」

 往人と紗衣が着いたのはバス停。地平線の彼方まで、灰色の地面が延々と続いている。時刻表を見てみると、一時間ほど後にバスが一台やってきて、今日はそれで終わり。やはり、田舎にそう何本もバスが走っているわけではないようだ。

「結構時間あるね、どうする?」

「別に、どうもしない。暇なら会話ぐらい付き合ってやるけどな」

「はあ、まったく君も蓮鹿も愛想がないなぁ。もう少し協調性ってものを……」

「勘違いするな。お前たちに協力するのは観鈴のためだ。それよりもあそこ、誰かいるぞ」

 視線の先に、紺のジャケットを着込んだ細身の青年が立っていた。

「紗衣と一緒にいるってことは、あんたが国崎往人って人か?」

 漸次から電話を受け、和樹は紗衣という少女が蓮鹿の仲間にいることを知った。そしてその身体的特徴から、たびたび自分の前に姿を現していた不思議な子ども、それが紗衣ということに気づいた。

 この町は周囲が緑に囲まれていて、町から出るにはこの国道に出るしかない。

だから往人が町から出ようとすれば、ここなら確実に出会うことができる。最も、まさか初日に出会えるとは思わなかったが。

「知り合いか? 紗衣」

「法術の一族の、本家の子だよ。湖葉が家を出たとき人形を持ち出したとは言っても、国崎の家系自体がなくなったわけじゃないからね」

「そう、国崎の血が絶えたわけじゃない。人形があれば、まだ……」

 言って、和樹は二人に歩み寄ろうとする。しかし往人はてのひらを前に突き出して和樹を静止させると、静かに彼を眼に捉える。そして……。

「この空には、翼を持った少女がいる。それはずっと昔から、そしていま、このときも……」

 往人はゆっくりと語り始める。

「翼人は、伝承のなかだけの存在じゃあない。現実にこの世にいて、いまも空に囚われ、悲しみの蒼に染まっている。俺はそいつを、観鈴を助けたいと思った。そのために人形がいる。だから、渡すことはできない」

「だったら、俺や親父に協力してくれれば……」

「母さんはお前らの考えかたを嫌って家を出た。俺が人形を持っているという理由だけで、いまさらになって協力しろと?」

「………」

 和樹は声を出すことができなかった。おそらく、直感的に感じ取っていたのだろう。国崎往人というこの男が、自分とは決定的に異なることを。

往人の言う空の少女とは、おそらく和樹も知る、翼を持つもののことなのだろう。その人に対する想いが、和樹と往人とでは、根本的に違う。

もちろん、和樹とて空の少女を助けようとは思っている。しかしそれは一族の教えやみちるとの約束といった、いわば使命感が強い。対して往人は、ただ観鈴を助けたいだけであり、他になんの感情も持ち合わせてはいない。

想いの桁が、比べ物にならないのだ。

「俺は、俺自身の手であいつを助ける」

 軽く足を跳ねあげ、和樹の眼前に立つ。

「かはっ……」

「誰にも邪魔はさせない」

 握り締めた拳は、和樹の腹を正確に捉えていた。

 がくっと膝を灰色の地面につけると、往人は追い討ちをかけるように、後頭部を鷲づかみにして力の限り地面に叩きつけようとする。が、和樹は両手を地面に向けてストッパー代わりにすると、続けて右手の肘を真上に向けて押しあげる。

往人の顎にそれがぶつかって、歯が軽く揺さぶられる。

気分は最悪だが、それほど問題ではない。体制を立てなおそうとした和樹に対し、殴打、殴打、殴打。

 二人の実力に、それほど差があるとは思えない。ただ往人のほうが、和樹より何倍も想いが強いのだろう。それが、力の差となって現れていた。

「往人、待って」

 止めたのは、紗衣の言葉だった。

「あっちを」

 紗衣が指差した方向へ振り向くと、小柄な人影が一つ見えた。

 真っ白なブラウスの少女。

風が吹き抜けるたび、さわさわと半透明なフリルが揺れる。

「佳乃……か?」

 往人の問いに、少女は答えない。光を映さない、何を見据えるでもない、虚ろな瞳。一度だけ彼女の口元が柔らかく緩んで、笑みを浮かべたように見えた。

「なんで……お前がここに」

 荒い呼吸で、和樹は驚きを隠すことができず、思わずそう口にしていた。自分がここに来ることを、和樹は誰にも話していない。だから佳乃がこんな時間に町外れのバス停に来ることなんて、ありえないことのはずだった。

 知らぬ間に、鼓動が早くなる。殴られたせいではない。もっと別の、なにか得体の知れないものが、胸を押し潰そうとしているような……。

 そういえば、俺はどうしてここに来たのだろう? 往人が町を出るのならば、必ずここを通るから? 

いや、それはここに来てから跡付けしたことに過ぎない。そうだ、俺の脚は無意識に、この場所を目指していた。

 そしてそこに往人がいて……佳乃もまた、ここにきた。誰かが、何かが、俺たちを集めようとした? はっとして目を向けると、佳乃が往人に細い腕を伸ばしていた。

 指先が、ごわごわとした髪に触れる。佳乃の唇が動き、声が生まれる。それは佳乃のではない言葉。なぜだか急に寒気がした。

「佳乃、やめろっ」

「ならばいっそ、わたくしの手で……」

 叫んだけれど、その程度のことで佳乃が止まることはなかった。

「ぐっ、か……の……?」

 往人の擦れた声が少しだけ、夜の冷たい空気に消える。細い指が、往人の首を左右から包み込む。ゆっくりと、力がこめられる……。

 佳乃の腕が持ち上がる。

 和樹の目の前で、小柄な細身の少女が、自分よりも遥かに大きい男の首に手をかけ、その身体を、宙へと浮かびあがらせていた。

灼けるような激痛が、往人の首筋を襲う。

 和樹の目の前で、往人の首を、佳乃が両手で締めつけている……。起こっていることに全く現実感が感じられない。

首の皮膚が厚い。まるで熱した鉄棒を押し当てられているようだった。

 首を絞める手に、一層の力が込められる。

「…ぐはっ!」

 それは少女の力ではなかった。振り解こうと、往人は佳乃の手首をつかんだ。

「くっ……」

 渾身の力を込めて、佳乃の両手を外そうとする。俺より遥かに細いその手を、どうしても振り解くことができない。

 息ができない。目の前が暗くなっていく。恐怖や悔しさはなかった。ただ、たまらなく悲しかった。意識が途切れそうになったその時、わずかに圧迫感が緩む。

「危険だって……あの時言っといたはずなのに……」

 紗衣の小さな両手が、佳乃を後ろに強く引っ張る。

「たく、なんなんだよ!」

 和樹の両腕が、往人の首を締め付けていた腕を、強引に引き剥がそうとしていた。

 けれど、それでも佳乃の手が緩むことはなかった。消えかけた意識の中で、佳乃が俺のことを見ていることに気づいた。一瞬だけ宿った光が、俺の姿を映す。佳乃の瞳が見開かれた。

 そこから先は、スローモーションを見ているようだった。

 佳乃の両手が、俺の胸元を撫でるように落ちていく。がくりと膝を折り、地面に倒れていく。とした意識の中で、往人は佳乃を抱きとめた。

「………」

 自分では声を出したつもりだったが、何も聞こえなかった。喉が潰れてしまったのか、耳がおかしいのか。それとも悪夢の中にいるのか、それさえも……判別できなかった。

 




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