Feather 第二幕 夢と現と

 

 

 空の高みに囚われた者がいる。大人なのか子どもなのか、男なのか女なのか、それすらも分からない。けれどその人の背には、汚れを知らない純白の大きな両翼があって、自由に空を羽ばたくことができたという。

それは、昔から伝えられてきた伝承。

俺たちの一族はそれを『翼持つもの』と呼んだ。

俺たちの一族には特殊な力があった。それが、『法術』 

夢を現実に変えることができる力と教えられてきたが、現実には物を動かす程度のもの。これが夢だというのなら、夢とはなんて安っぽいモノなのだろう。けれどそんな些細な力だとしても、親から子へ、子から孫へとそれは受け継がれていった。俺も力、法術を親父から教わった。

空に囚われた者がどうなろうと、正直俺にはどうでもいいことだったが、母も同じく空に囚われた者を探していたと聞いて、だから力を受け継いだ。力を得、旅を続ければ母に会える。そう信じて。

幼いころから親父、獅堂漸(しどうぜん)()と二人ずっと旅を続けてきた。親父はいつも難しそうな顔をしていた。それを怖いと思うことも度々あったが、無愛想でもいつも近くにいてくれる。そんな頼れる存在でもあった。

いつだったか、珍しく親父が昔のことを話してくれたことがあった。普段は俺のほうから話しかけなければ会話一つしてくれないくせに、そのときだけは違った。

身体の隅々から沸きのぼる、狂ったような感情の波。それは怒りであり、憎しみであり、憎悪であり……。

『俺の妻が死に、お前の母が行方不明になった元凶。それが蓮鹿(れんか)だ』

 親父と呼んではいるが、実際に血縁関係があるわけではない。蓮鹿という男が起こした事件のせいで母と離ればなれになった、当時一歳にも満たない赤子の俺を育て上げてくれた男。それが、獅堂漸次だった。

翼持つものを探し出すこと。蓮鹿に復讐を果たすこと。その二つが、俺と親父の旅の目的だった。

 

 

 

「おーい、馬和樹ー」

 みちるのふざけた呼び声で現実に引き戻される。本来は伝言板などに使われる駅の黒板、そこに数式がいくつも書かれていた。数式といっても簡単な掛け算割り算なわけだが……。

「おまえが学校通ってないからって、わざわざみなぎが勉強会開いてくれたんだからありがたく聞けー」

 父親と共に旅をし、全国を歩きまわってきた和樹に落ち着いて勉学に励めるような時間はなかった。ことの発端は単純な話である。

 みちるが拾ってきた小学生用のドリル。どこの書店にでも売っていそうな長方形の練習用ドリルだ。それを解かせようと和樹に見せびらかし、美凪は予想以上の和樹の無知っぷりに驚愕し……。

かくして、真夏の勉強会が開催されたのだった。

 

 商店街。和樹は米俵を一つ肩に担ぎながら駅へと歩いていた。

あのあと美凪先生の六時間耐久勉強会からなんとか逃げのび、昼下がりの町でも見てまわろうと鞄を拾い上げると、お米券と書かれた小さな紙が、地面にふわりと落ちた。

和樹はそれを拾い「本当に使えるのかよ」と、半場疑いながらも米屋に持っていった。すると、店の主人は驚くほどあっさりと券を受け取り、米袋と交換してくれた。ずっしりと重量感のあるそれは、本物の米袋に違いなかった。

 これでしばらくは米代がかからないな。そんな風に考えて歩いていくと、診療所の中から女性が一人姿を現す。主婦のようで、指にはめられた小さな金色の指輪、それが太陽光を反射して和樹の瞳を襲った。

 まぶしさに目を奪われて、思わず瞳を閉じる。すると、とたんにつむじ風に乗って、懐かしい匂いが和樹を包んだ。

なぜそんな香りがしたのだろう? 瞳を開くと、よたよたと危なそうな足取りでその人は歩いていた。米俵二つ。どう考えても女性の体力じゃ無理がある。

 和樹は女性のつかんでいた米俵を一つ奪い、余っていたほうの肩に担ぐ。「手伝ってやるよ」と女性のあとに続いた。

「すいませんねぇ、車まで運んでもらえれば大丈夫なので」

 和樹は分かった、とそれを運んでゆく。

 ぶろろろろ。

 車へのつめこみが終わると、女性は和樹に礼を言って車を走らせた。

 二つも持ったのは失敗だったかもな。和樹はそう思って筋肉痛気味の肩を抑える。足元には重い米袋が一つ。担いで駅まで運ぶとなると、えらく重労働だろう。それにはっきり言って面倒だった。

 あれを使えば楽か……。少し考え、

「…ま、いいか」

 和樹は米袋に手をかざし、そっと念をこめる。すると、

 ふわっ。

 重力を無視するかのように、重たそうな米の袋が空中に浮かび上がる。それはまるで、魔法のような光景だった。

「馬和樹―」

 突如声が聞こえたかと思うと、にやにやと気持ち悪いぐらいの笑顔でみちるが近づいてきた。

「馬和樹はやめろ」

「みなぎのお母さん手伝ってあげるなんて、いいとこあるじゃん」

 美凪の母親? そう言われてみれば、確かに顔つきがどことなく美凪に似ていたようにも思えた。というかずっと見てたのなら……。

「少しは手伝おうって気はなかったのか。この馬鹿」

「うん、ごめん」

 てっきり言い返してくると思っていただけに、みちるの予想外の反応に和樹は拍子抜けした。礼儀も知らないガキかと思っていたが、きちんと物事を謝るまともな一面もあるようだ。ただ、少しだけ悲しそうにも見えたのが気になることではあったが……。

「ん、あれ? うぉぉぉ。浮いてる!」

和樹がそんなことを考えているうちに、みちるの興味の対象はいつの間にか浮遊する米袋に移っていたようだった。

「ねえねえ和樹。これおまえがやってるの!?」

 みちるは相当興奮しているのか、早口でそう告げる。和樹がそうだと答えると、再び「おおおお」と興奮の雄たけびをあげる。

「すげえなぁ」

 二人で駅まで帰り着くと、みちるは駅舎で読書していた美凪を無理やり外に連れだし、素早くベンチに座らせた。急な展開に目を点にする美凪の横で、みちるが和樹にあれを見せてやれとはやし立てる。

 自分が見たもの聞いたものは、全て美凪に教えてあげないと気がすまない。そんな思いがみちるのなかにはあったのかもしれない。

「たくっ、法術は疲れるんだよ」

 そう言って、和樹は拒否しようとする。

「…和樹さん、どこに行ってらしたんですか?」

「どこ、って」

「…私が目を離していた隙にこっそり駅の宿舎から抜け出して、どこに……行っていたのですか?」

 ささやかに、穏やかに、緩やかに、冷たい瞳で和樹に問う。

「ひょっとして……怒ってたりするか……?」

「…別に、いいんですけどね。みちるには見せて、…わたしには見せたくないのなら、しょうがないですし……」

「ああ、くそっ。分かったよ、やるよ、やってやるよ!」

和樹は足元に落ちていた小石を拾い上げ、それに念を送り込む。

 ふわっ。

 小石が意思を持ったように空へと飛び上がる。薬指をくいくいっと動かすと、それに合わせたように小石が小刻みに揺れ、手を丸めれば小石は和樹のほうに近寄り、ぱっと開くとその瞬間遠くへ離れる。それはまるで、石に生命が宿ったようだった。

「…和樹さん。とても素敵な特技をお持ちのようで」

 驚いているのか驚いていないのかよく分からない表情のまま、美凪はがさがさとポケットに手を突っ込む。またお米券でも取り出すのかと思っていると、

「…じゃじゃん」

 小さなガラス瓶を一つ取り出し、それを和樹に手渡す。手に持って中を覗いてみると、星の形をしたさらさらとした粉が入っていた。

「…これは、星の砂といいます。とても綺麗な形をした……砂の結晶。ほら、よく見てください。きらきら光ってますよね。…この光は、夜空に浮かぶ星の光なんです。夜光をその身に宿し、ゆっくりと力を蓄えていくんです」

「力?」

「…願い事を叶えるための力。そんな言い伝えがあるんですよ」

「いつも持ち歩いてるのか? この、星の砂ってやつ」

「…もちろんです。わたし、天文部の部長さんですから」

 それは星の砂を持っている理由にはならない。和樹はそう思ったが、そんなことを言ってまた美凪の機嫌が悪くなると怖いので黙っておくことにした。

「うわ、きれいなお星様。みなぎ、みなぎ。みちるにも頂戴」

 餌をねだる子犬のように尻尾を振って、みちるが美凪に抱きつく。

「…はい」

 同じものが出てきた。いったいいくつ持っているのだろう。みちるはガラス瓶を受け取ると、頭の上に両手で掲げ喜ぶ。

「…わたしとお揃い」

 いつの間にか、美凪の手にも星の砂が握られている。

「おお、みなぎとおそろいおそろい。馬和樹が持ってなかったらもっとよかったのに」

 ごんっ、とみちるがグーで叩かれる音が響き渡った。

 

 

 

 (はかな)い……世界が儚く消えていく。誰かの叫ぶ声。何かの倒れる音。ぽたぽたと赤い雫が床に広がっていく。これは夢だ。俺の中の何かがそう叫ぶ。

そう、これが夢だということは分かっている。染みのように、俺の色に染まった夢。まるで呪縛のように忘却を許さない。そんな夢。

その世界の中心に、誰かが立っている。茶色い革のジャケットを着込んだ、オールバックの文字通り熊のような大男。

 蓮鹿。声も顔も見たことがないはずなのに、俺にはその男が誰なのか、不思議と理解することが、確信することができた。ひょっとしたら、この夢は俺が幼いころの、まだ自我も持たないほど赤ん坊のころの記憶なのかもしれない。

蓮鹿は必死に何かを探しているようだった。部屋の中のありとあらゆるものをひっくり返し、破壊して、けれどそれでも見つからない。

いったい何を探しているのだろう。そんなことを考えているうちに、夢はじわじわと光を失っていき、やがて真っ暗な闇の空間に変わる。

 しばらくして、蛍の放つような弱々しい光がじわりじわりと中心から広まっていき、長身の男の姿を映しだす。蓮鹿とは別の男。

 親父だ。今より少し若いが、間違いなくそれは俺の親父だった。

「法術。今からそれをおまえに教えてやる。おそらくこの力を受け継ぐのもおまえの代が最後だろう。だから、おまえで終わりにしてくれ。お前が、囚われた、悲しみに染まった翼を解きはなってくれ」

 そうだ。俺は、こうして法術を親父から教わったんだ。

 考えた瞬間、世界は真っ青に染まっていく。蒼く儚い色で、透きとおった空がそこにはあった。

 空、悲しみの空。囚われた翼。

この空に今も囚われている翼持つものを見つけだし、空の呪縛から解放する。それが俺の旅の目的。それを果たすため、親父から様々なことを教わった。

生きるための知識。法術師の一族と呼ばれる俺たちの生業。翼持つものにかけられた呪縛。見上げればそこにある空。そこに全ての答えが眠っている。

だから、俺はあそこにたどり着こうといつも必死で手を伸ばして、でも手に触れるのは風の断片ばかりで……。

 

 和樹が眠りから覚めたことに気づくと、美凪は寝ている間中ずっとうなされていたと、心配そうに和樹に言い寄った。

 話しかけられている間も、和樹はただ黙って空を見つめていた。十七年間。生まれてきて、ずっと探し続けてきたもの。それはいまも見つからない。

 だけど、翼を持つものが本当にいたとして、それに出会ったとして、俺はどうすればいいのだろう。

『囚われた翼を解きはなつ』

あまりに抽象的すぎて、なにをすればいいのか見当もつかない。それに……それは親父の願いであって、俺の願いではない。ならば、俺の願いとは……?

和樹の視線が空から地上にもどる。美凪の姿がそこにはあった。

「そういえば、おまえの母親にあった。診療所の前でたまたま出くわしてな。そのあとみちるから、その人が美凪の母親だと聞かされたんだ」

「…母に……?」

「ああ。診療所から出てきたようだが、ひょっとして病気か何かなのか」

「…平気です。…母は……病気ではありませんから……身体的にはなにも問題はありません」

呟くように発せられた言葉。だがその言葉は、十分和樹に違和感を覚えさせるものだった。

「…どういう意味だ」

「…こころ……母は……夢を見ているんです。…あの人にとって……夢は(うつつ)。夢の向こう側にはなにもないから……だから……現を夢で彩るしかない……」

 美凪を取りまく空気が悲しみの色に染まる。その空気が、柔らかく和樹の肌を吹き抜けていく。

「…でも……たとえ……あの人にとって、…私が夢の欠片だとしても……それがたとえ、いつかは覚めるものだとしても……それでも私は……」

「ダメだよっ、みなぎっ!」

 瞬間、陽射しに熱を帯びた空気がふるえ、閉ざされた世界に光がともる。

「そんなこと、言ったらダメだよ」

 光の名は、みちるといった。

「みちる……」

灯りはじめたロウソクが闇を優しく照らしだすかのように、ゆっくりと……ゆっくりと時が流れ始める。

「…そうだね……ごめんなさい」

 儚く崩れかけた世界は、もう一度輝きを取りもどす。

 その直後、どごっ、と拳が何かにめり込む音。

「みなぎがかなしむような話するな、馬和樹ーーっ!」

 不意打ちにさすがの和樹も耐えられなかったようで、ぐっと声を漏らしながらその場に座りこむ。

「こんなヤツほっといてかえろ、みなぎ」

「…えっと……あの、…さようなら……和樹さん」

 みちるに引きずられていく美凪。二つの人影が去っていっても、残った一つの影から悶え苦しむ声がやむことはなかった。

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃった」

 佳乃は薄暗い夜の海岸を愛犬(?)ポテトと一緒に歩いていた。ポテトは元々商店街をうろつく野良犬だったが、そのうち診療所の近くをうろつくようになり、いつの間にか佳乃の飼い犬として定着していった。

 家主である聖もまんざらではないようで、近々ポテト用の犬小屋でも買ってやろうかと考えているらしい。

 公園に近づくと、ポテトが何かを見つけたらしく急に勢いを増す。

「わわっ、ちょっと待ってー」

 ポテトに引っ張られるように走っていくと、佳乃は堤防の上に二人の男女が座っているのを見つけた。

「あれは…往人君と観鈴ちゃん?」

 ポテトがそれに近寄っていこうとするのを慌てて引き止める。

「あはは、駄目だよポテト。ロマンチックな二人を邪魔しちゃいけないよ」

「それでね、わたしその夢をさかのぼってる」

 風向きが変わり、観鈴と往人の話し声が聞こえてきた。

 どくんっ 

 瞬間、佳乃の胸の奥で何かが胎動した。『夢を遡る』その言葉に、心の奥底に眠っていた何かが反応した。

 どくんっ

 もう一度、脈動。

あれっ…あたし、どうしちゃったんだろ。

 胸が苦しい。これ以上ここにいると何か、何か大変なことが起きてしまうような、そんな嫌な胸騒ぎがする。

はっとなって、佳乃は手首に巻いたバンダナをギュッと押さえこむ。

「ポテト、かえろっか」

「ピコッ」

 佳乃は逃げるように診療所へと駆け出していった。心の奥底から湧き出てきた、得体の知れぬ何かにおびえるように……。

 

 

 

 

 

あとがき

 

この作品ではクロスオーバー的な部分が多く取り入れられています。今回のラストを見れば分かるように、feather第二幕はdream第五幕とほぼ同じ時間に進行されています。これから先のことを少し言ってしまうとfeather第三幕、四幕はdreamの第九幕、終幕とほぼ同時期に進行されていきます。このクロスオーバー部分は今後も色々な場面で出てくると思いますので、この時期に別の章で何が起きていたかを思い出しながら読んでもらえると幸いです。







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