魔界から結界を隔てた先にある世界。
 そこが、「化け物」こと霊夢達の住む世界であった。

 人間を始めとして、妖精、妖怪、鬼や天人…といった、雑多の種族が住まうこの世界。
 その風景は、アリスの住む魔界とほとんど変わらない。
 互いの世界での違いといえば、大勢を占める種族や文化の違いくらいだろうか。

 それほどにそれぞれの世界は似かよったものだった。

 そんな世界の、とある場所…
 ひっそりと静かにたたずむ古びた小さな神社の軒先で、二人の少女がのんびりとお茶をすすっていた。
 
 「………」
 「………」

 鳥の囀り声や、風に揺れる木々の音に包まれながら、何かを話すでもなく気だるそうに湯呑みを傾ける少女達。
 その顔は、いかにも「退屈そのもの」といった表情である。
 そんな退屈と沈黙に耐えかねたのだろうか。
 黒と白の服を着た金髪の少女が、ぼんやりとしながら口を開いた。

 「…あぁ…ヒマだ…。 …なぁ霊夢、ちょっと面白いことでも起こしてくれないか?」
 「…あんたねぇ…。」

 あまりに無茶苦茶な注文に、心底呆れきった表情で呟く霊夢。
 傍らの魔理沙へ視線すら向けない辺りから、彼女がどれだけ呆れているのかがわかる。

 「毎日毎日人の家に上がりこんでお茶を消費しておいて…それでいてまだ飽き足らないってわけ?」
 「ヒマなもんはヒマなんだから仕方ないだろ。 それにな、お茶だって新鮮で香りの良い内に飲んでやるってのが、葉っぱに対しての親切ってもんだと思わないか?」
 「…あぁ、そうね。 同じ葉っぱで何度も何度も繰り返し飲んでもらえて、お茶も感激して涙を流してるところでしょうね。」
 「分かってくれて嬉しいぜ。 …ってことで、だ。 三杯目もらえるか?? 今度は熱いのを少ない量でいいからさ。」
 「ぬるくて飲みやすいのをいっぱいに入れてきてあげるわ。」

 減らず口の応酬は、とどまることを知らない。
 仲が良いのか悪いのか… これは彼女達にとって、日常のものであるらしい。
 ぽかぽかと陽のあたる神社の縁側で、少女二人はいつもと変わらない調子で互いに言の葉を投げつけ合いながら、午後の退屈な時間を過ごしていた。

 魔界で暴れに暴れたあの日から、すでに十数日。
 それ以来彼女達の周りでは、何事もない平穏な日々がゆっくりとのんびりと続いている。
 しかし、その「何も変わらない毎日」という物は、この少女達にとってはいささか物足りないものであるようだった。
 それがいかに贅沢な話であるのか。
 そんなことは、もちろん彼女達とて解っている。
 騒動や事件、争いごとを好む…というわけでも、もちろん無い。

 しかし、それでも彼女達は、こうして無為に過ぎていく時間を持て余さずにはいられなかった。

 「そもそもあんた、あっちから魔法の本を失敬してきてたんじゃなかったの? それの研究でもしてれば、こうしてヒマなんてしなくて済むんじゃないの?」
 「人聞き悪いこと言うな。 あれは借りてるだけだぜ。 数十年ばかり、な。 …とは言っても、私が魔界の言葉を習得できない限り、アレはただの『本棚の肥やし』にしかならないだろうけどな。」
 「なら、魔界語の勉強でもしてれば?」
 「妖怪やら魔界人に知り合いがいれば、真っ先にそうしてるぜ。 …ああヒマだ。」

 ヒマだ退屈だと騒ぐ魔理沙を上手いこと追い払おうと試みる霊夢だったが、どうやらそれは逆効果であったらしい。
 霊夢の言葉によってますますやることがないことを思い知らされた魔理沙は、まるで駄々っ子のように足をバタつかせて騒ぎ出してしまう。

 「あぁヒマだヒマだ〜。 ヒマ過ぎて死ぬぜ。 …さて霊夢、ここで問題だ。 私はこの三日間で、何回『ヒマだ』と言ったでしょう。」
 「知るわけないでしょ。 だいいち、あんた自分で回数かぞえてるの?」
 「んなわけないだろ。」
 「…あんたねぇ…」

 もはや、彼女の言葉は支離滅裂なものになっていた。
 思わずどつき倒してしまいそうになるのをぐっと堪え、霊夢はただそれだけを呟く。
 魔理沙の退屈さ加減と霊夢のウンザリ感は、そろそろ限界に達してしまいそうな様子だった。

 魔理沙が本当に退屈死するのと、自分がノイローゼになるのと、一体どちらが先になるだろう…。
 そんなことを霊夢がぼんやりと考えていた、そんなときだった。

 「へぇ、ヒマなんだ?? なら、私と遊ぶのに付き合ってくださらないかしら。」
 「………!?」

 
 どこからともなく、何の前触れもなしにそんな声が投げかけられた。
 その声に含まれた不穏な色に霊夢と魔理沙は反射的に立ち上がり、そちらへと向き直っていた。

 「お久しぶりね。」

 視線の先では、まるで西洋人形を彷彿とさせるような姿の幼い少女が立っていた。
 上品な装いをした少女が、美しい金髪を風に揺らしながら挑戦的な視線でこちらを見据えている。
 その彼女が抱きかかえているのは、何かの魔道書だろうか。
 小さな体には不釣合いな程に大きく、そして分厚い本が、やたらと印象的だった。

 「知らないわよ、あんたなんて。 もしかして魔理沙、あんたの知り合い??」
 「お前、鳥アタマか? あいつが言うほど久しぶりってわけでもないぜ?」

 その口ぶりからして、霊夢は本当に覚えていないらしい。
 が、その一方の魔理沙は、あの少女の顔をしっかりと覚えていた。

 そう…確かあれは、魔界で出会った人形遣いの少女だったか。
 あちらでやりあった強敵たちの中でもひときわ幼い姿をしていた彼女のことは、魔理沙の中でも強く印象に残っていたのだ。

 しかし、その時の彼女とはどうにも雰囲気が違うように思える。
 以前に会ったときは、これほどまでに不穏な空気をまとっていなかったはずだ。

 魔理沙は、かたわらに立て掛けていた箒を油断無く手に取り、その違和感の正体を見極めようとじっと目を細めた。

 「ずいぶんつれないこと言うのね。 せっかくあなた達をやっつけてあげようと思って、わざわざこっちに来てあげたっていうのに。」
 「そう、それはご苦労様。」

 口元に笑みを、目元に自信をたたえながら、少女は凄まじいまでの殺気をぶつけてくる。
 対する霊夢達も、相変わらずの飄々とした態度で軽口を叩いていたが、それでも額には冷たい汗が浮かびだしていた。
 魔界から復讐のためにやってきた幼い少女。
 その彼女から放たれている「気」は、それほどまでに尋常でない何かを含んでいた。

 霊夢の勘が、魔理沙の癇が「この相手は、危険だ」と叫んでいた。

 「苦労? そんなものしてないわ。 でも、そう思うのなら相手してくれないかしら。 このために『究極の魔法』の記されたグリモワールを持ち出してきたんだから。」
 「へぇ、やっぱりそいつは凄い魔道書なんだな。 是非とも譲って欲しいもんだぜ。」
 「あんた、あんな物が欲しいわけ? 悪趣味だって言われない??」

 魔界の少女を取りまいている、澱んだ歪つな空気。
 それは彼女自身よりも、その腕の中の魔道書が放っているように感じられる。
 彼女の言う「究極の魔法」は、いわゆる「禁呪」と呼ばれる類のものであることは、もはや明らかであった。

 「馬鹿ね。 ただの人間に扱えるわけがないじゃない。」
 「なるほどな。 なら、見るだけでいいぜ。 見るだけで、な。」
 「言われなくても見せてあげるわ。」
 「…私は見たくないんだけど。」

 霊夢たちの言葉を完全に無視し、ニタリ…と口元を歪める少女。
 人というものは、こうまでおぞましい笑みを浮かべられるものなのだろうか。

 強まる殺気。
 濃密さを増す歪つな空気。
 世の中には厄を集める神がいると聞いたことがあるが、それとてこうまで嫌な気をまとっていないだろう。
 魔理沙は、まるで心臓を生暖かい手で撫で回されたような感覚を覚えた。 

 そしてその瞬間。

 突如として魔界の少女から強烈な波動が放たれた。
 空間が歪み、世界が揺らぐ。

 「うっ…!?」

 脳が、意識が、激しく揺さぶられた。

 延髄を駆け抜ける鋭い不快感。
 遠のきそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、津波のような波動を堪えしのぐ。
 
 やがて、その波が過ぎ去っていった時…
 辺りの風景は、見たことも無いような不可思議な世界のものと化していた。

 「…ふ〜ん。 わざわざ場所を変えてくれたってわけ? うちの神社を壊さないように、気を使ってくれたって思っていいのかしら。」
 「おめでたいことね。 そう思うんなら、そうとでも思っていればいいんじゃない?」

 そこは、無限に広がる漆黒の闇だった。
 地に立っているのか、虚空に浮いているのか…
 それすらも判らないような冥く異質な空間に、霊夢と、魔理沙と、そして復讐の少女の姿だけが浮かび上がっている。

 少女の…いや、魔道書の力によって作り出されたであろうその世界。
 そんな世界へと飛ばされてしまっていながらも、それでも人間の少女たちは相変わらずの笑みと余裕の態度を見せていた。
 
 こんな状況だからこそ、「笑ってやろう」という思いが。
 「深刻になったところで何かが変わるわけではない」という考えが、彼女たちをそうさせているのである。

 そして、その「笑み」というものは心に余裕と冷静さを与え、危機的な状況を乗り越えさせる力をももたらしてくれるということを、彼女たちは経験として知っていた。

 「さあ、始めましょう? まずは『カード遊び』なんてどうかしら。」
 「へぇ… そりゃあ面白そうだな。 イカサマなら得意だぜ。」
 「始めからイカサマ宣言してどうするのよ。」
 「甘いな、霊夢。 実際にしかけるかどうかはともかくとして、こうして宣言することで相手を牽制する。 こいつは立派な心理作戦なんだぜ?」
 「はいはい、そうですかそうですか。 で、やるとしたらどんなイカサマを披露してくれるっていうのかしら?」
 「へへっ、そいつはお楽しみってヤツさ。」
 「泥船に乗った気持ちでいてあげるわ。」

 好き勝手放題に放たれる軽口。
 しかし、それの相手をしてやろうという気は、もはや少女には微塵も無いらしい。
 
 懐からカードの束を取り出し、冷たく可憐な笑みを浮かべる魔界の少女。
 それを見つめながら、魔理沙は箒の柄を握り締める自分の掌がびっしょりと汗に濡れていることを、今更ながらに感じとっていた…。







 本来あるべき世界とは明らかに異なる、創られた空間。
 今にも飲み込まれてしまいそうな、無限に広がる暗闇。

 その虚空のような空間で憎き仇と対峙しながら、アリスは絶対の自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
 
 身を隠すことのできるような物は何も無い。
 邪魔者が入ってくることも無い。

 完全に隔離されたこの広大な世界は、彼女が手に入れた「究極の魔法」の力を存分に発揮するのに、これ以上無いほどに適した空間であった。

 「さあ、始めましょう? まずは『カード遊び』なんてどうかしら。」

 懐からカードの束を取り出し、アリスは一段とその口元を歪めさせる。

 なぜだろう。
 可笑しさが独りでにこみ上げてきて、彼女は自分で笑いを抑えることができなかった。
 少しでも気を抜けば、今にも声を上げて高笑いを始めてしまいそうだ。

 手に入れた力の強大さに酔っているのだろうか。
 それとも、仇敵に雪辱を果たすことができる、という自信によるものなのだろうか。

 その理由が何故なのか、それは彼女自身でもよく解らなかったが、しかしそんなことはもはやアリスにはどうでもいいことだった。
 今の彼女にとっては、いかにあの人間二人をいたぶり、苦しめ、そして地にまみれさせてやるか…ということ以外は、さして重要なことではなかったのだ。

 「へぇ、面白そうだな。 イカサマなら得意だぜ。」
 「泥舟に乗った気でいてあげるわ。」

 あいも変わらずなにやら下らないお喋りに興じている人間たち。
 どうやらあちらは、ずいぶんとこちらのことを舐めきってくれているらしい。

 甘く見られたものである。
 しかし、それはそれで構わない、とアリスは考えていた。
 それならばこちらは、連中を完膚なきまで叩きのめし、力の差を、己の認識の甘さを痛感させてやるまでだからだ。

 せいぜい笑っているがいい。
 いたぶり、苦しめ、じわじわと息の根を止めてやろうデハナイカ。

 少女の胸の中に嗜虐的な感情が溢れ出し、瞳へ狂気の色を映し出させる。

 その感情に反応したのだろうか。
 右腕に抱いたグリモワールが一度だけ、大きくハッキリと脈を打ったような気がした。

 「ふふふっ、せいぜい楽しませて頂戴。 でないとわざわざここまで来た甲斐がないわ。」

 常軌を逸しかけた瞳で口元を歪め、アリスは魔法を発動させるべく意識を集中させる。
 魔道書から力を汲み上げ、それを自らの身体を介してカードへと注ぎ込むイメージ…
 グリモワールは、その意思に応えてくれた。

 彼女の体の中を、強大な魔力が怒涛のごとく駆け抜けていく。
 その魔力によって、カードへと命が吹き込まれる。
 やがて…それらはまるで風に煽られたかのように、突然虚空へと舞いあがった。
 
 血を思わせるような赤黒い輝きを放ちながら、紙片がヒラリヒラリと少女の周りを乱れ踊る。
 目を焼かんばかりの禍々しい光を放ちながら、カードがその姿を変えていく。

 それは、僅かな間の出来事だった。
 術の発現を阻むする暇さえなかった。

 油断無く身構えながら相手の出方を窺う魔理沙たちが、ほんの数度、呼吸をするかしないかの間。
 たったそれだけの時間の内に、カードたちは少女の忠実なる使い魔と化し、そして彼女の周囲で陣を展開させていた。
 その数は二十を超えるだろうか。
 小さな紙片にすぎなかったそれらは書籍ほどの大きさへと形を変え、実体の無い手足を生やし、鋭い刃をもつ得物を手にしている。
 その姿はまさに、「カードの兵隊」であった。

 「おいおい…こいつぁ反則ってレベルじゃないのか??」

 しかも、ただ数を揃えただけのものではない。
 それぞれの固体の質をも兼ね備えた、いわば「親衛隊」である。

 魔理沙は、兵士たち一体一体に秘められた強力な力を敏感に感じ取り、思わず苦笑と嘆息をもらしていた。

 「なあに? 怖気づいたの??」
 「バカ言うな。 だいたいな、魔法ってのは派手ならいいってもんじゃないぜ。」
 
 茶化す霊夢。
 笑い飛ばす魔理沙。

 彼女たちの額には冷たい汗が滲んでいたが、それでも二人にはまだ笑みを浮かべさせる余裕が残っているようだった。

 剣を、槍を、そして弓矢を手にした精鋭の兵士たちと、それを従えたアリス。
 腰をおとし、霊符を、箒を構える霊夢と魔理沙。

 互いが互いに相手の隙をうかがい、睨み合う。

 呼吸はもちろんのこと、瞬きをしただけでも決定的な隙をさらしてしまうのではないだろうか。
 そう思えてしまうほどに、両者の間の空気は張り詰めきったものになっていた。

 「………」
 「………」

 視線と視線が鋭くぶつかり合う。
 口元に笑みをたたえた少女たちの眼光が激しい鍔迫り合いを交える。

 そして、その瞬間。

 「……行きなさいっ!」

 魔界の少女から鋭い気と号令が放たれ、それと同時にいくつもの使い魔たちが一斉に虚空を疾り出し始めた。

 「そぉら、おいでなすったぜ。」

 暗闇の中、赤い光を曳きながら虚空を疾る精鋭の兵士たち。
 襲い掛かってくるそれらの者たちの数を、魔理沙は素早く数えとる。
 こちらへは八体、霊夢へ向けては九体が向かっていっただろうか。
 その動きは、以前に使役していた人形たちのそれよりも、ずっと速く、鋭く、そして精密なものだった。

 槍の穂先を向け、一直線に突進を仕掛けてくるもの。
 弓に矢をつがえ、牽制の射撃を放つもの。
 そして、じっと隙をうかがい、刃を振り下ろすべき機を待っているもの。

 まるでそれら一体一体が、それぞれに意思を持っているのではないか…と思えるほどに、彼らは素晴らしく連携のとれた動きをしていた。

 「ちょっと、危ないじゃない。」

 巧妙な足さばきによる最小限の動作で、霊夢は撃ち込まれた矢をかわす。
 間髪入れず突っ込んでくる突撃兵へと霊撃を放ち、その機先を制する。
 そして、その隙に踊りこんできた剣士の斬撃を瞬時に展開させた結界で受け流す。
 
 全てが、紙一重だった。
 僅かでも挙動が遅れれば、一瞬でも隙を見せてしまえば、それが即命取りとなりうるだろう。
 それほどまでに、カード兵たちの猛攻は激烈なものだった。
 避け、流し、受け。
 ありとあらゆることを、同時に、もしくは間断なくこなさなければならなかった。
 
 渾身の一撃をあしらわれたことで体勢の崩れた剣士に霊撃を叩き込み、それと同時と地を蹴って後方へと跳びすさる。
 その彼女のすぐ目の前の空間を、再び撃ち込まれた矢がうなりを上げて引き裂いていく。
 霊撃の直撃を受けた個体が、まるで悲鳴をあげるかのように赤い光を体から撒き散らしながら吹っ飛んでいったが、使い魔たちによる執拗なまでの集中攻撃は彼女にそれを見届けさせるほどの余裕を与えなかった。

 鋭く繰り出される槍の穂先。
 その横合いから振り下ろされる冷たい刃。

 さすがの霊夢でも、これには分の悪さを感じずにはいられなかった。

 「ああもう、活きのよろしいカードだことで。」

 紙一重で突きをかわし、咄嗟に張り巡らせた結界で斬撃を真正面から受け止める。
 防壁越しに伝わる重い衝撃が、この使い魔たちに秘められた「力」の強さをそのまま表している。
 迂闊に気を抜けば、この壁もたちまちの内に押し破られてしまうだろう。

 「ったく、この小っさい体のどこからこんな馬鹿力が出てくるんだか。」

 防壁を張る手へと霊力を集中させる霊夢の口から、半ば呆れたような調子の悪態が洩れた。
 常に余裕をたたえていたハズの彼女の口元から、笑みが消えている。
 それほどまでにカード兵は、そしてそれを生み出した禁断の魔法の「力」は凄まじいものだった。

 そして。
 その傍らで攻防を繰り広げていた魔理沙もまた、禁断の「力」の前に苦戦を強いられていた。

 「同感だぜ。 だいたいな、魔法使いに肉弾戦をやらせるなんてそんなバカな話があるか??」

 魔法の箒を器用に扱い、振り下ろされる太刀を柄で必死に受け流す黒白の少女。
 直撃こそ受けてはいないようだが、それでも彼女の身体のあちこちにはうっすらとした傷が刻み込まれており、そしてそこからは、じんわりと赤いものが滲み出している。
 その傷の数は、霊夢が負ったそれとは比べ物にならない程に多い。

 少女が自身で言っている通り、彼女はこうした接近戦をあまり得意としていなかったのだ。

 一つ、また一つ…と、カード兵たちの刃が、少女の身体に赤い刻印を刻み付けていく。
 一方の魔利沙も、相手の動きに隙を見出しては魔法の弾丸を叩き込んではいたが、それでもやはり、彼女が圧倒的な劣勢に立たされていることは否めなかった。

 「ちょっと魔理沙、そっちは自分で片付けてよ? あんたの分まで相手してやるほどの余裕なんて無いんだから。」

 そんな相棒の様子を見かねて、霊夢が叱咤の声を投げる。

 「先に倒されたりするなよってか? そいつは有難いねぇ。 ただできることなら、こういうのはお前みたいな専門家にお願いしたいところなんだけどな。」

 その言葉に、いつもと同じような調子で返事を投げ返す魔理沙。
 だが彼女のその言葉は、簡単に聞き流してしまってよいようなただの憎まれ口とは違っているように感じられる。
 何かの含みを持った言葉…
 霊夢は魔理沙の返事から、そんな何かを感じ取っていたのである。

 「専門家にお願い? …魔理沙、あんたまたロクでもないこと考えてるでしょ。」

 攻防のあい間をぬって雑言を投げ返し、霊夢はチラリと魔理沙の方へと視線を流す。
 衣服も、身体も、すっかりボロボロになってしまった戦友。
 その友の瞳は、じっと何かを狙うかのような鋭い光を宿らせている。

 彼女が、何か策を抱いているのは明らかだった。

 「なあに、大した事じゃないぜ。 ほんの少しの間だけ、こいつらを引き付けてくれるだけでいいんだ。」
 「…それがロクでもないことだって言うのよ。」

 繰り返される軽口の応酬。
 その間にも、グリモワールによって生み出された使い魔たちは、少女たちに容赦ない集中砲火を加えていく。

 疾る矢が霊夢の袖口を引き裂いた。
 槍の一閃が魔理沙の肩口に新たな裂傷を刻んだ。

 禁断の魔法による「カード遊び」は、完全に一方的な様相を呈していた。 
 
 「ずいぶんな余裕よね、こんなになってもまだお喋りなんてしてられるんだから。」

 カード兵たちの刃を必死に凌ごうとする少女たちの姿に、アリスが至極満足そうな笑みを浮かべる。
 彼女からすれば、こうして無駄な抵抗をしている人間たちの様はまるで、掌の上で踊る滑稽な人形のように見えていたのだ。
 
 この上も無く愉快だった。
 これほどに痛快な気分になるのは初めてだった。

 体中を、ゾクゾクと得体の知れないものが駆け抜けていく。
 気持ちが昂ぶり過ぎているせいだろうか。
 彼女の心臓が、今にも破裂してしまいそうな程に激しく鼓動を打っていた。

 「なんだか下らない小細工を企んでるみたいだけど、そんなものでこの子たちを破れるとでも思ってるの??」

 高揚する気持ち。
 刺激される嗜虐心。

 もはや、負けることなどありえなかった。
 たとえこの術が破られたとしても、これよりもさらに強力な魔法はいくらでも残っているのだ。

 もっとだ。
 モット、コノ人間タチデ遊ンデヤロウ…。

 周囲に護衛の兵士を従えさせた魔界の少女の目が、まるで得物を追い詰めた蛇のようにすぅっと細くなった。

 「もちろん思ってるさ。 私のこの箒は伊達じゃないんだぜ?」
 「あなたの言動を見てると、どう見ても掃除が得意なようには思えないけどね。」
 「あら、人を見る目があるじゃない。 大当たりよ。」
 「お前なぁ…今は否定しておけよ。 確かに整理整頓は苦手だけどな。 でも、掃除は本当に得意なんだぜ?」

 僅かに攻撃の手を緩めさせ、しばしの間だけ人間たちのお喋りに付き合ってやる。
 魔理沙と呼ばれているあの白黒の魔法使いの企みとやらが、いったいどのようなものなのか…
 それを見てやってもいいかもしれない、といった気持ちがアリスの中に芽生えだしていたのだ。

 口ぶりから推測するに、どうやらその小細工は、巫女の少女に時間を稼いでもらい、その間に魔法を発動させて使い魔たちを一掃しようというものであるらしい。
 なんとも単純な策である。

 しかし、実際にそんなことができるつもりなのだろうか。
 そもそも、攻撃を引き受ける側がそれだけの時間を耐え切ることなどできないだろうし、よしんば魔法を発動させることができたとしても、それだけでこの使い魔たちを沈黙させるなどそもそもできるわけがないのだ。

 それに、もしこの術を破られたとしても、こちらにはまだ次の手がいくらでも残っている…
 もはやこちらの勝ちは確実と言ってしまっても過言ではないのだ。

 「面白いこと言うわね…。 なら、見せてごらんなさい。 あなたの得意な『お掃除』ってものをね。」

 だからアリスは、敢えて彼女たちの「策」とやらに乗せられてやることにした。

 サッと右手を挙げ、少女が兵士たちへ攻撃停止の合図を送る。
 忠実な使い魔たちが彼女の指示にしたがい、ピタリとその動きを止めた。

 「…?」

 思いもしなかった休戦に、霊夢が眉をひそめ不審そうな眼差しをアリスに向ける。
 その傍らでは、呆気にとられたような表情の魔理沙。
 あまりに唐突な出来事に、思わず二人の動きと思考が固まった。

 静寂に包まれる暗闇の異空間。

 しかしそれも、ほんの一瞬の間のことでしかなかった。
 動きを止めたはずのカード兵たちが、アリスからの新たな指示によって再び動き出したのである。

 「さあ、やってごらんなさいな。 お望みどおり、そっちの紅白だけに攻撃を集めてあげる。 あなたの『お掃除』の準備ができるまで耐えきれたらいいわね。」

 残忍で冷酷な、まるで悪魔のような嘲笑を浮かべる魔界の少女。
 彼女の言葉に従い、霊夢へ向けて一斉に刃を向ける使い魔たち。

 「あぁもう! だからロクでもないことだって言ったのよ!!」

 さすがの霊夢も、これには憤激の悲鳴をあげずにはいられなかった。

 「霊夢、骨は拾ってやるぜ。 だから少しの間だけ頼まれてくれよな。」
 「バカ言ってるヒマがあったら、さっさとやりなさいよ!」

 弓使いたちが紅白の少女を取り囲み、四方から間断なく矢を放つ。
 足を止め、結界を張ることに専念する霊夢目がけて槍が突き出され、切っ先が振り下ろされる。

 避けることなど、できなかった。

 「…ったく!」

 迸る怒声、鮮血。
 少女の左腕に、決して浅くはない傷が刻まれた。

 体勢がわずかに、しかし確実に崩された。

 「ほらほら、どうしたの?? もうおしまい??」

 愉快そうにあざ笑うアリス。
 姿勢の乱れた霊夢へ、容赦無く矢を射かける使い魔たち。

 おそらく、ここで一気に攻め立てられていれば、霊夢とて無事ではいられなかっただろう。
 しかし、アリスはトドメの命令を下すこと無く、そのまま兵士たちに矢を撃ち込ませ続けた。

 勝負を急がずに慎重な手段をとった…というわけではない。
 ただ単に、この人間をいたぶってやるためにそうしただけだった。

 「ほらほら、頑張らないとやられちゃうわよ??」
 「……いい性格してるわね。 きっとお友達もたくさんいらっしゃることなんでしょうね!」

 明らかに怒気をはらませた霊夢の声。
 彼女の瞳に激情の炎が宿り、その目が鋭く魔界の少女を睨めつける。

 しかし、状況はこれ以上無いほどに悪かった。
 まさに手も足も出せない状態だった。

 霊夢は凄まじい目でアリスを見据え、じっと防壁を維持させながら矢の雨を耐え続けている。
 だが、それもいつまで持ちこたえられるだろうか。
 いつまでもこんな状態が続くのであれば、正直なところ彼女は、この刃の嵐を耐え凌ぐことなどとてもできるような気がしなかった。

 「魔理沙っ!」

 早くしろ、と言わんばかりに苛立たしげに叫ぶ。
 もはや限界は近かった。

 「そろそろ終わりにしてあげましょうか。」

 待ち望む友の返事に代わり、聞こえてきたのは魔界の少女の嘲り声。
 もはや潮時、と彼女は思ったのだろうか。
 槍を構えた使い魔たちが最後の突進をしかけようと、静かに隊列を整え始めていた。

 矢の斉射は止まらない。
 これでは、兵士たちの突撃を避けることなどできないだろう。

 自分はこんなところで果ててしまうのだろうか…。

 霊夢の心に無念さと悔しさがわき起こり、その口惜しさのあまりに彼女の奥歯がギシリときしみ声をあげた。

 「魔理沙。 化けて出てやるから、覚悟しときなさいよ!?」

 叫ぶ霊夢。

 「巫女が悪霊さんになるってか?? 笑えない冗談だぜ!」

 笑い飛ばす魔理沙。
 その声音に、霊夢への謝罪の色は全く含まれていなかった。
 どこか得意げな、笑みをたたえた声。
 その顔を見なくても、今、彼女がどのような表情をしているのかが、霊夢にはありありと想像することができた。

 「待たせて悪かったな。 私の『掃除』の腕前、ゆっくり見ていってくれよな!」

 ニィッと浮かべた不敵な笑み。
 自信にあふれた会心の一言。

 黒と白の少女が、不思議な紋様の描かれた正八角柱型の小箱を取り出し、それから何かを撃とうとするかのように身構えている。
 彼女の「策」が、今まさに発動しようとしていた。

 「こんなに早く『ミニ八卦炉』を使うときが来るなんて思ってもいなかったぜ。 感謝するぜ、魔界のお嬢様。」

 魔力が、高まっていく。
 「ミニ八卦炉」へと力が集められ、凝縮し、ほのかな光をまとい始める。

 「どういたしまして、とでも言っておけばいいのかしら?」
 「充分だぜ。」
 「いいからさっさとやりなさいよ!」

 三者三様の想いが交錯する。

 「よぅし、しっかり見ていけよ。 前にやりあった妖怪の技を参考にしてあみ出した私の必殺技、初公開だぜ!!」

 光が、溢れる。
 冥い世界を、眩い閃光が迸った…
 




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