空気が、ざわめいている。
 魔法使いの少女アリスは家から外へ出るなり、そんなただならぬ雰囲気を直感的に感じ取っていた。

 「………?」

 何だろう。
 何が起きたというのだろう。

 青い瞳を左右へと巡らせる少女。
 その前を、この魔界の住人である魔人や妖怪と呼ばれる類の者達が、不安げな様子で足早に歩を進めていく。
 変事が起きているのは、確かであるようだ。

 「…どういうこと?」

 首を傾げ、立ち尽くす幼い少女。

 しかし、そんなアリスに関心を示してくれる者は、誰一人としていないようだった。
 皆、少女のことなど相手にしたくない、といった様子で不自然に目をそらしながら早々に歩き去っていく。

 明らかにアリスは、避けられているようだった。

 「まったくもう…」

 面倒で仕方がない、と言でも言いたげに溜め息をつく。
 その表情に、悲憤の色は少しも見られない。

 人々からの冷たい態度など今に始まったことでは無かったし、とうの昔に慣れきっていたからだ。
 だから、こんなことでいちいち彼女が感情の波を荒立たせることはなかった。

 アリスの気持ちにあったのは、ただただ「煩わしい」というものだけである。

 「………。」

 考えるだけで気が重い。

 何故わざわざ、こちらに対して冷淡に接してくる者達へ、自分からものを尋ねなければならないのだろう。
 そうでなくても、人に物事を頼むなどということは、自分の弱みをさらけ出すようでシャクに障るというのに。

 しかし、こうしてぼんやりと立ち尽くしていても何も変わらないし、このままでは今起きている変事に対しての初動も遅れることになってしまう。
 何一つとして、良いことなど無いのだ。
 ならば、下らない意地など、さっさと投げ捨ててしまった方が良い。

 アリスはもう一度溜め息をつき、そして、誰か適当な者が通りはしないだろうか、と視線を巡らせはじめた。

 知り合いや顔馴染みなどという便利なものなど、もとよりいない。
 何か知っていそうな者であれば、誰でも良かった。

 できることならば、一発で「当たり」を引ければ良いのだけれど…。
 そんなことを考えていると、一人の女性の姿が目に留まった。

 他の者と同様、やはり慌てたような様子で歩いている女性。
 しかし、彼女については無意味に不安へ駆られているような気配は無く、ハッキリとした理由から先を急いでいるように見える。

 もしかしたら、この女性は何かを知っているのではないだろうか。

 「当たり」でありますように…と心の中で祈りながら、アリスはその足を彼女へ向けて踏み出した。

 「ねぇ、ちょっと。」
 「はい?」

 おもむろに正面へと立ちふさがり、居丈高に声をかける。
 突然そんな態度で話しかけてきた幼い少女に対して、女性は明らかに不愉快そうな表情をその顔へとあらわにした。

 しかし、当のアリスはそんなことなどまったくお構い無し。
 相手の嫌そうな顔など知らぬげに、一方的に質問を浴びせかける。

 「なんだか皆慌ててるみたいだけど…何があったのか教えてくれないかしら。」

 上品そうな服装、襟首程までに伸ばしたブロンドの髪、そしてそれを可愛らしく彩る青いリボン。
 まるで人形のような可憐な美少女であるのに、なぜだか彼女は人の心を波立たせるような空気をまとっている。
 人を人とも思わないような言動が、少女にそんな気をまとわせているのだろうか。

 人々が彼女に向ける冷淡な態度、アリスが人へ向ける尊大な態度。
 一体どちらが先であったのだろう。
 それは彼女自身も、周囲の人々もハッキリとは覚えていない。

 確かなのは、近所の者達は彼女に対し「厄介者」といった認識しか持ち合わせていないということだけ。
 ただそれだけだった。

 「化け物よ。」

 そんな厄介者に絡まれた女性は、いかにも迷惑そうな顔をしながら端的に答えだけを返す。
 適当にあしらって済ませようという気持ちが、ありありと見て取れた。

 しかし、たったこれだけの答えで納得できるアリスではない。 


 「化け物って何よ。 それだけじゃ解らないじゃない。」
 「化け物って言ったら化け物よ。 やたらと強い化け物が外の世界からやってきて、そこら中で暴れまわってるの。 これでいいでしょ?? 私は早く避難したいんだから。 じゃあね!」

 しつこく食い下がる少女に、女性は顔だけをこちらへと向け、歩きながら簡単に事情を話し、そして去って行く。
 立ち止まる僅かな時間ですらも惜しい、とでも言いたげに。

 一方のアリスも、女性のそんな態度へ特に腹を立てるでもなく、そのまま自分の思考へと入っていく。
 繰り返しになるが、他人から冷たく接せられることなど、もはや全く意に介さないのである。

 「やたら強い化け物、ねぇ…。」

 形の良い顎に手を当て、思案を巡らせるアリス。

 人々はずいぶんと恐怖を感じているようであったが、少女からすればそんな「化け物」など大した脅威には感じられなかった。
 「自分には、人並み以上の力がある」という自負が彼女にはあったからだ。

 そしてその自信も、ただの思い上がりではない。
 見た目では十歳そこそこの幼い姿であるのに関わらず、彼女は他の妖怪や魔人達を圧倒するほどの魔力を持ち合わせていた。
 もっとも、魔界の住人である彼女の実際年齢など、外見だけではとうてい推し量ることなどできないのだが。

 ともかく、そんなアリスであったから、「やたら強い化け物」などという話は、恐怖どころか好奇心に火をつける対象のものでしかなかったのである。

 「ふ~ん… なら、私がそいつをやっつけてやれば、皆に私の力を認めさせてやることが出来るってことよね。 そうなればきっとあの人も…神綺さまも私のことを褒めてくれる。 …ふふっ、いいチャンスじゃない。」

 幼い瞳に、野心的な光が宿る。
 彼女の頭の中ではすでに、「化け物をやっつけた英雄」として賞賛される自分の姿が浮かびあがっていた。

 敬愛する人、自分の力を認めなかった者、彼女に対して無関心であった他人… 多くの人々がアリスを褒め讃える。
 そんな光景を想像するだけで、少女の胸は高まりを見せてくる。

 そう考えるといてもたってもいられなかった。
 「手柄」を誰かに横取りされない内に、一刻も早くその「化物」を見つけだし、そして叩きのめしてやらねばならない。
 もはや、もたもたしているような時間はない。
 アリスはすぐさまその小さな身を翻し、そして自分の家へと慌しく飛び込んで行った。 








 小さな家だった。
 魔界の街の片隅にある、小さな小さな家。
 人ひとりが住むのに、ちょうど良い程度の家である。

 そんな小さな家の小さな部屋には、魔道書の納められた本棚と作業用の机、そしてベッドが整然と配置されていた。
 住む者の性格がよく現れているのか。
 魔法使いの部屋としては、随分と小綺麗に片付けられた部屋である。

 その中で異彩を放ち、目を引くものがあった。

 それは、部屋のそこここで静かに座っている、精巧な作りをした西洋風の人形。
 その数も一つや二つではない。
 十を超すほどの人形達が、その無機質な瞳に部屋の風景を映しこんでいる。
 そのお陰で、いたって普通の部屋であるはずのこの場所は、異様な空間と化してしまっていた。

 そんな部屋の中で、ぱたぱたと慌しく動き回る者の姿があった。
 この部屋の主、アリスである。

 「誰かに先を越されないうちに、自分が化け物をやっつける。」
 少女はそのつもりで部屋へと飛び込んだはずであった。

 しかし何故だろう。
 彼女は、部屋中に座る人形達の顔を覗き込み、なにやらブツブツと呟きをこぼしている。
 まるで人形に話しかけているかのようだ。

 化け物退治の準備をするはずであったのに、一体どういうつもりなのだろう。

 「この子は…ちょっと機嫌悪そうね…。 こっちの子はあまり酷使させられないし、連れて行くにはちょっと…。」

 どの人形を連れて行くのかを選んでいるらしい。
 これから戦いに赴くというのに、何故人形を選ぶ必要があるのか。
 この人形が、武器になるとでもいうのだろうか。

 「そうね…。 じゃあ…あなたと、あなた。 いい? 今日は絶対に負けられないんだから、しっかりお願いね??」

 一つ一つの人形に、少女は親しみを込めた口調で語りかけ、そしてその頭を優しく撫でて回っていく。
 その態度は、他人に対してのそれとは全く正反対である。

 いつ、どんな時でも文句一つ言わずに、自分の言うことを聞いてくれる人形達。
 そんな彼女達の方が余程頼りに感じられるし、役に立つ。
 いつしかアリスは、そんな「頼りにならない他人」よりも、この人形達へとあつい信頼を寄せるようになっていた。

 だから、自ずと互いに対する態度に差が出てくるのも、至極当然なことだった。

 「………」

 選び出した二体の人形の頭上に手をかざし、瞳を閉じて意識を集中させはじめる少女。

 指先から糸が伸び、それを介して自分の意識が人形の五体とリンクしていくイメージを思い描く。
 そしてやがて、そのイメージが「カチリ」と形にはまったような感覚がした時。
 人形に異変が起こった。

 「………」

 掌の下で座っていた人形が、ピクリと身じろぎをしたのである。
 そしてそれは、僅かにフラつきながらゆっくりと立ち上がり始める。

 魔法によって、半自律的に動く操り人形…
 これが、アリスの最も得意としている魔法であり、そして彼女の最大の武器であったのだ。

 まず一体。
 そしてもう一体が魔法によって目を覚まし、少女の手を完全に離れて立ち上がる。
 始めのうちこそ、ヨタヨタと頼りなさげであったその足取りも、いつしかしっかりとしたものへと変わっていた。

 「彼女」たちはじっと少女のことを見上げ、静かに主人から指示を下されるのを待っている。

 準備は、万端整った。

「さ、行くわよ。 私の力を、皆に思い知らせてやるの。」

 人々から、喝采と羨望のまなざしを受ける自分の姿。
 それは、これからすぐに現実のものになるであろう。
 少女の自信には、少しの揺らぎも見られない。

「お褒めの言葉を頂くとき、どんな格好していくか考えておかないとね。 …ねぇ、どんな服が良いと思う??」

 楽しみで仕方がない、といった様子でアリスは微笑みを浮かべる。
 相談を持ちかけられた人形はチョコンと小首を傾げながら、ただじっと主である幼い少女のことを見上げ続けていた。




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