彼は、思い出す。

 父は救われぬ人だった。

 その人の良さが災いし、他者に騙され、多額の借金を背負わさた。

 それで、そうして父が他者を恨まずにいられようか?

 父は、騙されたその当然の復讐として、自分を騙した連中を殺した。そのどこに、悪があるというのだ。

 悪と裁かれるべきは奴らのはずだ。父は奴らに騙され、そしてあんな行為に及んだのだから。

 殺されたから可哀想、など、なぜそう思う。死んで当然ではないか。

 どうして父ばかりが責められた。

 どうして父が死刑宣告などされなければならない。

 面会室。硝子越しの父の哀れな姿が思い出される。

 彼は父に言った。

 必ず帰ってくる、と。

 いつか必ず父を救い出して見せると、その決意を篭めて。

 だから彼は父を、あの哀れな父を監房の中に置き去りにしてまで、母をまだ幼い弟に任せてまで、日本を出た。

 そして、傭兵になったのだ。

 父を、救うために。

 その直前に巻き込まれた事件がある。

 ロンドン市内の駅構内での爆発事件だ。

 民族問題にテロリストが奮起し、行ったテロ行為だった。

 爆発当時はそんなものか、とも思ったものだが、後日には驚いたものだ。

 まさかニュースの志望者一覧に、自分の名前が並ぶとは思っていなかった。

 パスポートなどを落としてしまったのが原因だったのだろう。

 よくよく考えれば、それは本当に幸運だった。ロンドン市警の捜査の精度の低さにあの時ほど感謝した瞬間はない。

 もし自分が鬼籍に入れば、すでに死者の扱いだ。

 履歴上完全に死んだ人間の姿を捉える者など、そうはいないからである。

 逸材。

 彼を傭兵に凱旋した男は、彼をそう評した。

 彼にとって、そんな評価はどうでもよかった。

 必要なのは、父を救うための手段だ。

 契約書にサインし、そしてその翌日には、彼は牧場のような場所に送られた。

 牛も山羊もいる、奇特な牧場主のものだというが、その事実はコングロマリットやシンジケートが、つまり、傭兵を大量に凱旋している元締めがいることは彼も分かっていた。

 彼はその場所で、様々な訓練をさせられた。

 通称「檻」と呼ばれるその施設で、彼は一人の教官に出会う。

 “魔王”と渾名された男との出会い。

 あの紳士的な、そして偽善的な教育者。

 彼が「檻」を出るとき、“魔王”から貰った名がある。

 それが、“魔王”。

 どんな意図があったかなど、どうでもよかった。

 自分に跡を継がせたかったのか、あるいは何らかのマークか。

 ただ、“魔王”の名は優秀だった。

 優秀ならば、それを活用できないわけが無い。

 滅多にではないが、徐々に、彼は自身を“魔王”と名乗る回数が多くなっていった。

 二年ほど戦場を渡り歩いて、彼は傭兵としての活動を止めることになる。

 だがその傭兵を止める、その直前にも事件はあった。

 今度は彼は巻き込まれたのではない、巻き込んだのだ。

 モスクワ将校との取引の最中、その交渉場所のすぐ近くのホールで三島薫、というヴァイオリニストが演奏をするというではないか。そして、その会場にはアラブの大物がいた。

 取引相手の将校はそのアラブ人がアメリカの代理人だと、つまり邪魔だから殺したいというような事を言っていた。

 その一方の彼は、その名前に思考を奪われていた。

 三島薫。

 なんということだ。

 父に借金を背負わせた、あの男の妻。

 感情は動かなかった。

 よし、殺すとしよう。

 まるで、その日の献立を考える事となんの違いも無い。

 笑顔で帰る将校を見送った後、彼は仲間を集め、そして行動を開始した。

 嘘の情報を流し、警察機関を混乱させ、彼自身が日本人であるという天下御免を利用し、あっさりと会場内に侵入。

 持ち込んだC4爆弾を、三島薫の演奏開始とともに爆発させた。

 爆発に巻き込まれた三島薫に止めを刺した彼は、まるで中間決算でもしたかのような達成感を覚えた。

 奴の娘である宇佐見の娘にも出会った。

 気でも違っていたのか、おかしなことを言っていた。

 自分は勇者、だと。

 その時、彼はしっかりと自分に不敵な遊び心があると認知する。

 宇佐見の娘を殺しはしなかった。

 理由を聞かれれば、面白そうだったから、と答える。

 魔王を倒すのは勇者の役目。ならば、いつか宇佐見の娘が自分の目の前に現れるのだろうか、などと考えた。

 いや、もしかしたら、親の責任を娘にまで背負わせる事はないなどという無くしたはずの良心が働いたのかもしれない。

 その場を後にし、そしてしばらくすれば、彼は宇佐見の娘のことなどすっかり忘れてしまった。

 彼の頭を埋め尽くすのは、もう父を救うことだけ。

 日本に帰って、まず悔やんだのは母のことだった。

 まさか父の借金を取り立てていた連中が母にまで手を伸ばしているとは、彼にも予想が付かなかった。

 そのせいで母は精神を患い、一人で病院にいた。

 一人で、というところに彼は疑問を覚えた。

 弟はどうしたというのだろうか。

 調べて、絶望に近い失望を感じた。

 母を守るべき弟は、あろうことか、母を追い詰めた謝金取りの養子になっていた。

 今すぐにでも叩き伏せたい気持ちを押さえ込んで、彼は冷徹にその感情をしまいこんだ。

 ただ感情のままに動く事は出来ない。

 彼は“魔王”として、日本で行動を開始した。

 まず山王物産の社長に付け入り、その利益を伸ばしてやった。

 その方法は簡単だ。武器の密輸。

 それだけであっさりと山王物産の売り上げは伸び、彼の思惑通りにことは進む。

 次に彼は、ロンドンの凱旋屋にこう提案した。

 日本での傭兵の凱旋。

 日本人の傭兵の数は少ない。ともなれば、そこにはいくつか傭兵として優れた利点が生まれる事になる。

 日本の傭兵。

 彼がその足がかりに選んだ対象は、未来を担う“坊や”達だった。

 彼は“坊や”達に、覚醒剤で金を稼ぐ知恵を与え、銀行強盗のための武器を与えた。

 そんなことをすると、“魔王”の噂が広がるのはあっというまだった。

 そして幾ばかりかの時を経た“魔王”は、動き出した。

 事前に金で雇った傭兵達に道を封鎖させ、“坊や”達を使い封鎖した街の一区画で、残虐な暴動を起させた。

 それは正に地獄と表現すべきものだったろう。

 燃え上がる街路樹の側で、跪く老人を少年が銃で撃ち殺す。

 女性を集団で襲い、地下室に連れ込む。

 そんなことが平然と行われる空間が、平和な日本という国の一角に生まれたのだ。

 彼はその状況の中で、今まで手を引いてやって山王物産の本社内で一人の政治家を人質に取り、そして政府への交渉材料とした。

 交渉の内容は、彼が指定する者達を即刻釈放することだった。

 彼が口々に述べたのは、様々な過激派の人間達の名前。

 その中には、過去に過激派との疑いすらもたれた哀れな父の名も混じっている。

 彼の冷酷な知略によって、その要求は一応はのまれることになる。

 一応、というのは釈放されたのがたったの三人だけだったからだ。

 だが、その三人の一人が、自らの父である事に、彼は歓喜した。

 以前まではそうだったかもしれないが、今では過激派とのつながりが無いと証明された父が釈放される事は、彼の予想通りだった。

 そして船に乗せられ、父が国外へと脱出するのを確認した彼は、仲間の傭兵を逃し、そして自身を爆弾で吹き飛ばした。

 ――と見せかけた。

 本来ならばそれで彼は見事に脱出するはずだったのだ。

 だというのに、それは阻まれる。

 そう。

 復讐に強く育てられた宇佐見の娘と、そして、あろうことか仇の娘と恋に落ちた、自らの弟によって。

 彼は脱出の寸前で追い詰められ、既に開放された街の封鎖に使われたバスへと追い込まれてしまう。

 そして、警察との銃撃戦の末に、バスのガソリンに銃撃の火が引火。

 バスが爆発した。

 だがそれでも、彼は、“魔王”は死ななかった。

 彼は窓を割り、そしてバス内に自分の身代わりを置いて、脱出したのだ。

 身代わりの死体を隠れ蓑に、彼は見事に、あらゆる追走を振り切った。

 そして、ついに父との対面が叶う。

 そのはずだったのに、その結果は訪れなかった。

 父は、持病の心臓病が悪化し、そして、国外脱出の船内で息を引き取ってしまった。

 彼は現実となってしまった不安の中、足を動かした。

 まだ、復讐は終ってなかった。

 宇佐見の娘が。

 そして、弟が残っていた。

 復讐しか残されたものの無い“魔王”の策略に、二人はあっさりと嵌ってくれた。宇佐見の娘は感情的に。そして弟は、宇佐見の娘の為に。

 宇佐見の娘が夜の街中にある公園で、何の武器も持たない彼に銃口を向けた。そのまま引けば、例えどんな理由があろうとも無抵抗な人間を宇佐見の娘は撃ったことになり、それはつまり、殺人だ。犯罪だ。

 それを阻止するために火を噴く銃口があった。

 弟が、彼を撃った。

 宇佐見の娘に犯罪を起させまいと、弟が彼を撃ったのだ。

 そこに、“魔王”の謀は成った。

 弟は刑務所に入る事になるだろう。そして、それに宇佐見の娘は絶望を覚えるはずだ。

 殺すだけが、復讐ではない、ということだったのだろうか。

 いや、もしかしたら、“魔王”はもう、復讐すらも残っていなかったのかもしれない。

 ただ彼は、その二人に最後の試練を与えただけに過ぎないのかもしれない。

 自分を見落とす弟に、最後に何を言おうとしたのか、彼自身も覚えていない。

 だが、自らの命が尽きようとした、その瞬間。

「面白い小僧だ。貴様なら、あの二人を任せられるじゃろう」

 しわがれた声が、聞こえた。

 意識が暗闇に沈む。

 だが、不思議とそこに冷たさは無かった。


 そして、目覚めた。


 伽藍の堂で目覚めた彼は、その後、二人の少年と出会う。

 それはまた、別の話。





「懐かしい夢だ」

 身体を起こして、恭平は呟く。

 妄執に惑っていた頃の、自分の姿を夢に見た。

 別段、なんの自責も沸いてこなかった。

 あの時の行動を、恭平は今でも間違っては居なかったと確信している。

 確かに沢山の人が死んだ。

 だが、そんなことは恭平の知った事ではない。

 あの事件を起した。それこそが、鮫島恭平なのだ。ならば、その自分を自分にさせている要素を否定するほど、恭平は愚かではない。

 ベッドから体を出して、恭平は寝間着を脱ぎ捨て、壁にかけてある制服に手を伸ばそうとして、ふとその手を止めた。

 そういえば、今日は休みだったな。

 寝ぼけているのか、そう苦笑して、恭平は手を私服へと伸ばす。

「京介、か」

 不意に、恐らくは今もあの世界で牢獄の中から愛しい者の音楽に思いを馳せているだろう弟の名前を呟く。

 素直に言えば、今になっては復讐の念も消え、弟を牢獄から出してやりたい、という気持ちも恭平にはあった。

 そもそも恭平は今もこうして、子供の体とはなったが生きているのだ。魔術という要因のせいで世間は弟の殺人罪を確定させているが、殺された本人こそが京介の無実を一番よく知っていた。

 ならば、弟が牢獄に囚われる必要は無いのではないだろうか。

 そしてそれをすぐに何の被害もなく出来る力を、恭平は手に入れている。

 だが、きっとそれを弟は望まないだろう。

 ふっ、と恭平は笑む。

 馬鹿に感傷的になってしまったと首を軽く振り、服に腕を通す。

「詮無いことだ」

 そう言って、恭平は自室を出た。

 その部屋の机の上には、古びた一枚の写真と、真新しい一枚の写真がそれぞれ写真立てに入れられている。

 いつか取った、家族四人の集合写真。

 そして、もう一枚。

 舞台上で一心にヴァイオリンを演奏する、髪の長い女性の姿。





「うぅむ」

 士郎は呻いていた。

 場所は喫茶店[翠屋]の店内。つまりなのはの家の喫茶店だ。

 そこで紅茶片手に苺タルトにフォークを入れる士郎の姿は、どこか不思議だ。

「……美味い」

 悔しそうに、士郎が呟いた。

 味も形も、翠屋のタルトは、いやタルトだけではない、デザート各種は、どれをとっても一級だ。

 士郎も料理には自信があるが、しかしスイーツをここまで美味く作れる技術は無い。

 紅茶ならば一歩手前まではいけるだろうが、しかしやはり、菓子などは二歩も三歩も手前だ。

 これを期に、というかどういう期なのかも不明だが、士郎はいっそスイーツをマスターしようか、などと考える。

 そして、同時に思う。

 食べさせる相手が居ない技術に、何の意味があるのだろうか、と。

 いや、いることにはいる。

 が、あの二人が、同居人たちがまともな反応をしてくれるだろうか。

 特に不敵な方。

「……またの機会だな」

 タルトを一口、士郎は肩を落とす。

 ところで、何故士郎はここにいるのだろうか。

 理由は簡単だ。

 士郎は朝に強い。ともなればやはり朝起きるのは、朝弱い志貴よりも早くなる。

 そこでふと士郎は思うわけだ。

 昨日の今日で喧嘩して、顔を合わせたくは無いな、と。

 つまり、エスケープである。

 士郎は適当に志貴達にサンドイッチを作り置きにして、そそくさとこの街に降り立っていた。

 で、行くあても無く、歩いていて、この店を見かけたのた。

 そして先日なのは達と来た時にも感じたその優れた味にひかれ、思わず入ってしまったのだ。

「うむ、美味い――あ、紅茶おかわりいいですか?」

 再度タルトを口にして頷き、士郎は隣を通り過ぎようとしたエプロンを着た店員にそうカップを差し出す。

 そして、気付いた。

 そのエプロンを着た店員の背が、異様に低い事に。

 店員の顔を、士郎は見る。

 で、納得した。

 まあ、こういうこともあるだろう、という風に。

「し、士郎君!?」

 エプロン姿の高町なのはが、士郎の姿に気付き、慌てた声を上げた。

 というか、余り広くも無い店内で余り人もいないこの時間にどうして二人はこんな小さな店員だったり子供の一人客だったりと目立つお互いを見逃せるのだろうか。

「とりあえず、紅茶いいか?」
「あ、うん!」

 まあ、二人だから仕方ないのだろう。





「え、喧嘩したの? 志貴君と?」
「む、ああ」

 何故かエプロンを外したなのはが士郎の前に座っていた。

 どうやら母親らしい女性がなのはをからかってエプロンを剥ぎ取っているところを士郎は横目に見ていないこともないのだが、なのはが聞いて欲しくなさそうなので敢えてするーする。

「駄目だよ、喧嘩は」
「しかしだな、」

 なのはの言葉に表情をしかめ、士郎が言葉を詰らせる。

 さて、どう説明すればいいのだろうか。

 正義の味方云々などという話は、まだなのはには難しいだろう。

 それに安々しく人に話すようなことでもない。

「自分の信念を正面から否定されたら喧嘩にもなるだろう?」

 だから士郎は、適当に濁して言い返すことにした。

「それでも、ちゃんと話し合わないと」

 言われて、士郎は再度言葉に詰った。

 確かに、そういわれると士郎は言い返せない。

 昨日の二人は、多少は話し合ったが、しかしそれも互いの意見を口にするだけの者で話し合ったとは到底いえるようなものに思える。

 そしてそんな話し合いも打ち切って、殴り合い。

 話し合い?

 士郎は首を傾げる。

 果たして志貴などと話し合って、どうこうなるだろうか?

 いや、ならない。

 士郎は自信を持ってそう断言できた。

 だがそれを口に出せば、なのはが自分を責めるのは分かりきっている。


「そういえば、いつもの用事は大丈夫なのか?」

 なので、士郎は颯爽と話題転換を図るが、

「話を逸らさないでね?」

 士郎にそんな器用な真似は無理というものだろう。

 どうやらなのはは今日はまだ管理局の仕事はないらしい。

 士郎は軽く身を引いた。

 何故か自分に向けられているなのはの笑顔に、威圧感を感じた。

「そ、逸らしてなんか、ないぞ?」
「ふぅん、そういうこと言うんだ?」

 途端、士郎の悪魔センサーが警鐘を鳴らした。

 しまった、大人しそうに見えて実は悪魔の方面かっ!

 内心で士郎が叫ぶが、状態が好転するわけも無い。

「ねえ士郎君?」
「は、はいっ!」

 思わず背筋を真っ直ぐ伸ばして士郎は硬直した。

 いや、落ち着け俺。士郎はそう自分に言い聞かせる。

「ちょっと、頭冷やそ――」
「待った!」

 すかさず、士郎は反射的にその言葉を遮った。

 何故だかその言葉を言わせたら駄目な予感が士郎の口を動かしたのだ。

 今それは言っちゃ駄目だって、という声が士郎の脳内にどうしてだか聞こえた。

「どうしたの?」

 流石にそんな士郎になのはも不思議に思ったのか、首を傾げて尋ねてくる。

「い、いや」

 が、自分でも理由が分からないのに何が説明できるはずも無く、士郎は黙る。

「な、なんなんだろうな?」

 全く持って何なんだろうか。

 二人して首を傾げて、するとなのはが毒気を抜かれたように溜息をついた。

「まあ、いいです。ちゃんと仲直りしてね?」
「む、まあ仲直りはするぞ」

 でもなければ戦場で後ろから斬られそうになったり、撃ち抜いてしまいしそうになったりしかねない、とは言わない。

「よかった」

 なのはの笑顔に、思わず士郎は小さく笑む。

「なのははいい子だな」
「はえっ?」

 士郎の言葉に、なのはが奇妙な声を出す。

「そ、そんなことないよう」

 そして僅かに赤くなっが顔で、そう言う。

「いや、そうだよ」

 何だか士郎も毒気を抜かれた気分だった。

 帰ったら志貴と軽く話してみるか。そんな風に想いながら、士郎は紅茶を口に運ぶ。

「そういえば、勉強は大丈夫か?」
「……う」

 とりあえずは今はなのはと素直に会話を楽しもう、と決めながら。





「誰があんなもん食えるか」

 ぼやきながら、志貴は街中を歩いていた。

 珍しく、その口調は荒々しい。

 それは一人だから、という理由だけではないだろう。

「……ふん」

 何もする事などない志貴は、とりあえずそのままの足で直ぐ近くの公園に向かった。

 公園の中は緑が溢れ、少し歩けば海が開ける、

 志貴はその公園の中の、木々の隙間に足を運ばせる。

 葉の天蓋から差し込む日の光の隙間を縫うように歩き、そして、一際大きな木の根元で足を止めた。

 そして、どさりと腰を下ろす。

「寝るか」

 極めて志貴らしい案だった。

 志貴は身体を木の幹に預けると、目を細め、そして、

「誰だ?」

 すぐ近く、丁度志貴の来た方向の木の陰に隠れた人気に、声をかけた。

 びくり、と。

 その気配が肩を跳ねさせたのが分かる。

 そのせいで小さく髪が動き、木の陰から覗いた。

 それを見て、志貴はそれが誰なのかを何となく理解した。

「フェイトか」
「う、うん」

 金色の髪の少女は、おどおどとしながら、木の陰から姿を現せた。

「どうした、こんなとこで?」

 志貴が尋ねると、フェイトは慌てた様子で両手をぱたぱたと振った。

 その姿が可愛らしくて、思わず志貴は笑みを零す。

「し、志貴がここに入っていくの見たから」
「えっと、ストーカー?」
「ち、違うよっ!」
「冗談だって」

 首を大袈裟なほどに横に振りながら叫ぶフェイトに言って、志貴は自分の隣の地面を叩く。

「座るか? 少し汚れるかもしれないけど」
「う、うん」

 どこか挙動不審に、顔を真っ赤にしながら、フェイトはちょこちょことした動作で志貴の隣に座った。

 そして、俯いたまま横目に志貴の顔を覗き、安堵の溜息をついた。

「良かった」
「ん?」

 それが一体何を指して良いことなのかが分からず、志貴は首をかしげる。

「志貴、なんだかここに入っていく時怖い顔してたから」
「……ああ」

 今度は、志貴は苦笑を浮かべた。

 そこまであからさまな表情を浮かべたつもりは無かったが、どうやらフェイトには見破られてしまったらしい。

「ちょっと、な」
「そうなんだ?」

 志貴の誤魔化すような言葉に、フェイトは追求しない。

 それが単に聞けないだけなのか、それとも聞かないだけなのか。

 分からないが、志貴には正直ありがたかった。

 余り自分のことを話すことを、志貴は得意としていなかった。

「それより、例の用事は平気なのか?」
「あ、うん。今は大丈夫」

 といっても、いつアースラから出動命令が出るかも分からないのだが、少なくとも今はフェイトは安息を楽しんでいた。

 それで散歩をしていたら、志貴を見かけて後をつけたのだ。

 ちなみに志貴が直ぐに気付けなかったのは認識阻害の魔法を軽度ではあるがフェイトが使っていたからである。

 いや、そんなに魔法の安売りをしていいのか、という疑問はこの際はどうでもいいことなのだろう。

「そっか、じゃあ少し、話すか?」

 志貴は過去のことを話すのは、あまり好きじゃない。必要があればもちろんするが、無節操にするつもりはない。

 それよりも、今の会話を楽しむ方が、志貴は好きだった。

「うん」

 フェイトが、嬉しそうに頷く。

 そんな顔をされて、志貴も嬉しくないはずがない。

 緩む口元を自分で感じながら志貴は口を開いた。 





「ねえ、志貴」
「ん?」

 一体どれほどの時間、話していただろうか。

 木々の隙間の時間の流れが速いのか、それとも遅いのか。

 志貴とフェイトは、時々笑みを零しながら、言葉を交わしていた。

「志貴は、士郎や恭平と喧嘩、したことある?」
「……う」

 フェイトは何かを意図していったわけではないのだろうが、志貴にとってその質問は無性に気まずいものだった。

「あるんだ?」

 志貴の呻きを肯定ととらえて、フェイトは志貴を見る。

「あ、ああ。まあ、一応あるよ」

 むしろ現在進行形で、である。

「どうして喧嘩ってしちゃうのかな?」
「……いや、どうしてって、」
「その、今まで喧嘩とかしたことなくて、よく分からないんだ」

 寂しそうなフェイトの表情に、志貴は一体なんと言えばいいのか迷う。

 何で喧嘩するのか、など、当たり前すぎて考えた事も無かった。

「誰かと喧嘩しているのか?」
「どうなんだろう、多分違うと思う」

 その返事に、志貴はさらに困惑した。

 喧嘩かどうかすら判断が上手くつかないなんて、余程の重症である。

 道理でここまで純粋な少女になってしまうはずだ、と志貴はなんとなく納得。

「距離が離れたっていうのかな?」

 その言葉に、志貴は思い当たるものがあった。

 多分原因は、恭平あたりなのだろう。そう見当をつけて志貴は内心だけで溜息をついた。

「なあ、フェイト」

 ともなれば、志貴がそれを無視できるはずもなかった。

「問題が無い関係なんて、ないんだぞ?」
「え?」

 何を言われたのか分からない様子のフェイトに、志貴は続けて言う。

「ほら、あるだろ、ドラマとかで。凄い問題抱えた恋人達の話とか」

 一体志貴が何を言いたいのか、フェイトはまったく理解できなかった。

「あれみたいにさ、人の関係ってのは、きっと問題があったほうが強くなるんじゃないかな?」

 それでも、ニュアンスとしては、志貴の言いたいことを察する。

「喧嘩すれば仲直りすればいいし、距離が離れればまた近づけばいい。そうじゃないか?」

 ここまで言ったら、自分も返ったら士郎と仲直りしなくちゃな、と想いながら、志貴は言う。

「それでさ、その度に次は喧嘩しないぞ、距離を離さないぞ、って決めるんだ」

 志貴のその言葉は、あるいは自分に対するものでもあるのかもしれない。

 士郎に対してだけではない。今は遠くにいる、大切な人達に対しての、志貴の感情。

「そしたら、きっと、もっと仲がよくなる」

 そうは思えないか、と無言で志貴はフェイトに首を傾けて見せた。

「うん」

 小さく、フェイトは頷く。

「そうだと、いいな」
「そうに決まってる」





「これは、まさか全部私に食えというのか……?」

 寝起き。

 自室を出た恭平は、アヴァロンの中央に位置する生活空間、まあ簡単にいうとキッチンとリビングが一つになったような部屋にあるテーブルの前に立って、ぽつりと呟く。

 そこには、一人前にしては多いサンドイッチの山。

「……まあ、どうせ夕食までには帰ってこないんだろうな」 

 いつものことだと恭平は溜息をつき、サンドイッチを一枚摘む。

 半分は、昼食か。





あとがき
まず最初に。
最初の恭平回想が行数稼ぎだとか思った人。

とりあえず土下座で許してください。

回想部分の最後の八行くらいを書きたかっただけなんですけど、こんな風になっちゃいました。

士郎となのはの会話での「ちょっと、頭冷やそ――」は完全にノリです。

自分にしては珍しい、戦闘描写の無い話です。
ぶっちゃけ自分で驚きました。
まあ、短い話になりましたけどね。

では、この文章を読んでくださった全ての人に感謝を。
ありがといございます。





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