第三話「闇に魅入られた日」










少年と少女の旅は此処から始まったのです。

それは世界を救うための旅……ではありません。

ただ、探す為の旅です。

己の目的、生きる為の目標を探す旅。

道中色々とありますが、それは愛嬌と言うものでしょう。

さて、今回のお話は
――――











天に伸びる煙突から、タバコのように煙を吐き出す光景を眺める。

上を向いている筈なのに、涙が零れてくるのが不思議だ。

涙を拭う気力はない。

そんな気もない。

何故なら、少年は空っぽだからだ。

唯一の拠り所がなくなってしまった。

少年の大切なものは今、煙となり天へと昇っている。

姿を変えた大切なものを見つめると、無性に悲しくなる。



「どうした、坊や?」



不意に声を掛けられ、その方向へ視線を向ける。

そこには、太陽よりも明るい金色が風に舞って広がっていた。



「聞こえなかったか? ではもう一度。どうした、坊や?」



凛とした声音。

鈴を転がしたような、心地よい音が耳朶に響く。

見つめている女性は、興味深そうに少年に視線を送る。

それが、修司のエルザとの出会い
――――






二人は傍らにあったベンチに座っている。

エルザに促され、何故泣いていたのかを話す修司。



「なるほど、母親が死んだのか……」



エルザはそう呟くと、空を見上げた。

茜色に染まる空。

理由もなく物悲しくなる光景。

修司はエルザを眺める。

初めて会ったというのに、不思議なほど心が落ち着く。

傍に居るだけで、安心できる。

それが、不思議でたまらない。



「これから父親と二人暮らしか? 大変だな」

「……お父さんはいない。離婚したから」



「そうか……」と言うと、エルザは修司の頭に手を置いた。

そのままゆっくりと撫ぜる。

愛おしいものを撫ぜるように、大事そうに。

冷たくも温かいその手は、母を連想させた。

思わず頬が綻んでしまう。

不思議な感覚だ。

この人は母ではない。

なのに、母の感触、温もり、匂いがする。

母の匂い。

それは太陽によって暖められて布団のようにふっくらとした香り。

胸に顔を埋めると、たちまち眠りを誘うような安心する香り。

親離れしていないと言えば聞こえは悪いが、修司はまだ五歳、母が恋しい盛りだ。

それに、大の大人でさえ母親には無償に甘えたくなる時がある。

それは特別マザコンだからという訳ではない。

帰りたいのだ。
            
子宮
一番安心でき、一番安全な場所へ。

母の体温が感じられ、鼓動を感じることのできる子宮。

それに、こんな話がある。

母の胎内から出てきた赤ん坊が泣き叫ぶのは、呼吸をする為だけではない。

慟哭する為であると。

安全な楽園から放逐され、絶望の地へと放たれた我が身を呪い、泣くのだという。



「おや、眠ってしまったか……」



修司はエルザの肩に頭を乗せ、赤ん坊のような顔をして眠っていた。

安全な場所を見つけた、仔猫のように。



「ふむ。気にいられたか。……存外、悪くないな。子供というものも」



そんな言葉を耳にしたが、修司が目を開けることはない。

泣きつかれた、と言うのもある。

そしてこの女性は、自分に危害を加えるようなことはないと、確信しているからだ。

世界で最も安心する女性よりも、安心できる。

この場所を離れたくはない。

失いたくはない。

手放したくはない。

もう、二度と
――――




















「ちょっと、起きなさいよ!」



耳元で怒鳴られ、目を開ける。

ゴシゴシと目を擦ると、見知った顔があった。

窓から射し込む夕陽を見ると、成程、随分眠っていたらしい。

シュウジ達はあの街から汽車に乗り、別の地へと向かっていた。

その汽車に揺られている内に、シュウジは舟を漕いでしまったようだ。

頭をトモコの肩に乗せ、眠りこけていた。

夜明けまで起き、そのまま汽車に乗ったというせいもあるのだろうが、シュウジにとっては不思議だった。

あまり自慢できることではないが、シュウジは人見知りなのである。

簡単に他人を信用できない。

そんな性格なのは当の昔に分かり切っていた。

だが、今さっきまでトモコの横で眠っていた。

こんなことは母が傍に居た時以来だ。

頭を掻く。

何だかこそばゆい。



「アンタねぇ……アタシの肩に頭乗せるなんて百年早いわ」

「成程、トモコさんが縁側でお茶を飲む老婆になったらいいということですね。
 ……いや待て、その時にはもう死んでいるか? 墓場の中まで肩を借りに行く気はないなぁ」

「アンタねぇ……いい度胸してんじゃない……」

「へ……? あだっ!」



シュウジの頭からは煙が上がっていた。

銃のグリップで叩かれたせいである。

涙目になるシュウジに、トモコは何かを見せる。

紙切れのようだ。

随分古いものらしく、ところどころ擦り切れている。



「これ、アンタ知ってる?」



手垢に塗れた紙は読みにくく、解読が難解だ。

だが、何とか読める所を探すと、シュウジは我が目を疑った。



「トバルカイン……」



その名はシュウジにとって、最も忌むべき名。

宿敵と言ってもいい。

怨敵と言ってもいい。
       
分岐点
シュウジの運命を変えた者と言ってもいい。

呪われたその名は、過去にエルザが殺した者の名。

ドイツベルリンの悪魔。

第二次世界大戦の最中、日本にやってきたドイツ軍特殊部隊をエルザが殲滅した。

その中にトバルカインという者が居た筈である。

トバルカイン・リヒカイト。



「どうしたの? 急に黙ったりして」

「い、いえ、なんでもありません」



訝しげに此方を見てくるトモコ。

紙をもう一度見せ、話しかける。



「で? 知ってる?」



少し考え、シュウジは首を横に振った。

トモコは「そう」と言うと紙をしまった。

元々期待はしていなかったようだ。

本当は、シュウジはトバルカインのことをよく知っている。

だが、トモコに話す義理はない。

そう判断してのことだった。




















列車はドンドンと線路を駆け、見知らぬ土地へと向かっている。

もう時刻は夜中。

当然、列車内の乗客は既に眠りに落ちている。

だが、その中で起きている者がいた。

榊原シュウジ。

シュウジは窓から外を眺め、独り呟く。



「トバルカイン……か」



思い出すのは、あの血の海。

そして、トバルカイン等の血を浴び、真っ赤に染まったエルザの姿。

正直怖かった。

だが、それと同時に美しいと思ったのも事実だ。



「母さん……」

「ママ?」

「え……?」



声の聞こえてきた方に振り向くと、トモコが目を擦りながら此方を見ていた。

シュウジはため息を吐きながら話しかける。



「なんで起きているんです?」

「こんなに煩いのに眠れる訳ないでしょ? アンタじゃあるまいし」



寝起きでこの毒舌。

これはどうやら生来のもののようだ



「ところでママってどういうこと?」



言葉に詰まるが、母のことを思い出したということを話す。

しかし、シュウジの言葉を聞くうちに、トモコの表情は曇る。



「なに、アンタマザコン? ちょっとやめてよ、変態じゃない」

「……男の半分はマザコンだと、統計で出ていますよ」

「もう半分は?」

「ロリコンだとか」

「男死ねっ!」

「その男の遺伝子を半分受け継いで女は生まれてくるんです。諦めた方が賢明かと」



その言葉に「うっ」と唸るが、気を取り直し吠える。



「じゃあ、アンタが男代表で死ねっ!」

「トモコさんが女性代表で死ぬんでしたら、考えなくもないですね」

「何でアタシが死ななきゃならないのよ!?」

「それが男女平等というものです」



その言葉を聞くと、トモコは俯き何かを呟いている。

肩が小刻みに震えていることから、何か嫌なことを思い出してしまったようだ。



「……はっ! 男女平等とかぬかしながら、結局は男尊女卑が根付いているじゃない。この世は」



吐き捨てるようにそう言うトモコ。

だが、その瞳は微かに潤んでいた。



「……そう、舐め腐った理論ですよ。結局は理想論でしかない。実現できるのかと聞かれたら、実現は不可能と答えるしかない。
 男は女を見下し、蔑む。女は自分が高級ブランド品だと思い込む。全く、馬鹿馬鹿しい。男と女は全く別の生き物だということを理解しろと言いたいです」



そこまで喋ったところで、二人の目が合う。

しばらく互いに黙っていたが、トモコが先に口を開いた。



「……気が、合ったわね」

「……ええ、珍しく」



そして二人は笑いあった。

理由は必要ない。

ただ、笑えてくるだけだ。

しばらく笑うと、不意に睡魔が襲い掛かってくる。

此処までの疲れが出たようで、トモコも目を擦っている。

自然と頭がトモコの肩にもたれかかる。

今度は、頭を叩かれなかった。

シュウジは目を瞑ると、直ぐに闇に落ちていった。

それを見届けると、トモコも欠伸を一つつき、瞼を閉じる。

そして、二人は眠りについた。




















目が覚めると、ガヤガヤと周りが騒がしい。

眠い目を擦りながら周りを確認するトモコ。

昨日まで乗っていた人とは違う乗客。

恐る恐る駅名を確認する。



「ロンドン……?」



イギリスの首都、ロンドン。

活気に溢れるメトロポリタン都市。

歴史と文化の宝庫であり、博物館や美術館などは三百館以上にのぼる。

第一次世界大戦では、ロンドンはドイツ軍の飛行機や飛行船による攻撃対象となった。

第二次世界大戦の初頭にはドイツ空軍の爆撃を受けて数千人が死亡した。

千九百四十年九月から翌年七月にかけて、ブリッツとよばれるはげしい爆撃をうけた。

この爆撃によって数万人が死傷し、ロンドン塔は北側が破壊され、大英博物館では十八世紀と十九世紀の新聞三万巻がうしなわれた。

国会議事堂は図書館、下院、上院が甚大な損害をこうむった。

ギルドホールは内装の一部がやけ、オールドベイリーとして知られる中央刑事裁判所は北東の角が破壊された。

さらに、セント・ポール大聖堂やバッキンガム宮殿、ランベス宮殿、セント・ジェームズ宮殿も被害をうけた。

また爆撃機による空襲がバトル・オブ・ブリテン以後に下火になった後にもV1飛行爆弾、V2ロケットによる攻撃を受け大きな被害を受けた。

戦後の復興は労働力不足のため一時期とどこおったが、大ロンドン計画にもとづいて推進され、
都心部に郊外区域を加えたロンドンを統括する行政府としてグレーター・ロンドン・カウンシルが設置され、
千九百五十年代末までにほとんどが復興し、重要な歴史的建造物が修復された。

千九百六十年代以降イギリス経済は低迷し、それに伴いロンドンも移民層や労働者階級を中心に失業者が増加して街は荒廃し犯罪が増加した。

千九百八十年代に保守党のサッチャー政権は大幅な犠牲を払って規制緩和や産業構造の改革、国有事業の民営化、ドックランズ再開発など施策を遂行した。

経済は少しずつではあるが息を吹き返してゆき、国内金融機関の退場を引き換えにしてロンドンは世界有数の金融市場としての地位を確立した。

このような歴史がある都市だが、それは同時に闇の歴史もあるということである。

イギリスの夜は、アザミ邸と呼ばれるウォーロック家が支配している。

魔女モーガンの血統の長である直系の三姉妹が実質夜を支配している存在であった。



「なんたってイギリスに着ちゃうのよ……」



ロンドンは吸血鬼の宝庫。

しかし、それは同時に危険な都市でもある。

トモコは駆け出しの吸血鬼ハンター。

一対一ならなんとかなるかもしれないが、流石に仲間を呼ばれては敵わない。

頭を抱え帰ろうと考えるが、生憎と賃金が足りない。

シュウジはろくに金を持てはおらず、トモコが代替したのだ。



「ふあ……着いたんですかぁ?」



欠伸をしながら起きだす馬鹿。

その馬鹿をトモコは思いっきりぶん殴った。



「あた! な、何をするんですか!?」

「うるさい、黙れ! ああもう! 何でロンドンに着ちゃうのよ!」

「ロンドン……?」



ロンドンという言葉を聞くと、シュウジの目つきが変わった。

そしてトモコの手を掴むと強引に引っ張り、駅へ降りる。



「ちょっと! 何で降りるのよ。引き返さないと……」

「僕は此処に用があったんです。……アザミ邸の三姉妹に」

「な、なに馬鹿なこと言っているのよ! アザミ邸って言ったら吸血鬼の巣窟じゃない! アンタ死ぬ気!?」



そう叫ぶトモコにシュウジは笑みを見せる。



「大丈夫ですよ。一度会ったことがありますから」



そう言うと、シュウジはトモコを引き摺りながら改札を抜けていった。

霧の街ロンドン。

此処で何が待ち構えているのか……それは今の二人には分からない。




















 あとがき

地理の知識がありません、どうもシエンです。

ロンドンに着いたはいいですが……地理の知識が全くありません。

少し調べるので次の話は遅くなるかも知れません。

ではまた次回。




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